Web評論誌「コーラ」43号/哥とクオリアア/ペルソナと哥 第60章 純粋経験/私的言語/アレゴリー(その1)

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Web評論誌「コーラ」
43号(2021/04/15)

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 これより、貫之現象学のB層に入ります。
 テーマは「言語」です。「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」の「こころ」をA層に、「やまとうた」をC層に関連づけるとすれば、B層では、これらを媒介する「ことのは」が主題的にとりあげられる。そう大雑把に括ることができるでしょう。
 言語には、「コトバ/人間の言語/やまとことば」の三つの相があります。というか、そのような区分のもとで議論をすすめていきたいと、私は考えています。「コトバ」は、井筒俊彦の言語哲学を一言で要約するキーワード(「存在はコトバである」)。「人間の言語」は、ベンヤミンの「言語一般および人間の言語について」に由来する語で、ひらたく言えば音声言語と文字言語のこと。「やまとことば」は、「歌詞(うたことば)」(=詩語)もしくは「詞と辞」などと言いかえてもいいのですが、以前(第55章で)、「やまとことば」は誕生直後の言語現象を幼体のまま保持しつづけた言語だ、と断定的に書いたことに決着をつける意味で用いました。
 それでは、貫之現象学B層の第一相、「コトバ」についての考察を、章名に掲げた三つの項目にそって、順次、めぐらせていきます。
 
■純粋経験をめぐる込み入った事態
 
 まず、「純粋経験」とは、言葉を発し、文章を書きつけるとき、私の意識のうちに立ち現われてくる言語的な思いや感じ、クオリア、象・像・肖、「香、匂い、おもかげ、かげ、そして夢」(淺沼圭司『映ろひと戯れ』)のごときもの、等々の諸現象をめぐる、いまだ心的(主観)とも物的(対象)とも区別できない経験それ自体を指し示す概念。これを、『「いき」の構造』(岩波文庫、98-99頁)での九鬼周造の口吻をまねて言い換えるならば、そうした諸現象をめぐる論理的言表の「現勢性」すなわち「概念的自覚・認識」に先立つところの、「潜勢性」としての「意味体験」を示すものにほかなりません。
 本来、言葉では言い表せない諸現象をめぐる経験、すなわち、「単純な‘あれ’」と言うほかない「素朴な現実性ないし現実存在」(W.ジェイムズ『純粋経験の哲学』(伊藤邦武訳、岩波文庫)30頁)、あるいは、「色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるかという判断すら加わらない前」の「経験其儘の状態」(岩波文庫『善の研究』17頁)。
 このような、言詮不及の意味体験、とか、‘未だ’主客未分で判断‘前’の経験、といったかたちで、時間的観念の成分を濃厚に含んだ言葉でもって言表される純粋経験は、(込み入った言い方になりますが)、言語‘以後’に成立するパースペクティヴをつかって遡及的に「想起」されることではじめて、言語‘以前’の直接的なものであったことが明らかになり、あるいはまた、純粋経験をめぐる言語表現によってひらかれたフィールドのうちに、言語に先立つ空虚な存在であることが概念として位置づけられてはじめて、それが無であること(言葉で表現できる中身がないことそれ自体がその本質であること)が確定する、といった複雑な性格をもっています。
 貫之現象学のA層における「錯綜体/夢/映画」の階梯をはせのぼる心=身的世界、すなわち「ひとのこころ」のうちに、「アナロジー、パースペクティヴ、モンタージュ」の操作、はたらきを介して、「論理」×「時間」=「記憶」のメカニズムが稼働し、思い、感じ、クオリア、といった質料ゼロの諸現象が立ち現われ、純粋経験という「空虚な器」を満たしていく。そしてそれらは、やがて「ことのは」へと生長する「たね」であった。そんなふうに表現することもできるでしょう。
 その場合の「ひとのこころ」とは、森羅万象、生きとし生けるものに通底する「一つこころ」のことではなくて、あくまで「人のこころ」でなければなりません。それは、『意識の進化的起源──カンブリア爆発で心は生まれた』が着目する「原意識」または「一次意識(primary consciousness)」(あるいは「感覚意識(sensory consciousness)、「現象的意識」、「知覚意識」、「クオリアの経験」とも)のような普遍的な「動物のこころ」に根ざしながらも、これとは決定的に異なる「こころ」、「動物のことば」ではない「人間の言語」を生みだす「こころ」でなければならないわけです。
 いまひとつ、触れておきたいことがあります。それは、かつてこの論考群において、「和歌のメカニスム」の総題のもとで考察した井筒俊彦の言語哲学的意味論(第22章〜第26章)と吉本隆明の芸術言語論(第33章〜第37章)、そして井筒豊子の和歌論三部作(第27章〜第32章)をめぐる議論が、実は、「コトバ」すなわち「非言語的な意味の領域」(『群像』(2019年2月)掲載の鼎談「大拙、その可能性と不可能性」での若松英輔氏の発言)から「人間の言語」を、とりわけ高次の詩的言語を紡ぎ出すメカニズムにかかわるものであったことです。
 
 ところで、純粋経験をめぐる込み入った事態に関連して、永井均氏は『西田幾多郎』のなかで、次のように書いていました。副題を「〈絶対無〉とは何か」から「言語、貨幣、時計の成立の謎へ」にあらためた増補改訂版から引用します。
《しかし、西田が「直接経験の事実は、ただ、言語に云い現わすことのできない赤の経験のみである」[*1]と言うとき、彼は言語では言えないはずのことを言語で言っている。純粋経験の実態は、ここでは「赤の経験」という(すでに判断を経ているはずの)言語表現を通じて、人々に伝えられている。伝えられているだろうか? デカルトの場合なら、肯定的に答えられるこの問いに、西田の場合、実は、肯定的に答えることができない。人々が「赤の経験」という言語表現を通して、「ああ、あれね」と理解したときには、もう裏切られてしまうはずのことを、ここで西田は言おうとしているからだ。この言葉が人に通じたときには、面々が相対しているはずのその神[*2]は、いわばもう死んでいるのである。無であらねばならない神が有になってしまうからである。
 デカルトの場合は、逆の問題が生じる。デカルトにおいては、直接経験そのものは実はなかったとしても、それはあるという(言語的な)‘思い’だけがあれば、それは「ある」ことになってしまうのではないか、という逆の疑念が生じるのだ。「われ思う、ゆえに、われあり」と正しく判断する意識のないロボット(あるいはゾンビ)は可能なのである。》(角川ソフィア文庫『西田幾多郎』54-55頁)
 少し余分なところまで引用しました。ここで提示された西田哲学に固有の問い、「純粋経験について、一般的に語る‘言語’を、西田哲学はどこからどうやって手に入れるのか」をめぐって、永井氏は、こう書いています。
《答えは一つしかありえない。それは、純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していたから、というものである。「分節化されていない音声」が一つの言語表現になりうるのは、外部から「一定の言語ゲーム」があてがわれることによってではありえない。そうではなく、内側からの叫びのような音声を自ずと分節化させる力と構造が、経験それ自体の内に宿っていることによって、なのである。》(角川ソフィア文庫『西田幾多郎』64-65頁)
[*1・2]西田幾多郎は講義ノート『哲学概論』(全集第一五巻)の附録第二「純粋経験」で次のように述べている。
《併しデカルトでもアウグスチヌスでも、cogito, ergo〈我考ふ、故に〉といつて law of causation〈因果の法則〉に由つて sum〈我在り〉を推論したものならば、真の直接の真理とはいはれぬ。真の直接経験の事実は、我がそれを知つてゐるといふのではない。我が知るといふのではなく、ただ知るといふことがあるだけである。否、知るといふことがあるのでもない。赤ならばただ赤といふだけである。これは赤いといふのも既に判断である。直接経験の事実ではない。直接経験の事実は、ただ、言語に云ひ現はすことのできない赤の経験のみである。赤の外に「知る」とか「意識」とかいふことは不要である。赤の赤たることが即ち意識である。意識といふものがあつて、それが赤となつたり緑となつたりするといふが、しかし直接経験にはさういふ抽象的な意識はない。意識といふものがあつて、之が赤から緑に変ずるのではない。赤が緑に変ずるのがそれよりも根本的である。
 人はかういう考は Denken〈思惟〉を無視したものであるといふであらう。瞬間的直観としてはさうでもあらうが、思惟の要求としては意識とか我とかいふことを考へねばならぬといふ。併しその思惟といふものが先づ純粋経験の事実として我々に現はれて来るのである。ヂェイムズのいふ様に、思惟といふことも経験である。to とか from とかいふのも皆経験である。思惟といつて一種特別の力があるのではない。それで若し思惟の要求が正しいものとしても、思惟が純粋経験の事実でありながら、それからいかにしてさういふ要求が出てくるかを考究せねばならぬ。思惟の必然性といふことも畢竟純粋経験の確実性の上に本づくのではなからうか。思惟は直接経験の screen〈幕〉の後に入り得る様に考へてゐる人もあるが、その実はこのスクリーンの後に入ることはできぬのである。〔面々神と相対する所ここにあり。〕》(『哲学概論』[http://uma.the-ninja.jp/old/text/tetugakugairon/junsuikeiken_r.htm])
■純粋経験の系譜、井筒俊彦の言語アラヤ識
 
 純粋経験(こころ)それ自体が言語(ことのは)を可能ならしめる内部構造(たね)を内に宿している。ここで私が連想するのは、井筒俊彦の「言語アラヤ識」のアイデアです。『意味の深みへ──東洋哲学の水位』の「あとがき」に、井筒俊彦は次のように書いていました。
 いわく、かつて西脇順三郎に代わって慶應義塾大学で言語学概論の講義を担当していた頃、従来の言語学が、言葉の表面的でコンヴェンショナルな「意味」しか取り扱っていないことに不満だった。マラルメやリルケのような詩人たちの深層的「意味」世界の生成の秘密を探り出したいと考えていたからだ。それからずっと後になって、仏教の唯識哲学を学び始めた時、「意味の深み」という主題を哲学的整合性をもって理論的に取り扱うことができるのではないかという確信が生まれた。
 人間のあらゆる行為(身・口・意)は必ず「こころ」の深層にその痕跡を残す。あたかも、衣に薫きしめられた香の匂が消えずにそこに残るように。唯識哲学が説くこの「薫習[くんじゅう]」のプロセスは、「意味化」と言い換えることができる。すなわち、一々の経験はそのままの姿(たとえば、記憶という形)で残留するのではなく、いったん「意味」に転成し、そういう形で我々の実存の根柢に蓄えられていく。
 唯識による意識の構造モデルの最深層(第八番目のレベル)は「アラヤ識」(貯蔵庫意識)と名づけられている。このレベルにおける「意味」は「意味」エネルギーと呼ぶのがふさわしい。つまり「アラヤ識」は、全体としては、力動的な「意味」の流れである。
《だが、「意味」は、その本性上、「名」を呼び、「名」を求めるものである故に、「アラヤ識」は、また、全体として、根源的に言語的性格をもつ。(略)人間の下意識にたいするコトバの働きかけを極めて重大視する唯識哲学は、直接コトバに由来する「種子」を、特に「名言[みょうごん]種子」と呼んで、他の系列の「種子」から区別する。しかし、非言語系の「種子」も、「アラヤ識」的事態としては、すべて潜在的「意味」形象であるという点から考えれば、「名言種子」と基本的に等質であり、広い意味で言語的である、と考えられなければならない。
 「アラヤ識」に蓄えられた「意味」は、言語系であれ非言語系であれ、すべて言語化されている。ただ、その言語化の程度が種々に異なる、というだけのこと。(略)
 数限りないこれらの潜在的「意味」形象の‘全体’を理論的に想定して、私はそれを、「言語アラヤ識」(あるいは「意味アラヤ識」)と呼ぶ。すなわち、唯識哲学の説く第八「アラヤ識」を、強弱様々な度合いにおいて言語化された「意味」エネルギーの、泡立ち滾る流動体として、想像するのである。
 無数の潜在的「意味」形象が、瞬間ごとに点滅し、瞬間ごとに姿を変えつつ、下意識の闇のなかに渦巻く。(略)人間の‘こころ’の底知れぬ深みに、「種子」、すなわち、潜在的「意味」形象の、こんな凄まじい激流を見るのだ。勿論。一つの比喩的イマージュにすぎない。だが、この比喩には、「意味」の深淵を覗きこんだ人の生なましい感触がある。》(岩波文庫『意味の深みへ』326-328頁)
 この「言語アラヤ識」の萌芽となるアイデアは、慶応義塾大学での講義をもとに書かれた英文著作『言語と呪術』(1956年)のうちに、すでにあらわれています。井筒俊彦は、その第五章「「意味」という根源的な呪術」のなかで、次のように書いているのです。
《…あらゆる言語がまさしく象徴としての本性をとおしてわれわれの心に何かを呼び起こすことができると考えるのは、端的に正しいと思われる。発話された言葉は聞き手の心的機構のなかに、映像、形象、概念(単純概念にしろ複合概念にしろ)、感情、推論、あるいはその他何であろうと、話し手の心を占めるものを呼び起こす。心的な喚起の過程は、それゆえ、言語呪術の最も根本的な働きと言ってよいが、ごく普通の人の観点からすると、それは「呪術」と呼ばれるにはあまりに根本的、あるいは普通すぎるかもしれない。(略)
 さて、単刀直入に言うなら、ここでわれわれのまえにある問題は、言語的な象徴によって心にもたらされる「何か」とは正確には何であるか、という探究である。言い換えるなら、内包的な意味のもつ内的構造はどのようなものかということである。内包が理論的な精緻化を受ける以前の本来的で、前論理的な状態にここで関わっていることを考えれば、この問いに明確に答えることはきわめて難しいと思われる。というのも、この意味での内包は、結局のところは、ささやかな神秘だからである。》(小野純一訳『言語と呪術』103-104頁)
 ここで言われる「内包的な意味」については、同書の監訳者・安藤礼二氏による「解説 井筒俊彦の隠された起源」の要約がわかりやすいので、その文章を引きます。(ちなみに、この「解説」は、安藤礼二著『折口信夫』に収録された「言語と呪術──折口信夫と井筒俊彦」を全面的に書き直した増補改訂版[*]。)
《言語は論理[ロジック]であるとともに呪術[マジック]である。
 『言語と呪術』は、その冒頭(第一章)で、高らかにそう宣言する。言語は、世界を論理的に秩序づける力とともに世界を呪術的、すなわち魔術的に転覆してしまう力をもっている。井筒は、言語のもつ両義性にして二面性を、さらに【「外延」(デノテーション)】と【「内包」(コノテーション)】という術語を用いて言い換えてゆく。それこそが『言語と呪術』を成り立たせている基本構造であり、著作全体を貫く中心課題であった。「外延」とは、言葉の意味を明示的、一義的に指示する外的な機能であり、「内包」とは、言葉の意味を暗示的、多義的に包括する内的な機能である。「外延」が有限者と有限者(人間と人間)のあいだにむすばれる水平的かつ間接的なコミュニケーションを可能にするならば、「内包」は無限者と有限者(神と人間)のあいだにむすばれる垂直的かつ直接的な啓示を可能にする。「外延」は秩序を構築し、「内包」は秩序を解体し再構築する、すなわち「脱構築」する…。
 言語は、論理にして「外延」、呪術にして「内包」である。》(『言語と呪術』「解説」227-228頁、【 】は原文ゴシック)
 井筒俊彦が言う「言語的な象徴によって心にもたらされる「何か」」とは、前節で述べた意味での「純粋経験」のことであり、言語の「内包的な意味のもつ内的構造」こそが、純粋経験が言語を可能ならしめる内部構造であること、そしてそれ、すなわち言語における内包的意味が、宗教的な「神秘」体験につながるものであること、ここでは、これらのことを確認して、次に進みたいと思います。
 肝心なことを言い忘れるところでした。言語の二つの側面のうちの「内包」が、つまり、無限者と有限者のあいだの垂直的かつ直接的な啓示にかかわる側面が、後の「言語アラヤ識」の議論につながっていくのでした。『言語と呪術』で井筒俊彦は、「内包」がもつ性質として、「指示的」「直観的」「感情的」「構造的」の四つを指摘し、それぞれにつき詳細に論じているのですが、安藤氏は、この第四の構造的性質に着目して、「のちに井筒は、言語の「内包」がもつこの側面を「言語アラヤ識」、言語のもつ根源的な文法構造として深めていくことになる」(241頁)と解説しています。
 
[*]井筒俊彦の哲学的意味論と吉本隆明の芸術言語論との構造的同一性を指摘した安藤氏の文章を、以前、(第33章末節の註で)、「言語と呪術──折口信夫と井筒俊彦」から抜き書きしたことがある。いま、それと同じ個所を増補改訂版から引いてみる。
《神の聖なる言葉、すなわち超現実の言語、あるいは、直接性の言語が発生してくる場所に、西脇は前人未踏の詩的世界を作り上げ、折口は共同社会の発生と文学の発生が重なり合う「古代」を幻視した。そこに井筒俊彦による「哲学的意味論」にして詩的意味論の一つの起源が確実に存在している。
 そしてもう一人、井筒が『言語と呪術』をまとめる上で理論的な柱としたオグデンとリチャーズの『意味の意味』からの大きな刺激を受け、独自の言語論を練り上げていった人物がいる。吉本隆明である。吉本がまとめ上げた全二巻からなる『言語にとって美とはなにか』(一九六五年)、特にその理論篇である第T巻の冒頭で展開される、きわめて詩的であると同時にきわめて理論的な考察は、ある意味で、『言語と呪術』と瓜二つである。そこで吉本は、やはり言語がもつ二つの側面、自己表出性と指示表出性を厳密に区別する。その区別は、西脇=ポーランによる言語の感性的機能と知性的機能という区別と完全に等しい。オグデンとリチャーズとともに、吉本が第T巻の冒頭で参照するカッシーラー、ランガー、そしてマリノフスキーは、そのすべてが井筒の『言語と呪術』でも参照されている。また第U巻全体を通して、詩から物語、さらには劇へと至る、吉本による言語芸術の発生史において理論的な支柱となっているのは、一貫して折口信夫の営為なのである。折口信夫と西脇順三郎、井筒俊彦と吉本隆明。近代の列島に生まれた日本人の手になる独創的な言語理論は、ほぼすべて同一の系譜の上に成り立ち、またそれ故、同一の構造をもつものだった。
 その起源においては、やはり「文学的内容の形式」を「認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合」から論じ尽そうとした夏目漱石による『文学論』の試みもまた共振している。》(『言語と呪術』250-251頁)
 この新稿(増補改訂版)では、次の六つの論考における言語の二つの側面・機能の区別が、「ほぼ等しい」から「完全に等しい」に書き改められている。
 
@オグデン、リチャーズ『意味の意味』(1923年):外的事物の「指示」と内的感情の「喚起」
Aフレデリック・ポーラン『言語の二重機能』(1929年):「知性的機能」と「心象喚起機能=感性的機能」
B折口信夫『言語情調論』(1910):間接性の言語と直接性の言語
C西脇順三郎『超現実主義詩論』(1929年):現実(自然)的側面と超現実(超自然)的側面
D井筒俊彦『言語と呪術』(1956):「外延」(論理)と「内包」(呪術)
E吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(1965):「指示表出」と「自己表出」
 
 また、折口信夫と西脇順三郎、井筒俊彦と吉本隆明の独創的な言語理論の構造的同一性をめぐって、それは、それらの言語理論が「ほぼすべて同一の系譜の上に成り立」っているが故であった、と上書きされ、さらにこの「系譜」に夏目漱石(『文学論』)の名が書き加えられている。(私は、この「系譜」の上に九鬼周造(『文学概論』『日本詩の押韻』)を加えたいと考えている。)
 蛇足をひとつ。今回、安藤礼二著『折口信夫』を読み返して心に残ったこと。折口信夫の卒業論文『言語情調論』の提出(1910年7月)と西田幾多郎の『善の研究』の刊行(1911年1月)がほぼ同時期であったことにふれたうえで、安藤氏は、次のように書いている。「時期的な問題ばかりではない。内容的にも、折口が『言語情調論』でアウトラインを提示しようとした「直接言語」(象徴言語)と、西田が『善の研究』の冒頭に据えた「直接経験」(純粋経験)は、ほとんど同じ事態を示している。」(第二章「言語」)
 
■純粋経験の系譜、鈴木大拙の如来蔵思想
 
 「言語アラヤ識」に結実する井筒俊彦の言語哲学は、(折口信夫、西脇順三郎、吉本隆明といった「系譜」以外にも)、たとえば、この論考群で何度か引用した丸山圭三郎の深層言語理論と共鳴しています。
(そのわかりやすい例をひとつ挙げると、丸山氏は『言葉・狂気・エロス──無意識の深みにうごめくもの』でアラヤ識について次のように書き、つづけて深層の言語意識をめぐる『意味の深みへ』の文章を引用している。「〈アーラヤ識〉は、過去・現在・未来にわたって生死する輪廻の主体であり、この‘貯蔵所’という意味をもつアーラヤには、あらゆる存在を生み出す〈種子[しゅうじ]〉という精神的エネルギーが薫習[くんじゅう]される。言語哲学者・井筒俊彦氏によれば、これこそが深層意識の言葉であり、この言葉は、概念的分節の支配する表層意識の言葉(=言語[ラング])と違って、明確な分節性のない〈呟き〉のようなものである。」(講談社学術文庫、100頁))
 そして、この「言語アラヤ識」にいたる「系譜」を過去に遡ると、安藤礼二氏が、「井筒俊彦によって一つの大きな完成を迎える日本近代思想史と日本近代表現史があり、その起源に鈴木大拙がいる」と(前掲の鼎談で)語っていた、その大拙の「如来蔵思想」に行き着きます。
 以下、『言語と呪術』の翻訳書とほぼ同時期に刊行された安藤礼二著『大拙』から、参照すべき指摘、考察を引きます。まず、「純粋経験」と宗教的神秘体験をめぐって。
《大拙は、ジェイムズ[『宗教的体験の諸相』]にならって、「神秘」を「経験」と重ね合わせる。宗教とは、なによりもそうした神秘的経験、すなわち言語化不可能な体験によってのみ定義されるものなのだ。主体からはじめるのでもなく、客体からはじめるのでもない。精神からはじめるのでもなく、物質からはじめるのでもない。主体と客体の区別のつかない、精神と物質の区別のつかない、すべての「二」なる対立(二項対立)を乗り越えた「一」なる地平、一元的な領野に生起する裸の「経験」からはじめなければならないのだ。禅と真宗(Zen and Shin)に代表される大乗仏教も、エックハルトに代表されるキリスト教神秘主義思想も、そうした「経験」(experience)を最も重視した。》(第一章「インド」)
 
《プラグマティズムは意識を変革させるための哲学であり、同時に社会を変革させるための哲学でもあった。ジェイムズはその基盤として、主体と客体(主観と客観)、意識と宇宙が、一つに重なり合う「純粋経験」を見出した。「純粋経験」は、ある種の宗教者が体験する「神秘」としてはじめて可能になる。しかしその「神秘」に主観的に溺れるのではなく、新しい科学の基盤として客観的に分析しなければならない。ジェイムズはそうつけ加えることも忘れなかった。鈴木大拙と西田幾多郎に共有される「純粋経験」は、そこからはじまっている。》(第二章「アメリカ」)
 次に、「如来蔵思想」をめぐって。
 いわく、大拙は、最初の英文著作『大乗仏教概論』で、「大乗仏教の如来蔵思想を現代的な実践哲学にして総合宗教論として甦らせよう」として、仏教の北方的・大乗的な展開でもなく、南方的・小乗的な展開でもない「東方仏教」を、すなわち「中国から朝鮮半島を経て極東の列島で習合し変容した仏教の如来蔵的、小乗と大乗の総合的な展開」を提唱した。大拙は「この『大乗仏教概論』の段階ですでに、自らの提唱する「東方仏教」こそが、ヒンドゥー教(多神教)の神秘主義思想ともキリスト教(一神教)の神秘主義思想とも接合可能であると確信していたことがうかがえる。「東方仏教」こそが、内在と超越、多と一を、ひとつに結び合わせる仏教思想の極致なのだ」(第二章「アメリカ」)。
 つづいて、大拙が提唱した「東方仏教」の基本構造をめぐって。
《「東方仏教」の体系を構築する際、大拙が大きく依拠したのが、一九〇〇年に自ら英語に翻訳して刊行した、如来蔵思想を中心に据えた『大乗起信論』である。大拙の時代には、大乗仏教思想の起源として考えられていた「如来像」の思想であるが、現在では大乗仏教思想の帰結、ヒンドゥー教の「不二一元論」(内在する純粋な霊魂=アートマンと超越する究極の宇宙原理=ブラフマンは「一」なるものである)との相互関係のなかでかたちになり、密教的な「即身成仏」を成り立たせる基盤となった理論書として位置づけられている。もちろん、密教だけでなく禅や浄土の源泉でもある。
 森羅万象あらゆるものの「心」の根底にひらかれるアーラヤ識には「如来」(仏)になるための種子が秘められている。「心」、すなわちアーラヤ識は「如来」を生み落とす存在の「子宮」なのだ。如来蔵とは如来の子宮であるとともに宇宙の子宮なのである──「子宮」という言葉は大拙自身が使っているものである。その如来蔵、つまりは「心」の奥底、アーラヤ識に到達するためには、まずなによりも人間的な「自我」意識を徹底的に解体しなければならない。如来蔵=アーラヤ識を、宇宙を産出する如来の原理的な本質として捉えたものが「真如」である。如来蔵、アーラヤ識、真如。そして法身。「真如」とは「法身」である。それが「東方仏教」を成り立たせている根本的なテーゼとなる。》(第三章「スエデンボルグ」)
 こうして、井筒俊彦の「言語アラヤ識」が、鈴木大拙の「如来蔵思想」とつながりました。[*]
 
[*]三浦雅士氏は『孤独の発明 または言語の政治学』で、袴谷憲昭(本覚思想批判)や松本史朗(如来蔵思想批判)の批判仏教の書をとりあげ、それが鈴木大拙=井筒俊彦批判につながることを論じている。
《袴谷は、「本覚思想とは全てが一なる「本覚(根源的な覚り)」に包含されていることを前提とし、しかもその前提は定義上言葉によっては表現できないとする考え方であるゆえ、それは、言葉による論証も信も知性も関係なしに、ただ闇雲に相手にその考えを押しつける権威主義として機能するだけのものにすぎない」(『本覚思想批判』)と、定義づけの装いのもと、本覚思想を徹底的にこき下ろしているが、これを肯定的に裏返せば、ある程度は井筒の思想になるといいたいほどである。まさか「言葉による論証も信も知性も関係なしに」ということはないにせよ、井筒の論の中核をなす神秘体験が人を選ぶことは如何ともしがたい事実だからである。
 神秘体験は、詩人であれ哲学者であれ、人を厳選して訪れる。選ばれたものたちにしてみれば、いわば精神の貴族にでもなったようなものである。神秘主義がしばしば秘密結社のかたちをとるのは不可避なのだ。しかもこの体験は、個人の内的体験なのだから、反証可能性の有無などはじめから問題にしていない。要するに、体験を共有しないものには通じないのであり、体験者はそれを少しも苦にしないのである。神秘主義がしばしば疑いをもって見られる理由である。》(『孤独の発明』268頁)
 
《袴谷や松本の所論が衝撃的だったのは、まず、止観や禅は仏教などではない、仏教の影響を受けた中国思想、とりわけ土着思想としての道教の変容した姿にすぎないとする指摘においてである。止観や禅がインド土着思想の発展形態ともいうべきシャンカラの思想に対応し、したがって芸術的体験なり悟りなりと見なされているものは、古今東西、原始的アニミズムの間歇的噴出にすぎないというのだ。
 小林秀雄、井筒俊彦、梅原猛といったいわゆる日本の思想家なるものは、日本の土着的アニミズムの間歇的噴出にすぎない。西田幾多郎も鈴木大拙も同じようななものだ。袴谷や松本の説くところを煎じ詰めればそういうことになる…。(略)
 ここに見られるのはあるいは思想の二つの型というべきものかもしれない。天台本覚思想あるいは如来蔵思想の変容形態として批判され非難された小林、井筒、梅原らの思想は、基本的に人ひとりひとりの悟りを問題としているのであり、対するに批判する側の袴谷や松本ひいては吉本[隆明]ら新左翼──後期の吉本は違うが──は、衆生なり人民なりの救済すなわち社会全体の変革を問題としているのである。
 これを小乗と大乗といってもいい。少なくとも小乗と大乗をこの視点から見ることはできるだろう。袴谷らは、梅原らの活動に卑俗な利己主義を認めているのであり、戦前、右翼国粋主義に雪崩れ込んだ西田[幾多郎]以下の京都学派と同質のものを認めているのである。
 だが、「草木国土悉皆成仏」に示される天台本覚思想なり如来蔵思想なりが土着思想であるとして、そのどこが悪いのかと反問することも不可能ではない。袴谷が挙げる東西土着思想のほうがむしろ普遍的な思想の名に値するのではないか。そのほうがいわば普遍語の世界に属し、袴谷らの標榜する道元主義のほうが現地語の世界に属するのではないか。仏教外から見れば、そう反問するほうが自然に思える。》(『孤独の発明』460-462頁)
■純粋経験の系譜、無心・場所・フィールド
 
 あとひとつ、純粋経験をめぐる系譜をたどっておきたいと思います。
 湯浅泰雄氏は、日本武道学会での講演をもとにした「東洋的身心論と現代」(『気・修行・身体』所収)で、次のように語っています。いわく、日本の芸道論の特徴は、観客よりも演技者の立場を基本にしているところにある。歌道論では、歌人がめいめいの心を訓練し、とぎすましていくことによって「幽玄」(美)の境地に達することが説かれているし、世阿弥の稽古論では、「わざ」(身体的演技)の稽古をつみ重ねることによって「花」(美)を会得することを教えている。世阿弥は「花は心、たねはわざ」と言う。「種」としての「わざ」から「花」へ、身体から心へ、つまり形から心へ。心は形を通して「たえず生まれ変わるもの」としてとらえられている。
《世阿弥は彼のいう「花」の理想の状態を、「無心」とか「空」とよんでいます。それは、演技しているという意識さえなくなって、自由自在に舞っているような状態であるといえるでしょう。つまり、心の動きと身体の動きが区別されない「心身一如」ともいうべき状態です。われを忘れた状態、あるいは身体を動かす主体としての自我の意識が消え、舞いという運動そのものになりきった心の状態、といってもいいでしょう。(略)
 ところが、右にいったような「心身一如」の境地では、心は、無意識のままに身体と一つになって動いています。つまり、主体としての心と客体としての身体の区別はもはや感じられなくなり、主体は同時に客体であり、客体は同時に主体であるという状態になります。身体という客体の動きは、そのまま主体としての心の動きそのものになりきっています。逆にいえば、主体としての心は、われを忘れ、客体としての身体の動きそのものになっています。哲学者の西田幾多郎が「純粋経験」とか「行為的直観」とよんでいるのは、こういう状態であると思います。西田は行為することは同時に空(絶対無)を直観することである、というのです。彼はまた、そういう状態を「物となって物につき当たる」といいます。心は、身体という「物」の動きになりきって、身体(物)のもっている能力や可能性をフルに発揮しながら、まわりの「物」につき当たって動いているわけです。その身体運動の中心には、ちょうど、グルグル回っている独楽の動きの中心が静止しているように、「動」の中心に「静」がある。運動の中心には動かない一点がある。世阿弥はそれを「無心」とか「空」とよんでいるのです。》(『気・修行・身体』51-53頁)
 かくして、ウィリアム・ジェイムズに端を発する「純粋経験」が、鈴木大拙を介して西田幾多郎に伝わり、「場所」[*1]や「行為的直観」といった西田哲学の鍵となる概念に転換され、それと同時に、「純粋経験」の名で呼ばれうる境地が、(如来蔵思想や言語アラヤ識といった日本的仏教思想の系譜とパラレルな関係を切り結びながら)世阿弥の「無心」へ──そして定家の「有心」へ、さらに遡行して天台摩訶止観に立脚した俊成歌論へ、あるいは降って芭蕉の「虚心」、宣長の「もののあはれを知る」[*2]といった歌の道の系譜へ──とつながっていきました。
 一点、補足します。西平直氏は『無心のダイナミズム──「しなやかさ」の系譜』の第U部「禅の無心」において、鈴木大拙の『無心といふこと』や、井筒俊彦の(鈴木大拙の後を受けた)エラノス学会での禅思想における無心をめぐる講演を取りあげているのですが、ここで私が注目したいのは、この講演にもとづく井筒の日本語論文「禅的意識のフィールド構造」(『コスモスとアンチコスモス』所収)の「フィールド」という概念です。(井筒豊子の和歌論三部作で、意識・言語・認識(存在)の三つの層において縦横に論じられた「フィールド」。)
 西平氏の議論(というか、西平氏が援用する井筒俊彦の議論)については、以前(第29章で)ふれましたが、ここでの文脈で肝心なところをひとつ、抜き書き(孫引き)しておきます。
《では「フィールド」とはどういうことか。まず、主も客も共に包み込んだ場(フィールド)と考えてみる。「主客をいわば上から包み込むような形で現成する全体的意識フィールド」(「禅的意識のフィールド構造」『井筒俊彦著作集』第九巻、三二五頁)。しかし単に意識フィールドを意味するわけではなくて、同時に、存在のフィールドでもある。「主も客もともに捲きこんだ渾然たる全体フィールド」(同、三二九頁)。
 さらに井筒はこのフィールドを、「生命エネルギー」の流体的な動きとしても語っている。「全宇宙に遍満した全てを貫いて流動する一種の生命エネルギーの創造力のようなもの」(同、三三九頁)。この生命エネルギーの流体的動きが「フィールド構造」であり、「全体的フィールドのダイナミクス」である。》(『無心のダイナミズム』102頁)
(文中に引用された「主客をいわば上から包み込む」という井筒俊彦の文章から、私は三浦雅士氏の俯瞰する眼や吉本隆明のパライメージや世阿弥の離見の見を想起している。また、「主も客もともに捲きこんだ」云々の記述に、同じく三浦氏の言語成立の第二の条件「相手の身になる能力」を想起している。)
 
[*1]永井均氏は『西田幾多郎』第二章「場所──〈絶対無〉はどこにあるのか」の第3節「場所としての私」で、「直接的自己意識(de se 知識)は、あらゆる自己意識的存在者が持つのだから、そのうちどれが私の直接的自己意識であるかがわかるためには、ついには存在するもの(有)の間で成り立っている識別基準では‘ない’ものを頼りにしなければならない地点に達する。それが、つまり、無の場所である」と書き、「私の理解では」と断ったうえで、その「無の場所」とはまさに「西田が初期には「純粋経験」と呼び、その後は「場所」と呼ぶもの」なのであると書いている(角川ソフィア文庫『西田幾多郎』77頁)。
 先走ったことを書きつけておくと、私は、「存在するもの(有)の間で成り立っている識別基準」にかかわるのが「リアリティ」(永井の用語では「実在性」)であり、「無の場所」というときの「無」は「リアリティ」の不在(たんなる不存在ではなく、また存在し得ないのでもない、そもそもそれが存在することが意味をなさない事態)をあらわした語だと理解している。そして、この「無」から立ちあがるものを「アクチュアリティ」(同じく「現実性」)の概念でとらえたいと考えている。
(この「無」を「空」すなわち「ヴァーチュアリティ」ととらえ、そこから成長、噴出もしくは顕現する「リアリティ」を「アクチュアリティ」の相でとらえる発想が、おそらく如来蔵思想や言語アラヤ識のアイデアに直結している。ちなみに、「リアリティ」が立ち現れるのは「ヴァーチュアリティ」の界域からではない。「リアリティ」と対になるのは「可能なもの」の界域である。諸可能世界のうちのひとつが現実世界になる、といったかたちで。)
 後に考察する「感情」の私的言語は、この「無」なるものの「世界」への出現、言い換えると「実存」それ自体を「本質」とするもの(「感情」の相においてとらえられた〈世界〉)を表現する私的言語である。そこでは「感情」が実存することとそれを表現すること(それが表現された「世界」が実存すること)とが区別できない。
 
[*2]『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』に収められた「江戸の注釈学と現在」の中で、柄谷氏は、「認識論的な領域に対して、もっと根底的な次元での経験を、あるいは認識論的な判断に先立つ「純粋経験」というものを、宣長は「もののあはれを知る」という一言でもっていおうとした」(110頁)と語っている。
 ちなみに、この講演で論じられた朱子学(仁斎≒キルケゴール、徂徠≒マルクス、宣長≒ニーチェは朱子≒アクィナスの「理」の思想に対するラディカルな批判者であった(92頁,111頁))の特徴は、如来蔵思想(やキリスト教神秘主義や梵我一如思想)に通じている。柄谷氏いわく、朱子学の「理先気後」は、「理」が分離して「気」に先行しているのではなく、イデア的なものとして超越しつつ自然界に内在していることをいう。
《朱子学では、そういう内在的=超越的ということが特徴になっています。それは、天とか地とかいうのは超越的であるけれども、同時に人間に内在しているということですね。ヨーガや仏教の考え方がそうですし、西洋でもエックハルトのような神秘主義者もそう考えています。心理学のユング派もそうですね。我の下にもっと大きな我があって、だから自分を見つめて行けば大きな我として内々につながっている、という考え方をします。いいかえれば、自己認識というのは自分の中にあるもっと大きな自分、つまり世界そのものに到達すればよく、その根拠は、われわれ自身が神なのだからと考えるのです。朱子学というとたんに理論的に見えるけれど、ある意味では、禅とよく似た修行の方法でもあったのです。
 さらに朱子学では、存在は当為であるといえます。自分が在る在り方と在るべき在り方とが同じであるということは、その在るべき在り方に自分は到達できる、ということなのです。つまり簡単にいえば、誰でも修行によって聖人になることができる、ということですね。》(『柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇』85-86頁)
■類化性能と別化性能、私語として
 
 最後に、私語を挿みます。
 私は、この論考群を書き進めるうえで、「方法」というほど大袈裟なものではないが、あるひとつの方針に、かなり忠実にしたがってきました。それは、何かアイデアが浮かんだとき、たとえば、言語が心にもたらす「何か」とは純粋経験なのではないか──つまり、純粋経験とは、(三浦雅士氏が、「私には共感覚とは言語現象であるとしか思えない。」(『孤独の発明 または言語の政治学』447頁)と書いている、その共感覚と同様に、そしてまた、安藤礼二氏が『大拙』で、「ジェイムズはその[プラグマティズムの哲学の]基盤として、主体と客体(主観と客観)、意識と宇宙が、一つに重なり合う「純粋経験」を見出した。「純粋経験」は、ある種の宗教者が体験する「神秘」としてはじめて可能になる」(第二章)と書き、あるいは「禅と浄土から「純粋経験」を捉え直し、その「純粋経験」によってあらわになるありのままの真実を、『大乗起信論』による「真如」さらには「如来蔵」として定位し、そしてその真如=如来蔵を、華厳的な「一即多、多即一」、「相即相入」として描き尽くそうとした最後の大拙」(第八章)云々と書いていた、その宗教的神秘体験と同様に)、言語以前の心的現象という相貌のもとであらわれる言語現象に他ならないのではないか──、と思いついたとき、それをそのまま書きつけるのではなく、どこかで誰かが同趣旨のことを(あるいは、同趣旨の主張として解釈できることを)書いたり語ってはいないかを、できるかぎりの時間をかけ、入手可能な範囲の資料にあたって調査する、というものです。
 そして、もし適切な文章や発言が見つかると、(たいがいのことは私が思いつくまでもなく、誰かがとうの昔に考え尽しているので、適切な文章や発言は、ちょっとした調べで必ず見つかる)、それを(孫引きをいとわず)引用し、できるかぎり自分ではない誰かが、(理想としてはむしろ言語それ自身が)、そのように書き語っているかのように論述を組み立てていく、というものです。
 もちろん、この方針が空回りして単なる読書ノート、覚書のようなものになるか、引用の愉楽に中毒した挙句、目論みのない寄せ書きに堕してしまうことが、再々ならずあります。
 折口信夫は「古代研究 追ひ書き」に、「比較能力にも、類化性能と、別化性能とがある。類似点を直観する傾向と、突嗟に差異点を感ずるものとである。この二性能が、完全に融合してゐる事が理想だが、さうはゆくものではない。/私には、この別化性能に、不足がある様である。」と書いています。折口ほどの高みには届かないにせよ、私もまた「類化性能」の過剰を自覚していて、だからこそ、(あらゆる事象を内部に繰り込み、あるいは外部へと発出するメカニズムにかかわる)「言語アラヤ識」や「如来蔵思想」の系譜に属する論者の思索に心惹かれ、その文章や発言の引用に熱中すると、もうそこから抜け出せなくなるのです。
 しかし、ここにきて様子が変わってきました。言葉が不適切ですが、すこし飽きてきたのです。
 聖書の解釈に「霊的解釈」と言われるものがあります。テキストに書かれている事柄の字義的・表面的な意味ではなく、霊性的次元における象徴的な意味を読みとる、といった趣旨だと思います。類化性能を十全にはたらかせ、緊張感をもってする引用であれば、つまり、単なる言葉の引き写しではなく、逐語的な「解釈」もしくは「翻訳」と言ってもいい営為なのであれば、それは「霊的解釈」に匹敵するものだと言えるでしょう。
 でも、緊張感を失って漫然と怠惰にただ言葉を引き移すだけの引用では、表面的で平板な、コンヴェンショナルな意味しか伝わりません。(「アクチュアリティ」が「リアリティ」になってしまう。それも「ヴァーチュアリティ」とのつながりさえ失った単なる「リアリティ」(「可能なもの」(同類同格のもの)のうちのひとつ)にすぎないものになってしまう。)だから、飽きてくるのです。すべてが同じことの繰り返しで、(類化性能にもとづくのだから、それは当然なのですが)、ひりひりするような一回限りの新鮮さが感じられなくなるのです。ここには出て行くべき外部がないし、出逢うべき他者がいないと。
 
 次章では、二人の「別化性能」の人の言説を比較しながら引くことにします。柄谷行人と永井均[*1]。かたや、デカルトとデカルト主義、マルクスとマルクス主義の違い、等々を鋭く論じる思想家、かたや、独在性の〈私〉と単独性の《私》、〈今〉と《今》、等々の存在論的差異について何度でも最初から語り直す哲学者。
 この、(私より)ほぼ一回り上の世代の思想家と(私と)ほぼ同世代の哲学者は、その著書が刊行されるたび速攻で買い求めてはしばし知的眩暈に溺れ、そして最終頁までたどりつく前に、刺激が嵩じて自分勝手な思考に走り、とうとう最後まで読みきれず、稀に完読し、繰り返し目を通しえたとしても読了感が伴わず、その余震のような感覚がいつまでも残っている、そんな特別な書き手でした。
 柄谷行人と永井均には、その類似点と差異点を対比させ比較検討したい項目がいくつかあります。たとえば、(これは表面的な例ですが)、ともに書名にウィトゲンシュタイン由来の「探究」の語をふくむ重要な(柄谷にとっては「態度の変更」や「転回」の契機となり、永井にとっても、実はまだ始まっていなかった永井哲学のほんとうの「開闢」を告げる)著作を二冊刊行していること、(ただし柄谷の『トランスクリティーク――カントとマルクス』は「探究V」として連載された原稿をほぼ全面的に改稿し大幅に加筆したもの、また永井は『世界の独在論的存在構造──哲学探究2』の終章で「〈私〉の持続と時間経過の関係という問題」をめぐる「哲学探究3」を予告し(237頁)、現に連載を始めている)、あるいは、同じくウィトゲンシュタインの思考を淵源とする「独我論」をめぐる考察がそれぞれの思索の枢要な位置をしめていること、デカルトとカントの哲学的洞察に関するそれぞれの解釈が二人の思考の決定的な駆動力となってきたこと、等々[*2]。
 それらについて逐一、立ちいって詳細に考察する準備はできていないし、その力量ももちあわせていない(し、ここはその場ではない)ので、次章では、ウィリアム・ジェイムズ⇒鈴木大拙・西田幾多郎⇒井筒俊彦・吉本隆明とたどってきた「純粋経験」の系譜に関連する範囲で、比較のための若干の素材を蒐集したいと思います。
 
[*1]小林敏明氏は『柄谷行人論──〈他者〉のゆくえ』の序章で、「柄谷的思考」の特徴として「アクロバティックな通説転倒」(マルクス解釈においては生産過程よりも交換過程が大事だ、等々)と「アナロジカル・シンキング(類比的思考)」(国学における漢字と仮名の区別を理と情のダイコトミーに割り当てながらヨーロッパのロマンティクと重ねる、等々)を挙げている。「私[=小林]の見るところ、通説を転倒する柄谷の「反時代的考察」の大半はそのようにして[「驚異的な読書量と記憶力をベースにし」たアナロジカル・シンキングによって]生み出されている。」(18頁)
 小林説は的を射ていると思う。そうだとすると、柄谷行人はただ単に「別化性能」の人(異論を提示する通説転倒の人)であるだけではなく、「類化性能」の人(アナロジカル・シンキングによって「類似から共通の何かを析出する」人)でもある、あるいは「この二性能が、完全に融合してゐる」思想家であると言うべきかもしれない。そしてこれと類比的なことは永井均にも言えると思う。
 
[*2]本文に記載したもの以外に、いくつか「共通項」を挙げる。
 
 その1.柄谷は『シンポジウムT』所収の鼎談「音声と文字/日本のグラマトロジー──十八世紀日本の言説空間」で、「吉本隆明のいちばんいい書物(笑)として『古代歌謡論』というのがあります。そこで彼が言っているのは、『万葉集』の中で、あるいは『古事記』の中でもっとも古いと思われている歌も、文字を前提にしているということです。文字がなければありえないような構成力をもっているということです。」(282頁)と語っている。
 永井は『哲学の賑やかな呟き』所収の「吉本隆明について 2011.4.27」で、『思想なんかいらない生活』を書いて永井を「貶した」勢古浩爾の『最後の吉本隆明』をめぐって、「その中で自分[=勢古]は[吉本の]主著はまったく理解できないと言っており、他の主著はともかく『言語にとって美とはなにか』が理解できないと言っているのにはちょっと驚きました。あれはさほど難しくないですし、また勢古氏と違って私[=永井]は文芸理論家(とりわけ詩学者あるいは歌論家)としての吉本氏を最も高く評価しているので。」(248頁)と書いている。
 
 その2.永井は『〈魂〉に対する態度』所収の「世界宗教の外部へ―─柄谷行人『探究』批判」の中で、『探究U』冒頭の文章、「私[=柄谷]は十代に哲学的な書物を読みはじめたころから、いつもそこに「この私」が抜けていると感じてきた。哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それを主観といっても実存といっても人間存在といっても同じことだ。それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜けおちている。」を受けて、「これは『探究』全体を通じて、私[=永井]が全面的に共感しかつ賛成できる唯一のパラグラフである。」(126頁)と書いている。
 「唯一のパラグラフ」とあるように、柄谷の「この私」は固有名で表現できる(余人をもって替えがたい)単独性の《私》であって、固有名によっては表現できないデカルト的コギト、つまり永井的な独在性の〈私〉ではない。(このような哲学者・永井の批判は、思想家・柄谷の琴線に触れることはないだろう。哲学者に哲学者の仕事があるように、思想家には思想家の仕事がある。)
 また、永井は2016年11月8日付けのツイッターに、「私は、実のところ、いまだかつてあれほど面白い文芸評論というものを読んだことがないですよ。…思い出す限りでは、第2位が三浦雅士の「小島信夫と田中小実昌または反転する文学」[『私という現象』]で、第3位が柄谷行人の「マクベス論」です。」と書き、翌日の記事で、「第3位に誤記憶があり、正確にはむしろ『意味という病』で「マクベス論」の直後にある「夢の世界─島尾敏雄と庄野潤三」のほうでした。すると明白な影響関係が認められるため2位と3位は逆転します。その場合でもそこで提起されている問いに端的に答えているという点で一位は不動です。」と訂正している。
 余談だが、永井の不動の一位は「赭埴菴主人」が第60回群像新人評論賞に応募し「霽れて第2次予選落ち」となった「否定絵はいかにして描かれたか:正岡子規とウィトゲンシュタイン」という評論で、「赭埴菴主人」とは永井が『〈仏教3.0〉を哲学する』の「鼎談の後に(二)」に「オスカー・ベッカーについては、谷口一平くんの修士論文にかなり多くを依拠している」と書いていた、その「谷口一平くん」のこと。
 
(61章に続く)

★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」43号(2021.04.15)
<哥とクオリア/ペルソナと哥>第60章 純粋経験/私的言語/アレゴリー(その1)
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