←前項へ 一覧に戻る 次項へ→

図書新聞1997/09/13
イタリアの殺人事情は?——猟奇的殺人に関する論文集『殺すために生きる−シリアル・キラーの解剖学』

人間を殺すには一滴の水や蒸気で十分らしいが、ただ殺すだけでは飽き足りなくてさまざまな意匠をこらす人々がいる。推理作家と殺人鬼だ。犯罪小説に現実の犯罪が反映したり、殺人鬼がホラー映画に影響されたりする世の中で、イタリアの殺人事情はどうだろうか?

最近まで、イタリアでの殺人事件の大部分は(マフィアとテロリストを別にして)金銭と怨恨が動機となる「理解しやすい」もので、快楽殺人はアメリカ・イギリスの十八番だというのが通説だった。それをくつがえしたのが、1974年から1985年まで十六人を殺したとされる「フィレンツェの怪物」事件だ。いまだに決定的な解決をみていない謎めいたこの事件については、島村菜津、マリオ・スペッツィの『フィレンツェ連続殺人』(新潮社)がある。

推理小説コーナーで『殺すために生きる−シリアル・キラーの解剖学』(1997) をみつけた。連続、大量、親族、宗教という四つの要素によって分類を行いながら、猟奇的殺人に関する基礎的な資料を論文集としてまとめている。1974年から1996年までの二十二年間に、イタリア各地で28人の「怪物」たちが、合計125人の犠牲者を生んだという統計データ、あるいは、それぞれの事件の持つ独自の「怪物・猟奇性」の描写から浮かんでくるのは、アメリカ、イギリスなどの「猟奇犯罪先進国」との共通性であり、この種の犯罪の伝染性の強さだろう。そして、宗教の関わった犯罪のなかで、悪魔崇拝集団の存在が大きいのがイタリアらしい。

ただし巻末の書誌をみると、犯罪研究の専門書以上に、推理・ホラー小説、そしてホラー映画の紹介が充実している。著者の構成も犯罪研究者の専門家が半分、ホラー作家が半分で、やはり連続殺人物への関心を当て込んだものだろう。イタリアのホラー小説を知る上で役にたつかもしれない。殺人鬼の実態よりも作家の活動ぶりを知りたくなるのが、結局は犯罪マニアと小説マニアの微妙な違いというべきか。


AA.VV., Vivere per uccidere, Einaudi, 1997.

←前項へ 一覧に戻る 次項へ→