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Web評論誌「コーラ」
10号(2009/04/15)

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Q:2009年中に観た映画(新旧作・DVD等を問いません)で、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げてください。
 
A:映画名・監督名・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くても可です)。回答者名は、匿名も可です(掲載は、入稿順です)。
 
■栗山光司
 
1.「グラン・トリノ」(2008年/クリント・イーストウッド 監督)
2.「空気人形」(2009年/監督:是枝裕和)
3.「ディアドクター」(2009年/監督:西川美和)
 
■笠井嗣夫
 
1.「ブタのいた教室」(2008年/監督:前田哲)
2.「青い鳥」(2008年/監督:中西健二)
3.「『buy a suit スーツを買う」(2008年/監督:市川準)
 今回は、日本映画に限ってみました。
 地方在住なので、公開時との時差があるかもしれません。
 
■ながの・じゅん(永野潤)
 
(全作品ネタバレあり、です)
1.「ハーヴェイ・ミルク」(1984年/監督:ロバート・エプスタイン)
(こちらの自ブログの記事を修正して転載しました http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090419/p1)
 トラメガがとてもかっこいいアイテムとして登場します。ハーヴィー・ミルクはなにかあると愛用のトラメガをぱっとつかんで、街頭にとびだしていきます。そして、シュプレヒコールをさけぶ群集、ひるがえるプラカード、みたいなかんじでデモがかっこよくえがかれていて、ケーサツがわるくえがかれている。
 公式サイトでは「マイノリティのために戦った政治家」というキャッチフレーズが書かれています。しかし、ミルクは、狭義の「政治家」である前は、そして「政治家」になってからも、トラメガをもってデモ隊のまえでアジ演説をするアクティビスト、活動家であったわけです。活動家と政治家のずれ、ということにかんして映画のなかでちょっと印象的だったシーンがあります。
 さいしょのほうで、まちでであったゲイの青年にミルクが選挙人登録をよびかけると、かれは「選挙なんて中産階級のおあそびだ」みたいなことを言って拒否するのですね。もっともその青年クリーブ・ジョーンズは、そのごけっきょく政治家ミルクの側近になるのですが。それから、同性愛者の教師を解雇させる提案6号の反対運動をミルクがやるのですが、「この法案が可決してしまったら暴動がおこるかもしれない」と言う側近に、ミルクは「市政執行委員のたちばではそうはいえないが、そうなったら暴動がおこったほうがいいんだ」みたいなことを言います。
 結局提案6号は否決され、そのとき暴動はおこりません。暴動は、ミルクの死後、ミルクをころしたダン・ホワイト(ミルクとおなじサンフランシスコ市政執行委員で、アイルランド系移民のおおい地区を地盤としていた)をさばく裁判で、マイノリティを排除した陪審員によって、あまりにかるい判決がでたときにおこります(ホワイト・ナイトの暴動)。
 ただ、その暴動については、『ミルク』ではまったく描かれていませんでした。そういう意味では、『ミルク』は、結局は「政治家」「偉人」ミルクの栄光と、みちなかばにたおれた悲劇、というまとめかたになっていた、ともいえます。けっきょくダン・ホワイトは刑期をおえて出所したちょくごに自殺したのですが、こんかいの映画ではダンの自殺の経緯についてはとくにふれてはいませんでした。しかし、ミルクをころすまえのホワイトについては、かなりていねいにえがかれていました(ダン・ホワイトやくの俳優は、本人とものすごく似ています)。
 さて、観たあとにパンフレットを買ったのですが、気になったことがあります。表紙のうらに、主演のショーン・ペンがアカデミー賞授賞式でやったスピーチの翻訳がのっています。最初のひとことが、訳文ではこうなっています。「受賞は予想外でした。みんなゲイが好きな、素敵なロクデナシだね?!」これの原文は「You commie, homo-loving sons-of-guns」です。「homo-loving」は、「ゲイが好きな」ですよね。で、「sons-of-guns」という言葉は知らなかったのですが、ネット辞書によると「(1) 君, お前 《★【用法】 親しみを表わす》.」ということなので、これが「素敵なロクデナシ」に対応するのでしょうね。……で、「commie」は?てことなんです。
 「commie」ってのは、コミュニストの蔑称ってことなのですよね? てことは、「共産主義者」とか、「アカ」とか「サヨク」とかいう言葉がはいってないと、おかしいような気がするのですが。もちろん、意訳してはいけないてことはないわけですが、「commie」をあえてはずしたということに、「なんとなく政治的なものを避けとこう」みたいな「配慮」があったとしたら(まあ無意識的なものかもしれませんが)、ちょっとがっかり、ていう気がします。
 さいしょに書いたように、この映画はどうかんがえても「コミー」の映画です。「サヨクの映画」というイメージじゃよけい観客がにげていきそうだから、配給会社としては「コミー」のことばをかくしたかった……ていうのはかんぐりすぎでしょうかね。それとも「commie」をそのまま訳さないなにかほかの理由があるのでしょうか?
 
 最近たくさん作られているCGアニメ映画、まったく観たことがなかったのですが、今年はたまたま、ライバルといわれるドリームワークスとディズニー・ピクサー製作のものをひとつずつ観ました。
 
2.「モンスターVSエイリアン」(2009年/監督:ロブ・レターマン/コンラッド・ヴァーノン)
 まず、ドリームワークスのものです。意外と(といったら失礼ですが)面白かったです。主人公スーザンは、「ふつうの女の子」として幸せな結婚生活をおくる予定だったのですが、結婚式場におちてきたなぞの隕石に触れて巨大化し、モンスター・ジャイノミカとなってしまいます。かのじょは、モンスター軍団のようなものに入れられ、ほかのモンスターたちといっしょに、地球侵略をたくらむ宇宙人ギャラクサーとたたかうことになります。しかしこのストーリー、むかしつねのさんがhttp://d.hatena.ne.jp/toled/20041223/1103777944で論じた、おなじドリームワークスの『シュレック』(2001年)と、ある意味でまったくおなじ構造をしているところがわらえます。あと、いろいろな特撮映画のパロディーがしかけられているらしく(『モスラ』はすぐわかりました)、そういうところでも面白い……と町山智弘が言ってました。
 とちゅう、ジャイノミカが、じぶんが住んでいたまちになかまのモンスターをつれて帰るシーンがあるのですが、モンスターたちは住人たちから恐れられ、うとんじられ、ジャイノミカも婚約者にふられてしまいます。
 そのご、ジャイノミカは、かのじょのパワーがほしいエイリアンに捕らえられ、パワーをすいとられてしまいます。それによってかのじょは「ふつうの」人間の身長にもどります。さいしょかのじょはそれを喜ぶのですが、クライマックスで、人類をすくうため、というよりは、元なかまのモンスターをたすけるため、もうもとにはもどれないことを知りながらふたたび巨大化し、エイリアンをたおします。つまりかのじょはモンスター「になる」ことをみずから選ぶわけです(ちなみに、去年レビューした『ポニョ』のポニョは「ふつうの女の子」のすがたになってハッピーエンド、なわけで、『モンエリ』より後退してる、といえなくもないですね)。そしてラストシーン、ジャイノミカは、地球を救ったヒーローになったかのじょにふたたび近づいてきた婚約者を「ふざけるな」とはじきとばし、まちを出て、モンスターのなかまたちとたびをしながらたのしく暮らすことにするのです。
 『モンエリ』も、『シュレック』(未見ですが)とおなじく、「モンスター」を「モンスター」のまま肯定する物語ではあります。しかし『シュレック』とおなじく、『モンエリ』のモンスターも、コミカルにデフォルメされた「モンスターらしくないモンスター」としてえがかれています。その意味で、欺瞞的な肯定でしかないわけです。また、このものがたりでたしかに「モンスター」は肯定されているのですが、「エイリアン」のほうはというと、問答無用に全否定です。さいごは、エイリアンの大軍団は全員虐殺されてしまいます。
 
3.「ボルト」(2008年/監督:クリス・ウィリアムズ/バイロン・ハワード)
 こちらは、ディズニー・ピクサーですが、『モンエリ』とくらべると、「モンスターの欺瞞的肯定」どころか、もっとわかりやすく保守的なストーリーで、わたしとしては、CG技術はともかく、『モンエリ』のほうがずっとよかったです。
 主人公のボルトは、遺伝子改造された百万馬力のスーパードッグで、そういう意味ではかれもまさしく「モンスター」です。かれは、にらんだものすべてをやきつくすヒート・ヴィジョン、とか、衝撃波をまきおこすスーパーボイス、などのちからをつかって、あいぼうの少女ペニーとともに、わるものとたたかいます……と、本人(本犬)はおもっているのですが、ほんとうは、ボルトはただの「ふつうの」犬で、ハリウッドで撮影されている特撮テレビ番組のなかのヒーロー犬を演じている、というか演じさせられているだけなのでした。 ペニーも、ヒロインを演じる少女俳優だったのです。ある日、ボルトは、ドラマの中でさらわれたペニーをたすけようとして箱にはいりこみ、ニューヨークへ宅配されてしまいます。そこからボルトは、ペニーをさがす旅をはじめるのですが、はじめてスタジオのそとに出て、じつはじぶんがなんの力もつかえないただの犬だということをさとってしまいます。
 たびのとちゅうで、ボルトはミトンズというメスのノラ猫にであいます。かのじょは、人間にすてられたもと飼い猫で、人間を信じているボルトをさいしょはきらっているのですが、しだいにボルトに魅かれるようになります。いろいろな冒険をへて、いよいよハリウッドにちかづいたとき、ミトンズはボルトに、人間とくらすのなんかやめて、いっしょにノラとしてくらさないか、と言います。
 しかしボルトは「ぼくはペニーにあいにいかなきゃならないんだ」とか言ってミトンズをふり、ベニーのもとにむかいます。で、さいごもうちょっといろいろありますが、最終的にボルトは、ペニー(こちらも俳優をやめて「ふつうのおんなのこ」にもどっています)の飼い犬になり、ペニーのひざのうえでまどろみながら幸せをかみしめます。「やっぱりふつうのくらしがいちばん」、「夢を見るのはやめて、現実にもどろう」みたいなメッセージがあまりにろこつすぎてちょっとシラケてしてしまいました。そういう意味では、『モンエリ』と『ボルト』はまったく対照的な話であるともいえます。
 それから、ふきかえ版の声優のことですが、『モンエリ』のスーザン役のベッキー、『ボルト』のミトンズ役の江角マキコは、ふたりともいまいちでした……。『モンエリ』と『ボルト』には、ボブとライノという似たような三枚目キャラクターが出てくるのですが、それぞれ、バナナマンの日村勇紀と、キャイーンの天野ひろゆきが起用されていました。これにかんしては、日村勇紀はなかなかよかったとおもいます。
 
■村田 豪
 
1.「ビリン・闘いの村〜パレスチナの非暴力抵抗〜」(2007年/監督:佐藤レオ )
 ヨルダン川西岸の小さな村が組織するイスラエルへの抵抗運動の姿を、村人や連帯運動の活動家へのインタビューを交えながらみずみずしく描き出す。
 
2.「ボヴァリー夫人」(1989年/監督:アレクサンドル・ソクーロフ)
 小鳥が聞きとれないつぶやきをさえずるかのようなボヴァリー夫人の奇矯な言動が一編を覆い尽くす。しかし「レーニン」もそれに勝るとも劣らなかった。
 
3.「南京!南京!」(2009年/監督:陸川)
 南京侵略占領後の日本軍による大虐殺と集団レイプの現実を、一人の日本軍憲兵の視点から描き出す。入城式の日本軍の一糸乱れぬ踊りと行進の、怪奇な異常さが圧巻。
 
■高橋秀明
 
1.「AKIRA」(1988年/監督:大友克洋)
2.「スチームボーイ」(2004年/監督:大友克洋 )
3.「老人Z」(1991年/監督:北久保弘之)
 特にお勧めというわけではない。「気分はもう戦争」以来、大友克洋の作品には注目してきていたのだが、今回DVD化された映像作品をまとめて見直して、私たちのタナトスへの評価があいまいな点ばかりが目について苛立ってしまった。私自身がそうだからなのだろうが、確固たる根拠もないまま、前途に希望を託そうとする中途半端な善意の表現を、もう少しなんとかできないものだろうか。
 
■Arisan(岡田有生)
 
1.「沈黙を破る」(2009年/監督:土井敏邦 監督)
2.「母なる証明」(2009年/監督:ポン・ジュノ)
3.「ハーヴェイ・ミルク」(1984年/監督:ロバート・エプスタイン)
 
■橋本康介
 
1.「清作の妻」(1965年/監督:増村保造、出演:若尾文子・田村高廣)
 西欧・近代的自我・明治・土着
 【DVD 紹介文から】
 舞台は、日露戦争時代の貧しい農村。 やっとつかんだ女の幸せを戦場が奪い去ろうとする……・愛する夫・清作を戦争にやるまいと
妻・お兼は恐ろしい行動に出る……。 妻はふるえる手で夫の目を狙った!
 
 増村保造(60年「偽大学生」、66年「刺青」、67年「華岡青洲の妻」、76年「大地の子守唄」、78年「曽根崎心中」)のファンは、この作品を外さない。ウィキペディアの増村紹介文はこうだ。
 「生涯で残した全57本の作品は、強烈な自我を持ち、愛憎のためなら死をも厭わない個人主義=ヨーロッパ的人間観に貫かれている。モダンで大胆な演出により、これまでにない新しい日本映画を創出した。」なるほど……。
 日本的呪縛からの日本的「おんな」による大胆な脱出の迷路。
 妻が対峙しているのは、明治の村の目の前の封建・黙契・土着であり、作者とヒロインの立ち位置はハッキリ国家と天皇睦仁に真向かっている。
 若い日には、そのヨーロッパ的人間観と言われる増村モダンと、明治日本の土着パッションが交差する逆説的地図が読めなかった。劇画『「坊ちゃん」の時代』(文:関川夏央、画:谷口ジロー、双葉社)が、ぼくにも解るように描いてくれた「明治人の格闘」に、そこの重なりが少しは見えて来てこの映画の奥行きを垣間見た気もする。
 
2.「カナリア」(2004年/監督:塩田明彦 出演:石田法嗣、谷村美月、西島秀俊)
 お前が何者であるのかを……
 カナリアは、ガスに敏感な鳥として有名だ。
 上九一色村「第7サティアン」でも、突入する機動隊を先導していた。そう、これはオーム真理教をモデルにした映画だ。
 「教団の崩壊」による「信者の虚脱」という事態から、「絶対真理を持つと主張する宗派と構成員」「人間の共同性と全き個人性の相克」といふ永遠の課題が迫り、物神崇拝へと至る呪縛から主体的に免れることの隘路と困難、「個人の復権」への苦闘が痛々しかった。
 「皇国少年の自己解体」と彼らの戦後の自己再生や、各種「正義」「教義」と宗派(あるいは党的集団)解体(あるいは脱退)後の座標軸喪失症候群、あるいは総撤退・総封印(一切放棄)の「病」を想った。
 人は「帰属」性の中でではなく、それを取っ払った地点の「孤立」の中で、他者に出逢え己にも出逢える。実は、そこが「共闘」や「連帯」が始まる契機であり原圏なのだ。 ぼくは、ささやかな人並みの半生を経てようやくそう考えている。
 若い元信者:伊沢(西島秀俊)の、少年:コウイチ(石田法嗣)への問いかけ『教団もまた我々が生きているこの醜悪な世界の現実そっくりの、もうひとつの現実だった』『お前は、お前が何者であるのかを、お前自身で決めなくてはならない』は、13歳コウイチにはあまりにも酷で、難しい。……痛々しい限りだ。
 社会性や属性を抜きには生きられない今日的存在たるぼくら大人が並大抵の努力では脱し難い課題なのだから……。
 
3.「ぐるりのこと」(2008年/監督:橋口亮輔、出演:リリー・フランキー、木村多江)
 橋口が言う 夫婦の絆の意味。
 待望していて身籠った子の死から、こころのバランスを崩しやがてこころを病んで行く妻、その妻を何とか支えようとする夫。妻が再生への入口に立つまでの日々を描き、夫婦ということの絆の意味を見せてくれた。
 作者は言っているのだ、夫婦は究極の同志・戦友でもある、と。
 靴修理の仕事から「法廷画家」に転職した夫は、最近の、凶悪・悲惨・冷酷犯罪の裁判と関係者を眼にする。
 作者は、人や社会との関係も成立し難い病に沈んで行く妻を支えようとする夫の、こころを広げ浄化し高めて行ったものが、逆に「法廷」で知る眼を覆いたい事実だったことを通して、ある「可能性」を示したかったのだ。
 事件の悲惨、加害者のこころの闇、被害者の無念や打ち砕かれた未来・希望……その「公的」意味を自己の内に刻み蓄積できた者だけが持ち得る、ある「可能性」を……。
 私的ラブ・ストーリーであり、公的社会性を抱えた物語だ。繊細な描写、丁寧な映画作りに感心しました。リリー・フランキー演ずる夫。「ええ男」とはこういう人のことだと思う。
 
■茫洋堂主
 
1.「犬と猫と人間と」(2009年/監督:飯田基晴)
 この作品、劇場ではなくDVDで観ました。7月に縁あって子猫を近所の人から貰い受けるということも重なって、現在の日本の捨て猫と犬のリアルな状況に強い印象を受けました。
 一日に1000匹近く、年間では30万匹以上が殺されているというのは、紛れもなくペットで、<いのち>と認識されていないことに慄然とします。
 
2.「キング・コーン 世界を作る魔法の一粒」(2007年/監督:アーロン・ウルフ)
 試写で観ました。コーン・シロップまみれの我々の食生活が、わが腹回りの脂肪と共に印象付けられた次第です。
 食に関するドキュメンタリー映画としては、「いのちの食べかた」が有名ですが、こちらは音楽も入っていれば、セリフもありで、「いのち〜」に比べてずっと観やすい出来になっております。
 
■ひるます
 
1.「僕らのミライへ逆回転」(2008年/監督:ミシェル・ゴンドリー)
 ジャック・ブラックということで笑えるのかと思いきや、ギャグがいまいちで、マイナーな雰囲気、ジャック・ブラック登場シーンも少なく、失敗作かと思ったら、ラスト、映画への「愛」の熱さに泣かされた。
 
2.「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」(2008年/監督:ベン・スティラー)
 これもジャック・ブラックつながりで。映画論・演劇論が見事にコメディとアクションに絡み合った傑作です。
 
3.「チェンジリング」(2008年/監督:クリント・イーストウッド)
 非コメディもひとつ。警察の恣意的で身勝手な振る舞いが一番の見所。これって、現代の日本そのもの(東京・大阪地検特捜部)。
 マスコミの報道姿勢への批判も込めて、見続けられるべき作品です。
 
★昨年のアンケートは,こちら
Web評論誌「コーラ」10号(2010.04.15)
「映画アンケート結果公表2009」
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