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■フィギュールの諸相
先へ進む前に、言葉の整頓をしておきたいと思います。これまで私は、“フィギュール”という語彙、概念を、かなり無造作に使ってきました。ときには「フィギュールの異称」などと、意味内容の私的拡大を図ったり。このあたりで一度、振り返り、見通しをよくしておく必要があると考えたのです[*]。
いま、先へ進む前に、と書きました。先というのは、章名に掲げた「鏡」もしくは「鏡像」の話題のことです。像すなわちイメージ。このイメージとフィギュールとの関係如何が、これまで脳内でずっと蟠ってきました。美学や文学理論、哲学などの領域では、とうに解決のついている問題なのかも知れませんが。
かつて私は、貫之現象学の世界の特質を一言で言い表わす言葉として「像=イマージュ」を、これに対して、俊成系譜学の世界を表現するキーワードとして「喩=フィギュール」を、それぞれ呈示したことがあります。(ちなみに、定家論理学のそれは「象=パライメージ」もしくは「虚象=パンタスマ」。)
ところが、貫之現象学のトリアス(三徴候)として掲げたギフト・フィギュール・パランプセストにも、俊成系譜学に割り当てたのと同じ“フィギュール”の語を用いているのです。このあたりの言葉遣いないし概念規定については、それは、「広義の」貫之現象学が俊成系譜学を含んでいるからだ、とか、貫之における“フィギュール”は「狭義の」貫之現象学に固有のもの、すなわち「いひいだす」力を表現しているのであって、俊成における“フィギュール”は「姿」としてのそれである、などといった理屈でもって対処(自分自身を説得)してきました。
しかし、それならそれで、“フィギュール”という言葉の遣い方を整頓しておく必要があります。(先走ったことを書いておくと、たとえば、いま述べた弁明に忠実に従うならば、貫之の場合の“フィギュール”にこそ「喩」の語をあてるべきだった。)そして、そうした上で、かの“イメージ”と“フィギュール”の関係をめぐる問いへと進むべきでしょう。
まず、前章にあらわれた“フィギュール”の諸相を、順不同に適宜編集のうえ抽出します。
a)「いひいだす」力(ランガージュの力)に根ざした“フィギュール”とともに、狭義の貫之現象学の起点となる詠歌主体が立ちあがる。
b)詠歌主体のうちではたらく「いひいだす」力によって、より精確には「辞」の作用によって、具体的には声とかな文字を媒介として、歌がこの世に出現する。
c)「てにをは」もしくは「辞」とはフィギュールの異称の一つである。
d)声とかな文字は、フィギュールとしての哥(狭義の貫之現象学の世界)が世に立ち現われる際にとる“かたち”であり、そのエレメントである。
声とかな文字、この二つのフィギュールのはたらきを介して「いにしへ」の世界が「今ここ」に立ちあがる。
e)無意味から意味へ、意味から無意味へと向かうフィギュール=かな文字の運動性
生まれつつあるかな文字の垂直的な運動性(「いひいだす」力の原初形態)
f)フィギュールと呼ばれる美学的対象は、自己の内部に無意識への通路を保ったまま、意味表現の世界に立ち上がってくる特異な表現である。
g)イニシエーションを経た新しい主体は「フィギュール」として生まれ変わる。
h)和歌はイメージではない、「姿=フィギュール」である(俊成)。
[*]「文字的世界」として note に掲載した論考のなかで、文字以前の文字──「印し、痕跡、しみ、きず」といった、象徴的記号体系の外にある“はじまりの文字”(白川静が「霊」と呼んだもの)──としての“フィギュール”をめぐって、「哥とクオリア/ペルソナと哥」における議論を踏まえながら、かなり執拗に論じたことがあった。
そのうち、本文で取りあげなかった話題を二つ(第12節と第15節から)自己引用のかたちで“再掲”する。
……『ジル・ドゥルーズの哲学と芸術──ノヴァ・フィグラ』の著者・黒木秀房氏は、ドゥルーズ哲学におけるフィギュールの概念をめぐって、次のように書いている。
「イメージと言葉の連関を規定する特殊なイメージこそ、ドゥルーズが「フィギュール」と呼んでいたものだった」(118頁)。
「フィギュールはきわめて多義的であり、さまざまなコンテクストにおいて用いられるが、それはフィギュールがマジックワード化しているのではなく、フィギュールを中心に旋回することで、さまざまな問題が展開されているからである。つまり、フィギュールは、内にありながらにして外の存在であり、この内なる外をめぐって取り結ばれる関係性が問題となる」(223頁)。
イメージと言葉(エクリチュール)、「見ること」と「話すこと」の中間(インターフェイス)にあって、両者の連関を規定する「内なる外」の存在としての“フィギュール”は、事象や学問の領域、論脈や関心に応じて、様々に訳し分けられている。
いま黒木前掲書他の関連本から例を引くと、形、外形、形態、形象、表徴、像、図像、図形、図式、挿絵、肖像、容姿、顔付き、人物(像)、姿、詞姿、文彩、喩、比喩形象、音型、等々と多岐にわたり、キリスト教神学の文脈では「前兆」の意で用いられることがある(パスカルの「表徴=フィギュール」)。(ちなみにフランス語のフィギュールはドイツ語のゲシュタルト、ギリシャ語のリュトモス(リズム、かたち)の訳語。)……
……レヴィ=ストロースが呈示した「イメージ/記号/概念」の三層構造を借りて、 “フィギュール”がかたちづくる「独立した言語体系」について概観する。
私が考えていることはきわめて単純だ。「記号」の代わりに“フィギュール”を置くだけのこと。つまり、「イメージ/フィギュール/概念」。そして、「記号」をめぐる一連の議論──イメージと似て具体的なものだが言及性において概念に似ている、暗示と喚起、多義性と文脈依存性を特徴とする、情感や個人的経験と結びつくが他者と共有可能である、等々──を“フィギュール”にあてはめる。そうすることによって、意味の一義性と無限の言及性を持つ概念の体系としての「言語」とは異なる、もう一つの(はじまりの〈文字〉によって形象化される)「独立した言語体系」の特質を推論することができるだろう。
それはおそらく、レヴィ=ストロースが言う「感覚的なものの論理」に根差したコトバ、たとえばシャーマンの異言(glossolalia)によって語られる〈神話〉のようなものである。──『神話論理』第1巻の「序曲」で、レヴィ=ストロースは次のように語っている。すなわち、「さまざまな感覚的なものに論理があること、そして感覚的なものの過程を跡づけ、感覚的なものに法則があるのを証明すること」が本書の目的であり、「わたしは、ひとびとが神話の中でどのように考えているかを示そうとするものではない。示したいのは、神話が、ひとびとの中で、ひとびとの知らないところで、どのようにみずからを考えているかである」と。……
■フィギュールの諸相・承前
ランガージュの力としての、あるいはその特異な表現としてのフィギュール(afg)と、力・表現を担う「はたらき」もしくは「かたち」としてのフィギュール(b〜e)、そして、それらの主観的かつ客観的な“あらわれ”すなわち「姿」としてのフィギュール(h)。
この第一の相におけるフィギュールについては、本論考群で、かつて、「生起と喩のメカニズム」として取りあげたことがあります(第33章5節、第34章1節)。「生起」はハイデガーの「エアアイグニス[Ereignis]」のことで、華厳教学にいう「性起(しょうき)」に通じます。
また「喩のメカニズム」とは、中沢新一氏が『吉本隆明の経済学』第二部「経済の詩的構造」において論じたもので、中沢氏はそこで、潜在空間(X)から現実世界へと向かう言語の現象性の本質(垂直的な過程)を意味の生起と呼び、これを通じて潜在空間から立ちあがってきた意味の胚(AとB)を組織する働き、すなわち、たがいに似ている事物を「同じもの」としてまとめる能力のことを「喩」と呼んでいました。
次に、「はたらき」もしくは「かたち」としてのフィギュールについても、「声と文字」や「詞と辞」のテーマで考えてきたことはほとんどフィギュール論だったと言ってもいいくらいなもので、それらの議論が、たとえば、「フィギュールとしてのことば」すなわち“やまとことば”(第81章3節)とか、「はじまりの言語」の記憶をフィギュールとして、形象、かたちとして保持する“やまとことば”(第81章4節)といった規定のうちに集約されています。
「姿」としてのフィギュールについては、イメージとの違いの観点から、たとえば、「形(型)」もしくはイメージが、自由に変身・変態をくりかえす生命的なもの(静態性)であるのに対して、「姿」すなわちフィギュールは、そのくっきりとしたあらわれである(動態性)、といった“独自の”議論を展開したり(第38章4節の註)、大石昌史氏が「余情の美学──和歌における心・詞・姿の連関」(三田哲學會『哲學』第118集(2007年))で規定した「動きつつある形」としての「姿」(第54章2節参照)──ちなみに、大石氏はこの論考において、「姿」に“figure”の訳語をあてている──や、三浦哲哉氏が言う「動く映像」(『映画とは何か』9頁)の概念に思いをはせてきたのでした。
この他にも、パスカルの「表徴」(figura,figure)の概念をめぐって、塩川徹也著『虹と秘蹟―─パスカル〈見えないもの〉の認識』を参照したことがありました(第38章4節)。
「オリジナルは論理的観点からすればコピーに先行するが、表徴においては、コピーがオリジナルに時間的に先行する。しかもここでオリジナルとなるのは、時空を越えたイデアではなく、イエス=キリストの受肉によって時のただ中に出来する出来事、その限りにおいて個別的な事柄なのである。表徴の究極の根拠は、『ヨハネによる福音書』の冒頭に述べられる言[ことば]の受肉、初めに神と共にあった言、神であった言の受肉なのである。」(103-104頁)
パスカルの「表徴=フィギュール」の概念は、「フィギュールとしてのことば」をイメージ以前のイメージ、つまり“はじまりのイメージ”、あるいは、マラルメやヴァレリーが踊り子の動きのうちに見てとった“象形文字”に準えたこと(第81章3節)とあわせて、かの「イメージvs.フィギュール」の問題につながっていきます[*]。
[*]かつて『言語にとって美とはなにか』を中心に、吉本隆明の芸術言語論をめぐって──井筒俊彦の言語論(哲学的意味論)や井筒豊子の和歌論と照らし合わせながら──考えをめぐらせていたとき、いくつか(いや、多くの)理解・納得できなかった事柄があり、その一つに「像的な喩」と「意味的な喩」との喩の二重性の議論があった。
価値としての言語の表現は、すべて意味と像との深淵の両端をつなぐ球面のうえに存在している、とか、価値としての言語の喩は「像的な喩」と「意味的な喩」の両端をふまえた球面のうえにあらわれてくる、とか、喩と価値とのふしぎなななめにおかれた位相と関係云々、といった錯綜した議論。
このことについて、その後読んだ野沢啓著『詩的原理の再構築──萩原朔太郎と吉本隆明を超えて』のなかに、これはその通りかもしれないと思える指摘を見つけたので記録しておく。
《喩は言語をつかっておこなう意識の探索》なのではなく、言語の探索それ自体が言語の本質的隠喩性の発現であり、それが意識化されることはあっても、そうした意識はたんに、事実はそうであったのか、という事後的な言語的発見に付随するものにすぎない。そこにおいて〈像的な喩〉と〈意味的な喩〉などたいして意味をなさないのである。吉本は意識とその表象であるとする言語の自己表出論にとらわれるあまり、〈ことばの力〉の本質を見誤り、ただことばの力が意味や像をもたらすだけであるのに、それが言語の創造的隠喩性、本質的世界開示性であることをみてとることができないために無用な二次的概念を引っぱりだしてきて、それらの〈二重性〉の両端のどこかに位置づければことばの〈価値〉が計れると錯覚しているにすぎない。》(『詩的原理の再構築』148頁)
■土左日記をめぐる断章
貫之現象学における「鏡」もしくは「イメージ」の話題に移るための導入として──また、前章で取りあげた問い、主体なき思いや記憶は声か文字かに関連して──、深沢徹著『自己言及テキストの系譜──平安文学をめぐる7つの断章』に収録された「さすらいの旅の果て──『土佐日記』に見る音声中心主義[フォノロジスム]と、その行方」の議論を引きます。
(かな文字という“フィギュール”を媒体とする詠歌体験を通じて、詠歌主体という“フィギュール”が立ちあがる。主体を主体たらしめる〈孤心〉が、やがて「私的」で「自由」な「内面」のうちに宿る「心」へと変質していく。その嚆矢を告げた(と誤解された)のが土左日記であった。──そのような見立てのもとに。)
『土佐日記』の「女性仮託」をめぐる問題──なぜ貫之はあえて仮名文で書いたのか──についての従来の説は、すべて西郷信綱の『日本古代文學史』にその淵源を持つ。深沢氏はそのように書き、西郷の説を次のように括っている。「「口語」を文字化した『土佐日記』の「仮名文」を通して、「私的」で「自由」で「日本人」に特有の「内面」に根ざした情緒的な表現がはじめて可能になったとする図式が、ここから生まれる。」(47頁)
深沢氏は続けて、古橋信孝『和文学の成立』の発言──「これはイデオロギーなのだ。当然、和文のほうが漢文よりもよりよく内面を表現できると考えるのもイデオロギーである」──を引き、至言であろうと評している。
それでは『土佐日記』の真の「ねらい」とは何か。ここで深沢氏は、楫取りの言葉が自ずから歌めいていたという二月五日の条を引く。
「「楫取り」はここでは、厳しい風土に直接身をさらし、自然と闘いながら生きる野性的な存在としてとらえられている。そうした「楫取り」の、粗野ではあるがたくましい生活者としての言葉使いに、音声と文字との一対一の至福の対応を見いだして驚く語り手(貫之)の様子が、ここには端的なかたちで示されている。文字が音声から遊離して、様々なレトリックをもてあそぶ知的遊戯の場となってしまう以前の、日常的な話し言葉の音声に根ざした、素朴で力強い歌の可能性を、貫之はそこに見ている。」(48頁)
「技巧をこらした「舟君」[貫之の分身]の和歌[人為的な加工が不可欠な「書き言葉」としての和歌]よりも「楫取り」や「童」の素朴な歌をよしとし、音声と文字との原初的な一対一の対応に価値を見いだそうとする貫之のこうした姿勢は、何も『土佐日記』になってはじめてあらわれてきたものではない。それはすでに、『古今集』の「仮名序」において先取りされていた。」(50頁)
仮名序に「…この歌の文字あるをや。青柳の糸、絶えず、…鳥の跡、久しく留まれらば、歌の様を知り、事の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて、今を恋ひざらめかも。」とあるのを踏まえて。
「『古今集』はその名の示すとおり、「古[いにしへ]」を「今」に再現[リ・プリゼント]しようともくろむテキストであった。なぜなら、そこに採録された「やまと歌」は、音声と文字との一対一対応を具現するがゆえに、その「根」の部分で〈はじまり〉の世界とつながっているからだ。いまに残された「文字」を通して、失われた過去の「音声」をたぐりよせることができ、さらには文字化されたその「音声」から、その時々を生きた人々の真摯な「心」が再現[リ・プリゼント]できるはずだとする貫之のこうした姿勢は、『土佐日記』においても基本的に変わらない。」(54-55頁)
「そして、いままた貫之は、音声と文字との至福の一対一対応を、「やまと歌」から日常の散文表現にまで押しひろげ、新たな「言文一致」の可能性を追求する。話し言葉の音声を忠実に再現すると考えられた「仮名文」に全幅の信頼をよせ、その担い手としての〈女〉に全権委任して、『土佐日記』が書き出されるのだ。」(57頁)
「いくら追憶を重ねても、[京で生まれ土佐で身罷った]「女子」は決して甦らない。音声と文字との一対一対応を具現する「仮名文」をもってしても、そこで再現されるのは「女子」の痕跡としての記憶でしかなく、「女子」それ自体は決して再現[リ・プリゼント]されることがない。ついに到達することのかなわぬこの絶対的な遅れ、過去は取り返すことができず、どのような策を講じてみても手遅れだとするこの思いが、『土佐日記』末尾の、すべてを〈無〉に帰するような謎めいた一文[「さて、池めいて窪まり、水漬ける所あり。辺に松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ交じれる。]の読みを、最終的に方向づける。」(66頁)
「…問題は、「仮名序」の執筆以来営々と築き上げてきた音声中心主義の主張に、自ら破産宣告を下す末尾の一節であろう。それは裏返せば、『土佐日記』のテキストが、「書き言葉」を通して再現[リ・プリゼント]されるはずであった音声の、その絶対的な再現不可能性へと最終的に行き着くことで、かろうじて文学テキストとしての自らのアイデンティティを確保した「あかし」でもあったのだ。」(72頁)
■土左日記をめぐる断章・承前
私は、古今集に採録されたやまとうたが「はじまりの世界」へつながっている、という深沢氏の指摘に共鳴します。ただ、それが「音声と文字との一対一対応」を具現しているがゆえだ、とする主張には得心がいきません。
私自身の勝手な言葉遣いですが、「はじまりの世界」とは“ギフト”としての哥の世界のことであり、そこにおいて“贈与”されるのは根源的な「律動」──「もはや人称的規定を脱した情念の深みの原初の律動」(坂部恵)とか「和歌(日本語による詩歌)における身体性を伴った律動、一つの根本的な身体的・言語的律動(詩的律動)」(浅利誠)といった表現で示される(第83章2節、第84章3節参照)──にほかなりません。「声と文字との一対一対応」が云々されるより以前の、言い換えれば言語以前の事象です。そこから、ランガージュの力によって、すなわち“フィギュール”のはたらきを介して「いひいだせる」ものが、個別具体のやまとうただったわけです。
(主体なき思いや記憶は声か文字かという問いの立て方は、問題を矮小化するものだったかもしれない。むしろイメージか概念か、と問うべきだったかもしれない。音声と文字との一対一対応(仮名文)をもってしても、そこで再現されるのは死児そのものではなく、その「痕跡としての記憶」でしかないと野沢氏が書いていたのは、言語は過去自体を「今、ここ」に再現することができないという事実を述べているだけのことだ。主体なき思いや記憶は、広大無辺のイメージの集蔵庫から「今、ここ」へフィギュールとして、つまり声や文字のかたちをとって(痕跡として)立ちあがり、概念すなわち言語的制作物として整序されていく。そう単純に考えればよかったかもしれない。)
そのほかにも納得のいかない点はいくつかありますが、一点にしぼって書いておくと、仮名序以来、貫之が音声(シニフィエ)と文字(シニフィアン)との一致=言文一致を追求する音声中心主義者であったとする深沢説には、どこかしら転倒した、もしくは遠近法的に倒錯したところがあるのではないか、という印象が拭えません[*1]。
ところで、私は、土左日記をめぐるこの断章を、貫之現象学における鏡・イメージの話題への入り口として挿入したのでした。以下、最低限のことを書いておきます。
土左日記に、鏡を読み込んだ歌が二首出てきます。「玉櫛げ箱の浦浪立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ」(二月一日)と「ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな」(二月五日)。後者の鏡は、荒れた海を鎮めるため、楫取りの命により捧げ投じられたものです。堀江敏幸氏は、この条を次のように訳しています(河出文庫『土左日記』)。
《あれくるううみは、かがみをなげいれたおかげで、たしかにしずまった。けれども、そのためにまた、かみのみこころもかがみにうつしだされてしまったのだ。それをはからずも、まのあたりにすることになったのである。どうも、このかみというのは、すみのえ、わすれぐさ、きしのひめまつ、といったおもむきあるものを、りかいしてくれるようなかみではなさそうだ。わたしは、このめではっきりと、かみのみこころを、かがみのなかにみてしまった(鏡、かがみ、と書いて、か、の一文字を取り払う。かの字取り。つまり、楫取り。すると、かかみは、かみとなる。神と楫取りだ)。かみのこころとは、かじとりのあさましいこころのことだったのである。》(『土左日記』95-96頁)
堀江氏は、同訳書巻頭の「貫之による緒言」において、「言葉の屏風」(25頁)[*2]といった表現をし、また、文庫版あとがきに「仮名文字の海」(132頁)[*3]という語を用いています。屏風、海面(水面)は、貫之歌が詠出される特権的な場所でした。すなわち、海面=屏風=言葉=鏡。
[*1]仮名文における「言文一致」のイデオロギーに関連して、柄谷行人「文字論」(講談社学術文庫『〈戦前〉の思考』)から。
「たとえば、ダンテの『神曲』、あるいはデカルトの書物や、ルターの聖書の翻訳とかは、今でもイタリア語・フランス語・ドイツ語で読めますが、それは言葉があまり変わらなかったからではなくて、実は、それらの作品が各国語を形成したからです。西洋においても、「言文一致」というのは、新たな文章表現の創出です。それは、その時代の人間がしゃべっていた言語ではない。」(151頁)
「古代の日本も同じことです。たとえば、紫式部は漢字・漢語を使わないで仮名文字・大和言葉で書きました。だから、宣長などはここに真の大和心を見ようとしている。しかし、紫式部は非常に意識的にそれをやったのです。彼女は漢文が非常によくできたということをさりげなく日記に書いています。しかも、その当時の宮廷で、『源氏物語』にあるような言葉でやっていたというようなことはありえない。たぶん、漢語が氾濫していたはずです。(略)ところが、紫式部は、あえて意図的に、仮名と大和言葉のみを使ったわけです。しかし、それは漢文でいっていることを大和言葉らしく翻訳したというべきです。(略)、『源氏物語』はその当時話されたものを忠実に写していったということではまったくない。非常に意図的に、漢文を大和言葉に翻訳しようとしたのです。」(154-55頁)
[*2]「船上で記した男文字の日記を横目に見ながら、私は京の家で和文を綴った。土左日記と名付けた以下の文書に記されている細部が、現実の世界に照らし合わせて嘘か真かと問うのはほとんど無意味である。(略)扱った人物はすべて私の一部であり、分身なのだ。私と称する影は、描かれた屏風絵を前にすればつねに複数になる。海路を日一日と追い、現実の風景をあえて言葉の屏風に置き換え、そのなかに分け入り、ひとりひとりに接近して、同化する。しかるのちに、後ろにしりぞく。またあるときは、遠く離れた場所に立ってぜんたいを客観視する。私はここで名を持たない。男か女か、翁か童かもわからない透明な水の玉かずらに映る、たくさんの倒立像のひとつにすぎない。要するに私は書き手であり、詠み手である自分自身の従者にすぎないのだ。」(『土左日記』25-26頁)──ここには、かの“フィギュール”としての主体の存在様式が描かれている。
[*3]「男であれ女であれ、発話の主体は人称を引き裂かれた語り手である。引き裂かれ、かつ分有され、遍在して言葉を拾うことができるからこそ、身分の上下に関係なく、それぞれが「こころにおもふこと」(『古今和歌集』仮名序)を引き受けられるのだ。『土左日記』の主体が左右に揺れ、ときおり木材の軋みが聞こえてくるのは、この船が仮名文字の海に浮かんでいるからだろう。」(『土左日記』132頁)
■土左日記をめぐる余録
深沢氏が前掲書に、貫之は土左日記の末尾、「音声の、その絶対的な再現不可能性へと最終的に行き着く」と書いていたことに関連して、以下、場違いな文章を余録として挿入する。
これは本来、貫之現象学A層の末尾、具体的には第59章5節の附論もしくはスピンオフとして書き始めたものだが、“構想”が膨らみ収拾がつかなくなって途中で中断したものだ。その構想とは、「夢のモンタージュ──土左日記・雪國・めまい」といったタイトルのもと、ラカンの現実界・象徴界・想像界を下敷きにしながら、貫之と川端康成とヒッチコックの表現世界を比較するといった趣向だった。
以下に掲げるのは、その序文に該当するものである。
……堀江敏幸が『アイロンと朝の詩人 回送電車�V』収録のエッセイ「運動と停滞」で、平安期の古典文学、たとえば「陸であれ海であれ、現実世界での移動と文学的夢想のなかでの移動のクロスオーバーによってなりたつ文章、夢うつつが風に吹かれて横に流れ、「人の国」の異語や形式のちがう三十一文字が挿入されているのに、そんな混血ぶりを意識させない『伊勢物語』や『土佐日記』」に親しんだ高校時代の読書に触れ、その「運動と停滞、前進と後退、疾駆と匍匐がまじりあって楽音をひびかせるテキストに寄せる親和」を語っている。
後に現代語訳を手がけることになる『土佐日記』については、この虚構と実験の書を愛読したのは「航海日誌の体裁をとった断章、その冒頭にならぶ日付の、「むかし、男有りけり」に似た、単調でしかも持続的に耳を打つ自在なスティックさばきがあったからだろう」と述懐している。「その不規則な間合いにふくまれる切れ味のいい状況描写、言葉遊びをまじえての、時宜を得た、あるいは時宜を得ていないかのごとくこしらえた歌、さらには海賊に対する怯えや女たちが股間の‘貝’をさらけだす水浴び風景の連結は、むしろ停滞することを一種の快楽と見なしうる視点の設定として胸に響いた。」
いま「虚構と実験の書」と書いたのは、『作家と楽しむ古典』シリーズに寄せられた文章のタイトル「土左日記──「虚構」と実験の書」を借用したもの。堀江はそこで「土佐[エッセイ]か、土左[フィクション]か」の項を立て、次のような議論を展開している。いわく、「土左日記」とは定家本奥書において貫之自筆の外題とされたもので、この物語が最初から「虚構」であることを示す徴である。では、なぜ貫之は虚構を書かねばならなかったのか。名声を得て実績もあった歌詠みが、なぜこのような散文に手を染めたか。「手すさびに、女の身になって遊んでみましたといった軽い気持ちで、こういうものは書けない。」
そこで堀江は『土左日記』執筆に至った貫之の心の内側を想像してみる。「ひとのこころ」(堀江は小松英雄の説に拠り「万の言の葉」に対応する「一の心」と解する)を信じてやまとうたと歌詠みの地位向上につとめてきたが、必ずしもうまくいっていない。歌を独立させた古今集の様式を変えて、そろそろ新しい方向性を打ち出さなければならない。この焦燥が貫之に『土左日記』を書かせたのではないかと。
そして現代語訳に添えた「架空の述懐」のうちに、すなわち「貫之自身の声を新たな虚構として書き起こし」た「貫之による緒言」(其の七)にこう書き込んだ。「うたをうたとして独立させず、文に溶け込ませること。船に乗った幾人もの亡霊たち、幾人もの分身たちの声、からうたのなごり、いにしえの人々が詠んだうたを、こちらの意識と読み手の意識の境なく自由に出し入れするには、うたと地の文の境界をなくしてしまうのが、最も無理のない、また、いまの私が試みうる作り話の、唯一の姿である。」
堀江がいう「実験」とはこの「散文のなかに歌を溶け込ませる」様式上の試みであり、また男文字による漢文ではなく女文字による和文で記す表現上の実験である。「遠国の港から京へと向かう船旅のあちこちに、私[貫之]は仮名文字で音を拾いつづける書記のような透明な存在を配した。おなじく名なしの亡霊たちが、楽しげに、また苦しげに口にした言葉を、もれなく仮名文字で書き取らせた。(中略)ただし、仮名文字に変換できない音を持つ、日記、京、願、講師、白散といったいくつかの漢語や、日付の部分はそのまま残すしかなかった。別言すれば、そこに男文字を記したことこそ、この日記が男の手によって書かれた事実を証しているのだ。」
女文字による和文で記すことで出来上がった『土左日記』は「男女の視点の融合するテキス」だった。最後に堀江は、作家すなわち「書いている私」と物語のなかにいる語り手すなわち「書かれた私」との関係をめぐって、男文字と女文字の「相互浸透性のある膜」が語りの視点にも用いられることに言及している。「『土左日記』は語りの視点を重層させて読むことで、きわめて現代的な、しかも切実な「虚構」として立ち上がってくるのです。」
優れた表現者にして読み手・評者である堀江敏幸の論述から、『土左日記』ひいては紀貫之という優れた歌詠みにして歌論家・批評家をめぐるいくつかのキーワードと論点を抽出することができる。試みにそれらを整理してみると、次の三つの柱が立った。
�T.現実(土佐)と虚構(土左すなわち文学的夢想)のクロスオーバー
�U.心(意識)と声と文字、うたと地の文の相互浸透性
�V.語りの重層、性の融合
ここに掲げた項目はひとり『土左日記』や紀貫之だけでなく、およそ文学的言語表現全般にかかわり得るものだ(虚構=文学的夢想にリアリティを与える仕掛けと装置と帰結)。時代は大きくかけ離れるが、私はこのことを川端康成の作品、そしてヒッチコックの映画にそくして考えてみたい。……
以下は、実現しなかった“構想”の痕跡でしかないが、私は、土左日記の世界を「現実界=(書かれなかった)土佐国/想像界=船上・海上の世界(鏡像の海)/象徴界=都(痩せ細り池と化した海)」の三層構造においてとらえ、その中核をなす(現実界と断絶し、象徴界とつながった)想像界を『めまい』の世界のそれと比較し、さらに(『めまい』と共通する“複式夢幻能”的構成をもった)『雪國』の象徴界と比較したうえで、最後にもう一つの現実界(リ・プリゼントせぬ死児と廃墟と化した邸宅)へと帰還する、といった道筋を考えていた。
(91章に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」59号(2026.08.15)
<哥とクオリア/ペルソナと哥>第90章 フィギュール/鏡/仮面(その2)(中原紀生)
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