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図書新聞1996/03/02
モラルとユーモアの幸せなバランス——ベンニの新作『エリアント』

トーマス・モアからニューウェーヴSFまで、ユートピア・ディストピア小説(空想社会小説とでも呼ぼうか)の背後にはたいてい同時代の社会現実に対する風刺の意図が見え隠れするものだが、それが常に悲劇的(たとえばオーウェルの『1984』のように)であるとは限らない。ステファノ・ベンニの新作『エリアント』は、現代イタリアの政治とテレビがパロディーされた仮想国Tristaliaと、七つの異世界を舞台にした冒険ファンタジー小説だ。

すべてがスーパーコンピューターによって決定され、人々が多数派であることを目指すようにテレビによる情報操作が行われるこの国では、二十人の候補が合法的に殺し合う大統領選挙が現在進行中。まだ権力に屈していない州も自治権を守るためには政府代表者との決闘に勝たなくてはならない。その州代表となるべきエリアント少年の病気を治すために、三人の仲間が異世界へ乗り込む。一方、失踪した格闘技の達人「悲しき虎」を連れ戻すよう命を受けた若き僧兵フクと、スーパーコンピューターを破壊するようサタンに命令された悪魔三人組も異世界めぐりへ旅立つ。

こう設定されてしまえば、後はベンニ独特のパロディーに満ちた珍妙で愉快な活劇を読者は愉しむばかり。こんなジャンルでは辛辣な風刺と可笑しさ、つまりモラルとユーモアのバランスがすべてを決定してしまうものだけれど、ベンニは見事に統一をみせている。個々のエピソードの面白さのために全体のストーリーの結末が気にならなくなるほどだ。もちろんすべてはうまくいくのだが、それはハッピーエンドなどではなく、読者にはキャラクターたちと別れる一抹の淋しさと共に込められたメッセージがきちんと残される。

さんざん笑った後で、自分のテレビ漬けの生活を反省しながらも、イタリアであれこれ見た番組の数々を懐かしく思い出してしまったのはテレビ世代の悲しい性なのだろう。


Stefano Benni, Elianto, Feltrinelli, 1996.

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