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図書新聞2002/07/13
家族に反映する社会の不安定さ——パオロ・ディ・ステーファノ『揺れ動く家族』

昨年2月ピエモンテ州の町ノーヴィ・リグレで、16才の少女が2才年上の恋人と共謀して自分の母親と12才の弟をナイフで惨殺した。食い違う二人の供述は二転三転し、交際を母親に咎められたからという動機は曖昧なままで、薬物使用の疑いまで浮上する。さらには逮捕後の少女と文通で知り合ったという新しい恋人のテレビ出演騒動が持ち上がるなど、大きな社会的反響を起こした事件である。今の家族事情を考えようとすれば、どうしてもスキャンダラスな事件に目がいってしまい、かえって「普通の」家庭の姿を見つけるのは難しい。

作家パオロ・ディ・ステーファノによる新聞連載のルポタージュを収録した『揺れ動く家族』(La famiglia in bilico、Feltrinelli社、2001年)では、ローマ、ナポリ、ミラノなど大都市から地方の町までイタリア全国から十の家庭を対象にして、インタビューに答えるごく普通の親子関係が描かれている。家族のやりとりを忠実に転記し、家の中の品物を記述することに徹している控えめな語り手は、まるで固定されたカメラによるドキュメンタリーのようだ。

経済・住宅・地域環境によってそれぞれが固有の悩みを抱えていても、共通するのは、つけっぱなしのテレビと人気アイドルのポスター、プレステに携帯、ブランド物の服とスニーカーのような品々だったりする。そして政治や宗教、家庭観についての質問に反応して、よそ行きの態度の裏側がかいま見える(と思えたりする)ときもあれば、息子からの思いがけない尊敬の言葉にどぎまぎする父親がいたり、喫煙や交友関係、将来の進路をめぐって当然のように世代間の対立の火花が散る。ノーヴィ・リグレの家庭にしても、事件が起こるまではこうした当たり前の家族関係だと周囲も本人も思っていたのかもしれない。

読んでいくにつれてなにか普通の家庭なのかという意識は脇に追いやられてしまう。書き手は家族の内部を掘り下げるのではなく、表面的な言葉と淡々とした描写を連ねることによって、家族をとりまく外部、つまり現代社会の不安定な姿をその表層に反射させようとしたのではないか、そんな印象を受けた。


Paolo di Stefano, La famiglia in bilico; Un reportage italiano, Feltrinelli, 2001.

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