イタリアの風刺漫画作家としてすぐ思い浮かぶのがアルタンとスタイーノだ。同年代で(二才年上のスタイーノは1940年生)、いろいろな新聞、雑誌で目にする大ベテランのふたりは、どちらも左翼の立場から不透明な現代イタリアの政治界や世相を笑いのめす。しかし描線はもちろん、形式や諷刺のスタイルなどどれをとっても正反対なくらい異なっているのが面白い。
この夏同時期に出たふたりの作品集を見ればその違いは一目瞭然だ。アルタンの『無気力な年月』Anni frolli (Einaudi)がひとりかふたりの人物が辛辣な台詞を口にする「一齣漫画」なのに対し、セルジョ・スタイーノ『ボボの小説』Il romanzo di Bobo(Feltrinelli)はさえない中年男「ボボ」を狂言回しとする数頁の短編漫画である。政治風刺の強烈な毒気だけでなく、時には純粋な想像力を解放させるアルタンが、白地に赤い斑の犬「ピンパ」の冒険のような子供向け作品まで様々なキャラクターを生み出す一方、スタイーノの作品には作者と等身大のボボがいつも登場する。肥満体ぎみで髪は薄く、丸い鼻に度の強い眼鏡をかけたボボは、タブッキが序文で指摘するように「誇り高く、理想を求める人間」だ。ペルー出身の妻ビビ、生意気で冷めた子供ふたりの家族をもつかれが、日常生活に現れる人種差別や司法・政治の歪み、価値の崩壊といった問題に現代のドン・キホーテよろしく立ち向かい、決まって挫折を味わうところにほろ苦い笑いが生まれる。
身近な生活から出発しながら、コソボ内戦、タリバンの女性差別などの国際問題まで関心を寄せ、左翼政党の混乱にいらだつボボは、「チームを失ったサポーター」のようにとまどう左派知識人像の自嘲的な戯画化である。連載されていた左翼民主党系日刊紙「ウニタ」廃刊の危機を皮肉ったエピソード(「ウニタ」を読むボボの隣で、みんな残念がりながら他の新聞を買ってゆく)など、その典型と言えるだろう。
Francesco Tullio Altan, Anni Frolli, Einaudi 2001; Sergio Staino, Il romanzo di Bobo, Feltrinelli, 2001.