さてこそよかさねどの、ほうおんしやとくは違ひたり。汝已に地獄をのがれ出て位を増進する事、ひとへに菊が恩ならすや。しからば菊をたすけおき。衣食を与へめぐむならば、報恩ともいヽつべし。その上田畑資財は本より天地の物にして、定れる主なし。時にしたがつてかりに名付ける我物なれば、汝が存生の時は汝が物、今は菊が物なり。しかるにこれを沽却して汝が用所につかはん事、是に過たる横道なし。かたはらいたき望み事やと、あざわらつてそ教化しける。
(小二田誠二解題『死霊解脱物語聞書』より)
■なぜ化物屋敷か?
私が心霊スポットだの化物屋敷だのにこだわるのは、心霊体験が一回的なものだからである。断続して、またはごくまれには継続して心霊現象が観察される場合もないことはないが、通常は、あれ! いまのはなんだったの?と気づいた時にはもう雲散霧消しているか、一定の時間継続している場合でも、はっきりとした対象というより、いわくいいがたい雰囲気や気配であったりすることが多い。そのため、その時、その場にいなかった第三者が、その現象についての体験を共有できることは、まずない。他人の心霊体験については、その証言に耳を傾けるばかりである。
ただし、その現象が起きた場所に行くことはできる。その現象が起きたまさにその時にさかのぼることは、タイムマシンでもなければできないが、その場所は、たいてい残っており、そこに行くことができる。そこで、まだ若く、頭も財布も腰も軽かった私は、いわゆる心霊スポットにせっせと足をはこんだのだった(その後、重くなったのは腰だけである)。
この点について、現在、実話怪談界で活躍している吉田悠軌氏は新著『一生忘れない怖い話の語り方――すぐ話せる「実話怪談」入門』(KADOKAWA)で、次のように書いている。
実話怪談は、再現性のないただ一回の体験を取材するもの。つまり物的証拠の存在しない、ひたすら体験者の記憶だけを紐解く作業なのです。この「体験それ自体」とは、物証を裁判所に提出するように、ポンと外部に取り出せるものではありません。
もし客観的証拠があるとするなら、それは不思議な体験の起きた「場所」だけです。
吉田氏によれば、実話怪談とは「不思議な体験をした人から取材した体験談」とのことだが、この「体験談」という語には、おそらく二重の意味が含まれている。一つは、不思議な体験をした人の話す談話であり、もう一つは、不思議な体験をした人から取材するという体験をした記録という意味だろう。取材した不思議な話が信憑性の高い、あるいは、共感できるものであればあるほど、その不思議体験を聞くという体験は、取材者の意識をゆさぶることになる。それは取材者の常識を問い直すとともに、体験者の体験談の信憑性も問うことになる。それはほんとうなのか、錯覚や幻覚ではないのか、思い込みや妄想ではないのか、さらに言えば、自ら創作したフィクションを実体験と信じ込んでしまっているのではないのか、等々(さすがに露骨なウソだとまでは思わない)。
そこで吉田氏や、彼の先行者である小池壮彦氏などは、唯一残る手がかりである「場所」に注目してきた(私もその一人である)。
数ある心霊スポット(吉田氏流に言えば「怪談現場」)のうち、ぜひとも行ってみたいのは、半ば恒常的に怪現象が起こると言われる、いわゆる化物屋敷である。伝説の化物屋敷をモデルに作られた遊園地の「お化け屋敷」ではなく、ほんものの化物屋敷、幽霊宅地があれば、ぜひ行きたい、そこへ行って何か起こるのか体験してみたいという、子どもじみた好奇心が初老を過ぎても払拭されないのである。
■ヘーゲル『法の哲学』
しかし、たとえ子どもじみた願いがかなって、化物屋敷で怪現象に遭遇したとしても、それが心霊現象だと言いきれるのか。われわれの感覚はたやすく欺かれえる(デカルト)ものだから、理論で決着をつけなければならない(エンゲルス)。そこで、あれこれの理論を引っ張り出しては、これは有効か無効かと確かめているのである。
さて、前回からの宿題となっているのは、次のような問いであった。
土地家屋を神霊なり幽霊なりが所有するということは、はたして可能なのだろうか? そもそも所有するとはどういうことなのか?
この問題を考える上で私が参照するのは、ヘーゲル『法の哲学』である。なぜかというと、ヘーゲルの法哲学において所有の主体は精神だからだ。精神が物件を所有するのである。それが可能ならば、幽霊が土地家屋を所有しても罰はあたるまいではないか。そこで、ヘーゲル『法の哲学(上)』(岩波文庫、2021。以下ヘーゲルからの引用はすべてこれの節番号による)を拾い読みしていくことにする。
ただし、最初に白状しておくが、ヘーゲル法哲学によって土地家屋に対する幽霊の所有権を保障しようという弁論が成功する見込みはない。歴史の哲学者ヘーゲルは、意外なことに幽霊を相手にしていないのである。
「身体のない霊魂は、決して生けるものではなく、逆も同様であろう。」(一、補遺)
「死せる人間は、それゆえにまだ現存在ではあるが、しかし、もはや真実の現存在ではなく、概念のない定在である。そのために、死せる肉体は腐敗するのである。」(二一、補遺)
人格としての私は「私の生命と肉体とを、そうすることが私の意志であるかぎりにおいてのみ、他の物件同様にもつのである。」(四七)。私の生命と肉体は私の所有物であるから、私はそれを捨てる(自殺する)ことができる(権利はないが可能である)。しかし、いったい私はどのようにして肉体を所有するのか?
「肉体が直接的な定在であるかぎり、肉体は精神にふさわしくない。精神によって意志を与えられた器官であり、活性化された精神の手段であるためには、肉体は、まず最初に精神によって占有されなければならない。」(四八)
このパラグラフの眼目は引用した文の後で言われる、対他的には肉体こそが私自身なので、私の肉体に加えられた暴力や侮蔑は、私に対して行われたものとみなすという、しごく現実的な話なのだが、私が注目したいのは「肉体は、まず最初に精神によって占有されなければならない」というところだ。この章句は、五七を参照せよということになっている。
「人間は、自分自身の肉体と精神とを陶冶することではじめて、また本質的には彼の自己意識が自分のことを自由なものとして把握するようになってはじめて、自分を占有取得し、自分自身の所有物となり、他人に対抗するものとなる。」(五七)
法思想史的にはこの後に続く奴隷制批判の方が重要なのだろうが、私が気になったのはそこではない。肉体が精神によって占有されるとは、どういうことなのか? 陶冶という言葉や文脈からは、私が私自身を自由な存在と自覚し、自由な存在として生きようとすることによって、精神が肉体を所有したと言いうるのだろう。近代社会の市民たるものかくあるべしとは思うが、あいにく私の関心は幽霊に限定されている。
■手に持つこと
ヘーゲルによれば、所有(占有所得)には三つの形態がある。
「占有取得は、ひとつは直接に肉体でもって獲得することであり、ひとつは形成することであり、ひとつは単に標識をつけることである。」(五四)
肉体による獲得とは、シンプルな場面では手で握るということだろう。文字通りに「持つ」ことから所有が始まる。
「私は手によって占有取得をおこなうが、しかし手の届く範囲は拡大されうるのである。手は、いかなる動物ももたないこうした偉大な器官であって、私が手でもってつかむものは、それ自身手段となって、これを用いることで私はさらにつかむ範囲を拡げるのである。」(五五補遺)
手で持つことは、それだけなら手から離してしまえば所有は終わるが、人間は手にしたものを道具として用い、所有の範囲を広げることができる。それが次の形成である。
手にしたものを農具として用いて無主物の土地を耕したなら、その土地は私の田畑となる。手にしたものを工具として用いて無主物の資材を加工して何か、机や椅子などの製品を作り出したなら、その机なり椅子なりは私のものである。これが形成ということだ。岩波文庫の訳者は、形成は労働であると注を入れている。先に引いた(五七)の文章にある「陶冶」もこれに含まれる。陶冶というと教育のことがまず頭に浮かぶが、ヘーゲルの挙げている例によれば、動物の馴致や調教も陶冶である。
こうした手に持つことを基準とした所有観は、幽霊には不都合である。なにしろ、幽霊は、その定義上、生ける肉体を持っていないからだ。幽霊が手にものを持ち、それを道具として田畑を耕し、家を建て、その土地家屋の所有権を主張するためには、まず肉体を獲得しなければならない。
このように、ヘーゲルの法哲学によって幽霊の所有権を擁護しようというもくろみはたやすく挫折するのだが、しかし、どなたもお気づきのように、これはヘーゲルの法哲学についても言えることである。「肉体は、まず最初に精神によって占有されなければならない。」(四八)とするならば、肉体のない精神は、どのように肉体を所有するのか?
こうした問題について、ヘーゲルは彼の生きた時代の先端科学であった動物磁気説を持ち出して説明しようとするのだが、それが疑似科学であることはすでに述べたのでそちらをご覧いただきたい。
Web評論誌「コーラ」16号〈心霊現象の解釈学〉第3回:先端科学と超常現象
■もちものには名まえを書きましょう
ともあれ、ヘーゲルの法廷に幽霊が参加すると、議論が堂々巡りなることを頭の片隅において、所有の第三の形態、標識を検討しよう。
「それだけとしては現実的ではなく、私の意志を単に表象として示すに過ぎない占有取得は、物件に標識をつけることである。標識の意義は、私は私の意志をこの物件のうちにおき入れたということでなくてはならない。この占有取得は、対象の範囲からいっても、意義からいっても、きわめて無規定である。」(五八)
「標示による占有取得は、すべての占有取得のうちでもっとも完全なものである。というのは、他の占有取得の仕方も、多かれ少なかれ、即自的には標識をつける効果をもつものだからである。私が物件を獲得したり、形成したりするとき、これがもつ意義も窮極的には標識をつけることにあり、しかも、他人を排除し、私が私の意志を物件のうちにおき入れたということを示すために、他人に向かって標識をつけることにあるのである。」(五八補遺)
自分の持ち物に名前を書きましょう、とは、児童を遠足に連れてゆく小学校教師が必ず言うことである。同じことは高齢者介護施設のデイサービスでも言われる。そうしないと、自分のものと他人のものがとりまぎれたときに、どれが誰のものだったのか、わからなくなってしまうからだ。持ち物に名前を書くことは、これは私のもので他の誰かのものではないことを主張することだ。
それでは、幽霊はいかにして土地家屋に署名するのだろうか? 生きている人間なら玄関に表札を掲げるだろう。表札は名字だけのことが多いので、旧家であれば、数代前の故人の霊のことも代表(表象)しうるかもしれないが、都会のアパートではそうはいくまい。そもそも表札を掲げる習慣は郵便制度にともなって普及したもので、それほど古くからあるものではない。
死者の名の刻まれたものとしては、墓標がある。墓標は、遺体または遺骨の埋められた場所を示すだけではない。その人がいたことを記憶にとどめ、あるいは、そこがその霊の居場所であることを示す。とはいえ、墓石に死者の名を刻むのは、あくまでも生きている者である。生きている者の都合によって、そこが死者の居場所として指定されているだけだ。そこで、生きている者から配慮されていない死者、生きている者の都合に納得のいかない死者はどうしたらよいのか。現世に出現し、ここは死者の領域である、これは私の所有物であると権利を主張する場合もあるだろう。
標識は署名に限られない。ヘーゲルによれば「他人を排除し、私が私の意志を物件のうちにおき入れたということを示す」ことができればそれでよいのである。その物件がある特定の場所であった場合は、その場所に居座り、ここは私の場所だと主張するのがもっとも単純な方法だ。
前回ご紹介した松原タニシ『事故物件怪談 怖い間取り』(二見書房)の第六話「事故物件四件目」の最後のエピソードでは、怪異の起こるアパートの部屋を取材しにおもむいたテレビスタッフの一人が、そこにいるはずのない人の幻を見ている。
柵に女の人がしがみついて、あっちへ行け、あっちへ行け、と言ってます。(松原前掲書、47頁)
この幻が何者かはわからないが、何をしているのかはよくわかる。招かれざる客の侵入を拒否しているのである。「心霊スポット」と呼ばれる場所が、文字通りのものであるなら、そこは所有権または居住権を主張する幽霊によって占拠されている場所のことでなければならない。この連載で心霊スポットを取り上げた回でも強調したが、ある幽霊がその場所を占拠するのは、幽霊の意志によるもので、生きている者の側の都合で「地縛霊」などと呼ぶべきではない。( 「コーラ」36号〈心霊現象の解釈学〉第14回:心霊スポット――通過儀礼と神話的暴力)
■「汝が存生の時は汝が物、今は菊が物なり。」
幽霊に土地の所有権はあるのか? 土地の所有権をめぐり死霊と論争した人がいる。庄右衛門という。江戸時代に実際に起こった怪事件を記録した作品『死霊解脱物語聞書』の登場人物、といっても実在の人物である。
『死霊解脱物語聞書』とは、この連載エッセイでたびたび紹介してきた。寛文十二年(一六七二年)、下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)で、菊という少女に父親・与右衛門の先妻である累(かさね)の死霊が取り憑き、足かけ四カ月にわたり村中を巻き込んで続いた騒動を弘経寺の僧・祐天が解決するまでを描いた怪談ルポルタージュである。おそらく九割方は事実の記録であったろうと考えている。
もちろん、事実の記録といっても、誇張や思い違いはあるだろうし、筆者の残寿は、この憑霊騒動を解決して名をあげた祐天上人の弟子であるから、師匠に花を持たせるように書いているだろう。それに残寿が事件の現場となった羽生村に取材に入ったのは、おそらく元禄の初めのころ(一六八八〜八九)で、事件からすでに十五、六年はたっていた。
この辺りの事情は、かつて私の妄想もまじえながら詳しく書いたので、そちらをご覧いただきたい。
さて、菊にとり憑いた累の霊は、自分は事故死したことになっているが、実は夫の与右衛門に殺されたのであり、村人たちもそれを知りながら黙殺してきたのだと、与右衛門と村人たちを糾弾した。この告発に小さな村は大騒ぎになった。与右衛門は被害者の告発によって出家の上、謹慎した。累は村人たちに対しては自分の供養を要求した。そこで、二名の村役人、名主の三郎左衛門と年寄(名主の補佐役)の庄右衛門が間に入り、累との交渉に当たった。回を重ねるごとに累の要求はエスカレートしてゆき、自分は七石の田畑を所有しているから、それを売って、その代金で自分のために石仏を建立せよ、と要求した。そのやりとりの場面を抜き出したのが冒頭の引用である。
庄右衛門の言葉を追っていこう。
田畑資財は本より天地の物にして、定れる主なし。時にしたがつてかりに名付ける我物なれば、
土地にしろ、その他の財にしろ、元来は自然のものであって、誰かが所有者だと初めから決まっているものではない。あの土地は私の私有地、あの家は我が家というのも、その時々の条件がそうさせているにすぎない。この言葉は、表現にこそ『死霊解脱物語聞書』を筆記した学僧・残寿による潤色があるにせよ、近世初期の関東の農民の自然観が背景にあって出てきたものだろう。
汝が存生の時は汝が物、今は菊が物なり。しかるにこれを沽却して汝が用所につかはん事、是に過たる横道なし。
だから、お前さんの言う田畑も、お前さんが生きている時にはお前さんのものだったが、今は相続者である菊のものだ。それを売り払って自分の用に使おうとは、理屈の通らないことだ。「かたはらいたき望み事や」と、庄右衛門は痛烈に言い放った。いささか芝居がかっている気もするが、村役人なら、これくらいのことは実際に言ってのけたかもしれない。
現世の物件について、死霊に所有権はないと庄右衛門は明言したのである。これはヘーゲルの法哲学と同じ基準を適用しているように思われもするが、決定的な違いがある。庄右衛門はその主張を、死霊に面と向かって言ったのだ。物理的には、庄右衛門が対面している相手は、生きている菊という少女であるが、菊の肉体は累の死霊に占有取得されている。だからこそ庄右衛門は「さてこそよかさねどの」と語りかけている。累の死霊は「肉体は、まず最初に精神によって占有されなければならない」(ヘーゲル)という条件をクリアしているのだ。
もちろん、菊の肉体は無主物ではなく菊の精神の所有物であるから、累による肉体の占有取得は、いわば不法占拠であり、菊の所有権は侵害されている。庄右衛門が田畑の所有権について「汝が存生の時は汝が物、今は菊が物なり」と強気で打ち出した背景には、「田畑資財は本より天地の物にして、定れる主なし。時にしたがつてかりに名付ける我物なれば」という自然観・所有観もあったろうが、そもそも累の死霊との交渉は、菊の肉体を不法占拠している累の死霊に対して、菊の肉体を菊自身に返還させることが目的だったからでもあろう。
相手が死霊であっても、生きている者の都合を推し立てていく庄右衛門に言いまかされた累の死霊はどうしたか。
其時怨霊気色かわつて、あヽ六ヶ敷のりくつあらそひや。なにともいへ我願のかなわぬ内は、こらへはせぬぞと云声の下よりも、あわふき出し目を見はり、手あしをもがき、五たいをせめ、悶絶顛倒の有さまは、すさまじかりける次第なり。(小二田誠二解題『死霊解脱物語聞書』より)
小難しい理屈の争いなど知ったことか!なんとでも言うがいいさ、我が願いのかなわぬうちは我慢はせぬぞ、と菊の肉体を責めさいなんだのである。死霊の実力行使に、生者のものは生者に、死者のものは死者に、という庄右衛門(ヘーゲル)の生者の論理はなすすべもなく、見るに見かねた名主の三郎右衛門が仲に入って、それでは石仏建立の費用は私が用立てましょうと自腹を切ってその場を収めるほかになかったのであった。
幽霊が怖いとしたらその怖さの本質はおそらくここにある。生者のものは生者に、死者のものは死者にという、生者の都合で定められた生死の秩序を強引に侵犯する。これは生者の側からはできない一方的なゲバルトである。それゆえに、生者は死者を超越者と見誤ることがあるのだ。
★プロフィール★
広坂朋信(ひろさか・とものぶ)1963年、東京生れ。編集者・ライター。著書に『実録四谷怪談 現代語訳『四ッ谷雑談集』』、『怪談の解釈学』、共著に最新作『猫の怪 (江戸怪談を読む)』など。 ブログ「恐妻家の献立表」
Web評論誌「コーラ」43号(2021.04.15)
<心霊現象の解釈学>第21回:幽霊の所有権(広坂朋信)
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