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■純粋言語の系譜、ベンヤミンとウィトゲンシュタイン(語りえぬものと死後の問題)
前章最終節の「アレゴリー、言語哲学と歴史哲学の結節点」の項で、柿木伸之著『ベンヤミンの言語哲学』から、原文を一部抜き書きした箇所がありました。そのなかの、「アレゴリーという形式は、今やそれ自体として歴史を語るものである、地上の言語そのものの寓意なのかもしれない」のところに、柿木氏は次のような註をつけています。
《この点に関して、「バロック悲劇〔哀悼劇〕」と「アレゴリー」の概念を拡張しつつ、言語が、絶えず語りえないものと接しながら、死後の生を展開させる媒体[柿木氏による「Medium(媒質)」の訳語──引用者註]であることを示すカッチャーリの議論を参照。それによれば、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』も、つねに語りえないものと境を接しながら、「哀しみの劇」の舞台をなしている。》(『ベンヤミンの言語哲学』313頁)
柿木氏の示唆にしたがって、マッシモ・カッチャーリ著『死後に生きる者たち──〈オーストリアの終焉〉前後のウィーン展望』(上村忠男訳)を繙いてみると、この(田中純氏による解説「哀悼劇の天使的音楽に寄せて」の口真似をするならば、「Liederzyklus(連作歌曲)」のごとく編まれた)書物の開演直後、「哀悼劇の新たな空間」と題されたエッセイに、「‘全’ウィトゲンシュタインの始まりにおいて主張される事実与件空間とはなんだろうか。事実与件空間は、ヴァルター・ベンヤミンがドイツのバロック演劇をもとにして分析した象徴性豊かな哀悼劇の舞台であり空間である。」(38頁)と書かれているのが目にとまりました。
「事実与件空間」とは「Tatsachenraum(the space of facts)」の訳語で、出典は『反哲学的断章──文化と価値』。この概念(You cannot lead people to what is good; you can only lead them to some place or other.The good is outside the space of facts.──Google ブックスの“Culture and Value”で検索した該当箇所)が、前期・中期・後期にわたる「全」ウィトゲンシュタインの起点にあった、そして、それはベンヤミンが分析したバロック悲劇(哀悼劇)の舞台と同質のものであった、というのがカッチャーリの指摘です。
《…信号、指標、痕跡、仮面──みずからが“主体であること”、みずからが【実体】の“翻訳”であることからすっかり浮き上がった被造物、もはや【主体】ではない被造物──へと分割されてしまった空間、偶然から偶然へ、たまたま起こることの形態から形態への果てしない道のりの続く空間、どこかある場所へ向かっての語りと導きの空間、これは哀悼劇の空間そのものである。この舞台は、巡礼者の舞台ではない。この舞台の仮面たちは、さながら世界の事物として生起する。そしてこれらの事物は‘よく見る’ことを欲している。たまたま起こることを【価値】へと救済する光はない。が、このことは、たまたま起こることが巡礼者が頂上に達するために乗り越えていくような霧、曖昧模糊とした不透明さであることを意味しない。被造物の命題の等価性は規則にしたがって構成されており、明晰に語りうる仕方で変容をとげていく。もろもろの偶然は‘形式’をもつ。放棄の絶望は、何度も凍りつきそうになりながら、語りうるものの論理空間のなかにあって、ざらざらした事実の地面の上に固定されている。ここに哀悼劇の仮面たちは踏み止まるのだ。》(『死後に生きる者たち』39頁、【 】は原文ゴシック、‘ ’は原文傍点)
仮面たち、あるいは死後に生きるものたちが、「絶えず語りえないものと接しながら、死後の生を展開させる媒質」すなわち言語による活動を遂行する空間・舞台。死後に生きる者たちの眼差し、あるいは末期の目に映る「氷のように透み渡った」(芥川龍之介)世界。──この、読み通すのに難渋するエッセイ群の行間から、おぼろげにたちあがってくる魅惑的な空間・舞台・世界については、貫之現象学C層をめぐる議論のなかで、あらためてとりくむことができればと思いますが、ここでは、いま述べたこと以外にいくつか、柿木氏がベンヤミンとウィトゲンシュタインを並列させて論じている箇所があることを紹介しておきたいと思います。
<ウィトゲンシュタインとベンヤミン、あるいは像と名>
〇ウィトゲンシュタインによると、ある命題が現実の「像」であるとき、この命題は世界に現に起きていることを表現している。その際、事実と言葉の関係は恣意的・外挿的なものではなく、他ではありえない内的な関係である。「レコード盤、音楽的思考、楽譜、音波、これらはすべて互いに、言語と世界のあいだに成立する内的な写像関係にある。」(『論考』4.014)しかも、楽譜を読む者の脳裏にその楽譜が表現する音楽が響いてくるように、言葉を理解する者はそこに現実が一定の論理的な仕組みをもって描出されていること──不可分のひとまとまりをなす一つの言葉(命題)とその現実とが「論理形式」を共有していること──を直接に理解している。(柿木前掲書96-97頁)
〇ベンヤミンもまた、「名」は名づけられるものと内的な関係を具えると考えた。言語の最初の姿としての「名」は、遭遇した事物や他人に他ではありえない言葉で語りかけながら、世界で起きている出来事を表現する言葉として、おのずと語りだされてくる。このような「媒質」ないし「中動態的なもの」としての言語のあり様を、すなわちベンヤミンが「言葉の魔術」として考察した次元を、ウィトゲンシュタインも見通していた。現実との内的関係を具えた「像」としての言葉はおのずと語られ、それとともに(それ自体は語りえず、おのずと姿を現わすものである)「論理形式」がおのずと示される。「示され‘うる’ものは、語られ‘えない’。」(『論考』4.1212)(柿木前掲書97-98頁)
<語りえないものに対する態度、あるいは翻訳>
〇ウィトゲンシュタイが自然科学的な事実の論理的記述の次元に定位したのに対して、ベンヤミンは詩的言語に軸足を置いた。「語りえないものについては、沈黙しなければならない」(『論考』7)というウィトゲンシュタイの言葉とは反対に、ベンヤミンの「翻訳」──「沈黙した、名を欠いた事物の言語を受け容れ、それを音声ある姿で名へ移す」(「言語一般および人間の言語について」第一八段落)こと──は「語りえないもの」を語ろうとすることでもあり、その経験とともに一つの言語が生成するのである。(柿木前掲書99-101頁)
《このようにベンヤミンは、フンボルトとの対決をつうじて言語が中動態にあり、おのずと語り出される「媒体[媒質]」であるという洞察を深め。言語の最も原初的な姿を、出来事として捉えている。この最初の発語の出来事を、もはや外から統御することはできない。そのようにメタ言語のようなものを想定しえない次元を、ベンヤミンは、『論理哲学論考』のヴィトゲンシュタインとまさに同時代に、言語にとって最も根源的な次元として見通しているのだ。このとき二人は、言語が経験から乖離して世界に応える力を失い、それゆえに空虚な記号と化して蔓延っている危機的な状況に立ち向かいながら、世界に応答しうる言葉の在り処を、言語の本質に求めているのである。ウィトゲンシュタイが言語を、「語りうるもの」を明晰に表現する「像」と規定したのに対し、ベンヤミンは、「語りえないもの」に言葉を与え、世界の現実として語り出すような「名」であることのうちに言語の本質を見て取っている。さらに、そうして名づけるという言語の根源的な働きは、彼にとっては翻訳にほかならない。言葉を発するとは、翻訳することなのだ。》(『ベンヤミンの言語哲学』101-102頁)
■純粋言語の系譜、ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ(言語と経験の問題)
ひとつの年表を掲げます。
これは、純粋言語の系譜(水脈)を、ベンヤミンからウィトゲンシュタインへ、ウィトゲンシュタインからウィリアム・ジェイムズへ、そしてウィリアム・ジェイムズから西田幾多郎、折口信夫へ、さらに折口信夫から井筒俊彦、吉本隆明へとたどったものです。
1890 『心理学原理』(ウィリアム・ジェイムズ)
1902 『宗教的経験の諸相』(ウィリアム・ジェイムズ)
1910 『言語情調論』(折口信夫)
1911 『善の研究』(西田幾多郎)
1916 「言語一般および人間の言語について」(ベンヤミン)
1921 『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)
1921 「翻訳者の課題(使命)」(ベンヤミン)
1950 「詩語としての日本語」(折口信夫)
1956 『言語と呪術』(井筒俊彦)
1965 『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明)
ラッセル・B.グッドマン著『ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ──プラグマティズムの水脈』(嘉指信雄他訳)は、『心理学原理』や『宗教的経験の諸相』といったジェイムズの著作とのかかわりを通じて、プラグマティズムに対するウィトゲンシュタインの親和性を際立たせた書物で、たとえば、1912年7月、ウィトゲンシュタインはラッセルに宛てて、「この本[『宗教的経験の諸相』]は、私にとって本当にためになるのです。…私が「憂い」を取り除くのを助けてくれるように思うのです。」と書いています。
《…ウィトゲンシュタインは、世界が幸福であるか不幸であるかは、その世界の持ち主である人の状態に依存すると考え、『論考』のなかに答えとして組み込んでいる──たしかにある意味では、「世界は成立している事柄の総体」(1)なのだが、別の意味では、「世界は私の世界」(5.641)なのだ。ジェイムズによる宗教的経験のカタログは、私たちがこの第二の意味を理解する助けになる──そしておそらくはウィトゲンシュタインがこの第二の意味を理解するのを助けた──のだ。》(『ウィトゲンシュタインとウィリアム・ジェイムズ』76-77頁)
(世界のあり様をめぐる第一の意味がカッチャーリの言う「空間・舞台」に、第二の意味がそこで上演される「哀しみの劇」にそれぞれかかわってくる。)
引用文中の「宗教的経験のカタログ」という表現に関して一言。ベルクソンは、「ウィリアム・ジェイムズの実用主義[プラグマティズム] 真理と事象」(『思想と動くもの』)のなかで、『宗教的経験の諸相』を心理学的カタログ本として読むのはジェイムズの思想に対する「重大な誤解」であって、ジェイムズは宗教的経験すなわち「神秘家の心」について思考する前に、それを「同感」をもって経験しようとしたのだ、と書いています。
《ある特別な瞬間に精神を動かす強い感情は、物理学者が扱う力と同様に事象的な力である。人間は熱や光を創造することができないように、そういう感情も創造することができない。ジェイムズによれば、われわれは大きな精神的な流れの貫いている雰囲気に浸っている。われわれのあいだには身をつっぱっているものも多いが、流されているものもある。恵みの息吹に大きく開け放している心もある。それは神秘家の心である。人も知るようにジェイムズはそういう心を非常な同感をもって研究した。「宗教的経験」に関するジェイムズの本が出た時に、多くの人はこれを宗教感情のきわめて生きいきとした描写ときわめて鋭い分析、つまり心理学としか考えなかった。これは著者の思想に対する重大な誤解である。実を言うと、ジェイムズが神秘的な心をのぞきこんでいるのは、ちょうどわれわれが春の日に朝風の柔らかさを感ずるために窓から乗り出したり、海岸でどっちから風が吹くかを知るために船の往来やその帆の膨らみを眺めるようなものであった。宗教的な感激に充たされた心は実際もちあげられて夢中になっている。ちょうど科学の実験におけるように、それを夢中にしもちあげる力の生きいきした姿をとらえさせるものではないか。そこに疑いもなくウィリアム・ジェイムズの「実用主義」の起源があり着想がある。われわれが認識するのにもっとも重要な真理は、ジェイムズにとっては、思考される前に感ぜられ生きられた真理である。》(河野与一訳『思想と動くもの』334-335頁)
(ベンヤミンにとって「言語」がそうであったように、ウィリアム・ジェイムズにとっては「心」(アラヤ識・如来蔵に通じる)が「媒質」(中動態的なもの、伝導体)であった。つまり、純粋言語は純粋経験とつながっている。)
鈴木大拙の薦めに応じて『宗教的体験の諸相』に接した西田幾多郎は、ウィリアム・ジェイムズ由来の「純粋経験」を根本に据えた『善の研究』を刊行し、ほぼ同時期に卒業論文『言語情調論』を執筆した折口信夫は、「直接言語(純粋言語)」のアウトラインを示した。これらふたつの概念は「ほとんど同じ事態を示している」。安藤礼二氏が『折口信夫』の「言語情調論」の項の冒頭にそう書きつけたことは、以前(第60章で)紹介しました。「主観と客観、あるいは観念と物質、もしくは内部と外部という対立する二つの概念の消滅。折口信夫が「言語」に見ていたものと西田幾多郎が「経験」に見ていたものは等しい。」(75頁)
■純粋言語の系譜、ベンヤミンと折口信夫(翻訳と詩語の問題)
安藤礼二著『折口信夫』の議論をフォローします。
<純粋言語を唯一の実在として世界を一つにつなぐこと>
〇渡米した鈴木大拙はポール・ケーラスのもとで『モニスト』の編集に携わった。この雑誌はプラグマティズムを主張したアメリカの哲学者たちの一つの中心となっていった。外的な宇宙の発生と内的な意識の発生を一つにむすび合わせる独自の「記号論」を主張したチャールズ・サンダース・パースに、ケーラスは『モニスト』の誌面を提供する。(パースの「記号論」が折口の『言語情調論』に間接的な影響をあたえている可能性も無視することはできない。)そのパースの哲学上の盟友がウィリアム・ジェイムズだった。(『折口信夫』76-78頁,88頁)
〇一元論的哲学の確立を模索したケーラスの理論的支柱の一つはエルンスト・マッハの「感覚要素一元論」だった。ケーラスは『感覚の分析』を英訳し『モニスト』に掲載する。『言語情調論』の起源の一つは、疑いもなくその書物にある。(『折口信夫』79頁)
《『善の研究』の初版に付された「序」には、こうある──「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいといふのは、余が大分前から有つて居た考であつた。初はマッハなどを読んで見たが、どうも満足はできなかつた」。『善の研究』の「序」に言う「純粋経験」を「純粋言語」と置き換えてみれば、『言語情調論』からはじまる折口信夫の古代学の射程を、これまでとはまったく異なった側面から捉え直すことが可能になるだろう。「純粋言語」、表現における直接性の言語を唯一の実在として、世界のすべてを説明してみること。》(『折口信夫』78-79頁)
<コレスポンダンス、斜聴、憑依>
《[「感覚要素一元論」の主張を凝縮した「反形而上学的序説」(『感覚の分析』)の一節を踏まえて]あらゆるものが接続(connect)され、共同(associate)していく。諸要素[複数形で表現された「色彩、音響、温度、圧力、空間、時間、その他のもの」]から織り成された感覚の「織物」(fabric)から、「自我」(主体=主観)も「物自体」(客体=客観)も発生してくる。「私」でもなく、「物質」でもない諸要素の結合こそが、自らを記憶に刻みつけ、言語に表現する。言語とは、あらゆる感覚要素がむすび合うことで成立したものなのだ。だから言語によって、色彩と音響、さらには嗅覚と触覚と味覚などあらゆる感覚が交響し、照応[コレスポンダンス]する。折口信夫は『言語情調論』でまずボードレールの名前を挙げ(「ボゥドレィルの神秘の門を開くべき唯一の鍵は色・音・匂である」)、自身の「象徴言語」(直接言語)の輪郭を描くことをはじめる。
折口は[『言語情調論』の原型となった]「和歌批判の範疇」においても『言語情調論』においても、その結論部分で言語における聴覚と視覚の共感覚現象、「斜聴」を論じている。その問題は、マッハが『感覚の分析』を構成する一章、「音の感覚」をまるまる使って論じた主題であった。そのなかから結論を端的に述べた一節を引いておく。「それ故、ものを視る感覚のシステムは、音を感知する感覚によって提示された事実と完全に類似するシステムを構築することになる」。ある音からある音へ注意を移す際に生じる感覚は、ある像からある像へ視点を移す際に生じる感覚と類似する、聴覚と視覚はパラレルである、と。
折口はこの後、「象徴言語」の発生を、主客の区別が消滅してしまう「憑依」に探り、「国文学の発生」という論考を書き継いでゆく。そこから折口の古代学がはじまる。》(『折口信夫』98-99頁)
話がいきなり「憑依」や「古代学」に飛びましたが、安藤氏によると、「折口信夫の言語学、すなわち折口信夫の古代学」(安藤前掲書124頁)なのだから、そして「「古代」は「言語」にのみ保存されている」(125頁)というのだから、それは決してここでの本題(純粋言語の系譜)から乖離しているわけではありません。
いまひとつ、『折口信夫』の議論を引用します。
《マッハの「感覚要素一元論」は、大拙の「唯心論」とレーニンの「唯物論」、心の一元論と物質の一元論を生み落とした。折口信夫の古代学の課題は、この二つの一元論、「唯心論」的な世界と「唯物論」的な世界を、激しく矛盾するまま──レーニンが厳しく批判したように「折衷」するのではなく──一つにつなぐことにある。霊魂は物質である。そのとき、神は「石」となる。そうした事実を字義通りに認識し、表現しなければならない。》(『折口信夫』103-104頁)
ここで言われる「唯心論的な世界」と「唯物論的な世界」の合一は、ベンヤミンにおける「神学」(言語論)と「唯物論」(歴史論)の融合(徳永恂著『絢爛たる悲惨──ドイツ・ユダヤ思想の光と影』収録の「ベンヤミンの方法と方法としてのベンヤミン──歴史哲学の方法としてのアレゴリー」参照)につながるのではないか、私はそう考えています。
さて、ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」を起点とする純粋言語の系譜(水脈)を、(ウィリアム・ジェイムズ⇒鈴木大拙・西田幾多郎⇒井筒俊彦・吉本隆明とつながる純粋経験の系譜(第60章参照)との照応関係を横目で見ながら)、駆け足でたどってきたわけですが、ここで、これとは別の系譜(水脈)の可能性を確認しておきたいと思います。
起点となるのは折口信夫の「詩語としての日本語」。以下の議論の出典は、これもまた安藤礼二氏の著書『迷宮と宇宙』の冒頭に据えられた「二つの『死者の書』──平田篤胤とエドガー・アラン・ポー」です。(ちなみに、『折口信夫』の最後に置かれた論考のタイトルは「二つの『死者の書』──ポーとマラルメ、平田篤胤と折口信夫」。)
<翻訳が顕現させる純粋言語、マレビトと天使が口にする聖なる言語>
〇晩年の折口は「詩語としての日本語」という自らの詩的言語論を総決算するような論考を書き上げた。民俗学と国文学の二つの学問分野にわたって古代学という独自の手法を確立した折口らしく、「古語」を取り入れることで日本の詩の言葉が活性化されるという主題に論考全体が集約されていくかと思われるが、結論部分では「翻訳」によって詩の未来語を開拓していく行為に焦点が絞られる。(『迷宮と宇宙』3-5頁)
〇折口にとって翻訳とは、古語と未来語(古代と未来)を一つにつなげ、外国語でも日本語でもない言葉の第三の領域(表現の地平)を切り開き、「私」でも「あなた」でもない未知なる言語──「マレビト」(=ベンヤミンの「天使」)すなわち自己と他者の間、共同体の外から出現する中間的な存在だけが口にすることができる、諸言語のあわいに紡がれる聖なる言葉、純粋言語──を躍り出させる営為であった。(『迷宮と宇宙』6頁)
○折口の古代学と詩的言語論は首尾一貫した構造をもっている。折口のそのような主張は、「翻訳」こそ「諸言語の互いに補完しあう志向の総体によってのみ到達可能となる」純粋言語を見出すための重要な手段になるのだとした、折口と同時代を生きたもう一人の異邦の思想家を、折口のすぐ脇に召喚するであろう。(『迷宮と宇宙』6頁)
《純粋言語は「翻訳」という諸言語が生成する瞬間を切り取る行為のなかに顕現する。しかも、折口とベンヤミンが言う「翻訳」によって見出される純粋言語とは、ただ未来の方向に展開されるだけのものではないのだ。純粋言語を見出す行為は、なによりも過去の歴史を解釈し直すことと直結するのである。それは直線的に進む時間とは異なったもう一つ別の時間を発見することでもあった。「死後の生」を生き「神の記憶」を甦らせること、ベンヤミンはそう記している。さらには「翻訳者の課題」を締めくくる最後の一行──「聖書の行間翻訳こそ、すべての翻訳の原像ないし理想にほかならない」。折口もまた『古事記』や『日本書紀』、さらには『万葉集』といった古代の「聖なる書物」に痕跡が残された「神の記憶」を解釈し続け、そこから自らの表現を発見していった表現者だった。》(『迷宮と宇宙』8頁)
■純粋言語の系譜、折口信夫と井筒俊彦(憑依と原型の問題)
折口信夫の「詩語としての日本語」を起点とする純粋言語の系譜、それも、本邦におけるその系譜(水脈)をたどるなら、西脇順三郎の「完全言語」を忘れるわけにはいかないでしょう(第22章参照)。萩原朔太郎の「純粋詩」や「音象詩」、九鬼周造の押韻論についても同様だと思います(第17章他参照)。
が、これらの表現者や思索家については、いずれ、貫之現象学から狭義広義の定家論理学の世界を経て、子規以降の近代の詩的言語を考察する運びとなった際の宿題にとっておくことにして、ここでは、折口信夫を直接的な淵源とする、井筒俊彦の言語呪術論と吉本隆明の詩語論(芸術言語論)を、ひきつづき安藤礼二氏の論考にもとづいて、一瞥します。
まず、井筒俊彦。
『折口信夫』の「弑虐された神々」の項で、安藤氏は、折口信夫の古代学の確立を、金沢庄三郎の言語学(神の言葉を聞く=託宣)と柳田國男の民俗学(女性たちの憑依=巫女)の総合のうちに位置づけ(219頁)、そのうえで、折口の理論を受け継ぎ、唯一神教の教義を純粋化したイスラームの起源に「憑依」を見出した井筒俊彦こそ、もっとも深く折口信夫の古代学の可能性を読み解いた人間であったと論じています。「折口信夫の古代学は、井筒俊彦の手によって完成するのだ。」(235頁)
折口信夫と井筒俊彦の共通項。ともに「聖なる書物」(『万葉集』と『コーラン』)の翻訳(口語訳)者であり、同時に表現者かつ研究者(詩人学者)であったこと。ともに「憑依」という言語現象のうちに、哲学・宗教・文学の発生を、(あるいは、「思考される前に感ぜられ生きられた真理」(ベルクソン)を)、自らの身と心をもって見いだしたこと。
井筒俊彦は、『コーラン』上巻の解説で、次のように論じています。いわく、古代アラビアの砂漠には「カーヒン」と呼ばれる特殊な人間がいて、ヘブライの預言者か中国の巫者のように、普通の人間と精霊的世界の仲介者の役割をつとめていた。このシャーマン的性格の人間は突然精霊的な力にとり抑えられ、意識を失い「何者か」の言葉を語り出す。
《古代アラビアのカーヒンが、このような神憑りの状態に入ってものを語り出す時、それは必ず一種独特の発想形態を取るのを常とした。この文体をサジュウという。「サジュウ」体とは、ごく大ざっぱに言って見れば、まず散文と詩の中間のようなもので、長短さまざまの句を一定の詩的律動なしに、次々にたたみかけるように積み重ね、句末の韻だけで‘きりっ’としめくくって行く実に珍らしい発想技術である。これがまた、凛冽たる響きに満ちたアラビア語という言葉にぴったりと合うのだ。著しく調べの高い語句の大小が打ち寄せる大波小波のようにたたみかけ、それを繰り返し繰り返し同じ響きの脚韻で区切って行くと、言葉の流れには異常な緊張が漲って、これはもう言葉そのものが一種の陶酔である。語る人も聴く人も、共に怪しい恍惚状態にひきずり込まれるのだ。》(岩波文庫『コーラン(上)』362頁)
ここで言われる「一種独特の発想形態」すなわち「サジュウ体」は、「神霊的言語形式」(362頁)とか「神憑りの言葉」(363頁)とか「律動的文体」(367頁)とも言い換えられています。
安藤礼二氏は、「井筒俊彦 ディオニュソス的人間の肖像」(『群像』2020年7月号)で、井筒俊彦のこの文章を引き、つづけて、「イスラーム研究者としての井筒俊彦が生涯をかけて探求した、神と預言者、両者を一つにむすび合わせる神の聖なる言葉の在り方とその条件を明らかに」した書物、『言葉と呪術』を取りあげています。
<原型にして母胎、「超越のことば」の発生条件とその構造>
○『言語と呪術』の結論は神と預言者の関係に集約されるが、その全体は井筒のイスラーム研究を大きくはみ出し拡大するものだった。(「井筒俊彦 ディオニュソス的人間の肖像」)
《『言語と呪術』には、最晩年の井筒が取り組んでいた東洋哲学全体を「共時論的」に「構造化」していくための一つの重要な鍵として位置づけられた「言語アラヤ識」の正真正銘の原型と称することも充分に可能な考え方がすでに提示されていた。『言葉と呪術』は、井筒俊彦のイスラーム探求の原型にして母胎であるばかりでなく、井筒が成し遂げようとした学問的かつ詩的な探求すべての原型にして母胎となるものであった。井筒にとって、イスラーム研究と東洋哲学研究は別個のものではなく、そのいずれにおいても、「超越のことば」の発生の条件およびその構造を問うものであった。》(『群像』(2020年7月号)68頁)
ここで注目したいのは、「原型」もしくは「原型にして母胎」という語彙です。それは、言うまでもなく「言語アラヤ識」という井筒にとって最重要の鍵概念のあり様を表現していて、安藤氏が、「意味の発生は、存在の発生である。それが井筒による東洋哲学の基本構造になる。「外延」は世界を秩序づける意味の分節性と読み換えられ、「内包」は世界を発生させる意味の無分節性と読み換えられた。」(69頁)と書いている、その「基本構造」こそが、言語アラヤ識という「原型(=母胎)」のあり様にほかならないのです。
<言語の二重性─論理と呪術、外延と内包、有限と無限、指示と喚起、外部と内部>
○『言語と呪術』の要諦──言語は、論理にして「外延」、呪術にして「内包」である。言語には、有限の意味を伝える側面(「指示」)と、無限の意味を生み出す側面(「喚起」)の二つが具えられている。(「井筒俊彦 ディオニュソス的人間の肖像」)
《「憑依」とは言葉の論理を打ち破り言葉の呪術を解放する方法、言葉の「外延」という外部を切り裂き言葉の「内包」という内部を露呈させる方法なのだ。預言者とは、「憑依」を介して、有限の人間の言葉を乗り越えて無限の神の言葉へと到達した者、言葉の「外延」を乗り越えて言葉の「内包」へと到達した者のことだった。だから、井筒は『言語と呪術』をまとめ上げた後すぐに『コーラン』の翻訳へと取りかからなければならなかったのだ。》(『群像』(2020年7月号)68-69頁)
(問題は、「内包」(神秘体験、純粋経験、上演されるドラマ)の由来、成り立ちをどうとらえるか、そして、その「外延」(儀礼・密儀、純粋言語、舞台)の表現形式をいかに継承していくかだろう。)
ここで、安藤礼二著『列島祝祭論』の議論を引用します。安藤氏はこの書物のなかで、『言語と呪術』に先立つ井筒俊彦の重要な著作である『神秘哲学』を取りあげています。
<習合・混交の果てに顕れ出る原型、憑依体験からはじまる共時論的構造>
○ディオニュソスの憑依にギリシャ哲学の起源を見出し、プロティノスによる「一者」の体験(純粋経験)のうちにプラトンのイデア論とアリストテレスの形相質料論の総合を見た『神秘哲学』は、柳田國男と折口信夫による「憑依」の民俗学を最も創造的に引き継ぐ試みであり、また(「神秘体験」を西田幾多郎の「純粋経験」と読み換えるならば)神道的な民俗学と仏教的な哲学の総合、神仏習合思想の新たな次元での再生とその乗り越えである。(『列島祝祭論』21頁)
《「習合」を経ることによって「原型」が立ち現れる(諸言語が混交することによって原型的な言語が生成されるという「クレオール」という概念もそこに重ね合わせたい)。それは列島においてもアジアにおいても変わらない。柳田國男の民俗学においても、折口信夫の古代学においても、井筒俊彦の東洋哲学においても、来たるべき祝祭学は、純粋な起源を探る学になるのではなく、「習合」の果てにはじめて立ち現れてくる「原型」を探る学にならなければならない。民俗学も古代学も東洋哲学も、列島に固有の信仰、アジアに固有の信仰ではなく、習合の果てに原型として生起する列島の信仰、アジアの信仰を探る学として再構築されなければならない。この場合の信仰とは、いうまでもなく芸術的な表現全体をカバーするものである。来たるべき祝祭学は芸術学と歴史学、宗教学と哲学の交点に形づくられるはずだ。
起源は過去にしか探ることはできないが、原型とはこれから未来に立ち現れてくる可能性を探ることでもある。そう言った意味で、来たるべき祝祭学は、文字通り、未来の学となるのである。》(『列島祝祭論』21頁)
○井筒俊彦は「神憑かり」に哲学の発生を幻視した。『神秘哲学』は、「神憑かり」が可能にした体験(純粋経験)の哲学的な読み換えである。(『列島祝祭論』192頁)
《その井筒が最後に取り組むことになったのが、如来蔵哲学を全面的に展開していた『大乗起信論』を、「東洋哲学全体に通底する共時論的構造」をもつものとして読み解いていくことだった。
そこで井筒は、如来蔵哲学を、東洋哲学全体を通時的に、つまりは、その起源にあるものとして読み解こうとしているわけではない。東洋に生まれたさまざまな思想哲学の潮流が「習合」し、そのことによって顕れ出る「原型」として読み解いていこうというのである。だからこそ、如来蔵哲学には、東洋哲学全体に及ぶ「共時論的構造」──時間的な前後関係にとらわれることない原型的な在り方──が見出されるのである。》(『列島祝祭論』192-193頁)
(来たるべき「原型学」をめぐる私的備忘録。──ドストエフスキーのアウラ体験と躁病を代表例とする「イントラ・フェストゥム的狂気」もしくは「ディオニュソス的陶酔」(木村敏『時間と自己』)。反復する発生、未来へ反復する原型、永遠回帰するアクチュアリティ。何度でも顕れ出る覚者(ブッダ)。語りえぬもの(言語道断の詩的主観)の間歇的伝承(俊成)。未来語(翻訳によって開拓される「詩語」)で語られる来たるべき詩学。)
■純粋言語の系譜、折口信夫と吉本隆明(反復と母型の問題)
次に、吉本隆明。
安藤礼二著『吉本隆明──思想家にとって戦争とは何か』に、「折口信夫とは、生涯をかけてこの「表現する言語」の諸相を探究した言語学者だった」(26頁)と書かれています。文中に「この」とあるのは、折口信夫の『言語情調論』が考察した「言語の仮象性を脱して、表現そのものとなった直接性の言語」、すなわち「詩語」のことにほかなりません。吉本隆明と折口信夫の接点が、ここにあります。
《吉本隆明とはいったい何者だったのか。私は、表現が生まれ出てくる起源の場所(「母型」)、さらには、そこから生まれ出てくる起源の表現(「詩語」)を求め続けた人だと思っている。表現のもつ可能性と不可能性を、理論的にも実践的にも探究していく。それが、吉本隆明がやり続けたことだ。》(『吉本隆明』16頁)
《後世の人から、結局のところ吉本隆明は一体なにを表現しようとしていたのかと尋ねられたとき、迷うことなくこう答えることができる。吉本隆明とはなによりも「詩」を書き、そしてそれと同時にその「詩」の言葉を根底から思考した人であった、と。つまり「詩語」の発生を自ら生き、その発生の条件を徹底的に考え抜いた人であった、と。》(『吉本隆明』17頁)
《吉本にとって、自らの内なる「詩人」と「批評家」はなによりも「表現する言語」という一つの点で重なり合うものだった。そして吉本の言語論にその原型を提供したのは折口信夫である。これを言い換えてみれば、吉本にとって、宮澤賢治の「詩」と柳田国男の「批評」は、折口信夫の「言語論」において一つに統合されるものなのである。この事実は、吉本個人を超えて、日本文学史それ自体の壮大な書き換えをも図るヴィジョンにつながってゆくだろう。》(吉本隆明』23頁)
《吉本隆明のすべての営為を「言葉」(「詩語」)の探究が貫いている。「言葉」は意味であるとともに「像」(イメージ)でもある。人間にとって「イメージ」とは何か。それを時間的かつ空間的な限界にして極限にまで探ること。「イメージ」はどこに起源をもち、そしてこの今、どのような変容を遂げようとしているのか。それが吉本にとって最後の問いとなる。》(『吉本隆明』109頁)
ここで語られたこと(その多くが、折口信夫はもちろんベンヤミンにもあてはまるだろうと思う[*1])、すなわち吉本隆明の生涯にわたる「詩語」探究のプロセスを、安藤氏のこのコンパクトながら濃密な書物を通じて、実地にたどってみること、そして、折口信夫(とベンヤミン)の営為との同型性を腑分けしていくことは、スリリングで魅力的な試みだと思います。が、ここでは(ここでも)先を急ぐことにして、「詩語」と「母型」にかかわる議論を任意に抽出するにとどめます。
<反復(畳み重ね)、和語に固有のリズム、枕詞論>
〇『言語にとって美とはなにか』と『共同幻想論』の成果をもとに、和語で表現された歌謡の最古の「かたち」に理論的に肉薄し、そこから和歌の成立までを迫った『初期歌謡論』は、「詩語」をめぐる吉本の探究がたどり着いた一つの到達点である。(『吉本隆明』90頁)
《このようにして見出された、「表現」としての古代歌謡の基盤には一体なにがあるのか。そこには、意味の「反復」(「畳み重ね」)だけが存在しているのである。そしてこの意味の「反復」、つまり同じ意味をもったさまざまな語を「畳み重ねて」いくことこそが、和語に固有のリズムを生み出し、人々に「謡[うた]」としての感情を表出させ、さらには古代歌謡の本質を形づくる〈枕詞〉として結晶していったのである。この列島に住みついた人々に、そのような意味の「反復」という表現を強いたのは、「漢字」という自分たちのものとはまったく異質で、より高度な表記システムとの出会いであった。
話すことと書くこととの間にある埋めることのできない溝、その限りのない「異和」。吉本は、古代歌謡の根源に、「日本語」で表現するということの困難な条件、「日本語」で書くということの宿命的な条件そのものを見出している…。
語る言葉と書く言葉の間の「関係」の軋み、それこそが、時間の彼方に陽炎のように存在する原初の共同体の「トーテムの重さ」しかもたない言葉、「胎内をかけめぐる時間」しかもたない言葉に、まずは「反復」としての表現をあたえた。そして、この列島のあらゆるものを根こそぎにする「文化」の波は、その後何回もやって来た。(略)
『初期歌謡論』が切りひらいた領域はきわめて豊穣なものである。のちに吉本の思考は、ここに見出された「古代」の豊かな言葉の概念のうえに、見事な「史観」を構築することを可能にした…。》(『吉本隆明』91-93頁)
<意味多様体のアモルフで重層した詩語の姿、柳田の地名論と吉本の枕詞論>
〇柳田国男と宮沢賢治。吉本にとって「詩語」の発生とは、この両者の視点の交差と反発のなかにこそ存在している。──吉本(『悲劇の誕生』所収の「童話的世界」)によると、宮沢賢治の表現の世界は「自然の立体視あるいは離人症的な視点」(吉本隆明全集17、268頁)として特徴づけられるもので、そのため賢治は、現実に幻想を、さらにはその幻想の彼方に「死後の世界」のイメージを容易に重ね合わせることさえ可能になったのである。(『吉本隆明』99-101頁)
《このような資質をもった詩人が書きあらわし表現する「言語」は、吉本が、「詩語」の理念として措定したものの極北である──「宮沢賢治は擬音と造語の世界を限度をこえてひろげていった。それは普遍言語をもとめて、それで意味多様体をつくりたいという桁はずれた願望と、乳幼児の資質とがからんだ記述自体がドラマになった世界のようにおもえる。賢治はじぶんの思考を他者に伝えたいと願ったとき、その願いは瞬時にかなえられるはずだというかれのユートピアを、条件からきめてゆきたかった。意味多様体のアモルフなそして重層したかたまりを、いっきょに表音で実現できたらという願望が、じぶんのユートピアと一致できる言葉の場所が、かれの擬音と造語の世界だった」[『吉本隆明全集23』577頁]。
ユートピアとしてしか実現できない、さまざまな意味を同時に表現する直接性の「言語」。これは「楽園の言語」であり、「言語の楽園」でもある。吉本隆明が自らの「詩語」の果てに現れるものとして夢想した世界の記述で、文字通りこの特異な書物[『宮澤賢治』]は結ばれているのである。吉本が宮沢賢治のうちに見出した、意味多様体のアモルフで重層した「詩語」の姿は、この後、『母型論』において、より科学的にそしてよりポエティックに展開されることになる。母音の「大洋」に浮かぶ、自然の風物をすべて音としてとらえることを可能にする「胎児」の喜びに満ちた世界として。》(『吉本隆明』101頁)
○柳田国男はさまざまな幻想に取り憑かれやすい資質と始原的な心性を持つ「憑人」(つきびと)であり、「母型」を幻視する者であった。さまざまなイメージを発散する「物語」の原型を探究し、すべての幻想が発生してくる心的な「母型」をつねに意志する柳田国男は、また旅人であった。(『吉本隆明』102頁)
《吉本が、柳田の「旅人」の眼[自らの眼と平行な視点と鳥瞰や俯瞰といった上からの視点との二重化された眼差し]を通して描き出したイメージを、さらに「世界視線」によって普遍化し得たとき、そこには、人類の始原における、「自然」に対する命名行為の歴史過程のすべてが見出されたのである。まず、自然現象や地勢が命名される、それが反復され[「畳み重ね」られ]、神々の固有名が生まれる。そして地名と人名が分かれ、地名は物語化されてゆく。『初期歌謡論』で描き出された、母型とその反復による文学の発生というヴィジョンとも大きく共振し、交響する。柳田の「地名論」と吉本の「枕詞論」は深く通底していく[*2]。》(『吉本隆明』105頁)
(憑依(表意)と反復、詩語(死後)、そして原型と母型をめぐる私的備忘録。──「原型」(共時的構造)とは純粋な「アクチュアリティ」あるいは「かたち」そのもの、もしくは純粋な「ヴァーチュアリティ」あるいは空虚な内包の「反復」的生起そのものであって、だからそこでは「起源」(オリジナルなもの)が問題にならないのだとしたら、「母型」とはそこに「リアリティ」の軸が交錯した、いわば表現の生命的・物質的・霊的な基盤である。これを強いて前章の《図1》中に位置づけるとすれば、「憑依」(上方からの「受肉」と下方からの「受肉」)によって「詩語」(上方の〈名〉と下方の「詩的言語」)が「人間の言語(公的言語)」へと逆翻訳される際、「原型」は垂直的な次元に、「母型」は水平的な次元にそれぞれ配置される。)
[*1]『母型論(新版)』の「解説」で瀬尾育生氏が、吉本隆明の言語思想を近代以降の西欧的思想と対比している。
《論の全体的な構成から言えば、「表現としての言語」を世界と身体の分節化によって説明したメルロ=ポンティが、吉本の言語論にいちばん近いと言えるかもしれない。
ユダヤ教思想を背景として、「事物の言語」と「人間の言語」とを貫いて神に円環させる「媒質[メーディウム]」の概念を考えたベンヤミンについても、吉本との類縁を考えてみたくなる。そこではまず自然物・事物が自らを語りだしている。人間はそれらの言葉を聞き取り、それに応答することから──つまりそれに「命名」することから、自らの言語をはじめるのである。
(略)
だがこれらすべての西欧的な思考[ルソー、ヘルダー、エルンスト・ユンガー、メルロ=ポンティ、ベンヤミン、ハイデガー]と吉本のそれとを隔てる決定的な差異がある。それは、西欧の思想家たちが──一神教を批判するときにすら──つねに超越的なものの単数のなかで思考するのに対して、吉本が終始、超越性の複数のなかで、至上なものの複数のなかで思考しているということだ。そしてこの複数性は、西欧的な思考が「神」からの贈与として受け取ってきたものを、一人一人の人間にとって各個的にしか存在しない、「母」による子への存在贈与に引き戻すことで得られている。それはまた先行する無限の存在連鎖・存在系列を呼び起こす。西欧的な超越性は、この水平的な無限連鎖を「父」の威力によって断ち切り、垂直的に反転するところにあらわれるのだ。》(『母型論(新版)』252-253頁)
[*2]ここで私は、工藤進著『声──記号にとり残されたもの』を想起している。
(この本を読んでいるとき、私はもう疾うの昔に忘れていた懐かしい幸福感を覚えていた。幼少期、我と時を忘れ夢中になって書物を読み耽っているとき、どこからかこみあげてきた身震いするような感覚。そこから立ち上がってくる「声」(著者・作者のものであれ、作中の人物・事物・事象・概念からのものであれ)がもたらす幸せな気分。何が語られているかという内容ではなく、ただそこに「声」が響いていることが与えてくれる愉悦。)
工藤氏は「おわりに──声の心・心の声」のなかで、「声による言葉は情報のみを伝えているものではない」こと、そして「言葉が意味よりも心を伝えるものであるという、どんな人でも体得している」真理がもたらした幸福な体験について語っている。そして、このような脈絡のもとでバベル以後の世界に思いをはせ、言葉に関わるわれわれの感覚器官(その代表が声)を忘れ、言葉をひたすら思弁の具としてきたわれわれの責任感はけっして小さくないと難じている。
《大昔の人はこうした感覚器官を用いて人間だけでなく、自然のあらゆる精霊と語りあうことができ、またその恩恵をうけることができた。(略)
茶道も華道も舞踊も建築も数学でさえ本来は文字や数字といった二次記号を使わない。書物は要するにメモであり、師匠の姿と声とを真似し自分のなかに自分としての新しいものが生じてこないかぎり、読んでもなんの役にもたたない記号のつまった紙の束である。》(『声』268-269)
美しい文章だと思う。ひさしぶりに引用の歓びを味わいながら抜き書きしたこの一文は、珠玉の名に恥じないと思う。
(私はこの文章の中に「歌の道も」という語を挿入し、「書物(文字)は要するにレシピであり」や、「秀歌の「こゝろ」と「ことば」と「すがた」と「しらべ」[折口信夫が「和歌批判の範疇」で「およそ歌を見、歌を作る上において、必らず心得て置かねばならぬ、[和歌批判と推敲のための]四つの段階的観察点[範疇]」と呼んだもの]を真似し…」といった文章を、溶け込み方式で書き加えたいと思う。)
肝心なことを書き忘れるところだった。私がこの本のことにふれたのは、「故郷の声──宮澤賢治のことばづかい」と題された文章中の次の一節を是非書き写して(移して)おきたかったからだ。
《縄文時代この日本列島で話されていた言葉はどんなものだったのだろうか。この疑問は数年前、青森の三内丸山の遺跡を見たあとさらに強いものとなった。琉球語をほとんど知らない私の友人によれば、沖縄の食堂で、仮名で表示されたメニューを黙読した時の聴覚イメージとじっさいに発音される音との違いに驚くという。吉本隆明は「奈良朝以後に、漢字を借りて表意的に、また表音的に文字にあらわされて古典語とか近代語とか呼ばれているものを日本語とかんがえると、日本語という枠組みからはみだしてしまう表意や表音があるのではないか」(『母型論』)と述べた。琉球語とか東北語とかは。まさにこうした「日本語」の枠の外の言語の痕跡を残した言葉であると私は確信している。》(『声』258頁)
(68章に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」47号(2022.08.15)
<哥とクオリア/ペルソナと哥>第67章 純粋言語/声と文字/アナグラム(その2)(中原紀生)
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