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図書新聞2000/07/01
書評イニャツィオ・シローネ『葡萄酒とパン』白水社

ピランデッロ、ズヴェーヴォなど評価が遅れた作家はイタリアでも珍しいことではない。しかし、イニャツィオ・シローネの場合、国際的な知名度と国内の批評の冷淡な反応との落差は大きく、「シローネ事件」とさえ言われた。亡命という特殊な状況で国外での翻訳の出版が先行したこと、戦後国内の出版も遅れがちであったことを考えれば、内外の知名度の差は当然だった。しかし帰国直後の政治活動から身をひいたシローネがふたたび文学作品を発表するようになっても、文学界での認知はなかなか進まなかった。作家に対する肯定的評価が一致するのは六十年代の半ば、それも自伝的エッセイと物語のアンソロジー『非常口』や戯曲『ある哀れなキリスト教徒の冒険』といった小説以外のジャンルについてだ。

小説家シローネへの評価が遅れた遠因のひとつに、五十年代のリアリズム論争があった。ファシズム下で権力の抑圧と搾取に苦しむ貧農とその社会意識の目覚めを描いた処女作『フォンタマーラ』が国内で出版された四十七年には「ネオレアリズモ」のレッテルが肯定的に作用したとしても、同じく亡命時期に執筆された『パンと葡萄酒』を改訂した『葡萄酒とパン』が出版された五十五年当時は、社会主義リアリズムを標榜する共産党系の批評によってほとんどのリアリズム小説が酷評されていた。スターリン体制を批判して三十年にすでに共産党を離れていたシローネにより厳しい非難が向けられのは当然だった。

また他方では、ネオレアリズムのもつ内容偏重と道徳重視の傾向、言語の透明性の過信に対する批判が起こり、実験的な言語革新を目指す新前衛派の登場が準備される。ファシズムの華やかなプロパガンダと社会から孤立した「純粋芸術」のレトリック重視に反発を感じていたシローネにとって、文学はあくまで単純で明快な真実と倫理的メッセージを「伝える」手段であり、それ自体を目的とする審美的対象ではありえなかった。かれは個人を抑圧する権威・制度に反抗し、抽象的な「文学性」や文学制度より、葡萄酒とパンのような具体的な事物そして人間自身を優先させる。率直な表現へのこだわりは、文学的技法や理論に対するかれの無関心さとして、批判の対象になりやすかった。『フォンタマーラ』の序文で、理解を優先するためあえて登場人物たちに方言ではなくイタリア語で語らせたとと述べているように、言語レベルでのリアリズムにもこだわらない。そこから「翻訳に向いた」文学性の低い作品という非難も生じた。

リアリズムの呪縛から離れて小説『葡萄酒とパン』を考えると、自伝的要素がいっそう強く感じられる。幼い時に地震で家族を失い、カトリックの教育を受けながらも社会主義に共鳴して共産党員となり地下活動と亡命を余儀なくされた主人公ピエトロ・スピーナの生い立ちは、シローネの自画像といえる。かれは反政府運動を組織するため密かに故郷へ戻ってきたが、当局に隠れて療養するため、神父に変装して山村ピエトラセッカに滞在する。そこで不満を抱きながら現状を甘受する農民を知り、ファシト政府に追従するブルジョワ階級に嫌悪を感じながら、スピーナはローマへ行き、弾圧に苦しむかつての運動仲間に再会する。党の方針に逆らって除名され、個人的に反政府活動を続けようとするスピーナが体験する精神的危機は、亡命先のスイスで共産党と訣別文学へ向かった作家の葛藤と重なる。アブルッツォの純朴なキリスト信仰と社会主義精神とを融合させて「党に属さない社会主義者、教会に属さないキリスト者」と自称したシローネの象徴的な分身がスピーナの神父姿だといってもいいだろう。ファシズムそして共産主義というふたつの全体主義に反抗して人間性を擁護する主張が、感傷やアイロニーを交えて描かれているように思える。

ところが最近になって、こうした従来のシローネ像を根底から覆す文書が発見された。ほぼ二十年代全般にわたってファシスト警察のスパイとして、ヨーロッパ各地の地下運動やソビエトの内情を報告していたという。より衝撃的な第二の「シローネ事件」ともいうべきこの疑惑は、生誕百年を迎えた今年になっても決着はつかず、議論がつづいている。スパイであったならなぜ共産党を離れたのか、なぜこれまでスパイとして名前がでてこなかったのかなど疑問はつきない。地震で家族を失った十五才のシローネに被災地で出会い、父親代わりとして面倒をみていた警察官が、かれと連絡をとっていたと伝えられる。

組織は必ず堕落すると主張し続けたシローネに向けられたスパイ容疑は中傷なのか、あるいはスパイの体験はかれが内面に抱え続けた「厳しい現実」だったのか。この疑惑が事実だとすれば、著作全体がまったく新しい角度から検討されることになるだろう。たとえば『葡萄酒とパン』のなかで、神父姿のスピーナに向かい、自分は警察のスパイだったと「懺悔」した後で逮捕されて獄死する学生ムリカは、スピーナと対になった、作家のもうひとつの隠れた投影像なのかもしれないのだ。


Ignazio Silone, Romanzi e saggi, I, II, Mondadori, 1999.
イニャツィオ・シローネ『葡萄酒とパン』斉藤ゆかり訳、白水社、2000年

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