Web評論誌「コーラ」38号/哥とクオリア 第53章 夢/パースペクティヴ/時間(その4)

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Web評論誌「コーラ」
38号(2019/08/15)

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■眺望と相貌─参照すべき議論1
 
 さて、つづけて、パースペクティヴの四つの次元をめぐる動態を考察する運びとなったわけですが、その前に、いくつか参照しておきたい議論があります。まず、野矢茂樹氏の三冊の著書から、その眺望論と相貌論のエッセンスを抜き出します。
 
 その1、『心と他者』(中公文庫)。
 野矢氏はこの書物で、眺望と視点の関係から知覚論を考察し、眺望と身体との関わりにおいて感覚の問題を考察する「眺望論」の完成を試み、視点にも身体にも解消しえない世界の眺めとして「アスペクト」という概念を提示し、「相貌論」へと歩を進めた(文庫版のあとがき、147頁)。
《パースペクティブとは、基本的に、まだ誰のものでもないと言うべきだろう。あるいはむしろ、すべてのひとのものである、と言うべきかもしれない。すなわち、‘誰でも’その位置に立てばそれが見える、これがパースペクティブなのである。》(『心と他者』154頁)
 いまひとつ、文庫版のまえがきから。「他者とは、私とは異なる意味づけを世界に与えるものであり、心とは、他者によって異なる意味づけを与えられた世界にほかならない。」
《──私があひるの姿を見ているそこに、うさぎの姿を見る他者が現われるとき、私ははじめて私がそれをあひるとして見ていることを、すなわち私がそれに与えている意味を、自覚する。そうして私は、相手の見ているうさぎとしての意味を理解しようとし、また、私の見ているあひるとしての意味を理解してもらおうと、語り、問い、答え、耳を傾ける。ここにおいて他者は新たな意味の発信源として私の前に立つ。われわれはさらに、いかにして他者が新たな意味の発信源たりうるのか、そして私はそれをいかにして理解しうるのかを、考察していかねばならない。》(『心と他者』329-330頁)
 その2、『大森荘蔵──哲学の見本』(講談社学術文庫)。
 ところで、「相貌」という言葉は、野矢氏の師・大森荘蔵によって早くから使われていた語だった。「大森は、物や他人の心といった、経験を超越しているように思われるものに対して、それらを経験のもとに捉えなおすために、「超越」と思われるものを「相貌」という経験の手の内に収まるものに読み替えようとした。」(157頁)
《相貌ということの典型は表情であり、それは顔の表情にかぎられない。風景もまた、表情をもつ。風景は、喜ばしくあったり、悲しげであったり、恐ろしかったりする。そうした表情もまた、まさしく風景の相貌にほかならない。そして風景の表情に関わるのは、とりわけ私の感情だろう。私が不安なとき、風景もどこか心細げなものとなり、私が悲しみに沈むとき、風景も悲しみの相貌に彩られる。だが、この当然とも思える言い方に大森は待ったをかける。》(『大森荘蔵──哲学の見本』164頁)
 すなわち、「感情は「心的現象」なのではなく「世界現象」なのである」(大森荘蔵「心身問題、その一答案」、『流れとよどみ』232頁)。あるいは、「光景・映像」(相貌)とは別に「光源」(感情)があるわけではない。
《「視点Pをとると光景Sが開ける」、この言い方において、知覚される光景と独立にそこが「視点P」であることを決める手立てがあるだろうか。知覚風景は必ず、それを受けとる主体のいるそこからの光景である。視点は光景の内に‘刻印されて’いる。知覚風景が与えられたならば、必ずそこにはその光景が開ける視点が刻印されており、逆に、視点が与えられたならば、必ずそこからの光景が開けている。視点なしの知覚風景も知覚風景なしの視点も、無意味な想定でしかない。
 感情もまた、こうした視点のあり方に類比的だと思うのである。主体は知覚するかぎり必ずどこかの視点位置に立つが、同様に、生きているかぎり主体は必ずなんらかの感情のもとにある。知覚風景のパースペクティブはそれが開ける主体の立つ視点位置を刻印しているが、それと同様に、知覚風景の相貌はそれが開ける主体の感情を刻印している。視点がそれぞれの主体に相関的な知覚風景の特徴であるように、感情もまた、それぞれの主体に相関的な知覚風景の相貌の特徴なのである。このパースペクティブで、この悲しみの相貌で、このように知覚風景が開けていることが、すなわち、私がこの視点位置に立ち、この感情を抱いているということにほかならない。開ける光景と別に「視点」という何かがあるわけではないように、開ける光景の相貌とは別に「感情」と呼ばれる心的状態があるわけではない。
 ここから私自身は、知覚風景のパースペクティブを相貌と区別して「眺望」と呼び、眺望論と相貌論を区別して論じていくことになる。》(『大森荘蔵──哲学の見本』166-167頁)
 その3、『心という難問──空間・身体・意味』。
 野矢氏はこの書物で、「眺望論」を、「知覚的眺望」(空間という要因から捉えられた世界の現われ)と「感覚的眺望」(身体という要因から捉えられた世界の現われ)の二つのパートに分けて論じ、これを完成させ、次いで、眺望論では捉えきれない知覚の豊かな側面を「相貌論」(意味という要因から世界の現われを説明する試み)として論じている(71頁)。
 そのあらましを、(哲学的滋味や含意や展望を捨象した)命題集のようなかたちで、ただし相貌論については若干の(あくまで私の目下の関心に即した)抜き書きをもって整理すると、次のようになる。
 
【T】知覚的眺望論
 
 T−1.眺望と眺望点
○「視点と知覚風景は同じ空間に属している」(79頁)。だから私たちは場所を移動して視点を変えることができる。そして、このことは視覚以外の聴覚・触覚・嗅覚・味覚についても言える。
○そこで、すべての知覚様態に共通するものとして、知覚的な世界のあり方を「(知覚的)眺望」と呼び、「視点」を一般化して「眺望点」と呼ぶ。「眺望点とは対象との位置関係である」(80頁)。
 
 T−2.眺望の複眼的構造
○大森荘蔵が立体の知覚に関して導入した「虚想」という反事実的な思いは、「現在の他の眺望点からの眺望に関する了解」と言い換えることができる。(84-85頁)
○この虚想論の洞察を距離の知覚に拡張することで取り出される構造、すなわち「ある眺望点からの眺望は他の眺望点からの眺望の了解がこめられてはじめて成立する」という構造を、眺望の「複眼的構造」と呼ぶ。(92頁)
○空間の観点(立体や遠近や接触)からは捉えにくい知覚様態(たとえば味覚)についても、「ある時点の眺望は他の時点の眺望の了解をこめられて成立する」という構造を指摘することができる。これは味覚だけではない。「あらゆる様態の知覚は時間的な複眼的構造をもっている」(95頁)。
 
 T−3.眺望地図
○特定の眺望点からの眺望は他の眺望点からの眺望と関係づけられなければならない(複眼的構造)。すなわち、「眺望地図」(無視点的な地図上の諸地点に、そこを眺望点とする眺望を描き込んだもの)と関係づけられねばならない。世界の有視点的把握は無視点的把握に支えられている。(101頁)
○眺望地図は知覚による新たな情報の取り込みよって、より詳細に描き込まれ(細密化)更新される。すなわち、無視点的把握は有視点的把握に依存している。「有視点的把握と無視点的把握は相互に依存しあっている」(105頁)。
 
 T−4.知覚の理論、非人称的な了解
○「知覚のあり方は対象・空間・身体・意味に関わる関数である」(107頁)。この「知覚の理論」を記号を使って表現すると「P=f(o,s,b,m)」となる。ここで「P:知覚のあり方」「o:対象のあり方」「s:対象との空間的位置関係」「b:身体に関わる要因」「m:意味に関わる要因」である。
(この式によれば「眺望」=「mが固定されたときのP」、「知覚的眺望」=「mとbが固定されoとsの関数として捉えられるP」、「感覚的眺望」=「mとoとsが固定されbの関数として捉えられるP」、「相貌」=「oとsとbが固定されmの関数として捉えられるP」となる。)
○知覚の理論には「誰が」という人称的要因は含まれない。知覚的眺望は「対象のあり方o」と「対象との位置関係s」だけの関数であって、それはあくまでも「非人称的な了解」なのである。(114頁)
 
【U】感覚的眺望論
 
○「痛み」もまたある眺望点からの眺望である。痛みの眺望点とは「身体状況」であって、「私」や「彼女」ではない。「眺望論は、こうして「痛み」の意味を感覚的眺望と身体的状況の関数において捉える」(127頁)。
○眺望論は類推説(私の経験をもとに、他人の観察可能な外面からその内面を推測する)とは違う。「類推説は私が経験によって知るのはあくまでも‘私の経験のあり方’だと考え、眺望論は経験によって私は‘世界のあり方’を知ると考える」(131頁)。
○知覚的眺望であれ感覚的眺望であれ、その眺望点は誰でもそこに立てば同じ眺望が得られる公共的なものである[*]。(149頁)
 
【V】相貌論
 
 V−1.物語
 
〇物語(時間性と可能性)によって意味づけられる知覚の側面が相貌である。
《ある一時点における知覚も、その時点だけの孤立した断片ではありえない。知覚は時間の流れの中に位置し、さまざまな可能性に取り巻かれている。私は、この点にこそ、知覚において〈空間〉〈身体〉と並ぶ〈意味〉という要因を見出す。この時間性と可能性を、眺望論は十分に捉え得ていなかったのである。
 そこで、知覚を取り巻く時間性と可能性という要因を取り出すため、「物語」という言葉を用いることにしたい。物語は現在の知覚を過去と未来の内に位置づける。そしてまた、私たちは現実の物語だけでなく、反事実的な可能性の物語も語り出すだろう。知覚はこうした物語のひとコマとして意味づけられる。物語に応じて異なった意味づけを与えられる知覚のこの側面が、「相貌」である。》(『心という難問』200頁)
〇世界はすでに物語の中にあり、私たちは物語世界の登場人物として生きている。
《有視点的に把握されるとき、世界はさまざまな相貌をもった眺望として現われる。相貌をもたない眺望に出会い、それをもとに主体が意識の内に相貌を形成するのではない。世界はすでに物語のただ中にあり、私たちはその物語の登場人物として生きている。そのことを強調して、この世界を「物語世界」と呼ぶこともできるだろう。私たちは物語世界に生きており、物語世界は世界自体が相貌に満ちている。》(『心という難問』238頁)
〇私たちはポリフォニー的な物語世界に生きている。
《私たち全員が登場する大きな一つの物語があるわけではない。私たちはそれぞれが主人公の別々の物語を生きている。いまたまたま複数の人たちが一つの場面に集り、行動をともにしたとしても、そこで共有されているのは断片的な粗筋でしかない、その一つの場面で、同時に複数の物語が進行している。(略)複数のメロディが同時進行している。私たちは、まさにポリフォニー的な物語世界に生きている。》(『心という難問』335頁)
 V−2.感情
 
〇悲しみはその理由に応じて千差万別であり、感情のあり方と感情の理由とは本質的な関係にある。
《ここで、ひとつのことを指摘してみたい。日本語で感情を表わす語彙は驚くほど少ない。(略)悲しみという感情の多様さに比してあまりにも語彙が貧困である。だがこれは、私の意見では、けっして悲しみに対する私たちの捉え方がずさんだからではない。むしろ逆ではないだろうか。悲しみのあり方はあまりにも千差万別である。だからそれをタイプ分けすることを日本語は放棄した。その代わり、悲しみはその理由に応じて千差万別であることをそのまま受け入れたのである。(略)悲しみの理由は無限に多様であるから、理由によって悲しみのあり方を特定することで、無限に多様な悲しみの質を表現できる。あとは、「少し悲しい」「とても悲しい」と、悲しみの大きさを副詞を用いて表わせばよい。このように、感情のあり方が感情を表わす語彙そのものによってではなく、その感情の理由によって表現されるということは、感情のあり方と感情の理由とが本質的な関係にあることを示唆しているだろう。》(『心という難問』226-227頁)
〇感情を反映した知覚は相貌である。
《では、感情を反映した知覚のあり方は相貌だろうか。私は「相貌」を、「物語によって決定される知覚の側面」と規定した。感情はその理由と本質的に結びついており、理由は記述に依存している。そして記述は物語を開く。(略)つまり、異なる理由で悲しんでいる人は、それぞれ異なる物語を生きているのである。それゆえ、感情を反映した知覚のあり方は、物語を反映した知覚のあり方として、すなわち、相貌として捉えることができる。》(『心という難問』228頁)
[*]「眺望点」(物語や感情を反映した眺望(=相貌)をもたらす「相貌点」を含めて)のひとつのヴァージョンとして、「詠歌点」なるものを考えることができないか。
 その「歌枕」は誰でもそこに立てば同じ「詠(なが)め」が得られる公共的なものである。そんなことが言えるとしたら、その「歌枕」と呼ばれる場所のことを「詠歌点」(詠歌行為の起点、累々たる和歌世界を一望する視点、和歌の「こころ」が湧出する場所、等々)と名ざすことによって、野矢茂樹氏の議論に、ひいては「和歌のパースペクティヴ論」に結びつけていけるのではないか。
《西行が命をかけて旅をし、芭蕉もまたそれにならった歌枕の旅は、日本にのみある芸術の鍛練のしかたであります。
 その詩の精神の奥底をさぐるべく、その作者がそれを作ったと伝えられるその場所に旅して、その場所に立ちつくして、その詩の精神の深さを探り求めるのであります。
 日本の美を形づくっていくにあたって、民族は、かかる世界に類例のない巡礼の旅、ピルグリムをしつづけたのであります。
 そして、時代が三百年、五百年と異なっているにもかかわらず、その場所に立って、その詩を作った三百年、五百年前の人のこころにじかにふれて、日本の美の奥底を、次から次に伝えてきたのであります。》(中井正一「日本の美」、朝日選書『美学入門』101頁)
■夢のパースペクティヴ、再び
 
 眺望論と相貌論をめぐる野矢氏の考察を追体験しているうち、私の脳内に、二つのアイデアが降りてきました。
 ひとつは、夢の中で見ているのは、実はリアルなイメージ(風景、光景・映像)ではなくて、そのイメージを現象させるアクチュアルなパースペクティヴ(風土、光源)の方だったのではないか、ということであり、いまひとつは、夢のパースペクティブの核心部分をなすのは、前章で述べた四つの次元のうち第三のもの、すなわち、私の語彙で言えば「気分け」によって出現する「リズム的・倍音的」な次元であって、野矢氏が論じていたのは、実はこの第三次元のパースペクティブにかかわる体験の実質だったのではないか、ということです。
 これらをめぐって、少し先走った議論と余談を挿みます。
 
 夢現象(夢体験)で肝心なのは、その内容、意味、理由ではなく、その形式と構造、夢の構成要素や夢同士の相互の関係性であること。ヴァレリーの「夢の幾何学」や渡辺恒夫氏の「夢の現象学」から学んだ、この力学的な原理を私の語彙でいいかえると、夢は伝導体である、となります。
 夢において伝導されるのは伝導現象それ自体である。つまり、そこで伝導されるのは、内容や意味や理由にかかわるリアルな事象ではなくて、たとえば色彩、音声など、井筒俊彦が「コトバ」と呼んだものが織りなすリズムや韻律、等々の形式や構造や関係性のアクチュアルな出現それ自体である。そういう意味で、夢は純粋伝導体である、と言っていいかもしれません。[*1]
 世界があらかじめ夢見られている(ガストン・バシュラール)として、夢見られているのは物質的な世界ではなく、リアルな物質世界(光景・映像)がそこにおいて現象する世界のあり方(光源)の方だと私は考えます。少し先走ったことを言うと、映画が「夢の引用」であるとして、そこで引用されるのは個々のシーンであるというよりは、それらのシーンをもたらすパースペクティヴの方なのであって、つまり、「夢のパースペクティヴの引用」としての映画の実質は、異なるパースペクティブのもとで現象する個々のシーン群を「モンタージュ」し、そうすることによって(語り得ず、見えないが)アクチュアルなパースペクティヴ群を「モンタージュ」することである。私はそう考えています。[*2]
 そして、リズム的・倍音的な第三次元のパースペクティヴ(野矢氏が論じた意味での「眺望」と「相貌」をもたらすもの)が、夢のパースペクティヴの核心をなすこと。詳しくは、追々考えていきたいと思いますが、いま脳内に降りてきたアイデアの骨格を述べておくと、それは次のようなものになります。
 まず、「P4⇒P3」の垂直的な動きを通じて「P3」が生起し、次いで、この「P3]によってひらかれる世界において「P1⇔P2」の水平的な運動が展開される。
 この、広義の夢のパースペクティヴをめぐる図式の中核をなすのが「P3」であって、そこでは「私が見つめる事物は、私が見るのと同じほど私を見つめる」(ヴァレリー)という「アウラ」的知覚が立ちあがる。そこはまた、自分の声を「いま、ここ」で聴く「声」(voice)の領域であり、能動態(active voice)と受動態(passive voice)の「あわい」、すなわち「中動態」(middle voice)の世界である。(「詠歌者の心=声」と「詠まれた心=声」のあわいに立ちあがる「詠みつつある心=声」の世界?)
 こうして、夢のパースペクティヴの核心部分を名指す、いまひとつの言葉が炙りだされてきました。[*3]
 
[*1]このことは、ひとり夢だけでなく和歌や物語、能や浄瑠璃や歌舞伎、絵画や書、花や香や茶、等々の日本の文芸や芸能、はては武道における表現とその伝承に通じている。そもそも私は、紀貫之は夢の世界の存在様態と夢の体験そのものを詠んだ、という仮説をたてて、この論考群を書き継いできた。(着地点を見いだせないまま、目先の浮遊物にすがって漂流している、このもう充分長くなりすぎた悪戦苦闘は、どこかしら覚醒を先延ばしする夢体験を思わせる。)
 ここで「傍証」として『日本問答』での松岡正剛氏の発言を引くと、松岡氏はそこで、「ぼくは日本の和歌や物語は文芸というより、日本文化の大切なものを保持しておく情報編集装置だったと思っている」(117頁)と述べ、和歌や物語が保持する「日本文化の大切なもの」のことを「面影」と呼んでいる。
《紙や布や器の上に、花鳥風月や雪月花や源氏や平家が意匠として乗るんじゃなくて、もともとそれらに関する‘面影の分母’みたいなものがあって、それが濃くなったり近寄ったり、輪郭をつけたり余白をつくったりして、花鳥風月を変奏している。面影カメラで追っていくと、それがよくわかる。花鳥風月や雪月花は、画題や主題なのではなくて、絵画や着物や陶芸といったメディアを乗り換えながら日本の面影を編集している方法だと見たほうがいいのだと気がついたんですね。
 そうだとすると、ではいったい何が変奏され、何が出入りし、何をもって組み立ての基本においているのか。それは「面影の保持」のためなのではないか。その面影が「うつろい」をもって、歴史のなかを素材やメディアを乗り移りながら動いてきたのではないか。》(『日本問答』96頁)
 また、西洋美学にいう「イメージ」と「面影」の違いを次のように語っている。
《イメージは、リアルやロゴス(言語)ときちっと対応しているでしょう。その奥には聖書や神話の構造があって、それがルネサンス美術やロマネスクや古典主義という様式になっている。(略)それに対して、日本のイメージはそもそもがリアルに対応していない。むしろリアルに代わる「もどき」なんです。リアル以上と言ってもいいかもしれない。》(『日本問答』98頁)
 蛇足だが、松岡氏が「情報編集装置」と呼ぶものが持つ「はたらき」のことを、私は「伝導」と名づけている。また「リアル以上」のものとされる「面影」のことを、「アクチュアルなパースペクティヴ」と呼びたいと考えている。
 
[*2]さらに先走ったことを書きつけておくと、私は、「モンタージュ」という映画的技法(引用)と同類のはたらきを、国語学にいう詞と辞のうちの「辞」、すなわち「テニヲハ」や「脚結(あゆい)」に見ることができるのではないかと考えている。言語表現の世界、文法の世界におけるパースペクティヴなるものを考えることができるとして、異なるパースペクティヴを重ね合わせ、あるいは交換させる機能を担うものとして(少なくともその一例として)「辞」をとらえることができるのではないかと。
 次の文章は、坂部恵の「ことだま──富士谷御杖の言霊論一面」の一節で、以前、第6章で引用したものだが、ここに書かれた「もはや人称的規定を脱した情念の深みの原初の律動をさながらにつたえるもの」という表現が、リズム的・倍音的なパースペクティヴ体験の実質を、そしてまた純粋伝導体としての和歌における情念のモンタージュ技法の実質を、余すところなく伝えているように私には思える。
《〈ひたぶる心〉からの言霊の生成とはたらきにおもいをひそめ、詞の裏境や倒語に考えおよんだ御杖にとって、このような脚結についての透徹した思考は、その究極の到達点のひとつにほかならなかったはずである。「心うべき事はすべて両端をいはざれば、その理尽きざるを、片方ばかりをいひて、両端を知らする」ものとしての脚結は、所思・所欲の原初の分節のあり方を示し、世界を意味づける網の目のもっとも基本的な結節点を示し、さらにまた、歌の修辞にあっては、多く各句のしめくくりの位置に立つことによって、もはや人称的規定を脱した情念の深みの原初の律動をさながらにつたえるものでもある。『和歌以礼ひ裳』に並べられた、脚結以外の部分をすべて空白にした多くの歌の群[例:「○○○○に○○て○○○の○○○せば○○の○○○は○○○からまし」──引用者註]は、このような脚結のはたらきを、おのずから示しているとみることができるだろう。
 ここには、中世の『手爾葉大概抄』に発して、宣長の『詞玉緒』、ほかならぬ御杖の父成章の『あゆひ抄』から、鈴木朖の『活語断読譜』にいたって一応の大成をみ、さらには春庭、時枝誠記にまで受け継がれて行く日本語のいわゆる〈辞〉についての思考が、その途次に結んだ、きわめて特色ある思索の結実がみられるのである。》(『仮面の解釈学』234-235頁、『坂部恵集4』110-111頁)
[*3]『心という難問』は、第二十九回和辻哲郎文化賞(学術部門)を授賞している。その「授賞のことば」に野矢氏は、この著作で「ようやく世界と他者とに再び出会えた」と書き、また「選考委員評」に鷲田清一氏は、受賞作のなかで試みられた「素朴実在論の擁護と再構築という仕事」をめぐって次のように書いている。
《〈世界〉とは私がいま、こで経験しているものであり、またそうでしかありえない以上、私が意識していなくても存在しているはずのそういう〈世界〉を知るにもしかし、私の意識体験のありようから出発するしかないとする袋小路のような思考法が、西洋近代の哲学思考を縛ってきた。そのつどさまざまに現われてくるものと、その向こうにあって変化しないもの、つまりは〈意識〉と〈実在〉の二元論という枠組みである。この〈意識〉という枠を外して、〈世界〉がそこへと立ち現われてくる知覚と感覚とを、あくまでその接触面で分析しようというこの試みは、日本語で「見える」「聞こえる」といわれるような―《意識の哲学》が翻訳調で記すような「私は見る」「私は聞く」ではなく―、あるいは古代ギリシャ語で中動相といわれるような経験のありようを、〈眺望〉や〈相貌〉という概念を使って分析するなかで、〈世界〉の現われがそもそもある「虚想[フィクション]」を、ひいては「意味」や「物語」を含み込んだ、他者たちとともになされる「公共」的な作業であることを示そうとする。》
■中動態の世界─参照すべき議論2
 
 ここで、中動相もしくは中動態の世界をめぐって、國分功一郎著『中動態の世界──意志と責任の考古学』の議論を参照します。以下の「要約」は、多くの大切な論点(アレントやスピノザをめぐる濃い議論、英文学者・細江逸記の驚くべき論文の話題、等々)を捨象し、私自身の関心と当面の議論への「活用」という目的に沿って、勝手に編集した私家版にほかなりません。
 
1.「態」(voice)をめぐる大きな変動の歴史
 
○『中動態の世界』には「パースペクティヴ」という語の「特異」な用例が頻出する。たとえば、「歴史のある時点で、何らかの理由から能動と受動を対立させるパースペクティヴが言語のなかに導入された」(35頁)。
○あるいは、「かつて能動態と中動態とを対立させるパースペクティヴが存在した。そしてそのパースペクティヴは、しだいに、われわれのよく知る能動態と受動態とを対立させるものへと変化していったのだが、さまざまな理由からこの変化は意識されなかった。」(68頁)。
○「ラカンもどうやら態をめぐるパースペクティヴの変化には注意していないようである」(77頁)や、「われわれがそのなかに浸かってしまっている能動対受動というパースペクティヴを一度括弧に入れ」て「失われたパースペクティヴをなんとか取り戻さねばならない」(80頁)といった言い方もある。
(いま引いた後段の文章が含まれる「失われたパースペクティヴを求めて」の項では、全17行中8回も「パースペクティヴ」の語が用いられている。これはもちろんひとつの比喩表現であり、そしておそらく國分氏の口癖であると思うが、それにしてもこの頻度は尋常でない。)
 
2.「中動態」─失われたパースペクティヴ
 
○ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第621節。「「私が自分の手をあげる」とき、私の手があがる。ここに一つの問題が現れる。私が自分の手をあげるという事実から、私の手があがるという事実を差し引いたとき、そこに残るのはいったい何か?」
○「おそらく多くの人はこれに「意志」や「意図」と答えるであろう。……だが、ウィトゲンシュタインのこの引き算式は、単に引き算の答えを求めているのではない。これは「意志」やら「意図」やらを、あくまでも‘構文の差’として、すなわち、‘構文のもたらす効果’として捉えようとする視点の提示であり、またそれについての問いかけである。」(36頁)
○「ウィトゲンシュタインは構文に注目した。われわれは態に注目する。すでに述べたように、態には大きな変動の歴史がある。態に注目することでわれわれは、歴史を無視した構文の意味論的分析を避け、言語の歴史に注目できるようになる。」(37頁)
○「文法を論じるということは、自分たちが従っているにもかかわらず、完全に意識することはできない、そのような不思議な何かを相手にするということである。」(72頁)
《中動態はあるときから抑圧された。能動態と受動態を対立させるパースペクティヴこそが、この抑圧の体制である。われわれはこのようなパースペクティヴのなかにある言語を、尋問する言語と呼んだ。その言語は行為者に尋問することをやめない。常に行為の帰属先を求め、能動か受動のどちらかを選ぶよう強制する。
 しかし、心のなかでの抑圧が、一度行使されればその後も変わらず影響力を行使できるといった類のものではなく、抑圧し続けるために常に強いエネルギーを必要とするのと同様、言語における抑圧もまた、それが行使され続けるためには強いエネルギーを必要とするだろう。
 中動態に関して言えば、行為の帰属や意志の存在をめぐる強い信念こそがそのエネルギーの源であったように思われる。しかし、これは言い換えれば、そうした抑圧が弱い地点や、それが弱まった際には、抑圧されていたものが再び現れ出るかもしれないということである。
 これは精神分析で言う「症候 symptom」のようなものである。抑圧されていたものが、形を変えて現れるのだ。その意味で、こうした表現[“to be born”や“I am to blame”や“Your translation reads well”等々──引用者註]は、中動態という“抑圧されたもの”の回帰として捉えられるべき現象である。》(『中動態の世界』195頁)
3.「中道態 middle voice」とは何か?
 
○「能動態、受動態、中動態という三区分で態を分類するということは、能動態と受動態を対立させたうえで、その間にある中間的なものとして中動態を位置づけるということである。」(73頁)
○バンヴェニストによる中動態の定義。「能動と受動の対立においては、‘するかされるか’が問題になるのだった。それに対し、能動と中動の対立においては、主語が過程の‘外’にあるか‘内’にあるかが問題になる。」(88頁)「中動態は動詞の示す過程の内に主語が位置づけられる事態を示し、能動態はその過程が主語の外で完遂する事態を示す。」(100頁)
○バンヴェニストの定義から明らかになる「驚くべき」事実。すなわち「在る(存在する)」や「生きる」が能動態に属すること。「「能動性」とは単に過程の出発点になることであって、われわれがたとえば「主体性」といった言葉で想像するところの意味からは著しく乖離している。」(91頁)
《…次のように言えよう。中動態が失われ、能動態が受動態に対立するようになったときに現れたのは、単に行為者を確定するだけではない、行為を行為者に帰属させる、そのような言語であったのだ、と。‘出来事を描写する言語’から、‘行為を行為者へと帰属させる言語’への移行──そのような流れを一つの大きな変化の歴史として考えてみることができる。》(『中動態の世界』176頁)
4.日本語にも中動態は存在していたし、存在している。
《「見える」という動詞について考えてみよう。この動詞は「見る」という‘他動詞’と対の関係にある‘自動詞’だが、それが‘受動’の意味から派生したものであることは明らかである。それは自動詞でありながらも、“which is seen”や“which is to be seen”と翻訳される意味をもつ。「見える」はしたがって、自動詞と受動態の意味をそこから導出することのできる中動態に対応する動詞として考えることができる。
「見える」は文語では「見ゆ」である。同じ系統の動詞にはたとえば「聞こゆ」や「覚ゆ」などがある。この語尾の「ゆ」こそが、インド=ヨーロッパ語で言うところの中動態の意味を担っていたと考えられる。
 この語尾はその後、動詞の複雑化に伴い、「ゆ」および「らむ」へと分岐する。今日にも伝わる「いわゆる」や「あらゆる」といった表現はその名残である。それぞれ「言う」と「有る」にこの語尾が付いて形成された語だ。》(183-184頁)
5.「動詞の憶測的起源」の説
《中動態は自動詞だけでなく、他動詞や使役動詞を生み出すのだった。これはすなわち、中動態には能動態を生み出すポテンシャルが秘められていることを意味する。それに対し、能動態にはそのようなポテンシャルは見出せない。
 また、動詞は非人称動詞として出現したのだった。出来事を単に出来事として名指すこの原始的な動詞形態の観念は、中動態が表現する「自然の勢い」の観念に非常に近い。
 ならば、完全な憶測であることを断ったうえで、次のようには考えられないだろうか。──非人称として生まれた動詞はまず、‘中動態へと継承される意味を獲得し’、その後、能動態を生みだしていったのではないか。すなわち、能動態に先行して中動態が存在していたのではないか。(略)
 名詞から発展した動詞はまず非人称動詞としてあった。それは発達のなかで、後に中動態によって担われることになる意味を獲得していく。そしてさらなる言語の複雑化のなかで、中動態は自らに対立する能動態をその派生体として生み出す。能動態と中動態の蜜月関係は長く続いた。しかし、あるときから中動態は自らが生みだしたもう一つの形態である受動態にその地位を奪われていく。やがて受動態は能動態と対等の地位にまで上りつめ、中動態はその存在すら忘れられ、それが担っていた意味は、分割されて、他の諸表現──自動詞、再帰表現、使役表現等々──に相続されることになった……。
 本書は以上を「動詞の憶測的起源」としてここに提示したいと思う。》(『中動態の世界』190-191頁)
■作るものと作られるものの「はざま」─中動態の世界、余録1
 
 中動態(相)をめぐって、いくつか気になることがあるので、以下、備忘録がわりに、関連する話題を拾っておきます。
 
◎木村敏は『坂部恵──精神史の文脈を汲む』に寄せた「坂部恵さんと「中動相」のこと」の中で、次のように書いている。
《この対談では、前年のご自身の発表「ポイエーシスとプラグマ」にちなんで、「作る」という作業と「作られた」作品、アリストテレスのデュナミスとエネルゲイア、西田幾多郎の「作るものはまた作られたものとして作るものを作って行く」という命題、そしてなによりも、古代ギリシア語で能動と受動をともに含んでいる「中動相」という語法について、豊富な蘊蓄を傾けたお話しは尽きるところを知らなかった。》(『坂部恵──精神史の文脈を汲む』30頁)
 冒頭の「この対談」は、2008年に京都で行われ、翌年刊行された木村敏・坂部恵共同監修による「臨床哲学の諸相」シリーズの二冊目『〈かたり〉と〈作り〉』の巻頭に置かれた「〈作り〉と〈かたり〉」を指し、「前年のご自身の発表」は、2007年開催の「第7回河合臨床哲学シンポジウム」において発表された「ポイエーシスとプラーグマ──ふり・かたり・つき」を指す。(ちなみにこの発表論文は、前章でとりあげた浜渦辰二の「ナラティヴとパースペクティヴ──「(かたり)の虚と実」をめぐって」ともども『〈かたり〉と〈作り〉』に収録されている。)
 また、木村氏が引用する西田幾多郎の命題は(「絶対矛盾的自己同一」にも「作られたものが作るものを作る」云々の表現が見られるが、直接的には)「行為的直観」の次の箇所を出典とする。「作られたものは作るものを作るべく作られたのであり、作られたものということそのことが、否定せられるべきものであることを含んでいるのである。しかし作られたものなくして作るものというものがあるのでなく、作るものはまた作られたものとして作るものを作って行く。これが歴史的実在の弁証法的運動である。」(岩波文庫『西田幾多郎哲学論文集U』308頁)
 
◎木村敏と坂部恵の対談「〈作り〉と〈かたり〉」は、無尽蔵な刺激に充ちている。
 いまその一端を抽出すると、対談の冒頭、木村氏が「たとえばエネルゲイアとしてアクチュアルな、現勢的な自己というものがまとまった形として出てくるためには、そのデュナミスがなくてはいけないわけですからね。エネルゲイアとデュナミスの「はざま」ということも、あのときにおっしゃっていませんでした?」と投げかけ、坂部恵が「言ったかもしれませんね。私もいま、西田の話で改めて考えましたけど、やっぱり西田がポイエーシスというときには、ポイエーシスでふくらまされない、ポイエーシスを豊かに含まないエネルゲイアというのはそれだけでは貧しいというような直感があるんじゃないかと思うんですね」と応じる(『臨床哲学対話 あいだの哲学──木村敏対談集2』78-79頁)。
 かくして「私が見つめる事物は、私が見るのと同じほど私を見つめる」という「アウラ」的知覚と、「見える=見ゆ」の「ゆ」[*]と、「作るものはまた作られたものとして作るものを作って行く」という「歴史的実在の弁証法的運動」と、そして「エネルゲイア」(=作られたもの、現勢態、アクチュアリティ)と「デュナミス」(=作るもの、潜勢態、ヴァーチュアリティ)の「はざま」とがつながる。すなわち「中動態の世界」に関連する概念、語彙、命題、場所が数珠繋ぎになっていく。
 いまひとつ、対談の最後「時間のパースペクティヴ」の項から引く。木村敏が「es wird gewesen sein、未来から見れば現在や過去はこうだった」という時間的なパースペクティヴの話題をもちだし、坂部恵が「ア・プリオリな完了態」(ハイデガー)の話題で切り返す。日本語には未来と過去をきちんと表す語がないと木村が指摘し、日本語は「枯枝に鴉のとまりけり秋の暮れ」の「鴉」の単数複数を区別しないレベルで(エネルゲイアではなくデュナミスのレベルで、木村の言葉で言えば「ストーリー」ではなく「プロット」のレベルで)どんどん行ってしまうと坂部が語る。
 
◎ところで、先に引用した木村敏の文章にはその続きがある。
《一方わたしのほうでも、そのしばらく前からデカルトの「コギト・エルゴ・スム」についてのミシェル・アンリによる解釈に触発されて、ヴィデオル(「見える」「思える」)というラテン語の中動相と西田の場所的・述語的自己との深い関係を、統合失調症の「自我障害」と関係づけてしきりに考えていたところだったので、坂部さんとは一気に共鳴して時の経つのも忘れるほどだった。》(『坂部恵──精神史の文脈を汲む』30-31頁)
 ここで言及されたアンリのコギト解釈を、木村氏は「中動態的自己の病理」(『あいだと生命 臨床哲学論文集』五章)で次のように解説している。
 いわく、デカルトが『省察』に書いた「(私には)……と見える、思われる」の部分のラテン語 videor は中動態の用法であって、私の感覚に対して光、物質、熱などの現象が(いわば共通感覚的に)現れ感じられる事態を指す。デカルトの「コギト」とは「自己自身を自ら感じることであり、現れることのそれ自身への本源的現れ」(ミシェル・アンリ『精神分析の系譜──失われた始原』)である。
 木村によると、統合失調症においては、このような人称以前的なアンリ的「自己」すなわち「感覚の純粋な自己触発」と、一人称的なハイデガー的「自己」すなわち他と交換不可能な「この私」とを結ぶ関係そのものが病的に変化している。
《言い換えれば、特殊人間的な自己意識において表象されるリアリティとしての「私」と、その生命的根拠を形成するアクチュアリティとしての「主体それ自身」との‘差異そのもの’が、統合失調症という精神医学的な事態を担っている。統合失調症においては、感覚の自己触発の「場所」としての中動態的な「主体」あるいは「自己」が成立不全に陥っている、といっても同じことである。》(『あいだと生命 臨床哲学論文集』126頁)
 木村氏は続いて、「驚くべきことに」、日本語では中動態に相当する語法が現在でも広く行われていること(「思える」「見える」「聞こえる」「匂う」「薫る」「……の味がする」「私には……ができる」)に言及し、金谷武洋(『英語にも主語はなかった──日本語文法から言語千年史へ』)による中動態の機能の定義「行為者の不在、自然の勢いの表現」を紹介したうえで、アンリ的「自己」とハイデガー的「自己」を、古代ギリシャ人が区別した「ゾーエー」(生命以前・生死未分の根源的「生」)と「ビオス」(個体的な「生命」あるいは「人生」)に対比して論じる。
 いわく、「行為者不在」のソーエー的生命活動を通じてビオス的生のうちに不断に送り込まれる「自然の勢い=自他未分の生命的自発性」によって、性の欲動、生殖への欲動といった感覚が「触発」される。
《個人はその「自己」と言う場で、ゾーエーとビオスの接点、ゾーエーがビオスに流れ込む物理的身体性という「個別化の原理」との関係、いわば「主体内在的」な「自己と自己のあいだ」をもつ。同時に各個人は身近な他者との間に、とくに「生殖」という営為にとってさまざまな意味をもつ両親、異性、同性の他者たちとの間に、さまざまな「間主体的」な「自己と他者とのあいだ」をもつ。この二種類の「あいだ」、いわば垂直的で「内主体的」な「あいだ」と水平的で「間主体的」な「あいだ」は、現象学的には等根源的 gleichurspru:nglich と考えられる。
 ゾーエーからビオスがまさに個別化しようとする発生機[ママ]の「あいだ」の場所に、まだ主格ないし対格の「私」としては、主語ないし客語の「自己」としては実体化していない、中動態的な「自己」、西田のいう「述語的・場所的な自己」が、「生の自己触発」「感覚の自己感受」としての cogito sum として成立する。統合失調症で危うくされているのは、この「コギト・スム」なのではないか。》(『あいだと生命 臨床哲学論文集』135頁)
 リアリティとしての「私」とアクチュアリティとしての「主体それ自身」との「差異そのもの」、「ゾーエーとビオスの接点」、「自己と自己の垂直的で内主体的なあいだ」、「自己と他者との水平的で間主体的なあいだ」──ここでも、「中動態の世界」につながる概念や語彙や場所が数珠繋ぎになっていく。
 
[*]北山修著『評価の分かれるところに──「私」の精神分析的精神療法』は、「ゆ」の音に即して「意味と音が分ち難く結びつく現象」について論じている(第9章「自然と「ゆ」)。
 北山氏はまず『日本国語大辞典』から「ゆ」「ゆう」の音で読まれる漢字の意味を渉猟し、それらがポジティブな経験(由、有、容(裕)、游、湧、愉、癒、等々)をカバーしていること、しかしその一方で抑うつ的体験(憂)や神聖清浄・畏怖(斎(ゆ)、由々し)を意味することがあるのを見たうえで、「ゆ」の経験がもつ二重性、過渡的・中間的な特質(「ゆ」は覚める・醒める・冷める)を指摘する。
 そして「ゆ」の意味論で忘れてはならないのが、それが「自然に湧出する油田のごとく、心の地下に潜在する、価値あるエネルギーの湧き出る」(218-219頁)ものであること、つまり「湧いてくる」という自然現象を伴うこと、また「ゆ」が外と内の間、境界、中間地帯にかかわるものであることを強調する。「最も深刻で困難な状態として、精神分析で自我境界の問題と言われてきた、精神的に殻や皮膚のない心や、壁のないケースがあります。融解の「ゆ」の中でその身が溶けてしまうというケースのあることも症例報告集……で述べました」(223頁)。
 同書の「はじめに」に記されたテーゼ「AがBになるためには「A+B」という中間や二重性が許容されねばならない。」も興味深い。
 
■作りつつ作られる円環運動─中動態の世界、余録2
 
 西田幾多郎の「歴史的実在の弁証法的運動」に関連して。
 
◎『福岡伸一、西田哲学を読む──生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』で、西田幾多郎の「逆限定」の概念、すなわち環境と主体の関係が「包まれつつ包む」というかたちになっていることに関して共著者・池田善昭氏が挙げた年輪と環境のたとえ、「普通の考えでは、環境が樹木を限定するはずなのに、樹木のほうが逆に環境を空間の中に限定してもいる」(84頁)をめぐって、福岡伸一氏は次のように語っている。[*]
《十分に理解できなかったのは、「包む・包まれる」の実相についてでした。「包む」と「包まれる」が逆向きの作用である、というところまではわかったんですけど、私が陥った陥穽は、それが単に視点の移動に過ぎないのではないか、つまり、能動態[年輪が環境を包む]を受動態[環境が年輪に包まれる]に言い替えているにすぎないのではないかと思ってしまったことでした。(略)
 そうして段々「ああ、そうなんだ」とわかったことは……「年輪が環境を包む」というのは、同時に「年輪が環境に包まれている」とも言えるということ。(略)
 逆限定においては、「環境が年輪を包む」ということは同時に「環境が年輪に包まれる」ということを含んでいて、それは「包む・包まれる」という言い方で──これは「作る・作られる」という言い方に置き換えてもいいのかもしれませんが──、つまり、ピュシスにおいては、環境が年輪を作ると同時に環境は年輪によって作られている、と。(略)
 作用の方向としてロゴス的にも言えることは、「環境が年輪を作っている」という方向がまずあります。このことは誰でもそうだと認めるでしょう。しかし、同時に、環境は年輪によって作られてもいる、そうした逆向きの方向があるということなのです。
 過去の環境が年輪を見ればわかるということは、それが年輪によって作られているからですし、たった今も樹木は生きつつあって環境に作用を及ぼしています。さらに、未来においても年輪は常に環境に影響を及ぼすわけです。つまり、環境は年輪によって作られているし、環境は年輪を作っているわけで、それはまさに同時的な存在として逆限定的に作用しているということ。このことがようやくわかりました。》(『福岡伸一、西田哲学を読む』134-135頁)
◎福岡氏は、「包みつつ包まれる」あるいは「作りつつ作られる」という逆向きの作用が同時に起こっている「ある種の円環(運動)」が、実は時間を生み出しているのではないかと語る。
《これまで私は、細胞における合成と分解ということについて、それが同時に起こっているということはわかっていたんですけれど、そのことに対して「先回り」をするという表現を用いてきました。これはある種ロゴス的な言い方なのかもしれませんが、ある作用を起こすときに同時にその逆の作用も起きているということを言いたいがために、一つの作用に対して、「先回り」して他方が行われているのだ、と表現しています。(略)
 ですから、やはり「動的平衡」における合成と分解、あるいは年輪のたとえでの「包む・包まれる」、すなわち「逆限定」ということが時間を生み出している本体であると言うことができる。
 このときはじめて次のように言うことができると思うのです。
 つまり、点としての時間、時刻というか、点の集合として「ゼノンの矢」を構成する、そうした点の矢が、どうして実際のピュシスの世界において滑らかに繋がれているのかは、相反することがたえまなく起こっているがゆえに、そこから時間が湧き出しているからだ、と説明できるわけですよね。》(『福岡伸一、西田哲学を読む』136頁)
 この発言を受けて池田氏は、「西田幾多郎が「逆限定」や「絶対矛盾的自己同一」といった言葉を使って表現したかったのは、まさにそのことだったのです。」と応じている。──湯や石油がそこから湧き出すように、中動態の世界から時間が湧き出してくる。
 
 少し迂回、というか回遊が過ぎたかもしれません。中動態の世界に興味は尽きませんが(たとえば、フロイトやベンヤミンやウィトゲンシュタインの思考と中動態との関係)、これ以上の深入りは断念して、次に進みます。
 
[*]森山徹著『モノに心はあるのか──動物行動学から考える「世界の仕組み」』で、モノの心をめぐる不思議な、しかし魅力的な議論が展開されている。
《ところで、心は、私たちが普段モノと呼ぶ対象において観察可能なはずです。なぜなら、既に述べたように、私たちは、世界の中の個々の対象を、要素から成る全体としてしか認識することができないからです。私たちは、「まったく一つから成るモノ」を、想像することができないのです。したがって、あらゆるモノは隠れた活動体、心を持ちます。そして、私たちは、モノを未知の状態に遭遇させ、予想外の行動を観察することで、その心の存在を確かめることができるはずです。》(『モノに心はあるのか』188頁)
 たとえば、熟練した石器職人は「石の心」を知っている(感じている)。
《石の個性に気づいた職人は、石の内部でそれを生成する何者か、すなわち、「隠れた活動体」の存在を知ることになります。すなわち、職人は、石を打ち、石がカツンと響くとき、石は、[打たれる、響く]を発動し、同時に、その内部に潜む、[打たれる、振動する]が響きを修飾することを知るのです。そして、石の「響く」という行動を修飾する「振動」の多様性に興味をもつにつれ、石を様々な方法で打ち始め、やがて、振動の仕方を職人は制御できないこと、すなわち、個々の石は多様な振動を自律的に発現することを体験するでしょう。
 そうするうちに、やがて彼は[打たれる、割れる]も当たり前に石の内部に潜むこと、更に、その活動を「石の自律性に任せて引き出す」ことは、多様な振動を引き出すことと同様に可能であることを知るでしょう。そして、やがては石核を打ち割る打ち方を見出すのでしょう。だから、職人は「石は割れてくれた」と表現するのです。》(同394頁)
 
(39号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」38号(2019.08.15)
<哥とクオリア>第53章 夢/パースペクティヴ/時間(その4)(中原紀生)
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