■小林秀雄に訊く──心眼と白光
若松英輔氏は『小林秀雄 美しい花』に、「岩に刻まれた意味不明の碑文」を例に挙げ小林秀雄が、「「本文」というものは、みな碑文的性質を蔵していて、見るともなく、読むともなく詠めるという一種の内的視力を要求しているものだ。」云々と、「読むことの神秘」(321頁)について述べた『本居宣長』の叙述を踏まえて、次のように書いています。
《古典とよばれる書物には必ず、読める文字の奥に、読むことのできない「意味不明の碑文」のような文字が潜んでいる。それはいつも「見るともなく、読むともなく詠めるという一種の内的視力を要求」する。言葉は人が「心」で受けとめたとき、隠された意味──秘義──を開示する。「よむ」は、読むと書くが、「詠む」とも書く、「詠む」は「よむ」とも読めるが、「ながむ」とも読む。井筒俊彦の『意識と本質』が正しいなら、新古今集の時代、「ながむ」とは、何かをぼんやりと見つめることではなく、もう一つの世界、異界にふれることだった。ここで小林が「内的視力」と書いているのも彼個人の実感に留まらない。万葉の時代、見ることを意味する「見ゆ」は、不可視なものと交わることを意味した。白川静の『初期万葉論』によれば、五感でなく、心でふれ合うことを指した。》(『小林秀雄 美しい花』322頁)
小林秀雄は「内的視力」を言い表すのに、「心眼」という言葉を使っています。たとえば、未完のベルクソン論『感想』(第五次全集別巻T)の第六章で、小林秀雄は次のように書いています。
《此處で、思ひ附くまゝに、「創造的進化」から一例をあげようと思ふ。それは、彼の進化説の重要部をなす眼といふ器官の進化に關する觀察と意見であり、實證と直觀とが交錯して書中で最も美しい個處をなしてゐて、其處に、おのづからレアリテに於いて見るといふ事とイデアリテに於いてみるといふ事が現れてゐる樣に思へるからだ。ベルグソンはさういふ言葉は使つてゐないが、人間の眼は、言葉を弄する事なく肉眼と心眼との複眼だと言へる、さういふ趣が現れてゐると考へるからである。》(『感想』53-54頁)
「眼といふ器官の進化に關する觀察と意見」を中心とする 『創造的進化』の祖述は、第九章までつづきます。
《扨て、こゝまで來れば、ベルグソンが、見るといふ事に附した二重の意味は、もはや明らかであらう。(略)ベルグソンの務めたところは、ヴィジョンといふ言葉に、その全幅な意味合を囘復する事で、肉眼を超えて見ようとする努力が拂はれなければ、ヴィジョンの意味をなさない。彼は、單に眼があるから見えるのではない、寧ろ、眼があるにも係はらず、見拔くのである。例へば、セザンヌは、同じ事を、友人のギャスケに、こんな風に言ふ。モデルを見てゐると、もう眼が離せなくなる、まるで眼から血が出て來る樣な氣がする。(略)彼に見えてゐるのは、モデルではない、寧ろ眼の出血である。彼の内に、イデアリテがなければ、外のレアリテに接する事は出來ない。畫家の特權ではない。それが、あるがまゝの生の姿なのであつて、もしこのヴィジョンを失はなければ、イデアリテが、イデアリスムに、レアリテがレアリスムに化ける筈もない。さう見るのも哲學者の特權ではない。世の良識が、漠然とだが、感じとつてゐるところだ。》(感想』78-79頁)
ところで、出岡宏氏は『小林秀雄と〈うた〉の倫理──『無常という事』を読む』で、絵画を眼前にしたとき、そこにカンヴァスと絵具を、つまり物質を見るのではなく、絵画を絵画として見ること、すなわち、そこに表現されているはずのものを構成的に見ようとする工夫のことを、小林秀雄は、時折口にする「心眼」の語で言い表したのではないか、と指摘しています(57頁)。
ここで、試しに電子書籍版の『合本 考えるヒント』で、「心眼」「心の眼」を検索した結果をすべて抜き書きしておきます。
◎「目を信ぜよ[山鹿素行の言葉]、とは、眼前に見える事物を信ぜよという意味ではない。心の眼を持て、と言ったのだ。史眼とは心眼の事だ、と言ったのだ。「日本書紀」という古典の奥から現れて来たものは、心であって、物ではない。どうして心の眼より他に、これを捕える事が出来ようか。」(「学問」)
◎「歴史という精神の事実は、肉眼に映らぬが、心の工夫いかんによっては、心に映じて来るものだ。自分も顧みれば、長年の間、心の工夫を怠って来た。今こそ心眼に映ずるところを、即ち最も「近きを取る」に至ったが、見ようとしても、尋常に構えていてはもともと見えて来ないものなのだから、学者達が訓詁の遠きを取るのは、「是非に及ばず」と[素行は]言うのである。」(「学問」)
◎「宣長は、自身も言うように、ただ物を「おほらかに見た」ので、客観的にも実証的にも見たのではない。おほらかに見るという心の眼を開いてくれたのは契沖の書物であったと彼は言う。」(「学問」)
◎「デカルトは、誰も驚かない、余り当たり前な事柄に、深く驚く事の出来た人だとも言えるでしょう。彼は徹底的な反省を行い、遂に彼の心眼が、「思う物」を掌を指すが如く見ただけだ。」(「常識について」)
◎「先きほど、デカルトの心眼という言葉を使ったが、勝手に使ったのではない、デカルトの言葉の直訳です。彼は、こう言います。「方法の全体は、若干の真理を発見するが為に、精神の視力を向けるべき、物の秩序と配置のうちに成立する」(「精神指導の規則」)。」(「常識について」)
◎「彼の方法では、我という「思う物」の、こういう様々な異質な働きが、言わば心眼の描く互に相容れぬ力線が、何処でどう平行し協力するか、何処で、どう交錯し矛盾するかを告げるものは、現実の経験しかないのです。」(「常識について」)
◎「彼の心眼によって掴まれたものは、彼に言わせれば、「制限された人間にふさわしい完全性」(「メディタシオン6」)に他ならない。」(「常識について」)
◎「悲しみの歌は、詩人が、心の眼で見た悲しみの姿なのです。これを読んで、感動する人は、まるで、自分の悲しみを歌って貰ったような気持になるでしょう。」(「美を求める心」)
◎「アルルのアトリエで仕事を始めた当時、ゴッホは、写生をしている時に見舞われる「恐ろしい様な透視力」について語っていますが、語られているのは、肉眼というよりも寧ろ心眼でありましょう。ゴッホの精神を考えずに、ゴッホの絵のリアリズムを云々しても無意味な事だ。(略)恐らく、彼は、麦畑が語る言葉を聞いたのでありましょう。「君は健康であるか、病気であるか、どちらかだ。若いか老いているか、と言うのと全く同じ事だ」。彼は、聞えたがままの声を表現したのです。それが、彼の絵のリアリズムなのです。」(「ゴッホの病気」)
◎「武蔵は、見るという事について、観見二つの見様があるという事を言っている。細川忠利の為に書いた覚書のなかに、目附之事というのがあって、立会いの際、相手方に目を附ける場合、観の目強く、見の目弱く見るべし、と言っております。見の目とは、彼に言わせれば常の目、普通の目の働き方である。敵の動きがああだとかこうだとか分析的に知的に合点する目であるが、もう一つ相手の存在を全体的に直覚する目がある。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目がある、そういう目は、「敵合近づくとも、いか程も遠く見る目」だと言うのです。「意は目に附き、心は附かざるもの也」、常の目は見ようとするが、見ようとしない心にも目はあるのである。言わば心眼です。見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよと言う。」(「私の人生観」)
◎「彼の努力は、全実在が与えられている本源の経験の回復にあるので、そこで解放される知覚が、常識から判断すれば、一見夢幻のような姿をとるのも致し方がない。ベルグソンは、そういう考えから、拡大された知覚は、知覚と呼ぶより寧ろvisionと呼ぶべきものだと言うのです。見るものと見られるものとの対立を突破して、かような対立を生む源に推参しようとする能力である。このvisionという言葉は面倒な言葉です。生理学的には視力という意味だし、常識的には夢、幻という意味だが、ベルグソンがこの場合言いたいのは、そのどちらの意味でもない。visionという言葉は、神学的には、選ばれた人々には天にいます神が見える、つまり見神というvisionを持つという風に使われていたが、ベルグソンの言う意味は、そういう古風な意味合いに通じているのである。これを日本語にすれば、心眼とか観という言葉が、先ずそれに近いと思います。」(「私の人生観」)
──小林秀雄の「心眼」は、「精神の視力」(デカルト)や「vision」(ベルクソン)の小林流の訳語であり、「内的視力」「透視力」「相手の存在を全体的に直覚する目」「拡大された知覚」の意をもち、「おほらかに見る」とか「うらやかに見る」、「遠く見る目」や「観の目」と言い換えることができる。それは「俯瞰する眼」(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』)に通じるが、その視点は、上空(超越的な神の座)や外部にではなく内側に、内側というよりは、心のフィルムをスクリーン上に投影する強力な光がそこから発出する「背後」(中沢新一『狩猟と編み籠』)、あるいは、見るものと見られるものとの対立がそこから生まれる「源」(小林秀雄)に位置づけられている。そして、その場所は「無私」[*1]の領域に属し、三浦雅士氏がいう「言語現象という仕組みの核心」に接している。──私はそんなふうに考えています。[*2]
[*1]「無私」は小林秀雄のキーワード。『合本 考えるヒント』で検索してみると、23箇所のヒットがあった。ここではそのうち、福沢諭吉(「一種の視力」と「ヴィジョンの力」をもった人)とデカルトに言及した文章を抜き書きしておく。
◎「彼は、生れ合わせた時と場所との為に、実にさっぱりと己れが捨てられた思想家だと思う。彼の著作に感じられる無私とは、白紙の心ではない。直視され、掛けがえのない実相で充満していた。」(「天という言葉」)
◎「近代的自我の発見者デカルトというような、解ったような解らないような言葉を弄しているよりも、この自我発見者には、自我というような言葉に躓いたことはいっぺんもなかった、彼が、実際に行使したものは、今日では、もう大変わかりにくくなって了った、非凡な無私というものであった事を、とくと考える方が有益であると私は思うのです。彼の描いてみせた「一幅の生活図」から、自己を信じて無私を得た生きた人間を感得する方が、ずっとやさしい確実な事だ。」(「常識について」)
[*2]小林秀雄の「心眼」は死後の生を観る。渡仲幸利氏は『観の目──ベルクソン『物質と記憶』をめぐるエッセイ』に収録された「「観の目」とぼく」のなかで、小林秀雄が『感想』の出版を禁じたのは、「端的にいえば、『道徳と宗教の二源泉』以後のベルクソンの沈黙が描けなかったからである。」(11頁)と書いている。
《すでに触れたように、ベルクソンは『物質と記憶』で、肉眼に心眼を合わせ持たなければ本当は物を見ることは不可能だと証明する。それは、心的活動が脳の活動を超えていなければならないことをいうためのものであった。意識は身体を超えている。ということは、心眼は死後の生を観るに至る可能性がある、ということである。「観」がそこまでに達しえた決定的な書物が『物質と記憶』であったことを、『道徳と宗教の二源泉』の再読で再確認したとき、小林はかつてない感動に襲われたにちがいない。「おっかさん」が終戦の翌年に死んで以来、すべて経験してきたとおりだ、と。ただ、書けなかった。「童話を書く事に」でもしないかぎりは。あるいは逆に、ドストエフスキーの小説について書くとか、本居宣長のこころを書くとかいう、世間に対して差し出すなりの包装をしないかぎりは。》(『観の目』13頁)
■小林秀雄に訊く──心眼と白光(承前)
「心眼」(もしくは「無私」)は、さらに、小林秀雄のもう一つのキーワードである「白光」(もしくは「光源」)につながっていきます。
出岡宏氏は、前掲書第一部「〈うた〉とは何か──『無常という事』を読むための二つのレンズ」の第二章「小林秀雄の一貫性と〈うた〉──第二のレンズ」で、小林秀雄が『感想』のなかで使った「白光」という比喩に注目しています。そこに、「一貫した思想家」であった小林秀雄が、自己の思想を鍛えあげた「単純な一貫した方法」あるいは「態度」が表現されているというのです。
出岡氏が引いた小林秀雄の文章を転記します。
《外觀に惑はされてはならない。彼[=ベルクソン]の言ふ藝術品の熟視(contemplation)とは何か。外觀を貫いて見よ、といふ意味ではないか。一幅の繪を熟視するものは、知らぬ間に、心のうちに収斂レンズを用意してゐるであらう。畫面に散らばつたとりどりの色彩に至る視覚の波は、畫面を貫き、一点に集つて白光と化するであらう。ベルグソンの文章でも、同じ事が起る。それは読者の熟視を要求し、ばらまかれた言葉は、紙背に潜在する一中心に収斂されるのを待つてゐる。》(第五次全集別巻T『感想』45-46頁)
この「白光」という語は、ベルクソンが、「ラヴェソンの生涯と業績」(『思考と動くもの』)の次のくだりで用いたものです。『感想』の小林訳で、全文引きます。
《「例へば、虹の凡てのニュアンス、紫とのニュアンス、高ニ黄と赤のニュアンスがあるとする。これらのニュアンスに共通なものを決めること、つまり、これらのニュアンスについて、哲學的に考へるのに、恐らく二つのやり方がある、さう言つても、ラヴェソン氏の根本思想に背くまいと思ふ。第一のやり方は、單に、これは色だ、と言ふにあらう。さうすれば、ニュアンスの多樣は、統一され、色といふ抽象的な普遍的な觀念はその統一となる。併し、この色といふ普遍的な觀念を得るのには、赤を赤たらしめたものを、赤から無くし、をたらしめてゐるものを、から無くし、高高スらしめてゐるものを、高ゥら無くさねばならない。色を定義するのには、色とは赤もも高煬サすものではないと言ふより他はないわけで、これは否定から出來上がつた肯定であり、空虚を限る一つの形式だ。抽象のうちに留る哲學者は、これで滿足する。普遍化の道を辿れば、事物の統一に向つて進む、と信じてゐる。つまり、樣々なニュアンスの差異を際立たせてゐる光を、次第に消して行き、終ひには、これらを一樣な闇のなかに混ぜ込んでしまふのである。本當の統一を得る方法は、これとは全く異なる。それは、、紫、香A赤の、無數のニュアンスを取り、これらを収斂レンズを透して一點に導くにある。そこに純粹な白光が輝き出る。地上では、これを分散させてゐる樣々なニュアンスのうちに認められ、天上では、多彩な光の定かならぬ多樣性を含む不可分の統一のうちに認められる、その白光が輝き出る。さうしてみれば、各々のニュアンスを別々に取上げてみても、その中に、初めは眼につかなかつたものだが、ニュアンスの一つ一つが分有してゐる白光、各々のニュアンス固有の彩色が由來する共通の照明が、姿を現ずるであらう。私達が、形而上學に求めねばならぬ一種の視覚とは、ラヴェソン氏によれば、疑ひなく、かくの如きものだ。眞の哲學者の眼から見れば、古代の大理石像の熟視のなかに、哲學論文全體のなかに散らばつてゐる眞理より、一層多くの集中された眞理が迸るであらう。形而上學の目的は、個別の存在のなかに、特殊な光を取り戻し、この特殊な光を、その光源まで辿る事にある。個別の存在に、その固有なニュアンスを與へ、與へるといふその事によつて、普遍の光に結ばれてゐる特殊の光を」》(『感想』39-40頁)
一読して、「形而上學に求めねばならぬ一種の視覚」によって見いだされる「白光」、もしくは、そこから虹のすべてのニュアンス(色合い、クオリア)が生みだされる「光源」──出岡氏がプロティノスの「一者」になぞらえているもの──が、かの「心眼」(ヴィジョン)につながっていることは明らかです。
あるいは、むすばれていることは明らかだ、と言うべきでしょうか。出岡氏は、小林秀雄の「一貫した方法」、すなわち「「白光」に導かれた詩の方法論」(83頁)をめぐって、同書第一部第一章「無常であることの自覚──第一のレンズ」[*]の議論に言及しつつ、次のように論じています。
《ベルクソンに限らず、詩や詩の意味を帯びた思想の背後には「白光」がある、と小林はいう。逆にいえば、そのような「白光」を示唆するような文章として、それは書かれているということである。ところで、第一章では、ロゴスとしての言語を、物を〈つなぐ〉働きをもつものとして規定したが、この「白光」の比喩に従うなら、背後に「白光」を宿した詩歌や文章つまり〈うた〉は、言語の〈つなぐ〉働きだけで成り立っているものではないということになるだろう。「白光」を宿した文章は、ロゴスの〈つなぐ〉という同一平面上の連結だけでなく、その「背後」に「白光」をもつことで、すなわち「背後」にある「白光」を示唆するような言葉の配列をもつことによって、〈うた〉としての立体的な姿を保っているということになるであろうからである。
つまり、〈うた〉を作る努力とは、〈つなぐ〉言葉としての最低限の整合性を満たしながら、同時に、「白光」という根源の衝動を動的に暗示しようとする、二重の努力である。いわば、言葉は意味の通る「外観」を維持しながら同時に背後の「白光」との緊密な、立体的な関係を構築するために配される。本書では、この、言葉を立体的に統一させようとする努力を、言葉の〈つなぐ〉働きと区別して、言葉を〈むすぶ〉こと、と呼ぶことにしたい。》(『小林秀雄と〈うた〉の倫理』58-59頁)
出岡氏は最後に、「小林の文章もまた、広義の〈うた〉の性質をもっている。」と括って、第二章の叙述を閉じています。以上、個人的な感想や要約や見解の開陳は封印して、素材のみ抽出しました。
[*]「第一のレンズ」には何が映っていたか。出岡氏はそこで「うた」の語源を渉猟し、立ち入って照覧したうえで、次のように論じている。
《このように見ると、〈うた〉とは、〈いまここにある私〉としての孤独な心が外部の事物に触れ、そこに生じた心の‘動き’(歓喜・痛み・感嘆)を言葉に写し、拍子や旋律をもって他者へと訴えかけ、またそれが他者に受容されることで合唱されることもあるもの、といえるだろうか。さしあたってここでは、〈うた〉を、「うら」としての心が外部の何かに触れ、そこに生じた心の‘動き’を言葉へと定めることで何者かへと訴え、結果として他者と交響することも可能なもの、と外形的に定義しておこう。》(『小林秀雄と〈うた〉の倫理』39-40頁)
心の動きを他者へ訴えかけるとは、「動的な心」すなわち「感動」を表現するということだ。「〈うた〉とは、固定的で静的な手段であるよりも、むしろ何かを動的に把捉し、あるいは再現しようとする一つの営み、一つの努力である」(41頁)。私にはこの一文が「〈うた〉は映画である」と読める。また、次の一文は「〈うた〉は「伝導体」である」と読める。
《…〈うた〉とは、誰かの心の静止的な瞬間像をそのまま表出することなのではなく、むしろ、それを動きとして表現することを通じて、同じ一つの心の運動を他の人々の心のうちに再現させ、共有させようとする営みであるだろう。〈うた〉が自己の心を他者へと訴え、共有され、合唱もされるということは、個別の歴史を生きるそれぞれの人間に、同じ心の震えを呼び起こすような仕組みを〈うた〉が秘めているということを意味しているように思われる。〈うた〉が韻律や旋律をもつ理由も、おそらくそこにあるのだろう。》(『小林秀雄と〈うた〉の倫理』41頁)
■『雪国』冒頭文をめぐる四つの視点、再考
ここで、これまでに取りあげた議論を素材として、ふたたび想像をたくましくしてみます。[*]
……古代ギリシャで「プシューケー」(器官なき身体)、古代日本で「タマ」(身体なき意識)と呼ばれたもの。それ(ら)もしくはこれ(ら)が渦巻く塊(マッス)のリカーシブでフラクタルな星雲状の対流・胎動のうちに、おのずから二つの傾向が顕れてくる。
第一の傾向は「俯瞰する眼」にかかわるもので、それは上方・下方の二つの方向に分岐する。
この世界に〈ここ〉と言えるただ一つの〈ここ〉が在る。しかしこのことはこの世界の中の事実ではないので(もしそうだとしたら、同じ内容・構造・本質を持つすべての「ここ」について「ただ一つの「ここ」が在る」と言えることになってしまう)、世界を創造する神でさえどの「ここ」が〈ここ〉であるかを知らない。いやそうではない、「この世界に〈ここ〉と言えるただひとつの〈ここ〉が在る」という奇蹟こそが神の存在の証なのである。かくしてこの世界を上空から俯瞰する「神の視点」が成立する。
ただしこの「神の視点」は、「この世界に〈ここ〉と言えるただ一つの〈ここ〉が在る」と言明出来るただ一つの〈ここ〉にとっての世界を俯瞰する視点であって、ほんとうは「〈神〉の視点」と表記すべきものである。こうした「〈神〉の視点」は成立と同時に「劣化」して、「この世界に「ここ」と言えるただ一つの「ここ」が在る」とすべての「ここ」が言明できる世界を俯瞰する「神の視点」となる。(それは「視点」というより、世界を産み出し照らす「光源」と呼ぶべきかもしれない。「神」もしくは「一者」という名の光源。)
一方で、この世界に〈これ〉と言えるただ一つの〈これ〉が在ることがこの世界の事実ではないことに徹する方向がある。それは、世界を創造する神にとってもどの「これ」が〈これ〉であるかを知りえないこと、にもかかわらず(あるいは、だからこそ)〈これ〉を〈これ〉として識別し得る〈神〉が存在することの方を全面的に否定する立場である。そこから出てくるのは、「この世界に「これ」と言えるただ一つの「これ」が在る」とすべての「これ」が言明する世界を「無明世界」として否定し、すべての「これ」が実はただ一つの〈これ〉であることへと覚醒していく方向である。その結果、事象世界の背後もしくは根底に見いだされるのが「白光」であり、これを「光源」として世界を下方から見る「心眼」が位置するのが「無私の視点」である。
第二の傾向は「相手の身になる」(見る対象に即座に身を移し、自在に入れ替わる)能力につながっていく。
この世界に〈いま〉と言えるただ一つの〈いま〉が在る。ただ一つの〈いま〉が在ることはこの世界の事実ではないが、逆に世界の方がこのただ一つの〈いま〉を一種のスクリーンとして現象することになる。つまり〈いま〉は「移動カメラ」のように自在に動くのである。
〈ここ〉は「〈ここ〉/〈そこ〉/〈あそこ〉」の中の一項なので〈いま〉と同列には扱えない。〈ここ〉が〈そこ〉あるいは〈あそこ〉になるのであって、〈ここ〉が〈そこ〉や〈あそこ〉へと動くのではない。もし〈ここ〉が動くとすれば、「ここ/そこ/あそこ」のいずれかに〈ここ〉を位置づけなければならないが、〈ここ〉が在ることは世界の事実ではないからそれは出来ない。もし出来るとしたらもはや〈ここ〉ではなく「ここ」である。
これに対して〈いま〉については「〈過去〉/〈いま〉/〈未来〉」の区分はあり得ない。あるのは@「ただ一つの〈いま〉が在る」こととA「過去/現在/未来」の区分だけである。もし強いてただ一つの〈いま〉が在ることを別のかたちで表記するなら「〈いま〉/〈いま〉/〈いま〉」となるだろう。
〈いま〉は二つの極点のあいだ、すなわち「永遠の今」と「永劫回帰する今」のあいだを自在に動く。「永遠の今」の極点では@だけが成立しAの区分が否定され、「永劫回帰する今」の極点ではAの区分が@の別表現である「〈いま〉/〈いま〉/〈いま〉」のうちに救出される(私の今とあなたの今が融合すると考えてもよい)。「動く〈いま〉」すなわち「移動カメラ」の視点は、「永遠の今」の極点では第一の傾向における「神の視点」(精確には「〈神〉の視点」)と類比的な位置に、「永劫回帰する今」の極点では「無私の視点」と類比的な位置に据えられる。
これを「わたし=話者(作者、主人公)=作者の分身」と「あなた=聞き手(読者)=読者の分身」との関係に置き換えて説明すると、「永遠の今」の極点では「わたし」だけが、「永劫回帰する今」の極点では「わたし=あなた」が在る。
これら二つの傾向が合流する極点に、イブン・シーナーの「空中人間」、またの名を「アヴィセンナの幽霊」(山内志朗『「誤読」の哲学』)、デカルトの「思う物」、そして「独存性の〈私〉」を位置づけることができる。「〈ここ・いま・私〉という現実性」が成立すると言ってもいいだろう。(ここから「この世界に〈私〉と言えるただ一つの〈私〉が在る」という言明をめぐる問答が始まる。たとえば「神は〈私〉を知ることができるか」、「〈私〉は動くか」といった。)
ただし、これらのものがはたして最終的な極点に位置しているのか、それともほんとうは事の起点に位置していたのかは判然としない。……
一点、付け加えると、第一の傾向は立体的・垂直的な「むすぶ=産ぶ」はたらき(心眼)に、第二の傾向は平面的・水平的な「つなぐ=繋ぐ」はたらき(肉眼)に、それこそむすびつき、つながっていき、私たちが生きるこの現実世界の複眼構造をかたちづくっていくことになります。
さて、以上のことを踏まえて、前章の最初の節に掲げておいた、『雪国』冒頭文から読みとることができる四つの視点の、いわば「精錬版」を示しておきたいと思います。
≪垂直軸:心眼≫
【視点0(光源0)】=無私の視点(無私の光源(=白光))
【視点1(光源1)】=神の視点 (神の光源 (=一者))
≪水平軸:肉眼≫
【視点2】 =移動カメラの視点(作者(主人公)の視点)
【視点2.5】=移動カメラの視点(読者の視線、共視者の視線)
【視点3】 =移動カメラの視点(作者=読者の視線)
(いくつかの註記。「移動カメラの視点」は「あたかも出来事を撮影し、撮影部分を次々に変えていくばかりでなく必要に応じて映像を拡大することもできる」視点(熊谷前掲書75頁)。「視点2.5」は先に掲げた「B時間の推移とともに移動する「虫」(読者)の視点」と同じ。「共視者の視線」は、私=作者とあなた=読者が相並んで映像(そこに私とあなの分身が登場する)を見つめる視点を言う。「視点3」すなわち「作者=読者の視点」とは、「あなたの目を通して私を見、私の目を通してあなたを見る」視点、つまり「私とあなたは共視者であると同時に共視対象でもある」ような、話し手(書き手)と聞き手(読み手)が一体化した視点(熊谷前掲書132-133頁)のこと。)
[*]本文の想像的叙述は永井均の議論を下敷きにしている。永井氏が論じた内容というより、神は〈私〉を識別できるか、〈私〉は動くか、〈今〉が動くとはどういうことか、といった永井氏が設定した論題を下敷きにして、永井氏がそれらについてどう論じたかはあまり気にせず書いている。
これは余談だが、『孤独の発明 または言語の政治学』とほぼ同時期に刊行された『今という驚きを考えたことがありますか──マクタガートを超えて』に、永井均・大澤真幸の対談「輻輳する不思議──〈今〉と〈私〉は存在するか」が収録されていて、この対談のなかで永井氏が次のように語っている。ここまで読み進んだとき、私はちょうど「アヴィセンナの幽霊」のことを書いていた!
《ライプニッツによれば、私たちのこの現実世界は、無限の可能世界の中で本質において最善の世界を神が知性的に選択して、それから神がそれを意志的に実存させることによって成立しています。実存させてもさせなくても、本質的には、つまり中身においてはまったく変わることはないのだけど、ただ実存するというきわめて特殊な性質が付け加わることになる。そういう神の世界創造と同じように、端的なA事実も外的な視点から実存だけがいきなり付与されることだと考えます。中世イスラムのイブン・シーナー以来の考え方だと思いますが、ライプニッツやカントにも受け継がれているこの区別の仕方を復活させて、A系列をあえてA事実とA変化に分けて、そこに楔を打ち込むというのが僕のアイデアなんです。》(『今という驚きを考えたことがありますか』64頁)
■光源と視点とパースペクティヴと
前節の補足をひとつ。
「神の視点」や「無私の視点」は、私の語感から言えば、やはり「神の光源」(=一者)か「無私の光源」(=白光)、あるいは「光源1」か「光源0」を正式呼称とする方がしっくりします。それらは、世界を見る(観る)ひとつの位置、立場というよりは、むしろ世界そのものをそこから照らしだし、現象させる源だと考えるからです。
想像的考察をつづけます。
……「一者」から流出した光、もしくは「白光」から発出する光、つまり垂直的な「心眼」軸の上下両端から漏洩・噴出する光によって、「肉眼」の水平軸(第一のスクリーン)の表裏にさまざまな物象、事象、心象が投影される。この、第一の映画的メカニズムによって造形された万象の世界(「永遠の今」と「永劫回帰する今」を両極点とする稼働エリア内)を、「移動カメラの視点」が自在に移動し、さまざまな物象、事象、心象を遠景化し、近景化し、断片化し、結合し、メカニカルな手段・方法によってモンタージュしたうえで、こんどは逆に、それを「心眼」の垂直軸(第二のスクリーン)に投射する。この、第二の映画的メカニズムを通じて質料ゼロの「アヴィセンナの幽霊」(あるいは死者)たちが語らう「映画」が上映される。……
いまひとつ、言葉遣いをただしておきます。それは、「視点」と「パースペクティヴ」の違いです。第53章で、私は、映画は夢のパースペクティヴの引用だ、と書きました。そうだとすると、いまや「移動カメラ」に限定して用いることにした「視点」が「パースペクティヴ」とどう違うのかを説明しなければなりません。
私の考えを一言で表現すれば、視点は移動するがパースペクティヴは移動しない、となります。これまで用いてきたのは、いま定義した意義での視点を含む広義のパースペクティヴであって、以後は、動かないパースペクティヴという狭義の意味合いで用いる、ということです。
視点が動くとは、まず、私とあなたと彼・彼女、私たちとあなた方と彼・彼女らのあいだ、もしも未生の者(たち)や死者(たち)や人間以外の生き物や無生物やスピリチュアルなものを含めるならば、これ・これら、それ・それら、あれ・あれらのあいだ、広く「人称」と総称されるものたちのあいだを移動することであり、次に「時制」をまたがって、すなわち現在の視点、過去・未来からの視点のあいだを移動することです。
一方、パースペクティヴは動きませんが、そのかわり(「視点」がその中を自在に移動する)「フィールド」を設営します。そのフィールドを決定するのは、ひとつは、現実世界・可能世界・不可能世界・潜在世界といった「様相」であり、いまひとつは、私が悲しいとき世界が悲しいように映り、あるいは世界は天地有情である、と言われるときのその「感情」(あるいは、三浦雅士氏が「宗教的感情」や「文学的感動」と表現していたもの)であろうと、私は考えています。
このあたりのことは、まだ充分な吟味を経ていない仮説なので、いずれ修正が加えられ、もしくは破棄されることになるかもしれませんが、当面は、このアイデアにしたがって先へ進むことにします。ちなみに、光源もパースペクティヴと同じく不動で、これはおそらく超高次の視点と考えてよいのではないか、そしてこの意義での光源を含む最広義のパースペクティヴというものを考えることができるのではないかと思います。
さて、以上の想像的・仮説的考察を経て、ようやく留保していた論点に立ちかえることができます。
その論点とは、熊谷高幸氏が『日本語は映像的である』で呈示した「映像枠」と「共視対象」のアイデアを、前々章の最後の節で取りあげた「フレーム」(経験領域)と「焦点」(焦点化、焦点移動)をめぐる議論に接続し、夢のパースペクティヴの引用(モンタージュ)としての「和歌=映画」を考察するための足場をつくる、というものでした。
以下、「フレーム」と「焦点」を、新しく定義しなおした(狭義の)パースペクティヴにかかわるもの、そして、「映像枠」と「共視対象」はこれと対になる動く視点にかかわる概念である、とそれぞれ定義したうえで、作業を再開します。
野矢茂樹氏との共著『言語学の教室』で、認知言語学者・西村義樹氏が、「メトニミー」を単一の共有フレーム内での焦点移動、「メタファー」を複数のフレーム間の焦点移動と、それぞれ説明したことに触発され、私は、次のような四つのパースペクティブを「考案」しました。
◎メトニミー型パースペクティヴ
:単一フレーム内での焦点化・焦点移動
◎メタファー型パースペクティヴ
:複数のフレーム間の焦点化・焦点移動
◎シネクドキ型パースペクティヴ
:重なり合うフレーム間の焦点化・焦点移動
◎オクシモロン型パースペクティヴ
:不在のフレーム内での虚焦点の移動
ここで理論的な註釈を加えます。「理論」といっても、それは、この論考群のなかで断続的に、かつ私的に考察している「伝導体」の概念にかかわるものなのですが、その形成途上の「理論」のなかで、「メトニミー」から「オクシモロン」までのレトリックの四類型について、私は次のような位置づけを与えています(第7章他参照)。
≪垂直軸≫
【零次性】=『空』(ヴァーチュアルな次元)
:「オクシモロン」(逆喩)
:「マスク」(仮面記号)
:推論の方式=「プロダクション」(生産)
【一次性】=『現』(アクチュアルな次元)
:「メタファー」(隠喩)
:「イコン」(類似記号)
:推論の方式=「アブダクション」(洞察)
≪水平軸≫
【二次性】=『実』(リアルな次元)
:「メトニミー」(換喩)
:「インデックス」(指標記号)
:推論の方式=「インダクション」(帰納)
【三次性】=『虚』(イマジナルな次元)
:「シネクドキ」(提喩)
:「シンボル」(象徴記号)
:推論の方式=「ディダクション」(演繹)
垂直軸「空/現」×水平軸「虚/実」の作図を通じて、伝導体は、「現実世界」(現かつ実)、「可能世界」(現かつ虚)、「不可能世界」(空かつ虚 )、「潜在世界」(空かつ実)の四つの世界(象限)に区画されます(下図参照)。
《図》「伝導体」の四世界
【現】
┃
γ ┃ α
┃
【虚】━━━━━╋━━━━━【実】
┃
δ ┃ β
┃
【空】
※α=現実世界,β=潜在世界,γ=可能世界,δ=不可能世界
このような、伝導体の座標表現を通じた「世界創造」のはたらきによって、「フレーム」が決まり、そこで区画された世界の内部において「焦点」が定まります。そして、「フレーム」と「焦点」によって設営された稼働エリア内を移動するカメラの視点が、「映像枠の設定・移動」と「共視対象の選択」の作業を行うわけです。この、いわばメカニカルな編集作業のことを、ここでは「モンタージュ」と呼んでいます。
以上を踏まえて、先に掲げたパースペクティブの四つの型を再考すると、次のようなかたちになります。(「モンタージュの技法」とは、メトニミー型、メタファー型、シネクドキ型、オクシモロン型と名づけた四つのタイプのモンタージュによって、それぞれインデックス、イコン、シンボル、マスクという成果物へとイメージを合成していく際の技法のことで、これを一種の「推論」と見立てて、帰納、洞察、演繹、生産の名を割り振ったもの。)
◎メトニミー型パースペクティヴ
:単一フレーム内での焦点化・焦点移動
【フレーム】=「(潜在世界を含む)現実世界」
【焦点】=時間・空間的隣接性に着目した「インデックス」
【メトニミー型モンタージュの技法】=「インダクション」
◎メタファー型パースペクティヴ
:複数のフレーム間の焦点化・焦点移動
【フレーム】=「現実世界」と「可能世界」
【焦点】=現実世界と可能世界を結ぶ類似性に着目した「イコン」
【メタファー型モンタージュの技法】=「アブダクション」
◎シネクドキ型パースペクティヴ
:重なり合うフレーム間の焦点化・焦点移動
【フレーム】=「可能世界と不可能世界」(意味世界、概念と論理の世界)
【焦点】=「類−種」の包摂関係にかかわる「シンボル」
【シネクドキ型モンタージュの技法】=「ディダクション」
◎オクシモロン型パースペクティヴ
:不在のフレーム内での虚焦点の移動
【フレーム】=(不可能世界と潜在世界)
【焦点】=「生−死」の反転関係にかかわる「マスク」
【オクシモロン型モンタージュの技法】=「プロダクション」
■余録、めまぐるしい認識の動き
視点の移動に関連して、また「話し手と聞き手が相並んで共有する映像を見つめる」日本語の基本構造にもかかわる余録をひとつ。
熊谷高幸氏の『日本語は映像的である』を読んでいて、しきりに頭をよぎったのが吉本隆明と三浦つとむの名だった。具体的には、三浦の『日本語はどういう言語か』の文庫解説中の吉本の次の一文。第21章で引いたものだが、次章以後の議論のいわば通奏低音になると思うので、再度引用する。(なお、熊谷氏は著書の「あとがき」に、寝ても覚めても日本語について考えるようになった日々の「最初に出会い、刺激を受けたのは、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』だった」と書いている。)
《言葉が、紡ぎ出されてゆくためには、‘こちら側’に、認識の動きがなければならぬ。読み手が、たどるのは、‘あちら側’に〈表現〉された言葉だが、作品を紡ぎ出した‘こちら側’にとって、言葉は、〈表現〉された認識の動きの結果である。そうだとすれば、読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎ出されたとき、紡ぎ出した作者は、いわば、言葉によって、逆にじぶんの位置をはっきりと限定される。こう云うと、いかにも簡単なようだが、どんな言語学の著書も、対象と認識と表現との関係を、これだけ明快に、指摘してはくれなかったのである。三浦つとむのこの基本的な指摘は、すぐに有効なことがわかった。
わたしは、ある種の古典詩歌の作品が、単純な叙景や、叙情にもかかわらず、感銘をあたえるのはなぜか、ということにひっかかっていた。つまり、意味をたどってみれば、ほとんど〈ここに美しい花が咲いています〉というような、単純なことしか云われていないのに、どうして感銘を与えるのか、ということが疑問でならなかった。これにたいする近世以後の理解は、声調論ばかりである。また、近世以前の理解の仕方は、〈優に〉とか〈艶に〉とかいう感想批評の批評語しかもっていない。洗練された定型の、構成的な枠組が、詩歌の作品の価値を、枠組自体として、助けているだろうことは、わたしにもわかっていた。けれど、それだけでは、とうてい納得できなかったのである。表現された言葉は、‘むこう側’にあるが、認識の動きは、その都度、‘こちら側’にあるという三浦つとむの示唆は、わたしには啓示であった[*]。これで、じっさいに作品にあたってみようと思った。近世以後も、近世以前も、詩歌の作品の感銘のすべてが、声調や意味からやってくるだけでないことは、直観的には、よくわかっているのに、その解釈は、語義の解釈と、声調(リズムと歌柄[たけ])とに限られて、それなりに精緻にはなっている。だが、すこしも感銘の総体には到達しないで、注釈がつみかさねられているだけである。これは、俊成の「古来風体抄」や、宣長の「美濃の家苞」で、典型的に象徴させることができる。わたしは、詩歌の作品の言葉を、極端にいえば、一字、一字たどり、それごとに、背後にある作者の認識の動きを、推量してみることにした。そして意外にも、わずか三十一文字といった表現が、めまぐるしいほどの、認識の〈転換〉からできあがっていることに気づいた。うかつといえばうかつだが、かつて誰もそれを詩歌の本質として、指摘したものはいなかったのである。作者が、意識せずにつかっているめまぐるしい認識の〈転換〉が、詩歌の美を保証している。わたしは、これを緒口に、〈場面〉、〈撰択〉、〈転換〉、〈喩〉の順序を確定し、この四つが、現在までのところ、言葉で表現された作品の美を、成り立たせているだろうという、理論の根幹を、形成することができた。対象─認識─表現という三浦言語学の基本的な骨組みは、ある文学作品を、創造するものの側からたどり、あたうかぎり創造の理論に近づきうる可能性を示唆していた。わたしはその道をたどった。》(『日本語はどういう言語か』講談社学術文庫解説、271-272頁)
吉本の言う「めまぐるしいほどの、認識の〈転換〉」あるいは「背後にある作者の認識の動き」が、映画=和歌におけるモンタージュのはたらきを指している。そして、「場面、撰択、転換、喩」は、私の語彙で言えば、モンタージュの技法としての四つの「推論」、すなわち「帰納[induction]、洞察[abduction]、演繹[deduction]、生産[production]」に関係づけることができる。
ちなみに、吉本は『詩人・評論家・作家のための言語論』で、韻律・撰択・転換・喩にもうひとつ加えるとしたら、それは「パラ・イメージ、つまり上方からの視点のイメージ」だと語っている(第33章参照)。この「パラ・イメージ」は、かの「世界を俯瞰する神の視点(光源1)」を想起させる。(ここでも強いて私の語彙に関係づけると、認識の転換にかかわる第五の項は、四つの推論を総括する五番目の推論様式「伝導[conduction]」に関係づけることができる(第7章参照)。)
[*]ここで言われる(読み手にとっての)「むこう側」と(作者にとっての)「こちら側」を逆倒させて、表現された言葉は作者の手を離れて(作者にとっての)「むこう側」にあるが、認識の動きは、その都度、(読み手にとっての)「こちら側」にある、と読み替えることができる。感情移入ならぬ認識移入による視点の転換。
福尾匠氏は『眼がスクリーンになるとき──ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』で次のように書いている。
《映画はモンタージュによってかけ離れた視点を一瞬で切り替えることができるが、とうぜんわれわれは、テレポーテーションでもしない限りそんな経験をすることはできない。こうした映画的な体験を条件として、あるいは動作環境として…哲学するとどのようなシステムが立ち上がるのか。ドゥルーズの『シネマ』は、このような「もしも」によって成り立っている書物であるとさえ言える。》(『眼がスクリーンになるとき』22頁)
(57章に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」41号(2020.08.15 )
<哥とクオリアア/ペルソナと哥>第56章 映画/モンタージュ/記憶(その2)
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