前回、個人の意識を基準に怪異を叙述する際の難点を指摘したが、それでは視点を変えて、心霊現象を巨視的にとらえる場合にはどういう問題が考えられるのか。このテーマについては、かつてこの連載「心霊現象の解釈学」でも、円了妖怪学と柳田民俗学を題材にした 第7回「妖怪学の衝突」、香川雅信『江戸の妖怪革命』を題材にした 第8回「「不気味なもの」の向こう側へ」でも取り上げたことなので芸がないと言われればそれまでだが、別の題材によって再度考えてみることで新たな発見があるかもしれないという淡い期待を抱いている。
今年の夏(2017年8月)に亡くなった哲学者・中村雄二郎氏は、人類学者・民俗学者の小松和彦氏との共著『死 21世紀へのキーワード』(岩波書店、1999)で亡霊や怨霊に言及している。私は膨大な中村氏の著作をつぶさに読んだわけではないが、おそらく『死』は、中村氏がリアルな亡霊に言及している、かなり希少な一冊である。ここでリアルな亡霊というのは、演劇や文学作品に登場する役柄としての亡霊ではなく、経験談として語られた亡霊という意味である。それは、共著者の小松和彦氏が『憑霊信仰論』、『悪霊論』などの著者だからというサービス精神によるものもあったかもしれないが余計な憶測はやめておこう。
同書(p96)で中村氏は「私は亡霊というのを人間の心に並々ならぬ力で作用するヴァーチャル・リアリティーの一種だと考えている」と書いていた。亡霊とはヴァーチャル・リアリティーの一種だと中村氏は考えていたのである。これは、私の「心霊学」にとっても考えさせられる論点を含むと思われるので、あらためて読み直しておきたい。なお、同書は共著者小松和彦氏との往復書簡という体裁で編まれているため、必要最低限の範囲で小松氏の発言にもふれる。
■水子供養
さて、中村氏がリアルな亡霊に言及したのは、第2章「老いと死」からである。ただし、中村氏本人が亡霊に遭遇したというわけではない。老いと若さを対比し、やがて若さを賛美する時代は終わって死のことばかり考える時代になるだろうという話の終わりに、やや唐突に、伝聞として亡霊の話が持ち出される。
いつぞや、たしか埼玉県のある道教の道士(僧侶)の話として、こういう話を聞いたことがあるのです。終戦後に中国から引き上げてきた日本兵たちは、一人ひとりみな亡霊を背負っていた、というのです。これは直接には、その後問題になった、日本軍の中国大陸での民衆殺戮行為とつながる話ではないのですが、それだけにかえって、不気味な感じがしました。不気味な話といえば、それと関連して私は日本の多くのお寺にある「水子供養」という、ほとんど「自然」化した「慣習」を思い出すのです。人類学・民俗学では、この問題はどのように扱われているのでしょうか。小松さんが言われるように、私も、日本人はもっと死を直視しなければ、真の「生」は獲得できないと思うのです。(中村・小松前掲書、p75〜p76)
戦地から帰国した元日本兵が亡霊に憑かれていたという話は、私が子どものころまでは時折り耳にする話題だった。道教の道士を持ち出すまでもなく、私の親の世代にとってはよくある世間話だったようだ。戦地でうまく立ち回って得をしたらしいと噂のある人が難しい病気になったりすると、私の父などはそれ見たことかといわんばかりに、あの人は戦地で捕虜を殺したからその霊の祟りに違いないという話をした。一方、水子供養については、中村氏がなぜそれを戦地から亡霊を連れ帰る話と関連付けて持ち出したのかよくわからない。
小松氏は、水子供養について、祟りへの恐れとして説明したうえで、祟りについて次のように付け加えている。
「祟り」の信仰は古代から連綿と伝えられてきた、日本人の信仰を考えるためのもっとも基本的な思想ですが、その思想によって、「胎児」というこれまでは一人の人間としては認識されず、また神の領域になる「前人間」であるために「祟り」の主体になりえなかった存在が、意思をもつ主体的な存在として認識されているということです。(中村・小松前掲書p82)
引用文中「これまでは」と小松が言うのは、前近代では、という意味である。胎児を一個の人格として認識していなかった前近代と、胎児を「意思をもつ主体的な存在として」認識する近代以後とでは水子供養の意味が異なる。胎児は、近代的な医学のもとで意思をもつ主体的な存在として認識され、またそのことから人権の主体としても考えられるようになったことから「祟り」の主体にもなりえたのだということだ。皮肉にも近代化が水子を怨霊化したのである。
これに対して中村氏は次のように応答している。
「たたり」が成り立つためには、その原因となるものが意思をもつ主体的な存在でなければならないとのことですが、もしそうだとすると、「たたり」というのは、怨霊のようないわば「裏返しの生命力」に深く関係していることになりますね。怨霊といえば、かつて梅原猛氏が日本歴史の多くの事件をもっぱら「御霊信仰」で説明したことがありますが、怨霊とか「たたり」とかいうのは、たしかに人々の気持ちにつよく訴えるものがあります。そしてそれは、なによりも「裏返しの生命力」あるいは「負のアニミズム」の働きによるからではないでしょうか。(中村・小松前掲書p93)
こうした話の流れで、いよいよ第3章「怨霊」で、亡霊についての哲学者と民俗学者の対話がなされる。その前に、中村氏が亡霊と水子供養をワンセットで持ち出したために、この後の議論にもそれが尾を引いてわかりづらくなっているので、ここで簡単に整理しておく。中村氏は水子供養について、当初、「ほとんど「自然」化した「慣習」」と言っていたように、それを自然発生的な精霊信仰、アニミズムと結び付けて考えていたようだ。ところが小松氏は、現代の水子供養は近代化によって胎児が祟りの主体としての資格を持ちえたところに眼を付けた葬祭ビジネスという側面が強く、その点で前近代の水子供養とは区別されると説明した。これが中村氏には意外だったらしく、「コマーシャリズムこそが現代の最大の習俗なのかもしれない、と思ってしまいます」とため息をつくようなコメントを残している。にもかかわらず、次章でも、高野山の水子地蔵をあげて「水子地蔵とは日本的アニミズムの鮮烈な、あるいはなまなましい表現」と、なおもこだわっているのだが、これは生命倫理における中絶の問題とかかわっているからだろう。本稿では水子供養については、仮に引用文中で触れられていても積極的には取り上げないことをお断りしておく。問題は亡霊である。
中村氏が「私は亡霊というのを人間の心に並々ならぬ力で作用するヴァーチャル・リアリティーの一種だと考えている」と書いたのは、この第2章の末尾であった。
■ヴァーチャル・リアリティー
ヴァーチャル・リアリティーとは何か。『術語集U』にある中村氏の定義は、単に仮想現実というにとどまらない。そこで中村氏は、ポパーの「ワールド3」、ヘーゲルの「客観的精神」、西田幾多郎の「表現的世界」を挙げて次のように言う。
それぞれに力点の置きどころは少しちがうが、いずれも、人間の精神活動が生み出した宗教、芸術、諸学問、言語、慣習、諸制度など、広義の文化の世界を指している。以前から、私が、目に<見える制度>と<見えない制度>という言い方で考えてきたのも、それと同じ問題である。
ヴァーチャル・リアリティーはヘーゲルの言う客観的精神の同類だと中村氏は言うのである。それでは、中村氏はヘーゲルの客観的精神をどうとらえていたのか。『問題群』(岩波新書)にはこうある。
特徴的なのは、なによりもそれが、精神の外化・客体化ということを中心に成り立っていることである。精神というのは、人間にとって直接的には主観的なものだから、それが客観的精神になるためには、媒介化・間接化されなければならない。言い換えれば、その自己外化を経なければならない。客観的精神とはなにかが理解されにくく、わかりにくいのはそのためである。しかし、それ自体が観念や意志の外化・客体化を骨格とする制度的現実、法的現実の(また、表現的世界の)基本的性格をこれほど明らかに示しているものはない。
制度的・法的現実は、歴史的で社会的な現実として、当然のことながら、精神的側面と物質的側面を併せて持っているが、その物質的側面は自然的な意味で物質的なのではなく、人間の欲求と労働に媒介された外化と物象化(外部への対象化と惰性化)によってもたらされたものである。そして、一面では、まぎれもなく人間の精神活動の所産でありながら、他面では、人間から独立した高度の客観的な実在として、いわば第二の自然として、その持つ固有性と論理によって私たち人間を拘束してくる。つまり、フィクショナル(擬制的)でありながら、高度にリアルな意味と力を持つのである。
亡霊がヴァーチャル・リアリティーの一種だとしたら、つまり、亡霊を擬制の力として理解するなら、そのような亡霊という語は、比喩としての亡霊によくあてはまるだろう。過去の慣習や制度、あるいはイデオロギーなどが現在の私たちを拘束し、突き動かしたりする場合、ナントカの亡霊という。そういう場合である。しかし、亡霊が擬制の力だとしても、リアリティーがないというわけではない。『死』では「もちろん、怨霊がその恨みをはらすことのリアリティーは、私もつよく感じています」(p140)と中村氏は言っている。擬制=フィクショナルなものの例として中村氏が挙げている法制度は、まさしく現実を動かす力を持っている。
余談だが、この連載の前回の蛇足に、父の死以来、週に一度くらい、明け方になると携帯電話の着信音が聞こえて飛び起きることが続いていると記した。これは私自身の実体験で、最近は週に一度が、二週に一度くらいになっているが今でも続いている。携帯電話(愛用のいわゆるガラケー)を開いて着信履歴を見てもなんの記録もない。入院中の父が死んだ7月までの半年間ほど、未明の電話で急変を告げられて病院まで急ぐことがたびたびあった。これが習い性となってファントム・バイブレーションを起こしているのである。これが私にとっての父の死のヴァーチャル・リアリティーである。こうした経験のある方は多いだろう。繰り返された刺激が習慣になったのである。これは個人の習慣だが、習慣とは社会の慣習となんらかの連続があるものと考えられている。ただし、個体レベルの習慣と集団レベルの慣習(習俗)とのあいだにどのような関係が成り立つかについては諸説あるが、定説と言えるほどのものはまだない。しかし、中村氏のいうヴァーチャル・リアリティーとしての亡霊とは、もっと大がかりなものであるようだ。
■逆光の存在論
亡霊をヴァーチャル・リアリティーの一種として捉えることは、生を活性化するものとして死を捉えるということにつながる。これは実際、中村氏が宗教に言及する際に唱える「逆光の存在論」のことでもある。小松氏はそのエッセンスとして、中村氏の『日本文化における悪と罪』(新潮社)から「『宗教』が人間に可能にしたのは、おのれの虚無の自覚を媒介とした、相対的価値から絶対的価値への、有限な生命から無限な生命への転換であり、真の自己の探究・発見であった」という文を抽出している。
中村氏自身は、『術語集U』「宗教」の項目で次のように定式化している。
ひとがひとたび、何かに挫折感を感じたり、重い病にかかったり、また死に直面したりするとき、これまで生命力の発した光によって照らし出された眼前の世界は、実在性を失い、無意味化してしまう。つまり、イメージや意味の凝集力である生命力の衰退によって、自分を中心に秩序立てられている見慣れた世界の風景は解体され、無意味化するのである。そのとき、われわれの自我は、おのずと存在根拠を失って、自己の足下に底無しの虚無の深淵を見るのである。
一般に宗教的意識の出発点とされる<虚無の自覚>である。だがその自覚とは、さらにいえば、人間の自然的な生命力がみずから発する光とエネルギーを失って、他からの<逆光を浴びる>ときに生ずる。われわれ人間の個体は、身体あるものとして、もともと受苦(パトス)的で、ヴァルネラブルな存在である。だから、われわれは、世界や外界を自分の光で照らし出す前に、すでに何ものかによって働きかけを受け、その光に照らし出されている。(『術語集U』p82)
これはおそらく中村氏が初期に取り組んだパスカル『パンセ』の有名な言葉「この無限の空間の永遠の沈黙が、私をおののかせる」から触発されて構想されたものだろう。中村氏はこう注釈している。
このパスカルのことばは、そのように理性が発見した宇宙の<無限空間>を、濃密な意味を持つ有機的コスモスの喪失として、つまりは、そこから神の立ち去った後のおそろしい<永遠の沈黙>としてとらえたものにほかならない。『人類知抄 百家言』(朝日選書)
近代のニヒリズムといわれる状況の核心は、コスモロジー(意味・価値の秩序)とシンボリズム(意味・価値の象徴体系)の喪失であり、シンボリズムにはたらきかけるパフォーマンス(劇的行為・受苦的行為)によってコスモロジーを回復するというのが、中村氏の年来の主張であった(例えば『魔女ランダ考』岩波書店)。逆光の存在論と名づけられた宗教観もこの構想の延長上にある。それは永遠の沈黙の前で立ちすくみ、おののいているだけでは終わらない。
宗教において特別の意味を持つのは、生命(生)の変質であり、有限な生命から無限な生命への転換である。それを可能にするものは、有限なこの世の生への、永遠の死を媒介にした、絶対他者からの照射、あるいは宇宙の超越的で根源的な存在からのエネルギーの充当である。<永遠の死>が媒介になるのは、<有限なこの世の生>を自覚するとは永遠の死に直面することだからである。そのとき、われわれ人間の個体は初めて、<純粋な受動性>を得るようになる。この純粋な受動性によって、ひとは、時間を超えて、限りないエネルギーと永遠の生命を受け取る。そしてそのとき、真に自己たりうるし、真の人格たりうるのである。(『術語集U』p84)
自らの有限性を自覚した人の中には、自分が生きているのではなく、何者かに「生かされている」感覚をもつ人がいるという。そこに権力志向の強い者の恣意が介在するととんでもないことになることを、オウム真理教事件の衝撃を受けて書かれた『日本文化における悪と罪』で中村氏は警告しているが、それでもこの構造は魅力的である。自らの有限性を逆照射する何ものかが、文字通り絶対他者なのか、超越的で根源的な存在なのかが、厳しく問われなければならないが、しかし、永遠の死を媒介にして真の自己を自覚するような経験は、宗教的回心といわれるものの代表的なパターンである。
ただ、中村氏は回心の媒介となる死についても、「その「死」は「生」の活性化の原動力としても働きうるのです」(中村・小松前掲書、p75)と明言しているように、生の立場に軸足を置いて考えている。もちろん、私たちは生きている人間だから、まずは生の立場から考えるしかないのだが、こう言ってしまうと、現実の死は不可逆なものなのに、死が通過儀礼の試練のように受けとめられやしないかという懸念はどうしても残る。
■怨霊
能のなかに実に多くの亡霊が出てくるのも、日本人につよいアニミズムの感覚あるいは思想と浅からぬ関係がありそうですね。そして、能がギリシア悲劇に匹敵する代表的な日本のドラマであるとしたら、それは能が日本人のアニミスティックな情念をもっとも純化し洗練したものだからと言ってもいいのではないでしょうか。
いま「日本人のアニミスティックな情念」などと言いましたが、もともとアニミズムは意志的な行為ともっとも遠いもの、その裏側にあって狂おしい情念となって噴出しがちなものであってみれば、乱世や戦乱の時代に、怨霊が活躍するのも、理由のないことではありませんね。(中村・小松前掲書p122)
この中村氏の問いかけに対して、小松氏は「怨霊発生公式」を示す。
怨霊を呼び招くのは、死者の霊魂の存在を信じ、そしてその霊魂の怨みを買っていると思っている者が、身辺に不幸が生じたときに、その怨みをもった霊魂と結びつけてそれを説明しようとするからなのです。自分の過去の歴史・行いに照らし合わせて「怨霊」が生み出されるわけです。
したがって、次のような「怨霊発生公式」を見出せるでしょう。大きな権力や財力をもっている者は、その権力や財力を獲得する過程で多くの人々の「怨み」を買ってきたはずなので、潜在的な「怨霊」をたくさん抱えもっている、と。つまり、政治の最高権力者はたくさんの「怨霊」に取り囲まれているわけです。しかも、そうした「怨霊」に対する同情の念や怖れの念が深ければ深いほど、「怨霊」の力は増大していきます。強迫神経症的症状を呈していくわけです。(中村・小松前掲書、p131〜p132)
怨霊とはすぐれて政治的な亡霊なのである。このように小松氏は、ヴァーチャル・リアリティーとしての怨霊、擬制の力としての怨霊の発生条件を明確に描き出す。ただし、中村氏の関心との齟齬もある。中村氏が怨霊の生まれる環境としてアニミズムを念頭に置いているのに対して、小松氏は霊魂不滅の観念があれば怨霊は生まれるとしている。だから、小松氏は中村氏のアニミズムへのこだわりに対していぶかしげに言っている。
日本人がアミニストであるということは、「怨霊」の探究とは異なることから迫るべきかと思っています。私はアニミズムの本質は人間の霊魂以外の存在物にも霊魂を認めるところにあると思っているのですが、中村さんの場合、どうも私とは少し違うアニミズム観をおもちのようです。(p133)。
小松氏の当惑はよくわかる。怨霊とは怨みを抱いて死んだ者の霊魂の発現であって、アニミスティックな情念と直接の関係はない。それでも中村氏は次のように言う。
怨霊とアニミズムとの関係について言えば、人びとが怨霊にリアリティーをつよく感じるのはやはり、アニミズム的な文化のうちにあってだと思います。それというのも、怨霊とは、「裏のアニミズム」という以上に、アニマ(魂)の一種の凝縮形態であるからです。そのような点から言えば、怨霊の探究から日本人のアニミズムに迫ることも不可能ではないでしょうが、怨霊思想は、アニミズム文化の、特徴的ではあってもきわめて部分的な現象です。だから、そこからアニミズムに迫ることは議論が混乱するおそれがあります。(中村・小松前掲書、p142)
怨霊とアニミズムという話題は中村氏が持ち出したはずなのに、もうこの議論は打ち切りましょうと言わんばかりである。
このやりとりに私は意外な思いがした。中村雄二郎氏といえば、70年代80年代の日本思想界のスターだった。その人気の理由は、西欧思想の新動向を巧みにキャッチするアンテナや、親しみやすいエッセイにもあったろうが、私の印象では対談・座談の名手というところにもあった。中村氏は、黄金時代の「現代思想」誌にしばしば登場し、その博識と柔軟な好奇心を発揮してさまざまな分野の専門家と談論風発の対談を繰り広げていた(『精神のトポス』青土社)。なかでも文化人類学者の山口昌男氏との対談では息の合ったコンビネーションを発揮して、中村氏の持論である演劇的知を実演してみせた(その好例は美術史家・高階秀爾氏を交えた鼎談『書物の世界』青土社)。だから、小松氏の専攻する人類学・民俗学は、中村氏にとってまったく未知の分野ではないはずだ。それなのに、どうしてこうも議論がすれちがうのだろうか。
■裏のアニミズム
第4章「裏のアミニズム」でのやりとりの中で、すれちがいの要因らしきものが姿をあらわす。
中村氏のいう「裏のアニミズム」に関連して、小松氏は、道具が妖怪化する「付喪神」を例にあげる。
「怨霊」になるのは人間の「霊魂」の特権ではなかったのです。動物や植物、山や川などの自然も祟りました。人間が作った道具も祟りました。「つくも神絵巻」のような古道具の妖怪たちの出現の物語は、この点をはっきり描き出しているはずです。
日本の妖怪の、日本のアニミズムの特徴は、「道具の妖怪」に示されているのだ、というのが、以前からの私の主張です。(中略)
中村さんは、日本のアニミズムの特徴を「怨霊」に求め、それを「裏のアニミズム」と名づけているようですが、アニミズムとは、自然にせよ、道具にせよ、人間にせよ、「裏のアニミズム」としてしか存在しえないのではないかとさえ思います。(中村・小松前掲書、p168)
人間の霊魂こそ亡霊であったはずなのに、ここで小松氏は怨霊概念を拡張して、付喪神という器物の怪までふくめている。このロジックの背景としては、これも議論が錯綜するのでふれてこなかったのだが、亡霊と怨霊を分ける小松氏一流の怨霊観がある。私自身は、怨霊とはあくまでも亡霊のカテゴリーに含まれるものであり、あまたいる亡霊のうちで怨恨の表出の特に強烈な人たちという認識なので、意見を異にするが、ここでは小松氏の意図を忖度してみよう。
図式的にいえば、個人的な動機から現れる人間の霊魂を亡霊、政治的なメッセージを動機とし、現実社会に強い、場合によっては物理的な影響を与えるものを怨霊、というように小松氏は考えており、さらに、怨霊については、祟り神の系譜に連なるものとしている。怨霊が実は祟り神の末裔であれば、妖怪は祀りすてられた神だという柳田民俗学の妖怪理解に含まれることになるから、怨霊と妖怪との垣根はぐっと低くなる。そこから捨てられた器物の精のなす妖怪である付喪神も怨霊のうちに含まれる、というところまではかなり苦しい気もするが、道具も打ち捨てられて怨んでいたのだと言えないことはない。
しかし、これはやはり小松氏が中村氏に助け舟を出したのだろう。アニミズムによくあてはまるのは亡霊や怨霊よりむしろ妖怪ですよと小松氏は暗に示唆したのではないか。そう考えた方が自然だと思う。実際、このあと、中村氏は雄弁に「裏のアニミズム」を語りだす。
私の理解するところでは「日本のアニミズム」自体は、本居宣長の「あかき、きよき、なおき心」ではありませんが、平明で大らかなものだと思うのです。それがなにかの迫害や弾圧などにあって屈折し、鬱屈したところに「呪詛」や「怨念」が生じ、また、より具体的には「妖怪」になるのだと思うのです。だから、私が「裏のアニミズム」と言うのは、とくにその屈折し、鬱屈したアニミズムのことを指しているのです。(中村・小松前掲書、p175)
妖怪は必ずしも呪詛や怨念と関係するわけではないのだが、これ以上議論を錯綜させるのも面倒なので、もうふれないでおく。中村氏はこの後では、平田篤胤を持ち出して、「「裏のアミニズム」の体現者」と評価する。
篤胤は、『霊の真柱』の冒頭で、学問の目的は真(まこと)の道を把握することにあるが、そのためには「大倭心(やまとごころ)」をしっかりさせねばならない。「大倭心」を堅固にするためには、死後の霊魂の行方について明確な観念をもたねばならない、と言っています。篤胤はわれわれのいう「裏のアニミズム」にとくにつよい関心と鋭い感覚をもっていたのでしょうね。(中村・小松前掲書、p189)
通常は亡霊の範疇に入る怨霊も、妖怪とみなすこともできるという小松氏の助け舟に乗って一気に平田国学までこぎつけてしまった。このあたりは、もう亡霊との関係が薄くなるので本稿でとやかくあげつらうことはしないが、要するに、中村氏が亡霊(死者の魂の発現と考えられる幻)と妖怪(怪異の主体と想定される精霊)との区別をあまり意識しないで議論していたため、混乱が続いていたのである。
■魔女ランダ
さて、以上、碩学のあげあしを取るべく涙目になって立ち回っているかのような文章になってしまったが、私はなにも中村氏を非難したいがために同氏の著作を開いたのではない。『死』のなかから私の当面の関心である亡霊についてふれた中村氏の発言を拾い読みしていくとこうなってしまったことに、むしろ当惑しているほどだ。
要らぬ弁解をしておくと、私がはじめて買った『哲学入門』は中公新書から出ていた中村氏の著作であり、哲学はドラマであるというそのスローガンにすっかり感化された私は、一時期、それをバイブルのように持ち歩いていた。岩波から出ていた三部作『感性の覚醒』『共通感覚論』『哲学の現在』はもとより、当時続々と刊行された中村氏の著作を追いかけるようにして読んだ。もちろんフーコーの著作も中村訳で読んだ世代である。ただ、中村氏本人が主著と位置付ける『魔女ランダ考』以降は話についていけないと感じるところが多くなり、西田幾多郎論から『悪の哲学ノート』までは何とか追いかけたものの、それ以降は積ん読になったのは事実である(積んであったうちの一冊が『死』である)。
なぜ私は『魔女ランダ考』でつまずいたのか。そのときにははっきり自覚できていなかったが、今、『死』とその周辺の著作を読みなおしてみてわかったことがある。インドネシア・バリ島を訪れて魔女ランダの登場する神話劇(バロン劇)を鑑賞した中村氏は、バリ・ヒンドゥーのアニミスティックな世界観に入れ込む。そこに自らが探究してきたコスモロジー、シンボリズム、パフォーマンスが具現化されていると感じたのだろう。魔女ランダについては中村氏自身による要約を引いておく。
魔女ランダはふつう<死の寺院>と訳されるプーラ・ダレムに祀られ、そこを棲み処としているが、この寺院は、なにもただ死者だけを祀っているわけではない。また、プーラ・ダレムというのも、その本来の意味は<深層の寺院>、つまり死と再生のための寺院を指すものであった。このランダやプーラ・ダレムをはじめとして、バリ島の人たちのコスモロジーや象徴的世界では、死や悪魔にしても、ただ単なるマイナスを担っているわけではない。そこでは死も悪魔も、排除されるべきマイナス符号であるにとどまらない。マイナス符号とプラス符号とがたえず交流し合いながら、新しい生命を生み出していく。そういう巧妙きわまる装置になっているのである。(『術語集U』p73〜p74)
このイメージを理念化して書き上げたのが『魔女ランダ考』に収められた連作であり、以後の著作にもその影響がいたるところに見られる。『死』において、日本的アニミズムなどと言いだしたのも、能や『太平記』の怨霊をアニミズムの一類型としてとらえようとしたのも、日本のバリ島化作戦の一端で、怨霊たちにバロン劇における死の女神ランダの役割を演じさせたかったのかもしれない。そうだとするとヴァーチャル・リアリティーとしての亡霊とは、魔女ランダをモデルとしたアイデアだと言えそうだ。だがそれは、現実の怨霊のイメージと一致しないため頓挫したのであった。
私はバリ島の社会や文化がどんなものか知らないけれども、特定の地域の社会や文化を理想化することに抵抗を感じた。そこがどんなにすばらしいところであったとしても、人間が暮らす社会である限り表もあれば裏もあるはずで、手放しでの理想化はできないだろう。ましてや、中村氏の絶賛するバロン劇は観光客向けに演出されたもので、バリ島の民俗文化そのものではない(中村氏自身がそう書いている)。
なによりも中村氏自身が『魔女ランダ考』の末尾近くで、ギアーツ『ヌガラ―-十九世紀バリにおける劇場国家』を参照して指摘している次の点はかなり問題である。
王の火葬祭儀のクライマックスに、いけにえ妻の若い女性たちが燃えさかる火中に次々に身を投じる場面が――かつては――あった。そのことから、供犠との結びつきはいっそう明らかである。ところが、そうしたことについて、ギアーツの観察あるいは把握はいかにも外面的である。彼はただ、L・V・ヘルムズのリポートを引いて、彼女たちの行為を、来世での后としての再生の信仰によって説いているだけである。(中村『魔女ランダ考』岩波現代ライブラリー版、p328)
のちにスピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(邦訳みすず書房、1998)によって現代思想の大きなテーマとなる寡婦殉死である。実態は信仰を口実にした焼身自殺の強要であり、しかも「ランダはもともと、寡婦を意味する」(中村前掲書)以上、ここには重大な問題が見てとれる。ところが、中村氏がこれにつけたコメントは……。
ギアーツの描くバリ島の世界は、悪鬼や悪霊が跳梁することもなく、プーラ・ダレム(深層の寺院=死の寺院)が少しも問題にならず、したがって魔女ランダの存在が顧みられることもない世界である。
それらはいずれも負の原理を体現しているが、そうすることによって、差異=文化の働きを活発にし、生に濃密な意味を与え、悪や死への抵抗力を養う働きをもっている。(同上)
中村氏の意図に即するなら、悪や死などを儀礼によって緩和しながら内側に取りこむ仕掛けが必要だということである。一般論として、死はもちろんのこと、悪(暴力)も完全に消し去ることなどできないだろう。だから、オール・オア・ナッシングよりもほどほどのところで落としどころを見つけるのは現実的な提案である。
しかしこの現実的な提案は、死とは不可逆なものだというもう一つの現実を忘れている。現実の死が不可逆である以上、死を招く悪は許容し難い。この一線をゆずってしまったら、生きながら火中に投じられた名もなきランダたちのことはどうなるのだろう。誰か(この場合は共同体)の生を活性化するために誰か(寡婦=ランダたち)の死が要請されることをどう受けとめればよいのだろうか。
バリ島で寡婦殉死がすたれたのは魔女ランダのおかげではなく、西欧人の非難をさけるためであった。むしろ魔女ランダの活躍するバロン劇は、王の葬儀に生贄を差し出す前近代のバリ島社会の構造と無関係ではないはずだ。そうだとすれば、バリ島のコスモロジーをモデルとした構想にも、社会のための死を肯定する要素がまぎれこむことになる。こうした犠牲の問題への甘さは、中村氏だけでなく、同時期に活躍した山口昌男氏や今村仁司氏にも共通していることは、かつて本誌に寄稿した 「神話劇を見る視線」などで書いた。もちろん、この一点をもって、中村氏や山口氏、今村氏らの膨大な業績を全否定することなどできないし、許されない。むしろ、いち早く問題の所在に照明をあてた先見の明を評価すべきだろう。
とはいえ、さぞや中村氏はバリ島の文化に感銘を受けたのだろうが、魔女ランダにとり憑かれたのではないかと思うほどの熱狂を読まされて、かえって私は冷めていったのも事実だった。
■逆光の形而上学
心霊現象の解釈学のために、中村氏の発想から何か汲むべきものがあるとしたら、やはり逆光の存在論だろう。その可能性を見る前に難点をあげておく。永遠の死を媒介にするというが、いっぺん死んでみたら生き返らないのが現実である。シンボリックな次元で語られる死とは、往々にして再生を前提にした死であり、それは現実の死ではあり得ない。逆光の存在論には、こうした象徴的次元の死、フィクショナルな死と、古くから「死者不可以復生」(『孫子』火攻篇)といわれてきたような不可逆なものとしての現実の死とが混在している。永遠の死を媒介にすると言った場合、私はあくまでも不可逆な死を念頭に置きたい。生き返るようでは死とはいわんだろうというのが、死についての現代の常識的な理解ではないだろうか。
私の父は認知症で入院していた先で肺炎にかかり、二月には危篤になって、もう数日持つかどうかと言われたが、その後も七月までの半年間、時には心停止を含む危篤状態を何度も繰り返しながらも生きていた。父はそうして徐々に衰弱して死んだのではなく、七月には主治医が奇跡的と驚くほどの回復を見せ、二度も風呂に入れてもらって看護師さんたちに愛想笑いを振りまいたあげく、上機嫌にすやすや寝入ったままあの世に行った。半年間、私たち家族は「お父さんまた生き返った」と喜んだりしたが、それはあくまでも比喩であって父は死ぬまで生きていた。人騒がせな親父だが、父の死を何度も疑似体験したおかげで、いざという時の準備ができて助かった。それはともかく、死にかけることと死んだことを混同してはいけない。
現代人の常識的な立場から考えるなら、死を媒介にするとは、いっぺん死んでみることではありえない。死んだらそれまでである。だから、死に直面する者はあくまで生きている。生きている私は死を経験することはできない。フィクションの世界で、象徴的な死を疑似経験することに意義がないとは言わない。それは私たちの、特に青年期の人格形成に寄与してくれるだろう。そのためにフィクションはある。しかし、現実は違う。生きている私たちが自らの死に直面する、その死を媒介にするとは、それがなにかのメタファーでなければ、私の死後は私にとって徹頭徹尾不可知であるということの自覚である。宇宙の果てが知られぬように、私自身の中に絶対に不可知な領域がある、むしろ、死という不可知な無限の宇宙の一点として私の生がある。これが「自己の足下に底無しの虚無の深淵を見る」ということだろう。
ここまでは、生きている私が考えることのできる範囲である。その意味では凡俗な私にも「一般に宗教的意識の出発点とされる<虚無の自覚>」はあるのだ。しかし、ここから先は宗教的な回心を経た者だけが体感できることであって、信仰者たちの言葉を手がかりに図式的に表面をなぞることしかできない。
どうやら有限な私が無限の空間と無限の時間のなかの非力な一点として存在しているということから、「われわれは、世界や外界を自分の光で照らし出す前に、すでに何ものかによって働きかけを受け、その光に照らし出されている」ことに思い当るらしい。私が考えることのできない領域にあって、私を考えてくれている何ものかがいるらしいのだ。その何ものかとは誰か。「絶対他者」とか「宇宙の超越的で根源的な存在」と呼ばれている者は誰か。歴史的には、キリスト教・イスラム教の神、浄土仏教の阿弥陀如来、真言密教の大日如来などが、それにあたるのだろう。私がエゴから生じる私のはからいを捨てたとき、<純粋な受動性>を得たときに、「絶対他者」「宇宙の超越的で根源的な存在」からの光に照らされていることに気づき、「真に自己たりうるし、真の人格たりうる」ということが起きるらしいのである。
ここまでは宗教学などで定説とまで言ってよいのかどうかはわからないが、かなり広く認められている理解ではないだろうか。この図式に対して中村氏が示唆するのは、「絶対他者」あるいは「宇宙の超越的で根源的な存在」の位置には人格神だけではなく、生きとし生けるもののすべて、自然、宇宙、世界などでも置かれうるということだ。
私自身はキリスト教的な「霊魂不滅」思想を、文字どおり、またそのまま受け入れようとは思いません。しかし、日本人のアニミズム感覚を、ただ種としての生命の持続にとどめるのではなく、絶対者の前に一人で立つ「我―汝関係」にまで深めることができないものか、と思っているのです。(中村・小松前掲書、p141)
中村氏が宗教の原初形態としてのアニミズムに注目したのも、すべてのものに命があると感じるアニミスティックな感覚が、人類の宗教文化の基底にあるだろうという洞察によるものだろう。死を媒介とした虚無の自覚から、自然、万物、宇宙、世界、ありとあるすべての事物の光に照らされている自己への気づきを可能にするのが、アニミスティックな感覚である。これが、逆光の存在論の延長線上に考えうる回心である。
感性とか感覚とか制度といったテーマを縦横に論じた中村氏の活躍からするといささか意外な気もするが、逆光の存在論とは宗教的意識の形而上学である。この形而上学を心霊現象の解釈に生かすとしたらどうなるか。
中村氏の表現を用いるなら、私たちが知ることのできる領域とは「人間の自然的な生命力がみずから発する光」が届く範囲であり、私たちが知る物事とは「生命力の発した光」の反射である。私の死は、私から発した光の届かないところにある。ゆえに不可知である。仮に生命力から発する光が今以上に強く明るく輝いたとしても、その光を反射するものは生の領域にあるものだけであって、決して死ではない。私たちは必ず死ぬにもかかわらず、私たちの側から発する光は死に届かない。死に直面するとは、死の不可知の底知れなさを思うことである。パスカルの言葉をもう一度引く。
「この無限の空間の永遠の沈黙が、私をおののかせる」。
だが、われわれが本当に戦慄するのは、永遠に沈黙する無限の空間の彼方から何者かがあらわれたときである。とはいえ、このままパスカルの表現を使い続けると、宇宙から空飛ぶ円盤が飛んでくるようなイメージになりかねないので、中村氏の著作から別の表現を拾おう。例えば『問題群』ではオットーやエリアーデを参照して次のように書いていた。
エリアーデは述べている。聖なるものはいつでも何かを通じて現れる。原則的には、人間が扱ったもの、感じたもの、出会ったもの、愛したものは、すべて聖体顕現になりうるが、とくに強力で豊かなあらわれとなるものがある。それは、天空・水・大地・石など宇宙レヴェルにあるもの、月の満ち欠け・太陽・植物と農耕・性などの生命的なもの、聖なる場所や寺院などの特定の場所、それに、儀礼、象徴、神話、表意文字、等々である。そして、この聖体顕現のうちでは、ふつう相容れないとされる聖と俗、存在と非存在、絶対と相対、永遠と生成が、逆説的に結び付いて共存することになる。(『問題群』p129)
そもそも亡霊は神でも仏でもない。だから同列に論じられない面もあるが、「聖なるもの」には「異なるもの」の側面もある。亡霊は必ずしも聖なるものではないかもしれないが、少なくとも異なるものではある。聖なるものが、エリアーデが列挙したようなさまざまな事物や場所を通してあらわれる(そのため時にはそうした事物と同一視される―聖遺物)ように、亡霊もさまざまな事物や出来事を契機として、さまざまな場所にあらわれる。
とはいえ亡霊は「絶対他者」とか「宇宙の超越的で根源的な存在」ではない。後者でないのは、亡霊もまた生前は宇宙に内在する個物であったことから明らかだが、前者でもないのは、すべての亡霊はかつて生きていた誰かの霊であって原理的には生者の側からアイデンティティを特定できるはずだからである(だからある程度のコミュニケーションが可能だろうという期待をもてる)。このように、神仏に比べると、亡霊の顕現にはなにがしかの条件や制約が想像され、絶対他者というよりは、かなり私たちに近い他者ではある。そこから亡霊の活動をコントロールできるはずという通念(心霊術)も生じるが、それは生者の傲慢というものだろう。亡霊とは、絶対者ではないにしても、生者にとって不可侵の領域から顕現する他者なのである。
風呂敷を広げ過ぎたようなので、今回も尻切れトンボだがこの辺で。
★プロフィール★
広坂朋信(ひろさか・とものぶ)1963年、東京生れ。編集者・ライター。著書に『実録四谷怪談 現代語訳『四ッ谷雑談集』』、『怪談の解釈学』、共著に最新作『猫の怪 (江戸怪談を読む)』など。 ブログ「恐妻家の献立表」
Web評論誌「コーラ」33号(2017.12.15)
<心霊現象の解釈学>第11回:魔女ランダの亡霊──中村雄二郎における逆光の形而上学(広坂朋信)
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