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図書新聞1998/07/11
台所で思い出すこと——クララ・セレーニ『家事中心主義』

「牛乳スープ <材料>牛乳・米・バター・パルメザンチーズ・塩 <料理法>塩を加えた牛乳で米を煮る。バターとパルメザンチーズで調味する」

あるいは、「玉ねぎオムレツ <材料>玉ねぎ四つ・卵四個・レモン汁・ニンニク・塩 <料理法>レモン汁を加えた油で薄切りにした玉ねぎを焦げないように注意深く弱火で火を通す。オムレツが柔らかくなるよう、完全に固まる前に火からはずす」

こんな単純な料理をみると、イタリア料理は基本的に素朴であって、およそ洗練からはかけ離れているのだと思う。「おふくろの味が一番」という<男性的>信念が現在どれほどイタリア人のなかに残っているのかは分からないが、地味な家庭料理が土台にあるのは確かだ。

一方で、女性の側からすれば、それぞれの料理は母親からの伝承であったり、伝統への抵抗として記憶に残されるものでもある。料理本が氾濫する以前、ひとつひとつのレシピが個人的な体験と発見に結び付いていたことは想像がつくだろう。

最初に挙げたふたつのレシピは、クララ・セレーニの『家事中心主義』(Casalinghitudineという変わったタイトルは1987年の出版当時にできた造語らしい)に登場する。セレーニの自伝であるこの小説は、戦後生まれのユダヤ系イタリア人女性の家族史的な回想録(セレーニは1946年生まれ)で、それぞれの記憶を結ぶ中心となっているのは数々の料理である。だから、厳密な年代を追って展開するのではなく、「離乳食」「軽食」「プリモ」「セコンド」「卵料理」「野菜料理」「菓子」「保存食」と題された各章ごとに、いくつものレシピと料理にまつわるエピソードが混じり合う。たとえば、農業史・経済史の学者であり大臣の役職にもついたイタリア共産党員であった父エミリオとの確執、夫の家族のもとで過ごしたクリスマスから新年にかけての日々、一人の男性を取り合ったベアトリーチェとの同居生活、そうした体験が、料理法を説明する際と同じ具体的で簡潔な文章で語られる。

だから、これらのレシピは他人が料理を再現することを助けるものではない。書き残す必要もないほど身についた料理のレシピとは、思い出を呼び起こすためのシンプルな触媒であって、他人を意識したマニュアルとは対極にある。読者に求められているのは料理を再現することではなく、語り手と共に想起することなのだ。


Clara Sereni, Casalinghitudine, Einaudi, 1987.

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