二〇〇一年九月のニューヨーク同時多発テロとアフガン爆撃以来、イタリアでも異常な緊張状態が続いた。クリスマスを過ぎて年が明けるころにはある程度「平常」化に向かったが、こうした国際情勢が、書店の好調な売り上げにつながったという説がある。海外旅行が控えられて自宅で過ごす時間が増えたため、人々が書店に足を運んで、現代社会の解説書や重苦しい現実を忘れるファンタジーを買い求めたのだという。たしかに二〇〇二年前半の売れ行きランキングを席巻したのは、ニューヨーク在住のジャーナリスト、オリアーナ・ファラーチの過激な政治的パンフレット『怒りと誇り』であり、ファラーチの好戦的な西洋中心主義に反発して平和と寛容の精神を説いたティツィアーノ・テルツァーニ『反戦書簡』だった。ニューヨークからアメリカの動向をレポートしたジャンニ・リオッタ『N.Y. 九月一一日』、戦場外科医としてカブールでの救済活動を描いたジーノ・ストラーダ『ブスカシ』など、テレビや新聞などのメディア情報だけではない「現地からの声」を読者が求めていることがうかがわれる。厳しい状況のパレスチナにおける青春群像を描いたランダ・グハジーの小説『パレスチナを夢見て』は、エジプト人の両親を持つミラノ在住の女子高校生が作者だったこともあり話題となった。テロをきっかけに、パレスチナ問題や各地の紛争対立も含めた国際関係に高い関心が集まっている。
逆に不安定な現代社会からの逃避あるいは反動として人気を集めるファンタジーの筆頭といえば、もちろんハリー・ポッターシリーズと指輪物語になる。イタリア国産の娯楽小説としては、七七歳のミステリ作家アンドレア・カミッレーリのモンタルバーノ警部シリーズだろう。いまやミステリーの定番としてモンダドーリ社のメリディアーニ叢書に収録されるほど、「現代の古典」的地位を確立した。シリーズ最新作『モンタルバーノの恐怖』の他、朗読CDも出される人気ぶりだ。カミッレーリは推理小説だけでなく、空想歴史小説『ジルジェンティの王』で二〇〇二年度モンデッロ賞を受賞した。その他のジャンル小説では、喜劇役者ジョルジョ・ファレッティによる初のミステリー『俺は殺す』が、モナコ公国を舞台とした連続殺人を扱った七〇〇ページ近い大作ながら秋以降の人気作品となった。ヴァレリオ・エヴァンジェリスティの歴史SF小説『マテル・テリビリス』は、中世の異端審問官ニコラス・エイメリッチを主人公としたシリーズ最新作だ。ジャンヌダルクとジルドレの物語を挟むように複数の時代を重ねながら、閉ざされた独自の世界を構築している。
時事問題の解説と娯楽に挟まれて苦しい「一般小説」で目立ったのは、前半はストレーガ賞受賞作であるマーガレット・マッツァンティーニの『動かないで』、後半はアレッサンドロ・バリッコの『血を流さずに』だ。女優であるマッツァンティーニは、九四年に祖母を回想した『ブリキの盥』で作家としてデビューしている。今回の『動かないで』は、語り手である外科医が勤務する病院に、交通事故に遭った娘が運び込まれる場面で始まり、昏睡状態の娘に対して父親がそれまで内面に隠してきた自分の過去を吐露する独白が中心となる感情小説だ。バリッコは、二月に発表されたグローバリズムをめぐるエッセイ『ネクスト』でも大きな反響を呼んだが、小説としては『シティ』以来三年ぶりの新作。複数の物語が交錯する複雑な語りだった『シティ』とは対照的に、今回は文体も物語もシンプルな作品になった。人里離れた農場を謎めいた男たちが襲撃し、床下に潜んでいた少女一人だけが生き残るという暴力的なシーンが続く前半部で、長い年月が過ぎた後半では、かつて隠れていた彼女を見つけながら見逃した若者だった男と、大人になった少女との出会いが描かれる。人名・地名はスペイン風ながらはっきりと断定されない世界で、内戦から引き起こされた暴力の連鎖をめぐり、映像的なシーンが巧みな文章によって語られる。
その他目についた作品を列挙すると、アンドレア・デ・カルロ『本当の名前』、セヴァスティアーノ・ヴァッサッリ『ドゥクス』、ジュゼッペ・クリッキア『ほとんどみんな自由』、シルヴィア・バッレストラ『真夜中の友』、エルマンノ・カヴァッツォーニ『役立たずの作家』。少々変わったところでは、五人による集団ペンネーム「ミン」の『五四』は、国際的事件から少年の成長までのいろいろなレベルの物語を絡めて一九五四年を浮き彫りにした歴史小説だ。
「新人」と言うには適当ではないかもしれないが、著名な現代文学研究者アルベルト・アソルローサが『新世界の夜明け』を発表した。三三年生まれの作者が、記憶をテーマに、ファシズム時代末期から第二次大戦、パルチザン戦争、イタリア解放の一九四五年までの少年期を回想した自伝的小説。小説『嵐を願っていた』でデビューしたリーザ・ギンズブルグは、歴史家カルロ・ギンズブルクの娘で、小説家ナターリア・ギンズブルグの孫にあたる。詩集としては、グループ六三の代表的詩人エドアルド・サングイネーティの詩集『狼猫』が出版された。八一年から二〇〇一年まで二〇年間の集大成で、バグッタ賞を受賞している。
全体として、本来の意味でのフィクションより近代史や現代社会を題材としたルポタージュや社会批評が目立った。一九四四年ブタペストでスペイン領事になりすまして大勢のユダヤ人を救った実在の人物ジョルジョ・ペルラスカを取材したエンリーコ・デアリオの『善の凡庸さ』(九一年)がテレビ映画化をきっかけに注目されたのはその一例と言える。ミステリー作家カルロ・ルカレッリの『イタリア・ミステリー』は、自ら司会するテレビ番組「青い夜」で取りあげた戦後イタリアの迷宮入りの事件を再構成したもの。サンドロ・ヴェロネージ『超リスト』のような体験取材コラムから、ヴィンチェンツォ・チェラーミ『こんな考え』やサンドロ・オノーフリ『起こる事柄』のような日常生活の断片を捉えたエッセイ、ジュゼッペ・ポンティッジャの文学的アフォリズム集『一人称』までさまざまだ。アドリアーノ・ソフリの『他のホテル』は、七二年の警視殺害に関して疑惑の裁判で有罪とされたソフリの九七年から二〇〇二年までの文章を集めたもので、「塀の中」から見た社会が描かれている。
文学評論では、ウンベルト・エーコ『文学について』、エンリーコ・パランドリ『ロマン主義の漂流・文学と創作に関する仮説』のふたつが印象に残った。こうした講義形式とは少し立場を変えて、若手作家の日誌として読者との双方向的やりとりを意識しているのが、ジュゼッペ・カリチェーティ『公/私0.1 怠け者作家のオンライン日誌』やジュリオ・モッツィ『公の場で語られる個人的言葉・執筆に関する対話と物語』で、実際に創作活動する作家の体験がリアルタイムで反映している。
物故者を挙げると、記号論学者マリーア・コルティ(二月二三日、八六歳)、同じく近現代文学研究者グイド・グリエルミ(八月七日、七二歳)。前衛演劇のカルメロ・ベーネ(三月一六日、六四歳)、工場の疎外を描いた小説家オッティエーロ・オッティエーリ(七月二五日・七八歳)。飛び降り自殺と報じられたフランコ・ルチェンティーニ(八月五日・八二歳)は、カルロ・フルッテーロとの連名で小説『日曜日の女』を筆頭に数多くの翻訳・創作を発表し、ボルヘス、SF、ミステリーの紹介でも知られる。そのフルッテーロ&ルチェンティーニのかつての文化諷刺エッセイを再編した『つまりは馬鹿』、文学評論『夢遊病者』が刊行されている。画家・小説家・詩人と多彩な方面で活動したエミリオ・タディーニ(九月二四日、七五歳)は、亡くなる直前に小説『エトセトラ』を完成させた。
日本でのイタリア文学研究書としては、今道友信『ダンテ「神曲」講義』(みすず書房)、近藤恒一『ペトラルカ 生涯と文学』(岩波書店)がある。イタリアに関連の著作としては、斉藤寛海『中世後期イタリアの商業と都市』(知泉書館)、伊藤亜紀『色彩の回廊―ルネサンス文芸における服飾表象について』(ありな書房)、山田薫『イタリア共産党と戦後民主体制の形成』(シーエーピー出版)、北原敦『イタリア現代史研究』(岩波書店)、桐生尚武『イタリア・ファシズムの生成と危機1919-1925』(お茶の水書房)、澤井繁男『ルネサンス』(岩波ジュニア新書)、陣内秀信『シチリア』(淡交社)、内田洋子、シルヴィオ・ピエールサンティ『三面記事で読むイタリア』(光文社新書)。
翻訳書としては、アレッサンドロ・バリッコ『シティ』(草皆伸子訳、白水社)、イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』(堤康徳訳、白水社)、ニコロ・アンマニーティ『ぼくは恐くない』(荒瀬ゆみこ訳、早川書房)の小説の他、児童文学ではアンジェラ・ナネッティ『おじいちゃんの桜の木』(長野徹訳、小峰書店)、エルサ・モランテ『カテリーナの不思議なお話』(河島英昭訳、岩波書店)の二作品がある。前述したジーノ・ストラーダの一作目『ちょうちょ地雷 ある戦場外科医の回想』(荒瀬ゆみこ訳、紀伊国屋書店)、マルコ・ベルポリーティが編集したプリーモ・レーヴィのインタビュー集『プリーモ・レーヴィは語る』(多木陽介訳、青土社)も訳出された。哲学ではマッシモ・カッチャーリ『必要なる天使』(柱本元彦訳、人文書院)、美術関連ではアレッサンドロ・コンティ『修復の鑑』(岡田温司他訳、ありな書房)、歴史ではフランチェスコ・グイッチャルディーニ『イタリア史』(末吉孝州訳、太陽出版)の(4)、(5)が出版された。イタリアではよしもとばなな『不倫と南米』、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が翻訳されている。