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ユリイカ2001/07
アイロニーの世代 ドメニコ・スタルノーネ



中間の世代

二十世紀後半のイタリア小説全体を考えると、四十年生まれぐらいを境にして作家が上下に大きく分かれていることに気がつく。つまり、二十年代生まれのレオナルド・シャーシャ(二一)、ピエル・パオロ・パゾリーニ(二二)、イタロ・カルヴィーノ(二三)、パオロ・ヴォルポーニ(二四)といった戦後の小説界の基礎を築いた作家たちと、三十年前後生まれの新前衛派グループ、アルベルト・アルバジーノ、エドアルド・サングイネーティ(三〇)、ウンベルト・エーコ(三二)、ナンニ・バレストリーニ(三五)といった新前衛派がなかば重なり合りあって位置する「上」の世代だとすれば、八十年代の小説ブームを支えた作家たち、ステーファノ・ベンニ(四七)、ダニエーレ・デル・ジュディチェ(四九)、アンドレーア・デ・カルロ(五二)、ピエル・ヴィットリオ・トンデッリ(五五)、マルコ・ロドリ(五六)、スザンナ・タマーロ(五七)、アレッサンドロ・バリッコ(五八)ら以下が「下」の世代ということになるだろう。

出版社が国内の若い才能探しに力を入れるようになった八十年代にデビューしたこれらの「若い作家」はいまでは中堅の位置を占め、現在の「若手」といえば、トンデッリの公募企画「アンダー25」をきっかけに登場したガブリエーレ・ロマニョーリ(六〇)、シルヴィア・バッレストラ(六九)、エンリーコ・ブリッツィ(七四)であるとか、エイナウディ社の黄色い背表紙が印象的な「スティーレ・リーベロ(フリースタイル)」叢書で有名になったホラー・スプラッター系の「パルプ」小説の作家たち、ニコロ・アンマニーティ(六六)、アルド・ノーヴェ(六八)、イザベッラ・サンタクローチェ(六八)といった作家が思い浮かぶ(註1)。

これら上下の世代がそれぞれ年齢以外にもテーマや文体といった点でも共通点をもち、ある程度まとまりを示しているのに対して、四十年前後生まれの世代は空白とまではいかないが、比較的層が薄い印象がある。その一因は、六十年代後半から七十年代にかけて「文学よりも思想」という「政治の優越」が主張された社会状況にあったといえるかもしれないし、また、既成の文学的価値・規範を徹底的に破壊した六十年代の「新前衛派」からの影響を直接受ける位置にいたからとも考えられる。

しかしそれだけ、同世代の「横のつながり」から独立した個性の強い作家、たとえば、ジャンニ・チェラーティ(三七)、アントニオ・タブッキ(四三)といった作家が目立つ。(註2)

七十年代にグロテスクな前衛路線でデビューしたチェラーティは創作活動を七年間沈黙した後、八十年代半ばに日常生活を描いた短編形式へと大きく方向を変えて再登場した。カルヴィーノと親交のあったチェラーティは、アンソロジー「控えの作家たち」や雑誌『センプリチェ』の編集を通じて八十年代の小説ブームにも強い影響を与えていて、上下世代を結ぶ仲介者の立場にある。英米文学者であるチェラーティに対して、タブッキはポルトガル文学の教授、特にフェルナンド・ペソア研究者でありしばしば作品にはペソアが登場する。小説『レクイエム』をポルトガル語で執筆するなど、単なる「イタリア文学」の枠を越えた作家だといえる。

そのほか、コメディアン、ロベルト・ベニーニと共同で映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の脚本を手がけたヴィンチェンツォ・チェラーミ(四十)であったり、ハンガリー動乱の際にブタペストからイタリアへ移住したジョルジョ・プレスブルゲル(三七)など、いずれもイタリア文学から離れた異分野、異文化との接点をもっている。ドメニコ・スタルノーネもこの世代の一人である。


ドメニコ・スタルノーネ 教壇の道化師

スタルノーネは一九四三年にナポリに生まれ、ナポリ大学で古典文学を専攻した後、ポテンツァ、ローマで高校の教師を務めながら、左翼系の新聞「マニフェスト」に記事を書くようになる。八五-六年の学校生活を一教師の目から皮肉を込めて描いたコラム『教壇から』が人気となり、八七年に単行本化された。その後短篇集『登録簿外』(九一)や、「熱心な教師の不作法さに関するメモ」と副題のついた『尋ねられた時だけ』(九五)などでも、教師体験をもとに現代イタリアの高校の抱える課題、教育問題を描く。教師、ジャーナリスト、作家の三つの顔をもつスタルノーネのデビュー作からみていくことにする。(註3)

一九八五年九月、「教師スタルノーネ」の新しい一年が始まる。「真面目に、効率のよい仕事を!」という校長のかけ声とはうらはらに、教室が足りなくて、千五百人の学生の半分が入りきれずに廊下にたむろし、代用教員は右往左往、授業を始めようとする教師に対して、学生から教科書がないと抗議の声が起こる。新年度第一回の職員会議では「死ぬほど退屈な」校長の訓辞が一時間五分も続いてから、教師たちは「靴下を編んだり、新聞を読んだり、おしゃべりしたり、口説かれたり、花模様や幾何学模様を念入りに描き上げたり、卑猥な文句を紙飛行機で飛ばしたり」しながら議論と投票を行う。スタルノーネの所属するCgil(イタリア労働総同盟)の教師たちは、学校を改善するために会議を月二十時間から九十時間に増やす提案をするが、圧倒的な反発にあう。そのあとで、各種委員会、つまり「退屈さがナイフで薄切りにされ、じぶんたちの存在の無意味さが目に見えるような」組織の選定に移る。

八五年は高校での学生運動が活発化し、学校施設の整備、教師の不足などをめぐってストライキ、デモが行われた年でもある。しかし学生集会に出席する学生は少数だ。参加した学生は百人で、「他の千四百人のうち、どうせ学生集会だからと家に残っていたのが八百人。残りの五百人は普通に授業を受けるか、廊下で奇声をあげて追いかけっこしたか、ヘッドホンであるいは直接音楽を聴いていたか、教室でトランプ遊びをしていたか、コンドームのコマーシャルみたいな色っぽいポーズでキスを交わしていた」

実際に千五百人の生徒を持つローマ郊外の高校教師だったスタルノーネが、新聞「マニフェスト」の日曜版に当時連載していたこのコラムを読んで、無能な教師、非能率的な組織、無気力な学生の実状、一言でいえば教育現場の混乱ぶりに憤慨しながらそのカリカチュアに笑ってしまった読者も多かっただろう。どんなに職員会議や学生デモ、ストライキを重ねても、不合理な停滞状況がいっこうに改善されそうにない学校の外側の世界では、アメリカのリビア爆撃、アパルトヘイト反対運動、チェルノブイリ事故といった八五−八六年の社会事件が起こり、学校という小世界にもときどきその余波が及んでくる。

近代化の基礎となる社会制度のひとつとして学校はよく小説に登場する。デ=アーミチスの『クオレ』の小学校まで遡らなくても、エンリコ・ブリッツィのベストセラー『ジャック・フルッシャンテはグループを出た』(註4)に代表される八十年代の「青春小説」の多くが高校、大学を舞台としている。

しかし『教壇から』の特徴は、学生側からではなく教師の目から見た学校であること、そして深刻な状況を語るときでも、つねに「笑い」が生まれるような皮肉が込められていることだ。高校教師の日誌という形式でいえば、一九九九年に若くして亡くなったサンドロ・オノーフリの遺作『教室名簿』(註5)も同じようにローマ郊外の高校の一年間を記録した文章である。スタルノーネと同じく「左翼」系の教師として九十年代の若者と向きあったオノーフリもまた、現代社会の標準化、没個性化の趨勢における教育のあり方を模索して自問自答を繰り返す。経済優先の社会のなかで教師としての「アイデンティティの危機」を感じている点で、十年以上離れているにもかかわらず、両者もほぼ似たような課題を抱えていることが指摘できる。

しかし、スタルノーネは戯画化した自分自身の教師像を登場させることで、第一に自分を相対化する。題名の<Ex cattedra>という表現自体、本来のラテン語<ex cathedra>「(聖座から)権威をもって」を揶揄した意味「独断的に、もったいぶって」で使われているように、「スタルノーネ先生」は、有名詩人タッソについて生徒に質問しておきながらいざ聞き返されると答えに詰まるような国語教師、優等生からしきりに間違いを訂正されてしまうようなダメ先生なのである。

スタルノーネは基本的に「一人称」の作家であり、後に続く作品でもすべて主人公自身による「一人称」を採用している。しかも臆病、口べた、従順、優柔不断、几帳面さ、ぶざまな失敗といった「チャーリーブラウン的」性格や行動を特徴とする作家と等身大の主人公は、高校教師であるなしにかかわらず、作品が変わっても繰り返される。

自分を教壇上のピエロとして描いておいてから、スタルノーネは、学校を取り巻くさまざまな特権的言語をやり玉にあげて風刺する。こっそり授業を見回りに来る校長が速やかな授業運営を求めて出す官僚的な告示、それに対抗して職員組合が張り出す壁新聞、学生を研究対象扱いする教育学者の演説、カトリックの宗教教育を主張して授業に横やりを入れる神父、校長と業者の癒着を告発する臨時教員、新任教員から女子学生まですぐに手を出す女たらしの教師、教育面談で息子の不勉強をどうにか弁解しようとする父母、それらを描写するときの語り手の声は、思いがけない辛辣さを帯び、容赦なく笑いのめす。

それに比べて学生たちをからかう笑いはずっと優しい。学生運動を経験してきた教師スタルノーネと同僚は「感傷的な左翼」を自称し、学生集会に千五百人中三十八人しか集まらず、単なる馬鹿騒ぎとしか見えなくても、デモやストを口実に学生が授業をさぼっても、いつでも「学生たちの側」に立つという主張をは変わらない。

そんな寛容な教師がいらだちを覚えるのは、年が新しくなり時間が流れても学生たちはいつも「若い」ままなのに教師ばかりが年齢を重ねていく状況を考えるときであり、自分たち教師が学生に約束する「よりよい社会の実現」、「より幅広い文化受容の可能性」が、経済優先の現実にあっけなく覆されるのを感じるときだ。「詩の時間は終わりだ(夢物語はやめて)」というのが口癖でなにかと実利ばかりを持ち出す校長が、スタルノーネを呼びつけて密かに自分が書き上げた詩集を出版したいのだと告白する最後の場面は、いつも疎外された国語教師が復讐の歓びを味わう空想のシーンなのかもしれない。しかし、そこにあるのもまたほろ苦い笑いである。

「ほろ苦い笑い」

二十世紀イタリアを代表するユーモア作家のふたり、アキッレ・カンパニーレ、チェーザレ・ザヴァティーニがどちらもファシズム時代に活躍し始めたことを指摘して、「笑い」を意識的・無意識的な抑圧に対する反発とみなすこともできる。しかし、すべての表現が可能になった(あるいはそうみなされている)現在でも「笑い」を特徴とする書籍の数は減るばかりか増える一方である。

もちろん「ユーモア」や「コミカル」という表現がいわゆる「純文学」に対する下位ジャンルとして用いられる状況は以前と変わらないし、実際に書店に並ぶユーモア本の大部分がロベルト・ベニーニを代表とするテレビや舞台の喜劇役者であることも事実だが、「笑い」の要素が他のさまざまなジャンルと結びつくことは現代の特徴のひとつだといえるだろう。たとえば評論家ジャンニ・ブルケッタが列挙する雑多な分類をみても、比較的伝統的な「社会・政治・風俗風刺」から、「ユーモアポルノ」、「言葉遊びのシュールな笑い」、「B級ホラー的な笑い」、最近の爆発的なベストセラー作家アンドレーア・カミッレーリの「ユーモア推理もの」に至るまで複合的な作品を見いだすことができる(註6)。「笑い」の氾濫というより、あらゆる分野へのコミカルさが浸透し、かえって純粋な「ユーモア作家」「ユーモア小説」の輪郭はぼやけてきているといえるだろう。

スタルノーネの笑いの特質を考えるには、四歳年下のステーファノ・ベンニと比べてみるのがわかりやすいかもしれない(註7)。「マニフェスト」「クオーレ」など左翼系新聞や雑誌のコラム執筆から出発し、一貫して左派の立場から辛辣な風刺と笑いの物語を作り出す作家として二人はならべて引き合いに出されることがあるが、実際にその内容は対照的な違いをみせる。奇想天外な言葉遊びとSFファンタジーの世界のなかにイタリア社会のカリカチュアを描き出して、政財界・マスコミの有名人をやり玉にあげるベンニに対し、スタルノーネは、さえない高校教師の「わたし」を道化師役として登場させ、その困惑ぶり、とまどいのアイロニーを通じて日常のなかの不条理、不満を明らかにする。

「アイロニーの土台にはつねに現状への不満があると思う」と述べるスタルノーネは、その説明の例として学校を舞台とした笑い話を語る。教師が熱心にホロコーストの説明をした次の休み時間、黒板に「ローマファン、ユダヤ人」と書きつける生徒を見つけて厳しく叱る。ごく普通のその生徒はとまどいながら「先生がローマファンだとは知りませんでした」と答える。

アイロニーを共有できる聞き手であれば、この話に笑いながらも笑う自分を恥ずかしく思うはずだと、スタルノーネは考える。特定のサッカーチームのファンを罵倒するのは悪いと思っても、<ユダヤ人>という言葉を蔑称として使うことには抵抗を感じない生徒の無自覚な思いこみに対して、熱心な教師の教育がなんの効果もないことを認めていると気がつくからだ。理想に対し幻滅すると同時に新たな情熱をもかき立てられるという矛盾した感情が、解放的どころか刑罰のようなひきつった笑いの土台にある。したがって、アイロニーはまずなによりも自分自身に対するアイロニーでなければならない。スタルノーネが、状況の外側に位置するような三人称の語り手を拒否して一人称の語りを採用し、日常生活を物語の舞台とするのはこうした理由からだ。(註8)

こうした自嘲的な笑いを基調とするスタルノーネと比べると、ベンニの笑いはあくまで諧謔的であり、ときとして攻撃対象の人物がはっきりと特定できるくらい明確な戯画化がなされている。自意識が抱えるジレンマやためらいから生まれるぼやき型のユーモアと、揶揄や哄笑に溢れた誇張型コミカルさの違いといえる。だからといって、スタルノーネのなかに激しい怒りが爆発したり、ベンニがメランコリックな哀愁を示すことがないわけではないが、そうした性格の差はたとえば、たいてい教師の立場から子供を描くスタルノーネと、子供の目の高さから大人を観察するベンニの視線の違いにも反映しているように思える。


『棒高跳び』  二十年後の「感傷的な左翼」

八十年代の高校を舞台にした『教壇から』に続いて、スタルノーネは小説『棒高跳び』を執筆する。ここでも、語り手は高校教師だが、新聞コラムの連載をまとめたデビュー作とは違い時間的な奥行きをもった本格的な小説である。

物語は、語り手の旧友ミケーレが、二十年前にイタロ・カルヴィーノから受け取った手紙を勤務先の雑誌に発表しようとすることから始まる。政治活動をしながらカルヴィーノのような大作家になることを夢見ていたミケーレが、なぜ二十年も過ぎた今になって手紙を発表しようというのか、その出版をめぐる騒動のなかで、六十年代当時にイタリア共産党支部で活動をしていた男女七人の仲間が再び顔を合わせ、その手紙が偽物だと知る語り手によって、過去と現在とが交錯して語られる。

十七歳から二十四、五歳まで作家を目指していたスタルノーネは、自分に文学の才能がないと思って教師に転身、後に新聞への寄稿を通じて小説の道を再発見する。この点で、語り手とその友人ミケーレを作家自身と重ねてみることができるだろう。貧しい家庭出身の学生として参加した六十年代の政治運動は、退屈な会議、グループの女性への見栄の張り合いとなる勉強会、警察の目を逃れるための子供じみた変名による集会など人間関係のもつれのなかで、自らの知識の増加と政治理念の実現という当初の目標から、嫉妬と裏切りが連続する青春群像の一こまに収まってしまう。

こうした「感傷的な左翼」の仲間たちの現在と過去のあいだで騒動の焦点となるカルヴィーノの手紙とは、作家志望のミケーレが意見を求めて送った自作の小説についての返答である。自分の名前を書く勇気がなかったミケーレが友人である語り手の名前と住所を無断で使ったため、その返事は語り手のもとに届く。否定的な内容を知った語り手はミケーレを落胆させないように、ミケーレの妻アンナと共謀してカルヴィーノの手紙を捏造することになる。

当時の地方の若者にとってカルヴィーノは、手の届かない地位にある成功した作家、憧れの対象だった。その講演会「ビート族と<怒れる若者たち>」を聴きにいったミケーレが人混みのなかで自作の原稿を手渡せずじまいに終わるシーンは、そうした高低差を象徴しているともとれる。題名の「棒高跳び」の棒(アスタ)とは、アルファベットの土台となる線一本一本でもあり、その棒を使ってカルヴィーノのような高みまで飛び上がることが、ミケーレと語り手、つまりスタルノーネの世代の夢だった。偽の手紙で激励されたものの、結局ミケーレは小説から離れていく。そして、今になって「偽造」と知りながら出版しようとするかれの真意が最後に明かされ、思いがけない結末を迎える。

スタルノーネは、両親が読んでいた雑誌掲載の娯楽小説や、学校の図書館の十九世紀小説から別の読書世界へと目を向けるきっかけとなった作家として、カフカとカルヴィーノをあげている。二十代で小説執筆を一度断念した自分の過去についてのアイロニカルな物語である『棒高跳び』はその意味で、八十五年に亡くなったカルヴィーノに対するオマージュでもあるともいえる。だが、この小説に登場するカルヴィーノは、後の若い世代に大きな影響を与えた『パロマー』や『アメリカ講義』に代表される晩年ではなく、五十年代の『われわれの祖先』から六十三年『投票立会人の一日』にかけての左翼知識人としての作家の姿である。

女性、若者、こども、三つの「他者」

無教養な家庭の出身で、知識人になろうとしながら革命を目指した六十年代の若者たち、戦後の大衆教育の恩恵を受けた自分の世代を皮肉を込めて描いたこの小説には、語り手にとって不可解な世界が三つ存在する。ひとつは女性たちであり、ひとつはミケーレの息子エルネストと恋人デボラの高校生世代、そして、語り手の娘である幼稚園児マティルデとその遊び友だちカミッリの子どもの世界だ。

同志、恋人、(元)妻といった立場で現れる女性たちは頑固でしかも予測不可能な言動によって、ミケーレと語り手を振り回す。女性たちの世界に入り込めない男たちという構図はスタルノーネの小説によく登場するが、なかでもはっきりとそれが登場するのが九十三年の小説『熱意のあまり』である。語り手は、十年間同棲したアンジェラから別れたあと、一年前から友人宅に居候している。職場の同僚シルヴァーナが元恋人リッカルドを家から追い出すのを手伝ううちに彼女と仲良くなるが、どうも彼女の話には不審なところが多く、事態は奇妙な方向へ向かっていく。ちゃんとした仕事と家をもち、計画通りに他人を操る計算高い女性たちに比べると、「熱心すぎる」真面目で気の弱い語り手と行動力のある自信家のリッカルドは一見正反対の性格のようでありながら、最後には二人ともだらしのない根無し草の男であることが明らかになる。『棒高跳び』のなかで描かれる男女七人の恋愛沙汰においても、決定権を握っているのは女性の側であって、男性は彼女たちを追いかけて見当違いの行動をとるばかりである。

カルヴィーノの「偽手紙」が書かれた時点でアンナが身ごもっていたエルネストは、ミケーレらにとっての「期待の星」であり、革新的な家庭教育を受けて育ったはずなのに高校の成績はさんざんで、最後にようやく留年から救われるのも父親の旧友である語り手とその同僚教員の「政治的」介入のおかげである。しかし、ボッティチェッリについて教師に質問されて『ヴィーナスの誕生』のポーズをとったり、カフカの『変身』におけるグレゴール・ザムザの苦悩を熱演するエルネストの表現能力は、語り手とミケーレが若い頃に追い求めた文学という「言語表現」と同じくらい自立した独自の能力であるのかもしれないと語り手は考える。

エルネストたち若者の表現や文化に興味を示しながらも理解できないまま描写する語り手の視線は、優しい皮肉を込めて高校生たちを描いた『教壇から』とほぼ同じものだ。語り手にとってエルネストが理解できない世代だとすれば、さらに下の幼稚園児マティルデは、自分の娘ながら完全に異質な世界に属する。

想像豊かでおしゃべりが大好きなマティルデは、空想と現実の入り交じった会話で大人たちをまごつかせる。語り手はエルネストとデボラの仲介のおかげで、かろうじて子どもの世界をうかがうことができる。子ども二人が、空想上の悪者オッタヴィオ氏に二階から飛びかかろうと計画していること、そしてそのオッタヴィオ氏こそは父親である語り手に他ならないことが、国語教師である語り手にエルネストが提出した課題作文のなかであかされる。


『歯』 口腔学的記憶

その後、学校の現実を面白く風刺した『教壇から』のような作品をもとにした芝居や映画が製作され、コミカルな作家のイメージが定着した一方で、スタルノーネは『棒高跳び』や『熱意のあまり』のように、学校とは直接関係のない物語にも取り組んだ。

一九九四年の小説『歯』は後者のグループに属する。「エーゲ海の天使」で有名なガブリエーレ・サルヴァトーレス監督、セルジョ・ルビーニ主演で映画化された作品が昨年のヴェネツィア映画祭に出品された(日本未公開)。子どもの頃から人並み外れて大きな門歯に悩まされてきた主人公は、けんかした愛人に灰皿を顔面に投げつけられてその歯を折られ、痛む歯を押さえて次々に歯医者巡りをするうちに、痛みと鎮静剤の効果から過去のさまざまな記憶がよみがえる。

歯と記憶の関係性というテーマは、同じ頃書店に並んでいたプレスブルゲルの小説『歯とスパイ』(註9)とも共通するが、プタペスト出身のプレスブルゲルの作品が歴史的陰謀を背景とした「国際スパイもの」なのに対して、スタルノーネの主人公は平凡な中年男であり、愛人と元妻、子どもたちのあいだで振り回され、異様な嫉妬心のために失態を重ねてしまう日常生活の物語である。

抜け替わって新しくなる乳歯が再生とやり直しの象徴だとすれば、もう二度と生えてこない永久歯は取り返しのつかない大人の人生ということになる。愛人に砕かれた巨大な門歯の残骸、ぐちゃぐちゃの歯並び、膨れあがった歯茎、主人公の口をのぞき込む歯医者はみな同じように、疑いと好奇の目を向ける。どうやらその歯茎の奥には、再生の希望となる奇跡的な「第三の歯」が存在するらしいのだ。

主人公はやはり学校教師であり、『熱意のあまり』で描かれた男の嫉妬と感情の爆発はこの小説でも繰り返される。しかし強い印象が残るのは、かれの言葉への執着ぶり、音声言語に対する幼児的なこだわりである。歯を失った主人公はどんな発音ができなくなったか、どんな風に発音が変わるのかをいちいち試して、その様子を歯医者に披露してみせる。聴覚音声の記憶ではなく発声器官の記憶であり、そこから自分が子どもだったころの母親の姿が数々の擬態語・擬音語と共に浮かんでくる。


『ジェミト通り』

教師の目から見た学校生活、「感傷的左翼」世代の青春群像、男女の嫉妬と感情のもつれ、中年男性の肉体の衰えといったテーマに取り組みながら、スタルノーネはしだいに最初のアイロニカルな調子を弱める方向に進んできた。そのひとつの到達点が、昨年夏に発表された最新作『ジェミト通り』である。

スタルノーネが一九四七年から五七年まで、つまり四歳から十四歳まで住んでいたナポリの実在する通りを題名とするこの四百頁近い長編の中心的人物は、語り手の父親であるフェデリことフェデリーコである。生活のため鉄道員として働きながら、画家として認められるためには家族に犠牲を強いる高圧的な父親像が語り手によって回想される。これまでもスタルノーネが採用してきた「作家自身と等身大の語り手」による自伝的形式は、子供のころの家族とナポリを背景にしたこの小説でほぼ完全な形となったといえるだろう。『棒高跳び』にもこのような地理的要因と家族関係が見え隠れしていた(ミケーレの父親も鉄道員だった)が、『ジェミト通り』ほど正面から父親と息子の関係を扱ってはいなかった。実際、スタルノーネの父親も絵を描く鉄道員だったという。

語り手は、いつものスタルノーネの語り手同様、真面目で内気、臆病なくらいに丁寧な性格である。いつも攻撃的な自信家で、うまくいかないことがあればすぐに他人の欠点をあげつらって癇癪を起こす父親、話題の中心に自分がいないと気がすまず、そのためには嘘でもなんでも平気でつくような父親を前にして、少年時代の語り手はただただ「うろたえる」ことしかできなかったし、反抗した思春期を過ぎて大人になった今でも、距離をおいて冷静な判断を下すことができない。

そうしたとまどいのひとつが、父親フェデリが精魂込めて書き上げた自慢の大作『酒飲みたち』に関するものだった。完成した絵を見た母親ルジネ(ローザの愛称)が、ある人物の腕が長すぎると言い出して、フェデリは怒り狂った。はたしてそれはフェデリの言うように芸術的効果なのか、それとも誤りだったのか。そして妻に向かって手をあげたことは二十三年間の結婚生活でたった一度しかないと言い張る年老いた父親の言葉をどう認めればいいのか。父親の芸術家としての才能と母親との愛情が現実にどうだったのかという疑問は、解決をみないまま、最後まで語り手を悩ませる。

極めて自己中心的で暴力的なフェデリだが、困難と周囲の無理解にもめげず芸術へ情熱を注ぐ様子は、息子にとって魅力的だったことは否定できない。母親ルジネを思い起こそうとする語り手ミミ(ドメニコの愛称)の頭のなかによみがえるのは、いつも騒々しく大声を立てている父親フェデリの姿ばかりである。『歯』でみせたようなこまかな言葉へのこだわりは、ここではナポリ方言の再現、転記となって現れる。フェデリ、ルジネ、ミミといった愛称はもちろん、フェデリが投げつける罵倒語、卑猥語の数々はその激しい気性を生き生きと表現することに成功している。

『棒高跳び』では、女性、若者と子どもという「理解できない三つの存在」があったが、ここでは父親フェデリが語り手にとって理解できない存在であり、反発と抵抗を感じながらも興味と魅力を感じる対象である。そうした父親像と並ぶ『ジェミト通り』の重要な要素は、ナポリという街そのものである。最近の傾向としては、都市化・近代化の影響と、推理小説やSF小説のようなジャンルの普及のために、田舎よりも都会を舞台とする小説が多い。しかも歴史小説のように過去の街を描く場合をのぞけば、特定の都市としてよりも、無個性な大都会が描かれる場合が圧倒的におおい。そんな状況にあって、例外的にナポリは小説の舞台として頻繁に登場するという(註10)。

しかしスタルノーネの場合、もっと個人的な問題が絡んでいるように思える。作家は自分がよく知っていることについて書くべきだというスタルノーネの信念を考えれば、生まれ故郷のナポリや家族と周辺の人々を題材にした作品がもっと早いうちに書かれていてもおかしくなかったはずである。なぜこれだけ時間が必要であったのか。その説明は、十年前の『棒高跳び』に求められるように思われる。

この小説のなかで、ミケーレがカルヴィーノへ送って「時代遅れの四十年代の作品」と評された短編は、南部の町(おそらくナポリ)を舞台に身近な人々を取り上げた作品であった。自分の周囲の人間や事件を、文学からかけ離れたなにか、文学と無関係なものと考えてしまう態度、いわば文学に対するコンプレックスと、また文学を現実の世界ではまったく無力で意味のないものとみなす態度、文学のコンプレックスの両方を登場人物ミケーレが感じていたとすれば、それはまた作者スタルノーネにもある程度共有されていたと言える。その意味で、小説『ジェミト通り』を、コンプレックスを克服したミケーレが書いた作品だとみなすならば、この十年間は作者の分身であるミケーレの成長にかかった時間ということになるのではないだろうか。

(註1)Stefano Tani, Il romanzo di ritorno; Dal romanzo medio degli anni sessanta alla giovane narrativa degli anni ottanta. Mursia. Milano 1990 AA.VV., Altre storie: Inventaio della nuova narrativa italiana fra anni '80 e '90. Marcos y Marcos. Milano 1996. Filippo La Porta, La nuova narrativa italiana: Travestimenti e stili di fine secolo. Bollati Boringhieri, Milano 1995. Renato Barilli, E' arrivata la terza ondata: Dalla neo alla neo-neoavanguardia. Testo&immagine. Torino 2000.
(註2)タブッキについては『ユリイカ・特集アントニオ・タブッキ』一九九八年一月号、チェラーティについては竹山博英「チェラーティの変貌」同書二四八〜五四頁を参照。
(註3)スタルノーネの作品一覧 『教壇から』Ex cattedra, Feltrinelli, Milano 1989; 『棒高跳び』Salto con le aste, Fetrinelli, Milano 1989; 『黄金の印』Segni d'oro, Feltrinelli, Milano 1990; 『登録簿外』Fuori registro, Feltrinelli, Milano 1991; 『机の下で』Sottobanco, Edizioni e/o, Roma 1992; 『熱意のあまり』Eccesso di zelo, Feltrinelli, Milano 1993; 『歯』Denti, Feltrinelli, Milano 1994; 『尋ねられたときだけ』Solo se interrogato, Feltrinelli, Milano 1995; 『直線』La retta via, Feltrinelli, Milano 1995; 『ジェミト通り』Via Gemito, Feltrinelli, Milano 2000.
(註4)エンリコ・ブリッツィ、『狂った日曜日おれたち二人』 横山千里訳、講談社 一九九七年
(註5)Sandro Onofri, Registro di classe, Einaudi, Torino 2000
(註6)Gianni Burchetta, "Ilarità e paura, Romanzo comico: sette specie di comicità" in AA.VV., Tirature 2000, il Saggiatore/Fondazione Mondadori, Milano 2000, pp. 82-9.
(註7)邦訳に『聖女チェレステ団の悪童』、中島浩郎訳、集英社 一九九五年がある。
(註8)Conversazione con Domenico Starnone, Il sottile dispiacere dell'ironia, Omicron, Roma, 1996, pp. 52-3.
(註9)『歯とスパイ』、鈴木昭裕訳、河出書房新社、一九九七年。
(註10)Cfr., Giovanna Rosa, "Metropoli centro e periferia: vedi e Napoli e poi basta." in Tirature '01 L'Italia d'oggi, I luoghi raccontati, il Saggiatore/Fondazione Mondadori, Milano 2001, pp. 43-55.



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