Web評論誌「コーラ」37号/哥とクオリア 第51章 夢/パースペクティヴ/時間(その2)

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Web評論誌「コーラ」
37号(2019/04/15)

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■夢の幾何学1
 
 ヴァレリーの死後、『カイエ』が出版されたとき、人々がもっとも驚いたことのひとつは、そこに夢に関する大量の断章がふくまれていたことだった。塚本昌則氏は、『ヴァレリー集成U〈夢〉の幾何学』の「解説」をそう書き始めています。
 一巻九百頁以上の手書き複製原稿で二十九巻ある『カイエ』の出版が明らかにしたことは、ヴァレリーが、同時代のフロイトの考察やプルースト、シュルレアリストたちによる表現の豊かさに匹敵する夢理論の探求者であり、同時に自らの詩学に夢の力を取り入れようとした詩人であったということである。「しかも、このヴァレリーの知られざる夢研究を読み進めるものは、ある一貫した思考と同時に、どうやって解消できるかわからないような矛盾をそこに見出して、この総体がどれほどあるかわからない断章群のもつ錯綜した力に圧倒されることになる。これはただひとつの、あるいはいくつかの視点から整理できるようなテクスト群ではない。」(590頁)
 塚本氏による浩瀚な「解説」は、ヴァレリーのテクスト群がもつ錯綜した力に圧倒されることなく、そこにはらまれている「夢の幾何学」の方法と論理、そして「夢の詩学」の可能性を鮮やかに摘出するものでした。以下、叙述の流れにそってそのエッセンスを断片的に抜きだし、概観しておきたいと思います。
 
T.夢の幾何学の基本的な方向
 
【1】夢の不在、あるいは夢の記憶の現象学
 
〇人が夢について知りえることは、目覚めた時に夢として見出される記憶から来ることになる。「夢はつねに、目覚めた人間に現れる一個の‘記憶’にすぎない」[291頁]。ヴァレリーは繰り返しこの事実を取りあげ、この事実を出発点として夢について考えようとする。一種の夢の記憶の現象学である。「夢は定義上、ひとつの〈‘かつてあったもの’〉である」[336頁]。(596頁)
 
【2】夢の合成、あるいは目覚めたまま夢を見ること
 
〇覚醒した意識がどのような特性にしたがっているのかを分析し、その特性を変形してゆくことで、ヴァレリーは夢の幾何学を作りだそうとした。(598頁)
〇ヴァレリーにとって、夢は無意識の問題ではなく、意識の問題だった。(599頁)
〇睡眠下の意識と覚醒した意識を隔てるものは、ヴァレリーによれば要素の違いではなく、要素をどのように結びつけるかという結合の違いである。(600頁)
〇その[ヴァレリーの夢の研究の]目指す最終地点は、目覚めたまま夢を見ることだろう。(600頁)
〇「夢は、それが不在の間にしか観察されない現象である」[137頁]とまで言ったヴァレリーが、覚醒時の最中に、意識的な操作を重ねることで夢を現出させることを目指している点に、「夢の幾何学」の大きな特徴がある。(601頁)
 
【3】紙の上の夢、あるいは夢のエクリチュール
 
〇ここで「夢の合成」が、ヴァレリーにおいては、書くという行為と密接に結びつく形で現れている点に注意すべきだろう。(603頁)
〇『カイエ』に幾枚も書かれた「放心のデッサン」は、意識に統御されない「紙の上の夢」[333頁]の追求となっている。いずれにせよ、「夢の合成」の実験は、ヴァレリーにとって、まず何より書くことによって実現されるべきものなのである。「夢の宇宙を構築すること──それは意識そのものが意識の対象と同じ力、同じ源泉、同じ一貫性を持っているような体系の方程式を‘書く’ことだろう」[338頁]。ヴァレリーは「方程式を書くこと」によって、覚醒時のさなかに夢を現出させるという仮定的空間を創造しようとした。そして、この人工的な試みは、ヴァレリーにおいてしばしば起こるように、次第に現実的なものに置き換わる強度を備えたものになってゆく。(603頁)
 
【4】夢の総和としての覚醒時、あるいは夢研究のパラドックス
 
〇覚醒時をどのように変形していけば夢に到達できるのかを考えているうちに、「覚醒時それ自体が、さまざまな訂正と隠された連結の作用によるかのようにして、中断され、相殺され、修正される小さな夢の総和」[283頁]なのではないかと彼は次第に感じはじめる。構築された夢の後には、無数の夢によって構成された覚醒時がやってくる。こうして『カイエ』には、夢は覚醒した意識によっては把握できないという見方と、夢と覚醒時には通底した部分があるという見方とが共存することになる。(604頁)
 
U.夢の幾何学に内在する基本的な論理
 
【5】方法としての「擬態」
 
〇ヴァレリーには、夢の合成を覚醒した意識の粋を集めてなそうとするのではなく、プルーストのように「肉体のありとあらゆる力を注ぎ込んで」なそうとすることがしばしばある。ヴァレリー自身はこの態度[=自分の身体をある想像された眠る人の身体に重ね合わせることによって、もし自分が眠りに落ちたとすれば、その時意識がどのような状態にあるかを想像し、その状態を自ら装うという態度(608頁)]を、夢の擬態[シミュラシオン]と名づけている。これまで見てきた夢研究の方法を通時的にたどりなおしてみると、実際には夢の擬態のほうが、夢の合成より先にヴァレリーのなかで形成されていたことがわかる。(605頁)
 
【6】液体の「相」としての夢
 
〇覚醒と睡眠はふたつの相容れない相[ファーズ]であるというとき、ヴァレリーはしばしばその対立を固相と液相の対立に結びつけるようになる。……夢の記憶、そして夢の物語は、液体の相に属する夢そのものを固体の相に移し換えたものであり、その過程で必然的にゆがみが生じるとヴァレリーは主張するのである。(611頁)
〇身体の変容が夢の幾何学に取り入れられることで、睡眠をめぐる描写に数多くの隠喩が提供されることになる。たとえば、目覚めは水面に浮上する人のイメージによって喚起される。……眠りに就く人は、沈みかけた船である。(612頁)
 
【7】「錯綜体」と「無意識」[*]
 
〇ヴァレリーは「錯綜体」を通して、精神が絶え間ない生成であること、どのような障害によってもその産出力は妨げられないことを主張しているのであり、彼の「夢の幾何学」もまた、精神の自由な産出力を強調することを目標としているのである。それに対して、フロイトの「夢解釈」は、心的な〈抵抗〉を解除しながら、偶然に見える形象がいかに無意識的願望によって決定されているかを明らかにしようとするものである。精神というものに対して、二人が抱く心象[イマージュ]は正反対のものである。一方には、偶然にしたがって潜在的な能力を自由に組み合わせて行くという心象があり、もう一方には、自分には制御できない力のなすがままに決定され、翻弄されるものという心象があるのだ。(618頁)
〇この対立は、ヴァレリーとフロイトがそれぞれの立場からこだわったレオナルド・ダ・ヴィンチに関する論考を比較するとより鮮明になる。ヴァレリーが描きだすレオナルドは、自らの能力を自由自在に発揮し、あらゆる形態を思うがままに生みだしてゆく精神の力の象徴そのものである[『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』]。……それに対して、フロイトの描くレオナルドは、永遠に少年時代の支配下にあり、そこで起こったことを反復することしかできない存在である[『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』]。……「錯綜体」は、精神がその生産力をどこまでも自由に行使できるという考え方に基づいているが、「無意識」は、どうしても抜けだすことのできない、ある宿命的な循環が存在することを前提としているのである。(618頁)
 
【8】「形式的なもの」と「意志的なもの」
 
〇考え抜かれた理論のレベルでは、ヴァレリーはフロイトの夢理論を正面から否定した。しかし、『カイエ』における夢のエクリチュールには、夢を知性によって制御しようとする意志を破って、夢があらわにする真実、あるいは夢に隠された秘密に惹きつけられるヴァレリーの姿が書き込まれている。……「夢の幾何学」におけるヴァレリーの関心が、意識の機能的な側面の特質……に集中していることは間違いない。しかし、その形式的なものへの意志は、意味的なものの惹きつける力と拮抗状態にあると考えることができる。だからこそ、ヴァレリーの「夢の幾何学」は、夢の詩学への変化をそのうちにはらんでいるのだろう。(619-620頁)
 
[*]塚本昌則氏は「「無意識」と「錯綜体」──フランス作家たちの「抵抗」」(『フロイト全集』第十一巻月報)に、ヴァレリーの「錯綜体」やドゥルーズ=ガタリの「欲望機械」が、「「原罪」にまみれ、内部において引き裂かれたまま、おなじ活動の循環のうちに力を使い果たすという、フロイトのなかにあるパスカル的人間像」を否定する概念であったにもかかわらず、「不思議なことに、文明論のレベルでは、ヴァレリーやドゥルーズ=ガタリが主張する絶え間ない生成と、フロイト的悪循環との対立は解消する」と述べている。
 
《「錯綜体」や「欲望機械」は、生成の無垢のなかでいつまでも生産力を発揮しつづけるわけではない。「原罪」の束縛がいつの間にか回帰し、フロイトの提唱する「死の欲動」が紛れこんでくるのは避けがたいことなのだろうか。(略)
 フロイトは、意識の全能性という幻想を徹底的に批判することで、「精神」の能力に全幅の信頼を置こうとする姿勢を批判した。ヴァレリーとドゥルーズ=ガタリが、それぞれの立場からフロイトに反応したのは、「精神」の無限の可塑性を守ろうとしたためではないかと思われる。たとえ生成の無垢を押しすすめた果てに、「死の欲動」と出会わずにいられなかったとしても、フロイトのように、心的活動をある限界のなかに押し込めることに反撥する作家たちがいたことは、心にとどめておくべきではなかろうか。》
 
■夢の幾何学2
 
V.夢の幾何学の実践的な側面
 
【9】《再び》という機能
 
〇目覚めた意識は、物、思考、感覚を区別し、さまざまな事象を分割する。それに対して夢見る意識は結合する。この違いはどこから来るのか。この疑問に対するヴァレリーの答えは、分割するためには《再び》見出さなければならないというものである。目覚めている人間には「《再び》RE 機能」[390-391頁]が備わっていて、感覚や思考に呼びかけてきた何かを再び見出すことができる。それに対して、眠りの中では目の前に展開される光景とは異なる次元が存在せず、過ぎ去った時点に戻ることができない。それゆえ眠る人は分割するのではなく、自分が見るべき何かを次から次へと作りだすように強いられている。(620-621頁)
 
【10】夢の時間
 
〇「すべての不意打ちは、先立つ状態を夢に変える」[277頁]。──ヴァレリーが覚醒した意識の根源に見ている《再び》という機能は、この視点から見れば、出来事が予測可能な範囲のなかに収まる世界でしか通用しないことがわかる。「あらゆる不意打ちは、それ以前にあったものに遡って働きかけ、夢あるいはほとんど夢に変えてしまう。その時われわれは、眼を覚まし、夢との境目に立って呆然として自分の夢を思い出している人に似ている」[365頁]。
〇この目覚めの中の目覚めとでも言うべき状態、人生そのものをひとつの夢に変えてしまう新たな覚醒を、ヴァレリーは『わがファウスト』などの作品で追求するだろう。不意を打たれた覚醒時の意識が中断から再びもとの平衡状態に戻るまでの時間は、ヴァレリーによれば覚醒時のさなかに出現した夢そのものであり、その状態からいったん目覚めるとそれ以前にあったすべてが夢に変わってしまう。(626-627頁)
 
【11】夢の自我
 
〇夢の自我は、事象の体系の中に埋もれているのではなく、考えることがただちに実現し、実現した状況の中で自分が誰であるのか、なぜこのような状況に置かれているのかを探し求めている。その際限のない探求を終わらせる鍵をどうしても見つけられないだけなのだ。……一言で言えば、「夢の中の心象[イマージュ]は存在に等しい」[55頁]。夢がヴァレリーを魅了しつづけた理由がここにもある。(628頁)
 
【12】夢と「アウラ」[*]
 
〇「アウラ」という概念の一面は、世界が無縁のものではなくなり、物が人を見返してくるということだった。「ある現象のアウラを経験するとは、この現象に眼差しを見開く能力をあたえることである」と、ドイツの批評家は独特の言い方でこの恩寵あふれる瞬間について語る[ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」]。そしてプルーストの言葉と比較しながらヴァレリーの『アナレクタ』の一節を引用し、次のように述べる。「夢における知覚をアウラ的知覚と規定するヴァレリーの考え方もこれに近いが、客観的な方向性をとっているだけに、より発展性がある。「私はあるものを見る、と私が言うとき、私がそういう風に書きつけるのは、私と物とのあいだの等式ではない……それに対して、夢の中には等式がある。私が見つめる事物は、私が見るのと同じほど私を見つめるのだ。」」……ヴァレリーのほうは、ベンヤミンの言う意味での「アウラ的知覚」とはおよそ無縁の感性でありながら、夢の中でそうした知覚がいともたやすく実現されることへの驚きを『カイエ』に書きつづける。「‘見られた’対象は眼差しとはまったく違った種類のものであるはずなのに、そうはならないのだ。眼差しのもつ‘意図’が、見られたものの本質に通じるのである」[272頁]。夢の中でしか実現しない、この見つめるものと見つめられるものとの特殊な依存関係をどのように書くことのなかで活かせるかが、ヴァレリーの夢の詩学で問題となるだろう。(629頁)
 
【13】夢の宇宙
 
〇ヴァレリーが「詩的状態」と呼ぶ覚醒時の一状態は、「宇宙感覚」のうちに世界が統合される状態を指している。……それらは、「‘音楽化’され、共通尺度で測れるものとなり、互いに他によって共鳴するものと」[「詩話」]なる──ヴァレリーはこのように「詩的状態」について述べた後で付け加える。「このように定義された詩的宇宙は、夢の宇宙と種々の酷似を呈しています。」[同]
〇「詩的状態」に関するこのヴァレリーの定義は、「私が見つめる事物は、私が見るのと同じほど私を見つめる」というアウラ的知覚をただちに連想させるだろう。ボードレールの「万物照応」を思わせるその調和は、ヴァレリーの「夢の幾何学」の言葉で言い換えれば次のようになるだろう。「〈夢〉は〈‘瞬間’〉のうちにしか、〈‘絶えず生成するもの’〉のうちにしか存在できない。(……)‘存在することと認識すること’とのあいだにある関係が生まれる(……)──それは〈‘自我’〉がその〈対象〉から分かちがたいものとなるような関係である。」[335-336頁]
〇ボードレールにおいても、ベンヤミンにおいても、世界がある生成感覚のうちにあらわれて自己の感性に響きあうものとなる瞬間は、そのような瞬間が成立しない《現代性》との関係で問題となるものだった。(630-631頁)
 
【14】夢の詩学へ
 
〇ヴァレリーにとって夢が見せる偶然の形象がそのままの形で詩的だったわけではない。絶え間ない生成状態のなかで初めて可能となる、存在することと認識することの特殊な依存関係こそが詩的だったのである。徹底的に覚醒時から排除する形で夢の幾何学を考えていたヴァレリーが、ある偶然によって、ある錯綜体の爆発によって、さらには夢の構築に思いをめぐらせた果てに、覚醒時のなかにあるさまざまな夢の胚珠に気づく。どうすればそれを知性に裏打ちされた建築物に育ててゆけるのかを考察している文章に、ヴァレリーの夢の詩学を見出すことができかもしれない。……夢と音楽との関係に関する考察にも、夢の詩学の萌芽が隠されている。(633頁)
 
[*]ウィトゲンシュタインの「論理形式」を「アウラ」に見立てる蠱惑的な議論を、中井秀明氏のブログの記事「ベンヤミン「翻訳者の使命」を読みなおす(2)――ウィトゲンシュタインの中動態」に見つけたので、(定家論理学以前の現段階では、使い道が直ちに思いつかないが)、その最後の文章をペーストしておく。
《こうしてベンヤミンは、「命題」において「論理形式」が「示される」というウィトゲンシュタイン的事態を、「言語」において「言語的本質」が「精神的本質」を「語る」という事態に読み替えたのである。あるいは、語ろうとしても同語反復にしかならないもの――「語り得ぬもの」――を、特定の語り手ぬきに、言語において自動的・自発的・不可避的に「語られてしまうもの」として語った。言語が語るのだと。
「諸言語」は「それらが言おうとしていることにおいて互いに親近的な関係にある」という「翻訳者の使命」の表現で、この「言う(Sagen)」は、以上見てきたような意味での「語る」の同義語として考えなければならない。つまり、「言語による伝達」ではなく「言語における伝達」の意味で。「諸言語によって人間が言おうとしていること」の比喩ではなく「言語それ自体が言おうとしていること」の字義で。この「言う」において語るのは、文字通り言語であって、人間ではない。言語から垂直に浮き上がるアウラとしての「論理形式」について、ベンヤミンは語っているのだ。》
■夢の詩学・夢の引用
 
 塚本氏の懇切な「解説」に導かれて、ヴァレリーの夢研究の輪郭を、すなわち、夢の不在、夢の記憶の現象学から、覚醒時における夢の合成を経て夢の詩学へといたる、夢の幾何学の軌跡をなぞっていると、前章で概観した渡辺恒夫氏の「夢の現象学」との接点が、いくつか見えてきます。
 たとえば、夢の中では、物、思考、感覚が結合し、目の前に展開される光景とは異なる次元が存在せず、また、考えることがただちに実現し、心象が存在と等しいものになり、見つめられるものが見つめるものを見つめかえしてくる、等々の記述のうちに、夢世界の原理と、その(現実世界の原理からの、あるいはむしろ現実世界の原理への)変容をめぐる議論につながる通路が示されているし、また、夢の幾何学における「意識の機能的な側面」への関心、その「形式的なもの」への意志、そしてこれと裏腹な「意味的なもの」がもつ惹きつける力との拮抗、云々の「夢の詩学」への移行をめぐる記述は、夢の具体的な動機や細部の内容、隠された理由などではなく、いわば夢現象(夢体験)の「力学的原理」とでも名づけるべきものの解明をめざす渡辺氏の議論が、ヴァレリーの議論と同根のものであることを示唆していました。
 さらに言えば、夢を現実世界と対等な体験世界(異界)と捉え、「並行宇宙のような別の時空(なぜか私が、たぶん私だけが、空中歩行できる世界)に実際に生きていた私自身の記憶」について語る渡辺氏の議論と、夢はひとつの「現実」であるとするヴァレリーの議論は、実は同じ方向性をもったものであって、その共通の方向性、すなわち夢の詩学とは、前章で参照したカルロ・セヴェーリが「物語」と区別して論じていた「歌の形式」につながっていくのではないか、そしてまた、前章の最後に書いた断言、すなわち渡辺氏が『夢の現象学・入門』でほんとうに論じていたのは、「現実世界の原理⇒夢世界の原理」という変容の過程ではなく、むしろその「逆対応」的なプロセスである「夢世界の原理⇒現実世界の原理」の変容過程だったのであり、それはまさにヴァレリーが現実世界(覚醒時)を「夢の総和」としてもとらえたことに通じているのではないか、私は、そう考え始めているのです。
 
 ここで、武満徹の「夢の引用」から、決定的な一文を抜き出します。
《私は、(映画について、考えたり、書いたりする場合でさえ)個々の映画の物語性というものには、さして関心をもてない。私にとって、映画は、夢の引用であり、そして、夢と映画は、相互に可逆的な関係にあり、映画によって夢はまたその領域を拡大しつづける。私の(映画に対する)興味は、鮮明で現実的[リアル]な細部が夢という全体の多義性を深めているように、映画においてもその筋立てより、物語に酵母菌のように作用してそれを分解するような、細部へ向う。だが、実際問題として、そうした細部、夢の破片をことばによって写しとるのは不可能である。それを可能にするのは、また、映画でしかない。》(『武満徹著作集3』454頁)
 この文章の、どこがどう「決定的」なのか。それは、これから数章にわたる論考群の総体をもって見極め、かつ明らかにしていくべき事柄なので、ここでは措きます。
 ただ、武満徹がいう「夢の引用」こそ、ヴァレリーが構想した「夢の詩学」そのもの、とまでは言わないにしても、少なくともその方法もしくは骨格をなすものではないか、そして、同じく「ことばによって写しとるのは不可能である」とされる「夢の破片」、すなわち夢=映画の「細部」がもつ鮮明なリアリティは、ベンヤミン由来の「アウラ」的知覚と密接にかかわっているのではないか、最後に、これらの「映画」について語られた事柄は、ほとんどそのままのかたちで、世阿弥が大成したとされる「夢幻能」[*]にあてはまるのではないか(夢の破片=細部としての和歌、和歌の詞に憑く鮮明なリアリティ=クオリア、その引用の織物=夢の総和としての夢幻能、等々)、といった仮説を呈示したうえで、いまひとつ、以前(第33章で)引用した観世寿夫の文章から再度、関連する箇所を引いておきたいと思います。
《能にはご承知の如く、極めて単純ではありますが、一曲の筋書きがあります。しかしそのストーリー自体は単にその曲に入って行く為の手掛かりに過ぎないので、曲の進展にしたがって表面的な筋書きはどうでもよくなって、シテの人物にしても、それが芭蕉の精であろうと、式子内親王であろうと、たいした問題ではないといったものになってしまう事が多いのです。そして単純な笛の音、大小の鼓のカケ声やリズム、それに伴った意味のない動き、これらの音と動きの流れに添って謡われる歌、それは歌というより、むしろ一種の呪術的な祈りのことばに近いものとなるのです。この状態においては、もはや歌詞の意味はたいした問題にはならなくなってしまうのです。》(「無相真如」、『観世寿夫 世阿弥を読む』)
[*]「夢幻能」という語が世に現われてまだ百年も経っておらず、広く使われだした当初から軋轢があり、今日でも能分類の概念としての妥当性が問われていることは、田代慶一郎著『夢幻能』や重田みち氏の論考「「夢幻能」概念の再考──世阿弥とその周辺の能作者による幽霊能の劇構造」に詳しい。
 以下は、個人的な述懐として。
 本稿では、「夢幻能」という魅力的な語から連想されるフロイト=ラカンの夢理論への言及を禁欲している。それは私自身の力不足ゆえではあるのだが、それよりも、ここでいま論じている「夢」が言語以前の(少なくとも文字言語以前の)現象だからだ。(ついでに書いておくと、私は、貫之現象学A層の第二、第三の相を架橋するものとして「夢(能)+時間=映画」という等式を思い描いている。武満徹が「映画」(=夢の引用)について語ったことがそのままのかたちで夢幻能にあてはまる、と本文に書いたのは、あくまで「かたち」としての相同性に着目してのことである。)
 それでも頭のどこかで、フロイト=ラカンの夢理論のことが気になっている。石澤誠一氏の論考「世阿弥の夢幻能とフロイト『夢解釈』:能『井筒』のシニフィアン分析」などを眺めていると、ますますその気持ちが嵩じてくる。(もしかすると、こうした気持ちにくっきりとした輪郭を与えるのが貫之現象学C層のテーマなのかもしれない。)
 
■夢のパースペクティヴへ
 
 それにしても、夢を見る、というときの「見る」は、いったいどのような体験なのだろう。それは、やってみる、味をみる、見てみる、などの用例に見られるように、視覚対象物を直接間接に眼でとらえるということではなく、試す、経験する、判断する、確認する、といった意味で使われる言葉の同類なのだろうか。あるいは、見えないものを見る、というときの「見る」のような、事物や現象の隠れた真理や本質に気づき、それを理解する、といった意味合いの言葉なのだろうか。(野矢茂樹氏は『心という難問』で、「夢を見る」は知覚ではない、夢は「感じられるもの」だと書いていた(274頁)。)
 そんなことを漠然と(それこそ夢うつつの状態で)考えていたとき、たまたま手にしていた安田登師の『能──650年続いた仕掛けとは』に、能舞台は見えないものを見えるようにする装置だ(164頁)、と書いてあったことを思い出しました。そうだすると、能の観劇において、観客はもちろん眼を使って能舞台で演じられる一部始終を見ているわけですが、それと同時に、視覚的にとらえることはできないが確かにそこに実在している「何か」と、直接的に出会っていることになります。
 能舞台で演じられているのが、ワキの夢の中にあらわれたシテ(霊的存在)の振る舞いであるとしたら、能を見ることは(他人の)夢を見ることに、そして(無数の)夢の引用としての「映画」を見ることに、限りなく接近していくことでしょう。このように、半分は視覚的に、残りの半分は非視覚的に夢や能や映画を見るという経験は、世阿弥が演者について語った「離見の見」のパースペクティヴに連続しているのではないかと、私は考えています。そして、そこに介在するのは言葉、それも「呪術的な祈り」としての声(「ムソオシンニョ」)ではなくて、文字としての言葉(「無相真如」)なのではないか、と。(一言付け加えると、非視覚的に「見る」ことについては、以前(第45章で)取りあげた伊藤亜紗著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の議論が示唆に富んでいました。)
 話が先走りました。夢のパースペクティブについては、章を改めて考察したいと思います。その際、これまでこの論考群で取りあげてきた関連する話題、たとえば、和歌における「みわたし」の視線の変遷や万葉的「見ゆ」と古今的「眺め1」と新古今的「眺め2」の比較(第25章、第32章他参照)、あるいは、吉本隆明の「パライメージ」をめぐる「臨死者モデル」(「上方からの視線(=離見の見)モデル」)と「能役者(=シテ=死者)モデル」(「(仮面の)裏側からの視線モデル」)の対比(第36章参照)[*]、といった論点を念頭におきつつ、できれば、夢世界の原理の四つの(文法的)変容フェーズに即しながら、順序立てて考えていきたいと思います。
 
[*]能のパースペクティヴに関して、ポール・クローデルが「能」(『朝日の中の黒い鳥』)で次のように書いている。
《劇と観客とが、虚構と照明の作る裂け目をはさんで向かいあっているのではない。両者はそれぞれお互いの中にはいり込んでくるのである。われわれ観客に対して、演者たちは側面から、そして二つの面の上を歩み、その動きを繰り拡げていくのであり、演者たちとともに、席に居る者一人一人も自らの占める位置によって、自分の目や耳と相応ずる角度に従って、己れ自身の幾何学を作ることになるのである。すべては観客の 内部で展開していく。しかも観客は自分が何かに包まれていると同時にそれと距離を保っているという印象を失うことがない。われわれとともにある、同時に、われわれの傍にあるという感覚である。永続するものがないという感覚もまたある。》(内藤高訳『朝日の中の黒い鳥』117-118頁)
 
《そして、能の後半部が始まる。ワキはその役割を終え、もはや一人の証人に過ぎない。しばしの間身を引いていたシテが再び現われる。彼は、死から、単なる輪廓からあるいは忘却の中から外へ出たのである。(略)シテは横切って進み、何やら断言し、証し、展開し、行動する。その姿勢と方向を変化させていくことによって、彼はこの夢遊病的な劇のあらゆる有為転変を表現する。驚くべき一つの逆説によって、もはや演者の内側に感情があるのではなく、演者が感情の内側に身を置くことになる。われわれの前で、彼はまさしく、己れ自身の思考を演ずる者であり、己れ自身の表現の証人なのである。
 すべてが物質化された夢という印象を与える。》(同122-124頁)
 演者ではなく観客の内部で展開する能のパースペクティヴ。観客が作る己自身の幾何学。もはや演者の内側に感情があるのではなく、演者が感情の内側に身を置くことになるパースペクティヴ。物質化された夢。(ここに、プロジェクター、スクリーン、モンタージュといった概念、というかテクノロジーを付け加えると、それは「映画」になる。)
 
■反射視点と離見の見のパースペクティヴ
 
 先走った議論のなかに出てきた「離見の見」の(見えないものを見る)パースペクティヴに関連して、ある碩学の議論を引き、次章につなぎます。視点(point of view)と視界・視座・展望(perspective)の違いや、「反射視点」とアウラ的知覚との親近性など、掘り下げたい論点がいくつかあるのですが、ここでは措きます。
 
 小西甚一氏は「能の特殊視点」(『文学』1966年5月)で、能における「尋常ならざる表出形式」について論じていて、その具体例として、「何と勧進帳をよめとや。心得申して候。もとより勧進帳はあらばこそ。笈の中より往来の巻物とり出だし…」(『安宅』)や、「ゆふべの雨の雲居寺、月待つ程の慰めに、説法一座のべんとて、導師高座にあがり、発願の鉦打ちならし…」(『自然居士』)を挙げています。
 笈の中から勧進帳(とは名ばかりの巻物)をとり出したのはシテの弁慶であり、高座にあがって鉦を打ちならしたのもシテの自然居士にほかなりません。つまり、例に挙げられたのはいずれも、「あくまでも三人称の立場で、シテのおかれた状況を外側から説明するのだから、本来ならば地謡が担当すべき」文句であって、小西氏は、このような表出を「シテ地」と呼びます。そして、この一人称視点でも三人称視点でもない「一人−三人称視点」とでも名づけられる視点、「たぶん能だけにしかない特殊視点」のことを、「役者が当人の動作や状態をいちおう地謡の視点に移し、地謡という鏡に映った自分を謡う意味において」、「反射視点」(reflective point of view)と呼んでいるのです。
 それでは、この「反射視点」は、能においてどんな表現効果をもつのか。小西氏の議論をフォローします。
《能は、近代劇と違い、基本的には三人称全知視点で演じられる。つまり、地謡がいて、時間や場所に制約されず描写ないし説明をするし、登場人物の心中も自由に語りあらわす。また、役者たちは、独白や傍白をさかんに使い、観客は、登場人物たちが何を考えどんなに感じているか、見とおしである。しかし、ある場面でシテが反射視点を使ったとする。すると、その間、観客にとって、シテは視点のうえで消えたことになる。観客は、語り手すなわち地謡の視点で能を見ている。その立場から見れば、一人称で語るシテは自分たち観客の外側に在る。ところが、そのシテのセリフが三人称になると、観客の視点と同じになってしまうわけで、シテの意識は観客の意識と区別できない立場におかれる。これは、まことに注目すべき点だと思われる。
 シテの表出が地謡ないし観客の視点に移ってしまうことを、シテの立場からいえば、自身の意識で無くなったことにほかならない。(略)「もとより勧進帳は有らばこそ」が謡い出された瞬間、シテ自身の意識は当人の外側へ行ってしまう。謡っている当人はシテだけれど、その謡っている内容は、シテの意識には属していない。シテの意識は、自分自身から脱け出して、三人称の世界に位置をしめ、そこからシテの状況を観察し説明する。「もとより勧進帳は有らばこそ」と謡うのは、つまり、シテならざるシテなのである。
 これを、作中人物の現実として考えてみよう。「勧進帳をあそばされ候へ」と詰め寄られた弁慶は、はたして「いま勧進帳を持ちあわせてはいない」と意識している余裕があったろうか。(略)
 勧進帳の有る無しは、弁慶の意識にのぼっていなかった。(略)シテ自身としては、勧進帳の有無なんか、とても意識している余裕が無いのだけれど、その有無は、意識されないどこかでシテを衝き動かしている。そういった深層の心理が、三人称の視点を与えられたシテ、シテならざるシテによって、効果的に表出されているのではなかろうか。》(『文学』(1966年5月)469-470頁)
 元雅作の『隅田川』に出てくるシテ地、「母はあまりの悲しさに、念仏をさへ申さずして、ただひれ伏して泣きゐたり」をめぐって。
《はるばる東国まで尋ねてきたのに、わが子はすでに病死し、塚のなかに在った。この際における母親は、はたして「悲しい」など感じている余裕があったろうか。悲痛さが全心身に充ち満ちているとき、当人はかえってそれを意識しないものであって、当人の意識にのぼるのは、子どもの在りし日の姿とか眼前の草に覆われた塚のありさまとかであろう。しかし、悲痛さは、当人に意識されないだけであって、ことばをなさぬ深層から、実は、母親の全心身を揺るがしているのである。それを三人称視点へ移すことにより、一人称での叫びがあらわせない何ものかを、むしろ強烈に感じさせるではないか。》(同473頁)
 小西氏は、歌舞伎における「肚芸」と比較して、「能の反射視点は、歌舞伎なら「思い入れ」をしたいような箇所によく使われるが、そこで強調されるのは、表層の意識でなく、当人にはとらえられない層での「ことばをなさぬ内心」なのである」(471頁上)と指摘し、また、『ユリシーズ』第十八話や『ダロウェイ夫人』の冒頭を引き合いに出しながら、「能における反射視点は、識流小説[小西氏による“stream-of-consciousness novel”の訳語──引用者註]と区別されなくてはならないけれども、一人称で表出されるはずの内心を三人称で写すところは心語[同じく“interior monologue”の小西訳]と共通したものがあり、むしろ二十世紀めいた特色をもつ技法だといってよろしかろう」(472頁)と論じています。
 そして、論考の最後で、世阿弥の「離見の見」や「見所同心の見」、「目前心後」の論を取りあげ、それは、つまり「演者が自分の心を観客の立場へ移し、その立場からさらに自分の演技をながめる」ことは、「反射視点とまったく同じパターンだといわなくてはならない」と断じます。そして、そのような表現が世阿弥の時代の観客に理解されるための素地になったものとして、「玉葉集時代から歌壇に現われたひとつの傾向」を指摘し、「契りしを忘れぬ心そこにあれや頼まぬからに今日の久しき」(玉葉集)と「もの思ふと我だにしらぬこのごろのあやしく常はながめがちなる」(風雅集)の二首を挙げます。
《前者は、かならず参りますという約束を忘れない心の存在が「そこにあれや」とながめられており、ながめる自分とながめられる自分との対立が示される。後者は、いつも歎息しがちであることを「我」が気づいているのだけれど、その奥に「もの思ふ」すなわち誰かを恋い慕う心があるとは、自分の心ながら「我だにしらぬ」のである。その「我だにしらぬ」ことをとらえる別の「我」が無ければ、けっして「しらぬ」という表現は生まれない。そこには「ながめる心」と「ながめられる心」とが共存しているわけで、やはり反射的なパターンをもつ。このような考えかたが十四世紀の末ごろから歌壇におこなわれていたとすれば、すくなくとも都の知識人たちにとっては、新しい反射視点の使いかたも、理解にくるしむようなものではなかったろう。》(同475頁)
 
(38号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」37号(2019.04.15)
<哥とクオリア>第51章 夢/パースペクティヴ/時間(その2)(中原紀生)
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