とっしーのページ

ついに念願のとっしーのページを開ける事になりました。このようなスペースと機会を与えてくれた浩ちゃんにまずは感謝です。
このページは私の身の回りの体験談やそこから考える事などを結構真面目に書きたいと思いますが、気軽に読んで戴ければ幸いです。名付けて「とっしーのひとり言」慣れるまでは伝えたい事がうまく文章になってないかも知れませんがご容赦ください。



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とっしーさんのプロフィール

本名 大音師 和彦
生年月日 1978年11月28日
星座 射手座
動物占い ぞう
得意科目 体育
苦手科目 数学(特に微分積分)
特技 夏はスキューバダイビング(今年から)
冬はスキー、そして球技特に専門はバドミントン。
自称苦手スポーツ無し!!!
愛用ラケット AEROTUS 65
昔の夢 F-15(戦闘機)に載ってマッハ2.5で空をバコ飛びする
今の夢 スカイダイビングをやる
飛行機より船、新幹線より青春18切符が好き。
(時間的余 裕がある場合)
写真 ホテルとハイビスカスをバックに
‘とっしーのひとり言’ 
第1回第1回第1回第2回第2回第2回第3回第3回第3回
第4回第4回第4回第5回第5回第5回第6回第6回第6回
第7回第7回第7回第8回第8回第8回第9回第9回第9回


1回の意見 2回の意見 3回の意見 4回の意見 5回の意見 6回の意見 7回の意見 8回の意見 9回の意見

‘第1回 「指定校推薦を考える」’に対する意見など


 投稿者:明子
 時刻 :1999/11/23 18:30

この文章を読んでとっしーさんが一番気にしている事は“何故大学側は指定校推薦をするのだろうか?”という事だと感じました。この答えは簡単です。それは大学側が“うちの大学で本当に勉強して欲しい人”を入学させたいからです。とっしーさんが同志社大学の指定校推薦を希望されたのは“ただ成績が足りていたから”ではなくて“同志社大学に入りたかったから”だと思います。でないと最初から指定校推薦を希望されないと思います。学力だけがどうこうではなくて学力では計れない“本人のやる気”を大学側は評価して指定校推薦を行なっているのだと思います。最近では指定校推薦の枠が増えてきているのもそういう事が関係しているのだと思います。

指定校推薦の人だけが授業について行けないと言う事は一概には言えないと思います。浩ちゃんも何時も“授業全然わからん。”と言っています。“勉強が分からない”時は“まだ下に浩ちゃんが居る”と思ったらちょっとは安心するかも?大事なのは“努力する事”だと思います。浩ちゃんも一応努力はしているみたいのでえらいと思います。それに大学は“勉強する所”ではなくて“学ぶ所”だと思います。“学ぶ”という事は何も勉強だけじゃなくてその他にも色んな事が有ると思います。とっしーさんのおっしゃるように“サークル”や“人間関係”を学ぶ事もとても大事な事だと思います。何事も友達と助け合ってやって行けば良いと思います。大学は“社会に出るための準備の場所”ですから (^o^)/。


 投稿者:ひろりん。
 時刻 :1999/11/23 22:21

俺、もう浩ちゃんのページには意見しないでおこうって思ってたけど、これだけはさせてもらいたいと思います。俺も指定校だからとっしーの気持ちはすっごい良く分ります。こんなこと言ったら頑張って入った人に怒られるでしょうが、俺の意見としては指定校の人ってみんな生き生きしてませんか?そりゃ勉強はできないっすよ。でもその他の面では俺達の方が上だと思います。ま〜俺はすべて下だろうけど、とっしーは素晴らしいと思うよ。なんでも積極的なのはいつもありがたいし感謝してます。指定校の意義は世の中勉強だけではないよってことだと思います。社会に出ていくら勉強が出来たって人付き合いとかもっといろいろ大事なことがあるもん。人付き合いって大事じゃないでしょうか。指定校、俺は誇りですよ。自分の中では。 留年しないで頑張ってがむしゃらでここまで来たんだから。とっしー、これからもよろしくね。 この意見を最後にここから卒業します。んじゃね〜。


 投稿者:よっしー
 時刻 :1999/11/24 16:01

高校時代、指定校推薦は面接だけで筆記試験をしないところが多いので“指定校推薦”は一つの逃げ道だと思っていました。でも指定校推薦を取ろうかという人は高校時代にコツコツ努力を重ねてきてそれで良い成績を取ったので、指定校推薦が取れるようなものすごく良い成績を取る事が出来たのだと思います。だから“レベルの違い”というものはなくて“一般入試”で入った人の方が入学ギリギリまで勉強していたので高校時代の知識がはっきり残っていて勉強できるように見えるだけかも知れません。実際大学に入ってみんなと同じように勉強をしていたら十分にやっていけると思います。でも理系の人の場合、高校時代の知識を忘れている人はちょっと努力しないといけないと思います。“指定校推薦”で入ったという事は“本当にその大学に入りたい”という事なのでそう言った努力もする気があるのだと思います。たっちゃんが言うには指定校推薦は“ショートケーキのメロン”のような存在だそうです。この意味不明な言葉を聞いて私は理解に苦しみました。一瞬指定校推薦をもう一度考え直そうかと思ってしまいました(冗談)。


 投稿者:本人
 時刻 :1999/11/24 16:03

 早速のご意見ありがとうございます。同じようなことをその日の内に、浩ちゃんからもメールで言われました。確かにその通りでした。ちょっと甘えてた部分、逃げてた部分がありました。大事な事は今頑張ること、努力することっすね。この文を書いて良かったです。
 それから明子さんは「下に浩ちゃんがいるから・・・。」とおっしゃってますがとんでもございません。浩ちゃんは私の遥か上にいて小指(ひずめ?)の先が見えるか見えないかぐらいです。私も頑張ってしっぽを掴まえるぐらいには行きたいと思います。 なお写真の正解はもうちょっとしてから発表したいと思います。ほな 浩ちゃんを飲ましに行ってきます。


 投稿者:なべなべWITH飲茶
 時刻 :2002/01/17 14:28

僕も同じように指定校で同志社大学工学部物質化学工学科に合格しました。やはり、一般入試で入ってきた周りの人達との頭のレベルの差を感じます。しかも、過去問のテスト収集が殆どできてなくて困っています。よろしければこんな僕に救いの手を差し伸べてはくれませんか?


‘第2回 「私の寮生活」’に対する意見など


 投稿者:たっちゃん
 時刻 :1999/12/02 00:51

男子寮は自分で部屋を掃除しないからやっぱり汚れてしまうのでしょう。自分ももし寮に入ったら掃除なんかしないと思います。それにしてもやっぱり読んでるだけでは大変そうに思えます。もし自分が実際に寮に入ると最初のうちに絶えられなくなって家に帰ってしまうと思います。自分は大阪に住んで居ながら名古屋の大学まで行っています。通学時間に2時間半ぐらいかかります。人から「何故下宿しないの?」とか「何故寮に入らないの?」など良く言われます。“何故そうしないのか?”それは「一人では生活出来ないと思ったから。」です。自分は敬語をあまり使えないし面倒くさがりなのでまだ一人で生活出来ないと思いました。まだまだ子供なのだと思います。ぬくぬくとした生活に慣れてしまったのでしょう。“とっしーさん”は大人だと思いました。


 投稿者:明子
 時刻 :1999/12/02 09:24

おはようございます(^o^)/。私もあいさつはちゃんと出来ますよ。私は高校の時に“演劇部”に入っていて“演劇部”は物凄く上下関係が厳しかったです。“あいさつ”なんて忘れたら次の日からもうとんでもない事になってしまいます。高校の間に“あいさつ”はちゃんと出来るようになりました。そして大学1年の時にラジオ番組のパーソナリティーをしていた事がありました。ラジオ局の人達はとても“あいさつ”に厳しくてラジオ局に行く度に“あいさつ”ばかりしていました。でもそのお陰で礼儀が少しは身に付いたと思います。だからこの就職難で女子の採用が厳しい中、就職の内定がもらえたのかも知れません。基本は“あいさつは元気良く”です。こんな感じの顔“(^o^)/”であいさつしましょう!


‘第3回 「幼なじみ」’に対する意見など


 投稿者:よっしー
 時刻 :1999/12/12 10:44

私と浩ちゃんとは小学校1年からの友達です。だからもう16年近くの友達になります。香織ちゃんを除いたら私が浩ちゃんと一番付き合いが長いと思います。初めて浩ちゃんと会った時の浩ちゃんの印象は「なんておとなしいやつなんだ。」という印象でした。何を話しかけてもあまり答えてくれませんでした。でも何度か話し掛けているうちに少しずつ浩ちゃんからも話してくれるようになりました。小学校4年の時にたっちゃんと友達になり、小学校5年の時に明子とゆみちゃんと友達になりました。だからこの5人は小学校からずっと友達というわけです。本当に長い付き合いです。その間に色んな事がありました。途中で喧嘩したことも何度かありました。でもなんやかんや言いながらここまで来れました。それ以外にも友達はたくさん居ました。クラブが一緒で友達になった人や文化祭で一緒に劇の練習をしていたら友達になったとか色んな友達が居ます。とっしーさんの言うように友達は財産だと思います。でも財産だけどもお金では絶対に買う事は出来ないものです。友達とはそんな存在です。


 投稿者:ゆみみ
 時刻 :1999/12/12 11:02

私も小学校3年生の時に転校して来ましたから“とっしー”さんの気持ちが少し分かります。転校初日はお母さんと一緒に職員室に行って、先生と一緒に教室に入ってクラスのみんなの前で自己紹介をしたのですがとても緊張しました。みんながこちらを見ていて“このまま消えたい。”と思ったぐらいでした。私の場合、最初は新しい学校にあまり馴染めませんでしたが、運動会の練習をしていて私が転んで怪我をした時に「僕が保健室に連れて行きます。」と言って保健室に連れて行ってくれた男の子が居ました。その男の子は普段あまり目立たない子だったのですがとても優しい子で、席が隣り同士で私が教科書を忘れた時は黙って見せてくれました。そして私がみんなに無視された時はみんなに「中山と仲良くしてあげようや。」と言ってくれました。その男の子のお陰で私は段々とクラスのみんなと話す事ができるようになりました。その男の子が“浩ちゃん”です。その後も1回引越しをしたのですが小学校が同じ区域のところで引越しをしたので転校はしなくて済みました。“とっしー”さんは友達を作ろうと自分から行動なさったからクラスに早く馴染めたのだと思います。私ももっと積極的ならもっと早く自分から友達を作る事ができたのだと思います。


 投稿者:明子
 時刻 :1999/12/12 12:35

私が小学4年の時にとても仲の良い友達が両親のお仕事の都合で枚方に転校してしまいました。その子が転校してしまった後も電話で話をしたり文通したりしていました。でも高校に入る頃になってその数は段々と減っていってしまいました。その子は同窓会にもあまり顔を見せませんでした。私にとってはその子が一番仲の良い友達だったのでショックでした。そして大学に入る時に試験会場でその子を見ました。小学生の時の面影が残っていましたのですぐに分かりました。そして同じ大学に入りました。そしてその友達を見付けて話をしていました。でも何故か気を遣ってしまうようになってしまっていました。もう一番の友達ではなくなってしまっていました。だからそれからは話する事もそんなにありませんでした。友達関係って難しいものだと思います。“とっしー”さんはそんなに多くの引越しをされているのに昔から今までずっとそんなに仲の良いお友達がいらっしゃるなんて素晴らしい事だと思います。“一緒に居て気を遣わない、それだけで楽しい。”それが本当の友達だと思います。少し話がずれてしまいました。


 投稿者:本人
 時刻 :1999/12/13 12:12

浩ちゃんのジモ友の皆さん毎回感想を述べてくださってありがとうございます。
 友達って一言で言っても幅広いですよね。ただの友達から大親友まで。浩ちゃんに前にそのことについてメールで聞かれたとき 自分なりに考えて定義を編み出しました。私の考えでは小学校や中学校、高校でできた友達に関して大事なのはそこを卒業して離れてからだと思います。在学中は毎日会っていたり、遊んだりしますから。その付き合いが卒業後どう続くかでその友達との本当の友情関係が現れると思います。あっ いやそれだけでは決めつけられませんね。考え方の一つです。
 卒業後、全く連絡を取る事のない人、連絡先(携帯など)を知ってる程度の人、年賀状のやり取りだけの付き合いになってしまった人、たまに会って、一緒に飲んだりしながら近況報告をし合えたり、そして、電話、手紙、メールを頻繁にやり取りし、しょっちゅう会える人、そして明子さんが最後におっしゃってるレベルの人。私はこのレベルに当たる人に対しては友達ではなくて「仲間」という呼び方をします。上に述べたように「友達」だと範囲が広すぎるし、「その程度じゃないぞ この人との付き合いは!」という強調の意味も含めています。わたくしの主な仲間は「とっしーのページ」の写真に写っている5人です。一人を除いて寮で24時間365日(そこまではいかんけど)寝食をともにしてきた仲間です。このメンバーに関してまさに明子さんがおっしゃってる関係です。メッチャ共感です!
 学科の人に対しても2年生の中頃から「仲間」と思えるようになってきました。卒業してそれぞれの道を進んでいってもずっと付合っていきたい仲間です。
 そんな感じです。


 投稿者:かおり
 時刻 :1999/12/25 09:24

お友達は何物にも代え難い存在だと思います。私にとって家族と同じぐらい大切な存在です。恋人も同じぐらい大切な存在です。私は中学から私立の中学に入り、中学、高校、短大の8年間とずっと行動を共にして来ましたお友達が居ます。そのお友達とは今もお付き合いが有ります。浩ちゃんのホームページにページを作っている義岡くんや達也くんや明子ちゃんやゆみちゃんも私の大切なお友達です。とっしーさんのおっしゃる“仲間”という存在に当たる人達です。とっしーさんは幼い頃からずいぶんと引越しをなさっているみたいですけれどそれだけ多くの“仲間”がいらっしゃるという事はとっしーさんが素晴らしい方だからと思います。とっしーさんがお書きになられた“指定校推薦を考える”“私の寮生活”“幼なじみ”“青春18切符”を全て拝見させて頂きました。自分の考え、信念をしっかりとお持ちに成られた方だと思いました。これからも素晴らしいお話をみなさんに聞かせてあげて下さい。私も今度帰って来ましたら拝見させて頂きたいと思います。失礼致します。


‘第4回 「青春18切符」’に対する意見など


 投稿者:明子
 時刻 :1999/12/19 11:34

“青春18切符”ですか。私は今4年生で来年の春から装飾関係の会社にお勤めする事になりました。だからそういった長旅は今のうちにしか行けないと思います。時が経つのはとても早いものです。こんな頼りない私にも社会に出る時がやって来ました。私ももう22歳です。社会に出ると学生の時みたいに遊ぶ事は出来ないと思います。そう考えると何だか寂しい気持ちになります。今みたいに自由な時間も少なくなるのでしょうね。それに“私は社会に出てちゃんとやって行けるのか”という事が一番の不安ですね。でも頑張るしかないので頑張りたいです(^o^)/。“青春18切符”を使って学生時代最後の思い出として春休みにどこか旅したいですね。私はおしゃべりですから絶対に話が途切れないと思いますよ。


 投稿者:よっしー
 時刻 :1999/12/21 22:40

私は“青春18切符”を使った事がありません。私の大学の友達は使った事があるそうです。“18歳”までしか使えないと思っていました。電車で875kmというと相当な距離だと思います。しかも総移動距離が“1652.2km”ですか?それはすごいです。でも“急行以上の電車”に乗れないという事は“普通”か“準急”ぐらいでしょうか。確かに長旅はあまりした事がないと思います。学生のうちにしかやれない事って結構ありますからね。どうや浩ちゃん?行っとくか?春休みあたり?6人で。


 投稿者:こうちゃん
 時刻 :1999/12/26 11:55

‘青春18切符’。最初は「なんじゃらほい?」と思っていたけどとっしーさんから話を見て「なるほど〜。そうなのか〜。」と思いました。そう言えばあまり‘長旅’というものをした事がないと思います。この前、長野に2回行った時にどちらも新幹線を使わずに特急電車で行きましたけどどちらも7時間ぐらいかかりました。電車を乗っていて思った事は「駅弁がおいしい。」という事です。普通に家で食べてもそんなにおいしいとは思わないと思いますけどそういう外で食べるとおいしく感じるのかもしれませんね〜。この前はおばあさんに電車の中で「‘ゆで卵’食べませんか?」と言われてゆで卵をもらいました。黄身がちょっと硬かったけどおいしく感じました。その後も「どこから来たのですか?どちらへ行かれるのですか?」といろいろ聞いてくれました。私は自分からそんなに話さない方なのに話し掛けてもらいたいというわがままな性格なので話し掛けられたのでちょっと嬉しかったです。もうすぐ家庭教師が終わるので春休みは自由にどこかに旅に出てみようかと思います。もうそういった時間もなくなると思いますから。


‘第5回 「就職」’に対する意見など


 投稿者:たっちゃん
 時刻 :2000/01/16 00:41

私は小さい頃から結構勉強して来ました。別に自慢でもなんでもないんやけど中学の時は学年でほとんど1番で高校も学区内でトップの高校に進学して大学も旧帝京大学の一つである名古屋大学に入りました。でも大学に入ってから「自分は一体何をしたかったんやろう?数学科に入ったのはただ単に数学が出来たからだけで入ったのかも知れない。」と思うようになりました。3年になるとみんな就職の事について話をし始めるようになりました。私はかなり焦りました。就職の事なんかその時にまでほとんど考えた事もありませんでした。ただ勉強の事しか考えていませんでした。ある日、授業で分からないところがあって教授に質問をしに行きました。その時に教授はとても親切に答えてくれました。それから後も何度か質問に言ってその度にとても親切な対応をしてくれました。夜ご飯まで一緒に食べに行きました。そしてその教授は自分が学生時代の話から教授になった時までの話をしてくれました。その教授の学生時代はまるで自分と同じようでした。その時に教授は「君は教授になる気はないか?」と言いました。その時から少しだけ教授になりたいと思うようになりました。4年になってから教授になりたいと思う気持ちが強くなりました。このまま大学院に進んでやがては教授になりたいです。それが私の夢です。ホームページで眠っているわけには行きませんわ。でもお笑いはいつまでも忘れないでいきます。


 投稿者:明子
 時刻 :2000/01/16 09:11

私は今年の4月からある“装飾品メーカー”にお勤めする事になります。私は大学に入ったぐらいからそういった関係の仕事をやりたいと思い始めました。そう考えると経済学部に入った意味が少し無いような気がしましたけど経済学は現在の社会情勢を知るためには欠かせないものなので経済学部に入って良かったと思いました。3年の終わりぐらいから資料を請求したりインターネットで就職情報を探したりしてOB訪問にも行きました。情報だけでは会社でやっている事が本当には分からないので実際に会社の中で働いている方にお聞きするのがやっぱり良いと思いました。そして4年になってから就職活動を始めました。会社は20社ぐらい受けて2社から内定をもらいました。受けた会社の中にはものすごく嫌な事を言ってくる会社もありました。「今日は暑いから上着を脱いでみてはどうですか?」と言われた時はビックリしました。もっとひどい所は「君、胸が大きいね。」と言われた事もありました。それに「うちは今年女子の採用はほとんどしないから。」と言われた事もありました。この時に女子の就職は男子の就職に比べてとても厳しい事を実感しました。でも結果的には自分の行きたい所に就職する事が出来ましたのでとても満足です。ただ不安が無いと言ったら嘘になりますけど。

本当に自分が就職したいと思う所に就職するのが一番良いと思います。とっしーさんは周りを気にする事なんて全然必要無いです。自分のやりたい事をやって下さい。人生一度きりだし自分の好きな事をやらないと損ですよ。私はそう思います。この考え方が女なのに“男らしい性格”って言われる原因かも(?o?)


 投稿者:よっしー
 時刻 :2000/01/18 18:51

“とっしー”さんはちゃんと“将来の夢”をお持ちになっていますね。私も“将来の夢”というのを浪人2年目でやっと見付けました。現役の時は「とりあえず大学に行こう。」と思って大学を受けましたけど落ちました。そして浪人1年目で偏差値が結構伸びて親が「医学部に行けば将来が安泰や。」と言って何故か京都大学医学部を受けました。でも結果はダメでした。でも「心から行きたい。」というわけではありませんでした。そして浪人2年目の時に予備校に行って「予備校の講師になりたい。」と思った事がありました。でもその後に少し考え直して「先生になりたい。」と思うようになって京都大学理学部を受けました。そして今は数学科に在籍していて大学を卒業したら教員採用試験を受けて“数学の先生”になるつもりです。“医者”から“先生”ですよ。ものすごい代わりようです。自分のやりたい事を見付けるのに少し遠回りしてしまいましたけどやっと見付けて今はそれに向かってただ進むのみです。だからとっしーさんも自分の夢に向かって突き進んで下さい。でも突き進み過ぎて通り過ぎないように注意して下さい。


‘第6回 「スクーバのすすめ」’に対する意見など


 投稿者:明子
 時刻 :2000/01/22 19:53

“人間の行動力”は何かを“やりたい”と強く思う気持ちから来るものだと思います。私は去年の春休みに“バンジージャンプ”をどうしてもやりたくて浩ちゃんを無理やり誘って遊園地のバンジージャンプをやりました。それがとても面白くて去年の夏休みに、大学の友達に「バンジージャンプやろう(^o^)」って言ってほとんど無理やりに近い状態でみんなで山形県の朝日村までバンジージャンプをやりに行きました。“ふれあい橋”という橋から飛ぶのですが橋の上に立つと34mの高さはとても高く感じてもう心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしてきてみんなに“バンジー!”と掛け声を掛けられた時は少し恐くて飛べませんでした。でももう1度挑戦してようやく飛ぶ事が出来ました。自分の体で風を切るような音が聞こえて空気と同化したような感覚になってたった3、4秒なのにとても長く感じました。今度は春休みに群馬県新治村にある日本一高いバンジージャンプに挑戦します。“縦バンジー”“横バンジー”“逆バンジー”が出来るところもあるそうです。スキューバと全く関係のない話をしてしまいました。でも“行動力”には関係有ったから(^o^)です。


 投稿者:たっちゃん
 時刻 :2000/01/23 16:00

スクーバダイビングってテレビとかでやっているのを見ていると面白そうやけど実際にやるとなると色々と大変だと思ってつい敬遠してしまいます。けど泳ぐのは好きだから海に行くのは結構好きです。
それにしても“とっしー”さんの仲間はものすごく行動力がありますね。私の周りは私を含め、みんな行動力がないからあまり思い切った事はしていないです。ちょこちょこした事なら結構決めて定期的に色々と行っています。春休みの“青春18切符を使って出掛ける事”は3月の最初に行く事がもう決まりました。頑張って行って来ます。


 投稿者:しまっぺ
 時刻 :2000/01/24 13:59

自分は中学2年の時に臨海学校に行きました。スピードを競って泳ぐことは苦手ですが、長距離を泳ぐということは得意です。最終日に4キロの大遠泳をしました。途中先生が船から角砂糖を海に投げるのを自分らはそれを取って食べます。先生いわく「おまえら魚か!!」っといっていました。その時にいろいろな泳ぎ方を習いました。皆さんは横泳ぎっていう泳ぎ方を知っていますか?とにかくいろんな泳ぎがあってとても楽しかったです。最後の4キロの大遠泳もとても疲れたけど今ではいい思い出になっています。機会があれば自分もスクーバをやってみたいです。


‘第7回 「高校時代」’に対する意見など


 投稿者:よっしー
 時刻 :2000/01/31 23:13

高校時代はどちらかと言えば楽しかったと思います。私はたっちゃんと同じ高校でした。私の方が勉強が出来なくて高校の中では勉強でかなり苦労していました。でも2年の2学期ぐらいからようやく勉強について行けるようになりました。その頃からようやく周りが見えるようになってきてクラスのみんなとする行事が楽しくなってきました。一番印象に残っているのは2年の秋の遠足で六甲山に行った時に迷子になった事です。山を登っていると道が2手に分かれていて私と友達3人は左側の道を登りました。でもそれが間違いでどんどん道が狭くなってきました。そして元の所に戻ろうとしたら後ろから蜂がやって来て戻らずにどんどん前へ前へ進んでしまってますます分からない所に辿り着いてしまいました。空が少し暗くなってきてクラスのみんなとは離れれてしまってどうしようかと思っていたら谷を挟んで丁度向い側にクラスのみんなが居て大声で叫びました。するとクラスのみんなと先生が気付いてくれて何とか道を引き返して帰る事が出来ました。団体行動をしている時は勝手に行動してはいけないという典型的な例です。修学旅行でも似たような事になりかけました。


 投稿者:明子
 時刻 :2000/02/01 11:54

クラスの名前に“山の名前”がついた高校は珍しいですね。大阪の私立の女子高校で“花の名前”がついた高校も有ります。私の通っていた学校は普通に“1組,2組・・・”って数えていました。1学年に10組まであって1クラスに大体40人ぐらい居ました。1年の時のクラスはみんな大人しいクラスで私も大人しくごく普通に過ごしていました。でも2年の時のクラスはとても賑やかなクラスでクラス行事にはみんな自ら進んでやっていてこの年の体育大会、文化祭、水泳大会、マラソン大会などは全て私のクラスが優勝しました。特にマラソン大会は3週間も前からクラスで練習していましたので優勝した時の喜びはとても大きなものでした。さすがに3年の時はみんな勉強に忙しくてそこまでは練習しませんでしたけど私は何故か張り切っていました。だから勉強があまり出来なかったのかも知れません。だから自分の行きたい大学に入る事ができて、就職も決まって、もうすぐ卒業なのがちょっと信じられません。

高校時代の話をすると少し高校時代の友達が懐かしくなりました。これから電話をしようかな(^o^)


 投稿者:color="#センター"
 時刻 :2000/02/05 16:07

うちもキリスト教の学校でした。カトリックだから同志社とはちょっと違うらしいですが、そんなん知りません。そこは聖書ではなく宗教と言う授業がありました。でも聖書を読んでたからほとんど同じですね。 学校行事は、生徒会があってそこが仕切っていました。3年のときに友達が生徒会長に立候補して当選。書記にならないかと言われましたが、なぜか当時の僕は断りました。しかし書記を断り、その他の役にも就かないながらも、生徒会の仕事には参加していました。
うちの学校は、家庭教育も教育理念に考えているみたいで、自宅通いが条件、よって寮なるものは無かったのですが、中高一貫の6年制だったので、みんな互いに知れていて結束はそれなりに固かったです。以上。


‘第8回 「卒業式」’に対する意見など


 投稿者:明子
 時刻 :2000/03/09 09:05

私が通っていた高校の卒業式はずばり!“卒業劇”をやりました(^o^)/。これは他の高校では多分やっていないと思います。卒業劇に出られる人は30人程度だったのですが体育館の舞台を使って劇をやりました。私は先生役で劇に出ました。劇の内容は卒業式の前の日に“何かを学校に残したい”という学生達が“タイムカプセル”を校庭に埋めて20年後の今日にみんなでその場所に集まるという約束を残してその次の日の卒業式当日までの内容を劇でやりました。劇をやっている最中に泣いていて台詞を言えない子も居ました(私も)。劇の最中に歌を歌う場面があってその時に劇に参加していない人も全員で歌を合唱したのですがその歌も自分達で作った曲でした。“君が代”は歌いませんでした。劇だけでなく、実際にもタイムカプセルを埋めて卒業式の日から丁度20年後の“2016年3月1日”に掘り起こすのですがその時になってこの事をちゃんと覚えているかが心配です。ここに書いたのでもし忘れていたら浩ちゃんに教えてもらいます(^o^)。


 投稿者:たっちゃん
 時刻 :2000/03/10 00:14

うちの高校は創立120年ぐらいの高校でとにかく古いので校内はボロボロでした。卒業式が始まって5分ぐらい経った時に天井が「ミシィッッッッ!」と鳴って今にも崩れそうで卒業式の最中に体育館の天井が落ちてこないかみんなひやひやしていました。校長先生の話も5分ぐらいで終わりました。卒業式も予定より20分ほど早く終わりました。その時に“君が代”は斉唱しなかったと思います。校歌は歌いました。さすがに“ハレルヤ”は歌わなかったです。卒業式で印象に残ったのは式の最後に教頭先生の額の広さが変わった事です。式の最後は異様に額が狭くなっていました。2cmぐらいでした。あれは“か○ら”だと確信しました。


 投稿者:よっしー
 時刻 :2000/03/19 13:19

教頭先生の頭は“か○ら”だったのですか?私は気が付きませんでした。たっちゃんの言うように時間に追われていて卒業式はそんなに盛大ではありませんでしたね。“とっしー”さんのところは「ハレルヤ大合唱」ですか。見てみたいですね。卒業式に“ハレルヤ”を歌うところはまずないと思います。明子のところは“卒業劇”ですか。みんな色々とやっていますね。そう考えるとうちはかなり平凡な部類に入ると思います。120年の歴史と伝統のせいでしょう。卒業式の後しばらくして近所の友達を集めて“自分達だけの卒業式”をやりました。そっちの方が感情がこもりました。大学の卒業式は一体どんなものなのでしょう?


‘第9回 「今の心境」’に対する意見など


 投稿者:なおみ
 時刻 :2000/04/14 22:35

すごく元気になれました。私も、ZARDの曲が好きです。私が初めて買ったアルバムは、「ZARD 揺れる想い」です。早速、その中の6曲目「負けないで」を聞いています。今流れいます。とっし-も、いつまでも「輝いている人」でいて下さい。


 投稿者:ゆみみ
 時刻 :2000/04/15 10:13

私は“ZARD”がとても好きです。“坂井和泉”さんの声がとても好きです。ZARDの曲の中でも「負けないで」が1番好きです。この曲を聞くと本当に元気付けられます。4月になってから急に私の周りの人が忙しくなって会える時間が少なくなりました。私はまだまだ子供なので仲の良い友達とは会って顔を見ないととても寂しい気持ちになります。なので定期的に顔を合わす日と作ろうとみんなに呼びかけました。そしてみんなの都合がなるべく合う日にしようとした結果、“毎週土曜日夜10時”に会ってその週に有った事とかを色々と話そうという事になりました。昨日はその“第一回目”でした。

人は生きていると悲しい事、嬉しい事、楽しい事、色々な事が有ると思います。そしてそれらを全て一人で乗り越えて行く事は出来ないと思います。人は一人では生きてはいけないと思います。私と関わりの深い今の仲間とは一生付き合っていきたいと思っています。将来、ゲートボールを一緒に出来るような関係になりたいです。

頑張って送ってみましたけど、やっぱり私は表現力不足で要点がうまくまとまっていません。自分で文章を書いていて涙が出て来ました。恥ずかしいのでもう終わります。読んで戴いてありがとうございました。


 投稿者:よっしー
 時刻 :2000/04/16 23:02

ページを開くと音楽が流れたのでびっくりしました。「負けないで」は私も好きな曲です。毎年春になるとみなさん何かしら生活が変わる思います。でも私の周りでは今年ほど大きく変わった年は今まで有りませんでした。まず“明子”が社会人になったのが一番大きく変わった事だと思います。社会人は学生と違って自分自身の責任が重いので特に大変だと思います。次に“たっちゃん”が今年から下宿する事になったのも今までと大きく変わった事だと思います。私も4月からパソコンを習い始めました。でもまだ“ブラインドタッチ”すら出来ません。“ゆみちゃん”も上で意見を書いているけど私には“ゆみちゃん”の言いたい事が良く分かりました。文章の上手・下手は関係ないです。気持ちが大事だと私は思います。そして1番頼りない“浩ちゃん”が無事に4年に上がれて研究室に所属して毎日遅くなるみたいで大変です。浩ちゃんは人見知りが激しいので最初のうちは、なかなか研究室の人と上手くやっていけなさそうなので大変だと思います。もうちょっと自分から話す勇気を出して下さい。
“とっしー”さんも就職活動や研究室などで大変でしょうけども頑張って下さい。そしてまた“とっしーのページ第10回”を見る事が出来る日を楽しみにしています。


 投稿者:麓のセンター
 時刻 :2000/04/17 18:47

売り切れないで下さい。


 投稿者:明子
 時刻 :2000/04/17 20:30

意見が少し遅れてしまいました(^_^;)。私も「負けないで」は好きでCDも持っています(^o^)。「負けないで」の歌詞の中の「どんなに離れてても心はそばにいるわ。」の部分はまるで今の“誰かさんと誰かさん”の心境を表していると思いました。

私もこの春からお勤めをするようになって今はただ、会社の中の事を覚えるのに必死です。1日がとても長いです。学生の時みたいに「この授業はちょっとサボろう(^o^)」という風に仕事をサボる事は出来ないですからね(^_^;)。今、就職活動をされている皆さんはとても大変な時期に入っていると思います。自分の目的意識をしっかりと持って面接を受けて下さい。そして自分自身を面接官の人にアピールして下さい(^o^)。面接で重要な点は「どのようにして自分をアピールするか」だと言っても決して言い過ぎではないと経験上思いました。浩ちゃんのお友達ならきっとうまく行くと思います。頑張って下さい。ついでに浩ちゃんも頑張って下さい(^o^)/。


 投稿者:たっち
 時刻 :2000/04/20 00:57

連休明けぐらいから下宿をしようかと思っています。大学院になってから大学へ行く回数が増えました。家から2時間半もかけて行くのは時間も定期代ももったいないと少し思うようになってきました。しかし、下宿をしてしまうとただでさえみんなと会う機会が少ないのに余計に少なくなってしまうと思うので寂しいです。“よっしー”「周りでは今年ほど大きく変わった年は今まで有りませんでした。」と言ってるんやけどまさしくその通りだと思います。もう俺らも23になるし何時までも一緒に遊ぶなんて出来ない事は仕方のない事かも知れません。そんな気持ちになった時に“負けないで”を聴きたいと思います。“とっしー”さんが感じた事や気持ちはこのページの9つの意見で少し分かりました。また10回、11回と見て行きたいです。これからもいつまでも頑張って下さい。遅くなりました。


 投稿者:ヨーグルトセンター
 時刻 :2000/05/03 22:24

写真GET!ちっちゃ〜い。わかんなーい。引き伸ばしてもらおう!



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