■ヴァレリーに訊く──映画という錯綜体
「映画とは、基本、観客の視覚と聴覚にさらされる諸器官の錯綜的集合体である。」これは、加藤幹郎著『映画とは何か 映画学講義』(増補改訂版)の終章、「映画の身体性と身体性の映画、その両義的包容性」の論証を試みた書き下ろし論考の冒頭近くに出てくる言葉です。これを私は、映画は錯綜体である、と読みました。
「錯綜体」(Implexe)とは、ヴァレリーが精神分析由来の「コンプレックス(Complexe)」を意識し、フロイトの「無意識」への批判を込めて提出した概念で、「ひとりの人間の潜在的な可能性の総体」を意味するものであること、そして、市川浩氏がこれを、「現実的統合+潜在的統合+可能的統合+不可能な統合」の「〈身〉の多次元の統合」の概念へと拡張し、さらに、「重畳無尽の現実的ならびに可能的関係(縁起)からなる錯綜体」としての世界、すなわち「存在でもなければ、不在でも、非存在でもなく、そのいずれでもありうる虚在とでもいうべきもの」へと拡張したこと、これらについては、第45章で見たとおりです。
そこで気になるのは、夢(という錯綜体)をめぐって膨大な思索を重ねたヴァレリーが、映画について何を語ったのか、です。宇野邦一氏は『映像身体論』で、「ヴァレリーのような知性にとって、同時代に出現しつつあった映画は、〈芸術以前の〉まったく稚拙なスペクタルにしかすぎなかった。」(205頁)と書いているのですが、この指摘の当否を実地に確認するため、『ヴァレリー集成X 〈芸術〉の肖像』に収められた四編の写真論、映画論、複製芸術論を読んでみました。
以下は、(例によって)私の琴線に触れた箇所の抜き書きです(中村俊直訳)。
◎写真的映像がその勢力を拡大していくことは、間接的に「文芸」の益になるだろう。「そのとき文学は自らを守ってその真の道を辿って発展するでしょう。その道の一つは抽象的思考を構築しあるいは陳述する言説の完成へと向かうことです。もう一つの道は、思い切って詩的な言葉の結びつきや音の響きの多様さを追究することです。」(「写真発明百周年記念」397頁)
◎「写真は‘あるものを見ない’という私たちの誤りも、‘ないものでも余分に見てしまう’という私たちの誤りも共に正すのです。」(「写真発明百周年記念」401頁)
◎光と哲学との間には、非常に密接で、きわめて古くからの関係が存在している。「私たちは、比喩的意味で、明晰さ(明るさ)、熟慮(反射)、思弁(観測)、明快さ(輝き)、観念(外観)という言い方をします。私たちは抽象的な思考のために視覚的な修辞をそっくり使用するのです。私たちの意識の単一性は、私たちの認識の多様性と相互的であり、またその多様性にいわば対立するのですが、その単一性とみなしているものを、目に見える事物の無限の多数性を示す光の源に例えることは全く自然なことなのです。」(「写真発明百周年記念」402頁)
◎「スクリーンから出てくるあの不吉な声ほど聞くに堪えないものを私は知らない。スクリーンは墓穴のようなこもった言葉を発しているが、私のように言葉の音色と微妙な屈折を愛する者にはひどく不快である。」(「最も面白い映画は〈映画の映画〉だ」405頁)
◎「[演劇の]観客は、舞台の書き割りや装飾品のレアリスムの多寡に文句をつけたりはしない。言いかえれば、芝居の面白さの本質は、観客にとって、舞台上で‘セリフによって生みだされる’もののなかにあるのである。しかし、多くの映画において、その晩の最良の部分をなすのは、リアルなイメージ、本当にそこにあると感じられるような海波、まさに作動中の機械、スピード感、女たちの美しさ等々ではないだろうか。」(「最も面白い映画は〈映画の映画〉だ」407頁)
◎「あらゆる種類の作品について、私は作品それ自体よりも、作品の精錬と生成に限りなく興味があるということ、そして、科学であれ、詩であれ、映画であれ。私の精神を刺激するのは、結果よりも、むしろはるかに探求と生産行為のほうであるということを告白しなければならない。/したがって、私の興味からして最も面白い映画は〈‘映画の映画’〉というこよになるだろう。つまり、一本の映画が前提するあらゆる活動についてのヴィジョンを示す映画だ。」(「最も面白い映画は〈映画の映画〉だ」407-408頁)
◎「ぴんと張られた膜の上では、常に何もない平面の上では、生命も血液さえも痕跡を残さないが、どんなに込み入った出来事でさえ望む限り何度でも再現できる。/さまざまな行為は急がせることも遅らせることもできる。できごとの起きた順序は覆すことができる。死人たちは生き返り、笑い出す。/各人が自分の眼で、そこにあるあらゆることが表面的であるのを目にする。/かつて光であったすべてのものが、通常の時間の流れから取り出される。そのことは暗闇のただ中で生じ、そして繰り返し生じる。現実の正確さが夢のすべての特性を帯びるのを目にする。/それは人工的な夢である。それはまた外部の記憶であり、機械的な完璧さを付与された記憶である。最後に言えば、ここでは停止と拡大の手段によって、注意力そのものが表現される。/私の心はこのようなさまざまな不可思議に拠って分裂状態である。」(「映画術」410頁)
◎「私たちの〈美術〉は、私たちの時代とはまったく異なる時代に、事物に働きかける力が、私たちが所有している力に比べれば取るに足りないような人間たちによって制定された。その類型やその用途も同じように決定された。しかし、私たちの手段の驚くべき発展、それらが到達した柔軟さと正確さ、それらがもたらした観念や習慣、そういったことのおかげで、私たちは、旧式の「美」の製造業に、近いうちに非常に深刻な変化が起きることを確信するのである。どんな芸術のなかにも、もはや以前のような見方や扱い方ができないような物理的な部分や、現代の認識や能力の様々な企てからは逃れられないような物理的な部分がある。物質も空間も時間も、この二十年来、ずっと前からのそれらのありようとは異なったものになっている。これほどにも大きな新しい事態は、諸芸術の技術全体を変革し、そのことによって創造活動そのものに影響を与え、芸術の概念そのものを驚くべき程にまで変えてしまうことになるということは、予期しておくべきである。」(「同時遍在性の征服」411頁)
──ヴァレリーは、「最も面白い映画は〈映画の映画〉だ」の中で、「要するに、どんな努力も払わない《娯楽》、観客の積極的な参加もない、何も考えさせない効果の連続、ほとんどこの幻燈を説明するだけで、それにまったく従属した言葉、これらが既に、映画産業による世界征服に見事に好都合な条件となっている。」(407頁)と書いています。訳者解説で、中村俊直氏が「ヴァレリーは、写真と違って映画に対しては概して冷淡であり、嘲弄的ですらある。」(503頁)と指摘しているとおりです。
しかし、「それでも彼の映画論には注目すべき点がいくつかある」と、中村氏がつづけて書いているように、ヴァレリーの議論から、映画という錯綜体を考えるうえで避けることのできない論点をとりだすことができます。なかでも、私が注目したいのは、上に抜粋した「同時遍在性の征服」の第一段落、これは、ベンヤミンが「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(第三稿)で全文引用した箇所なのですが、そこで用いられた「物理的な部分」という語です。
■再び、小林秀雄に訊く──カメラという魔術的な発明品
ところで、小林秀雄のような知性にとって、映画はどのようなものだったのだろう。「ゴッホの手紙」に「文学は翻訳で読み、音楽はレコードで聞き、絵は複製で見る。誰も彼もが、そうして来たのだ、少なくとも、凡そ近代芸術に関する僕らの最初の開眼は、そういう経験に頼ってなされたのである。」と書いた小林にとって、写真や蓄音機や映画といった複製技術はどのようなものだったか。
以下、「先日、ディズニーの「沙漠は生きてゐる」といふ映畫を見た。」に始まり、「アニミストは、私達のなかで、いつも顔を出さうと構へてゐる。彼を誘ひ出すのには、「沙漠は生きてゐる」といふ一言で足りるであろう。」で終わる「感想」(昭和三十年四月「新潮」掲載)から、二つの文章を抜き書きします。
《現代で、映畫くらゐ大きな影響力を以て、人々を動かしてゐる藝術はない。その表現技術は、日に新たとなつて、思ひもかけなかつた魅惑が、次々に生み出されてゐる。映畫の美學は、とてもこの動きについて行けない樣である。と言ふより、これはもう美學といふ樣な十九世紀の思ひ附きでは、どうにも手の附けられない樣な事態が、現に起つてゐるのかもしれない。藝術と呼んでいゝかどうかわからぬ表現の、或は傳達の新形式が現れて、これが、美的鑑賞と呼んでいゝかどうかわからぬ或る態度を、驚くほど多數の人々に、一樣に強制して、知らず識らずのうちに人々の視覺の機能を根柢から變化させて行き、變化していく機能は、新しい感覺上の欲望や必要を生み、また、映畫製作者の側では、これを直に満足させるメカニズムの改良や發明に事をかゝぬ。私達は、觀察の殆ど不可能なものによつて動かされてゐる樣である。[*]》(『小林秀雄全集第十一巻』54頁)
《映畫の藝術に疑惑を抱く人々の言ふ處は決つてゐる。寫眞の世界には、人間がゐない、機械の亡霊が棲んでゐるだけだといふ。肉眼と手との運動の直接の結果である繪畫は、純然たる人間的産物であり、創造的行爲の生む統一ある生きた世界であるが、人間は寫眞を直接に生む事が出來ない。最も重要で直接な仕事を行ふものは、物理的な或は化學的な過程なのであつて、この非人間的な過程には、表現對象への人間の愛や憧憬の、關與する餘地がない。從つて、どんなに正確な、眼にも樂しい映像が出來上らうとも、藝術を自稱する巧妙な技術に過ぎない。かういふロマンチックな議論は、望むだけ尤もらしい言葉をかき集める事が出來るので、外觀は有力な説の樣にも見えるのだが、洗ってみれば、骨組は至つて簡単なのである。それは、カメラに向つて、お前は表現力を誇示してゐるが、よく見れば、お前の中には自然の過程しか、見つからないではないか、といふ言葉の綾に盡きる。ところが、カメラは、表現力などもともと持つてはゐないのだし、從つてそれを誇示する事も出來ないのである。カメラは、或る人間の表現力と或る人間の感受力の通路に過ぎない。音樂家と聽衆との間には、例へばピアノのメカニズムが介在するし、小説家と讀者との間には、活字や印刷機械がある。繪畫も畫家に、少しも直結してはゐない。顔料の出來上る化學的過程については、畫家は、これを工場の手にまかせて、全く無智でゐるに過ぎない。併し、こんな理窟では、論者は決して納得しまい。私の方が屁理窟をこねてゐると思ふかも知れない。何故か。それほど、カメラといふものは、魔術的な發明品であつたと、私には答へる他はないのである。》(『小林秀雄全集第十一巻』59-60頁)
カメラの視覚には人間がいない、といった「ロマンチックな議論」に対する小林秀雄の論法(「ピアノのメカニズム」云々)は、「物理的な部分」をめぐるヴァレリーの議論に通じています。
[*]宇野前掲書は、小林のこの文章を引き、次のように論じている。
《ベンヤミンがいちはやく、映画が無意識に対して作用することに注目したように、小林は「観察不可能なもの」の機能に注意をむけるが、けっして彼はこの「どうにも手のつけられいような事態」に深入りしていくのではなく、あくまで文学、美術、音楽についての美学を継続することのほうを選んだ。映画を相手にするには、おそらく彼自身の思考の態勢そのものを組みかえる必要があったにちがいない。映画において「観察のほとんど不可能なもの」は、彼の思考の地平に混乱をもたらしただろう。映画がそのような扱いがたい対象であることを、彼は正確に察知していた。》(『映像身体論』29頁)
■メカニカルな側面と心的現象の側面
ヴァレリーが言う映画の「物理的な部分」、そして小林秀雄の「観察不可能なもの」もしくは「物理的・化学的・非人間的な過程」は、前々章で、フォイエルバッハの宗教=映画論を紹介した中沢新一氏の文章に触発されて述べた、映画的構造における「メカニカルな唯物論的側面」にかわってきます。
中沢氏によると、フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で明らかにした「宗教の映画的理論の原型」とは、「私たちの認識の機構」が「映写システム」(スクリーン上の像を見ることによって逆に自分の心の内面を見るメカニズム)としてつくられていることにほかなりません。そのプロセスを詳論すると、@高次元的現実としての心的過程を濃淡の変化として記録した「フィルム」が、A(心の)背後からの強力な光によって(心の外側へ)投影され、その結果、B「幻想のスクリーン」(のっぺりとした二次元の平面)上に次元を落とした倒立像として心的過程が引き出される、となります。
それでは、このプロセスのうち、どの部分が「メカニカルな側面」にあたるのか。このことを考えるうえでのヒントが、ベルクソンの映画論にあります。というより、ベルクソンの映画論をめぐるある解釈に。
「フィルム(現実の心的過程)⇒スクリーン(幻想の心的過程)」というプロセスは、ベルクソンが『創造的進化』第四章で論じた「思考の映画仕掛」(知性の映画的メカニズム)を想起させます。篠原資明著『ベルクソン──〈あいだ〉の哲学の視点から』によると、ベルクソンにとって「映画的メカニズムは、運動に対する知性の無能さを象徴するもの」で、「映画が不動の映像(フォトグラム)をつらねることで、動きの錯覚を生じさせるのと同様に、知性は、固定したものの再構成としてしか、動きをとらえられない」(111頁)。
ところが、前田英樹著『ベルクソン哲学の遺言』は、そのような読解を否定します。前田氏は、この書物で、「不動のもの[フォトグラムやスナップ写真とも称される「フレーム」(コマ)のこと──引用者註]をもってしては、たとえそういうものを際限なく並べたとしても、私たちは決して運動を作り出せないだろう。イマージュが動くためには、どこかに運動がなければならない。実際、ここには、まさしく運動が在る。それは、映写機のなかに在る。」云々と『創造的進化』の文章を引いたうえで、次のように論じているのです。
《ここには、シネマトグラフという装置に対するベルクソンの明快な洞察が、はっきりと窺える。彼は、映画はスナップ写真の並んだものだから運動がないとか、その運動が偽物だというようなことは、少しも言っていない。逆である。映画のなかには、まさしく運動が在る。ただし、その運動は、映写機の回転のなかに在って、「非人称的で抽象的で単一」なもの、「運動一般」とでも呼ぶべきものである。この運動は、物理学が計算し、予測するとおりのものだろう。しかし、この運動を、映画は映し出される像に配分し、組み合わせることで、俳優の個性的な動きを新たに作り直す。この時、持続を得るのはスナップ写真だけではない、物質的な機械の動きもまた、生命的な持続のなかに入り込むのである。人によって待たれている砂糖の溶解過程のように。》(『ベルクソン哲学の遺言』72頁)
前田氏の読解にしたがうならば、ベルクソンの映画観の核心は、「フレーム(不動のイメージ)」と「映画(動くイメージ)」の両項を媒介する「手順」に、すなわち「非人称的で抽象的で単一」な運動を俳優の個性的な運動へと再構成する「組み合わせ」にあります[*1]。そしてこれこそが、かの映画的構造における「メカニカルな側面」の実質にほかならない。私はそう考えます。
物質的な機械の動きが生命的な持続へと転換されるメカニカルな側面。具体的には、そのようなはたらきをもたらす映画の編集技法こそ、すなわち、前田氏の文章に出てくる「この運動を、…映し出される像に配分し、組み合わせること」こそが、映画的構造における「メカニカルな側面」にほかなりません。それは、『シネマ1 運動イメージ』のなかでドゥルーズが、エイゼンシュタインの指摘を踏まえて「モンタージュとは、映画作品の全体であり、〈理念〉である」(54頁)と書いた[*2]、その「モンタージュ」です。
そして、モンタージュによるメカニカルなはたらきを介して、真正の「心的現象」が、(高次元的な現実の心的過程というヴァーチュアルな「心」がアクチュアライズされた「心的現象」が、と言ってもいい)、「幻想のスクリーン」を透過して、いわば垂直方向に立ちあがってくるのですが、それは、観客の側に、観客の視覚と聴覚を通じて、その身体(という錯綜体)のうちに実現される。私はそう考えています。
保坂和志著『小説、世界の奏でる音楽』に、「文字そのものは譜面の上の音楽と同じで受け手の気持ちに訴えかける響きは持っていない」(137頁)とありますが、ここで言われる「文字」や「譜面の上の音楽」がメカニカルな側面に属する要素で、「受け手の気持ち」が心的現象の側面を表す言葉です。そして、(これは次節で確認することの先走りですが)、「訴えかける響き」がそこから立ちあがってくる場所を造形することも、実はメカニカルな側面に属していて、それこそがモンタージュの仕事なのだと私は言いたいのです。
[*1]該当するベルクソンの文章を前田訳で引用する。
《不動のものをもってしては、たとえそういうものを際限なく並べたとしても、私たちは決して運動を作り出せないだろう。イマージュが動くためには、どこかに運動がなければならない。実際、ここには、まさしく運動が在る。それは、映写機のなかに在る。一シーンで各俳優がその動きを取り戻すのは、巻かれた映画フィルムが解かれ、そのシーンの幾つもの写真が順々に運ばれて、互いに連続させられるからである。俳優は、巻かれた映画フィルムの見えない運動に乗って、自分の連続する姿勢すべてに糸を通していく。要するに、この手順は、あらゆる人物たちに固有のすべての運動から、非人称的で抽象的で単一な運動、言うならば‘運動一般’を引き出すことにある。この手順は、運動を映写機のなかに入れ、個々の運動それぞれにある個性を再構成する。この無名の運動と人称的なたくさんの姿勢とを組み合わせることによって、再構成するのである。》(ベルクソン『創造的進化』、『ベルクソン哲学の遺言』71-72頁)
[*2]ドゥルーズは『創造的進化』のうちに「閉じた系を形づくる集合の中に不動の断片があるというあり方とは別に、質的変化からなる開かれた全体としての持続のうちに、動的断片があるというあり方を見てとり」、そこから、@運動の不動の断片からなる集合、A持続の動的断片からなる運動、B持続の開かれた全体という三つのレベルを抽出した(篠原前掲書112頁)。篠原氏によると、@が「フレーム」に、Aが「ショット」に、そしてBが「モンタージュ」に対応する。
次の文章は、『シネマ1 運動イメージ』(財津理・齋藤範訳)の第1章から。
《たとえば、彼[=ベルクソン]はこう言っていた──生命の新しさは、その始まりにおいては現れることができない。なぜなら、生命は、はじめは物質を模倣せざるをえないからである……。事態は、映画にとっても同じではなかろうか。映画は、その始まりにおいては、自然的知覚を模倣せざるをえないのではなかろうか。さらに問うなら、映画が登場したとき、そのシチュエーションはどのようなものであったのだろうか。一方では、撮影は固定されており、したがって、ショット[平面[プラン]]は空間的であり、その形式において不動であった。他方、撮影装置は映写装置と一体化しており、そこには一様な抽象的時間がそなわっていた。映画の進化、すなわち、映画自身の本質あるいは新しさの獲得は、撮影を映写から切り離して解放すること、動くカメラと、モンタージュとによって成し遂げられるだろう。そのとき、ショットは、空間的なカテゴリーであることをやめて、時間的なものに生成するだろう。そして、切断面は、動く切断面となり、もはや動かない切断面ではなくなるだろう。映画は、まさにベルクソンの『物質と記憶』第一章における運動イメージを取り戻すだろう。》(7頁)
■映画的なものの基本フォーマット─知覚と想起
ここでベルクソンの『物質と記憶』を持ちだします。そして、映画製作にあたっての「メカニカルな側面」を「物質」に、映画の観客にとっての「心的現象の側面」を「記憶」に、それぞれ対応づけたいと思います。そうすると、前者を水平軸、後者を垂直軸として直交させた、映画的構造を表示する伝導体類似の座標図が得られるでしょう。
仮に、これを映画的なものの基本フォーマットとした場合、そのメカニカルな側面である水平軸(「物質」の軸)は、さらに「知覚」と「想起」というふたつの側面から構成されることになると私は考えます。ややこしい言い方ですが、精確には、「(狭義の)メカニカルな側面=移動カメラの視点」である「知覚」と、「(狭義の)心的現象の側面=モンタージュのはたらき」としての「想起」というふたつの側面が、映画的なものにおける「(広義の)メカニカルな側面」を成り立たせている、ということです。
なぜ「メカニカルな側面」のなかに、これと一見対立する「(狭義の)心的現象の側面」を設ける必要があるのか、そしてそれは誰の「心的現象」なのか、そもそもなぜ「知覚」と「想起」なのか。
第一の問いに対する答えは、第二の問いへの答え、「それは映画の登場人物(主人公)の心的現象である」でもって了解されるでしょう。つまり、登場人物(主人公)への感情移入や同一化にもとづく観客の心的現象(真正の「心的現象」の側面=映画的なものの基本フォーマットにおける垂直軸(「記憶」の軸))を生起させるモンタージュのはたらきを、移動カメラのはたらき(フレームの作成)と区別するために、「メカニカルな側面における(狭義の)心的現象の側面」などというややこしい言い方をしたわけです。
(「感情移入」や「同一化」と言うといかにも「古典的」な映画を思わせる。「古典的ハリウッド映画における観客とは主人公が見たものを見る存在です」(加藤幹郎著『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』44頁)。いま念頭にあるのは「古典的」な和歌の精粋たる王朝和歌との比較のもとでの映画なのだから、この言葉遣いは間違っていないと思うが、映画史と和歌史で「古典期」と「ポスト古典期」の特質が逆転している可能性はある。
ちなみに英語版『シネマ』の序文でドゥルーズは、「ヒッチコックはおそらくふたつの映画の蝶番に位置するでしょう。すなわち彼が完成させた古典的な映画と彼が準備する現代的な映画とのです」と指摘しているが(加藤前掲書101頁による)、王朝和歌の歴史において古典期とポスト古典期の蝶番に位置するのは定家だろう。)
そして、第三の問いに対する答え。「知覚」と「想起」の出典は、『物質と記憶』の第三章にあって、その冒頭でベルクソンは次のように書いているのです。(手元に常備している田島節夫訳、竹内信夫訳、合田正人・松本力訳、熊野純彦訳、杉山直樹訳の五種の訳本のうち、ここでの文脈にとって最も「都合のいい」訳語が用いられた合田・松本訳から引用する。)
《われわれは、純粋想起、イマージュ想起、知覚という三つの項を区別した。ただし、それらのどの項も実際には孤立して現れることはない。知覚は、精神と現在の対象との単なる接触では決してない。知覚には、それを解釈しながら補完する数々のイマージュ想起が全面的に浸透している。イマージュ想起それ自体はというと、イマージュ想起が物質化し始めるところの「純粋想起」と、イマージュ想起がそこへと受肉するのをめざすところの知覚双方の性質を帯びている。この後者の観点から考察されれば、イマージュ想起は、生れつつある知覚と定義されるだろう。最後に、純粋想起は、権利的にはおそらく独立しているのだが、純粋想起を現像する色鮮やかで生き生きとしたイマージュのなかでしか、通常は現れることはない。これら三つの項を、同じ直線ADの連続した線分AB、BC、CDによって象徴するとすれば、われわれの思考はこのAからDへと進む連続した運動の線を描いており、これらの項の一つがどこで終わり、どこで始まるのかを正確に言うのは不可能であると言うことができる。》(ちくま学芸文庫『物質と記憶』190頁)
(いま私の脳髄には、「知覚=フレーム」「イマージュ想起=ショット」「純粋想起=モンタージュ」という対応関係が浮かんでいるのだが)、ベルクソンが言う「直線AD」、すなわち、純粋想起から知覚へと「連続した運動の線」が、映画的なものの基本フォーマットを構成する両軸のうちのメカニカルな水平軸に該当する、というか、そのように対応づけて、私は、映画的構造における「(広義の)メカニカルな側面」を、「知覚」=「(狭義の)メカニカルな側面」(=移動カメラの視点)と「想起」=「(狭義の)心的現象の側面」(=「純粋想起を現像する色鮮やかで生き生きとしたイマージュ」を合成するモンタージュのはたらき)とに分割したのでした。
次に、「知覚」と「想起」という、ふたつの項の関係性について考察を進めたいと思います。ここで、中島義道著『「時間」を哲学する──過去はどこへ行ったのか』の議論を援用します。
個人的な述懐を挿むと、私は、この中島氏の著書を読み、初めてマクタガートの時間非実在論を知って驚愕し、また、現在と過去との関係をめぐる時間問題こそが、この世界のあり方にかかわる哲学そのものの起点であることを、実感をもって発見したのでした(同書168頁参照)。「発見した」のではなく、中島義道の議論に啓蒙されただけではないか、と揶揄されるかもしれませんが、「それは哲学を知らない人の台詞です」(87頁)。[*]
なかでも強く印象に残っているのが、いわゆる「心身問題」の原型・モデルは知覚ではなく想起にあるとする、中島氏の「見解」でした(101頁、168頁)。いわく、「過去の出来事を現在想起する」、この文章中の「過去」と「現在」との時間関係こそが「心身問題」の原型・モデルなのであって、それを、「ある過去の出来事Eは、固有の空間的場所にあったと同じく固有の時間的場所にある。そして、Eを一〇年後に想起するとは、Eを一〇キロメートル離れて知覚することと同一の構造をしている」といった「知覚とのアナロジー」(115-116頁)で考えるから、答えられないことになる。
中島氏によると、想起における過去と現在との時間関係は、出来事Eは過去でありかつ現在であるという、時間の本質(過去・現在・未来の区別=マクタガートのA系列)に反する矛盾した事態をもたらします。ここで中島氏は、マクタガートのように時間の実在性を否定するのではなく、現在と過去の両立不可能な関係こそ世界のあり方の基本をなす根源的な関係であるととらえ、出来事の実在性を否定する方向に、すなわち大森荘蔵の時間論を踏み台に、「実感に忠実に沿った過去論をつむぎ出す」(145頁)方向に思考を転じ、過去とは原理的に言語的=意味的世界であって、観察可能な物理的事象ではない(164頁)と断言するにいたります。「つまり、想起とは過去の原体験とはまったく異なった体験であり、いわば‘過去形の原体験’だというわけです。」(141頁)
中島氏の議論を敷衍すると、想起体験は夢の体験に通じ、言語による意味体験に通じ、さらに映画体験に通じています。そして、知覚と、その知覚の想起とは、「‘同一の’光景であるという…概念のレベルで同一なのであって、その存在の仕方はまったく異なる」(117頁)。遠くのビルを見ているとき、「そこに登場してくる光景には細部にわたるまで固有の色・質感がある。しかも、私はある固有の視点からビルをその背景の全体とともに見ており、同時に裏側に回ったり、空から見下ろしたりすることはできない」(116頁)。
(第45章でとりあげた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で伊藤亜紗氏は、目の見えない人は「視点」に縛られないから、三次元のものを平面化せず三次元のまま空間の中でとらえている、そこでは表と裏、内と外が等価なものになると書いていた(69頁、77頁)。目の見えない人が見ている光景は夢や映画や小説の体験に、つまり想起体験に通じている。)
[*]ほぼ二十年ぶりに読み返してみると、『「時間」を哲学する』にはまだまだ汲み尽くせない思考のヒント(哲学的問題がそこから立ちあがる初発の思考)がちりばめられている。「時間の哲学」ではなく「時間」を哲学する。タイトルにこめられた「哲学観」(それは中島義道にとっての「人生観」でもある)が、この書物を読むたび読者の側に「生きたもの」として移植される。哲学とは「いま・ここで・私が」実感をもって思考しつづけることだ(あるいは生きることだ)という覚悟のようなものが、この書物の紙上をスクリーンとして上映される思考の実演を通じて、観客である私の脳髄に伝導され、そこに、ある鮮烈な(あるいは痛切な)実感をともなった哲学の問題が立ちあがる。
今回の再読では、たとえば、「常識は夢をも知覚のアナロジーでとらえて、かつて知覚したことを想起しているという図式に重ね合わせて夢を理解していますが、むしろすべてが逆ではないのか。現実に知覚したことの想起こそ、夢のアナロジーでとらえるべきではないのか」(143頁)という、夢を原型とする大森荘蔵の「グロテスクな」過去論を祖述した箇所とか、あるいは、未来について論じられた次の文章が強く印象に残った(とくに「虚焦点」という語)。
《歴史とはすべてあることが‘実現されたことをもって’「ほかでもありえた」ように見える出来事の集合ではないでしょうか。事実の重みの前では沈黙しながらも、それでも「もし真珠湾攻撃をしなければ……」「もし終戦の詔勅がもう少し早く下されていれば……」という問いがつねにわき起こる、そうした出来事の集合なのです。
ここまではまちがっていない。こうした過去を故郷とする「ほかでもありえたはずだ」という了解を、未来に単純に延長して、まだ何も実現していないうちに同時にアレもコレもできそうな時として未来を了解するところから誤りが生ずる。つまり、このすべては未来をも行為の完了後に「ほかでもありえた」と溜め息をつく偽りの時点(虚焦点)から見直して──未来完了形で──架空のお話[自由な意思行為]をつくっているだけなのです。》(『「時間」を哲学する』186頁)
■映画的なものの基本フォーマット─知覚と想起(承前)
以上、映画的構造におけるメカニカルな側面を、知覚(=移動カメラ)と想起(=モンタージュ)というふたつの項に分割し、それぞれの違いを(主として、想起の側から)概観しました。最後に、この二項をつかって、映画的なものの基本フォーマットの別ヴァージョン(精確には、映画的なものの基本フォーマットを構成するふたつの側面のうち、メカニカルな側面に関する別の表現)を工作しておきたいと思います。そのため、あとひとつ、中島氏の『「時間」を哲学する』から必要な工具を蒐集します。
それは、中島氏が主題的に論じている事柄ではなくて、たとえば、ラッセルの五分前世界創造説をめぐって書かれた文章──「ラッセルはこう語ることによって、われわれの知識から独立にカントの〈物自体〉のような過去自体を積極的に承認しているわけではありません。むしろ、ラッセルの力点は過去に関する知識から過去自体へのいかなる通路もないということにおかれ、このことによって過去自体の無意味性を指摘することにあります。」(135頁)──のなかで洩らされた「物自体」と「過去自体」という概念です。
それを私は、知覚における「物/物自体」、想起における「過去/過去自体」の区分として導入し、そのうえで、下に掲げた《図》のような伝導体類似の座標空間(モンタージュの空間)のなかにそれぞれを位置づけてはどうかと考えました。「想起/知覚」のメカニカルな横軸(水平軸、《図》の太線部分)が、移動カメラの視点の稼働範囲で、そこで切り取られたフレームや組み合わされたショット(フランス語で「面 la plan」)が、モンタージュのはたらきによって合成され、「遠景/近景」の縦軸によってひらかれる平面上の四つの領域(α,β,γ,δ)のいずれかに収まります[*]。
ここで、「遠景」と「近景」で縦軸を表示したのは、「遠景」=「彼方、後景、ロング・ショット、むこう側(表現された言葉)」、「近景」=「身体的近景、前景、クローズアップ・ショット、こちら側(認識の動き)」といった言葉のつながりを意識してのこと。この「遠景/近景」の縦軸と「想起/知覚」の横軸(水平軸)によってかたちづくられるメカニカルな平面(モンタージュの空間)から、心的現象の側面にかかわる「記憶」の垂直軸が、あるいは、「光源0/光源1」の「心眼」の垂直軸が(《図》の手前側と向こう側の両方向に向かって)たちあがり、映画的なものの基本フォーマットが完成するわけです。あたかも、見立て・本歌取り・縁語・掛詞といった詞のレトリックの駆使(和歌におけるメカニカルな側面)を通じて、詠みつつある心を含めた「歌の心」(和歌における心的現象の側面)が立ちあがるように。
《図》モンタージュの空間(映画)
【近景】
│
γ │ α
│
【想起】━━━━━┿━━━━━【知覚】
│
δ │ β
│
【遠景】
※α=物,β=物自体,γ=過去,δ=過去自体
[*]メカニカルな水平軸の一方の極点「(純粋)想起」を光源として発する光、モンタージュのはたらきを促し導く光は「白光」ならぬ「緑光」なのかもしれない。そしてこの光は垂直方向に投射されて、「記憶」の垂直軸をスクリーンとする(観客の)心的現象を造形していくのかもしれない。
加藤幹郎氏は『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』で、エリック・ロメール監督の作品『緑の光線』を取りあげ、次のように書いている。
《「緑の光線」とは、太陽が水平線の彼方にしずむ瞬間、気象条件によってごく稀に観察される(と言われる)光です。赤い夕陽を凝視しながら瞼を閉じた場合、一瞬、赤色の補色たる緑色が見える場合があると説明されれば、たしかに納得もゆくでしょう。しかし問題はそうした「科学的」説明にあるのではなく、『緑の光線』のヒロインが、見ることのむずかしいこの「緑の光線」を‘いっしょに’見る[共視者の視線!]ことのできる男性こそ、自分の真実の恋愛対象だというロマンティックな幻想をいだいているという点です。はたせるかな映画のエンディングで彼女のその希望はかなうことになります。彼女はむなしくすごしたヴァカンスの最後に出逢った男性とともに、水平線にしずみゆく夕陽に一瞬だけ「緑の光線」を見ることができます。「しかし」とローディ[映画学者サム・ローディ]は言います。わたしたち観客は本当にそれを見たのだろうかと。本当に映画のクライマックスで「緑の光線」は現れたのだろうか。わたしたちはヒロインの欲望に素直に同化するあまり(主人公への感情移入なしには物語映画を楽しむことはむずかしいはずですが)、それを彼女とともに見たと勘違いしているにすぎないのではないかと。》(『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』111-112頁)
■補遺1・日本文化の中に潜んでいる詩法
外山滋比古著『省略の詩学──俳句のかたち』に収められた「モンタージュ」という短い文章のなかに、「いまは半ば伝説的だが、エイゼンシュタインはモンタージュのヒントを俳諧から得たといわれる。外国人が俳諧の中にひそんでいる詩法を発掘したことは、早くは寺田寅彦[*]などをおどろかせた」とある。
著者は、これにつづけて、「モンタージュとは部分と部分とをつなぎなしに直接組み合わせる技法である。」と定義し、その実例として、たとえば「奈良七重七堂伽藍八重桜」(五つのことばを組み合わせたモンタージュ)や「海暮れて鴨の声ほのかに白し」(視覚と聴覚のモンタージュ)といった芭蕉の句、蕪村の「紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞」(不調和なものをつき合せて新しい調和をつくり出すモンタージュ)などを挙げて、最後に、「モンタージュは俳句の作法の大綱である。」と締めくくっている。
また、同書収録の「省略の文学──切字論〈二〉」にも、「これ[連句における句と句の空間、付句と前句との続き具合が、移り、匂い、ひびきというような超論理的なものであること──引用者註]が豊かな表現性を秘めていることは、エイゼンシュタインがこれにヒントを得て、映画のモンタージュ理論を創案したことによっても察することができよう。」と書いている。「論理を超えて「とり合わせ」のおもしろさを見いだすことのできるモンタージュ感覚」などの表現も見られる。
それでは、エイゼンシュタイン自身はモンタージュと日本文化との関係をめぐってどのように述べているのか。『映画の弁証法』(佐々木能理男訳,角川文庫)に収められた文章から、その発言をいくつか拾いだしてみる。
◎「日本人は、視覚像と聴覚像とを等価物として利用することに熟達していて、突如としてその両方をあたえ、この二つを「調整し」、観客の大脳を標的にして、感覚を刺激するいわば玉突きのキューを打ち出す力を、みごとに計算してのけるのである。市川猿之助が切腹するときの手の動きと、舞台外から聞こえる啜り泣きの音とを組み合わせて、これを‘絵画的に’短刀の動きと一致させているやり方を、これ以上みごとに描写することのできる手法を、ぼくは知らない。」(「歌舞伎・予期しなかったもの」17頁)
◎「ひとりの批評家は、日本の抒情詩について「日本の詩というものは、耳で聞くというよりは、目で見らるべきもの…である」といっているが、それは正しい。(ユリウス・クルトの「日本の抒情詩」)」(「歌舞伎・予期しなかったもの」20頁)
◎「こだまと同じように、予期しない合体は、両極においてしか、見いだされない。一方においては歌舞伎の未分化な感覚の挑発という古風な方法、他方においてはモンタージュ的思考の極地、がこれである。」(「歌舞伎・予期しなかったもの」23頁)
◎「要点は、こうである──最も単純な構造をもつ二箇の象形文字の連繋(というよりは、組合せといった方がよいかもしれない)が、二つのものの合計ではなく、その積であり、別の次元、別の等級にぞくする価値であると考えられているという点である。ひとつひとつは、これを切りはなしてみれば、それぞれ或る‘対象’なり、事実なりに照応しているが、これらのものが、組合わされたものはひとつの‘概念’に照応するのである。別々の象形文字から熔合されてできあがるのが──表意文字である。二箇の「描写体」の組合わせによって、絵画としては描写することのできないものが、みごとに描写されるのである。
たとえば、水をあらわす絵と目の絵とが結びついて「泪をながすこと」を意味し、耳の絵が門の絵の近くに組合わされて「聞くこと」をあらわす、という工合である。(略)
だが、これが──モンタージュとは?
そのとおり。これこそまさに、われわれが映画において行うものであり、意味において単純な、内容において中性的な、いくつかの描写的なショットを、‘知的な’前後関係と連続とのなかへ組み入れることによって、なしとげようとするものである。」(「映画の原理と日本文化」27-28頁)
◎「いずれの詩形も[俳諧も短歌も]、いってみれば、句に転化された象形文字であり、詩の品質のなかばは筆跡によって評価されるほどである。句の分析の方法は、表意文字の構造と、きわめてよく似ている。」(「映画の原理と日本文化」29頁)
◎「以上によって、われわれは象形文字の原理である──「描写による表示」ということが──二つの方向に分れていることを観察した。ひとつは、その目的(「表示」の原理)の方向をたどって、文学的な像を創りだすための諸原理へと分化し、ひとつは、この目的を実現するための方法(「描写」の原理)の方向をたどって、写楽によって用いられたあの驚嘆すべき表現力ゆたかな方法へと分化するのである。
*日本の象形文字のもつ描写の面の方向を文学において発展させる仕事はジェームズ・ジョイスに残されていた。写楽を分析したクルト[ユリウス・クルス『写楽』]の言葉は、ひとつひとつ、適切に、しかも、容易に、ジョイスに当てはめることができよう。」(「映画の原理と日本文化」36-37頁)
◎「…ショットは表意文字と同じである。表意文字は、基本となる象形文字が、読み方なり、ちいさな意味なり──いいかえれば、正しい解釈を指示する別な象形文字と、組合わされて(時には、相互の対立関係において)はじめて、特殊な‘含蓄’を得、‘意味’を得、さらに特別な発音すら獲得するのである。」(「映画の第四次元」55頁)
──エイゼンシュタインの主張の眼目は、モンタージュとは部分と部分の単なる総和、集合ではなく、ドゥルーズが言うように「持続あるいは全体」であるということだ。「モンタージュとは、つなぎを通じて、カッティングと偽なるつなぎを通じて、〈全体〉なるものを規定することである。」(『シネマ1 運動イメージ』54頁)
[*]エイゼンシュタインやモンタージュをめぐる寺田寅彦の発言をふたつ、「青空文庫」から拾いだしておく。
《このモンタージュなるものは西洋人にとってはたしかに非常な発見であったに相違ない。そうしてこれに対する解説を近代的な言葉で発展させればいろいろむつかしくも言えるようであるが、しかしわれわれ日本の旧思想の持ち主の目から見れば実質的にはいっこう珍しくもなんともないことのように思われてしかたがない。つまり日本人がとくの昔から、別にむつかしい理論も何もなしにやっていた筆法を映画の上に応用しているようにしか思われないのである。
たとえば昔からある絵巻物というものが今の映画、しかもいわゆるモンタージュ映画の先駆のようにも見られる。またいわゆる俳諧連句と称するものが、このモンタージュの芸術を極度に進歩させたものであるとも考えられるのである。そうしてまたこのモンテーという言葉自身が暗示するように、たとえば日本の生花の芸術やまた造庭の芸術でも、やはりいろいろのものを取り合わせ、付け合わせ、モンタージュを行なって、そうしてそこに新しい世界を創造するのであって、その芸術の技法には相生相剋の配合も、テーゼ、アンチテーゼの総合ももちろん暗黙の間に了解されているが、ただそれがなんら哲学的な術語で記述されてはいないのである。
ところがおもしろいことには、日本でエイゼンシュテインが神様のように持てはやされている最中に、当のエイゼンシュテイン自身が、日本の伝統的文化は皆モンタージュ的であるが、ただ日本映画だけがそうでないと言ったという話が伝えられて来た。彼は日本の文字がそうであり、短歌俳諧がそうであり、浮世絵がそうであると言い、また彼の生まれて初めて見たカブキで左団次や松蔦のする芝居を見て、その演技のモンタージュ的なのに驚いたという話である。これは近ごろ来朝したエシオピアの大使が、ライオンを見て珍しがらずに、金魚を見て驚いた話ともどこか似たところのある話である。また日本の浮世絵芸術が外国人に発見されて後に本国でも認められるようになった話ともやはり似ていて、はなはだ心細い次第である。》( 「ラジオ・モンタージュ」)
(絵巻物や俳諧連句と並び、いやそれ以上に、勅撰和歌集における個々の作品の排列(引用と編集)のうちに、極度に洗練された「モンタージュの芸術」の精華を見ることができるのではないかと思う。)
《あらゆる芸術のうちでその動的な構成法において最も映画に接近するものは俳諧連句であろうと思われる。
いわゆる発句はそれ自身の中にすでに若干の心像のモンタージュ的構成を備えているものである。しかしたとえば歌仙式連句の中の付け句の一つ一つはそれぞれが一つのモンタージュビルドであり、その「細胞」である。もちろんその一つ一つはそれぞれ一つの絵である。しかし単にそれらの絵が並んでいるというだけでは連句の運動感は生じない。芭蕉が「たとえば哥仙は三十六歩なり、一歩もあとに帰る心なく、行くにしたがい、心の改まるはただ先へ行く心なればなり。」と言っている、その力学的な「歩み」は一句から次の句への移動の過程にのみ存する。
その移動のモンタージュ的手法はすなわち付け句の付け方であっていわゆる、においとか響きとか位とかおもかげとかいう東洋的な暗示的な言葉で現わされているのであるが、これらは畢竟いずれも二つの連接句のおのおのに付属した二つの潜在的心像がいかなる形において連鎖を作るかというその様式の分類にほかならないのである。(略)
映画でしばしば用いられる推移の手段としての接枝的連接法[コンチニュイティ・グラフト]とも呼ばれる常套的手法がある。たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚のトランクに移り変わるような種類である。ところが、連句ではこれに似たことがしばしば行なわれる。たとえば「僧やや寒く寺に帰るか」「猿引の猿と世を経る秋の月」では僧の姿が猿引きの猿にオーバーラップ的に推移するのである。
映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪の涌湯の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。
映画で同時に別々の場所で起こっている事がらの並行的なモンタージュによって特殊の効果を収める。「餅作るならの広葉を打ち合わせ」という付け句を「親と碁をうつ昼のつれづれ」という前句に付けている。座敷の父とむすこに対して台所の母と嫁を出した並行であり、碁石打つ手と柏の葉を並べる手がオーバーラップするのである。この二つの場面のモンタージュによってわれわれは一つの全体としての家庭の雰囲気を実感させられるのである。
映画の光学的映像より成る一つ一つのショットに代わるものが、連句では実感的心像で構成された長句あるいは短句である。そうしてこれらの構成要素はそのモンタージュのリズムによってあるいは急にあるいはゆるやかなる波動を描いて行く、すなわち音楽的進行を生ずるのである。
映画の一つのショットは音楽の一つの楽音に比べるよりもむしろ一つの旋律にたとえらるべきものである。それがモンタージュによって互いに対立させられる関係は一種の対位法的関係である。前のショットの中の各要素と次のショットの各要素との対位的結合によってそこに複雑な合成効果を生ずるのである。連句の場合でもまさにそのとおりで前句と付け句とは心像の連鎖のコントラプンクトとしてのみその存在価値を有するものである。
このようにして連句の運動が進行するありさまはある度までたとえばソナタのごとき楽曲の構造に類する。この比較についてはかつて雑誌「渋柿」誌上で細論したからここには略するが、それと全く同じことが映画の律動的編成についても言われるのである。そうして序破急と言いあるいは起承転結と称する東洋的モンタージュ手法がことごとく映画編集の律動的原理の中にその同型[ファクシミレ]を見いだすのである。
要するにこれらのモンタージュの要訣は、二つの心像の識閾の下に隠れた潜在意識的な領域の触接作用によってそこに二つのものの「化合物」にも比較さるべき新しいものを生ずるということである。》( 「映画芸術」)
連句と音楽との並行性について論じた「渋柿」誌掲載の論考とはおそらく「連句雑俎」を指していて、そこで論じられた「連句の心理と夢の心理」に関する文章は第34章で引いた。
■補遺2・「図式空間」と「切断空間」
王朝和歌と映画体験の関係をめぐる文献のうち、寺田寅彦と並んで中井正一の文章が印象に残っている。その内容というよりはその口吻、書きぶり、思索の質感のようなものが。それらはまだ私のなかで充分に咀嚼しきれてないので、その思索、アイデア、概念について生煮えのまま論じ、その文章を引用することは禁欲したいと思うが、ここで少しだけふれておきたい。
宇野邦一氏は『映像身体論』で、中井正一について次のように言及している。いわく、「昭和のはじめからすでに映画を哲学的に考察する試みに着手し」、映画の「物理的集団的性格」を強調し、映画が体現する「機械美」を積極的にむかえようとした中井正一の「思考にとって、映画の「カット」は、人間的主体を引き裂き、身体の深みに達するかのようである」(14-15頁)。
《一つの場面と、一つの場面がカットで連続している時、おのおのの場面はおのおのの表象を人間に提出している。しかし、その表象の連続にあたって、文法でいうところの、「である」「でない」の繋辞が欠けているのである。非人情の「図式空間」[写真機のレンズ(という非人間的世界観察者)に付託して人間集団が構成する物質の見かた──引用者註]と「図式空間」は繋辞なしの「切断」をもって連続しているのである。
製作者がその「切断」をなんらかの意味をもって連続したつもりでいても、戯曲、小説におけるように繋辞による説明展開を観客に要請するわけにはいかないのである。
この「図式空間」と「図式空間」の「切断」を連続するのは観客大衆のみずからの「感情」なのである。
ここで私は感情なる言葉の定義を厳密にするを要するのである。クルト・レヴィンは、空腹の「知覚」を感情たらしめるのは、生きているという根源的方向への力学的動きが、空腹の知覚を飢えの感情として力学性をもたらしめるのであるという。すべての知覚が、方向をもった力の関係に置かれること、この知覚の歪が「感情」であるということは私たちに示唆深いものがある。
今映画で知覚表象としての「図式空間」の切断面を連続せしめるものは、人間大衆の歴史的意欲の方向すなわち大衆の社会的生活より生まれる矛盾の欠乏感なのである。これは、また同時に歴史を鋼のように縦に貫いている歴史的主体性[*]にほかならぬのである。
また逆にいえば、この非人情な「図式空間」と「図式空間」とのカットの切断面が大衆の歴史的主体的意欲を撃発するともいえるのである。
人間は、自分が見失っていたみずからの方向を、カットとカットの切断の隙虚[げききょ]の中に撃発し復活するのである。社会的矛盾と欠乏を媒介として、みずからの本質を明かるみにもたらすのである。
この社会的矛盾と欠乏に面する切断空間、この断崖、この断崖に面するこころ、これが実は歴史を嗣いできた人間の根本的歴史的パトスである。この世の中をはたして善くならしめることができるのか、とても善くしていくことは不可能なことなのか、実践の苦悩のはてに面する人類の嘆声、これが、歴史に面する「切断空間」である。この断崖に立った人の叫び、これが神話の基底である。日本民族の最初の大衆の集会の言葉「この岩の扉よ開け」との叫び、あるいはモーゼのごとく「この海よ開け」の叫びとなるのである。》( 「美学入門」、岩波文庫『中井正一評論集』305-306頁)
ここに出てくる「図式空間」は、映画におけるメカニカルな側面のうち「移動カメラの視線」(知覚、機械的複製)にかかわる概念である。また、「切断空間」や「カットとカットの切断の隙虚」は、(そして、前節で引いた寺田寅彦の文章に出てきた「力学的な「歩み」」や「律動的原理」などの語や概念もまた)、映画におけるメカニカルな側面のうち「モンタージュ」(想起)にかかわる概念である。
[*]伊集院敬行氏は「モンタージュが暴露する「無気味なもの」としての現実──中井正一の映画理論にある精神分析的側面について」で、中井が言う「歴史的主体性」について次のように論じている。
《世界を「体系」化すべく,特権的な「幾何学的点」にまで還元され,見返されることなく世界を外側から観察する遠近法的主体は,身体を欠き,世界から切り離され,理念上死なず,歴史に属さない。しかし映画の機械的複製(図式空間)とモンタージュ(切断空間)が暴露する,無意識に抑圧されていた我々大衆の現実とそこでうごめくそのエスの無気味さが,見る者の一方的な視線を拒み,その個人的で主観的な見方を崩壊させる。そのとき主体は再び歴史と関わり,死すべき身体を取り戻す。このように映画には,覗き見する者を見返し,怯えさせるまなざしのような効果がある。そして,我々はこのまなざしと向き合うとき,集団の一要素として,本来的な時間としての歴史を生きる主体,すなわち歴史的主体性になるのである。》([ http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/ja/36651])
(42号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」41号(2020.08.15)
<哥とクオリアア/ペルソナと哥>第57章 映画/モンタージュ/記憶(その3)
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