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Web評論誌「コーラ」
17号(2012/08/15)

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 岡田有生氏の前回の論考は、今村仁司の第三項排除効果論を取り上げて、深く鋭く問い直すものだったが、私は山口昌男のスケープゴート論について浅薄かつ散漫におしゃべりしてみたい。一知半解の駄弁を読む暇のない方は、本稿に寄せられる岡田氏のコメントにだけ眼を通していただければ結構かと思う。以下、御用とお急ぎのない方だけお付き合いいただこう。
 
今村仁司の二つの注
 さて、今村仁司はその著書『暴力のオントロギー』の最終章で「供犠(サクリファイス)の論理は、エディプス・コンプレックス、象徴的父親殺し、象徴的自殺、象徴的近親相姦ないしナルシシズム、さらにはヒトラーの政治神話的戦略にいたるまで、種々の形態をとりうる」としたうえで、それに次のような注を付していた。
山口昌男『歴史・祝祭・神話』(中公文庫)の「第二部 革命のアルケオロジー」は、スターリン主義的政治の論理を犠牲の論理として描写したきわめて重要な論文である。トロツキーやメイエルホリドは、典型的な「犠牲者」(ヴィクティム、スケープゴート)=「はたもの」である。二〇世紀の政治の世界における供犠的芝居の側面を指摘した文献は、バークの前掲書と山口昌男氏の書物が秀逸である。なお、バークについては、山口氏のこの書物の「第一部」をみられたい。
 そして、この『暴力のオントロギー』の続編であり、今村の第三項排除効果論の決定版ともいえる『排除の構造』では、「私の命名にかかる「第三項排除」の社会的論理は、人類学の用語を借りて言えば、ブク・エミッセール効果(またはスケープゴート効果)とも言い換えられる」としたうえで、それに次のような注を付している。
私が第三項排除の理論をつくったときには、ヘーゲルやマルクスしか念頭になく、人類学のスケープゴート研究の成果には余り通じていなかった。両者に通底する何かがあることは感じていたが、ぴったり一致するともまだ考えてはいなかった。その後、いくばくかの文献探索のなかで、第三項排除効果の社会的論理とスケープゴート論とは、同じ事態を言い当てていることに確信をもてるようになった。その仲介役をしてくれたのは、少なくとも私にとっては、ルネ・ジラールの著作である。(中略)ジラールの難点のうち最大のものは、近代社会が射程に入っていないことである。近代社会のスケープゴートの意味を、文学的領域ではなく(この領域でのスケープゴート論はジラールにもK・バークにもある)とくに政治の領域について触れているのは、山口昌男氏である。この現象に関するかぎり、近代(現代)社会は、全く未知の領野に依然としてとどまっている。
 この二つの注から何が読みとれるか。
 今村が自らの理論の、単に人類学版というだけでなく、近代社会の政治における現実を分析したものとして、山口昌男のスケープゴート論を名指ししているということである。そして、今村の理論は、ヘーゲル、マルクスから出発しているという出自からして、その真価は近代社会の政治的事象を批判してこそ発揮されるべきものだろう。そうであるなら、今村社会哲学は、その現実分析の側面においては山口人類学に先取りされていたということにならないか。この見通しに立つなら、山口昌男のスケープゴート論を再読する意味はあるというものだろう。
 
神話・芸能・演劇
 山口昌男は、70年代から精力的な言論活動を行って(文化)記号論ブームをまきおこし、80年代に登場してニューアカと呼ばれた若い知識人たち(中沢新一、上野千鶴子、栗本慎一郎ら)の後見人のような役回りを演じた人物である。その山口の70年代の代表作の一つが『歴史・祝祭・神話』だといっていいだろう。同書の「第二部 革命のアルケオロジー」は、ロシア革命の功労者でありながら政敵スターリンによって異端者の烙印を押されて追放されたトロツキーに光をあてたものである。
 山口はこの論文のはじめで、「世紀の革命的政治家の中でももっとも晴れやかな政治空間を生きたレフ・ダヴィドヴィチ・トロツキーの本来の輝きを取り戻すことは、われわれを政治に対する感覚の麻痺、アパシーから解放するために必要なことである」として、「トロツキーという輝かしい知性に降りかかった運命を通して、政治的世界の論理を神話的な次元でとらえてみたい」と表明する。つまり、山口の視点からは、われわれの「政治に対する感覚の麻痺、アパシー」は、神話的な次元が欠如しているからだということになる。
 現実の政治的世界の論理ではなく、神話論的視線が必要なのだというのが山口の主張である。これを忘れると、山口のトロツキーへの賛辞を読み違えることになる。というのも、山口はトロツキーを万能の天才であるかのように描いているからだ。「政治指導者にして、経済学者、社会学者、軍事指導者、大衆の武装蜂起の卓越した専門家、歴史家、伝記作家、文学批評家、ロシア語散文の大家、史上稀にみる大雄弁家と、行くところ、必ず第一級の専門家としての力量を示した人間」。まるでスーパーマンだ。もっとも「寝わざだけがまったく不得手だった人間」とも付け加えているが、寝業すなわち裏工作が不得意というのは必ずしもマイナスイメージではない。このように山口はトロツキーを誉めちぎっている。
 しかし、山口の賛辞はトロツキーの政治的主義主張への賛同によるものではない。歴史の大舞台に登場した人物の役者ぶりを称賛しているのである。
トロツキーのスターリンに対する敗北のプロセスを追ってみて感じるのは、たんに機を見るに敏な者とそうでない者の違い、悲劇的英雄像というより、歴史の大舞台で喜劇的ヒーローを演じる名優の姿である。(中略)こういういい方は、政治的宇宙と芸能の宇宙の失われたつながりを有効に回復するための私(試)考に由来するものであって、歴史の大舞台をパロディー化して、その舞台で壮大な政治劇を演じた人物たちを愚弄しようとするものではない。(山口昌男『歴史・祝祭・神話』)
 ここでは私たちが「政治に対する感覚の麻痺、アパシー」から解放されるために必要だとされた「神話的な次元」とは、芸能の宇宙と言い換えられている。これは演劇論的視点から政治をとらえるということでもある。このように言うと、小泉劇場を経験し、今またタレント政治家をもてはやすワイドショー政治にうんざりしている私たちとしては、今さら何を、と言いたくもなるだろう。しかし、山口の言う「政治的宇宙と芸能の宇宙の失われたつながり」とは、昨今のワイドショー政治とは質的に異なるものである。だがその一方で、ワイドショー政治を批判して民主主義を有効に機能させようというタイプの議論とも違うことは言うまでもない。
 
見世物としてのニュース
 山口がこの文章を書いた時期には、まだワイドショー政治という言葉は使われていなかったが、マスメディアが似たような働きをすることについて山口はすでに指摘していた。『歴史・祝祭・神話』に収められた「犠牲の論理」と題する文章で山口は、ニュースは単なる情報の伝達ではなく見世物的性格を持っているとして「ニュースにはローマの闘技場に似た性格がある」と言う。「われわれは想像上ばかりでなく現実の「犠牲」を見物する。記録映画や写真にしても、他人の不幸のお墨付きの上演に読者や観客を誘うところがある」。なぜかというと、ニュース価値を決める「新しさ」は、「情報の問題でなく、受けとり手の情感の問題」だからである。
そこで、情感(センセーション)を喚起するもっとも手っとり早い方法は「告発」することである。(中略)
つまり「はたもの」選び(告発者)をニュースの受け取り手に代って執行するわれらの時代の司祭という役割を果たすことによって、受け取り手に、日常生活の底に眠っている情感をいくらか喚起し、自らの「新しさ」を保証することができるのである。(山口、前掲書)
 今さら言われなくても、現代の私たちも重々承知しているようなことだが、山口は(ニュースの)「受け取り手が情感を喚起されるのは弱者の受難の見せ場、悪者の憎悪に満ちた眼、悪者の最後の悪あがきの場」であり、「はたもの」(犠牲者)が「われわれの心を秘かに躍らせわれわれは蘇りの体験を持つ」と指摘する。これは無力な客観主義、無責任な相対主義だろうか。私はそうは思わない。山口は「権力に利用されやすい観客の伝統」をあらかじめ想定してさえいる。ワイドショー政治を合理的な立場から批判するメディア・リテラシー的な言論よりも、よほど老練でしぶとい議論だと感じる。
 ニュースが「ローマの闘技場に似た性格」を持つことは、それが見世物的であるだけでなく、見世物的であることによって政治的な性格を持つことを示している。ニュースの政治性というと、最近ではあるニュースに特定の政治党派によるバイアスがかかっていることばかりが注目されやすいが、山口はそもそもニュースというもの、マスメディアというもの全体が見世物的・政治的であると言っている。テレビなどはその最たるものだろう。報道番組のみならず、メロドラマからバラエティショーに至るまで、見世物的・政治的でないものは何一つない。
 
見世物=政治とは何か
 それでは、山口の言う見世物=政治とは何か。一言で言えば、人身御供の儀式である。儀式であるから、数の多少にかかわらず観衆がいる(この点でキルケゴールのあげるイサク奉献はやや趣が異なる)。「生贄を神に捧げるためにこれを殺し、そこで生成される混沌とした状態の中で、犠牲を介して神と人、人と人との区別が取り払われる」、これが「政治権力の究極的なよりどころ」だと山口は言う(「祝祭的世界」『歴史・祝祭・神話』)。そして「われわれの身のまわりでも、このような状況は、いくらでも繰り返されている。結束という言葉が、異分子をはじき出す、はじき出すために、異分子がつくり出されなければならない、というのはどんな社会でも通用している原則である」(「犠牲の論理」)とも指摘している。これもまた、今さら言われなくても承知しているような事柄ではあるが、山口の議論の特徴は、その圧倒的博識にものを言わせて、その適用範囲を拡大していくところである。また引用が長くなるが、山口の議論の特徴を示す箇所なので引く。
このような追放儀礼において、罪人はまさに生贄の供物(はたもの)になる。この「はたもの」の罪業告白によって、彼は永遠の劫罰から救われ、その死によって共同体は悪の影響力から免れることができるのである。これは政治的状況ばかりでなく、芸能の場においても村落的規模において、村の鎮魂儀礼として説教節の語りにも、熊野比丘尼の懺悔譚にも、山伏の語る蘇生譚にも、死と冥界降下、蘇生あるいは救済という神話的原型のさまざまな変種として語られるものである。
同じモデルは、為政者にたいしてもきわめて有効である。彼の理想は、犯罪や叛逆がまったく存在しないということではなく、彼がコントロールできる範疇で存在することなのである。いい換えれば、彼がその中心である政治的宇宙(共同体)が周期的に死と再生の体験を持つことが必要なのである。罪人は、共同体を戦慄させ、共同体の精神的な穢れを負わされて消滅させられることが、彼が中心である共同体の原理の確認になるのである。(「犠牲の論理」)
 こうした観点から見れば、裁判もまた重要な儀式(政治劇)である。「不服従――悪の原理――を象徴的に顕現し、様式化し、舞台(さずき)に載せ、服従に内在する原理(中心の強調)の威力に光輝が添えられるために刑罰は必要」なのである。このような政治劇としての裁判として、スターリンによる反対派の粛清裁判として知られる「ブハーリン裁判」(モスクワ裁判)を山口は例にあげる。そして、この「注意深く準備された告白と自白を中心とした悪魔懲罰劇、怨霊退散劇」について、当時メキシコに亡命していたトロツキーが「国内に人為的に敵を造り出す偽装裁判」だと見抜いていながら、自らの身の上に起こったことについては正しく判断できなかったと付け加えている。
彼は自分の身にふりかかっているのが政治の象徴的過程の次元において捉えられなければならないということ、その過程の中で、彼が、自らの意志と無関係な、ある決定的役割を演じるための条件を備えていたということを理解しえなかった。こうして彼は、二十世紀のもっともおおがかりな神話的政治劇、そしてそれに続く屠殺としかいい得ないような末期的政治現象に、スターリンと共同の責任を負うことになるのである。(「犠牲の論理」)
 ここから何か教訓を汲み取るならば、今起きている事柄、特に、自らがかかわっている事柄を、あたかも芝居、それもギリシア悲劇やシェイクスピア劇のような神話的奥行きを持つ劇を見物するような目でながめることもしておかないと、とんだ悲喜劇を演じかねない、ということだろう。
 
ヴァルネラビリティ論の陥穽
 ところで、先に引用した文章で「自らの意志と無関係な、ある決定的役割を演じるための条件」と言われているのは、後にヴァルネラビリティ(攻撃誘発性)と言い換えられる、異邦性、異貌性、あるいは今なら他者性というような、ある特徴のことである(「ヴァルネラビリティについて」『文化の詩学T』所収)。ある共同体の標準的なアイデンティティから逸脱した特徴を持つ者、外国出身者、障害者、宗教的少数者、性的少数者、特殊な知識や技術を持つ者、性格的な変わり者、その他いわゆるマイノリティの特徴をいくぶんか分け持つ者のすべてが、ヴァルネラビリティを持つ者とされる。トロツキーについて言えば、エキセントリックな風貌、西欧的な知性、多方面にわたる優れた才能、そしてたぶんユダヤ系の出自などがヴァルネラブルな特徴とされたのだろう。
 しかし、この論理を山口流に他の分野に拡大していくと、さまざまな場面、例えば差別やいじめの場面において被害者が加害者と「共同の責任を負う」ことになってしまう。たいていの場合、いじめや差別の被害者は、トロツキーのような英雄ではない。これを同列に並べられてはかなわないと思うのだが、山口は『いじめの記号論』(岩波現代文庫)においてそうしてしまうのである。これは、それこそ山口自身はあまり自覚していないようなのだか、山口人類学の弱点である。
 これまでにも山口人類学に対する批判はあった。その代表的なものとして、山口の理論は本質的な変革を導かない、結局、もとの秩序が強化される過程を描写するだけだという批判があった。例えば、赤坂憲雄は山口の主著の一つ、『文化と両義性』における「中心/周縁」図式を検討して次のように批評していた。
しかし、このような祝祭の場における役割や秩序の逆転は、けっして秩序の転覆といった状況には結びつかない。この儀礼的逆転劇は、つかのまのカオス(無秩序)を媒介として、もっとも有効に、規範および法=秩序を再「活性化」し強化する装置なのである。(中略)こうした祝祭の光景のむこうに結ばれる「中心/周縁」の構図は、やはり裏返された中心のシンボリズム、といわねばなるまい。(『別冊宝島52 わかりたいあなたのための現代思想・入門U日本編』宝島社)
 しかし、この批判は的を射ていないと私には感じられる。山口にしてみれば、既存の秩序の強さと深さをまず認識せよ、ということなのだろう。山口はこうも言っていた。「それを認めることは、そのままそれを是認することではない。それを認めないほうが、むしろ、そういった構造のもっとも非人間的な濫用を結果的に正当化することになる」(「犠牲の論理」)。オーソドックスな秩序にスパイス程度の異端的要素を持ち込んで変革者を気取る人や、「自分は国籍とか(障害とか、性別とかetc)なんて気にしないから」と言いながら無自覚に差別を助長する人がいることを考えると、わきまえておくべき事柄のように思う。
 それに対して、ヴァルネラビリティを帯びていることをもって被害者と加害者とが共犯的だというのは、被害者さえいなければ犯罪は起らなかったと言っているのと同じで、責任の所在をあいまいにする。被害と加害はそれぞれ独立してあるのではなく、相関的な概念だというのであれば、それはそのとおりである。しかし、両概念の相関性については、被害者はもちろん、加害者にすら責任はない。ある事件について、被害と加害を相関的なものととらえて事態の全体像を描写するのは結構だが、そのことに当事者が「共同の責任」を負わされてはかなわない。事態を描写する論理と事件の評価とが入り混じっているのである。この弱点は、山口が弱者のヴァルネラビリティには加害者への挑発性がある(「スケープゴートの詩学へ」『文化の詩学U』岩波書店所収)とまで言うときに、決定的な欠点となる。
 はたして、山口人類学から、その長所である共同体の力学を描写する論理だけを抽出しえるか。またそうすることに意義があるか、簡単には結論の出ないことのように思う。
 
トロツキーは何者に敗れ去ったのか
 結局、トロツキーの失敗は「その理想主義のゆえに、人間の持つ攻撃本能のエネルギーをカーニヴァル的遊戯空間に吸収することに成功しなかった」(「スターリンの病理的宇宙」『歴史・祝祭・神話』)ということに尽きるのだろう。
 山口は、トロツキーは何者に敗れ去ったのか、と問う。そして「トロツキーが敗れ去ったのは、まさに、こういった統御されざる神話的次元にたいしてである」と答える。それでは、「まさに、こういった」とは、どういったものなのか。
政治的世界がもっとも喚起しやすいのは、世界を脅かしている隠れた世界からの諸力が、この世界に侵入し、この世界を擾乱し、秩序を崩壊させ、死がこの世界を支配するが、神の申し子たる聖痕を帯びた英雄が立ち現われ、この魔性のものを斃し、この世界に統一と光明を回復するというパターンの説明体系である。なんだ、それなら毎日、テレビで放映されている怪獣ものではないかと人はいう。その通りである。今日の子供が毎日、夕刻になると神話的世界に引き戻されているというのは事実である。(「神話的始原児トロツキー」『歴史・祝祭・神話』)
 神話的次元とは結局テレビの怪獣もののことかと問われて「その通りである」と山口は断言している。この『歴史・祝祭・神話』の元になった論文が雑誌掲載されたのは、1973年のことだったそうだ。当時のテレビは、ウルトラマンシリーズ(「ウルトラマンA」「ウルトラマンタロウ」)や仮面ライダーシリーズ(「仮面ライダー」「仮面ライダーV3」)を筆頭に特撮ものや変身ものが花盛りで、山口の言う「怪獣もの」が何を指しているのかは特定できない。「怪獣もの」だからウルトラマンのような気もするが、「聖痕を帯びた英雄」には仮面ライダーの方がふさわしいような気もする。しかし、それはたぶんどちらでもいいことなのだろう。
 ともかく、「毎日、夕刻になると神話的世界に引き戻されて」いた子どもの一人だった私としては、山口がその影響として「高度成長の時代にはともかく、社会が少しでも安定性を欠きはじめると悪魔を造り上げなければ世界を満足感を持って理解できないタイプが出現するかも」と推論しているのは気になるところである。現在、日本社会は安定性を欠いた、動揺と危機の時代にあると言える。そして「悪魔を造り上げなければ世界を満足感を持って理解できないタイプ」は実際に出現した。「怪獣もの」との因果関係は別として、山口の推論は当たった。今やこの手合いは政界をはじめとしてマスコミにもネットにもいくらでも見出せる。
 ここまで、主に『歴史・祝祭・神話』から抜き出した山口の主張には、今から見てとくに目新しいものはないと感じられることだろう。山口がロシア革命を例に、いささか大げさな口ぶりで語っていることは、現代の日本では単に眼前の事実でしかない。ただ、四十年近く前にそれを言い当てていた山口の議論の射程の長さについて、私は驚いているである。
 
スケープゴート論の視座
 山口昌男がスケープゴートを論じた文章は上記の『歴史・祝祭・神話』の他にも数多いが、山口スケープゴート論の視座のありかを見定めるために、ここでは『文化の詩学U』(岩波書店、1983)所収の「スケープゴートの詩学へ」に注目したい。刊行当時、岩波現代選書から二巻本で刊行された『文化の詩学』は、七十年代末から八十年代初めにかけての全盛期の山口の論文を集めた主論文集と言うべきものであり、なかでも「スケープゴートの詩学へ」は『文化の詩学』に収められた諸論文のうち書き下ろしの序論を除けばもっとも新しい(1983年2月発表)。その上「スケープゴートの詩学へ」の最終節が「文化の詩学へ」と題されていることから、この二巻本の論文集の中心的位置を占める論文であるとみなしうるだろう。
 山口はこの論文の「1 スケープゴート論の系譜」でフレイザーからジラールにいたる先行理論を整理しているが、それに先だって「はじめに」において自らのスケープゴート論の展開を回顧してもいる。この点から同論文が山口スケープゴート論の達成を示すものであると受けとめても大過ないだろう。そこで山口は『歴史・祝祭・神話』や「ヴァルネラビリティについて」(『文化の詩学T』所収)と並んで、「一九七二年、『エスプリ』誌に発表した「日本における天皇制の神話=演劇論的構造」には当時さまざまな反応が示された」と特筆している。後に大幅に改稿されて『天皇制の文化人類学』に収められることになるこの論文に「当時『暴力と聖なるもの』を上梓したばかりのルネ・ジラールがすぐに著書を送って賛意を表してくれ、後に『世の初めから隠されていること』のなかでも私の『エスプリ』論文について触れることによって、彼の賛意が一時的なものでなかったことを示してくれた」と、自らのスケープゴート論とジラールの理論との同時代性を強調しているところに、山口の自負が表れている。
 さて、「スケープゴートの詩学へ」の「はじめに」は最後の段落で、山口スケープゴート論の方法的立場を表明しているので次に引用する。
何度かこの現象について論じるうちに、私は、このスケープゴート現象こそ文化の根源的な活力を保証する仕掛けの一つであることを確信するに至った。たしかにスケープゴート現象による直接的被害者の立場はつねに深い同情に値するし、われわれはこうした現象のもたらす直接的被害を喰いとめる努力を絶えず行わなくてはならない。しかしながらこの現象には、道徳的レヴェルのみでは済まされない拡がりと奥行があり、それは人間経験の表層の部分(感情)のみでなく深層(想像力)にまで相亘っている。個人の心理的レヴェルから、政治、風俗、精神史、美意識等々のさまざまの領野の動態的部分にまで、このスケープゴート現象はかかわっているのである。したがって、今日、改めてスケープゴートを論じることは、文化の動的な側面がどのような根源的要素に由来しているか、を明らかにしようとする試みと重なることになる。(山口、前掲書)
「スケープゴート現象こそ文化の根源的な活力を保証する仕掛けの一つである」とは恐ろしい認識である。もちろん山口はすぐに「スケープゴート現象による直接的被害者の立場はつねに深い同情に値するし、われわれはこうした現象のもたらす直接的被害を喰いとめる努力を絶えず行わなくてはならない」と断りを入れている。後に『「敗者」の精神史』や『「挫折」の昭和史』(いずれも岩波書店)を著す山口は、一貫して自らをヴァルネラブルなアウトサイダーとして自認していた。先にみたトロツキー論でも政治的敗者への同情は隠しようもない。だが、山口はそうした心理レベルでの道徳感情はとりあえず棚上げして事態を見すえようとする。道徳(倫理)が感情のレベルに尽きるものかどうかは議論の余地があるが、今はそのことはさておいて、山口の非道徳的な視線が見るものを追おう。
 
「スケープゴート論の系譜」について
 「スケープゴートの詩学へ」の第1節は「スケープゴート論の系譜」と題されているが、この文章はふつうの意味での学説史ではない。「肘掛け椅子の人類学の大家」「文脈抜きの事実の無批判的羅列による比較宗教学の創始者等々といった、あまりありがたくない汚名を着せられて葬り去られた」J・G・フレイザーの『金枝篇』を、「今日の象徴人類学の先駆的ともいうべき体系」として復権させる試みなのである。『歴史・祝祭・神話』で依拠していたケネス・バークをはじめ、ローハイム、バフチン、エリアーデ、レヴィ=ストロース、ミッチャーリッヒらの名前が出てくるが、「スケープゴートの詩学へ」では、彼らはすべてフレイザーの先見の明をたたえるために動員されているにすぎない。
 フレーザーの仕事の中心は、ふつう「神聖王権」と呼ばれる特殊の政治制度において王の身体と同一視された世界ないし宇宙が、王殺しと呼ばれる交替のシステムによって、一大浄化作用を経て再生する、という理論を提出したところにあった。この考え方は、当時の西欧の知的世界に大きな衝撃をもたらした。(中略)
 しかし、フレーザーの王殺しの主題は、一九三〇年代以後、荒唐無稽であるとして、植民地アフリカの調査に携わった人類学者達によって退けられることになった。(山口、前掲書)
 フレイザー(引用文中の表記は「フレーザー」、以下同じ)の提唱した「この「王殺し」理論を、人類学者達は一致して否定した」と山口は言う。しかし、山口自身もアフリカをフィールドとする人類学者であった。山口の最初の単著『アフリカの神話的世界』(岩波新書、1971)には次のような指摘がある。
 ジュクン族の王権に対する古典的観念は、フレーザーが『金枝篇』に叙述した王殺しに適合する。つまり、古くは王は七年以上統治することを許されず、七年毎に殺されたといういい伝えがある。その後、七年という期限は守られなくなったが、それでも王はまた一個のミクロコスモスであるから、老衰や病死は許されず、その徴候が現われると重臣が王を扼殺するという考え方が一つの固定観念として存在する。英国の植民地であった頃の他方行政官の作製した記録を見ると、王が死ぬと、例外なく重臣が殺したという噂が飛び、行政官が調査に乗り出すが、何らの手懸りも得られないといった記述が残っている。(『アフリカの神話的世界』)
 つまり、「王殺し」は「いい伝え」「固定観念」「噂」であって、現実には行われていなかった。フレイザーは「終生書斎の人」で、「奇妙なことに、彼ほどの未開社会に関する権威が、事実は未開社会を訪れたことがない」(山口「『金枝篇』」『人類学的思考』せりか書房所収)。植民地開拓のために世界各地に飛び出していった大英帝国の商人や宣教師たちの報告を材料に書きあげたのが『金枝篇』だった。だからフレイザー説を「人類学者達は一致して否定した」というのも当然である。ただ、山口の調査によれば、王殺しがかつては行われていたという言い伝えや、王の交代とは起原においてはそういうものだったという固定観念が、現地の人々の間にはあった。現地調査からそのように山口はとらえ、それをバフチンの著作にふれながら象徴論的レベルで捉えなおす。
 フレーザーが王殺しの習俗について述べたことを、メタファーのレヴェルに置き換えてみると、カーニヴァルの民俗に、王が登場しないで動物や村人で代置される理由が明らかになる。つまりこの世の秩序の担い手としての王は、宇宙秩序の担い手である。しかし人間の精神は同じ状態が永続できないように構築されている。同じ状態の継続は世界を停滞に導く。人間はそうした停滞を内的・精神的なものとは考えられない。むしろ外的世界を支える活力の減少と考える。場合によってはそれは病気、不作、災害、犯罪の増大として自覚される。人間の生活に介入してくるこうした不確定な要素は、ほとんど恒常的なものであるが、人間は強いて原因を求めようとする。すなわち生命の源である活力の担い手の減退がその一つの極とされ、その反対の極には不吉な力の所有者つまり混沌を導き入れる者の存在が考えられる。(山口、『文化の詩学U』)
 このように山口がモデル化した世界像は、自然災害を天罰ととらえる人が今でもいる以上、私たちにとっても無縁とは言えない。そしてエリアーデの円環的時間構造論を参照しながら「年ごとの収穫祭においてカーニヴァル的行事を行い、前年の災いや穢れを特定の対象に担わせてこれを秩序の圏外に追放するのは、社会が自らの活力を定期的に回復するために不可欠の手段」であって「それは今日の社会にも充分にあてはまる」と山口は指摘する。
 例えば、定期的に行われる選挙は、本来は文字通り選ぶことを目的としたものであったが、選挙を包む興奮には不確定な未来つまり混沌が一時的にも導入され、それによって社会は蘇りの感情を喚び起こされる。人間は等質の時間が継起することに耐えられない。そうした時間構造は人間の意識に不活性(イナーティア)をもたらし、社会は一種のアノミー状態に陥る。こうして政治技術のうちにスケープゴート効果を組み入れる試みは、イデオロギー的基礎を越えて、人間経験の時間構造にかかわる問題として、われわれの前に立ち現われるのである。(山口、前掲書)
 山口は、フレイザーのスケープゴート論が「政治構造の本質的部分を解明するモデルたり得ることを示した」人物として「アメリカの文芸理論家にして哲学者でもあるケネス・バーク」を挙げる。以下、引用が長くなるが、本稿前半で省略した『歴史・祝祭・神話』におけるバーク論(「犠牲の論理」)のエッセンスを山口自身が要約した文章とも言えるので紹介したい。
 ケネス・バークは、通常の住民が「範型」的生き方を求めるモデルとして、王権が機能したことを重視した。彼は、日常生活において、階層的秩序のうちに生きているという事実を出発点として、政治の秩序の頂点と底辺の対応問題を取り上げる。人は、自らが属する階層の上にある者を潜在的に憎悪し、下にある者にその感情を転化する。下位の人に転化することによって部分的には解決するが、満ち足りない想いが蓄積される。こうした不満は、解決の道が与えられないと暴力か無気力によって破滅的な方向をたどることになる。社会は、こうした負に向かうエネルギーを頂点に向け、頂点にある者を儀礼的に破滅させることによってカタルシス的効果を得る、というディレンマ解決の方向を見出した。王殺しにまつわる神話・儀礼は、こうした解決の先行形態であった。
 しかし、王権は底辺の存在に自らの運命を肩替わりさせることになる。こうして二重のスケープゴートが産出される。すなわち、住民は王権の祀り棄てにおいて自らのディレンマを解決し、王権は底辺に犠牲を転化することによって自らのディレンマを解決する。(中略)
 このようにしてバークは、フレーザーによって提出され、その後の人類学者が無視したスケープゴートの理論を象徴論的に捉えなおすことによって、今日、文化記号論が捉えようとする政治世界を構成する記号の階層的構造を明らかにしたのである。(山口、前掲書)
 このように山口はバークとともに、「今日の象徴人類学の先駆的ともいうべき体系」としてフレイザー『金枝篇』を読み替えたのである。
 山口人類学の着想が、実際にフレイザー『金枝篇』から得られたものであるかどうかは伝記的研究の領域に属することで、ここでは問題ではない。山口が自らの学問に影響を与えた諸理論を系譜的に語るにあたって、フレイザーを原点として語りえた。このことから、山口人類学においてフレイザーが重要な位置を占めることが確認されればそれでよいのである。
 
フレイザーとヘーゲル
 ところでフレイザー『金枝篇』第三版序文には次のような文章がある。
ドイツ哲学に通暁する私の友人たちは、呪術と宗教の関係、歴史におけるそれらの相互的関係についての私の所説が、ある程度までヘーゲルの説と一致していると指摘した。この一致は全く独立的なものであって、私の予期しないところであった。私はいまだかつてこの哲学者の著作を研究したことはなく、彼の説に注意したこともないのである。しかしながら、著しく異なった道を歩いてもなおわれわれが同様な結論に到達したとすれば、われわれの結論の部分的符合はおそらくその結論の真実性への一証左と見ることもできよう。この符合の範囲を批判せしめるため、ヘーゲルの宗教哲学上の講義の抜粋を附録にあげておいた。志ある者は、わが著名な先輩の見解を知らないで書かれた呪術と宗教に関する私の記述とそれとを比較して見られたい。(『金枝篇(一)』岩波文庫)
 私自身は「志ある者」とは言えないが好奇心だけはあるので、この抜粋を見たいと思った。ところが、残念ながら岩波文庫版では訳出されていないのである。調べたところ、神成利男訳・石塚正英監修の完訳版『金枝篇 呪術と宗教の研究1』(国書刊行会、2004)に収められていることがわかった。読んでみて驚いた。「ヘーゲルにおける呪術と宗教」と題された付録は、冒頭にフレイザー自身による短い要旨と、ヘーゲル「宗教哲学講義」からのフレイザーによる抜粋からなっている。フレイザーは自身の説とヘーゲル説との一致について次のように言っている。
この哲学者の説明を私が理解する限り、我々の合意点はこのようなものである。人間性の精神的発展において、呪術時代は宗教時代に先行し、呪術と宗教の相違の特徴は、呪術が自然を直接支配することを目的とするのに対し、宗教は強力な超自然的存在の媒介によって、すなわち人間が助力と保護を求める存在を通して間接的に自然を支配することを目的とすることだと我々両者は考えている。
 呪術と宗教の差異は、呪術が人間と自然との二項関係であるのに対して、宗教は人間と自然とを媒介する超自然的存在を第三項としてもつ三項関係だということである。このように、フレイザー自身が、自説とヘーゲル宗教哲学の一致点だとしている論点は、今村社会哲学の用語で言えば、第三項排除効果のことなのである。そして、ここまで迂回しなければ気づかない私自身の鈍感さに呆れながらも、それはヘーゲルの言葉で言えば、弁証法のことだと言ってよいはずだということを指摘できる。つまり、今村社会哲学の第三項排除効果論、山口人類学のスケープゴート論、七十年代から八十年代にかけての日本で流行した社会理論は、ヘーゲル弁証法のパラダイムに乗っていたのである。
 今村仁司と山口昌男、両氏の著作目録を見れば、八十年代当時に彼らの影響力がいかに大きかったかは容易に見て取れるだろうが、その両氏の発想の枠組みがヘーゲル弁証法に近似していることは、八十年代に学生時代を過ごした私にとって、驚きを禁じ得ない発見であった。
 私の幼稚な印象では、七十年代から八十年代、特に八十年代のいわゆる「現代思想」においては、政治的・歴史的なテーマが忌避されていたような記憶があるし、ヘーゲルはそれこそ死んだ犬のように扱われていた。今村仁司は、アルチュセールの言う認識論的切断を持ち出して、マルクスによるヘーゲルの乗り越えを強調する論陣を張っていた。一方の山口昌男は、参照する理論も構造人類学や現象学的社会学であって、ヘーゲルだマルクスだとやかましいいわゆる左翼論壇の外から出て来た人だった。両氏の著作を漫然と読んでいた私の脳中には、ヘーゲル弁証法とは時代遅れどころか清算すべき悪しき形而上学だという観念が発生したものである。これは、愚かな私一人の妄想ではないはずだ。
 しかし、今村の二冊の主著に記された同趣旨の注に示唆されて、山口の著書を読み直してみたところ、思わぬ発見をした。今村の言う通りなら、彼の第三項排除効果の理論は、山口のスケープゴート論と通底するばかりか、現実政治の分析という面で先取されている。そして、山口の言う通りなら、彼のスケープゴート論はフレイザーの王殺しの理論に源流があり、フレイザーの言う通りなら、その枠組みは基本的な構図としてはヘーゲルの宗教哲学に一致するのである。
 私がこう言ったからといって、そんなことで今村や山口を批判したつもりか、ましてやヘーゲルを…、などとはどうかお考えにならないでいただきたい。私としては、実に素直にヘーゲルの影響力の大きさ、洞察力の深さに感嘆しているだけなのだから。
 
 
【コメント】

虚構の力

岡田有生
 
 広坂さんが論じておられる山口昌男についてだが、実は著書を一冊も読んだことがない。
この文章を読ませてもらってその一端を知り、こんなにすごい学者・書き手であったのかと、自分の浅学と不明にあらためて呆然とするばかりである。
 このこと自体が何かを示唆していそうだが、それを考えるためにも、広坂さんの文章を読んでの雑駁な感想を、以下に記していこう。
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 今村仁司もそうだったが、山口昌男も暴力というテーマについて大きな関心を寄せていたようである。暴力とは言われていないが、「力」という語は、浅田彰に代表されるようにその後の「現代思想」でも、非常に重要な意味づけがされて使われた言葉である。そこではおおむね、暴力や力は、人間が社会を形成して生きていくためには欠くこと(逃れること)のできない根源的な条件、というニュアンスで語られていた。
 たしかに、われわれ自身の暴力性についてのこのような認識は、僕にもたいへん重要なものだと思える。ただ、広坂さんの論で言及されている、神話論的な視線によって見いだされる、社会を形成するための「犠牲の暴力」と呼べるようなものが、人間の社会的存在を根底で規定している暴力の全てなのかということには、疑問がある。
 ベンヤミンが「神話的暴力」から「神的暴力」を何とか区分しようとした意図に、重なるのかどうか分からないが、この点に留意しながら、少し考えてみる。
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 さて、広坂さんの文章は、トロツキー失脚の過程を分析する山口の論への着目から始まっているが、それが書かれた70年代後半から80年代にかけての日本の政治の世界において、スケープゴートや裁判という言葉から思い浮かぶ出来事は、なんといっても田中角栄をめぐるものだろう。
 『文芸春秋』誌上で展開された立花隆による「金脈追及」を発端とするこの大がかりな政治劇は、今から思うと山口の理論にもすっぽり当てはまりそうな「ワイドショーの政治」の嚆矢だったようにも思える。当時それは、社会正義による「巨悪」追及のドラマとして(そこに胡散臭さを全く感じなくはなかったとはいえ)、あるいはまた親米的な福田派(現安倍派・清和会)と非・親米的と言えばよいか田中派(後の経世会)との権力闘争として、人々の耳目を集めていた。
 これを福田派による角栄追放の政治劇として見るなら、「田中=トロツキー」に対して「福田(派)=スターリン」というアナロジーが成り立ってしまいそうだが、そんな戯言はさておき、山口の論の示唆を受けて注意しておくべきだと思うのは、この神話的なドラマの構成が、犠牲にされ追放される側の者によっても明確に共有され担われていたことだろう。それは、その後もしばしば週刊誌やワイドショーの政治においては(実際の権力闘争の場においてとはやや異なり)、追放される「悪役」を演じることを常とした経世会系の政治家たち、つまり田中、金丸、小沢、野中(鈴木宗男)といった面々に心情的な支持を寄せる人たち(多くはオッサンだが)が、そうすることによって自民党の支配体制を支えてきたという「成果」によく示されている。ちょうど、明治維新後の日本の国家体制が、大久保から伊藤というメインストリームに放逐されたものとしての「西郷伝説」によって補完的に支えられたのと同じ役回りを、これら経世会の政治家たちは、ある程度自覚的に演じてきたわけである(現在も?)。
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 ところでこうした構造は、今日でも筋立てや役者をかえただけで継続しているようにも思える。
 だが実際には、田中金脈追及の時代と現在とでは、大きく移り変わったものがあるであろう。それは、あの時まだ端緒であり、明確ではなかったものが、今や社会の全体を覆うにいたったという意味である。広坂さんの論の最大の眼目は、この点に関わっていると思える。
 つまり今日では、社会的存在である人間にとっての不可避的な条件である「犠牲の暴力」への渇望というものが、戦後日本の国内政治においては保たれてきた虚構としての装い(それは戦後民主主義や福祉国家という制度に関わる)を脱ぎ捨てて、その裸の姿をさらしていると思える。
 かつては、供犠という神話的な暴力のドラマは、たとえば政治家たちの権力闘争として演じられ、国民はそれを観客として感情移入的に見つめることで、自分たちの(対他的な)暴力性の自覚と記憶を意識下に押さえ込みつつ、この権力の支配構造を支えてきたのだろう。
 われわれ自身が、社会を構成するにあたって不可欠な暴力の主体であるという事実は、演じられる供犠のドラマを眺める観客という、実は共犯的なポジションによって無意識化されてきたといえる。
 だが、「劇場型政治」の時代の到来が意味しているのは、その表面的な語義とは異なり、かつては観客であった国民たち自身が、供犠のドラマの加害的な主役として舞台上に登場し、「はたもの」を血祭りにあげるという、新たなシステムの出現(ある面では再来)である。このシステムを活用することで、今日の統治権力は機能していると思えるのだ。
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 こう書くと、戦後政治が体現していた、国民を観客とするドラマを形成することで、人々の暴力性への自覚と記憶を見えにくくするようなシステムと、今日支配的な、国民が自らの暴力と攻撃性に開き直って血塗られた社会形成の「主役」を進んで演じるようなシステム、そのどちらがよりよいものかは、一概に言いがたいと思えるかもしれない。
 だが、それがシステムである以上、後者においても自分たちの暴力性への自覚や記憶は、制度的に加工され、真の意味では押さえ込まれているということが要点である。「犠牲の暴力」とは、その加工されたあり方を示す言葉だと思う。
 今の社会では、この暴力の意識を制度的に加工する仕組みが一段と精緻になっているということであり、人々はここでは暴力を秩序の維持にとって有利な方向へ導こうとする権力の意志に沿って、今まで以上に露骨な他者への暴力の行使に差し向けられていることは間違いないのである。
 いわゆる戦後民主主義の制度は、国民自身の暴力の自覚や記憶の隠蔽という点では、秩序の維持に寄与する排他的な制度だったわけだが、同時に、戦争の時代にそうであったような、国民全員が各自の内なる暴力性に開き直り(真の暴力の体験への反省的自覚は欠如したまま)、自ら主役となって供犠の遂行者となるという最悪の事態を、かろうじて押し留めるものでもあったのだと思う。
 なぜならそこでは人々には、供犠のドラマを観客の視線で眺めることにより、わずかだが、この「犠牲の暴力」への欲望が自分にも内在しているものであることを自覚し、暴力という事実性(これは制度的な「犠牲の暴力」とは異質なものである)を通して他者との倫理的な関係に開かれる余地が残されていたからだ。戦後日本の政治制度は、欺瞞に満ちた虚構であったが、ただそこには人々が自らの暴力性を真に自覚し、それを通して他者に向って開かれていく回路が、わずかに存していた。その虚構は、近代日本社会のほとんど常態と言ってもよい野放図な「犠牲の暴力」の氾濫をかろうじて食い止めるための装置だったのである。
 それが今日では、社会形成の原動力であるこの「犠牲の暴力」の欲求への渦が我々を飲み込んで、破壊的であると同時に権力的な、暴力のさらなる氾濫へともたらそうとしているのだ。
***
 この状態は、広坂さんが論じるへーゲルの思想にひきつけて言うなら、「宗教」や「弁証法的思考」の機能の喪失と呼べるものだろう。
 ヘーゲルの議論が示唆した重要なこと、それはまた20世紀においては精神分析と構造主義によってよく継承されたものだったと思うが、それは人間にとって社会秩序の形成につながる神話的な暴力の行使が、不可避的なものだという認識である。
 その事実を認識(自覚)することが、弁証法というものの意味であり、「宗教」の意義もそこに見出されているのだと思う。つまり、この事実を自覚していなければ、われわれは現在そうであるような「供犠」の暴力の「主体的な」担い手となってしまうのであり、その野放図な状態、神話的暴力の氾濫を避けるためには、この自らの社会的で根源的な暴力性の自覚のもとに、排除される第三項(政治的悪役や神や貨幣など)を虚構的に形成する「宗教」のようなシステムを形成する他はないというのが、ヘーゲル的な思想の内容ではないか(フロイトの著作、特に「文化への不満」も、この問題に取り組んだ代表的な古典だろう。)。今村にも山口にも、その政治に対する関心に濃淡はあっても、そうした視点が継承されていたと考えられる。そういったものが、ぼくにはずっと見えていなかったし、それ以後の日本の社会全般、思想界にも欠落していた物の見方と言えるのかもしれない。
 自らが行使する社会的な暴力が、不可避のものであるという自覚を失ったとき、国家に誘導された暴力の氾濫は、ついに勝利をおさめるだろう。国民が「観客」の席に座って共犯的に舞台を鑑賞する戦後政治的な虚構の装置には、それを牽制し阻止するという、一定の意義があった。今や明らかになっているのは、その機能の喪失である。
 ではそれに代わる、「犠牲の暴力」の氾濫への新たな歯止めを、どのようにしたら構築できるか。無論その答えがぼくに出せるわけではないが、ただその代わりにここでは、ぼく自身も7、80年代以来ずっと見落としてきた、この「虚構」というものの意味について、今思うところをもう少しだけ書き記しておきたい。
 それは、広坂さんの論が提起している、もう一つの重要なテーマ、いわば象徴的次元の認識(事態の描写)と倫理的次元(事件の評価)との接続という問題に関わる。
 
 「虚構」の効用は、自分を含めた歴史全体の暴力的な展開を、まるで観客のように見出す視点の獲得にあると思う。晩年のフロイトをはじめ、こうしたユーモア的な視点の重要性は多くの人に指摘されてきた。
 だが非常に印象深いのは、こうした根源的な暴力性の自覚と、それと重なって生じる、自己に対して加害的な他者をも含む世界全体への、慈愛のような感情が、(まさにフロイト自身が例証になっているように)ほとんどの場合破壊的な「犠牲の暴力」の被害を受けた側の人に特徴的に見られるものだということである。そこには、加害者との共犯性を素描するばかりのいわば「強者の論理(知)」を越える、何かがあると思える。
 あえて想像するなら、それは、「虚構」の力を用いることで自己の被暴力の体験を客観視することによって、「犠牲の暴力」という制度による分断から、他者との共同的な生の可能性を守ろうとする、ぎりぎりの戦略のようなものだ。それは自分の被害体験の過酷さを軽減するための虚構化なのでもなく、制度を切り裂くための、被暴力を生き延びようとする者たちの決定的に固有の武器なのである。
 恐らく、真の「虚構の力」とは、こうした生のあり方にこそ関わるものなのだろう。それは、制度の支配に抗する力という意味で、人間の「暴力」のもっとも純粋な形態であるとさえ思える。
 だが同時に、「犠牲の暴力」の野放図な氾濫に対しては、それは逆説的だが、氾濫をおし止めるための制度(虚構)として姿をあらわす。「犠牲の暴力」を行使する側、つまり制度や多数性によって守られた者たちの側は、いつでもこのような「虚構」をかなぐり捨てて、野放図な攻撃(制度的暴力)の衝動の大波に身を委ねることを狙っている。
 それは別の側面を言えば、自己が振るった暴力の体験を、他者につながるような自覚や記憶から切断して、集団的な「犠牲の暴力」の氾濫のなかに閉じこめようとする態度だ。「犠牲の暴力」の行使者たちは、暴力の記憶を隠蔽することで、自己の暴力の自覚をとおして他者に開かれる回路を自ら閉ざそうとする。
 それは、自己自身の不可避な暴力性に気づくことを通して他者との関係性の大事さ(倫理性)の意識を育むという、人間にとって唯一可能な「倫理への道」を封鎖してしまう態度なのではないか。
***
 このように、「犠牲の暴力」に対抗する、人間の生のもっとも純粋な形態は、「虚構の力」として現れると思われる。
 人が自分自身の暴力性を内省(客観視)することで倫理的な生存へと展開していくためのこの契機を、端的に呼ぶとすれば、それは「言語」の機能であるといってよいだろう。
 だとすると、そのような意味での「言語」の権能の失墜が、現在の状況につながっているということになろうか。
 あれこれ考えたわりには、しごくありふれたところに辿りついたようだが、この問いを発したところでひとまず終っておく。

Web評論誌「コーラ」17号(2012.08.15)
<現代思想を再考する>第4回:神話劇を見る視線(広坂朋信)
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