Web評論誌「コーラ」54号/哥とクオリア/ペルソナと哥 第80章 ことだま/詞と辞/アイロニー(その1)

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Web評論誌「コーラ」
54号(2024/12/15)

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■紀貫之と今西錦司─存在語の系譜?
 
 谷川俊太郎, 正津勉との共著『鶴見俊輔、詩を語る』の「紀貫之と今西錦司」の項で、鶴見俊輔が、歌人の土岐善麿から聞いた日本の詩歌の話を紹介しています。
《日本の歌って始まりが山に向かって海に向かって呼びかける。この草とかこの石とかに自分が呼びかけるという、それがもとなんで、だからそういうコミュニケーション。つまり、それが紀貫之までいくわけなんだね。『万葉集』からずうっとそこまで。なるほど、それは確かにイギリスの詩歌の始まり、フランスの詩歌の始まり、これが一番古いところは『ローランの歌』や何かの中世の詩でしょ。だからイギリスだと『カンタベリー物語』でしょ。石に呼びかけるとか、そんな話じゃないよね、確かに。あ、こういうものなんだなと、とっても納得できた。それが歌学であって、その歌学が江戸時代もずうっとあって、近代のいろんな制度を取り入れても、結局、乃木希典とか児玉源太郎とかいうのはそういう歌学を持っていたんだよ。》(『鶴見俊輔、詩を語る』59-60頁)
 鶴見はさらに、今の政治家の国会答弁を見ると、歌心、歌論がベースにあって何か言っているとは思えないと述べ、つづけて、今西錦司が七十を超えて自然科学をやめ、自然学を始めたという話を語りはじめます。
 これを受けて正津勉が、今西の「自然の遊行者」(『自然と進化』所収)に、山に登って草木と一緒になる、「山川草木化」すると書かれていたことを指摘し、「言っていることがもう仙人並み」と発言する。鶴見が応じていわく、「あのね、結局、それだな。自然学というところに今西錦司もいくので、これはもう歌学ですよ。歌心ですね。紀貫之に近いんだから。紀貫之と今西錦司はつながるわけなんだよ」(63頁)。
 紀貫之と今西錦司をつなぐ「歌学・歌心」の伝統。──考えてみると、私がこの論考群「哥とクオリア/ペルソナと哥」で取り組んでいるのは、まさにその系譜を、具体的な表現物を通じて追体験することにほかなりません。貫之、俊成、定家へと連なる王朝和歌における歌論的思考、これを引き継ぐ心敬、世阿弥、利休、芭蕉の思索と実践、そして正岡子規によるその転回……。
 
 あと一つ、話題を引きます。
 対談の中で、鶴見俊輔は言葉を「人間語・生物語・存在語」に分類しました。いわく、英語も日本語も同じ「人間語」の方言。歳をとって言語不鮮明になると「もうろく語」になり、もっと超えると「生物語」になる。老女がペットとしゃべっているのがそれで、もっともっと言葉が失われていくと、しまいには石になる(29-30頁)。
《つまり、最後は石になって存在語になるんだけど、それ、地球が痕跡としての地球になって、痕跡というのは一種の記憶のメカニズムなんだね。それによって人間の来た道をたどることはできるわけだ、復活させれば。そういうものとして宇宙間の別な存在が来れば、存在と存在との対話になるかもしれない。そしてわれわれの記憶も返ってくるかもしれない。わからないが。そのへんを目指す方向に個人としてもいけるんじゃないか。日本の詩歌の伝統としてもそれはあり得るんじゃないか。》(『鶴見俊輔、詩を語る』72-73頁)
 谷川俊太郎が「存在語は詩ですか」と問うと、鶴見俊輔は「散文よりは詩でしょう」と答え、正津勉は「もちろん詩でしょう」と応じる(30頁)。──私は、鶴見の言う「存在語」は、折口信夫や吉本隆明が考えた「詩語」に通じていると思います[*]。そして、王朝和歌の系譜に属する実践、あるいはこれを踏まえた歌論や歌学思想(本居宣長以降の江戸期の国学思想や国語学)は、「存在語」を最終的な理想としていたのではないかと。
 
[*]「存在語」は「沈黙語」と言い換えていいかもしれない。──古東哲明氏が『沈黙を生きる哲学』で言うところの「A位相」すなわち「静寂の存在次元」(実在世界もしくは無分節態、根源場、非ロゴス空間、青の時間、非知の闇夜、等々)に触れるありかたであり、それをじかに生きることそのものである「沈黙」の言語。
 いま一つ、「存在語」に関する鶴見俊輔の発言をペーストしておく。『青磁社通信』第9号(2004年1月)に掲載されたエッセイ「きせる乗車の日本文化」から。
《自分が八十歳をこえて、もうろく語をあやつるようになってから、その中に日本語も英語も流れこむ。そのようにして人間の言語に達し、やがて、これもたくみにあやつれないところまでくると、人間とはちがう存在語に行きつく。こうして、一度断たれた日本語との関係は、断たれた痕跡を、私の中に保ちつづける。そういう予測をたてるのは、私がまだ、存在語の中に暮らしてはいないからだ。》
■歌学・歌心の系譜─貫之・宣長・西田・時枝・今西
 
 貫之から今西錦司に至る「歌学・歌心」の系譜を、「クイック・フォックストロット」(吉本隆明が『初期歌謡論』で用いた語彙)のリズムで辿ってみます。
 
〇貫之歌論のエッセンスは「ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」。「ひとのこゝろ」=言詮不及の「純粋経験」(西田哲学の起点)を一般的に語る言語が可能なのは、純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を宿していたから、というのが永井均氏の説(『西田幾多郎』)。
 
〇かくして「ひとのこゝろ⇒ことのは」の貫之歌論と「純粋経験⇒言語」の西田哲学が響き合う。この歌論と哲学の間を国語学が、そして貫之と西田の間を本居宣長が繋ぐ。西田の「場所の論理」と時枝誠記の「言語過程論」が響き合い、時枝の「詞辞論」が宣長の「てにをは(詞の玉緒)」論と結びつく。
 
〇時枝誠記の『国語学原論』が刊行された1941年、今西錦司は最初の著書『生物の世界』を上梓した(泥沼化する日中戦争下、いわば「遺書」として)。「明らかに」と安藤礼二氏は書いている。今西の『生物の世界』は「師」である西田の生命論(「論理と生命」他)から生まれていると(『縄文論』56頁)。
 
 ──以上で、紀貫之⇒本居宣長⇒西田幾多郎(⇒時枝誠記)⇒今西錦司という系譜が整いました[*1]。貫之現象学B層の第三相(やまとことば篇)は、このラインを念頭におきながら、あるいは根柢に据えて、進めていくことになるのですが、ここで、(後の議論に直結することはないにせよ、少なくともメインとなる系譜に深みをもたせる意義はあると思うので)、あともう一本ないし数本の補助線を引いておきたいと思います。     
 
〇今西にはもう一人の「師」があった。柳田國男である(『縄文論』56頁)。鶴見太郎によると柳田の下に継承者は育たず、柳田の学問はその影響を受けた「周辺の人々」よって継承された。オオカミに関する伝聞を調査し、三高時代に『遠野物語』を「暗記するぐらい読んだ」(『自然学の展開』)今西の仕事がそうであったように。
 
〇柳田國男の民俗学は江戸期の国学に通じる。「もののあはれを知る」ことをめぐる本居宣長や弟子の平田篤胤に通じる。かくして紀貫之と今西錦司を結ぶ複数のラインが完結する。貫之に発し俊成・定家の歌論、心敬・世阿弥・利休・芭蕉の芸論を経て宣長へ、そして(時枝誠記と並行しつつ)西田幾多郎を介して宣長から今西錦司へ、あわせて柳田国男を介して平田篤胤から今西錦司へ。
 
〇安藤礼二氏によると、平田篤胤とエドガー・アラン・ポーは同時代人にして「分身」である(『迷宮と宇宙』21頁)。柳田國男は平田篤胤の「幽冥界」に並々ならぬ関心を抱き、そこから民俗学を立ち上げた(同書22頁)。西田幾多郎はポーの詩の翻訳者ボードレールをめぐって「象徴の真意義」という論文を書いた。
 
 ──今西錦司と西田幾多郎・柳田國男とのつながりの外にも、『縄文論』から汲みとることができる話題の種は尽きません。たとえば、エルンスト・ヘッケルに発し、アンリ・ベルクソンで極まり、本邦における小泉八雲と折口信夫、そして西田幾多郎へとつながっていく「創造的進化論」もしくは「霊性の進化論」の系譜[*2]。あるいは、テイヤール・ド・シャルダンに発し、アンドレ・ルロワ=グーランによって大成され、ジョルジュ・バタイユや岡本太郎が躍動する「人類の進化」と「洞窟壁画」に関する物語。
 これらの話題群が交錯するところに、今西錦司の「主体性の進化論」が位置している。
 
[*1]金谷武洋氏は『日本語と西欧語──主語の由来を探る』第一章「「神の視点」と「虫の視点」」の「三上章と西田幾多郎」の項の直前に、「今西錦司は三上章と旧制三高で同期だったが、三上がいなかったら僕の進化論はなかったとまで言明している。その今西の「棲み分け」進化論も結局は連続体の理論だし、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』も、二元論に流れやすい「神の視点」からは出て来ない発想と言わなくてはいけない。」と書いている。
 貫之と今西錦司を結ぶラインのうちに、時枝誠記ではなく三上章を据えた別の系譜を引くことができる(浅利誠著『日本語と日本思想──本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人』などに依りながら)。
 
[*2]『縄文論』に収録された「南島論」では、吉本隆明と今西錦司が「創造的進化論」の系譜において繋がっていく様子が描かれている。
《『母型論』で特権的に参照されているのは、宮澤賢治にも甚大な影響を与えた進化論者エルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼを現代によみがえらせ、『胎児の世界』(一九八三年)としてまとめた三木成夫の営為であった。「個体発生」(胎児の発生)と「系統発生」(種族の発生)は同形を描く。その起源に人間という種の「母型」を位置づけることが可能になる。胎児は人間という個体の原型であるとともに人類という種の原型でもあった。
 しかし、吉本は突如としてこのような「創造的進化論」に遭遇したわけではない。三木の諸著作に触れる以前に、吉本のなかにはすでにそれらを受容する準備が整っていた。三木成夫に先立って、吉本隆明は、独自の「進化論」の体系を打ち立てたもう一人の知の巨人、今西錦司と邂逅していたからだ。両者は、一冊の書物──『ダーウィンを超えて』(一九七八年)──として成り立つほどの対話を残した…。》(『縄文論』232頁)
■今西錦司の進化論─直立二足歩行とネオテニー
 
 喜寿を過ぎて刊行された『主体性の進化論』の第四章「人類の進化──応用問題として」において、今西錦司は、「人類を人類たらしめている、人類のもっとも顕著な特徴である」直立二足歩行の起源をめぐって、次のように論じています。
 いわく、四足歩行から直立二足歩行への「大進化」の足どりを考えるとき、四足歩行でも二足歩行でもないというような移行状態を考えられるであろうか。翼とも前肢ともつかないものを与えられたトリがどうして生きてゆけるであろうか。もはや四足歩行の練達の士になってしまったものを、二足歩行の練達の士に変えることは至難の業であるだろう。成獣あるいはおとなになってしまったものでは、もはや手おくれであるということである。
《変えるんだったら、子供のときに変えねばならない。ゴリラでも子供のときなら、わりあい楽に直立二足歩行ができるのを見た。だから人類の直立二足歩行も、おとながはじめたものでなくて、子供がさきにはじめたものにちがいない。ではどうして。ゴリラは直立二足歩行に定着できないのかといったら、それは生長とともにゴリラに、ゴリラの特徴とする形態が現われてきて、それが直立二足歩行を困難にするからである。それゆえ人類においても、もし子供に可能な直立二足歩行を、いつまでも持続さそうというのだったら、すくなくとも基本的には、子供の形態ないし体形を、失わないようにすることが、肝心であるだろう。ネオテニーということを取りちがえていないかぎり、以上が人類の直立二足歩行にたいする、私のネオテニー的起源論とでもいえようか。》(『主体性の進化論』188頁)
 これに続けて今西は、どうしてこのような「ネオテニー的進化」が起こったのかはさっぱりわからないが、ただ、小さな子供が二足歩行をはじめたことには「有用さ」とか、環境にたいする「適応」とかいうことは考えにくいとだけはいえると述べ、よく知られた口吻でもって次のように断言します。「しいていうなら、人間の赤ん坊は立ちたくなって立ったのである。立ちたくなってということさえ、すこし行きすぎがあるとしたならば、赤ん坊は立つべくして立ったのである。」(188-189頁)
 
 以下、今西は、『主体性の進化論』の先立つ章において導きだした、「小進化」を対象とする「進化の公理」が、直立二足歩行という「大進化」に対しても成り立っていることを「応用問題」として論じていきます。生物世界の具体相に通じた経験知をもとに、ロジック一本で突き進むその叙述の切れ味は、心地よい爽快感をもたらしてくれるものなのですが、ここでは先へ急ぎます[*]。
 私は、かねてから「やまとことば=ネオテニー(幼体成熟)説」なる仮説を掲げ、そこから、つまり「はじまりの言語」の“かたち”に深く根差した言語である“やまとことば”の在り様から、貫之以降の王朝和歌における歌論・歌学の特質とその可能性を探ることができるのではないかと思いを巡らせてきました。(ここにも、貫之と今西錦司が直接的につながるラインがある?)
 
[*]今西錦司の「進化の公理」とは、「獲得形質の遺伝と、種の個体がみな同じように変わるという、私のいわゆる種個体の一様性とを認めたならば、あとは定向進化のおもむくままに、進化はひとりでに進むであろう」(176頁)というもの。
 ここで言われる三つの要諦、すなわち「獲得形質の遺伝」「種個体の一様化」「定向進化」に照らして、王朝和歌の伝統(大小にわたる進化のプロセス)を考察することができるのではないか。
 たとえば「類似=アナロジーと照応=コレスポンダンス」(ボードレール)に則り、「獲得形質の遺伝」を和歌に詠まれた「こゝろ」すなわち「記憶」の遺伝とその発現(無意志的想起としての本歌取り)の現象に準える。はては、歌を詠む「こゝろ」すなわち「主体性」の継承として「歌の道」を考える、等々。
 
■心の進化についての新しい説─人類進化とネオテニー
 
 ネオテニーにも関連するもう一本の補助線として、スティーヴン・ミズンの『心の先史時代』[*]の議論を引きます。山田仁史氏の遺著『人類精神史──宗教・資本主義・Google』における要約が見事なので、丸ごと寄りかかります。
《人間の心がどう進化したか。それはどうすれば分かるのだろうか。先鞭をつけたのは認知考古学のスティーヴン・ミズン(マイズン)だった。彼は「個体発生は系統発生をくりかえす」という命題を心の領域にも適用し、さらに先史遺物ともつきあわせることで、大きな展望を得ることに成功した。
 彼によれば初期人類の考古学的資料を説明するには、現生人類がもっているのと根本から違う型の心を想定するしかない。それは、子どもたちの心が大人の心と異なっているのと似ている。そして両者のアナロジーを立脚点とする認知科学をとりいれた結果、人間の心の劇的な変容は六万年前から三万年前のホモ・サピエンスに起きたとし、この爆発的変化を「文化のビッグバン」と呼んだ。
 ミズンによると変化の核心は、認知能力に流動性が生じたことだという。つまり初期人類の心では、蹄の跡などの「自然のシンボル」を解釈するような博物的知能、意図的な伝達をおこな社会的知能、心の中で作った型をもとに人工物を作る技術的知能、といった領域が別個に機能していた。ところが現生人類になってはじめて、こうした各領域が流動的にむすびつき、連動して働くことが可能になった。それにより芸術の開花をはじめとする大きな革命が起きたというのだ…。》(『人類精神史』73頁)
 山田氏の叙述は「さらに一歩進」んで、エルンスト・ヘッケルの反復説(個体発生は系統発生をくりかえす)を脳の領域に適用した『神は、脳がつくった』でのE・フラー・トリ―の議論──ホミニン(ヒト族)は、@ホモ・ハビリスとして賢くなりはじめ(およそ200万年前)、Aホモ・エレクトゥスとして自己認識能力を発達させ(180万年前)、B旧人ネアンデルタールとして(他者の)心の理論を獲得し(20万年前)、C初期ホモ・サピエンスとして内省能力を身につけ(10万年前)、最後に?現生人類として自伝的記憶(時間旅行を可能にする能力)を手に入れた(4万年前)──を紹介しています。
 『人類精神史』はとても刺激的な書物なので、もっと深く寄りかかりたくなるのですが、ここでもまたこのあたりで切り上げ、次へ進むことにします。
 
[*]『心の先史時代』におけるネオテニーに関する記述。
《今日、生物学は、個体発生と系統発生の関係について、ヘッケルがとったものよりもかなり幅のある見方をとっている。スティーヴン・ジェイ・グールド[『個体発生と系統発生』Ontogeny and Phylogeny(1977)]が明らかにするように、ある特徴の発達についてはヘッケルが唱えたように加速している証拠があり、したがって先祖の成体の形態が子孫の幼生の段階に押し込まれているものの、逆になっている証拠もある。発達が遅くなって、先祖の幼生の特徴が子孫の成体に見られるようなところもあるのだ。これは幼生成熟[ネオテニー]と呼ばれ、反復と同じようにありふれた現象と考えられている。チンパンジーの赤ん坊が人間の大人と驚くほどよく似ているというところに劇的に表れている──その類似点は、チンパンジーが成長するにつれて失われる。したがって、反復の概念に何らかの価値があるとすれば、全体としての生物体よりも、個々の器官に見られるだろう。
 グールドはその本の多くを幼生成熟にあて、これが人間の進化を理解する上で決定的な重要性をもつことを明らかにしている。しかしキャリー・ギブソンと心理言語学者のアンドルー・ロックが論じているように、幼生成熟は現代人の形態的な発達を説明するのには使えるかもしれないが、知能や知識の発達を説明することはできない。こちらは、たとえば頭蓋骨の形とは異なり、発達の間に幼い状態にとどまるわけではない。それで、心の発達と進化の間に並行関係があるとすれば、幼生成熟よりも反復の方が、筋書きとしては可能性が高い。
 筆者は、ためらいつつも反復の概念を採用し、心の進化について、建築物[聖堂]としての段階の継起を唱えることにする。》(『心の先史時代』86頁)
 ここではまだ存分に考え尽くすことはできないが、私の「やまとことば=ネオテニー(幼体成熟)説」はあくまで“やまとことば”の「形の領域」にかかわるものである。「心の領域」にかかわるのは「個体発生は系統発生をくりかえす」という「反復」の方だろう。
 
■時枝文法をめぐって─言語感情と言霊
 
 ここで、時枝誠記著『日本文法 口語篇・文語篇』の文庫解説「時枝文法が創造したもの」(前田英樹)の議論を引きます。
 いわく、日本語文法において形容動詞という品詞を立てることの理由を、「静かだ」の「静か」が単独で用いられ主語にもなる単語(名詞)ではないからだと、橋本(進吉)文法の観点からいくらそう説明されても、私たちはどうも合点がいかない。
《このような観点は、母語を生きる私たちの【言語感情】からは、まったくかけ離れている。(略)母語を生きる自己の【感情】を無視して、文法を、言語を語る路はない。時枝の『日本文法』は、このたったひとつの自明の事実から出発して、その内側から語り通そうとした努力の結実である。》(【 】は引用者による強調。以下同様)
 時枝は、「静か」は状態を表わすひとつの名詞・体言として、私たちのなかにはっきりと在る「単位」であると考えた。
《言語の単位は、現われたものを外から観察して得られる単一要素ではない…。単位は、母語を生きる者のなかに潜在し、運動し、言葉の意味に向けて展開されていく。
 そうした単位を、私たちはいつも明瞭に感じて語り、聞いている。「静かだ」は、体言「静か」と指定の助動詞「だ」とが結びついた句として説明するよりほかないものだろう。その働き、抑揚は、「夜だ」の場合とまったく同じ【質】をもって感じられる。むろん、これは、ひとつのささやかな事実に過ぎない。だが、言語とは、母語を生きる者のなかに潜在する運動である、という思想を確固として持ち、日本文法の全領域を歩き通してみることは、少しもささやかなことではない。》
 母語としての日本語を「心中に在る働きのままに捉えようとする生々しい努力をもって」内側から語り通そうとしたのは、江戸期の国学者たちも同じことだ。時枝誠記はこのような国学者の系譜に属し、「言葉は、[膨張収縮を繰り返す自在な]運動であり、働くつど、新たになる時間の湧出である」という「国学直伝の思想」の継承者であった。
《時枝の考えでは、「品詞」という西洋文法の発想は、固定された語に備わる「属性」、つまり意味内容に基づいている。ものを表わす「名詞」を修飾するのは「形容詞」、というようなものである。実際には、そのような品詞を日本語のなかに固定させることは、いたって難しい。「美しい」は形容詞で、「綺麗な」は形容動詞の連体形、「咲く花」の「咲く」は動詞の連体形ということになる。これは、理屈が複雑なのではない、分類法が私たちの生きる母語についての【感情】にまるでそぐわないのである。
 江戸期国学者たちの分類では、無論そのようなことはなかった。「詞」、「辞」の別を始めとし、「体」と「用」との類別や、「係[かかり]」と「結[むすび]」との呼応は、母語の連続する働きそのものに即し、あたかも【言霊】から強いられた分類法であるかのように、それらの性質の差異が慎重な手ぶりで語られた。(略)
 西洋流の「品詞」は、語を孤立させ、繋がりの運動を止めさせた時にのみ考えられる「属性」に依っている。「詞」、「辞」や「体」、「用」の分類は、繋がりの運動それ自体を支えている活きた性質の差異に依っている。前者は抽象された静止に基づくが、後者は実在の運動に基づく。ここにこそ、時枝が『日本文法』で述べようとした思想の核心がある。》
 前田氏の文章に登場する「言語感情」や「質」という語彙を、私は、言語の「単位」となる「語」がもたらす独特の感覚──すなわち、この意味やこの存在に呼応する語として、この響き、この感触はまさにこれでしかない質をもっている、と言うほかない必然的な「繋がり」の感覚──として捉え、これを「語クオリア」と呼びたいと思います。そしてそれを、本居宣長にとっての「古語」、折口信夫や吉本隆明の「詩語」に、さらには「言霊」[*]そのものに結びつけていきたいと考えています。
 
[*]たとえば『言語にとって美とはなにか』のよく知られた次のくだりに登場する「う」という有節音が意識にもたらす「さわり」が、ここで言う「語クオリア」であり「言霊」である。
《たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずだ。また、‘さわり’の段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はある‘さわり’をおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反射的な指示音声だが、この指示音声のなかに意識の‘さわり’がこめられるとすれば〈海[う]〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を‘直接的にではなく象徴的’(記号的)に指示することとなる。このとき、〈海[う]〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。》
■クオリア憑きの「詞」を生み出す「辞」のはたらき
 
 直立二足歩行や人類の心の進化、ネオテニー、そして“やまとことば”における「語クオリア=言霊」へと、議論がずいぶん拡散してしまいました。このあたりで、これらの話題にひとつの「繋がり」を与えておきたいと思います。かなり独断的で強引な作業になるでしょうが、貫之現象学B層第三相の「総序」となることを期待して書いてみます。
 
 ……直立二足歩行が人類に与えた「第三の眼」によって「地平線」が発明され、これを俯瞰する「空間的パースペクティヴ」がもたらされる(三浦雅士、本稿第75章参照)。あるいは「韻律・撰択・転換・喩」につづく第五の表現段階である「パラ・イメージ」がもたらされる(吉本隆明、同じく第36章他参照)。
 これに対して「認知的流動性」が現生人類の心にもたらしたものは、「無と有」の反転、「裏と表」の縫合、「内と外」の往還、「一と多」の連結といったアイロニカルな「繋がり」もしくは「実在の運動」であり、これら異質なものの絡まりを俯瞰する(メビウスの帯、クラインの壺、ボロメオの輪のごとき?)「時間的パースペクティヴ」であった。
 これら空間、時間における二つの(マテリアルな次元での)パースペクティブの働きが合流し、そのプロセスがベルクソンの「凝縮」のメカニズムを通じて「かたち」づくられることによって、「語クオリア=言霊」がもたらされる[*1]。
 空間・時間のパースペクティヴのはたらきが「辞」に、それが志向する対象が「詞」に通じる[*2]。「詞=語クオリア」ではない。「潜在的な運動」「繋がりの運動」「実在の運動」すなわち「辞」のはたらきを介してクオリアが「詞」に憑く(もしくは受肉する)のである。
 はじまりの言葉はクオリア憑きの詞すなわち「詩語」である。それは内側からのクオリア体験をなんどでもはじめてのこととして「反復」する。
 クオリアすなわち言葉の生命が「言霊」である。そのような意味での言霊が何度でもはじめてのごとく反復する、そのはじまりの言語の記憶を「かたち」(フィギュール)として保存し伝達する、すなわち反復するのが“やまとことば”である。
 ──私はそのようなものとして“やまとことば”を捉え、「やまとことば=ネオテニー(幼体成熟)説」を考えている[*3]。……
 
[*1]平井靖史著『世界は時間でできている』から、同書の議論が俯瞰的に述べられた文章を引く。
《…時間の流れを体験する〈持続〉の水準を中心にして、ベルクソンの議論は、上方と下方に時間階層が広がっている。(略)
 階層0には「物質」が位置し、階層1との時間スケールギャップを通じて「感覚質」(現代でいう感覚クオリア)をもたらす。これが、ベルクソンが『物質と記憶』第四章で展開している「凝縮説」であ[る]…。凝縮のメカニズムは、上の階層まで貫く…。
 階層1と階層2のあいだに持続が成立するわけだが、ここでは上下の時間階層間の‘縦方向の’相互作用が必要になる…。なお、「注意的再認」(意識的にものを見聞きすること)におけるトップダウンのイメージ投射…もこの現場で起こる。つまり、私たちの外界認識というものも、下の速い処理と上の遅い処理からなるハイブリッドな仕方で構築される。今のところは、「持続」と一口に言っている現在の流れが、実際には‘下と上の時間スケールが合流する’ことで成り立つらしいということを押さえておいてほしい。
 階層2は体験の現象的側面の「記憶」(これを本書では「体験質」と呼ぶ)を構成し、それらが累積した 階層3は「心」の現象的側面を構成する(同じく「人格質」と呼ぶ)。私たちは、現在の枠内に切り詰められた物体ではない。人生という巨視的な時間を貫いて存続する一人の人格である。この巨大な時間的リソースが、その粒度をダイナミックに変動させうるようなシステム形成を可能にする。これが「意識の諸平面」を擁するベルクソンの記憶の逆円錐モデルのコアを成す考えであり、そこから私の意志的活動・志向性が与えられる…。
 そこに含まれる膨大なリソースを展開し、自動的あるいは能動的に操作することで得られるのが想像や想起、一般観念、注意といった高次認知の働きである…。》(『世界は時間でできている』54-56頁)
 ちなみに、私が本文で述べた事柄は「感覚クオリア」の構成に対応している。つまり「語クオリア∽感覚クオリア」の関係が成り立つ。これを拡張すると「体験質」(あるいは「記憶クオリア」?)に対応する「文クオリア」、「人格質」(あるいは端的に「ペルソナ」?)に対応する「文章クオリア」といったものを想定することができるだろう。
 
[*2]「辞」は「演算子(dx)」に、「詞」は「項(x)」に通じる。──中井久夫が「文」には「内容的=「項」的部分」と「「演算子」的=次文喚起部分」があると書いている。日本語は特に後者の「接続的部分」に文法的工夫を凝らした言語であると(『記憶の肖像』)。
 これを読んで、時枝誠記が江戸期国学者たちの分類に拠って展開した「詞」と「辞」の日本語文法論を連想した。
 この区分はウィリアム・ジェイムズの根本的経験論における「何(what)」と「あれ(that)」、吉本隆明の「指示表出」と「自己表出」、永井均の「リアリティ」と「アクチュアリティ」の区分に通じている(「項=詞=何=指示表出=実在性」と「演算子=辞=あれ=自己表出=現実性」)。
 また、中井の「項」と「演算子」はそれぞれ数学における「x」と「dx」に該当する。「一つの感覚的性質を認識する場合…、その認識の基となる一般なるもの[連続体]がなければならぬ。而もそは…経験に内在的のものでなければならぬ、数学に於てxに対するdxの如きものでなければならぬ」(『西田幾多郎全集第二巻』77頁)。
 「有限なる曲線は無限小なる点[その位置によつて方向を含む点]より生ずると考へることができる、dxをxの根源として考へることができる」(同書86頁)。──檜垣立哉氏によれば、西田幾多郎のこのモデルは「有限な「意識」すなわちxと、無限な「無意識」dxの関係」を示している(『バロックの哲学』249頁)。
 
[*3]ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』の原著には「ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語」の副題がついている。この「比喩的言語」(figural language)と、後期旧石器時代の洞窟に描かれた図像や記号に対してアンドレ・ルロワ=グーランが命名した「神話文字」(mythogram)とがどういう関係を切り結ぶのか。このことを本邦古代末期の王朝和歌における仮名文字にからめて考察することも「やまとことば=ネオテニー(幼体成熟)説」の一つのテーマである。
 
■仮面=鏡の構造─やまとことばの特性をめぐって
 
 「はじまりの言語」の記憶を「かたち」として伝える“やまとことば”に関して、ここで一本、補助線を引きます。
 坂部恵は「日本文化における仮面と影──日本の思考の潜在的存在論」(『鏡のなかの日本語』所収)において、日本語の目立つ特徴のひとつとして、「元来の日本語(やまとことば)においては、仮面と素顔を言い表すのに、ただひとつの語すなわち、〈おもて〉という語をもってする」ことを挙げ(41頁)、また、「おもて」に関していまひとつ注目に値することとして、それが「面(おもて)」、「仮面」、「顔面」を意味するにとどまらず、「表(おもて)」、「表面」という意味をもあわせもつことに注目しています(46頁)。
 
 前段について。
 「まな-ざし」という語が一方向的な志向性以上のものを含まないのに対して、「おも-ざし」(顔貌、顔付き、顔の志向)は「双方向的に交錯する重層的な志向性」を含んでいると分析した上で、坂部は、「おもて」もこれとおなじ構造をもつこと、すなわち「他者によって見られるものであると同時に、また、みずから見るものであり、さらには、おそらく、みずからを一個の他者として見るもの」にほかならないことを指摘し、能舞台におけるある仕掛けに言及している。
《〈鏡の間〉において、演者は、面を身に着け、鏡のなかにみずからの顔ないし面を見、同時に鏡のなかの面によって見られ、さらには、みずからを神ないし霊に変身を遂げたものとして見ます。つづいて、かれは、神ないし霊に変身を遂げた演者として、あるいは、つまりはおなじことですが、演者たるみずからの身のうちに化身した神ないし霊として、舞台へと歩み出るのです。
 おなじことを、かれは、他者に変身を遂げた自己として、あるいは、自己のうちに化身した他者として、舞台へと歩み出る、といいかえてもよいでしょう。
 ここには、このようにして、いましがたわれわれが規定した〈おもて〉の構造の典型的なひとつの顕現ないし顕在化が見られます。》(『鏡のなかの日本語』44-45頁)
 坂部は続けて、このような「おもて」の構造は「仮面」の構造であると同時に「素顔」の構造でもあることを指摘し、ローマ時代の「仮面」からキリスト教神学における神の「位格」を経て近代の個的で自律的な「人格」にいたる変遷を経たラテン語の「ペルソナ」と比較している。
 
 後段について。
 いわく、日本語の思考における「表面」はイデアや物自体といった実体的な実在に対立する「見かけ」を意味するものではない。すなわち「おも-て」と「うら-て」は原理的に反転可能ないし可逆的・相互的である。
 ここでは、「離見の見」と「幽玄」の概念が、可視性(おも-て)と不可視性(うら-て)の反転可能性ないし可逆性の例として挙げられる。
《いずれにせよ、日本の伝統的な思考においては、デカルト的な実体のカテゴリーも、あるいは、精神と身体、内と外、見えるものと見えないもの等々のあいだの、ある種の堅固に固定されて動きの取れない二元論も存在しないのです。(略)
 要するに、くりかえし言えば、日本の伝統的思考においては、〈おもて〉、〈表[おもて]〉、〈表面〉しか存在しない。いいかえれば、すくなくとも原則的にいって、厳密にたがいに反転可能なもろもろの〈おもて〉の束しか存在しないのです。
 われわれがさきに見たように、(〈鏡の間〉をふくめた)能の舞台は、象徴的にも現実的にも、幾重にも、鏡の構造にとり囲まれており、そこには、(いうまでもなく、〈謡い〉や〈地謡い〉をもふくめて)いわば、さまざまな〈おもて〉〈表面〉と反映の戯れを措いてほかの何物もありません。もしお望みとあれば、そこには、みずからのうちにさまざまな成層ないし次元をふくんだ、一種の〈エクリチュール〉ないし〈テクスト〉があると言うこともできるでしょう。ということになれば、そこには、〈音声中心主義[フォノサントリスム]〉のいかなる痕跡もないということになるでしょう。
 そこには、いかなる厳密に固定された同一性をももつことのない、同一性と差異性の戯れをおいて何物もありません。(一人称、二人称、三人称といった)〈人称〉ないし〈人格〉さえも、そこでは、厳密に固定されることがないのです……。
 能の舞台においては、死者たちの世界ないし〈幽界〉とわれわれの地上の世界、あるいは、見えないものと見えるものさえもが、ついには、たがいに反転可能な可逆性と相互性の関係のうちに置かれるのです。》(『鏡のなかの日本語』49-50頁)
 ──「おもて」をめぐる坂部の議論は、より広く“やまとことば”一般がもつ特性をめぐるものに拡張できるかもしれません。すなわち、@相反する意味をもつ語、すなわち「コントロニム」(contronym;Janus-faced word)と、A可視性(おもて)と不可視性(うら)の反転可能性・可逆性。
 そして、これらの特性(@¬A=A,A¬A⇒A)は「やまとことば=ネオテニー(幼体成熟)説」(もしくは「やまとことば=鏡=仮面説」?)を考えるうえで、あるいは“やまとことば”におけるアイロニー性の淵源をめぐる議論にとっての、有益な手掛かりを与えてくれます。
(55号に続く)

★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」54号(2024.12.15)
<哥とクオリア/ペルソナと哥>第80章 ことだま/詞と辞/アイロニー(その1)(中原紀生)
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