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■最後の論点─歴史の伝導体へ
さて、いよいよ、貫之現象学C層の最終局面を迎えました。
ここでの課題は、�@ミルフィーユ状に積層化された哥の心、その質料ゼロのパランプセストの表層、鏡面、スクリーンにおいて、ペルソナ(詠みつつある心)たちの相互引用を経て編みだされた物語群が、�A珠玉の詞のはたらきを介して、�Bひとつの(あるいは複数の)歴史(系譜)へと編集、反復されていく道筋を展望することです(第85章2節参照)。
これらのうち、�@、�Aの課題に関する考察は、これまでの議論を通じて、実はほぼ尽きているのではないかと思います。少なくとも私の主観としては、実質的な作業は終了しており、これ以上取り組むとしても、従来の議論の整頓と再編が中心になるほかありません。課題�Bこそが、A層、B層を含めた総決算、いわば大団円になります。とはいえ、ここは構えることなく、最小限、いま自分にできることを淡々と進めていきたいと思います。
本論考群ではここまで、概念や事象の分類、区分、類型化を頻繁に試みてきました。貫之現象学の三つ組や貫之三体、世阿弥三(五)体にはじまり、四つの項(次元)からなる伝導体の“理論”や)〈私〉と〈今〉と〈現実〉と〈感情〉をめぐる四つの私的言語、そして最近では五つの推論形式や私的言語の五類型といった議論に及んでいます。いま、思いつく範囲の項目を選んでグループ分けをしてみると、次のようになります。
�@哥の心や形にかかわるもの
・「物」「心」「詞」「姿」の四つの項からなる「哥の伝導体」
・古今集仮名序の四つの心(カミの心/生きとし生けるものに宿る心/「たね」としてのひとの心/世に中にある人の心)
・「心」の四つの存在様式(零次性から三次性まで)
・無分節・非現象の「心地(こころ)」、意識の自照的次元としての「境(さかひ)」、意識フィールド(思ひ+情)、言語フィールド(詞+余情)という心の四つの階梯(井筒豊子)
・「韻律/撰択/転換/喩/パラ・イメージ」の五つの表現段階(吉本隆明)
・和歌の四つの姿態変化(貫之以前/貫之現象学/俊成系譜学/定家論理学)
・定家の「有心」・芭蕉の「無心」・芭蕉の「虚心」(+子規の「写生」ならぬ「写心」?)
�A表現一般にかかわるもの
・「像/喩/象/肖」のイマージュの四分類
・和歌的レトリックの四類型(掛詞、見立て、本歌取り、縁語)
・「表出」「表現」「模倣」「引用」という芸術制作の四つの技法(淺沼圭司)
・夢のパースペクティヴの動態をかたちづくる四つのプロセス
・四つのタイプのモンタージュ(メトニミー型、メタファー型、シネクドキ型、オクシモロン型)
・アレゴリーの四つの相貌(アレゴリー(廃墟)+カテゴリー+墓碑銘+固有名)
・「物語の時間」を構成する四つの時間系列(A系列、B系列、C系列、E系列)
・「神の〈声〉」「純粋文字」「象形文字」「聲、オノマトペ」
・四つの文法カテゴリー(時制、様相、人称、感情)
�Bその他
・夢の体験の四つのフェーズ「時間の変容」「他者への変身」「虚構の現実化」「自己の分裂」(渡辺恒夫)
・生物学的、倫理学的、心理学的、形而上学的の四つの時間論(九鬼周造)
・「顕在的(現実的)統合+潜在的統合+可能的統合+不可能な統合(夢)」の四つの項からなる拡張された錯綜体(市川浩)
・「基本風景、原風景、表現的風景、原型(X)」という風景経験の四つの相(木岡伸夫)
遺漏はあるかと思いますが、抽出作業はこのあたりで終えて、以下、貫之現象学C層第三相の残された最後の論点である「歴史の伝導体」に関連する話題に限定して、先へ進みます。
■五次元のパランプセストとしての伝導体
伝導体はもともと四つの項で造形されるものとして着想したのですが、ある時期から、その組み合わせそれ自体をひとつの項として捉え、五次元の構造体として考えるようになりました。歴史の伝導体はその究極の姿、いわば完成態であると言っていいでしょう。
次節で、「“やまとことば”」「詞と辞」「アンソロジー」「物語」そして「歴史」の五次元のパランプセスト=伝導体の“系譜“を粗描しますが、先へ進む前に、ここで若干補足しておきたいことがあります。
それは、伝導体には、哥の伝導体とアナロジーの伝導体の二つの雛形があるということです。というか、そのように私は考えてきました。哥の伝導体は、虚・実の水平軸と空・現の垂直軸を直交させて得られる四つの座標で構成されたものですが、これを反時計回りに45度回転させて造られるのがアナロジーの伝導体です(第48章2・3節)[*1]。
五次元のパランプセスト=伝導体は、このうちアナロジーの伝導体の系譜に属しています[*2]。
《図1》哥の伝導体 《図2》アナロジーの伝導体
<現実性>
【現】 【�T】
┃ 表現 ┃ 表出
�U ┃ �T 伝達 ┃ 昇華
【虚】━━━━━╋━━━━━【実】 【�U】━━━━━╋━━━━━【�W】
�V ┃ �W 模倣 ┃ 引用
┃ 展示 ┃ 反復
【空】 【�V】
<潜在性>
補足すると、《図2》に書き込んだ「表出・昇華」「表現・伝達」「模倣・展示」「引用・反復」は、それぞれ“やまとことば”から物語までの四つの伝導体の駆動原理を言い表わしています。私の考えるところでは、歴史の伝導体の原理は「反復・編集」なのですが、これを図中にうまく書き込むことはできません。
これらの概念にはそれぞれ“出自”があり、またこれまで何度か立ち還り考察を重ね、独自の(勝手な)定義づけや分類を試みたものもあります(「模倣」や「引用」)が、ここで逐一再掲することはしません。最低限のことは、次節で触れます。
[*1]本論考群ではこれまでアナロジーの伝導体について明示的に語ることは少なかったが、この雛型を用意することの利点は、哥の伝導体における「空(virtual)」⇒「現(actual)」の垂直方向の力の作用の実質を「潜在性」⇒「現実性」の垂直軸によってより鮮明に表現できること──他方で、「虚(imaginal)」⇔「実(real)」の水平面の地平性・世界性がより鮮明になること──、したがって《図2》の四つの象限のそれぞれが力動性をもった伝導体の駆動原理の動態を直接的に表現していることが“視覚的に”より明確になる(たとえば、“やまとことば”の伝導体の拡張版である“やまとうた”の伝導体において、《図1》で「δ→α」の動態で示される本歌取りが、《図2》の第一象限に位置づけられるように)と思われたことにある。
[*2]虚・実の水平軸を三次元の空間と時間からなる四次元世界と捉え、これに空・現の垂直軸という第五の次元を加えたものが伝導体である。──伝導体の五次元性をめぐって、そのように規定したことがある(第69章2項)。たとえば宇宙や森羅万象の世界を伝導体として捉える場合など、いまでもこの考え方は成り立つと思うが、ここでは、先に述べたように虚・実・空・現の四つ次元とそれらの相互作用を含めた構造やはたらきの全体をひとつの次元と見る立場に立って議論を進める。
■五次元の伝導体の系譜
I. “やまとことば”の伝導体(第83章1節他参照)
○起点となるのは「昇華」である。それは「はじまりの言語」が孕む根源的律動、音(聲)と形(文字)にかかわる“韻律”が実在世界にもたらすギフトである。
〇“やまとことば”の二つの特性──自己対義性(¬A=A)と可視・不可視の反転可能性(¬A⇒A)──が実在世界における四つのアイロニカルな「繋がり」(推論)の運動をもたらす。
すなわち�@「内と外」の往還(induction) �A「一と多」の連結(abduction)�B「裏と表」の縫合(deduction) �C「無と有」の反転(production)。(第五のアイロニカルな「実在=繋がり」の運動(conduction)としては、たとえば「永劫回帰と力への意志」の邂逅などが考えられるが、この原理は実在世界に属していない。)
【�T】
「一と多」┃「内と外」
の連結 ┃ の往還
【�U】━━━━━╋━━━━━【�W】
「裏と表」┃「無と有」
の縫合 ┃ の反転
【�V】
○“やまとことば”の伝導体を駆動する原理は「表出」すなわち「これまで存在しなかったもの」の創造である。それは「強い」私的言語として、無内包の現実性を語り(示し)、実在世界そのもの(クオリアを含めて)を制作する。──表出は表現へと進展する。
II. 詞と辞の伝導体(第83章2節他参照)
〇起点となるのは「表現」すなわち「すでに在るもの」の記号化である。それがもたらすのは昇華ではなく浄化(カタルシス)である。
〇潜在的な「繋がり」の運動(推論)としての「辞」(ことだま)のはたらきを通じて「クオリア憑きの詞」あるいは「語クオリア」が生まれる。
それは潜在性の次元から現実性の次元へと上昇し、「クオリア憑きの文(エクリチュール)」あるいは「体験質(記憶クオリア)」、「クオリア憑きの文章(テクスト)」あるいは「人格質(ペルソナ)」へと変成していく。
【�T】
ペルソナ
┃
【�U】━━ 記憶クオリア ━━【�W】
┃
語クオリア
【�V】
〇詞と辞の伝導体を駆動する原理は「伝達」すなわち同位相下の変換、隣接位相間の移動である。それは「弱い」私的言語(「強い」私的言語が詞と辞に“分裂”したもの?)として、クオリアを言語化する。──伝達は模倣へと進展する。
�V. アンソロジーの伝導体(第88章4-6節他参照)
〇起点となるのは「模倣」すなわち感性に先立つ(「非感性的類似性」に基づく)無意識的・潜在的な根源的ミメーシスである。
〇アンソロジーの二つの特質──匿名性(主体なき思い)と物語性(記憶)──を通じて虚構=夢の世界が産出される。
匿名の「よみ人しらず」の「思い」の収蔵庫すなわちアンソロジーから言語的制作物としての虚構の心(詠みつつある心)と虚構の記憶が発芽し、夢世界の原理──「時間の変容」「他者への変身」「虚構の現実化」「自己の分裂」──が生成する。
【�T】
自己の ┃ 虚構の
分裂 ┃ 現実化
【�U】━━━━━╋━━━━━【�W】
時間の ┃ 他者へ
変容 ┃ の変身
【�V】
〇アンソロジーの伝導体を駆動する原理は「展示」すなわち異なる脈絡における新たな対象化・断片化による価値創造である。それは「弱い」言語ゲームとして、実在世界におけるペルソナ(人格質)を言語化する。──展示は引用へと進展する。
�W. 物語の伝導体(第88章7節他参照)
〇起点となるのは──単なるコピー(複製)ではなくそれ自体がオリジナルである作品の制作=生産としての──「引用」である。
〇アンソロジーの伝導体が産み出した虚構が物語へと拡張する。
夢世界の原理に根ざした四つの文法カテゴリーのはたらきが、無様相・無人称・無時制・無態のあり得ない時空(虚空)における物語を懐胎する。物語を通じて独在的存在が生成し(伝達され)、やがて「歴史」という現実性(アクチュアリティ)の界域を切り拓く。
【�T】
┃
人称 ┃ 様相
【�U】━━━━━╋━━━━━【�W】
時制 ┃ 態
┃
【�V】
〇物語の伝導体を駆動する原理は「反復」すなわち異なるレヴェル間における生成変化(変身、変態)であり、一回性をもった出来事を何度でも初めて「今、ここ」で経験することである。それは「弱い」言語ゲームとして、〈私〉〈今〉〈現実〉〈感情〉をめぐる「弱い」私的言語と拮抗・協働しつつ、実在世界おけるペルソナを言語化する。──反復は編集へと進展する。
■錯綜体と伝導体
歴史の伝導体へ進む前に、参照しておきたい“アイデア”があります。それは、(市川浩によって拡張された)ポール・ヴァレリーの「錯綜体(Implexe)」の概念です(第45章参照)。
「錯綜体は、ヴァレリーが無意識や下意識についての考えを修正する目的で提出した概念」(伊藤亜紗『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』)であって、「精神がその生産力をどこまでも自由に行使できるという考え方に基づいているが、「無意識」は、どうしても抜けだすことのできない、ある宿命的な循環が存在することを前提としている」(塚本昌則『ヴァレリー集成�U〈夢〉の幾何学』「解説」)。
「ヴァレリーは身体を4つの段階に分ける。まず、自分が実感している第一身体。他者から見た私の身体である第二身体。客観的、解剖学的、生理学的な身体である第三身体。そして、それ以外のあらゆる身体感覚のレベルを内在した第四身体の4つである。この4つめの身体こそが「錯綜体」だ。」(武田梵声『野生の声音』)
武田氏によると、錯綜体の概念は、世阿弥や禅竹、アルトーなど古今東西の身体論に通じ、さらに、和辻哲郎が上代歌謡の分析から導き出した古代日本人の身体感覚(旧石器時代の身体感覚である浸透概念や流動概念に重なる)や、折口信夫の透過的身体性(内外の境界が、生理的な皮膚ではなく、身体感覚的に拡張・縮小される)に通じています。
身体論を錯綜体と関連づけた議論として、ここでは市川浩の「身の統合」の概念に注目したいと思います。いくつか議論を引用します(第45章3節参照)。
「比喩的にいえば、われわれの行動は、顕在化した一つの統合であり、〈錯綜体〉は、可能的なもろもろの統合とその背後に潜在するもろもろの系列の総体である。現実的統合体としての身体は、こうした錯綜体としての身体の偶発的な一機会にすぎない。」(『精神としての身体』)
「錯綜体は、…生きることのなかで、たえず新たな結合が生まれ、気づかれない癒合が起こっているような、たえず生成する星雲状複合体[ネビュラス・コンプレックス]ともいうべきものです。こうしてわれわれが自己のうちにあるとは知らなかったものを自己のうちから引き出したとき、われわれは気づかないまま、われわれは錯綜体に直面しています。(略)
これが狭義の錯綜体ですが、私は現実的統合と可能的統合、およびそれらの背後に潜在する系列をふくめた一種の遍統合体をも広義の錯綜体と呼びたいと思っています。」(『〈身〉の構造』)
「〈身〉の統合のうちには、…さらに不可能な統合と関係不可能な世界がある。これとても、われわれを行動に駆り立てる点では現実的なのである。そのあるもの(たとえば空を飛ぶ、肉眼では見えないものを見る)は、機械を仲だちとする統合によって現実化される。しかしまったく不可能な統合もまた、夢としてわれわれの世界を構成する。」(「身体による世界形成」、『身体論集成』所収)
かくして、市川浩による錯綜体の概念の拡張版は、「現実的)統合」「潜在的統合」「可能的統合」「不可能な統合(夢)」の四項に分岐しました。私はそこに、物語の伝導体の駆動原理を解明するヒントがあるのではないかと見ています。
やや強引ですが、アナロジーの伝導体の雛型に落とし込むんでおきます。(「強引」と書いたのは、アナロジーの伝導体の各象限にあてはまるのは「演算子」であって静態的な「項」ではないから。しかし「統合」は作用を表現している語であると解するなら、この難点は解消する。)
【�T】
可能的 ┃ 現実的
統 合 ┃ 統 合
【�U】━━━━━╋━━━━━【�W】
不可能 ┃ 潜在的
な統合 ┃ 統 合
【�V】
市川浩の議論でいまひとつ、これだけは引用しておきたいものがあります。
「世界は重畳無尽の現実的ならびに可能的関係(縁起)からなる錯綜体である。それは存在でもなければ、不在でも、非存在でもなく、そのいずれでもありうる虚在とでもいうべきものである。このような錯綜体に近づく道は、世界の錯綜体に相応する錯綜体としての身体を介し、世界の断片から出発して、それ自身虚在である虚構の相関物を構成することによってである。この〈世界模型〉は、問題にする領域や次元によって、理論とか、モデルとか、作品とか呼ばれる一種の錯綜体を形づくる。」(「身体による世界形成」、『身体論集成』所収)
引用しておきたかったのは、文中の「重畳無尽」や「縁起」が──場合によっては「虚在」や「(虚構の)世界模型」といった語彙も含めて──、先の引用文で使われていた「癒合」や「星雲状複合体」や「遍統合体」などと組み合わさって、華厳経の光の世界を示唆していたからです。
「インドラ網はインドラ神の網であり、網は網の目によって、重々無尽に交錯しているように、一重の相入関係のみを説くのではなくて、重々の相入を説くのである。インドラ網の網の目ごとに、宝珠をかけ、その宝珠が照らし出すところ、光明赫々として一大光明の世界が出現する。これを古来、鏡の比喩をもって説明している。多くの鏡がたがいに相照らすとき、多くの鏡に映った影が重々に織り成すような世界をいう。」(鎌田茂雄『仏教の思想6 無限の世界観<華厳>』)
華厳経をめぐっては、錯綜体のみならず伝導体の概念との関連で取りあげるべき論点は多々あるかと思います。ここでインドラ網に言及したのは、引用文中の「宝珠」を抽出したかったからです。宝珠すなわち珠玉。貫之現象学C層の章名中に掲げながら、これまで、そしてこれからも「珠玉」について詳説することはおそらくできないでしょう[*]。それは私の力不足、その一点に因ります。
ただ、現時点で言えること、というか言っておきたいことがあるとすれば、それは、“やまとことば”から物語までの四つの伝導体を繋ぐのは、「強い」私的言語から「強い」言語ゲームまでのそれぞれのフィールドにおける「詞」のはたらきによるのであって、私は、そのような「詞」のことを珠玉の名で呼んでいるということです。
[*]司馬遼太郎の『十六の話』に「開高健への弔辞」という文章が収められていて、そこに開高健の遺作『珠玉』を読んだ「余韻」が記されている。
《作品のなかのことごとくの情景に降りそそいでいる光は、かつての作品の中の太陽ではなく、空のなかにふりおちてゆく陰翳なき寂光だけであります。主題が、『夏の闇』以上空であるからには、登場してくる老いた医師も、物わかりのよすぎる中国料理店主も、そして開高健にとって永遠の女性である…阿佐緒という女性も、開高的文体によってなまなましく描かれれば描かれるほど、空の形の変じたものであることを読者に勘づかせます。
情景はことごとく、大兄がかつて遍歴した町々や山峡や戦場であります。それらが、故郷に帰る六部の目にうつる情景のように巡りゆき、最後に作中の主人公らしい人物が、女に対し、自分は生身ではなく、空である、と正体を明かすようにして終わるのです。能に似ています。あるいは、「大乗経典」に似ているかもしれません。もし「大乗経典」なら、ここで散華を降らせ、オマージュを唱えるところでありましょうが、開高健の空は、それよりも数世紀古い、原始仏教のなかの容赦会釈もなき空であるかのようです。》(『十六の話』(中公文庫)52-53頁)
いま一つ、使いこなせなかった“素材”を掲げておく。──漱石の?三四郎?に、与次郎が書いた「偉大なる暗闇」を講義中に盗み読む三四郎の姿が描かれている。
《三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。
「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheepという字を一つも書かずにすんだ。》
■歴史の伝導体をめぐる粗描
最後に、それこそ貫之現象学をめぐる議論全体の“オーラス”として、歴史の伝導体について現時点で言えることをすべて書いておきます。(しだいに構想が膨らみ、いまや歴史の伝導体の概念は貫之現象学の範疇を超えてしまっている。だからここでは後の考察のために、“熟成中”の思考細片を脈絡なく思いつくまま、それこそ未編集の状態で覚書として記録するに留める。)
歴史の伝導体についていま言えること(いまはまだそれしか言えないこと)のエッセンスは、次のようなことです。──私秘性(例えばクオリア体験)にかかわる「アンソロジーの伝導体」から、独在的存在(〈私〉や〈今〉や〈現実〉や〈感情(思ひ)〉)の反復(的生成)にかかわる「物語の伝導体」へ、そして独在性の編集(的制作)と無意志的想起(伝導)にかかわる「歴史の伝導体」へといたる“推論”の導管が伸びている。
このことに関連して、かつて書いた関連する文章を再掲します(「哥とクオリア/ペルソナと哥」第88章7節)。
……アンソロジーを構成する個々の作品群は、それぞれ「これ」と指せる(「これ」と指すしかない)特定の(貧しい)内容をもっている。そこでは無数の(古今集で言えば千百十一の)「心」が、つまり「平等に特別」な「今」と「私」が“跳梁跋扈”している。
やがてそれらが匿名化し、主体なき「思い」となって自在に飛び交い、相互の関係性を結び自己編集を繰り返すうち、混沌の海に生命のDNAが誕生するように、物語の種子が育まれる。実在性(リアリティ)の世界における物語のはたらき(推論)を通じて独在的存在が生成し、やがてそれは歴史という現実性(アクチュアリティ)の界域へといたる。……
�X. 歴史の伝導体
〇起点となるのは「編集」である。
・それは実在世界におけるモンタージュのはたらきを超過し、全体を内蔵しない未完結の断片群によって星雲状に構成された錯綜体(記憶・思考細片のモザイク状コラージュ)を造形する。
・あるいは儀礼における反復を通じて純粋過去と現在の連絡、他者・死者の身体と記憶の透過・通底(最広義の変身)をもたらす。
・物語の時間の編集。歴史における回帰的・複線的時間。
〇物語の伝導体における独在的存在が純粋現実性(無内包の現実性:〈 〉)のうちに融合し凝縮される。
・物語の伝導体における〈私〉とは“他者の独在性”としてのペルソナである。
・意識の外にある「思ひ」(主体なき意識)としての感情が物語の伝導体を経由して歴史の伝導体へ達する。
・そこにおいて記憶は誰のものでもない、内容のない無内包の純粋記憶というかたちで融合・凝縮する。他者=死者のそれも含めて「永遠の今」(純粋歴史性)において集蔵・編集される。
・死者とのコミュニケーション、死者の救済、身心の「復活」が果たされる。
〇歴史の伝導体を駆動する原理は「無意識的想起」である。
・「思い出」(思い出すこと)としての、無意志的反復・無意識的編集としての歴史。「想起と想像のアマルガム」としての歴史(定家論理学が生みだすもの?)。
・想起される(復活する)のは純粋過去における出来事(まだ誰も経験したことのない出来事、一度も実現しなかった歴史)であり、他者=死者の記憶(ペルソナ)と身体である。
○それは「強い」言語ゲームであり、純粋経験(無内包の記憶)そのものを言語的構築物として制作する。──想起は(おそらく)無へと進展する。
・クオリア性言語(アンソロジーの伝導体)から演劇の言語(物語の伝導体)を経てペルソナ性言語(歴史の伝導体)へ。
・貫之現象学が〈世界〉を(無から?)立ちあげ、定家論理学が〈歴史〉を生み出す。
(完結)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」59号(2026.08.15)
<哥とクオリア/ペルソナと哥>第92章 パランプセスト/珠玉/歴史<完結>(中原紀生)
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