高校を卒業して故郷リミニを離れたフェリーニが、映画業界に関わる以前の数年間、ローマで似顔絵や風刺漫画を描いたりラジオ脚本や雑誌原稿を書いて生計を立てていたことは知られている。独特のタッチと鮮やかな色彩で描かれた絵コンテやスケッチを見れば、画家としての腕前は明らかだ。一方、クラウディオ・カラッバ編『ユーモア短編集』(エウナウディ、2004)は、フェリーニが1939年から1942年にかけて風刺雑誌『マルカウレリオ』で発表した作品を収録している。その「ユーモア」とはいったいどんなものだろうか。
雑誌編集部の一員となった体験を戯画化した冒頭の「入ってもよろしいでしょうか」には、自分自身を虚構化するフェリーニらしさが感じられる。架空メーカー「ポップ」の製品について皮肉めいた宣伝をする「広告小話」(ためらっていた死刑囚がギロチンの刃がポップ製と知ると喜んで首を差し出したり、溺れている人がポップ製の救命胴衣でないと救助されることを拒んだりする)や、世界各地に出没しては人の行為を自作の剽窃だと弾劾する作家ポンペルモ氏シリーズは、シュールなおかしさが特徴だ。恋人や両親、ショーの芸人たちに語りかける「ねえ、僕の話を聞いている?」シリーズは後の映画『寄席の光』『女の都』で登場する寄席芸人や女性像を先取りしているし、「第二高校」で回想される高校時代のエピソードには『アマルコルド』と共通する登場人物がでてくる。後の監督フェリーニが取上げるテーマがほぼ出揃っていると言えるかもしれない。
しかし1940年はファシストイタリアが第二次世界大戦に参戦した年である。もちろんコミック雑誌であっても抑圧を免れてはいなかった。鋭い皮肉というより自虐的笑いと黄昏派風の感傷に満ちたフェリーニの文章が当時の体制からは軟弱と批判されて検閲を受けたこともあったし、当時の風潮を反映して英首相チャーチルをからかう小話も書いた。1943年9月のムッソリーニ政権崩壊と同時に、この雑誌も幕を閉じることになる。
Federico Fellini,Claudio Carabba (a cura di), Racconti umoristici, Einaudi, 2004