この一月に、ジャンニ・チェラーティの短篇集『天然の映画』Cinema naturale(Feltrinelli)が出版された。収められた九つの作品は1984年から今日まで手直されてきたものだ。前衛路線を代表した七十年代から、七年間の空白の後ミニマリズム風の短編へと方向転換したと言われるチェラーティだが、個人的には「手がかりが多すぎて正体のつかめない作家」というイメージがあった。
孤高の作家でもなければ、寡作というわけでもない。多くの創作作品以外に、英米文学教授として西洋の伝統における小説と笑いと虚構の関係をたどった評論『西洋の虚構』があるし、翻訳した作家にはセリーヌ、メルヴィル、スタンダール、スィフト、バルト、ヘルダーリンの名前が挙がる。70年代初めにカルヴィーノや歴史家カルロ・ギンズブルグらと企画した幻の雑誌「アリ・ババ」は有名であり、最近ではイタリア内外の短編を集めた雑誌『センプリチェ』の編集に携わるなど、活動範囲も幅広い。
そんな先入観に身構えがちだったのが、今回はすんなり読むことができた。それぞれ雰囲気が微妙に異なる物語の共通項として、一種の「異郷体験」を指摘できる。
アメリカを初めて訪れたイタリア人教師、有名教授に論文指導を受けるため外国へ留学した二人の学生、砂漠で聖人となろうとした元看護士、アフリカへ精神治療を受けに行った二人組、幻聴に誘われて人生を棒にふった医者。主人公たちは母国や家庭、職場を離れて、ごく日常的に異世界を受けとめるうちに、本来の故郷を喪失して放浪状態へと入り込んでいく。
一方でその体験を「物語る欲望」が支えている。現代の都市伝説を思わせる語り手は、時に人物と一体化し、注釈したりうわさ話の陰に隠れたり自由自在にふるまう。友人を楽しませるためのほら話のような短編のなかに、無国籍ロードムービーの断片として、人々の足元に潜む虚しさと不条理が投影されている。
Gianni Celati, Cinema naturale, Feltrinelli, 2001.