一九九八年のイタリア小説界の事件のひとつは、アンドレア・カミッレーリの「歴史・推理」小説シリーズの爆発的な人気であることはおそらく間違いないだろう。たとえば、七月のある新聞紙上のイタリア小説のベストテンでは、三位を除いた一位から五位までなんと四作品が彼のものだ。もちろんこれには理由がある。ローマで演劇やテレビの演出家をするカミッレーリは今年で七十三歳、その出身地であるシチリアの架空の都市を舞台とした「推理小説」、とくにその探偵役のモンタルバーノ警部が大人気となった。いったんブームとなってしまうと昔(七十年代)の作品までが一気に読まれたことが、同時に四冊もベストテン入りするという結果となった。シチリアの推理小説といえば作家レオナルド・シャーシャが連想されるが、残念ながら未読なので内容の比較検討は後の機会にしたい。
たとえばこんなふうに、読んでなくてもこまかな情報が伝わるのは最近のインターネットの発達のおかげである。イタリアでも今年にはいって、アメリカのアマゾンのようなオンライン書店のサービスが開始された。イギリスのインターネット・ブックショップと連動したインターネット・ブックショップ・イタリア(http://www.ibs.it/)は、将来的にはドイツやフランス、スペインにも広げていく計画だという。すでにいくつかの出版社や書店でオンラインの注文サービスはあるだが、おそらくこれがもっとも大規模なものであろう。その充実度、効率の良さに関してはまだまだ未知数だが、指定した作家の新刊情報などを個人的に流してくれるサービスなど期待できるものはおおい。
インターネット・電子書籍などの登場によって、書籍・出版事情は現在イタリアでも急激にかわりつつある。ミラノ大学の教授ヴィットリオ・スピナッツォーラの編集する『ティラツゥーレ』(tirature =「発行部数」)は、九十一年から毎年一号ずつ出版されてきたシリーズで、一般大衆のベストセラーと文学研究者、文学世界と出版界との接点を探る興味深い本のひとつである。一方でその年の風潮やベストセラーを記録する雑誌でもあり、またインタビューや統計資料も収めた一種の文学年鑑としての性格も持っている。今年一月に出版された『ティラツゥーレ'98』(イル・サッジャトーレ/フォンダツィオーネ・モンダドーリ)には、現代イタリアの文学事情がよく示されている。
ここで言及されているのは、「パルプ・フィクション」的な暴力・残虐シーンを好んで描く若手作家の傾向であったり、書籍宣伝のために街全体が作家と読者の集いの場を提供する本のフェスティバルの催し、あるいは各地で開かれている作家養成講座いわゆる「ライティング・スクール」などさまざまだが、なかでもイタリアの読者層の薄さの問題とその拡大をめざす試みが特に注意をひく。
イタリア人が読書をしないことはたびたび強調される事実である。年間を通じて一冊も本を読むどころか買うこともない人が成人人口の五十パーセント、全体の六パーセントの「熱心な読者」が読まれる本全体の半分を、四十四パーセントである大多数の「不定期の読者」が残り半分の本を読んでいる計算になるという。イタリア人が文章を読まないわけではないのは、キオスクの周りにびっしりと並んだ雑誌を見ればすぐに分かる。しかし一般のイタリア人にとって、あくまでハードカバーの読書は「知識人」のものというイメージが強いらしく、出版社は古典から娯楽まであらゆるジャンルの安価なペーパーバックの出版、スーパーマーケットなどの販売場所の拡大などによって読書の敷居を低くしようとし、教育者は学校の図書館の充実などで読書習慣を身につけさせようと努力しているが、簡単に読者層が広がるわけではない。
結局、カミッレーリの爆発的人気も、スザンナ・タマーロに対する酷評にみられるようなベストセラーへの批評家の根強い不信も、ある程度こうした事情から説明できるかもしれない。専門家の意見を越えて、日頃めったに読書しない多数派が手にしたときにベストセラーは誕生する。少数派である読書人、ベストセラーを支えながらもめったに読書をしない大多数の人々、この両者の関係を考察する読書論をフランチェスコ・アルベローニがもし書いたとしたら、やっぱり『本を読む人、読まない人』という邦題がつくのだろうか?
Vittorio Spinazzola, Tirature '98; Una modernità da raccontare: la narrativa italiana degli anni novanta, il Saggiatore, 1997.