国際的な記号論学者であると同時に、ベストセラー『薔薇の名前』の著者であるウンベルト・エーコには、週刊誌『エスプレッソ』の名物コラムニストという第三の顔がある。その時々の出来事を取り上げて、時にいらだたせ、笑わせ、考え込ませる独特のユーモアは実に十五年以上も読者を愉しませている。耳慣れない哲学用語も博覧強記の迷宮もない、わずか一頁のコラム「ミネルヴァの知恵袋」は、大多数の読者にとって一番身近なエーコの文章である。
題名の「ミネルヴァ」とは、ふとした思いつきをメモ代わりに書き留めたマッチ箱の銘柄に由来するもので、そこに詰め込まれた着想からは、「ささやかな日誌」(邦訳『ウンベルト・エーコの文体演習』)の文学パロディやパスティーシュ、オンライン雑誌『ゴーレム』に引き継がれた言葉遊び、評論集「道徳的五つのエッセイ」(邦訳『永遠のファシズム』)など多彩な作品が誕生した。時事問題や現代性にこだわらないといいながら、その鋭い考察や逆説的な指摘はしばしば大きな社会的反響を引き起こす。
本書『ミネルヴァの知恵袋』は、九十年代に書かれたなかから百四十八編を選んで八つのテーマごとにまとめたものだ。
前半は、広く政治社会、風俗全般に関するもの。湾岸戦争やコソボ紛争における国際介入の是非をはじめとして、アメリカの死刑制度への非難、そのポリティカル・コレクトと禁煙運動に対する辛辣な揶揄、レジスタンスやホロコーストをめぐるイタリア国内の歴史修正主義や右翼運動への批判、スパイ騒動、政治家の不正、爆弾事件、プライバシーと裁判のTV中継の問題、ダイアナ王妃やクリントン大統領のスキャンダル、映画「タイタニック」のヒットや悪魔崇拝ブームの原因に至るまで、硬軟入りまじった話題が鮮やかに論じられる。
その特徴は、常識を土台にした判断の積み重ねにある。「正しい戦争」はありうるか? 裁判のTV中継はなぜ憲法違反か? 小児愛好への抗議デモの真のメッセージは何か? 爆弾を仕掛ける理由はどこにあるか? 政治スキャンダルや凶悪な殺人事件を前にしてもヒステリックに道徳家ぶることなく、むしろ皮肉っぽい安楽椅子探偵のように冷静に議論を進めるエーコの手にかかると、あたりまえの常識がきわめて鋭い分析に変貌する。しかしその目的は、直接の犯人を探したり、事件の裏側に陰謀の匂いをかぎつけるのではない。現状を正しく認識し、合理的な方法で地道に改善していくことだ。たとえば、現在ヨーロッパが直面している大量の移民流入は、単なる移住ではなく、むしろローマ帝国の崩壊をもたらした歴史的「民族大移動」と同じ地球規模の不可避な現象なのだと歴史的判断を下しながら、異文化、異民族の共生の可能性、寛容の教育の問題を考察する。
知識人は感情的に騒ぎ立てずに長期的な分析と判断をするべきで、またそれを万能のコメンテーター扱いする傾向も間違いだとエーコは考える。「家が火事の時に、知識人にできる行動は一般人と同じだ」という一見シニカルな発言をしているエーコ本人が、なにか事件が起きるたびにコメントを求められるのも皮肉かもしれないが、かれが世間から良識的な判断を期待され、その期待にきちんと応えている第一級の知識人であることもまた事実なのだ。
後半、書物とハイパーテキスト、マスメディアとジャーナリズム、文学と芸術というテーマが登場する。
本の将来をめぐる議論で引き合いに出されるのが、インターネット上で見たという画期的記憶装置Bilt-in Orderly Organized Knowledge、略称Bookの広告だ。コード、バッテリーは一切不要、スイッチも電子回路もなくポータブルで、あらゆる場所で使用可能、何千ビットもの情報をもつナンバリングされた用紙は装丁のなかに収納されている。各頁は視覚的にスキャンして脳に直接記録でき、ブラウズは指一本で自由自在、付属のユーティリティ「インデックス」に加え、オプションとして「ブックマーク」が用意されている。
このジョークが示すように、書物は車輪や自転車と同様に人間工学に則した発明であり、改良の余地がないというのがエーコの主張である。辞典のような「参照する」本はともかく、「読む」本はCD-Romで代用することはできないし、出版・印刷の形態が変化しても本という形式は残るだろうと予想する。
では、その内容である伝統的小説、閉じた物語は、ハイパーテキストによる開かれた物語によって駆逐されてしまうのか? これにもエーコは否定的だ。ハイパーテキストが自由と創造性を刺激するのに対して、結末が変えられない「不自由な」物語は、運命を変えたいという欲望が不可能だと教えてくれる。人はこうした物語を通じて、未来を知らないまま人生を受け入れることを学びとるものなのだ。
全体を通して読むと、その知的な諧謔ぶりのなかに、さまざまな現実認識の誤りに対する批判的精神のいらだちが感じられる。一見愉快に見えるショート・ショートやジョークも不透明な現代社会を考察するための「真剣な遊び」であって、本書全体が、深刻さと笑いを同時に伝える優れた文明批評として成立している。
Umberto Eco, La bustina di Minerva, Bompiani, 2000.