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Web評論誌「コーラ」
05号(2008/08/15)

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■古今集仮名序、三たび

 この論考の(当座の)趣向は、永井均氏が「解説書」を書いた三人の哲学者、西田幾多郎、ニーチェ、ウィトゲンシュタインの哲学を使って、というか、それらの哲学を使って永井氏が「勝手に」進めた永井氏自身の哲学を使わせてもらいながら、西欧出自の自然科学に匹敵する「わが国固有の実証思考」たる歌論、具体的には、尼ヶ崎彬氏が『花鳥の使』で取り上げた三人の歌人、紀貫之、藤原俊成、藤原定家の歌の世界を、それぞれ貫之(=西田)現象学、俊成(=ニーチェ)系譜学、定家(=ウィトゲンシュタイン)論理学の名のもとで考察してみよう、できれば、同じく『花鳥の使』に取り上げられた心敬、本居宣長、富士谷御杖の歌論を、歴史的な流れとは逆に、貫之と御杖、俊成と宣長、定家と心敬といった対比のうちに織り込みながら概観してみようというもので、また、そのねらいとするところは、英語的な表現や自然科学の語法とはその素性の異なる、そして抽象思考にかかわる神学や仏教思想におけるそれとも異なる言葉遣いの(端的にいえば、詩的言語の)あり様を、貫之現象学における「強い私的言語」、定家論理学における「強い言語ゲーム」と、これもまた勝手に名づけた二つの対極的な歌のかたちにおいて、なかんづくそれらをつなぐミッシング・リングの探究、はてはその捏造を通じて考察してみようというものでした。
 とはいえ、それらはいまだ言葉だけのものでしかありません。それも、正直なところ、断続的に書き進め、かつ自問自答を繰り返しながらそれぞれの内容を(後追いで)考えているというのが実情で、たとえば、「貫之現象学における強い私的言語としての歌」というテーマで私がおぼろげに構想しているのは、貫之が自然を詠むことと自然が貫之を通して自己を詠むこととが区別できない、あるいは、思いとその思いが実現すること、思いを言葉にすることとその言葉がそこにおいて立ち上がる世界そのものが実在すること、私が悲しいことと世界が悲しいこと、等々が(あたかも夢の中の出来事のように)区別できない、そのような意味での〈思い〉や〈感じ〉の言語的な「立ち現われ」としての〈哥〉、といった程度のことでしかなくて、これもまた言葉だけのものでしかありません。ましてや、「定家論理学における強い言語ゲームとしての歌」にいたっては、いまだ混迷の淵をさまよっている有様です。
(若干の蛇足。いま山括弧を使って表記した〈思い〉や〈感じ〉や〈哥〉は、永井語でいうところの〈私〉や〈今〉や〈心〉や〈生〉や〈現実〉などと相並ぶもの、つまり、「そもそもの初めから存在する(=それがそもそもの初めである)ある名づけえぬもの」(『私・今・そして神』)、端的にいえば、その存在が世界の開闢そのものであるところの「名づけえぬもの」のことです。仮名序の言葉を借用すれば、「この〈思い〉もしくは〈感じ〉もしくは〈哥〉、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり」というわけです。また、文中に使った「立ち現われ」は大森荘蔵由来の概念で、その初出は『物と心』に収められた「ことだま論」。)
 そういうわけで、この章では、古今和歌集仮名序の冒頭部分にいま一度立ち返り、貫之現象学における「心」(思い、感じ)とはいったい何だったのか、そして、その「心」が歌を通じて伝わっていくこと、つまり、「ちからをもいれずして」云々で語られる「言霊」としての歌の力(効果)とはどういうものなのか、といった事柄についてあらためて考え直してみたいと思います。(前章の用語を使えば、哥というギフトの効用は何か、といったところでしょうか。)

《やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり。花になくうぐひす水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。
 ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるはうたなり。
 このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり。しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしてはしたてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。
 かくてぞ花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心ことばおほく、さまざまになりにける。》

■貫之には内面がない

 まずは、貫之現象学における「心」について。
 第一章で、私は、仮名序の「心」が三つに分岐していくのではないかと考えました。その第一は、(仮名序に出てくる順番とは異なりますが)、すべての「いきとしいけるもの」のうちに宿る普遍的な心。この心からは、たとえば「こゑ」としての歌が生まれます(やまとうた以前の普遍的な歌、もしくは〈哥〉の遺伝子)。第二は、ある特殊な生物種のうちに宿る心。やがて「ことのは」へと生長する「たね」としての心で、この心から生まれるのが貫之のいう「やまとうた」です。第三に、世の中をことわざしげく生きる生身の人が「心におもふこと」。この意味での心(思い、感じ)を「見るものきくものにつけて」言い出したものが、「みそもじあまりひともじ」としての和歌(やまとうたの一種)にほかなりません。(これらはいずれも、歌の詠出に先立つ心で、歌における心はさらに、詠まれた心としての「歌の心」、尼ヶ崎氏がいう「虚構の作者の心=詠みつつある心」、そして、歌を耳にし目にする者のうちに喚起される(現実の、もしくは虚構の)「読者の心」へと分岐していくわけですが、それらはむしろ俊成系譜学、定家論理学の世界を本籍にしているもののようです。)
 おそらく、仮名序の最初の二つの文、すなわち、「やまとうたは、人のこころをたねとして」云々と「世の中にある人、ことわざしげきものなれば」云々とは、同じ趣旨のことをいいかえているだけだ(加えていうと、「花になくうぐひす」云々もまた、同じ趣旨のことの誇張表現だ)と解釈するのが真っ当な読み方なのでしょう。尼ヶ崎氏のように、この二つの文に出てくる二つの心(「人のこころ」と「心におもふこと」)を同じものととらえた上で、第一の文は「和歌と呼ばれているもの全て=広義の和歌」の本質的根拠(人のこころ)を、第二の文は「和歌と呼ぶにふさわしいもの=標準的な和歌」の修辞的条件(心におもふことの見るものきくものへの付託)を規定しているのだ(加えて、第三の文は、生きて物思うことのあるかぎり誰でも歌を詠まざるを得ない、と主張しているのだ)とするのが、事柄の実情に即した正しい解釈であろうかと思います。
 しかし、私は、あえてこの二つの心をわけて考えてみることにしました。そうすることで、一つには、仮名序が「このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり」とするイザナギ・イザナミの「あなにやし」の唱和をはじめ、人ならぬカミが「神世」において発した言葉(哥というギフト、精確には、そのようなカミの〈聲〉として神話を通じて人の世に伝わる〈詞〉)を、「やまとうた」の範疇に括ることで貫之現象学の世界のうちに取り込み、二つには、(実は同じことの言い換えにすぎませんが)、レヴィ=ストロースの言葉を借用して、「ひとびとが歌の中でどのように考えているか」ではなく、「〈哥〉が、ひとびとの中で、ひとびとの知らないところで、どのようにみずからを考えているか」を示すこと、そして、西田幾多郎の言葉を借用して、「貫之が自然を詠んだものでもよし、自然が貫之を通して自己を詠んだものでもよい。元来、物と我と区別のあるのではない」とされる事態の意味を了解することが、貫之現象学の中心課題であることを明らかにしたかったのです。
 その意味では、第三章で述べたように、仮名序の「人のこころ」を(「“よろづ”のことのは」との対句表現ととらえ)「人の“一つ”こころ」と読解する小松英雄氏の説を拡大解釈して、すべての人やいきとしいけるものの心に加え、花や水、風や虫の音といった、およそこの世に立ち現われるすべての事象を含めた「一つ心」という第四の心(というよりも、むしろ、「こゑ」としての普遍的な歌を生み出す第一の心よりもっと根源的であるという意味で、第「零」次の心、もしくは「霊」の次元の心)を提示し、そのような森羅万象にわたって様々に分岐する心の無限集合というかたちで(すなわち、それへの到達不可能性において)「カミの心」を、あるいは、より古代的な「タマ」や「スピリット」ともいうべき類型を立てておくべきなのかもしれません。(そこから生まれる歌は「こゑ」や〈聲〉よりもっと根源的なもの、たとえば空海の『声字実相義』に「五大にみな響きあり」とある、その「響き」のようなものになるのでしょうか。もしくは〈哥〉の塩基とでも。)
 その上で、そうしたアニミズムに通じる世界では、「元来、物と心と区別のあるのではない」という事態が成立しているはずですから、尼ヶ崎氏が、「貫之が[中国詩論の政教主義的な枠組みから離脱して]自ら掴んだ和歌思想が表れている」と評する「見るものきくものにつけて」の一句は、そのような、元来、言葉を超えた世界において成り立っている事態(物即心の「原クオリア」の生成とでも)を、「よろづのことのは」の世界において反復的に模倣するシャーマンとしての歌人の言語技術の要諦を記したものであった、などといってみることができるのかもしれません。
 しかし、そこまで妄想をたくましくすると、歴史的事実としての貫之の歌の世界と、(私が勝手に構想、いや夢想している)貫之現象学の世界との乖離がますます拡大していってしまいます。そこで、ここでは、むやみな戦線拡大は自粛することにして、仮名序冒頭の二つの文に出てくる二つの心をあえて異なるものとしてとらえることで、私が明確に示したいと考えている第三の、そしてもっとも大切だと思うことを述べておきます。それは、一言でいえば、貫之には内面がない、というものです。精確には、「強い私的言語」としての〈哥〉をめぐる貫之現象学の世界では、歌の詠出、歌の享受、歌の伝授、その他いずれの場合にあっても、人の内面における心的作用などというものを想定する余地はない、ということです。
 それでは、貫之には内面がない、ということで私は何をいいたいのか。このことを説明する前に、これとの対比で、尼ヶ崎氏が「仮名序歌論の特徴」として挙げている二点(ないし四点)を、若干の編集を加えた上で引いておきます。

1.和歌の「本質規定」において、和歌を人生における実体験から生じる思いの表出としたこと。
(1)和歌成立の構造/和歌の根拠と内容
 歌の詠出は、個人の内部に、生活経験から或る心情が生じ、これが自己表現の欲求を生じ、言葉となって外へ表れるからである。(従って、歌における言葉は、内的動機によって押出されたものであって、記録、伝達、あるいはその他実用のために使用されるのではない。)
(2)和歌制作の条件
 生ある者にとって、そのような心情の表現欲求と表現行為は普遍的現象であり、かつ必然的である。(従って、表現行為それ自体は自己目的の活動であって、政治的道徳的その他の効用はいわば付随的結果にすぎない。また、表現行為の実現に、特殊な芸術的才能を要しない。)

2.和歌の「形式規定」において、付託という修辞法を要求したこと。
(1)和歌成立の構造/付託法
 心情は、日常的事象(多くは自然)の具体的なイメージに付託することによって表現される。(心情の表現のための言語は通常の記述のための言語とは異なる語法を必要とする。和歌における「あや」=レトリックの必然性がここにある。)
(2)和歌の効果
 和歌は、「心」と「心」の共感の媒介である。ある個人の心情に生じた動揺が他者の心情に変動を及ぼすという力動過程が、和歌の制作・享受過程なのである。(こうして、作者の心情に歪みとして生じた力が、他者の心情に歪みを与えることで解消する過程を想定するならば、当然、その他者の内部に誘発された心情の歪みは新しい和歌を産むエネルギーとなり、これが再び元の作者へ歌として送り返されてくる過程を想定しなければならないであろう。実際、歌が、贈り、答えるという往復運動をなすのは、当時普通の形式であった。)

 いわゆる「国風暗黒時代」を脱しつつあった平安時代初期、和歌の道の復興をめざした貫之は、仮名序において「和歌を論じるという空前の事業」に挑んだ。中国詩論の枠組みを使いながら、これとは異なる論理を立て、和歌の自律性を証明しようとしたのである。──このような、背景となる状況を踏まえた上での尼ヶ崎氏の読解は、貫之以後の和歌のあり様をみるとき、すなわち、和歌が特定の個人に贈られる私的なものから、歌合の場などで題詠される公的な、不特定多数に向けた「作品」となっていくにつれて、和歌制作の実態は貫之の本質規定(人生における実体験から生じる思いの表出)から乖離していき、一方で、和歌の形式規定(付託法)は、縁語・掛詞・本歌取りを含め、意味とイメージを重層交錯させる高度な修辞技術として洗練されていき、その結果、「言葉だけを存在の拠り所とする和歌の世界」が歌人たちの前に立ち現われるにいたった、と尼ヶ崎氏が叙述する歌の道の変遷を見据えるとき、おそらく、事柄の真相を正しくいいあてたものなのでしょう。

《和歌の内容が、実生活という個人的文脈から切離されて自立する〈つくりもの〉となり、その言葉が、現実にありうる世界を記述することをやめて、語の衝突と交錯から独自の言語空間を構築するようになる時、現実という土壌から二重に根を断ち切られた和歌は、まさに「人の心」だけを種として、新しい花を咲かせることになる。この時、時代は中世を迎える。藤原俊成は、貫之以後三百年の間問われることのなかった和歌の本質を再び問い直して新しい歌論を立て、その子定家は「幽玄体」と呼ばれた新しい歌法を産み出した。その成果は八番目の勅撰和歌集となったが、これは古今集に始まった歌の道の、新たな次元での再出発であったとも言える。この集が『新古今和歌集』と名づけられたのは故のないことではない。》

 私がこの論考で取り組んでいるのは、まさにこの一文をめぐる長い(勝手な)註釈である。そう言い切てもいい文章で、ここのところを読み返すたびに私は強く深い刺激を受けつづけているのですが、それでも、ここであえて異を唱えておきたい。それは、やがて「ことのは」へと生長していく貫之の「人の心」は、尼ヶ崎氏がいうところの「新しい花」を咲かせる俊成や定家の「人の心」へと屈折したかたちでつながってはいくものの、やはりこれとはその素性を異にする、ある固有の世界をもっているのであって、それは決して、個人の内部[内面]に見出される、「人生における実体験から生じる思い」や心情などではありえないのではないか、ということです。

■物と心/心と詞

 かつて現実に存在した歴史的人物としての貫之に、はたして、内面(心的作用)があったのかなかったのか。私はそのような問題を論じようとしているのではありません。
 前章で取りあげた『夢の分析』で、川嵜克哲氏は、平安時代の人は内面をもたなかった、と書いていました。その意味するところは、近代的な反省意識や神経症的な自己意識のようなもの、いいかえれば、外から見えない隠された私秘的な内面をもつ主体なるものとは、平安時代の人は無縁であったということです。私が、貫之には内面がない、というときの「内面」も、そのような、外と内、表と裏、見えるものと見えないもの、表われたものと隠されたもの、さらにいえば、意味するものと意味されるもの、等々といった二分法の片割れとしての内面であり、そこでの心的作用が帰属する(近代的自我などといわれるときの)主体のことにほかなりません。
(ただし、奈良時代の人は近代人だった、という説が成り立つ議論の建て方も可能です(中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』)。明治時代の知識人が西洋文明に接して近代人になったように、中国文明を導入した奈良時代の知識人も近代人であった、そして、日露戦争以降の近代日本における「私小説」と、遣唐使廃止以降の古代日本における「やまとうた」とはパラレルな文学的事象であった、などといった議論を展開する立場もありうるわけです(柄谷行人「文字論」)。ですから、貫之には内面がない、という説も、ほんとうは、それを歴史的事実の問題としていうのか、それとも非歴史的な構造のようなものとして主張するのか、このあたりのことを鮮明にしておかないとだめです。が、ここでは、そのことを銘記するにとどめ、先を急ぎます。)
 それでは、「世の中にある人、ことわざしげきものなれば」云々でいわれる「心におもふこと」は、個人の内面の思いや感じのことではないのか。また、「見るものきくものにつけていひいだせるなり」とは、その内面における主観的な心的作用に基づくものではないのか。「忍ぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人のとふまで」に詠まれる「忍ぶ恋」が、内面に秘められた出来事ではないというのか。そう問われると答えに窮します。たしかに、「色」として表われる外面に対立する意味での秘められた内面としてではなく、様々な思いや感じがそこにおいて泛ぶ場をいうものとしてであれば、(それがどこにあるかは別として、ともかく)それがない、などととはいえないでしょう。しかし、そのような意味の内面であれば、端的に「心」といえば(あるいは、西田幾多郎のように「場所」といえば)足ります。そこまで強弁しないまでも、少なくとも、貫之がいうやまとうたの世界では、そのような二分法の片割れとしての内面や、そこにおける(個人的かつ主観的な)心的作用などといったものを想定する必要はない。そういうことを、貫之は仮名序でいいたかったのではないか。私は、そう考えてみたいのです。
 やまとうたにあっては、心と詞は地続きです。それゆえ、そこに、二分法の片割れとしての内面や、その内面における心的作用といったものを考える必要はありません。植物が種から生成していくように、(そして、万葉仮名から草仮名が生みだされていくように)、あるいは、うぐひすやかはづの「こゑ」、風の音、虫の音、等々が、ある音韻法則上の組み合わせによって「声」となっていくように、心はおのずから詞になる。「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。」とは、そういう意味ではないかと私は考えます。先ほどの第四の心(零=霊の心)をもちだすならば、そこでの心は物と地続きであったわけですから、ここに「物=心、かつ、心=詞」という等式を導きだすことができます。それこそ、言霊信仰でいうところの呪言にほかなりません。そのような言霊の宿ったやまとうたであれば、「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」るなど、たやすいことでしょう。
 しかし、「神世」から遠く離れた世の中にある人が言い出すみそひと文字にあっては、心と詞は、植物が種から成長するようにはひと続きにつながっていきません。そこで、貫之は、「見るものきくものにつけて」という修辞の技法を、つまり「付託法」をもちだすわけです。たとえば、悲しいという思いをただ「悲しい」と表現しただけでは、悲しみの概念は伝わりますが、悲しみの現実存在(クオリア)は伝わりません。当の本人でさえ、そのような表現は自らの思いをつかみそこねていると感じるでしょう。尼ヶ崎氏の言葉でいえば、「思いが我々を捉えているのであって、我々が思いを捉えているわけではない」からです。以下、『花鳥の使』に収められた「心と物─―紀貫之」から引きます。

《では、人を捉えるこの思いに形を与え、人がこれを捉えうるものにするにはどうすればよいであろうか、いにしえの歌人たちは、我を物思わせる場の中に一片の象徴的な〈物〉を投げこむ時、無形の水蒸気が一片の塵を核として雪に結晶するように、思いが凝固して一つの形を得ることを発見したのである。〈物〉という鏡に映すことによって、〈思い〉は生きたままその姿を定着させる。読者は〈物〉のイメージを喚び起こしつつ、そこに映された〈思い〉をも喚び起こすのである。》

 ここでいわれる「一片の象徴的な〈物〉」もしくは「〈物〉という鏡」、そして、貫之がいうところの「見るものきくもの」とは、実は、言葉のことです。前章で引いた『紀貫之』の中で、大岡信氏は、貫之の歌における詩的装置(隠喩)を、「あるものを見るのに、それをじかに見るのではなく、いわば水底という「鏡」を媒介としてそれを見るという逆倒的な視野構成」と規定し、また、「水と空がたがいに鏡となり合うといっても、それは詩人の言葉の世界において生じる出来事にほかならない。だから、正確には、水という言葉と空という言葉が、ある種の幸福な条件のもとで、はじめて、ちょうど歯車があるときうまく噛み合うように、たがいにたがいの鏡となり、光と影の中で映発し合うのだというべきである。」と書いていました。尼ヶ崎氏の「〈物〉という鏡」も、まさに、「たがいにたがいの鏡となり、光と影の中で映発し合う」言葉のことです。
 しかし、それはただの言葉ではありません。(ある言葉が、それを口にし耳にする人の内面になんらかの「表象」を、つまり、知覚や想起の対象であれ、意味体験の実質であれ、当の言葉そのものとは異なる何ものかの心的な「写し」や「意味」を喚起するとされる、そのような素性の言葉のことではない。「たがいにたがいの鏡となり、光と影の中で映発し合う」のは、あくまでも言葉と言葉である。)神代から伝わるやまとうたの歴史、そして人の世に連綿とつづくみそひと文字の伝統の中で培われ、結晶のように思いとイメージを圧縮し凝固させた詞(クオリア憑きの言葉)、具体的には、「花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ」ことの積み重ねを通じて伝統としてかたちづくられ、その道の先達によって「花鳥風月」や「雪月花」などと呼び慣らされ体系化されてきた歌詞(うたことば)のことにほかなりません。(歌枕や枕詞などを、これに含めて考えていいでしょう。)尼ヶ崎氏が挙げている例でいえば、「露」という詞は、わが身の無常をはかなむ思いを含蓄し、また、その形象的特徴は涙のイメージに通じている、といった具合です。(この「〈物〉という鏡」=歌詞は、フィギュールの異称の一つなのではないか。私はそんなことを考え始めています。)
 貫之の「心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせる」とは、ですから、内面の心情を外界の景物に託し言葉を使って表現するといった、内・外の二分法のうちにからめとられた心的作用に和歌(みそひと文字)の実質があるとするものではなく(そのような心的作用がない、といいたいのではありません、念のため)、歌を詠むとは、あたかも概念を使い論理の法則にのっとって言説(ディスクール)を組み立てていくようにして、感覚もしくは感情の論理(「神話の論理」の向こうを張って「和歌の論理」とでも)にのっとって歌詞(うたことば)を操作する、いわば工学的な技術を体得した(隠喩、換喩、等々の修辞技法の操作マニュアルに習熟し、「てにをは」の活用に長けた)職人の仕事である、そういうことを明らかにするものだったのです。だからこそ、私は、貫之には内面がない、というのです。
(貫之をはじめとする古今集歌人の和歌が、ときに「理知的」と評されるゆえんがここにあるのではないかと私は考えています。ちなみに、貫之の現存作品の大半がいわゆる屏風歌で、いわば注文製品であったことからもうかがえるように、貫之は当時もっとも売れっ子の「歌の職人」でもありました。)
 これを逆の方向からいえば、こうなるでしょう。すなわち、和歌(みそひと文字)とは、世界の開闢とともにあったやまとうたの伝統のうちに結晶する心=詞(もしくは、物=心=詞)が、実生活における歌人の具体の心を使って自己を詠み出したものにほかならないのだと。そして、そのようにして詠まれた歌が勅撰詞華集に登録されることで、「古今集が一千首の和歌を世に送り出したということは、一千の「こころ」を公共化したということであり、人々が花鳥風月に、また恋に感ずる〈型〉を一千通り自覚したということである。」と、尼ヶ崎氏によっていわれる事態が成り立つのだと。さらに、そのようにして詠み出だされた歌であればこそ、「をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむる」力をもち、また、仮名序の別のところで、「うたをいひてぞなぐさめける」とか「うたにのみぞ心をなぐさめける」といわれるように、歌を詠む本人にカタルシスをもたらすことができるのだと。(加えていえば、「ひとの世」にある人に「我を物思わせる場」そのものをしつらえる効果をもつのも、いいかえれば、やがて俊成や定家が「新しい花」を咲かせることになる言語空間を構築する力をもつのも、そのゆえであったと。)

■声振りによって立ち現われる世界の相貌

 さて、ここにきてようやく貫之における「言霊」としての歌の力(効果)について述べる運びとなりました。このことについては、富士谷御杖の歌論を参照しながら稿をあらためて思案することとして、その前に、大森荘蔵の「ことだま論」からいくつかの断片を抜き書きして、今後の議論のための若干の素材を蒐集しておきます。本当は、大森哲学について通りすがりのように言及するのは避けたかったのですが、言霊の力について述べる以上、(それも「聲と言霊」と章名をふりながら、肝心の「聲」についてほとんどふれることができないでいる関係上)、簡単にであれ、触れないで済ますわけにはいかないでしょう。
(なぜ大森哲学への言及を避けたいのかというと、私がおぼろげに考えている事柄が、しだいに大森哲学の磁場に引きつけられているからです。野矢茂樹氏の『大森荘蔵──哲学の見本』によると、大森哲学には前期、中期、後期の区分があって、前期における物と知覚の「重ね描き」の論が、中期において、知覚経験をより豊かなものにする「思い」や「虚想」を含んだ「立ち現われ一元論」へと転回し、後期では、さらに「思い的に立ち現われるものは、思い的に存在する」とか「過去世界もまた言語実践によって社会的に制作される」といったかたちで主張される「語り存在」の論へと進化していくというのですが、ここに出てくる「立ち現われ」が貫之の歌論に、「語り存在」が俊成・定家の歌論にそれぞれ深く関係していきます。
 しかし、深く関係していきます、と言葉でそういったところで、そのどこがどう深く関係していくのかを具体的に示さなければ、何も述べたことにはなりません。私はまだこのことを明晰に語る言葉をもちあわせていない。それに、大森哲学と永井哲学との関係や、大森荘蔵とともに私のなかでしだいにその重みを増している坂部恵の哲学との関係、あるいは両者の無関係が気になってもいるので、できればこの時点で戦線を拡大したくない。これが、大森哲学について言及するのを避けたかった理由です。ですから、以下に抜き書きする文章も、それにかこつけて述べることも、ほんとうに通りすがりのことでしかありません。)

《要するに、聞き手の側からすれば、言葉の意味の了解なるものは実は、話し手の声振りに触れられて動かされること、叙述の場合であれば、或る「もの」「こと」が或る仕方で訓練によって立ち現われること、じかに立ち現われること、に他ならない。そこに「意味」とか「表象」とか「心的過程」とかの仲介者、中継者が介入する余地はないのである。すなわち、言葉(声振り)がじかに「もの」や「こと」を立ち現わしめるのである。言葉の働きはこの点において、まさに「ことだま」的なのである。しかし、個々の人の身振りの一部である声振りを離れて言葉はない。したがって、「ことだま」が宿るのは声振りに、したがって身振り、したがって「人」に宿ると言うべきである。》

《わたしに、賀茂川が立ち現われるとき、その賀茂川はずっと以前から在るもの、という持続の相貌をもった賀茂川であり、「持続の途上」の相貌をもった賀茂川が立ち現われるのであって、無からの誕生の相貌で立ち現われるのではない。詩人が或る「こと」や「もの」を創造するときですらそうである。「ぶどー酒の一滴にほんのりあかく染まった海」(ヴァレリー)を立ち現わすときも、その海は悠久のかなたから、という相貌をもって立ち現われるのである。奇妙に聞こえるかもしれないが、詩人は過去に遡ってその海を創ったのである。》

《われわれはその表現を文字に書きとめる。それはやっと立ち現われたその「もの」「こと」を逃がさぬように文字で縛りとめるためである。(略)その表現はまさに一つの呪文なのである。その呪文を声振り唱える(または、それを想像する)ことによって、その「もの」「こと」を繰り返しわたしに立ち現わしめることができる。そして幸運な場合は、わたしがそれを声振り、その声振りで人に触れると、その人にもまたそれを立ち現わしめることができるのである。また、著者の声振りを通さなくともその文字を「読む」ならば、人は自分にそれを立ち現わすことができる。少なくとも著者はそう願って「書く」のである。声振りの仕様書きとして。
 創作(物語りにせよ詩歌にせよ)の場合は、ときに、初めに立ち現われる「もの」「こと」がなく、作者は或る立ち現われを作るのである。前にも述べたように、そうして作られたものは、過去に遡って作られうる。今日、太古の森の何ごとかを作り、立ち現わしめることもできる。
 造形美術は、絵、彫刻、建物、等の物を作る。実在する物を作る。その物がたまたま他の何ごとかを「思わせ」、立ち現わすこともある。だが、それはたまたまである。しかし、声は、声振りという実在によって人に触れ、そうして何ごとかをじかに立ち現わしめることがその本来の働きなのである(音楽はその中間にあると言えよう)。
 それが「ことだま」の働きなのである。》

《すべての立ち現われはひとしく「存在」する。夢も幻も思い違いも空想も、その立ち現われは現実と同等の資格で「存在」する。そのもろもろの立ち現われが同一体制、さまざまな同一体制の下に慣習的に組織される。その組織に参入した立ち現われが「実在する」立ち現われであり、その組織にあぶれて孤立する立ち現われが「実在しない」虚妄の立ち現われ、と呼ばれるのである。(略)
 しかしまた、「実在」もまた揺動する。そして、「ことば」はその揺動する実在にかまわず、「存在」を喚びおこし立ち現わしめる。それこそ「ことだま」の働きなのである。》

 哲学の論文を、前後の脈絡から切り離し、言葉の定義を抜きにして、あたかも散文詩のようにその断片を引用するのは犯罪的なやり口です。だから、そのせめてもの贖罪のため、ここでは、貫之現象学と「ことだま論」との関係をめぐってあれこれ駄弁を弄することは禁欲します。
 ただ、できれば、「声は身のうち」とか「「立ち現われる」のは常に「今」である」といったフレーズを抜き書きしておきたかったこと、また、野矢氏が前掲書で、大森が使う「相貌」という語をめぐって、「知覚風景のパースペクティブはそれが開ける主体の立つ視点位置を刻印しているが、それと同様に、知覚風景の相貌はそれが開ける主体の感情を刻印している。」とか、「開ける光景と別に「視点」という何かがあるわけではないように、開ける光景の相貌と別に「感情」と呼ばれる心的状態があるわけではない。」と書いていることだけは記しておきたい。

■純粋経験としての立ち現われ

 そこまで書くのなら、ついでにもう一つ書かせてもらおう。野矢氏は前掲書で、「大森は生涯経験主義者であり、かつ、ついでに言わせてもらうならば、独我論者であった。」と書いていました。このうち「独我論者であった」については、「ただひたすら自分の生の現場からすべてを捉えようとする独我論的まなざしを、けっして捨て去ろうとはしなかった」とも、また、立ち現われ論における「独我論への傾き」として、次のようにも書いています。

《現在も過去も未来も、すべては立ち現われにおいて与えられる。そこで例えば「過去が立ち現われる」と言ったとき、その「立ち現われ」という動詞の時制はどう考えるべきだろうか。無時制だろうか。いや、現在形であるに違いない。すべての立ち現われは、過去の立ち現われであれ、未来の立ち現われであれ、それが「今」立ち現われるという意味で、「経験の今」を刻印している。これは、すべての立ち現われが「私に」立ち現われるという意味で「私」を刻印していることと対になっている。あわせて言えば、あらゆる立ち現われには「今」と「私」とが刻印されているのである。こうして、いっさいの経験がそこにおいて展開される「今」と「私」が要請されることになり、そして、大森はもはやそこから出て行くことができなくなる。(略)すべてが立ち現われる「今」と「私」。あたかも繭を紡ぐ一匹の蚕のように、大森はどうしてもそこへ戻っていく。》

 私の理解では、野矢氏がいう「独我論者」は「経験主義者」と同義です。野矢氏は、大森哲学における「知覚の優位」について述べたところで、大森がとりわけ知覚を重視するのは、知覚こそ「私が生きている現場」だからであり、その意味での現場主義は「大森哲学を生涯貫く特徴」であったと書いていました。この意味での「現場主義」は(ただひたすら自分の「生の現場」からすべてを捉えようとする)「独我論者」と同義で、かつ(知覚という「私が生きている現場」を重視する)「経験主義者」とも同義である。私はそのように理解します。
 そうだとすると、野矢氏がいう「あらゆる立ち現われには「今」と「私」とが刻印されている」は、「あらゆる立ち現われには「今」と「ここ」(現場)と「私」とが刻印されている」(もちろん「感情」も刻印されている)というべきではないかと思います。というのも、知覚風景は常に「今」「ここ」で「私」に対して開かれているからです。想起の場合でも同じことです。「ここ」を物理的な空間の意味に限定せず、たとえば身体、もしくは「場所」、あるいは野矢氏が「いっさいの経験が“そこ”において展開される「今」と「私」」とか「大森はどうしても“そこ”へ戻っていく」というときの「そこ」が指し示すものととらえればいいのです。
 「今」と「ここ」と「私」。そのそれぞれについて、「今的言語」「ここ的言語」「私的言語」というものを考えることができます。(「今的言語」とは、永井氏が『私・今・そして神』で、「もし記録された言語というものがなく、すべての言語がその時の意味付与と直結している音声言語だったら、すべての言語は時間上の私的言語である今的言語になってしまう──これはJ・デリダが『声と現象』においてフッサールを批判した際の主要論点であった。」と書いている、その「時間上の私的言語」のことで、「ここ的言語」は、この永井氏の議論を参考に私がこしらえた「空間上の私的言語」のこと。そのネーミングは面妖だが、他に適切な用語を思いつかない。強いて候補をあげれば、西田哲学の響きをこめて「場所的言語」か。)
 「今」といっても、それはいつの「今」のことか。「ここ」といっても、それはどこの「ここ」のことか。「私」といっても、それはどの「私」のことか。その答えはすべて「立ち現われ」のうちにあります。『西田幾多郎』での永井氏の文章、「もし強いて「私」という語を使うなら、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったという、そのことそれ自体が「私」なのである。だから、その経験をする主体は、存在しない。西田幾多郎の用語を使うなら、これは主体と客体が分かれる以前の「純粋経験」の描写である。」に、「純粋経験=立ち現われ」を代入して応用すればいいのです。

(いわずもがなの蛇足を加えると、私がこの章で主張しているのは、貫之の歌は「純粋経験」の描写である、精確には、私が勝手に名づけた貫之現象学の観点からみればそうだ、ということでした。そして、そのことを証拠だてるために、仮名序冒頭の二つの文に出てくる二つの心は別のものだ、とあえて主張してきたわけです。それと、永井氏の文章に「もし強いて「私」という語を使うなら」と出てきたところを、「もし強いて言葉にしてみるなら」に一般化すると、それが仮名序冒頭の第二の文にある「いひいだせる」にあたります。
 永井氏は、「我とは主語的統一ではなくて、述語的統一でなければならぬ、一つの点ではなく一つの円でなければならぬ、物ではなく場所でなければならぬ」という、「場所」論文に出てくる西田幾多郎の文章をめぐって、「雷鳴が響き渡っているという事態があって、あえて言うならそのことが私なのであるから、「私は雷鳴を聞いている」というような主語的統一に先立って、まずは述語的統一がなければならないことになる。それは「雷鳴が響き渡っている──取り立てて言うなら私に於いて」というようなことであろう。この「取り立てて言う」ことがすなわち(場所の)「自覚」で、世界の像の製作でもあるのだが、それが「取り立てて言う」ことであることからもわかるように、もし取り立てて言わなければ、私など存在しない(無である)。」と書いていました。
 私は、仮名序の「いひいだせる」を、ここでいわれる「あえて言う」「取り立てて言う」の意味においてとらえるとき、そのような意味での「いひいだせる」こそが、歌の詠出(=世界像の製作)という局面において、「人のこころ⇒ことのは」の貫之現象学の世界を「心におもふこと⇒いひいだせる」の「ひとの世」につなぐ決定的な役割を果たしているのではないか、したがって、歌の伝導という局面において、尼ヶ崎氏が注目する「見るものきくものにつけて」よりもむしろ本質的なはたらきをしているのではないかと考えますが、この点については、富士谷御杖の歌論を取りあげる際に立ち返ります。)

 もう一つだけ、思いつきを書き連ねます。いま述べた「純粋経験」を描写する三つの言語(「今的言語」と「ここ的言語」と「私的言語」、総じて広義の私的言語)が、どういうプロセスを経てか、客観的世界における公共言語のうちに組み込まれると、そこに時制と様相と人称という文法的な構造が生まれます。ここで「今的言語」が時制に、(狭義の)「私的言語」が人称に、というのは語感からしてもそれらしいところがありますが、「ここ的言語」が様相に、の方は少し説明がいるでしょう。私が「様相」の語で想定しているのは、「潜在的 virtual」と「実在的 actual」、「現実的 real」と「可能的 possible」(もしくは「想像的 imaginary」)の二つの組み合わせからなる存在様相のことで、「ここ here」と「よそ there」の対比から、現実の世界と非現実の世界(たとえば小説や映画が仮構する虚構の世界)、目覚めた世界と夢の世界、此岸と彼岸、等々の世界の様相が分岐していく、といった感じでとらえています。だからどうなのだ、については、歌体論(哥の伝導体をめぐる考察)を取りあげる際に立ち返ります。
 ちなみに、あらゆる立ち現われに刻印されているもう一つのもの、つまり「感情」についても、「今」や「ここ」や「私」の場合と同様の議論があてはまるでしょう。もちろん、ここでいう「感情」は、個人の内面の悲しみ(内面の心的作用)といったもののことではありません。あくまでも、立ち現われの「相貌」として、世界(としての私)の側にあるもののことです。では、そのような意味での「感情」について考えられる第四の私的言語とは何か、また、それが公共言語に組み込まれたとき、どのような文法的な構造へと分岐していくのか。このことについても、富士谷御杖の歌論を見るなかで、そして、歌の姿、歌の躰をめぐる考察のなかで、おいおい考えていきます。(もっとも、〈今〉と〈ここ〉と〈私〉を刻印した純粋経験そのものが〈感情〉もしくは〈心〉それ自体である、あるいはその立ち現われの相貌である、と規定することができるのならば、純粋経験を語る私的言語の第四のものなど、あらためてもちだすまでもないのかもしれません。いずれにせよ、このことも含めて、歌体論を取りあげる際に立ち返ることにします。)

(05号の6章に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。三ヶ月以上、一つのことに関心が続かない。それができたらきっと凄いことになる(たぶん)。
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Web評論誌「コーラ」05号(2008.08.15)
<哥とクオリア>第5章 聲と言霊・前篇(中原紀生)
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