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図書新聞2002/06/01
五人の書き手が合体してひとりの作家に——无名wu ming『54』

近代小説が個人主義的な産物だとしたら、複数の執筆者による作品をめったに見かけなくても不思議ではない。あえて挙げればエラリー・クイーンのようなミステリ系(イタリアでは古くは『日曜の女』のフルッテーロ&ルチェンティーニ、最近はシンガーソングライターのグッチーニとミステリ作家マッキャヴェッリのコンビ)がほとんどで、それも三人以上の例はまず記憶にない。

600頁を越える長編『54』(エイナウディ社、2002年)は、五人の共同製作という珍しい形式をとる。このボローニャの若手グループは、「商業目的でないかぎり、個人的利用のための部分または全体の複写、電子的頒布を<許可する>」との但し書きが示すように著作権を一部放棄して、作家の神話化を拒む意思表明として無名を表す中国語「无名」を集団ペンネームに選んだ。その挑発的な政治・文学的立場についてはサイトhttp://www.wumingfoundation.com/(英語版あり)を一度見てもらいたい。

 冷戦時代の国際情勢(マッカーシズムのアメリカ、ソビエトの新生KGB)から、ナポリのチンピラ、ユーゴで行方不明の父親を捜すボローニャの少年まで、時間軸に沿って1954年がさまざまな人物を通じて再現される。大量の史料をもとに、奇抜な仮定(ハリウッド俳優ケイリー・グラントがユーゴのチトー大統領と会っていた)をつけ加え、歴史に埋もれたミクロな個人の物語と国際規模の謀略(スパイと麻薬取引)のパッチワークを織り上げる手腕は見事だ。

映画のエンドロールのような末尾の謝辞は、小説の集団創作という可能性をかいま見せる。シュールリアリズムの自動筆記にウリポが数学的厳密さを対置させたように、ここではリレー小説の散漫なランダムさの代わりにグループ内の緊密な協力と調整が作用しているようだ。ミステリとサスペンスが複数の物語(と複数の書き手)を結びつけ、実験性のなかにも「お話」の楽しさを新しい形で提示している。


Wu Ming, 54, Einauidi, 2002.

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