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図書新聞1997/12/27
1997年イタリア文学回顧

今年1997年のイタリア文学界を振り返って、と大仰に構えても後が続かないのは目に見えているので、日本でも翻訳紹介されている作家・作品を中心にしつつ、話題になったもの、売れ行きがよかったものを思い出してみよう。

こんな時に便利なのが、トリーノの日刊紙「ラ・スタンパ」の文芸付録「トゥットリーブリ」だ。75年から二十年以上も続いているこの付録は、最近は毎週木曜日につくようになり、以前から載っていたベストセラーランキングが紙面の一番上に位置してまとめやすくなった。さっそく切り抜いて束ねてみる。

まず前年96年の小説の一位と二位は、ここ96年5月までで250万部売れたという空前絶後の(この形容は少しもおおげさではない)スザンナ・タマーロの『心のおもむくままに』(出版は94年1月なのだが)と、テレビの書評番組「ピクウィック」で若い女性の人気を博した音楽評論家アレッサンドロ・バリッコの『絹』だった。そのタマーロの三年ぶりの新作『大地の息づかいがきこえる』が一月に出ると、一部の厳しい書評にもめげずというべきか、予想どおりというべきか、トップの位置を三月いっぱいまで保つが、前作ほどの爆発的な売れ行きではなかったようだ。

そのタマーロの後、この秋はじめて来日したアントニオ・タブッキの新作『ダマシェーノ・モンテイロの消えた頭』がしばらくトップを占める。タブッキも前作『供述によるとペレイラは...』の出版は94年の秋だから、これも三年ぶりになる。『ペレイラ』は1938年のファシスト政権下のポルトガルを舞台にした新聞記者ペレイラの物語だった。『モンテイロ』では、若い記者フィルミーノが探偵役となってポルトガルの古都ポルトで起きた首無し死体の事件究明に乗り出し、死体の身元、そして背後にある警官の殺人事件と犯罪が浮かんでくるミステリ「風」のストーリーになっている。しかし、悪徳警官の暴力という単純に具体的な次元ではなく、権力の乱用と正義についての一般的な問題へと文学的にこの小説を高めているのは、陰の主人公とも言える法律家ロートンを始め、老ジプシーやホテルの女主人などさまざまなわき役たちの魅力だと言える。

そして、たまたま見たあるホームページ上のランキングでは、12月現時点での一位はウンベルト・エーコの評論『カントとカモノハシ』、パトリシア・コーンウェル が二位で、三位にはコミック作家ステファノ・ベンニの短編集『パール・スポルト2000』が続いていた。

タブッキとタマーロが三年ぶりの新作ということであれば、エーコとベンニは、評論とユーモア短編というジャンルの差はあれ、それぞれ二十年以前の作品の延長線上にあるという不思議な共通点をもっている。実際、『カントとカモノハシ』は記号学者としてのエーコの名前を広めた75年の『記号論』の続編、改訂版になるはずだった。それが、体系的な形式が放棄されて動物譚を随所にちりばめれたより緩やかなエッセイ集の体裁になったのは、小説家としての経験によるものだけではなく、この二十年の間の記号論という学問とエーコ自身の立場の変化が反映しているようだ。以前の『記号論』がこれほどベストセラー上位に入ったとは想像しにくく、『カント』の好調ぶりは、小説に記号論・物語論の成果を盛り込む芸当ができるのなら、またその逆も可能だという証拠かもしれない。

ベンニは、八十年代に小説家として本格的にデビューする以前、イタリアの街角の喫茶店(バール)に集う人々の姿を戯画化した作品『パール・スポルト』(76年)で、若い世代を中心に辛口のユーモア作家として評判になった。それから二十年あまり、その奇妙なキャラクターたちが『パール・スポルト2000』として帰ってきた。なぜかどうやっても注文が出来ない不運な「見えない」男、電波を受けるために店中跳びはねる携帯中毒、映画に行こうとして延々議論をし続けるカップルなど、90年代のバールの人々に対するベンニの視線とギャグは、以前と少しも変わらず容赦な く、そして温かい。

こうしてみれば、タブッキ、ベンニを筆頭に、80年代初頭からの物語の復興を担ってきた「若い世代」の作家たちが円熟期に入ったという印象を受けた一年だった。


Susanna Tamaro, Va' dove ti porta il cuore, Baldini&Castoldi, 1994; Id., Alessandro Baricco, Seta, Rizzoli, 1996; Antonio Tabucchi, La testa perduta di Damasceno Monteiro, Feltrinelli, 1997; Umberto Eco, Kanto e l'ornitorinco, Bompiani, 1997; Stefano Benni, Bar Sporto 2000, Feltrinelli, 1997.
スザンナ・タマーロ『心のおもむくままに』泉典子訳、草思社、1995年; アレッサンドロ・バリッコ『絹』鈴木昭裕訳、白水社、1997年; アントニオ・タブッキ『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』草階伸子訳、白水社、1999年; ウンベルト・エーコ『カントとカモノハシ』(上・下)和田忠彦監訳、岩波書店、2003年

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