■貫之の和歌六様
富士谷御杖の表裏境や倒語の説が、隠喩や換喩をめぐるヤコブソンの言語学に先んじていて、その「ことばの屈折」の理論が「ひたぶる心の屈折」の理論と相応じていた点で、御杖はラカンにも先んじていた。前章で取りあげた『仮面の解釈学』のなかで、坂部恵氏はそう指摘していました。
富士谷御杖の歌論が、二十世紀の構造主義につながる思考を先取りしていたことそれ自体に、はたしてなにほどかの意味があるかどうかについては、慎重な吟味が必要だと思いますが、(というのも、ある思考のかたちが、後から見て、たとえば「構造主義の先駆形態であった」といいうるだけの実質と可能性を孕んでいるものだったとしても、しかし、それがそれとして自覚されないまま世に現われ、あるいは、そもそも自覚されようのない歴史的な文脈のなかで立ち現われ、かつまた、批判と再反論の応酬や創造的誤読などを織り込みながら、後代に受け継がれ様々に分岐していくことなく忘れ去られていったとすれば、後の思考を先取りしていた、と後の時代において意味づけることには、少なくとも人文知のあり方について考える場合、疑問なしとしないからです)、もしも、先駆けていたことそれ自体になにがしかの意味がありうるのだとすれば、ヤコブソンやラカンを先取りしていたといわれる御杖にはるかに先んじて、すでにして貫之の歌論のうちに隠喩や換喩の理論が着想されていた、というのが、「そもそも歌の様式は六つある」に始まる仮名序の歌体論(歌の様式分類)をめぐる尼ヶ崎彬氏の解釈から導きだされる事柄なのではないか。私はそのように考えています。
《そもそもうたのさまむつなり。からのうたにもかくぞあるべき。そのむくさのひとつには、そへうた。おほささぎのみかどをそへたてまつれるうた
なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな
といへるなるべし。
ふたつには、かぞへうた。
さく花におもひつくみのあぢきなき身にいたつきのいるもしらずて
といへるなるべし。
みつには、なずらへうた。
きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ
といへるなるべし。
よつには、たとへうた。
わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも
といへるなるべし。
いつつには、ただごとうた。
いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし
といへるなるべし。
むつには、いはひうた。
このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり
といへるなるべし。》
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貫之による和歌の分類、すなわち、そへ歌・かぞへ歌・なずらへ歌・たとへ歌・ただごと歌・いはひ歌の「六様」(尼ヶ崎氏の命名)は、「からのうたにもかくぞあるべき」とあるように、詩経大序以来の中国詩論における伝統的分類、すなわち、風・賦・比・興・雅・頌の「六義」の翻案もしくは「改釈」であったとみなすのが有力な説であるようです。たとえば、大岡信氏の『詩の日本語』には次のように書かれています。
《いったい、和歌の表現方法を分類してみても、『万葉集』時代の寄物陳思歌[ものによせておもいをのぶるうた]、すなわち譬喩的表現と、正述心緒歌[ただにおもいをのぶるうた]、すなわち直叙的表現の二種の区別以上にはほとんど出ることがないにもかかわらず、『古今集』時代の和歌復興の機運をになった貫之らは、和歌が漢詩と並んで律令体制下の官人の表現の具となり、晴の舞台におどり出ることになった誇りを一層確実なものにするために、中国詩の六種の分類を和歌に適用させようとして右のような区別を無理にこしらえ、その上、漢詩の方でもどうやらこれと同じようだと、肩をそびやかしてみせたのだった。この微笑ましい力瘤にも明らかなように、日本の和歌の理論に中国詩論の影響が色濃く落ちているのはいうまでもない。》
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貫之の六様は、六義の「強引な」翻案であり、中国詩の六分類を和歌に適用させようとして「無理に」こしらえたものである。大岡氏はそのような前提に立って、漢詩に対抗した貫之の和歌分類の試みを「微笑ましい」と形容しているわけです。
六様の「なずらへ歌」「たとへ歌」と六義のうち比喩表現と解される「比」「興」、また、「いはひ歌」と「頌」は、一見して意味が似通っているものの、「そへ歌」と「風」、「かぞへ歌」と「賦」、「ただごと歌」と「雅」は、貫之の挙げた例歌とぴったり一致しない(ただし、六様の第五「ただごと歌」は六義の第二「賦」に相当する内容をもっている)。本居宣長が『石上私淑言』に「いかに深く考ふとも、まことにあたれる説は世にいできがたかるべし」と書きつけたように、六義説の翻訳として貫之の和歌六様をとらえるかぎり、そこには無理と強引しか見出せない。このような解釈に対して、尼ヶ崎氏は、「貫之の六様は、和歌の実情に即した、貫之自身の考えに基く分類なのではないか」とし、貫之は、和歌の実情に合わない「六義に対抗するために、あえて六義に対応する形で、つまり六義改訂版という形で、自分の分類を語ろうとしたのではないか」と指摘しています。
ここで、尼ヶ崎氏による仮名序解読の内容を、つまり「仮名序歌論の特徴」を確認しておきます。貫之は、まず、「志」を旨とする中国詩観に対抗して、和歌の根拠をただ「人のこころ」に置きました。世の中にある人が「心におもふこと」を言い出したものが和歌であると、その本質を規定したわけです。次いで、貫之は、心に思うことを言い出しただけでは(心情をただ言語化しただけでは)十分ではない、花鳥風月など「見るものきくもの」に付託して表現するという修辞の条件にかなったものが和歌たるにふさわしいものであると、その形式を規定しました。「物によって思いに形を与えること、これが和歌の標準的な形式である、と考えたのが紀貫之である。彼の仮名序はこのような観点から書かれたものと考えられる。そしてこのような観点の獲得によって、貫之は中国詩論の枠組を脱し、独自の和歌理論を完結させえたのである。」
尼ヶ崎氏の語彙を借用すれば、心(思い、感じ)の表現という本質規定を満たすのが「広義の和歌」(和歌と呼ばれているものすべて)、付託という形式規定を満たすのが「標準的な和歌」(和歌と呼ぶにふさわしいもの)です。貫之が「そもそもうたのさまむつなり」以下で展開した和歌六様の説は、この「広義の和歌」のうち「標準的な和歌」とそうでない和歌とを区別するための分類法を示すものだったのであり、したがって、その際の規準(分類におけるクライテリオン)こそが、付託という修辞技法の有無、およびその深浅だった。以下、尼ヶ崎氏によって解明された和歌六様の摘要を示しておきます。
1.そへ歌
「そへる」こと、つまりある物を別の物に擬すること以上の積極的な表現効果をもたない付託表現。例歌は、ようやく天皇になった「おほささぎの帝」を、露骨を避けて直接に語らず、「花」に置き換えたもの。
2.かぞへ歌
物の類似でも物への思いの類似でもなく、ただ「物の名」の音声上の類似を利用して物を引きあいに出す、掛詞による付託表現。同音異義を利用して一首の内に二重のイメージを絡み合わせるという、そへ歌よりも積極的な表現効果をもつ。「かぞふ」は「誦ふ」、すなわち拍子をとって朗誦すること。例歌は、「つぐみ」「あぢ」「たづ」の鳥名を折り込みながら、病気の「いたつき」と鳥を射る矢の「いたつき」(矢尻)を掛けた複雑巧緻なもの。
3.なずらへ歌
物への「思い」と人事の「思い」との類似をもとに、前者の喚起を通じて読者の内に後者を呼び起こすための付託表現。例歌では、朝の霜のイメージが霜の消えゆくはかなさを喚起し、この「はかない」という思いが、絶え入らんばかりに恋する者の消えゆく命のイメージに移入される。消えゆく霜に死にゆく自己を「なずらへ」るのは、このような「思い」の転移のため。
4.たとへ歌
ある物のもつ特徴を強く訴えるために、同じ特徴をより明瞭なイメージとしてもつ別の物を引きあいに出す付託表現。例歌は、恋の思いの無限という抽象的な特性を、浜の真砂の無限という具体的なイメージに「たとへ」たもの。ただ、両者に「無限」という観念の類比はあるが「思い」の類比はなく、この点で「なずらへ歌」と異なる。
5.ただごと歌
物への付託をせず、「思い」を直叙する歌。
6.いはひ歌
相手のために縁起のよい言葉を組み立てるもので、儀礼的に献呈される歌。言霊信仰に由来する一種の儀礼的呪言であり、自らの経験による思いを表すものではない。例歌は、殿屋の多さを葉の多さに喩えるもので「たとへ歌」と同構造であるが、それによって説得力が強まるというものでもない。
《こうして、和歌の六つの「さま」は、「心に思ふ事を見る物聞く物に託けて」表す四様式、付託なくして「心に思う事」を表す一様式、及び儀礼的賀歌の六様式から成る。このうち最後の二つ、「ただごと歌」(直叙)と「いはひ歌」(賀歌)は、〈広義の和歌〉ではあっても、〈標準的な和歌〉たるべき規定を満さない。貫之の考える規定を満すものは初めの四つである。しかし、最初の二つ、「そへ歌」(単なる物の置換)と「かぞへ歌」(音声的類似による物名の組入れ)とに於ては、付託という技法が言葉の上の趣向にとどまって、〈思い〉の表現という目的に積極的な役割を果さない。この意味で、おそらく貫之にとって本当に〈和歌らしい和歌〉であったのは、「なずらへ歌」(物への〈思い〉の付託)と「たとへ歌」(物のイメージの付託)であったと思われる。》
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■認識の四角形から哥の四角形へ
私は、(尼ヶ崎氏は明示的に書いていませんが)、貫之が和歌と呼ぶにふさわしいものと考えた「標準的な和歌」の四様式のうち、とりわけ「和歌らしい和歌」の二様式のうちに、かの隠喩・換喩のレトリックの二分法をめぐる思考が、素朴にして萌芽的なかたちではあれ、すでにして孕まれていたのではないかと考えています。
具体的に述べましょう。ある物と別の物との類似(相似・相同)関係に基づく隠喩についていえば、「そへ歌」(物の[類似関係の人為的な仮構による]置換)を原初形態として「なずらへ歌」(物への「思い」の付託)に結実し、また、ある物と別の物との隣接関係に基づく換喩についていえば、「かぞへ歌」(音声的類似[=音声的な隣接関係]による物名の組入れ)を原初形態として「たとへ歌」(物のイメージの付託)に結実しているのではないか。
あるいは、瀬戸賢一氏が『レトリックの宇宙』(その改訂増補版が『認識のレトリック』の二部に収録されている)で提唱した、メタファー・メトニミー・シネクドキによる「認識の三角形」のアイデアを導入するならば、これとは少し異なった構図を描くことができるかもしれません。
瀬戸氏の議論を要約すると、次のようになります。広義の換喩(メトニミー)に分類される比喩表現のうち、(西欧中世の普遍論争にもかかわる)類と種の論理的関係に基づくものは提喩(シネクドキ)である。したがって、狭義の換喩は現実世界(仮構された世界を含む重層的な世界)におけるモノ(個物)とモノ(個物)の時間的・空間的な隣接関係にかかわり、提喩はカテゴリーとしての意味世界(概念と論理の世界)における「類−種」の包摂関係にかかわる。これに対して、隠喩(メタファー)は現実世界と意味世界のそれぞれに属し、この両世界を結び橋渡しする絆である。
《カテゴリーとしての意味世界は私たちの内にあり、モノとモノとが隣接する現実世界は私たちの外にある。その両世界を結ぶメタファーは、私たちの身体によって仲立ちされる。知覚感覚器官が体表あるいは体表付近に張り巡らされた身体をもって、私たちは外の世界と対面する。境界に立つ身体は、外部世界と直接に接することによって、新たな類(類似)を発見=創造し、世界の新たな分類と再分類を行う。身体的知覚によって区分された世界は、言語表現を与えられて、意味世界に向う。メタファーは内の世界のカテゴリーと対面するとき、固定的な意味関係に振動を与え、惰性的な意味を活性化し、意味の再布置化を行う。私たちは、こうしてできたことばの新しい網目を持って再び世界と対峙する。その網目を通して世界を眺め直す。メタファーは世界を開き、意味を生む。
メタファーは、また、これと逆方向の働きも示す。右に述べたメタファーは、主として身体的知覚の仲立ちによって現実世界から意味世界へ向う。これは「感性的メタファー」と呼んでよいだろう。「感じる」メタファーである。他方、メタファーには、主として意味世界の内部で相互に隔たったカテゴリー間に類似性(あるいは関数的な対応関係)を発見するもうひとつの類がある。これは、意味世界から発して現実世界を眺め直そうとするものであり、「悟性的メタファー」と呼んでよい。悟性的メタファーは、「案じる」メタファーである。反省的・思索的色彩が濃い。たとえば、「明るい未来」の「明るい」は感性的メタファーであり、「時は金なり」の「金」は悟性的メタファーである。》
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瀬戸氏はさらに、この「認識の三角形」をパースによる記号の三分法に対応させて、「隠喩=類似記号(イコン)=類似関係」「換喩=指標記号(インデックス)=隣接関係」「提喩=象徴記号(シンボル)=包摂関係」の三つ組へと展開していくのですが、私としては、そこに、第四の比喩として「逆喩」(オクシモロン、撞着語法とも)もしくは「アイロニー」を、また、第四の記号として「アレゴリー」もしくは「仮面記号」(マスク)とでも名づけられるものをもちこんで、独自の「認識の四角形」を打ち立てることはできないものかと構想しています。
それは、瀬戸氏のいう「現実世界」が実在する世界とともに仮構された世界を含んでいたこと、つまり「実」(もしくは「有」)と「虚」(もしくは「無」)という異なる層で構成されていたことに着目して、これと同様の区分を「意味世界」にも見いだし(実在する意味世界と論理的に可能な意味世界という二つの層)、その上で、両世界に棲息するそれぞれの比喩もしくは記号を、「実在性」(アクチュアリティ)という「実」(もしくは「生」)の軸に沿って収縮させ媒介する「(生きた)メタファー=イコン=類似関係」に加え、「潜在性」(ヴァーチュアリティ)という「虚」(もしくは「死」)の軸に沿って弛緩させ媒介する「(死んだメタファーとしての)オクシモロン=マスク=反転関係」を導入することはできないか、というものです。
(にわか勉強で、ヤコブソンの『一般言語学』(川本茂雄ほか訳)を眺めていると、「換喩と隠喩の両手法の間の拮抗は,個人内であれ社会的であれ,あらゆる象徴過程に明らかに見られる.たとえば,夢の構造の研究で,決定的な問題は,象徴や用いられた時間的順列が,隣接性(フロイトの言う,換喩的な“転位 displacement”と提喩的な“圧縮 condensation”)に基づいているか,それとも相似性(フロイトの言う,“同一化 identification”と“象徴化 symbolism”)に基づいているかである。」という文章が目についた。前後の文脈はさておき、また語彙の不整合には目をつむるとして、ここに出てくる「転位」「圧縮」「同一化」「象徴化」は、それぞれ「メトニミー=インデックス」「シネクドキ=シンボル」「メタファー=イコン」「オクシモロン=マスク」に関係づけることができるのではないか。)
まだまだ未熟なものでしかありませんが、もし仮に、そのようなアイデアになにほどかの意義(実証性)があるとすれば、和歌六様のうち、物への付託という修辞技法の分類に基づく「標準的な和歌」の四様式を、たとえば「そへ歌=オクシモロン+マスク」「かぞへ歌=メトニミー+インデックス」「なずらへ歌=メタファー+イコン」「たとへ歌=シネクドキ+シンボル」といった構図のもとでとらえ、貫之が挙げているそれぞれの例歌を解読することができるかもしれません。
また、「そへ歌」から「かぞへ歌」、「なずらへ歌」を経て「たとへ歌」へという流れのうちに、ヴァーチュアルなカミの哥(聲)からリアルなうぐひすやかはづの「こゑ」へ、そして、アクチュアルな人の心を歌詞(あるいは、歌詞(うたことば)のうちに凝結した声)に付託して言い出す歌(瀬戸氏の言葉を借用すれば「感じる歌」)からイマジナリーな論理世界の相貌を帯びた歌(同様に「案じる歌」)へ、さらには、こうした比喩的表現の各段階、つまり寄物陳思歌の四つの様式を一巡したあとにひらかれる直叙的表現、すなわち正述心緒歌としての「ただごと歌」へ、かつまた、その実用性に着目した「いはひ歌」へという、「やまとうた」の変遷の諸相が表現されていることを明らかにすることができるかもしれません。
歌論の世界にひきつけて、もう少し話を広げてみます。
瀬戸氏がいう「現実世界」を〈物〉の世界に、「意味世界」を〈心〉の世界にそれぞれおきかえて、これらの世界を(アクチュアルな次元において)媒介する「(生きた)身体」を基盤として〈詞〉の世界が立ちあがる、いいかえれば、〈物〉の世界における「聲・こゑ・声」がシニフィアンに、〈心〉の世界における意味=「歌の心」がシニフィエにそれぞれつながっていく、といった構図を描いてみる。そうすると、「(生きた)身体」に対する「(死んだ)身体」に相当するものを基盤として立ち上がるものが、(あるいは逆に、アクチュアルな〈詞〉の世界と対になるヴァーチュアルな「私思欲情」の世界がまずあって、そこから「(死んだ)身体」もしくはデスマスクを被った能役者のようなものが立ち上がる、というべきなのかもしれませんが、それはともかく、いずれにせよ、〈物〉の世界と〈心〉の世界をヴァーチュアルな次元において媒介するものが)、俊成由来の「歌の風体」、すなわち哥の〈姿〉である、などということができるかもしれない。先の「認識の四角形」をもじっていえば、貫之の和歌六様のうちには、貫之以前以後のやまとうた全般を包括する「哥の四角形」とでもいうべきものが潜んでいるのではないか、というわけです。
■世阿弥三体をめぐって
少し先走った話題を、(長い註として)挿入します。
いま述べた「歌の風体」もしくは「歌の姿」は、能におけるシテ(死者)の舞の姿、すなわち「老体」「女体」「軍体(男体)」の世阿弥三体に、あるいは、それに「物狂(ものぐるい)」と「鬼」を加えた「五体」につながるのではないか。つまり、歌の「体」とは、文字通り、客観化された歌の姿としての「身体」(舞歌幽玄を本風とする能役者の「振る舞い」)へとつながっていくもののことなのではないか。
さらに、「浄瑠璃は「語る」立場を固守し、それによって人形の演技を明白に能役者の演技から分離せしめた。浄瑠璃の叙事詩的な描写は、謡曲の抒情詩的詠嘆よりも、一層具体的に人間の出来事を取り扱うことができる。そうしてそれを舞台上に表現する場合に、「うた」に伴う演技はおのずから舞踊になって行くに対して、「語られる」人間の動作はおのずからしぐさとなってくるであろう。だから人形の演技は、生きた能役者の演技よりも、一層具体的に、また写実的に、人間の生活を表現することとなったのである。」(『歌舞伎と操り浄瑠璃』)と書いた和辻哲郎の議論にも、いずれつながっていくのではないか。
私はいまそんなことを考えているのですが、しかし、それは定家論理学のはるか彼方に所在する問題なのであって、ここでは、まだ、それを取りあげるための道具立てがととのっていません。ただ一つだけ、後々の考察のための手がかりを、梅原猛著『美と宗教の発見』に求めておきます。
梅原氏は、同書に収められた「日本の美意識の感情的構造」で、まず、古今集歌人における「時間志向的美意識」の構造と特質を指摘します。いわく、在原業平の「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして」には、恋人の無と、その恋人の不在によって無に蝕まれた世界という「二重の無の意識」が詠まれている。この「無」(可能性と現実性の分裂がもたらす不可能の深淵)をうめたいとする「願望の、それ自身無的な橋」と、しかし、それではどうすることもできない「無常の運命」がもたらす「距離の美学」こそが、「悲哀の濃い日本的感情の原型」をもたらした。そうして、この古今的悲哀感の延長上にありながら、その美意識を否定するのが、藤原定家の「み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ」であった。定家が告げる新しい美学は、「願望があり、それが否定される無」にもとづく「主観的悲哀感の美学」ではなくて、「世界そのものの無」にもとづく「非情の美学」であり、「客観的な悲哀の美学」であった。
《それは、春や秋の盛りの哀歓ではなく、秋の夕べのわびしさそのものであり、悲しみは絶望にまで深まっている。しかし、同時に、自己と対象との間にあった無は、対象そのものにうつされ、却って主観は、純粋観照の主体として嘆きから解放されるのである。非情の美学がここに生れる。このような美意識は「客観化された悲哀」とよばれるべきものかもしれない。そしてこの美意識が、禅と結びつき、能になり、茶になり、俳句になり、「わび」「さび」「いき」と変ってゆくのであろう。》
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「この[客観化された悲哀の]美意識が、禅と結びつき、能になり」の部分については、前掲書所収の「世阿弥の芸術論」で、次のように展開されます。いわく、世阿弥の『能作書』に、「古風には田楽の一忠、中比当流の先士観世、日吉の犬王」と、「昔より天下に名望他に異る達人」の名を挙げたあとで、「これはみな舞歌幽玄を本風として三体相応の達人なり」とある。世阿弥の芸術論の中核は、このうちの「幽玄」の理論にではなく、「三体」の理論、つまり能役者は老体・女体・軍体の三体に通じなくてはならないとする理論にこそある。
このことを、梅原氏は、「一般に芸術においては一つの崇高な理念が問題であるのではなく、いかにその理念を感性的に個体的な人間の生命に実現して行くかというところに、もっとも難しい芸術の問題がある。われわれは、従来のように本体論から世阿弥の芸術論を見るべきではなく、様式論から芸術論を見るべきであろう。」と書いていて、私は、これと同じことが、貫之であれ俊成であれ定家であれ、それぞれの歌論についてもいえると思うのですが、(つまり、歌の様式論たる歌体論こそが、それぞれの歌論の中核になるものだと思うのですが)、それはともかく、以下、梅原氏は、世阿弥の三体の理論には、歌論の、とりわけ後鳥羽院の「三体和歌」の影響があったのではないか、と考察を進めていきます。(三体和歌とは、古今集以来の歌のテーマである「春夏」「秋冬」「恋旅」を、それぞれ「太く大きに」「細くからび」「艶に優しく」という美的感情によって分類したもの。このうち春夏が軍体に、秋冬が老体に、恋旅が女体に対応する。)
《しかし、直接の影響より、もっと大切な問題がある。それは一つの文化の流れにおける精神の構造の類似性である。(略)世阿弥が後鳥羽院と同じような分類に達したのは、彼らが同じ精神の流れにおいて、生命そのものの持つ形を熟視したからである。戦後、人は物質だけに形があり、精神には形がないと思っているが、精神は客観的なそれ自身の形と論理とを持っているのである。その精神の形を見つめることから新しい精神史の試みがなされねばならぬであろう。後鳥羽三体と世阿弥三体との間には精神の形の類似性がある。しかし、類似性と同時に差異性も無視することが出来ない。後鳥羽三体が美的理念の分類を主として季節の差異によって行なったに対し、世阿弥はそれを人間の生命の様式の差異によって行なった。人間の生命の差異という客観的な差異の基準を見出したという点において、世阿弥の三体の方が論理的であろう。(略)
この後鳥羽院と世阿弥に共通な三体の美学は大へん重要な原理を示していると思われるのである。それは今後の新しい美学の基礎原理としても役に立つであろう。(略)私はこのような三つの美的理念[古代ギリシャの「美」とキリスト教由来の「崇高」、ドイツ・ロマン派の生んだ「フモール」という、ヨーロッパ美学の三つの基本的範疇]より、世阿弥の三つの美的理念の分類の方がはるかに客観的であり、創造的であると思う…。そればかりか、世阿弥の三体は日本の文化を流れる三つの美的理念を示していて、このような美的理念の組合せによって、日本のいろいろな芸術の美意識が説明出来ると思う…。》
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世阿弥三体をもって説明できる他の芸術ジャンルの具体例として、梅原氏は、一層に王朝風の寝殿造り、二層に武士風の書院造り、三層に禅宗風の建物という「奇妙な配置」をもつ金閣寺との類似性を指摘します。いわく、金閣寺によって具現化された「基本に王朝精神をおき、その上に武士精神と禅宗精神をおく、三重の精神構造」は、足利義満の文化統合の原理であるばかりか、政治統合の原理であったかもしれない。一層に幽玄の女体を、その上に軍体と老体をおく世阿弥の三体論も、その精神構造において、義満と同じである。しかし、世阿弥には、義満のもたない独自な美の世界があった。「それは、おそらく、狂人と鬼と死霊を主人公とした闇の煩悩の荒れ狂う世界であったが、そのような衝動のはげしさが、ここでは静かな観照の精神と共存しているのだ。」
梅原氏の議論の紹介はこのあたりで切り上げて、ここでは、氏の文章に頻繁にでてくる「客観的」という語彙に注目したいと思います。客観的な悲哀の美学、精神がもつ客観的な形と論理、ヨーロッパ美学より客観的な美的理念、等々。それは、「観照」や「形」、生命の「様式」、精神の「構造」や感情の「論理」といった語彙とも響きあっています。そして、それらは総じて、梅原氏が、世阿弥三体にいう「体」とは「自然の中に客観的に存在する生命の様式」であった、と定義するその「体」につながっていくものです。
この節の冒頭に、私は、歌体論にいう「体」とは、文字通り、客観化された歌の姿としての「身体」(能役者の「振る舞い」)につながっていくのではないか、と書きました。梅原氏の議論を取り入れて、これを精確にいいなおすならば、(あるいは、乱暴に敷衍するならば)、次のようになるでしょうか。
尼ヶ崎氏によって、付託という修辞の技法に即して解釈された貫之の和歌六様は、「主観的悲哀感」に色濃く染まった心(思い、感じ)を言い出す際の、その心が蔵された身体と言葉との境界領域における「無形の形」を客観化しようとする試みであった。やがて、その無形の形は、俊成によって「哥の姿」としての、つまり言語世界における「客観化された悲哀」としての自律性を獲得し、定家における「絶望」と「観照」の分裂において極まっていく。絶望といい、観照といっても、それは言語世界における純粋に論理的な事象である。しかし、そこから、世阿弥三体(もしくは五体)という「生命の様式」が生まれる。(仮面をかむった)死霊の造形として。また、純粋なペルソナの造形として。
(いま書いたことについて、先に引用した文章のなかで、梅原氏が、世阿弥に独自な美の世界とは「狂人と鬼と死霊」を主人公とした闇の煩悩の荒れ狂う世界であったのではないか、しかし、そうであるにもかかわらず、世阿弥の美の世界にあっては、そのような衝動のはげしさが「静かな観照の精神」と共存しているのだ、と書いていたことと関連づけて、若干、補足しておく。
まず、「狂人と鬼」について。『至花道』において成立した三体の説は、その後、「物狂」と「鬼」という二つの「体」を派生させていった。物狂とは「弱者の絶望形式」であり、鬼は「強者の絶望形式」である。「前シテで登場する美しい面をかむった女の背後には、愛欲と嫉妬に苦しめられる恐ろしいもう一つの顔が隠されていた」のである。また、「あらゆる人間が可能性として、鬼の心を宿していた」のである。
次に、「死霊」について。世阿弥の「夢幻能において、シテはあくまで死者の霊である。このことは、どれだけ強調されても、強調されすぎることのない能の特徴」である。しかも、能においては、動植物も霊魂をもち、その霊は死後、人間の形となってあらわれる。「世阿弥の世界は、このような霊の汎神論とでもいうべき世界なのである。」(『雪国』の駒子は動物の霊で、葉子は植物の霊である。そうだとすると、川端康成の作品は、散文のかたちで造形された能なのだろうか。)
最後に、「静かな観照の精神」について。能におけるワキ、つまり諸国一見の旅の僧は、「静かな霊の世界の観照者」にして「荒れ狂う霊の鎮魂者」であった。そこには、純粋観照のアポロン的精神と荒れ狂う生の激情をあらわすディオニュソス的精神との結合がある。「私は世阿弥ばかりか定家の中にすでに矛盾した二つの精神の結合をみる」。
以上、梅原氏の議論をかいつまんで抜き書きした。私は、歌体論から世阿弥三体論へと、(たとえば「老体」を、中沢新一氏が『精霊の王』で論じた、世阿弥の娘婿・金春禅竹の「翁」一元論とからませながら)、考察を進めていくことで、西欧神学におけるそれとは素性の異なる、そういってよければ、日本(語)的な「ペルソナ」論を仕立てあげることができはしまいか、などと考えている。しかし、それはこの論考の続編で取りあげるべきテーマであって、「先走った話題」の範囲をはるかに超えている。)
■伝導体という概念
話が拡散してきました。
貫之歌論には、とりわけその和歌六様の説のうちには、隠喩・換喩という現代の言語理論を先取りする発想が着床していた(かもしれない)。そういうことがいえるとして、だからどうなのかを明らかにしなければ、そこにはなんの意味もありません。要は、歌体論とは何なのか、それはなんのためのものなのか、ということです。その答えは、「伝える」ことにあります。伝えるための表現の技法、伝わるために備えるべき条件の分類学、あるいは、歌が伝えるものとは何か、そしてそれが何に、もしくは誰にどのように伝わっていくのか、さらにいえば、伝えるのは何か、もしくは誰なのか、(そもそも、なぜ伝わるのか)、といった事柄をめぐる類型論。
私はこれまで、そういった諸々の問題をひきおこす現象のことを、ひとまとめに「伝導」と表現してきました。だから、歌体論、和歌の様式論とは、私の語彙でいえば、伝導という現象をめぐる分類学もしくは伝導体論、精確にいえば、伝導という普遍的な現象に属する一つの個別の事象である「哥の伝導」をめぐる分類学もしくは「哥の伝導体論」のことです。
伝導[conduction]とは、(あくまで私の勝手な理論によれば、ということですが)、帰納[induction]や演繹[deduction]や洞察[abduction]や生産[production]に次ぐ、「推論」の第五の形式のことです。(アブダクションとは、かのパースに由来する推論形式のこと。プロダクションとは、たとえば、芸術に関する理論や理念について多くを語るより作品一つ創ってみせる、あるいは、生命誕生の機序を云々するより人工生命を現に造ってみせる、もう一つ例を挙げると、天地創造は神の思惟=推論の具現である、といったかたちで遂行される推論のことで、これは私のオリジナル。また、振る舞い[conduct]という語との音声的な隣接関係のもとにあるコンダクションは、他の四つの推論形式と相並ぶものというよりは、それらを総括したものなのではないか、というのが私の仮説。)
ここでいう「推論」とは、概念操作または言語活動としての(狭義の)推論のことだけではなくて、時空構造を織り込んだ物質世界(宇宙)や生物の進化、精神世界における(言語以前の、もしくは言語の外における)観念の運動、はては、神の存在の直観、あるいは、永井均氏の「独在性の〈私〉」の実在をめぐるメタフィジカルな論証、等々を含めた、およそ物質と生命と精神と意識、つまり森羅万象の存在者の運動全般をつかさどる理法(ロゴス)のようなものをさしています。実は、先に取り上げた「比喩」や「記号」もまた、これと同じスケールで考えるべきものでした。そうであるならば、「認識の四角形」や「哥の四角形」のうちに推論の五つの形式をはめこみ、大きくいえば、世界の存在様式ともいえる分類を仕立てあげることだってできるはずです。その試案を一つ、示しておきましょう。
【零次性】物質:ヴァーチュアルな世界:哥の〈姿〉
¬A=A:逆喩[oxymoron]=仮面記号[MASK]=生産[production]
【一次性】生命:アクチュアルな世界:〈詞〉の世界
A⇒B:隠喩[metaphor]=類似記号[ICON]=洞察[abduction]
※
【二次性】精神:リアルな現実世界:〈物〉の世界
A∧B:換喩[metonymy]=指標記号[INDEX]=帰納[induction]
【三次性】意識:イマジナリーな意味世界:哥の〈心〉
A∨B:提喩[synecdoche]=象徴記号[SYMBOL]=演繹[deduction]
簡単に、初出の言葉の解説をしておきます。まず、「零次性」とは、(第五章の「零次の心=霊の次元の心」との「整合性」を図るため、というのもなかば本気の理由ではありますが)、逆喩という比喩、仮面という記号、生産という推論の稼動法則や内部構造をあらわすために使った二つの論理詞、否定[¬]と同値[=]の掛け合わせの結果、存在が「無」に帰する(A⇒¬A)、あるいは「無」から「有」が生産される(¬A⇒A)ことになるのに着目して採用した表記。「一次性」は、同様に、含意[⇒]の論理詞が、その(存在の次元を異にする)左右両項を(たとえば、時間的推移のもとで)アクチュアルな「一」にまとめあげることに着目しての表記。「二次性」については、連言[∧]が左右の両項を隣接関係のうちに結合しつつ、「二」項の差異性を保存しているがゆえの表記。「三次性」は、選言[∨]のはたらきによって、左右両項を包括する、もしくは通底する第「三」の項が導き出されることに着目した表記。
また、零次性と一次性、二次性と三次性のように、二つずつの組み合わせに書き分けたのは、それぞれの項(零次と一次、二次と三次)が対になっていると考えたからで、たとえば零次性と一次性を縦軸の両端に(私の身体感覚からいえば、零次性を下方に)おき、二次性と三次性を横軸の両端に(同じく、二次性を右方に)おき、この二つの軸を直交させると、私が思い描いている四世界の関係の粗い模式図を示すことができると思います。(もっとも、それらを一つの空間のうちに並置するのは、どだいナンセンスな試みです。本当は、四つの世界のそれぞれのうちに零次性から三次性までの区分があり、いま述べたのと同様の作図法でもってそれらの関係を近似的に図示することができるはずであって、そうした、四つの世界ごとに作成された四つの関係図にさまざまな局所的な変換操作をほどこすことで、ダイナミックな「四つの世界の構図」は部分的に描かれていくはずです。)
次に、零次から三次まで、そのそれぞれに「物質」「生命」「精神」「意識」を対応させていることについて。まず物質は、「哥の四角形」における「〈物〉の世界」(歌論における〈物〉は、貫之にとっては歌詞であり、定家にとっては詠まれた和歌そのものである)とは違って、文字通り、物理学の対象となる物質(宇宙)の成り立ちと構造を指しています。生命もまた、その誕生から現在、未来へといたる進化のプロセスに登場するすべての生命体と生命現象を指すものです。そして精神とは、端的にいって言語の領域をあらわす語であり、言語と同時に成立する客観的世界を指し示しています。最後に意識は、永井均氏が『西田幾多郎』で、自己意識なき意識が可能なのと同様、意識なき自己意識もまた可能なのだと書いていた、その「意識」のことです。
(註を二つ挿入。第一。これらに加えて第五の存在領域というものがあるのではないか。その第五のものをあらわす語は「情報」ではないか。そして、伝導とは本来、この情報の伝導のことなのではないか。第二。物質と生命の存在領域は、また「クオリア」の存在領域でもあって、このクオリアのはたらきこそが、精神と意識の基盤をなすものなのではないか。同様に、精神と意識の存在領域は、また「ペルソナ」の存在領域でもあって、このペルソナのはたらきこそが、物質と生命の基盤をなすものなのではないか。)
で、推論の第五の形式である伝導はどこにいったのか。「四次性」の項が欠けているのではないか。そう思われるかもしれませんが、実は、零次から三次までの四つの世界を重ね合わせたものが、つまり、「四つの世界の構図」(いわば、四つの異なる位相のもとにある世界が、相互に入れ子=包摂関係を孕みながら重ね描かれていくパランプセスト)こそが、私のいう「伝導体」の存在様式なのです。そして、その伝導体の内部で稼動するのが、(私が思い描いているイメージを精確に書くと、伝導体のうちに無数に張り巡らされた、蜘蛛の糸や脳神経細胞を思わせる導管[duct]を伝って何かが、たとえば「情報」が縦横無尽に往来することが)、伝導という「推論」の運動にほかなりません。
ベルクソンが『物質と記憶』第二章の冒頭に、「身体は、それに対して作用する諸対象とそれが影響を及ぼす諸対象とのあいだに置かれた一つの伝導体[conducteur]でしかなく」(合田正人ほか訳)云々と書いていたように、また、フロイトが『科学的心理学草稿』で、「ニューロンの運動の〈周期〉は障害に出会うことなしに、伝導の現象と同じような仕方で至るところに伝播していく」(小此木啓吾訳)と記述したように、伝導体にしろ、伝導にしろ、典型的には「身体」「脳」といった生命体や器官とそのはたらきのことを指しているのですが、しかし、それだけにとどまらず、宇宙や熱帯雨林、都市社会、等々のシステム群や言語的な構造物、はては神や仏や〈私〉の世界の構造にまで、その概念の適用範囲はひろがっていきます。
たとえば、伝導体(四つの世界の構図)の概念を使って、実は伝導体の中にあらかじめ包摂されている(四世界の構図のうちにあらかじめ書き込まれている)はずの「零次性=物質」の存在領域について、その成り立ちと構造を解明することができます。「零次性=物質」の内部に、入れ子式に零次から三次までの四つの項が組み込まれていて、それは「零次性=超ひも」「一次性=宇宙そのもの」「二次性=空間(宇・在)」「三次性=時間(宙・存)」と表記できる、といったようなかたちで。(さらに、この「物質」という名の伝導体における第五のもの、そこで伝導される当のものを「エネルギー」と名づける、といったようなかたちで。)そして、「超ひも」や「宇宙そのもの」や「空間」や「時間」といったそれぞれの概念についても同様の操作をほどこし、たとえば「空間」という名の伝導体、「時間」という名の伝導体を仕立てあげることだってできるでしょう。こうした作業は、「一次性=生命」「二次性=精神」「三次性=意識」のそれぞれについて、極端にいえば、無際限につづけていくことができるはずです。
これと同じことは、「零次性=〈姿〉」「一次性=〈詞〉」「二次性=〈物〉」「三次性=〈心〉」の「哥の四角形」についてもいえます。たとえば、「二次性=貫之現象学」と「三次性=定家論理学」を「一次性=俊成系譜学」が媒介し、この「哥の三角形」を通じて新たな「零次性=X」が生産されていく、といったようなかたちで。(この「X」に入る固有名詞の候補は、心敬や正徹、世阿弥や千利休や松尾芭蕉など。あるいは、「X」に万葉集や神人唱和などを代入し、話を過去に遡らせることもできる。)また、このうち貫之現象学の項を、「零次性=哥というギフト」「一次性=X」「二次性=フィギュールとしての哥」「三次性=哥のパランプセスト」とひらき(この場合の「X」の候補は、哥を「いひいだす心」もしくは「てにをは」)、さらに、このうち哥のパランプセストの項を、「零次性=そへ歌」「一次性=なずらへ歌」「二次性=かぞへ歌」「三次性=たとへ歌」とひらく、といったかたちで。
■共感覚へ
ここまでに書いてきたことは、(ずいぶん違ったものではありますが、結果として)、パースの記号論の「剽窃」であり、前田英樹氏が『言葉と在るものの声』で「実に驚くべきもの」と書き、「物、身体、心、記号」が「始めから世界の運動全体のなかにそれぞれの位置を持ち、精密に作用し合っている」と書いた、パースの「俯瞰図」の二番煎じでしかありません。あるいは、これは私が考えたことではなく、記号が、言語それ自身が、私の脳髄を使って勝手に考えた事柄だったのかもしれません(アナグラムによる主体なき理論構築として)。いずれにせよ、パースの記号論については、前田前掲書に寄り添いつつ、また、できればラカンと並列させながら、後の考察のなかでとりあげていきたいと思っています。たとえば、定家十体や世阿弥三体のむこうをはった、「パース十体」や「ラカン三体」といったかたちで。
ラカンの名がでたところで、中沢新一氏の議論を一つ、引用しておきます。『精霊の王』の「ユーラシア的精霊」の章に、次の文章が出てきます。
《ヨーロッパ的な「たましいの構造」において、舞踏的・霊性励起的・動態的な原理が、「ディオニソス」の名前と結びつけられて、神性の構造の内部深くに埋め込まれていることは、よく知られている。ところが、私たちの「たましいの構造」にあっては、同じ舞踏的・励起的な原理は、神仏の内部にではなく、その背後の空間[後戸の空間]で活動をおこなうのである。ヨーロッパ精神が「入れ子」の構造をもつとしたら、私たちのそれは異質な二原理の「並列」でできている。そして、このことが、日本人の宗教や哲学の思考の展開に、決定的な影響をおよぼしてきたのである。》
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この、「日本人の宗教や哲学の思考の展開に、決定的な影響をおよぼしてきた」とされる「二原理の並置」とも関係してくると思いますが、中沢氏は、同書で、和歌の「喩」の関係を次のように表現していました。
《二つの意味場は、同じ実数同士として同じ平面上で加え合わされるのではなく、虚軸を入れて垂直にねじ曲げられた上で、くっつくのでもくっつかないのでもないようなやり方で、たがいに接続していく。このような「喩」の力によって、世界の様相はめざましい転換をとげることができる。(略)私たちは和歌の深層で働いている「喩」の本質を、x+iyという複素数として表現してみた。性愛の場合にも、同じことが言えるのではないだろうか。男と女はそれぞれ違うものとして、たがいに結び合う必要がある。》
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私が試みたのは、複素数ではなく四元数(a+ib+jc+kd)で哥の伝導体の構造を解析し、和歌の「喩」の本質を表現してみようとする試みだった、といえるかもしれません。が、それはともかく、中沢氏の議論のうち、「ヨーロッパ精神が「入れ子」の構造をもつとしたら、私たちのそれは異質な二原理の「並列」でできている」の部分を読みかえしていて、私は、虚を衝かれる思いがしたのです。前章の余禄にも書いておいたように、この論考のはじめから、私は、入れ子式のフラクタル構造や相対峙するものの相互包摂関係にこだわってきました。いまさっき書いた、パースもどきの伝導体の俯瞰図をめぐる議論にも、実はその本質的なところに「入れ子」がありました。(四つの項のうちの一つに着目すると、そこからまた一つ次元の低い四つの項がひらけていって、そのうちの一つの項からもともとの高次の四項関係がひらけていく、といったかたちで。)
入れ子構造の利点は、無際限かつ無尽蔵に議論を精緻化(断片化)し、また逆に大局化(粗視化)していけるところにあります。それもほとんど機械的に、個人的な実感や体験とかけはなれたところで。伝導体の概念にしても、その気になればどんな事象だってこれに組み込んでいくことができます。それは、もともと伝導体の定義のうちに含まれていることでもあります。たとえば、一次性、二次性、三次性という(パース由来の)三項関係に零次性を追加し、これを、三項関係から生産されると同時に三項関係そのものを生産するものとして、その三項関係の「前」と「後」に同時に共在させておけば、後づけの理屈でどんなことだって説明することができます。それが「入れ子」の、したがってヨーロッパ精神の力であり問題でもあったわけです。(「伝導体」という理論の力であり、問題でもあった、といいたいわけではありません、念のため。)
しかし、私がこの論考で取り組んでいるのは、ヨーロッパ精神における抽象思考(キリスト教神学)とその解毒剤たる実証思考(自然科学)、これに相対峙するものとしての、日本における抽象思考(仏教)とその解毒剤たるわが国固有の実証思考、これら四つの思考の領域を見すえながら、貫之、俊成、定家の歌論のうちに「わが国固有の実証思考」の実質を見出していこうとする作業でした。そうであるにもかかわらず、そこにヨーロッパ出自の「入れ子」の構造を導入し、パースもどきの俯瞰図を描いて一人悦に入るというのではまるで本末転倒ではないか。中沢氏の文章を読んで虚を衝かれる思いがしたとは、そういう意味です。
でも、ここまで来てしまったからにはしかたありません。もう少しこのまま先に進み、それからじっくりと「日本精神がもつ異質な原理の並列」について考察することにします。(私が考えている「入れ子」は、実は、一次・二次・三次というアクチュアルな次元における西欧式の「入れ子」に、零次というヴァーチュアルな次元の「背後の空間=後戸の空間」を並列的に組み込んだものなのだ、と言い募る声が内側から立ちあがってきますが、それもまた「後づけ」の理屈でしかないでしょう。)
話題を貫之現象学の世界に引き戻します。そこでの伝導体は、身体の領域と言語の領域の二つにまたがる(あるいは、二つの領域をつなぐ)概念として、これをとらえることができるでしょう。このことを考えるために、稿をあらためて、和歌六様とは異なるもう一つの歌体論を取りあげます。貫之と同じ古今集撰者の一人、壬生忠岑の和歌体十種です。
以下に、次章につなぐ橋渡しとして、(それは結局、「願望の、それ自身無的な橋」でしかないのかもしれませんが)、瀬戸賢一氏の『レトリックの宇宙』の末尾から、先に引用した文章と呼応している箇所を抜き書きしておきます。キーワードは「共感覚」です。
《…基本的メタファーの主要なものは、身体的知覚に基づくものが多い。このことは、先に述べたように、身体が人間の内と外の境界に立ち、外に向かってはテクストとしての世界の新たな切り分け、内に向かっては惰性的な意味の活性化=再編成を行う主体であるということと関係する。さらに、人間の言語表現には、身体の一部を取り込んだ慣用句[イディオム]が多いが、ここにも、身体を介して世界を理解可能なものに変えようとする人間の姿勢が見られる。また、身体の表面あるいは表面付近に張り巡らされた知覚感覚器官が互いに独立したものでなく、相互に通底し合うものだということが、いくつかの方面から明らかになっている。たとえば、「大きな音」という表現は、視覚と聴覚との結合表現である。これは共感覚表現(synesthesia)と呼ばれる言語現象であり、哲学の側からは、中村雄二郎の『共通感覚論』(一九七九年)、言語学の側からは、ウィリアムズの「共感覚形容詞」(一九七六年)などの研究がある。望まれるのは、両者を新しいレトリックの観点から総合することである。》
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(07号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。三ヶ月以上、一つのことに関心が続かない。それができたらきっと凄いことになる(たぶん)。
Web評論誌「コーラ」06号(2008.12.15)
<哥とクオリア>第7章 哥の伝導体(中原紀生)
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