通貨統合を果たしたEU諸国が実は「言語統合」の野望も抱いていたというのは冗談だが、ブリュッセルのEU事務局で通訳を務めるディエゴ・マラーニがザメンホフのエスペラントをもじった人工言語「ユーロパントeuropanto」を始めたのは本当だ。母国語に自分が知っている外国語(英・仏・独・西・伊…)を散りばめた不思議な多国語混交表現で、「学ばなくてもヨーロッパ全土で理解できる唯一の共通語」であるとマラーニは主張する。これはジョイスばりの言葉遊戯であると同時に、加盟国の公用語を「すべて」公用語として受け入れるEUの混沌とした言語状況を反映しているようでもある。
マラーニが三月に発表した小説『通訳』(ボンピアーニ、2004)は、そんな複数言語の裂け目に落ち込んで破滅する男の物語だ。スイスにある国際組織で働いていた語り手は、一人の通訳を解雇する決断を下す。その通訳は、同時通訳の場から理想言語、失われたアダムの言葉を導き出す妄想にとりつかれ、奇妙な言語障害に陥っていた。通訳が立ち去った後、主人公自身も似たような障害に悩まされて職場を追われる。入院先ではマッドサイエンティスト風の医師が言語学習による治療法を実践していた。このクリニックの場面は秀逸である。患者の症状によって古今東西の言語の授業が行われ、主人公には母語フランス語が禁止されると同時になぜかルーマニア語学習、そしてドイツ語の補講が処方される。現在、芸術療法のような形で「語学療法」が成立しているかどうか知らないが、外国語学習による精神的影響は大きいだろう。小説の後半、残されたメモを手がかりに「通訳」を追跡する主人公は、東欧・北欧諸国を放浪した後でようやく再会を果たし、事件の真相を悟る。
通訳たちに対して違和感を抱いていた主人公は、皮肉なことに自分も通訳として働くようになる。一般人からみれば通訳は不可思議な異能力、一種の奇癖のようなものだが、いつか自分にその症状が現れないとは限らない。単一言語の幻想に安住するのはなかなか難しい。
Diego Marani, L'interprete, Bompiani, 2004.
ディエゴ・マラーニ『通訳』橋本勝雄訳、東京創元社、2007年