「日本におけるイタリア年」をきっかけに始まった「イタリア映画祭」が今年も東京有楽町で4月27日から開かれる。今度のテーマは「家族」。デ・シーカの『自転車泥棒』からモレッティの『息子の部屋』まで、親子・家族はイタリア映画の得意分野といえる。
5年前、思春期の子供たちが自分の思いを親にぶつけた文章『ぼくの言いたいこと』が出版された。それに答える形で、今度は親の立場から子供に宛てた手紙を集めたのがアンソロジー『ずっと前から言いたかった』(エイナウディ・2002)である。
自分や家族の秘密を打ち明ける「物語仕立て」の長文もあれば、短い人生訓もあり、詩や対話形式をとったものなど形はいろいろだが、日本と同様に少子高齢化が急速に進行するイタリア社会の家族模様が浮かんでくる。不安な現代社会で生きていく子供たちへの愛情あふれたメッセージと勉強しなさいという命令はもちろん、自分の老いを認めることの困難、イタリアの伝統的マンマ像と自立した職業人との間での揺れ、とにかく親の役割を果たしたという誇り、むしろ子供から多くを学んだという感謝の念、特に母親と娘という同性間のつながりの強さ(かつてのタマーロのベストセラー小説『心のおもむくままに』は祖母から孫娘への手紙だった)が目立つ。もちろん円満な関係ばかりではない。親は立ち入り禁止の「子供部屋」に象徴されるように、思春期を境に親子の断絶が顕著になるケースも多い。麻薬や飲酒の問題、さらには未成年者の凶悪犯罪の報道も増える一方だ。経済的困難から親と同居を続けて結婚に踏み切れない若者の多さが少子化の一因と言われるが、かえって同じ屋根の下で激しい衝突が生じることもあるだろう。
距離を置いて眺めたときそのレトリックの多さが目に付くことは、序文で編者も指摘している。お決まりの状況、どこかで見た光景が世代毎に繰り返され、古くて新しいことが「家族問題」の特徴だとすれば、親の文句が言い古された表現になるのもしかたないかもしれない。
Giuseppe Caliceti e Giulio Mozzi (a cura di), È da tanto che volevo dirti; i genitori italiani scrivono ai loro figli, Einaudi, 2002.