■王朝和歌は映画である
王朝和歌と映画との密接かつ隠在的な関係性について、──言葉を補うと、時代も離れジャンルも異なるふたつの領域における美的体験、つまり「詠歌体験」と「映画体験」とのあいだには、(それが本質にかかわるものか現象にすぎないか、あるいは内的構造がもたらす必然か外的状況に依る偶然か、等々の詮議はさておき)、なにかしら見えない関係性が潜んでいるのではないか、という私の直観が告げ知らせる仮説をめぐって──、この論考群では、これまでからさまざまな箇所で(その多くは、いわば備忘録のようなかたちで)言及してきました。
私が王朝和歌の世界を映画と関連づけて考えるようになった、そのそもそもの発端は、『雪国』冒頭の、「映画的」という形容がふさわしいリアルな心象を喚起する文章をめぐって、これは、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を上句、「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」を下句とする一首の和歌に見立てることができるのではないか、と思いついたことにあります(第2章参照)。
いま「映画的」と書いたのは、たとえば『夜明け前』の冒頭の一文、「木曾路はすべて山の中である。」が俳句であり、情景を客観的・無時間的に俯瞰、圧縮して描写する一幅の画であるとすれば、『雪国』のそれは、時間の推移がもたらす情景と身体経験の変化を織りこんだ、いかにも主観的な、あるいは永井均著『西田幾多郎──言語、貨幣、時計の成立の謎へ』(角川ソフィア文庫)の議論を援用すると、「もし強いて「私」という語を使うなら、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったという、そのことそれ自体が「私」なのである」(17頁)と言うしかない、主客分離以前の「純粋経験」を描写する──永井氏自身が用いた駄洒落で言えば、「虫」ならぬ「無私」の視点が見させる──「暗に独我論的」で「非人称的」な「動きつつある形」(大石昌史)を思わせる、という私の個人的体験を言い表わす比喩表現にほかなりません。
しかし、それは単なる比喩を超えている。すなわち、王朝和歌は「映画的」なのではなくて「映画」そのものなのだ。だから、『雪国』冒頭の文章を一首の和歌に見立てることは、これを一篇のショートムービーと見ることと同義なのであって、私が、「映画/モンタージュ/記憶」の総題のもとで目論んでいるのは、そのような「王朝和歌は映画である」という命題の妥当性と実質を見極め、それが和歌的詩的言語の世界にもたらす帰結を見定める、ということにほかなりません。
ここで、熊谷高幸著『日本語は映像的である──心理学から見えてくる日本語のしくみ』の議論を援用します。
いわく、池上嘉彦(『「日本語論」への招待』、『日本語と日本語論』(ちくま学芸文庫))によると、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」のサイデンステッカーによる英訳文「The train came out of the long tunnel into the snow country.」が表す状況を英語話者たちに描画させると、「トンネルを出て、雪の積もった平原に姿を現した列車を上空から見ている」ように描き、日本人の読者は「トンネルの内部から雪の平原へ、という、車窓を通してみた映像変化」を思い浮かべた。金谷武洋(『英語にも主語はなかった』)は、この英語と日本語の視点の違いを「神の視点」と「虫の視点」と呼んで区別した。
《しかし、『雪国』の読者の視点は本当に虫の視点だろうか? それは、たとえとしては的を射たものだが、もっと正確な位置づけが可能だと思われる。
『雪国』の主人公は島村という名の男性である。彼は一人で列車に乗っている。共に話す相手もいない状況である。けれども、その横に実はもう一人の乗客が乗っている。それは…架空の人物であり、読者という名の乗客である。
すでに何度も述べたように、日本語では、話し手と聞き手が相並んで共有する映像を見つめる、という構造を基本としている。この関係は、話し手と聞き手のあいだだけでなく、書き手と読み手とのあいだにも当てはまる。主人公は書き手の分身である。そして、読み手の分身は想像の中で主人公のそばに常に付き添っているのである。
『雪国』の冒頭文は、こうして書き手と読み手が相並んで見つめる映像変化を表したものと考えられる。》(『日本語は映像的である』41-42頁)
書き手と読み手とのあいだだけでなく、「死者」と「生者」とのあいだにも当てはまる構造がある。そうした構造を基本とするもの、それこそ、私(=中原)がこれから考えようとしている「映画」にほかならない。そこでは、生者が死者の分身であり、死者が生者として活動している、あるいは死者が生者のそばに常に付き添っている。その死者の名を「言語」といい、死者と生者が相並んで見つめている映像変化を「歴史」という。
先走りが過ぎました。(「言語」は貫之現象学B層の、「歴史」はC層のテーマ。)話を元にもどします。ここでは、これからの議論の起点(あるいは終着点?)を据える意味で、『雪国』冒頭文の読解を通じて抽出された、四つの視点を記録しておきたいと思います。
≪英語の視点≫
@上空から全体を俯瞰する「神」の視点──「自分を包んでいた自然から自己を引き離し、もはや自分自身さえも対象化して、出来事の外部の上空から客観的に眺める」英語話者の視点(金谷前掲書14-15頁)。
≪日本語の視点≫
A時間の推移とともに移動する「虫」(主人公)の視点──「汽車の動きに身を任せる作者自身が、明らかに「自分」という“私の視点”において、“トンネルの闇を抜けたぞ”“あ、雪国だ!”と刻々移りゆく車窓の風景に驚嘆し、その折々の現在時点での発見や、瞬間瞬間の心の内を端的に伝える」一貫性をもった作者(その分身である主人公)の視点(森田良行『日本人の発想、日本語の発想』15頁)。
B時間の推移とともに移動する「虫」(読者)の視点──想像の中で「書き手の分身」(主人公)のそばに常に付き添っている「読み手の分身」の視点。
C主客未分の純粋経験を描写する「暗に独我論的」な視点──「世界の中の個物(虫とか島村とか)」の視点ではない「無私」の視点(永井前掲書17頁)。
■日本語は映像的である
ところで、前節で引用した文章のなかで熊谷氏は、「話し手と聞き手が相並んで共有する映像を見つめる」という、日本語の基本構造に言及していました。このことについて詳しく見るため、『日本語は映像的である』の議論を抜き書きします。
1-1.言語の基本構造──三項関係と共同注視
〇人間のコミュニケーションの基本形は、「子ども」と「大人」が目の前の「対象」に共同の注意を向けること、すなわち「共同注視」によって成り立つ三項関係である。(A頁)
〇コミュニケーションが発展してできた言語は、誰かが別の誰かに何かを伝えたいから発せられる。すなわち言語は、「話し手」「聞き手」「共有映像」の三項関係の構造をもつ。(7頁)
1-2.言語の基本機能
〇子どもがことばを使い始めるとき、ことばに求められることを以下に列記する。どの言語もこれらの働きを行うしくみがあるが、言語によってそのしくみに違いがある。(12頁)
・対象が位置するおおよその範囲を指示すること。
・その範囲の中から対象を選び出すこと。
・対象と対象との関係を表すこと。
・過去や未来について語ること。
2-1.「こ・そ・あ」─映像枠と共視対象
〇「共有映像」は一定の範囲を示すものなので、それを囲むものを「映像枠」と呼び、その映像枠の中で共同注視されているものを「共視対象」と呼ぶ。(8頁)
〇「映像枠」(映像の範囲)を示す指示詞のうち、「ここ」(近称)は話し手の近辺、「そこ」(中称)は聞き手の近辺、「あそこ」(遠称)は話し手・聞き手から離れた領域を指し、それぞれの「共視対象」は「これ」「それ」「あれ」で示される。(16-18頁)
〇日本語の指示詞は位置と距離に応じて体系的な構造を成しているが、英語の指示詞は「here(this)」と「there(that)」の二つで、空間の区切りがあいまいである。(18頁)
《日本語は英語などヨーロッパの言語と比べてあいまいであるといわれて久しい。しかし、指示詞についてはずっと厳密であり、英語の方がはるかにあいまいなのである。そして、この厳密な領域区分を生み出しているのが、三項関係の中での私とあなたの立ち位置についての意識であると考えられるのである。》(『日本語は映像的である』19頁)
2-2.「こ・そ・あ」─文脈指示における選択
〇事物を前にして行われる「現場指示」に「こ(近景)・そ(中景)・あ(遠景)」の領域区分があったのに対して、現場から離れた事柄(人や時)に対する「文脈指示」では、その情報を話し手がもっているか(この時)、聞き手がもっているか(その時)、あるいは共有しているか(あの時)によって「こ・そ・あ」の選択をするのが基本である。(93頁)
2-3.情報の引き渡し─「そ」系の指示詞の働き
〇情報が話の中で話し手(「こ」)から聞き手(「そ」)に引き渡されることがある。たとえば「この道をまっすぐ進むと、そこに郵便局がある」では、話し手は想像の中で聞き手を歩かせている。つまり郵便局までの情報を聞き手に引き渡している。「そ」系の指示詞は、想像の中で、話し手が聞き手の目の前に映像を提示し、これを受け渡す働きをもっているのである。(93-96頁)
3-1.日本語と英語の視点─内側から見るか外部から見るか
〇日本語文と英語文の視点の違いをカメラの位置の相違に置きかえると、日本語では、話し手は三項関係の内側から、前方に見えているものを表す(内部視点)。だから日本語文では話し手と聞き手は省略されることが多く、共有映像内の対象(第三者)もそれが共視対象であれば省略される(「あ、(…さんが)来た」)。(38頁)
〇一方、英語では外部から三項関係の全体を捉える形を取るので、話し手も聞き手も対象も視野の中に収まる(外部視点)。話への参加者が増えても、それを文に表すことが容易である。(38-39頁)
《つまり英語では、多くの現象に当てはまるような言語モデルをあらかじめ作っておき、個々の場面をそれに適合させていくのである。それは普遍的なモデルだから、私にも、あなたにも、彼にも、彼女にも当てはまる。けれども日本語では、私とあなたの関係は特別である。それは、相並んで外界を見る立場にある。》(『日本語は映像的である』37頁)
3-2.日本語と英語の視点移動─地から図か図から地か
〇日本語による文の構成は、まず共同注視の枠を定め、次にその中の対象を選んでいくという順序をとることが多い。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」のように、ロング・ショットから始まりミディアム・ショット、クローズアップ・ショットへと進むのが基本の流れである。(101-102頁)
〇これに対して、英語のことばの構造は中心から周辺へ、出来事から場所、時へと、日本語と逆の語順で進む。英語は「図から地へ」の順序で進み、日本語は「地から図へ」の順で構成されることが多い。(103-106頁)
4-1.日本語の映像構成法─「は」と「が」をめぐる映像的視点
〇日本語の助詞「は」は、共有すべき映像の枠を絞り、移す。映像をクローズアップする主題化や限定・対比・強意の働きをもつ。これに対して「が」は、与えられた映像の範囲の中で要素を選択する働きをしている。(49-50頁)
〇日本語の使用には映像的な原理が働いている。話し手と聞き手が映像を共有し、その中身について述べていくには、映像枠を広くとったり狭くとったりすることが必要である。この映像論理がもっともよく表れる表現形式が映画である。(51頁)
〇「映画の文法」(ダニエル・アリホン、今泉容子)ということばがあるように、言語の文法にも通じる映像構成法がある。それは、「は」は文の枠を示し、「が」は枠の中の要素を示すものと見なす考え方に密接にかかわっている。(51頁)
4-2.日本語文法の原理
〇映画の画面構成は次の手続きとっている。これと同じような原理で日本語文法は組み立てられている。(52頁)
・物語の始まりやシーンが変わったときに、舞台となる場所を遠景で捉え(ロング・ショット)、その中に登場人物などを配置する。【ルール1】
・物語やシーンの主要人物や主要物が定められると、それは近景化される(クローズアップ・ショット)。【ルール2】
・主要人物や主要物が移動するときには大写しのまま、または、そこに焦点を合わせながら追跡していく(トラッキング・ショット)。【ルール3】
・クローズアップされていた人や物も、関係する人や物が現れたときには、遠景化され、両者は映像の枠の中に収められる。【ルール4】
・人物が何かに注目すると、それはクローズアップ・ショットで近景として表される。【ルール5】
4-3.移動カメラの視点─「は」と「が」をめぐる意味的視点
〇言語発達にともなって、映像の枠と要素の関係は意味的な枠と要素の関係に発展していく。「象は鼻が長い」において、「象は」は文の大きな枠を作り、「鼻が」はその中で選ばれた要素である。(69-70頁)
〇主体を示すことばだけでなく、場所や行為の対象も「は」と結合して枠となることができる。日本語では、同じ出来事でも文脈によってテーマとなる枠を変更していくことが可能であり、同時に文の語順変更(「は」を伴うことばを文頭にもってきて強調する)も行われている。
《以上のように、日本語では、枠の移動と語順の変更が可能である。ということは、話し手と聞き手の心理の流れに沿って、出来事を見る視点を自由に変えていくことができるということである。それは、あたかも、移動カメラを持って、出来事を撮影していくかのようである。撮影部分を次々に変えていくことができるばかりでなく、必要に応じて映像を拡大することもできる。》(『日本語は映像的である』75頁)
4-4.入れ子型構造─含む・含まれるという面の論理
〇日本語は話し手と聞き手が映像を共有することを基礎として作られ、その映像はどの範囲に何が含まれるかという論理で認識されていく。「は」と「が」はこのような「含む・含まれる」という論理で世界を認識するための道具となっている。(80頁)
〇日本語文はより大きな部分(「は」が作る枠)がより小さな部分(「が」が選ぶ要素)を含む入れ子型の構造をしている。このことを最初に示したのは時枝誠記だが、時枝の入れ子は「内から外へ」向かって階層化され、筆者(=熊谷)の入れ子は「外から内へ」(枠から要素へ)向かう。(81頁)
〇日本語は空間的な包含関係という「面の論理」によって作られた言語であり、英語は要素と要素を動詞で結合していく「点と線の論理」によって作られた言語である。(83頁)
4-5.日本語の時制表現─臨場感のある現場的な映像
〇日本語の表現が「移動カメラ」による映像のようだと述べたことは、日本語の時制表現にもあてはまる。たとえば「きのう、出かける前に、雪が降ってきた。」で、出かけたのは過去なのに「出かける」と未来に相当する動詞形が用いられている。話し手は、想像の中で出かけようとしていた現場の映像の中に戻り、その現場ですでに雪が降ってきたことを確認しているのである。(111-112頁)
〇日本語の話し手は、臨場感のある現場的な映像の中に聞き手を連れていく。このように想像行為を共有するところに日本語の特性があるのである。(113頁)
5-1.日本文の視点─私とあなたの一体化
〇日本語では、私とあなたが共同で外部にある対象に視点を当て、それを表すことが基本である。では、注視対象が私やあなたになったときどう表すか。日本語がとったのは、あなたの目を通して私を見、私の目を通してあなたを見るという方法である。つまり、私とあなたは共視者であると同時に共視対象でもある。日本語では、私(話し手)とあなた(聞き手)は一体的な関係にある。(132頁)
5-2.日本語文の視点─人物の視点
〇日本語は、話し手と聞き手が目の前の景色を共有するという形を基本とする。そのため、聞き手を話し手のそばにいるような気持ちにさせるのがよい文章になる。『雪国』冒頭文のように、日本語文の視点は登場人物のところになくてはならない。英文のように全体を眺望するようなものであってはならないのである。(139頁)
5-3.共に視ること─写メールとしての俳句・短歌
〇写メールが日本人によって開発され使われ始めたという事実は、日本人らしさを表している。こんなところに来た、こんなものを見つけた、という「いま・ここ」の景色を親しい人に送ることができるのは、日本人のニーズに特に合っている。では、電子メールや写真がなく、大量のオミヤゲを運搬する手段が発達していない時代の日本人は、どのようにして思い出を持ち帰ったのか。そこでとられたのが「ことばによる景色の持ち帰り」である。
《七五調による短詩形式をとる俳句や短歌という方法は、日本独自のものである。そこでうたわれるのは、「花鳥風月」ということばがあるとおり、目前の景色であり、それとあわせて表される心の景色である。俳句や短歌は、語ったり、論じたりするものではない。それが求めているものは、「共に視る」ことである。わずかのことばで表された世界を共視することで、その背景にある景色の広がりや心のひだを共有しようとする。》(『日本語は映像的である』142-143頁)
■やまとことばは幼体成熟した言語である
熊谷氏の議論から、和歌と映画の関係を考えるうえで役立つ多くのヒントを手に入れることができます。なかでも、「映像枠」と「共視対象」のアイデアは示唆に富んでいて、前章の最後に概観した、認知言語学における「フレーム」と「焦点」をめぐる議論にただちに接続させ、一気に、夢のパースペクティヴの引用(モンタージュ)としての「映画=和歌」の考察にすすみたいところですが、その議論に入る前に取りあげるべきことがひとつあります。それは、英語の視点と日本語の視点の違いをめぐる、ある(個人的な)疑問についてです。
その疑問というのは、上空から俯瞰する「神」の視点であれ、三項関係の全体を捉える「外部」からの視点であれ、英語もしくはヨーロッパの言語の特質を際立たせる説明としては説得力をもっているものの、さてしかし、それらは英語やヨーロッパの言語にのみ認められる視点なのだろうか、日本語においてもまた、和歌における「ながめ」や「みわたし」、「歌の中で意識を飛ばすという操作」[*1]に見られるように、あるいは「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」が湛える寂寥感や浮遊感、すなわち「孤心」のうちに表現されているように、情景や三項関係の全体を一望もしくは傍観する視点は認められるのではないか(「神」や「外部」といった概念は伴わないにしても)という、実感にもとづく素朴なものです。
熊谷氏によると、近景化と遠景化による映像文法(【ルール1】から【ルール5】までの映像構成法)と、「は」と「が」が意味の領域でかたちづくる入れ子型論理による日本語文法とは、「枠の設定・移動」と「要素の選択」という同じふたつの原理によって組み立てられているのですが、そうだとすればなおさらのこと、全体を一望する視点(ロングショットをもたらすカメラ位置、あるいはハイアングルもしくは鳥瞰アングル)は、日本語のなかに組み込まれていなければならない道理になるでしょう。
逆もまた真なりで、地表にはりつき、事物や人物や時間の推移(さらには音や声や響きや香りや匂いの軌跡)とともに移動する「虫の視点」あるいは「移動カメラの視点」は、英語には見られない日本語に固有のものなのか、と言えば、それもやはり違うでしょう。
熊谷氏は原理的に論じているのであって、個別の言語表現の実例をもって反証される次元の議論ではない。このことを承知したうえで、あえて以上の素朴な疑問に触れたのは、このあたりの事情について得心のいく説明が得られれば、「は」と「が」の働きによる日本語文法の映画的性格や移動カメラの視点、共に視る視点といった、熊谷氏が提起する魅力的なアイデアを、心置きなく「和歌=映画」論に導入することができると思うからです。
それはおそらく、次のような事情によるのではないか、と私は考えています。金谷武洋著『英語にも主語はなかった』や國分功一郎著『中動態の世界』などを参考に、若干の想像を交えて、(そして、次節でとりあげる書物の語彙やアイデアを暗に引用しながら)書いてみます。
……言語の誕生と進化の初期のステージ、まだ英語や日本語が分岐するよりはるか前の段階にあって、「話し手/聞き手/共有映像」の三項関係にもとづく言語現象が普遍的に成り立っていた。それは、たとえば捕食者と被食者、哺乳者(母)と受乳者(子)のあいだの生命的コミュニケーション、「視る・視られる・共に視る」という視覚的関係の長い堆積の果てに獲得されたものだった。
そこでは「人称」はまだ未分化で、私とあなたは母と子のように融合していた。あるいは、私とあなたのみならず彼や彼女、植物や動物、はてはいのちやかたちのないものとも相互に交換可能、憑依可能だった。また、名詞の発展形として出現したばかりの非人称の原始的な動詞は、出来事を単に出来事として名指す中動態の段階にあり、その「時制」はいまだあいまいだった。
この(「神話的」と形容してよい)段階での文の組み立て(知覚・認識内容の表現)にかかわる空間・時間のふたつの軸のうち、空間軸では、中景を飛ばして身体的近景から彼方すなわち遠景が見渡され(佐々木健一『日本的感性』「わたりの遠近法」)、そこにはヒアとゼアの二元論を介した超越的な高み(「神」の領域)は区画されておらず、時間軸では、音や声や響き──「香、匂い、おもかげ、かげ、そして夢」のごときもの(淺沼圭司『映ろひと戯れ』)、「液体の相」に属するもの(ヴァレリー)──が相互浸透的に融合・連合していた。
やがて、このような(「幼年期」と形容してよい)進化のステージからさまざまな言語が分岐していく。日本語、それも和歌(やまとうた)に用いられたやまとことばは、初期状態の「普遍的」な言語現象を、文字獲得以後においても「幼体」のまま保持しつづけ[*2]、一方、ヨーロッパ諸語は特殊な展開を遂げ、なかでも英語は「例外的」な言語として発展していった。……
[*1]山田哲平氏は「日本、そのもう一つの──貫之の象徴的オリエンテイション」(岩野卓司・若森栄樹編『語りのポリティクス』所収)のなかで、貫之の「みわ山をしかもかくすか春霞人にしられぬ花やさくらむ」(古今集94)を取りあげ、山それ自体が御神体であり、ただでさえ隠されている三輪山にさらに霞がかかっているのに、それでもなおそこに花が咲いていると表明する貫之歌の「人工性」をめぐって、次のように論じている。
《深い山の中にあるこの花を前にして、それを見ている「人」とは身体を持った人間ではない。古代風に言えば、そこへ飛ばされた意識が花の咲いているのを見ているのだ。現代風に言えば、作者の主体的表象能力作用の結果ではある。身体によっては見えない花も、詩の中では見えるようになる。この花は人間が勝手に想像した、想像上の花なのではない。咲いているであろう花へと意識を集中した結果見えるようになった、意識への反映としての表象の花なのである。(略)
ともかく詩作とは、貫之にとっては身体を捨象した後の活動、あるいは身体を超えたものであるということがこの歌から見えてくる。これこそこれまで永い間、貫之がそれによって貶められてきたあの言葉、「人工性」なのである。であるがゆえにこの歌は見方さえちょっと変えれば、現実に対する詩人の想像力の、勝利宣言の歌として解釈可能なはずなのである。
歌の中で意識を飛ばすという操作は新古今まで伝統的に行われたようだ。》(『語りのポリティクス』225頁)
山田氏はここで慈円の「散り散らず人もたづねぬ古里の露けき花に春風ぞ吹く」を挙げて、「誰も訪ねない古里のこのような有様をどうして慈円は体験するにまで至ったのか?」と問う。
《ここでもまた、意識を飛ばしたからに他ならない。そこで見た花の様子は、貫之のように単にその映像ばかりではなく、五感すべてを微かに覚醒させるような、艶なる実体性を帯びていた。身体なき意識を飛ばしながら、それが掴み取ったものは貫之の求めた意識の投影する純粋映像ではなく、意外にも、貫之が捨象しようとした身体性である、というまさにそのところに貫之の時代にはなかった、この歌に潜む退廃を読み取ることが出来る。》(『語りのポリティクス』226頁)
ここで述べられた「身体なき意識」がもたらす映像は、「移動カメラ」によるものと考えてよい。ただし、それは地を這う「虫」の視点というより、「神」ならぬ「カミ(迦微)」の視点が見させる映像を思わせる。
[*2]たとえば、折口信夫が「叙景詩の発生」で、古事記(中巻、神武)から「~風の 伊勢の海の大石[オヒシ]に 這ひ廻[モトホ]ろふ細螺[シタダミ]の い這[ハ]ひ廻[モトホ]り、伐ちてしやまむ」を引き、発生期の言語における「虫」の視点、あるいは「移動カメラ」の視点の痕跡を残す古代日本文学の「幼体」性に言及している。
《主題の「伐ちてしやまむ」に達する為に、修辞効果を予想して、細螺[巻き貝]の様を序歌にしたのではなく、伊勢の海を言い、海岸の巌を言う中に「はひ廻ろふ」と言う、主題に接近した文句に逢着した所から、急転直下して「いはひもとほる」動作を自分等の中に見出して、そこから「伐ちてし止まむ」に到着したのである。》(岩波文庫『折口信夫古典詩歌論集』13頁)
小松英雄氏は、『仮名文の構文原理』で「平安前期に成立した仮名文では先行する句節に後続する句節が付かず離れずの関係でつぎつぎと継ぎ足され、終わったところが発話の末尾になる《連接構文》であったこと」を指摘した(と、『みそひと文字の抒情詩』(補説、360頁)に書いている)が、この「連接構文」もまた、(そして、小松氏が和文とりわけ和歌に関して提唱する「複線構造による多重表現」も)、漢字仮名交用以後における、かの「幼体」性のあらわれである。
《上代には、書記様式による制約のために、事実上、音数律を手掛かりにして区切って読むことのできる韻文だけが文学的な表出の手段であったが、平安時代になると漢字と仮名との交用による新しい書記様式として和文が成立し、自由な表出が可能になった。
和文の文体は〈語りかけ〉を基調としている。その文章は、句節をつぎつぎと付け加えていく形をとって構成されており、各句節間の相互関係は、つねに必ずしも緊密ではない。構文の基本原理は〈付かず離れず〉である。その特性は、発達の母胎となった和歌からの継承であり、また、口頭言語とも共通している。このような特性を持った構文を《連接構文》と命名する。》(『仮名文の構文原理』第六章、232頁)
いまひとつ、「傍証」を加える。中野研一郎著『認知言語類型論原理──「主体化」と「客体化」の認知メカニズム』から。
《日本語においては,事態把握は「主体化」という認知メカニズムにより行われており,日本語が「主体化」という認知メカニズムを介して事態把握を行う理由は,「日本語[やまとことば]」が「文字」を発明しなかったことを契機とする.「文字」を発明しなかったということは,コミュニケーションが「音声」が届く範囲内,「音声」が持続する時間内に限られる.言葉を換えるならば,コミュニケーションが「ココ」と「イマ」に限られたということである.コミュニケーション成立が「ココ」に限られている場合,聞き手は常に話し手の眼前に存在し,話し手も常に聞き手の眼前に存在している.このような条件下で行われるコミュニケーションにおいては,話し手がコミュニケーションの「場」において「客体化」される必要がなく,また,聞き手も「客体化」される必要がない.したがって,「日本語[やまとことば]」のコミュニケーション様態では,話し手・聞き手の「客体的」把握によって創発している「主語」及び「目的語」という英語に代表される文法カテゴリを,構文・文法カテゴリとして創発させる認知的動機が存在しないのである.また,コミュニケーションの成立が「イマ」に限定されたということは,そこで図られる事態把握の創発である構文・文法カテゴリに,絶対時間軸という観念に依拠する「客体的な時制としての過去(objectively tensed past)」を創発させる認知的動機が存在しないことを意味する.》(『認知言語類型論原理』15-16頁)
■宗教・映画そして哥
ここで、補助線を一本引きます。
三浦雅士氏が「言語によって獲得された自己とはすなわち俯瞰する眼であり、見る対象に即座に身を移す能力である」(130頁)という構図のもとで執筆した『孤独の発明 または言語の政治学』。本稿を書きはじめたちょうどそのとき、タイミングよくこの書物が刊行されました。「タイミングよく」というのは、その前年に改版が出版された、折口信夫の『日本文学の発生 序説』(角川ソフィア文庫)の解説で、三浦氏が、かつて「群像」に連載した評論「孤独の発明」に言及し(「私のこの連載は、手を入れるのに往生して、単行本にしていない。」(371-372頁))、言語現象が神や霊や魂、他界や異界や彼岸の概念を呼び寄せるほかなかったこと、そしてそれがいかに異常であっても、生命現象の必然として成立したのは疑いえないこと、をめぐる自らの見解を「手短に」語っていたからです。
いわく、カンブリア紀における視覚の発生(俯瞰する眼の獲得)によって、言語への道を開く「光のスイッチ」が入り、次いで、授乳において目と目を見交す霊長類、さらに対面性交を行う人間に至って、「相手の身になること、そしてその相手と自在に入れ替わるために、自他をともに一望する俯瞰する目を持つこと」という、言語現象に不可欠な二つの条件がととのった(383-386頁)。
《目と目を見交わすことは多くの動物において攻撃を意味するが、人間においては逆に親和を意味するようになったわけだが、微笑み返すことは実質的に唱和を意味する。同じ声を反復することが唱和なのだ。片哥[かたうた]の起源である。
迂遠なことを述べているのではない。折口が必死になって探求しようとした神話の時空について述べているのである。人は原初的な母子関係において、母の見た自分を発見し、それを受け入れるのである。言語は、母が子の身になって称えた言葉を反復することによって個体的に発生するが、それは他者であるもの(母から見た子)を自分として引き受けるということである。言葉を反復することは、他者になることなのだ。他者にならなければ自己にはなれないのである。そしてこの入れ替えにあたって人は、他者と自己を俯瞰する目を習得する、身につけてしまうのである。こうして人はつねに自己を俯瞰する目とともにあることになる。というより、自己とは自己の身体などではない、この自己を俯瞰する目のことなのだ。》(「新版解説 凝視と放心」、『日本文学の発生 序説』(角川ソフィア文庫)386-387頁)
三浦氏の叙述はごく短いものですが、以上のように圧縮し、断片的に抜き書きしただけでは汲み尽せない豊饒な広がりと深さを湛えていました。この、言語の起源というよりは始原、いや「発生」の現場(「神話の時空」)をめぐる三浦氏の議論は、「神の視点」と「虫の視点」が分岐する以前の、発生期の言語現象の様態を描写していて、かの「素朴な疑問」への解をもたらしてくれるはず。私はそう確信し、その出版を心待ちにしていたのでした[*]。
さて、その『孤独の発明 または言語の政治学』を入手し、読み始めるとさっそく、いま圧縮・引用した叙述に付け加えるべき記述がひとつ目に留まったので、以下に抜き書きしておきます。
《俯瞰する眼は、それがさらに俯瞰されることによって、リカーションすなわち無限を引き起こすが、それこそ言語現象という仕組みの核心にほかならない。人麻呂も紫式部もその核心に触れていたのだと、若き大岡[信]は直観した。文学的感動はそこから来るのであり、宗教的感情もまた同じ場所から来る。そう直観したのである。考えるとは、直観に文脈を与えること、すなわち視覚を聴覚に移すことにほかならない。》(『孤独の発明 または言語の政治学』134頁)
三浦氏はつづけて、「宗教的感情」とは何か、と問います。
《要するに見る力である。人は言葉によって見る。事物を、また観念を、言葉を通して見る。だが、何度も繰り返すことになるが、言葉はもともと俯瞰する眼があったからこそ生まれたのである。俯瞰しながらその見ている対象に身を移す能力があってはじめて、言葉は生まれ得たのだ。自分自身なるものも、その見られている対象のひとつにすぎない。身を処すという、身の対象化、奴隷化もそれがあってはじめて可能になったのだ。このことに気づいてなお見続けること、それが見ることなのだ。
これこそ俊成の「仏教思想の体験的な深さ」の実質だが、それはまた俊成の子・定家にも引き継がれたのである。大岡は、紫式部がそれにはるかに先駆けていたことを示唆しているのだ。要するに、大岡がここで「批評」や「宗教的感情」の語のもとに直面しているのは、言語現象の仕組み以外ではない。》(『孤独の発明 または言語の政治学』135頁)
ここに人麻呂や紫式部、俊成・定家の名が出てくるのは、三浦氏の議論の文脈が、「若き」大岡信の評論「人麻呂と家持」と、後年の著書『うたげと孤心』冒頭の一篇「歌と物語と批評」の紫式部論との「驚くほどの対応」をめぐるものであったがゆえのこと。
また、「要するに見る力である」とあるのは、天台摩訶止観または禅に関する記述で、これもまた「歌と物語と批評」に、紫式部が物語作者として立つことができたとき同時に「批評」というものが深い意味で成立したこと──「それは、「うたげ」の世界、歓楽の世界を超越する「この世のほか」の世界への眼をそなえることであり、おのれ自身のなかに、現世と世外とのかさなり合う構造模型をもち、それを活溌に現実に適用することによって、事象を必然的に批評の眼で見ることにほかならなかった。」(岩波文庫『うたげと孤心』52頁)──と、「藤原俊成のような平安末期の歌人・批評家の批評の優秀性が、彼の仏教思想の体験的な深さと切っても切れない関係にあると思われること」(同)とが通じ合っている、と書かれているのを踏まえています。
要するに、三浦氏は、「文学的感動」と「宗教的感情」が、(大岡信の論考のタイトルで言えば、「歌」と「物語」と「批評」が)、同じひとつの場所から、つまり言語誕生直後の、「言語現象という仕組みの核心」が渦巻く「神話の時空」から来たものだ、そして「言語現象という仕組みの核心」とは「見る力」、すなわち「俯瞰しながらその見ている対象に身を移す能力」にほかならないのだ、と述べているのです。
[*]『孤独の発明 または言語の政治学』は、「群像」二〇一六年七月号から二〇一七年八月号まで「言語の政治学」の表題で連載された原稿をもとにしている。『日本文学の発生 序説』の解説で「手を入れるのに往生して、単行本にしていない」と言及されたのはこれとは別に、二〇一〇年一月号から二〇一一年六月号まで「孤独の発明」として「群像」に連載された。
『孤独の発明 または言語の政治学』の「あとがき」によると、「幽霊の問題」あるいは「死および死後の世界がなぜ現代文学の重要な主題になっているのか」という問題を扱ったこの未刊行の長編評論は、その主題に入る前に論じておくべきこと、すなわち「死および死後の世界が言語の所産であること、だからこそ人間の表現行為はほとんどつねに死および死後の世界にかかわらざるをえないその仕組」を論じた『孤独の発明 または言語の政治学』の第二部、いわば「孤独の発明 または彼岸の論理」とでもいうべきものである。
■宗教・映画そして哥(承前)
映画もまた、この同じ場所から生まれました。
中沢新一氏は『狩猟と編み籠』の「プロローグ」に、旧石器時代の宗教には「まぎれもない映画的構造」が存在していること、映画は私たちの「心」の野生を開く能力をもっていること、そして、こういう問題にいちはやく着目したのがセルゲイ・エイゼンシュタインで、映画のモンタージュ技術の本質を、旧石器の人類の狩猟と編み籠の伝統にまでさかのぼらせたこと、等々を論じています。中沢氏によると、宗教をはじめて映画の構造で理解したのは、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』でした。
《フォイエルバッハの考えでは、人間は自分の心に起こっていることを直接観察することができないので、それを幻灯機のような仕組みを通して、幻想のスクリーンに投影して見ることになるというのです。心に起こっているさまざまなことは、のっぺりとした二次元の平面で起こるのではなく、高次元的な現実として心の中にわき上がってきます。ところが、私たちの認識の機構は映写システムとしてつくられているために、高次元的現実を二次元のスクリーンに「次元を落として」投影されることになります。しかも、そこでは像は逆さまに投影されるので、現実と幻想はおたがい逆立ちしたような関係になります。人間が現実の正しい像を得るためには、このような幻想のスクリーンを取り去る努力をしなければばらない、とフォイエルバッハは考えました。ここからのちのちまで大きな影響力を持つことになる、彼の唯物論哲学がかたちづくられることになったのです。
どうでしょう。たしかにここには宗教の映画的理論の原型がしめされています。この考えでは、人間の心はフィルムに喩えられます。このフィルム上に記録されたデータを、背後から強力な光で照らし出しますと…、濃淡の変化として記録された心の過程がスクリーン上に投影されて、外側に引き出されますが、人間は自分の心を直接見るのではなく、このスクリーン上の像を見ることによって、逆に自分の心の内面を見ている、こういうメカニズムが宗教だと言うのですね。たしかに、これは宗教の映画的理論と呼んでもよいものでしょう。》(『狩猟と編み籠』22-24頁)
中沢氏の「宗教=映画」論は、この論考群の初期の段階(第4章)で取りあげました。今回、引用した議論からは、大岡信が貫之歌について述べた「あるものを見るのに、それをじかに見るのではなく、いわば水底という「鏡」を媒介としてそれを見るという逆倒的な視野構成」(これも第4章で引用)の実質へとつながる導管が見つかり、また、映画的構造をかたちづくるメカニカルな唯物論的側面と心的現象の側面、あるいはメカニカルな光源と心的な光景(映像)の二元論という、「和歌=映画」的なものの実質をめぐる考察への糸口が見えてきました。
映画と宗教に関する議論では、フォイルバッハやエイゼンシュタインのほかにも、たとえば、トリノの聖骸布に映画的メカニズムの本質を見たアンドレ・バザンや、『シネマ』で「映画のカトリック性」を論じたジル・ドゥルーズ──「その本のなかでドゥルーズは、映画が複数の異種の論理(心的プロセス)が混成しあって、動的な組織体をつくっている様子を、みごとに描き出してみせた。」(『狩猟と編み籠』8頁)──など、措くことのできないものがあるし、また、「映画とはそもそも宗教的なものである。」「映画の発展はイエス・キリストとともにあった。」等々の言葉を刻んだ『映画とキリスト』(岡田温司)の議論も気になるところです[*1]。
が、この話題はここで切りあげ、残るもうひとつの論点、「宗教的感情=文学的(芸術的)感動」あるいは「宗教=映画=哥」という、言語誕生と同時に成立した等式[*2]の根源にあるもの、すなわち「見る力」もしくは「観の目」の問題について、章を改め取りくみたいと思います。
[*1]いまひとつ、宇野邦一著『映像身体論』をリストに加え、同書から、映画を「〈時間〉を発見する芸術」(248頁)ととらえたアンドレ・バザンに関する記述を抜き書きする。
《とくに論拠などないけれど、洞窟絵画は、最初の絵画であるよりも最初の映画であったにちがいない。外の光を遮断した闇のなかで、外の世界の狩猟や戦闘や、生きのびるためのあらゆる活動から離れ、他の視覚の対象を排除して、壁画を見つめることに人々は集中したと考えられる。壁画のテーマは、とりわけ動物たちの‘動く生’であり、そのなかのあるものは動物たちの輪郭を躍動的に重ねて、ほとんど動画のような効果をかもし出している。洞窟は祭儀の場所でもあり、人々は祈り、踊りさえしたかもしれないが、外部の光のなかでの行動を中断して、闇のなかで、とりわけ見ることに集中したにちがいない。行動から解き放たれたこの‘静止’の状態で、‘運動’するものを注視するということ、この対比は映画の観客の状態である。このことは、またバザンが映画を演劇と対比して指摘したように、観客の受動性という側面とも関が係ある。
映画の観客は、日々の活動や関心から解き放たれていることによって受動的であり、そのぶんだけ敏感である。彼、彼女は、日常の行動や行動の必要と一体になった意味作用からも、意味をもつ言語、道徳(罪の意識)からも解き放たれ、通常は見えないもの、見てはならないものさえも注意深く見る。しかし映画は、現実の映像を与えるのではなく、それを再現するものでもない。現実をめぐるそのような幻想[ファンタスム]は、繰り返しもどってくるが、映画は私たちを現実から分離し、別の性格をもつ別の現実をつくりだす。バザンの画期的なレアリスムさえも、新たな映画によって、新たな映画的対象(そして時間)が創造されたことを宣言していたと考えることができる。》(『映像身体論』256-257頁)
[*2]「宗教=映画」の等式に対して「映画=哥」の等式の成立は微妙である。
《幼児は一般に動画を好む。写真よりも動く映像を好むのである。とりわけ自分を写した動画を好んでコンピュータの画面から離れない。ここから多くのことが分かる。
映画は動く写真だが、人間にとっては動く写真すなわち映画のほうが理解しやすく記憶もしやすいのである。映画は写真技術の発展の延長上に生まれた。だが、だからといって、映画が写真より高度であるということにはならない。映画のほうが写真よりも、通常の印象とは違って、いわば初歩的なのだ。写真は解読の対象であり、映画は感情移入の対象である。解読よりは感情移入のほうが簡単なのである。
凝視黙考はたんなる感情移入よりもはるかに難しい。
ここから、人間に最初に訪れたのは映画的なものであって、写真的なものではないことが想像される。これを言い換えれば、叙事詩は古く、叙情詩は新しいということになる。物語は古く、詩は新しい。
折口信夫が『古代研究』から『日本文学の発生序説』への過程で繰り返し問題にしていたことである。歌から歌物語が成立したとは王朝を専門とする国文学者の広く説くところだが、それには前段階があって、そこでは順序が逆になっているのだ。つまり、人麻呂は長歌から短歌を切り出したのであって、逆ではない。長歌は物語り、感情を移入させて人をそのなかに引き込むが、短歌は人を凝視黙考させるのである。折口はつねに補助線を描いてはそれを最大限にまで延長してみせる。とすれば、古来伝えられる諺にもその前段階として長い物語があったのではないか、というように。》(『孤独の発明 または言語の政治学』432-433頁)
ここでは、後に長歌(叙事詩、物語)、短歌(叙情詩、詩)へと発展していく原初の言語表現を「哥」ととらえておく。(あるいは、和歌(感情移入)、俳句(凝視黙考)といった言語表現の形式を産みだす母胎としての「哥」。)
(41号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」40号(2020.04.15 )
<哥とクオリアア/ペルソナと哥>第55章 映画/モンタージュ/記憶(その1)
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