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Web評論誌「コーラ」
41号(2020/08/15)

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 夏なのだから、気のきいた怖い話でもお届けしたいところだが、今夏いちばん怖いものは、コロナウイルス感染再拡大と政府の無策(愚策)だと、話のオチはすでにみなさんのご想像の通り。これでは埋め草記事にもならない。
 とはいえ、話題が何もないというわけではない。最近ちょっと驚いたことがあった。自分がツイッターに投稿したつぶやきがバズったのである。とはいえ、リツイートと引用リツイートが1.6万、いいねの数が7.5万だから、著名人のツイートに比べれば微々たるものだが、私のツイッターのフォロワーは228名だから、そこから考えるととんでもない数だ。ご近所さんとの井戸端会議の気分でツイッターを使っていたので、万単位のアクセスには正直言ってびびった。
 しかも、私はなにか面白いこと、あるいは有益なことをつぶやいたつもりではなかった。としまえん(東京都豊島区)のお化け屋敷に行ったというだけの話なのに、まとめサイトまで作られてしまったから驚いた。
ツイナビ【話題まとめ】【怪談】としまえんのお化け屋敷には今も本物の幽霊がいるらしい…(ツイナビ編集部 2020年6月28日 19時00分)
 
■としまえんのお化け屋敷
 かつて「史上最低の遊園地」というキャッチコピーの広告(1990年)を大々的に打って世間をあっと言わせたこともある老舗遊園地としまえんも、今夏限りで閉園になるという。このニュースを知って、そういえば、としまえんのお化け屋敷には本物の幽霊が出るという噂があったのに一度も足を踏み入れたことがなかった。これはまずい、ぜひ行っておこうと思いたち、東京アラートが解除された頃に妻を誘って出かけた。
 よく晴れた日だった。東京アラートが解除されたといってもコロナの不安はあるのだから遊園地も閑散としているのじゃないかと期待して行ったのだが、案に相違してマスクをつけた家族連れで園内はにぎわっていた。妻のご機嫌を取るため、回転木馬やフライングパイレーツで目を回したあと、念願のお化け屋敷に行った。妻はお化けが大嫌いである。そのかわりアクティブなことは大好きなので、私がお化け屋敷に入っている間は他のアトラクションを楽しんでもらった。
 遊園地の片隅にあるお化け屋敷は和風の装飾をした施設で、入口には大きなタヌキの置物がデーンと鎮座していた。そこで、ちょっと面白いことがあったので、翌日、軽い気持ちでツイートしたのだった。はじめに私が投稿したのは、以下の三つである。
 
〈昨日、としまえんのお化け屋敷で、受付の青年に「僕の若い頃にはここに本物の幽霊がいるという噂がありましてね」と話しかけたら、明るい声で「今でもいますよ!」と応じられた。午前10:01 ・ 2020年6月21日〉
〈ミステリハウスにも入ったがお化け屋敷と同工異曲の展示。昨日いちばん怖かったのは妻にせがまれて同乗したフライングパイレーツ。安全バーに腹を押されて吐きそうだった。昼飯前でよかった。太めの人は乗らない方がいい。気持ち悪くなってしばらくぐったりした。その後、お化け屋敷で元気回復。午前10:14 ・ 2020年6月21日〉
〈そして、冒頭の会話になったわけだが、お化け屋敷に本物の幽霊はいたかというと、どうやら展示は人形にまかせて遊びに出掛けていたようで、としまえんのシンボル回転木馬で見かけたような気がする。午前10:20 ・ 2020年6月21日〉
 
 この三つのツイートのうち最初のものが、受付の青年の当意即妙の返答が面白く感じられたのか、またたくまにリツイートされて広がった。そして、としまえんのお化け屋敷について多くの人が自らの思い出を語りはじめた。直接引用は控えるが、としまえんのお化け屋敷に本物の幽霊(orお化け)が出るという噂を聞いたことのある人はかなり多く、自分自身または親しい人が見たという人も何人もいた。
 ツイッターのやり取り(リプライが多すぎて私はほとんど傍観者だった)を見ていて分かったことがあった。私が入って、係員の青年と楽しいやり取りをしたお化け屋敷は和風の演出だったが、もともと「本物が出る」と噂が立った施設は洋風の建築で、西洋お化け館と呼ばれていたそうだ。西洋お化け館の二階部分にはバルコニーがあった。バルコニーは装飾的なもので入場者は立ち入れない。そこに人がいるはずのない場所に洋装の女性が立って手を振っていたのを見た人がいた。また、施設内で白いワンピースの少女を見たという人もいる。赤いズボンをはいた少女だったという人もいた。
 残念ながら、私は白いワンピースの少女には出会わなかった。そのかわり、私のすぐあとから、小学生女子三人組が入ってきて、キャーキャー驚きまくるのはよいのだが、魔除けのまじないのつもりか「おっぱい、おっぱい」と連呼するので、ろくろ首のお姉さん(像、仕掛けで首がのびる)と顔を見合わせて苦笑してしまった。
 ツイッターでは、私と受付の青年との会話について、油すましの伝説との類似を指摘してくれた人もいた。それは熊本の伝説で、ある人が、ここにはむかし油すましという化物がいた……と話し出すと、それ聞いていた人が「今でもいるよ」と言うや否や油すましの姿を現わした、という話だそうだ。そうか、あの青年は油すましだったのか。
 
■幽霊屋敷と化物屋敷
 ともあれ、念願のお化け屋敷見物を満喫してきたのだが、気になることがないではなかった。本物の幽霊が出なかったことではない。施設は「お化け屋敷」と銘打たれていたが、展示は獄門台のさらし首に始まって、亡者、皿屋敷風幽霊、牡丹灯籠風幽霊が続き、後半にろくろ首と大首、そういえば油すましもいたようだったが、全体としては幽霊を連想させるものが多かった。つまり、お化け屋敷というより幽霊屋敷だったのである。
 ところが、江戸怪談には幽霊屋敷ものと分類できるような話は少ない。もちろん家屋に幽霊が出ないわけではない。むしろよく出た。前回(第18回)でご紹介した根岸鎮衛『耳袋』の「明徳の祈祷其依所ある事」、『新選百物語』の「紫雲たな引く密夫の玉章」などもそうだし、そもそも皿屋敷がある。お菊は、民俗学系の妖怪学なら妖怪に分類されるのだろうが、物語の中では皿を失くした(割った)ために惨殺された少女の亡霊である。
 かの四谷怪談も、もとをたどれば空き屋敷の怪を語る物語だった可能性もある。四谷の一画に長く人の住まない屋敷が放置されているがあれはなんだ? というところから始まって、実はあの屋敷はもともと同心・田宮某の一家が住んでいたが先妻の祟りでかくかくしかじか、その話なら元をたどれば与力の伊東某がかくかくしかじか、その伊東とは吉原で旗本が斬り殺されたときに逃げ出した男のことか、いやその親父の代にあったことだそうだ云々、という具合に噂がふくらんだようにも考えられる。
 しかし、お菊は屋敷(建造物)にとり憑いたのではなく、やはり殿様に祟ったのである。その証拠に、任地が変って引っ越した殿様の子孫を、お菊が馬を借りて追いかけた話がある(この連載でもタクシー幽霊を取り上げた回で言及)。
 また、四谷怪談は歌舞伎の一場面に化物屋敷的な演出が見られるが、やはりお岩様がとり憑いたのは伊右衛門とその一味であって屋敷にとり憑いたようには語られない。伊右衛門がどこへ逃げても、お岩様は追いかけていく。
 一方で、建物・場所にとり憑くものと言えば妖怪だった。ヌシと呼ばれるものたちである。江戸時代の川柳に、
 「化物もおさかべ姫は城主なり」
というのがあるそうだ。おさかべ姫(刑部または長壁とも)は、言わずと知れた姫路城の主である。姫路城の表向きの城主はもちろん徳川幕府が任命した大名だが、代替わりするたびに真の城主たるおさかべ姫に着任のあいさつをするならわしがあるとかないとか、まことしやかな風説が語られていた。
それについて、こんなことが伝えられている。この城の持ち主が代替りになるたびに、かならず一度ずつは彼の小坂部が姿をあらわして、新しい城主にむかってここは誰の物であるかと訊く。こっちもそれを心得ていて、ここはお前様のものでござりますと答えればよいが、間違った返事をすると必ず何かの祟りがある。現にある城主が庭をあるいていると、見馴れない美しい上臈があらわれて、例の通りの質問を出すと、この城主は気の強い人で、ここは将軍家から拝領したのであるから、俺のものだと、きっぱり云い切った。すると、その女は怖い眼をしてじろりと睨んだままで、どこへかその姿を隠したかと思うと、城主のうしろに立っている桜の大木が突然に倒れて来た。城主は早くも身をかわしたので無事であったが、風もない晴天の日にこれほどの大木が俄かに根こぎになって倒れるというのは不思議である。つづいて何かの禍いがなければよいがと、家中一同ひそかに心配していると、その城主は間もなく国換えを命じられたということである。こんな話が昔からいろいろ伝えられているが、要するに口碑にとどまって、確かな記録も証拠もない。(岡本綺堂「小坂部伝説」、『綺堂随筆江戸の思い出』河出文庫、p275-p276)
 この類の話は広く知られていたようで、これを聞きつけた松浦静山が当時の城主酒井忠以に「あの話は本当か」と尋ねたという逸話が松浦の随筆『甲子夜話』に残っている。
 わずかな事例で論断するのは気が引けるが、江戸時代に、特定の場所、建造物にとり憑く幽霊はいることにはいたが、あまりメジャーではない。一方、怪異の起こる場所・建造物は確かにあって、これは化物屋敷と呼ばれていた。幽霊屋敷と化物屋敷とでは、どう違うのか、どちらでもいいような気がする人の方が多いだろうが、私の「心霊学」にとっては大問題である。なお、心霊スポットについてはこの連載の第14回で述べたので、今回はあくまでも建造物に話題を限る。
 幽霊屋敷というものは、近代的な、あるいは西洋的な概念なのかもしれない。理由として、江戸時代の文献に「幽霊屋敷」という語句が出てこないことが挙げられる(もしご存知の向きがあればぜひご教示いただきたい)。もちろん、私ごときが江戸時代の文献のすべてに目を通しているはずはないが、現在、活字に翻刻されている百物語怪談集にはすべて目を通すことができた。少なくとも百物語怪談集として江戸時代に刊行されたものには「幽霊屋敷」という言葉は無い。皿屋敷、あるいは杜若屋敷など、幽霊の住まう建築物はあったが、それを「幽霊屋敷」という語で呼んでいないのである。
 おそらくは「幽霊屋敷」という日本語は、西洋文化由来の近代的な語彙であろうと思う。
 
■「廃墟がない! 骨董品がないだと!」О・ワイルド
 西欧において幽霊屋敷が盛んなのは、なんといってもイギリスだろう。
 イギリスに幽霊屋敷が多いのは、幽霊人口が多いからではなく、幽霊屋敷に適した物件(廃墟)が多かったためであるらしい。
「十八世紀当時の英国では、実際に多くの教会堂が廃墟となった無残な姿をさらしていた。それは、それより二百年ほど前に、時の国王ヘンリー八世によって、カトリックの修道院が解体させられてしまったためであった。」(加藤耕一著『幽霊屋敷の文化史』講談社現代新書、p52)
 カトリックと対立して英国国教会を興したヘンリー八世(1491 - 1547)は、「中世以来繁栄してきた英国のカトリック修道院のすべての財産を没収し、修道院を解散させてしまったのである」(加藤、前掲書、p53)。その結果、イギリス各地に中世様式の教会堂の廃墟が残されることになった。これがゴシック・ロマンで描かれる幽霊屋敷のイメージの元型になっているという。このゴシック・ロマン風幽霊屋敷ストーリーのパロディが、オスカー・ワイルドのコメディ『カンタヴィルの幽霊』(初出1887年)である。
 当時流行していた心霊学を茶化しながら書かれたこの短編で、ワイルドは英国の古い屋敷に住む幽霊とアメリカ人少女ヴァージニアの会話を描いている。
「わしゃア、どうもアメリカは好かんなあ」
「わたしたちの国には廃墟も骨董品もないからでしょう」ヴァージニアは皮肉るように言った。
「廃墟がない! 骨董品がないだと!」と幽霊はこたえた。「おまえの国の海軍と行儀作法があるじゃないか」(オスカー・ワイルド著、南條竹則訳『カンタヴィルの幽霊/スフィンクス』光文社古典新訳文庫、p116)
 この幽霊は、生前の名をサー・サイモン・ド・カンタヴィルという貴族で、作中で処女王エリザベス一世(在位1558 - 1603)から「お褒めの言葉を賜った」とある。エリザベス一世は、多くの修道院の廃墟を作り出したヘンリー八世の娘である。つまり、サー・サイモンは、ゴシック的なものの起源と同じ時代に生まれ、1575年に妻を殺害し失踪して以来300年、その霊魂はカンタヴィル家の屋敷の中に封じ込められたまま、夜ごと住人をおびやかし続けてきたというのがワイルドの設定である。
 おどろおどろしい設定とは裏腹の抱腹絶倒のストーリーは周知のことだろうし、未読の方はご自身で読んでいただくことにしよう。要するに英国式幽霊とは、国土のあちこちに廃墟が点在する「国民的」風景とセットになった「国民的」なイメージなのだ。
 ところで、ワイルドの小説では、アメリカ公使の一家は幽霊の存在などどこ吹く風で「家具も幽霊も込みで」古い屋敷を買い取って住みつき、どうやっても取れない血の染みも「ピンカートンの優等染み抜き」できれいにしてしまい、夜中に幽霊がガチャガチャいわせる鎖には「タマニー旭日潤滑油」をさすように頼む。子どもたちは、恐ろしい姿を現わしたサー・サイモンの幽霊に枕を投げつける。アメリカ公使は朝食の席で家族に向かっていった。
わたしとしては」と彼は言った。「幽霊に危害を加えたくないし、彼がこの家にいる時間の長さを考えると、枕を投げつけるなどということはまったく礼を失する振舞いだと言わねばならん」―─まことにもっともな言葉だったが、遺憾ながら、例の双子はこれを聞くとゲラゲラ笑い出した。「一方」と公使はつづけた。「もし彼が本当に旭日潤滑油を使わないというのなら、あの鎖を取り上げねばならないだろう。寝室の外であんな音がしたのでは、眠れやせんからな。(ワイルド前掲書、p94)
 19世紀後半の英国人ワイルドは、バイタリティーにあふれる現実主義者というステレオタイプのアメリカ人像を描いているが、同時期のアメリカでも、1848年のハイズヴィル事件(フォックス姉妹事件)を嚆矢として心霊ブームが沸騰した(アメリカのハイズヴィル事件も一種の幽霊屋敷騒動であったとも言える)。
 ワイルドの小説のなかでもアメリカ公使の娘ヴァージニアは幽霊にこう言っている。
ニューヨークに着いてしまえば、あなたはきっと引っぱり凧よ。あすこには、ひとかどのお祖父さんを持つためなら十万ドル払うっていう人がたくさんいるし、家つきの幽霊を持てるんだったら、もっと払うでしょう。(ワイルド前掲書、p116)
 アメリカでは幽霊が引っぱり凧だというのは、アメリカにおける心霊ブームという歴史的背景あってのセリフなのだ。それがイギリスに輸入されたかたちで英国の心霊主義ブームが起こっている(あるいは「カンタヴィル」は「ハイズヴィル」に引っかけたネーミングかもしれない)。このあたりの経緯については以前にもふれたJ・オッペンハイム『英国心霊主義の抬頭』(工作舎)に詳しいので、ここで長談義はしない。そのかわり、現代のアメリカ人作家に登場してもらおう。
 
■「過去とはわれわれの日常生活に絶えずつきまとう幽霊である。」S・キング
 アメリカには廃屋はあっても廃墟はない。もちろん、開拓時代の先住民虐殺の血まみれの歴史、奴隷制時代の黒人奴隷虐待の歴史はあるし、南北戦争ではアメリカ各地が戦場になった。しかし、イギリスにおけるような300年も歴史をさかのぼれる廃墟は存在しない。それでも、アメリカ産のホラー小説や映画にはシャーリイ・ジャクスンの『丘の屋敷』(渡辺庸子訳、創元推理文庫)などを筆頭にして、幽霊屋敷がよく登場する。
 スティーブン・キングの小説『シャイニング』は、丸ごと幽霊屋敷化したホテルの怪現象を描いた傑作だが、その創作裏話としてキングはこんなことを書いている。彼は「突拍子もない論文」を読んだ。それは次のような内容だった。
いわゆる幽霊屋敷は実質的には霊のバッテリーで、車のバッテリーが電気を蓄えるように、そこで暮らした人間の感情を吸い取って蓄える、というのだ。(中略)幽霊と呼ばれる心霊現象は、本質的には一種の超自然的ロードショー ――つまり、昔の出来事の一部である音声や映像を再生したものだ。幽霊屋敷が嫌われて〈よくない場所〉だという噂をたてられるのは、怒りや憎しみや恐怖といった根源的感情こそが人間の最も強い感情だという事実ゆえではあるまいか……。(スティーブン・キング著、安野玲訳『死の舞踏――恐怖についての10章』ちくま文庫、p485)
 幽霊屋敷は車のバッテリーのようなものという比喩を知ったら、ワイルドの幽霊はどう思うだろうか。やれやれ、これだからアメリカ人は……と皮肉な笑みを浮かべるかもしれない。
 ともあれ、これがキングの読んだ「突拍子もない論文」の要旨である。キングは「この論文の主張を絶対的真実として受け入れたわけではない」としながらも、「私自身の体験から導き出した結論とわずかながら似通った部分があった」という。それは「要するに過去とは、われわれの日常生活に絶えずつきまとう幽霊である」というものだ。「このアイデアは、小説『シャイニング』の根幹を成すことになった」とキングは回顧している。
 キングの読んだ「突拍子もない論文」が面白いのは、ふつう幽霊屋敷は、幽霊がとり憑いた(住みついた)建物のことと理解されていると思うのだが、この「突拍子もない論文」によれば、主体は建物で「そこで暮らした人間の感情を吸い取って蓄える」という点である。これは主・客の視点を逆転させただけの素朴なアイデアだが、こうなるともはや建物自体が化物というべきで、幽霊とは化物屋敷が演出する見世物(超自然的ロードショー)の一登場人物ということになってしまう。そうだとすると、ほんとうの幽霊屋敷だと言われるものも、本質的には遊園地のお化け屋敷と大差のないものになる。としまえんのお化け屋敷と幽霊屋敷の違いは、前者では恐怖が人為的に上演されるのに対して、後者では未知の自然的原因によって上映される、というだけのことだ。
 この「突拍子もない論文」の疑似唯物論的説明にキングは納得していないが、「過去とは、われわれの日常生活に絶えずつきまとう幽霊である」というテーゼを共感できるものとして引き出した。これはワイルドが作中でアメリカ公使に言わせた言葉「彼がこの家にいる時間の長さを考えると、枕を投げつけるなどということはまったく礼を失する振舞いだと言わねばならん」とどこかで響きあう印象を受ける。
 過去は容易に消し去ることはできない。たとえ忘れても、それどころかそもそも知らなくても、現在がある限り過去は存在する。
 
■サルトルにおける幽霊屋敷の理論
 今や不用になって、保管場所にも困るような代物であっても、長年使いこまれた家具や道具はなかなか捨てられない。実際、私自身、三年前に死んだ父の遺品を整理しなければと思いながらも、どこから手をつけていいのかわからないという言いわけを繰り返して、結局はなにもできないままでいる。これで老母も死んでしまえば、狭い賃貸アパート住まいの私には一切合財を捨てるほか選択肢は無くなるということはとうにわかりきっているというのに。
 サルトルは『存在と無』の第四部で幽霊を定義している。要約するなら、幽霊とは、家や家具が死者に所有されているということの物象化だとサルトルは言う。浅学ながら、サルトルが幽霊について書いていることにふれた文章を読んだことがないので、あるいは、そんなことがあるものか疑わしく思われる読者もおられるかもしれない。しかし、本当である。念のため、少し長くなるが、以下に該当箇所を抜粋する。
私が私の所有する対象を考察するならば、はっきりすることであるが、所有されているpossedeという性質は、私に対するその対象の外面的関係を示す一つの単なる外的名称として、その対象を、指示するのではない。むしろ、まったく反対に、この性質はその対象を深く規定している。この性質は、私の眼にも、他人たちの眼にも、その対象の存在の一部をなすものとして、あらわれる。(中略)原始的な葬式では、死者に属するもろもろの対象物とともに、死者を埋葬するのがならわしであるが、かかる原始的な葬式が示すところのものもそれである。《死者がそれらの対象物を使用しうるために》という合理的な説明は、明らかに、あとから加えられたものである。(中略)それらの対象物は、死者のものであるというこの特殊な性質をもっていた。それらは死者とともに一つの全体をなしていた。故人をその常用品なしに埋葬することは、たとえば故人をその片方の脚なしに埋葬することと同様、問題にならなかった。屍体、彼が飲みなれていた盃、彼が用いていた小刀は、ただ一人の死者をなしている。(中略)共に埋葬されえないもろもろの対象は、つきまとわれる。幽霊は、家や家具が《所有されて-いる》etre-possedeということの、具体的な物質化より以外の何ものでもない。或る家がつきまとわれていると言うことは、金や労苦を以てしても、最初の占有者によるこの家の所有という絶対的形而上学的な事実を、消し去ることができないであろうと言うことである。実のところ、古い屋敷につきまとう幽霊は、格のさがったラレスlares〔家の守護神〕である。けれども、このラレス自身は、家の壁や家具のうえに少しずつ沈殿していった所有の滓でなくて何であろうか?(J・P・サルトル著、松浪信三郎訳『サルトル全集第二十巻 存在と無 第三分冊』人文書院、昭和52年、p344-p345。引用にあたりフランス語のアクサン記号は省略した。)
 上に抜粋した訳文で「所有されている」と訳されているpossedeには、「とり憑かれている」という意味もある。訳文で「つきまとわれる」「つきまとう」とあるのは、この含意を用いたサルトルのレトリックであるから、もちろん「とり憑かれる」「とり憑く」という意味である。それを念頭に後半部分を読みなおしてみよう。
〈遺体とともに埋葬することのできない品々は、とり憑かれる。幽霊は、家や家具が《とり憑かれて-いる》etre-possedeということの、具体的な物象化以外の何ものでもない。ある屋敷がとり憑かれているということは、金や労苦を以てしても、最初の占有者によるこの家の所有という絶対的形而上学的な事実を、消し去ることができないであろうということである。実のところ、古い屋敷にとり憑く幽霊は、格のさがったラレスlares〔家の守護神〕である。けれども、このラレス自身は、家の壁や家具のうえに少しずつ沈殿していった所有の滓でなくて何であろうか?〉(筆者が勝手に語句を置き換えた)
 もちろん訳者への敬意は持っているつもりだが、私にはこのように読めてしまうのである。失礼はお許しいただきたい。
 サルトルの幽霊の理論は洗練された議論だが、過去がわれわれの日常生活に絶えずとり憑いている、というキングの洞察とどこか通じるところがあるように思われる。キングの洞察の難点は、過去が建物にとり憑くということをどう説明するのか、という点である。この難点についてキングの読んだ「突拍子もない論文」では、建物が車のバッテリーのように住人の思考や感情を蓄える、という珍説で強弁するしかなかったところを、サルトルは「所有」というキーワードで説明した。
 誰かが所有していた物品は、誰かの死後もなにがしかは誰かのものであり続ける。死者の持つ所有権について死者自身は何ら申し立てをしないが、死者を記憶している人たちは憶えている。「ある屋敷がとり憑かれているということは、金や労苦を以てしても、最初の占有者によるこの家の所有という絶対的形而上学的な事実を、消し去ることができないであろう」というサルトルの言葉は、過去にあった所有関係を生き残ったものが物象化していることを言っていると解釈することもできるだろう。
 そうしなければ所有関係が滓のように家屋に沈殿するというサルトルの比喩を、比喩ではなく事実として認めなければならなくなる。床に降り積もった「所有」をほうきではき出す、あるいは、ワイルドの描くアメリカ公使一家がそうしたように「ピンカートンの優等染み抜き」で沈殿した「所有」を洗い落とすということもできてしまうではないか。
 

★プロフィール★ 広坂朋信(ひろさか・とものぶ)1963年、東京生れ。編集者・ライター。著書に『実録四谷怪談 現代語訳『四ッ谷雑談集』』、『怪談の解釈学』、共著に最新作『猫の怪 (江戸怪談を読む)』など。ブログ「恐妻家の献立表」
 

Web評論誌「コーラ」41号(2020.08.15)
<心霊現象の解釈学>第19回:お化け屋敷と幽霊屋敷(広坂朋信)
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