←前項へ 一覧に戻る 次項へ→

図書新聞1996/12/14
決まり文句の使い方——ルチャーノ・サッタ『どの法?』『温水の発見』

イタリア語学習者にとって頭痛の種のひとつに動詞の「直説法」と「接続法」の使い分けがある。もちろん文法書には、直説法は客観的な事実を、接続法は希望や想像など主観を表現するときちんと説明してあって、話し手の微妙な意識が伝わるために大切な叙法の区別なのだが、接続法を適切に使うのは実際難しい。ルチャーノ・サッタの『どの法?−接続法の使用と乱用』(94年・ボンピアーニ社)は、作家の文章を例にとり接続法の使い方を逐一教えてくれる便利な本だ。

このサッタが同じような調査を決まり文句について行なった結果が『温水の発見−イタリア語の常套句辞典』(90年・同社)で、テレビ・新聞・小説・エッセイなどから決まり文句が集められている。なかには「馬から落馬」式の冗長さを持つものもあれば、サッカーのワールドカップの際に急増したという「公式飲料、公式ミネラルウォーター、公式チーズ」の「公式○○」なんてのもある。サッカーや自転車の関係が多いのはいかにもイタリアらしい。

安易な常套句の乱用には非難的なサッタだが、コミュニケーションを安定させるその役割もじゅうぶん評価している。珍しさや新しさから好んで使われ、よく使われるがゆえに陳腐化する決まり文句は、言語表現一般のたどる運命を端的に表しているようだ。意識的に常套句を利用する作家の文章を読むと、独創性とは陳腐さから逃げ出すことではなく、それとうまくつきあっていくことにあることが分かる。逆に陳腐な常套句から距離を取ろうとして使われる「いわゆる」とか「よく言う...」といった表現は、皮肉なことにそれ自体が常套句となってしまう。。

翻訳の際にも、表現の陳腐さを移し換えること、つまり同じ程度に陳腐な表現を見つけることが要求されるだろう。では、周知のことを吹聴する態度を皮肉に表現する「温水を発見する」(陳腐さへの皮肉)にあたる日本語の決まり文句はなんだろうか、これは翻訳者にとっての頭痛の種のひとつだ。


Luciano Satta, Alla scoperta dell'acqua calda, Bompiani, 1990; Id., Ma che modo, Bompiani, 1994.

←前項へ 一覧に戻る 次項へ→