九月始めに、シチリア北海岸の中央あたり、パレルモから東へ列車で小一時間のところにあるチェファルを訪れた。ビーチパラソルが並ぶ砂浜では海水浴客が夏休み最後の週末を愉しんでいる。海岸を離れてモザイクの美しい大聖堂へと石畳の狭い坂道を上っていく途中にマンドラリスカ博物館がある。ギリシャの壺や貨幣、貝や動物剥製を集めた陳列物の奥で、アントネッロ・ダ・メッシーナの「男の肖像」が謎めいた微笑みを浮かべて物好きな観光客を待っていた。
博物館の設立者マンドラリスカ男爵が19世紀半ばにリパリ島の薬屋から購入したこの小さな肖像画のモデルは、リパリ島で発見されたからという理由で「船乗り」とされたこともあるが、富裕貴族説やアントネッロ自画像説もある。じっとこちらを見透かすように口元を歪めてあざ笑う表情を見ていると、薬屋の娘がある日逆上して絵をひっかいたという言い伝え(傷の修復がなされたのは事実)が本当らしく思えてくる。そういえばこの絵と男爵をモティーフにイタリア統一時代のシチリアを描いた小説があった。ちょうどヴィスコンティの映画『山猫』と同時代の話だ。
1860年ガリバルディのシチリア上陸をきっかけにチェファル近郊の山村アルカーラ・リ・フージの農民が暴動を起こし、村役人ら有力者を殺害する。役場は打ち壊され、無政府状態は四十日間に及ぶ。カタツムリ調査のため村を訪れていた男爵は難を逃れるが、大虐殺直後の村の惨状に衝撃を受ける。鎮圧された暴動の参加者は誰一人証言を残すことがなく、「裁きを下す勝利者」の言葉だけが後に残るという歴史の皮肉を痛感した男爵は科学研究を放棄し、知り合いになった法務長官(で肖像画にそっくりの)インテルドナートへ報告書を書き上げる。
シチリア小説の伝統である歴史・社会的関心に加えて、ガッダ的な言語実験の要素(牢獄に残された言葉と公文書の対比といった、文語・口語・方言の混交)を織り込んだヴィンチェンツォ・コンソロの歴史小説『無名水夫の微笑み』は1976年に発表された。モンダドーリ社による今年の再版でも、表紙にはアントネッロの男が皮肉げに微笑んでいる。
Vincenzo Consolo, Il sorriso dell'ignoto marinaio, Einaudi, 1976.