Web評論誌「コーラ」36号/哥とクオリア 第49章 錯綜体/アナロジー/論理(その5)

>

Web評論誌「コーラ」
36号(2018/12/15)

■創刊の辞

■本誌の表紙(目次)へ

■本誌のバックナンバー

■読者の頁/ご意見・感想

■投稿規定

■関係者のWebサイト

■プライバシーポリシー

<本誌の関連ページ>

■「カルチャー・レヴュー」のバックナンバー

■評論紙「La Vue」の総目次

Copyright (c)SOUGETUSYOBOU
2017 All Rights Reserved.

表紙(目次)へ

■無時間の虚空、一期一会の磁場
 
 夫に同伴してアラブ世界の西方・マグレブに赴いた井筒豊子は、その紀行文「モロッコ国際シンポジウム傍観記」(『中央公論』1982年4月号掲載、『井筒俊彦の学問遍路──同行二人半』所収)の冒頭に、パリ・オルリー空港からラバット=カサブランカへ向かって飛び立った飛行機の中でのある体験を、次のように記しています。
《とりあえず目的地に到達する、という単一単純目的だけを目的として、ただただ飛翔を続ける機内の、抽象空間じみたその小さな空間の中に、安全ベルトで全身を椅子に固定されたままでいると、刻々に移ってゆくはずの過去と未来の接点が、その一点でだけ長く引き延ばされて、静止した真空のような、無時間の虚空をふと経験する。其処では、全ての出来事が他の全ての出来事に、あらゆる事態があらゆる他の事態に、直接の関連性をもって結合し得る。経験的[エンピリカル]次元の因果律や、時間的先後関係の拘束をはなれた、いわば無時間的に生起する事態と事態の連鎖連関的網目組織の、無限の地平の展開をふと垣間見る思いがする。》(『井筒俊彦の学問遍路』117-118頁)
 この、「過去と未来の接点」[*]が切りひらく「無時間の虚空」は、紀行文末尾の、招かれて列席した夕食会の場面に出現する「一期一会の磁場」に、あるいは、それを支え把握し構成する「現象現出以前の、無色の無時間の充実」や「無心の咸」につながっていきます。
《言葉と、心理の流れと。だが実は、このような集りでは、形あるものや動いて機能しつつ過ぎ去るものは、第二次的なものに過ぎない。一期一会という名言があるけれど、この集りの、一期一会の磁場を構成しているのは、言葉や心理という‘図柄’ではなく、その図柄がその上に描き出されつつあるところの、素地そのものであり、画布でもあるような、いわば現象現出以前の、無色の無時間の充実、心≠セ。そのような無色の心の相互認識が、そして世阿弥元清がその能理論で云うところのいわゆる「無心の咸[かん]」が、一つの磁場を支え、把握し、その上に、皆が言葉と心理の流れるような図柄を描き、模様を置いてゆく。茶道芸術もまた、このような意識空間の構造に関する限り、多分、日本だけのものではないのだろう。》(『井筒俊彦の学問遍路』147-148頁)
 いま、私の頭の中には、アヴィセンナの空中人間に見られる「自照的存在の意識性」の「無時間的・空間的位相」という基底的構造が、能の演技にかかわる意識空間や、舞踊や武道の心・身空間、茶道の美的空間意識となって展開していった、とする「意識フィールドとしての和歌」の議論(第28章、第39章参照)が去来しているのですが、(そしてまた、同論文の末尾に、意識フィールドの無時間性とは、「いわばマンダラ的無・時間の空間性であり、華厳的な縁起の、宇宙大に広大無辺の、意味的網目組織の、無・時間的展開地平」であると書かれていたこと(第30章参照)や、市川浩が『〈中間者〉の哲学』で、「世界は重畳無尽の現実的ならびに可能的関係(縁起)からなる錯綜体である。それは存在でもなければ、不在でも、非存在でもなく、そのいずれでもありうる虚在とでもいうべきものである。」と書いていたこと(第45章参照)、等々がめまぐるしく明滅しているのですが)、本章では、このような「無色の心」によって構成される「無時間の虚空=磁場=意識空間」における「論理」のはたらきについて、いま少し立ち入って考えたいと思います。
 それは、シンポジウムのある講演に触発されて、「学会傍観者の私の脳裡に去来し、‘一瀉千里’を走った無時間的連鎖連想!」を記述した次の文章に出てくる、「無時間的な場[フィールド]的な拡がりを持つ思考」における「広義の論理性」の実質を考えることにほかなりません。その講演は「精神的危機と南北対話」と題されたもので、セネガルの著名な詩人・哲人政治家は、講演の中で、論理知性と直観知の統合を、すなわち、現代西欧型の論理思考に対する「異質周辺文化の、豊かで多彩な意味分節の肉づけを有する直観知の積極的な参与」を提案しました。
《言語的意味分節と、それによる認識把握という二者一対の機能を通じて、言語構造と文化構造は、常に有機的、力動的な相互連関を保ちながら、その独自の意味組織の、秩序ある構造的整合性を展開させていく。従って、自然言語を基礎とするそれぞれの固有文化には、何れもそれ自体に独自の、内的な構造的整合性が存在するはずであり、この構造的整合性こそ、実はその言語と文化に内在する、固有の‘論理性’そのものである、と云うべきかも知れない。
 さらに全ての思惟が、表現された思惟も内的思惟も共に、現象的には‘言語’思惟に他ならないとすれば(イメージ思考のイメージも、第一次的には、言語的意味分節を経たものとして考えられる)、思惟形式の構造的整合性(いわゆる広義の論理性)も、それぞれの自然言語に固有の、主として意味分節と意味統合組織の、構造的整合性そのものの忠実な反映でもある。
 また、この自然言語による思考が、元来、何れも意味分節と意味統合による相互連関で機能しているという、複数の自然言語思考現象間の通約的構造モデルを仮定すれば、次のような二つの思考形式のモデルが成立するだろう。意味統合形式を優位に立てて、統辞的な線的整合性を追ってゆく思考。そして、分節された意味単位間の共時的連鎖連合として成立している意味の網目組織の示唆する様々な意味連鎖に触発され、機に応じて自由奔放に面的に展開する連想連鎖思考。前者は本来的に線的、時間的思考であり、後者は、いわば無時間的な場[フィールド]的な拡がりを持つ思考である。》(『井筒俊彦の学問遍路』143頁)
[*]ハンナ・アーレントは『過去と未来の間』(引田隆也・齋藤純一共訳)の「序」で、過去と未来の間の時間の裂け目(ギャップ)を「精神の領域」と規定し、「非時間の空間」と呼んでいる。
《人間はまさしく思考するかぎりでのみ、すなわち時間による規定を受けつけない…かぎりでのみ、自らの具体的存在の完全な現勢態[アクチュアリティ]、つまり過去と未来の間の時間の裂け目に生きる。過去と未来の間の裂け目は近代の現象ではないし、おそらく歴史的なものですらなく、地上に人間が存在したのと同じくらい古いと思われる。この時間の裂け目は精神の領域といってもさしつかえない。あるいはむしろ思考によって踏みならされた道といえよう。思考の活動様式は死すべき人間が住まう時間の空間のなかにこの非時間[ノン・タイム]の小径を踏み固める。そして思考の歩み、つまり想起と予期の歩みは、触れるものすべてをこの非時間の小径に保存することで、歴史の時間と個人の生の時間による破壊から救うのである。時間の奥底そのもののうちにあるこの密やかな非時間の空間[ノン・タイム・スペース]は、われわれが生まれてくる世界や文化とは異なり、示しうるのみであって過去から受け継いだり伝え残したりはできない。新しい世代それぞれが、それどころか、人間の存在は無限の過去と無限の未来の間に立ち現われるものであるゆえ、新たに到来する人間一人一人が、この非時間の空間をあらためて発見し着実な足取りで踏みならさねばならない。
(略)そして、それ[思考の経験]は何事かを行なう経験すべてと同じく、実践、つまり実習を何度もつむことで初めて勝ちとられる。(この点で思考は、他の点でもそうであるが、一度学びさえすればあとは適用するだけでよい無矛盾性や内的整合性の論理規則に従って演繹、帰納し、結論を導出するような精神の過程と種類を異にする。)》(『過去と未来の間』14-16頁)
 本章で考察する「論理」は、ここで言われる「非時間の空間」における「思考の活動様式」にかかわるものであって、過去から受け継いだり伝え残したりすることができる「論理規則」のごときものではない。
 
■西洋のロゴス、東洋のレンマ
 
 無色の心によって構成される無時間の虚空、あるいは一期一会の磁場、そして、そこに現象するところの無時間的で場(フィールド)的な拡がりを持った言語思考形式の構造的整合性。そのような意味での論理性の実質を考えるために、私はここで、西田幾多郎の「心の哲学」の系譜に属する最新・最終の哲学者[*]、山内得立の「レンマ的論理」や「テトラレンマ」をめぐる議論を援用したいと思います。
 まず、東西論理思想の総合をめざした、山内得立晩年の主著『ロゴスとレンマ』から、その骨格を抽出します。(ほとんど全頁にちりばめられた興味深い考察や論点、たとえば、「考えることとそれについて考える対象の存在することは同一である」というのが同一律の発見者パルメニデスの真意だったのではないか、とする山内得立の「著しく現象学的」な解釈と、アリストテレス以来の形式論理学の、とりわけ同一律の「批判」から開始されたカントの新しい論理学や「存在はレアールな述語ではない」という命題との関係、等々については、ここでは備忘のため記録するにとどめる。)
 
1.三つの論理─同一律・矛盾律・排中律
 
〇論理の第一原則である同一律はパルメニデスによって、第二の矛盾律はその弟子ゼノンによって発見され、第三の排中律はアリストテレスの時代にはよく知られた法則となっていた。(9頁)
 形式論理学はアリストテレスの三法則によって大成し、長き中世期を経てカントに到るまで一歩も進歩しなかった。
〇カントの先験的論理学は同一律を「批判」し、ヘーゲルの弁証法的論理は矛盾律を「逆転」した。
 カントとヘーゲルによってヨーロッパの論理学は大成され、現代に到るまでそれ以上の新しい立場が創設されたためしはない。(13頁)
〇論理の第三法則、すなわち排中律の「逆転」を土台とする新しい立場は、インドの大乗仏教、なかんずく龍樹(ナーガールジュナ)の教学において見出しうるものではないかと思う。(15頁)
 
2.ロゴスの展開─差異・対立・矛盾
 
〇ロゴスは先ず言葉であり、そこには語られるもの(主辞)とそれについて語ること(賓辞)との区別があらわれる。
 語ることは人と人との対話であり、そこには語る我と語りかけられる相手とが分立する。その間にコミュニケーションが可能となり、判断が分立する。
 ロゴスが bivalence となり、ロジク(論理)が発展する。(35頁)
〇ロゴスの展開は肯定と否定との分立に始まり、肯定に対して否定が独立の意味と存在を保有するに至って達成される。(39頁)
 その第一段階は「差異」あるいは「欠如性 privatio」であり、第二が「対立」であり、第三が「矛盾」である。(40-43頁)
 フィヒテの哲学は「差異=欠如性」を方法論的立場とし、シェリングの哲学は「対立」を主要な原理とし、ヘーゲルの哲学においては「矛盾」が支配する。(51-55頁)
 ヘーゲルの弁証法論理はロゴスの思想発展の最後の、そして最高の段階である。(64頁)
〇ロゴスの発展にはなお一つのとり残された問題がある。それはロゴスの第三の法則たる排中律の逆転である。(65頁)
 東洋にはレンマ(lemma)の論理がある。西洋のロゴスと東洋のレンマを区別しながら共に含むことによって、世界全体の思想体系を樹立することができる。(67頁)
 
3.テトラレンマ─肯定・否定・両非・両是
 
〇レンマに二種あり、一はテトラレンマとしてインド大乗仏教の論理をなし、他はディレンマとして中国の老荘思想の論理を形成している。(序)
〇西洋の論理は bivalence であって、判断は肯定か否定かのいずれかで第三のものはあり得ない(排中律)。
 しかしインドではこの外に第三及び第四の立場がある。インドの論理は「中」を容認する。すなわち排中律を逆転して容中律を認めることがインド人の考えであった。(70頁)
〇仏陀の頃のインドに、人間の思惟の様式を尽くす「四論」の説があった。(一)肯定、(二)否定、(三)肯定にして否定、(四)肯定でもなく否定でもない場合というテトラレンマである。
 私(山内)は第三と第四とを逆にして、(一)肯定、(二)否定、(三)両非(両否とも)、(四)両是として、第三の両非の立場を全論理の中心におきたい。(71頁)
 大乗仏教の創始者・龍樹の「中論」第一偈は、諸々の有体が「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不出」であることの主張であった(八不)。この論法は明らかに両非の論理、すなわち肯定でもなく否定でもない第三レンマの主張にほかならない。(72頁)
〇テトラレンマは第三レンマによって区切られる。
 第一と第二とは bivalence を立場とする世俗の論理であり、第三と第四は either−or の両者をともに否定する neither−nor の勝義の論理に属する。(73頁)
 
4.即の論理、ディレンマの論理
 
〇即の論理は第三レンマと第四レンマとの関係の論理であり、大乗仏教の勝義の世界を支配する原理である。
 それは矛盾律と排中律の支配する世俗の論理ではないし、存在と非存在とを関係せしめる媒介の論理でもなかった。(310頁)
〇第三レンマは単なる非存在ではなく、肯定を否定するとともに否定を否定する。否定の否定が肯定であるとすれば、第三レンマは外形上否定であるが実は否定と肯定を両有するともいえる。
 第三レンマ(両非もしくは両否)から第四レンマ(両是)への「転換」の可能性と必然性とはここにある。(313頁)
〇インド人の思惟方式がテトラレンマであるとすれば、中国人の思考はディレンマに支配されていた。(353頁)
 たとえば老荘の思想は「AはBでないからAはBである」式の逆説に終始している。般若の論理(鈴木大拙)は「AはAでないからAである」と説く。
 しかし、第四レンマが可能なのは第三レンマの絶対否定を前提してのことである。そのことなしにはレンマは論理でなく単なるドクサである。(354頁)
〇無から有を引き出そうとするのがディレンマの論理で、不生不滅(両非、絶対否定)から生滅(両是)を証明しようとするのがテトラレンマの論理であった。前者にはただ逆説があるのみで、後者において一つの論理が展開する。(374頁)
《無から有が生ずるのではなく、一から二が生ずるのでもなく無に於いて凡てがあり、一に於いて万物が存するのもこの第三のレンマによってであった。(略)不生から生に到るのは未だディレンマの立場に止まる。(略)否定は単なる無でなくして非有でなければならぬ。本無はただに「がない」ことによってではなく、「でない」ことによって基礎づけられる。(略)
 即の論理というのも無が即ち有である、有が即ち無であることではない。否定から直ちに肯定が生ずるということではない。それはロゴスに於いて背理であるのみでなく、レンマの立場に於ても容易に許され得ぬ逆説であろう。即の論理は必ず即非の論理でなければならぬ。このとき否定は不でなくして非である。非は否定として必ずしも不と同一でなく、非有(あらざること)がその当体をなす。例えば非人情は不人情から明別せられる如く即非は決して即不であることはできぬ。しかしこのような否定から如何にして肯定が措定せられうるのであるか。無が即ち有であるのではなく、無が何ものでもないならば無の否定からしては何ものが生ずべきであろうか。即の論理は両非と両是との関係であって単なる否定と肯定との関係ではない。肯定でもなく、否定でもないからして即ち肯定でもあり否定でもありうるのである。両非から両是に転換することが即の論理であった。この転換には何ら媒介を要しない。(略)ヘーゲルにとっては媒介は綜合に達すべき手段であり、少なくともその過程であった。しかし大乗仏教の論理はそのような媒介を要しなかった。その過程は綜合でなくして転換である。ロゴスの逆転ではなくしてレンマの転換であるに外ならなかった。しかし転換にはまた一つの論理がなければならぬ。それは両否が直ちに両是となるという論理である。それは綜合ではなくまさに端的なレンマの把握でなければならない。両非から両是に転ずることはレンマ的論理によってその必然性が確保せられる。肯定の否定は非存在となり否定の否定は存在となる。第三レンマによって空は即ち色となり色は即ち空となりうるのである。しかも両非によって初めて両是がありうるとすればこの関係とその論理はテトラ・レンマの論理を措いて外にはあり得なかった。》(『ロゴスとレンマ』375-376頁)
[*]山内得立の遺著『隨眠の哲学』の編者・酒井修はそのまえがきで、明治維新以後の日本の哲学的試み、とりわけ西田幾多郎、田辺元、高橋里美のような「大正から昭和の前半にかけて輩出した我国における唯心論的哲学の諸体系」を「心の哲学」と名づけた三宅剛一(『哲学概論』)の説を紹介した上で、「編者の理解する所では、本書の著者は紛れもなくこの「心の哲学」の系譜に属する哲学者である、然も「心の哲学」が共通に志向するもの(即ち、東西両洋の思想を、「東洋」の側から統一する企て)を実現しようと正面から試みた所の、恐らくはこの系譜の最新の(従って最終の)思想家であると、そう性格づけてよいように思われる」と書いている。
《三宅剛一が「心の哲学」と概括するときに言う「心」とは、「意識」とか「魂」のような、心理的性格ないし土俗性の強い観念ではなく、むしろ「一心法界」とか「一心三観」に見られるような、理を証する場としての心を指している…。──そういう「心」は、修行と瞑想との極に体験される至純清澄の心境の世界として、吾々の観念的生の憧憬する所となりうるであろう。然し編者には、そういう「心」は又、吾々日本人の精神的生においては、日本的無常感や「物のあわれ」と、原則ぬきで融合して相補的に強めあっているように思われる。その核心には、‘言語化を忌避し’、‘分節化構造化を拒否する’強烈な情感の世界があって、この世界は、構造的世界の進入をしたたかにはねつけるとともに、それ故にこの構造的世界を最も巧妙に手段化しているのではないだろうか。》(岩波書店『隨眠の哲学』xiv頁)
 以下、酒井の文章は、そのような「心境の世界」が哲学的判断にもたらす制約(たとえば、自然科学や歴史学の最先端の問題を論じている最中に、「東洋的絶対無」とか「往相即還相」とかを持ち出して議論にけりをつけてしまう)に言及し、われわれの「心」をそうした「イドーラ」から自由にすることこそが現下の義務なのではないか、と続く。
 
■生きられる論理、アナロギアの論理
 
 レンマ的論理の核心は、第三レンマ(両非もしくは両否)と第四レンマ(両是)との論理的関係、すなわち「即の論理」にあります。このことをめぐって、木岡伸夫氏は『〈あいだ〉を開く──レンマの地平』で、次のように論じています。
《『ロゴスとレンマ』が参照する『中論』の核心的主張は、排中律を逆転する〈中の論理〉にある。西洋哲学のロゴス的論理によっては、「中」の境位は実現しない。『中論』に具体化された〈中の論理〉の核心は、第三レンマ(二重否定)から第四レンマ(二重肯定)への転換であり、それを山内は「即の論理」と呼ぶ。なぜそれが、「即の論理」と呼ばれるのか。第三レンマと第四レンマは、‘肯定でも否定でもない’から、‘肯定でも否定でもある’、という論理的関係にある。ただし、前者を前提とすることによって後者の結論が出てくるわけではないから、それは推論ではない。また前者と後者が対立矛盾の関係にあるがゆえに、媒介されて総合に達するわけでもないから、それは弁証法でもない。「即の論理」における否定は媒介作用ではなく、前者から後者への移行は、即時に成立する直接的な体験、直観的で具体的な事実である。それは一種の〈生きられる論理〉であると言ってもよいだろう。しかし、そこに成り立つ直接的な知は、はたして「論理」の名に値すると言えるのか。
 「即とは分たれたものが同時にあり、分たれてあるままに一であることである」(『ロゴスとレンマ』309頁)。このことを、一つの条件に結びつけて考えることができる。弁証法における媒介が時間の作用として考えられているのに対して、否定と肯定の両立は一つの空間を必要とする。対立する二項を、時間における矛盾ではなく空間における差異として見るとき、上の第三・第四レンマのあいだに不即不離の関係が生じる、と考えて不都合はないだろう。矛盾律・排中律は、生成を時間の相のもとにとらえるという大前提において、存在理由をもつ。それとは反対に、空間的な観点に立つことによって、時間的見地からは両立しがたいものの並立が可能となる。たがいに矛盾対立するものの両立する論理空間が、そこに成立することによって、「即の論理」は〈中間を開く〉と考えられる。》(『〈あいだ〉を開く』20-21頁)
 即の論理(中の論理)は、直接的で具体的な体験であり、「生きられる論理」である。それは、対立する二項(たとえば有と無、存在と非存在)を時間の相における矛盾としてとらえるのでなく、無時間的・空間的な「差異」の関係として見ることを通じて、「中」すなわち「あいだ」(=「合処(あひど)」=「あうところ」(60頁))を開く。
 議論が、「無時間の虚空」(もしくは、前章の末尾でふれた「イントラ・フェストゥム=永遠の今」)につながってきました。「現象現出以前の、無色の無時間の充実」(井筒豊子)と呼ばれるもの、「生きたものの論理」(木岡氏は西田幾多郎の「無の論理」「場所の論理」「弁証法的論理」を「生きたものの論理」と呼ぶ(89頁))ではなく「生きられる論理」がはたらくフィールドの方へ。
 ところで、木岡氏がここで「中間を開く」と書いているのは、およそ次のような意味合いをもっています。
 いわく、フッサールに師事した山内は、西田幾多郎、田辺元らの弁証法を批判し、世界を「差異」の相のもとに眺める現象学の立場をとった。世界に存在する事物Aとそれ以外のものの関係を、Aと非Aの関係として見れば、両者は互いに「対立」し、対立はそのゆきつく先に両立不可能な「矛盾」を想定する。これに対して、対立以前の「差異」の相のもとでは、Aでないものは非Aではなく、Aと異なるBとして見られる。
《Aと非Aの関係は、形式論理における矛盾律と排中律を前提としている。両者にとって〈中間〉は存在しない。これに対して、AとBの関係は、Aがある程度までBと共通する存在であることを容認する。この関係における両者の区別は曖昧であって、両者は分離されることなく、つながりをもつ。この意味において、差異は中間的なものを予想し、異なるものとものの〈あいだ〉が開かれている。このように、レンマ的論理では、世界をどこまでも非対立的で差異的なものの表れとして見る姿勢、すなわちあらゆる存在をさまざまな〈あいだ〉において見ようとする理論的態度が、前提されていると言わなければならない。
 存在を中間的な形態、差異においてとらえようとするのが、レンマ的論理である。》(『〈あいだ〉を開く』68頁)
 こうした意味でのレンマ的論理をのことを、木岡氏は、(京都哲学撰書版『隨眠の哲学』の解説で梅原猛が、「現実はそのような[弁証法による現実解釈のような]存在と非存在、有と無の対立という二元論で解決できるようなものではない。存在は差異の世界であり、混合の世界である。このような差異の世界、混合の世界をとらえる論理が必要である。山内氏はそれを「アナロギアの論理」とよび、アナロギアの論理を第三の論理として確立しようと努力していた。」(293頁)と記したことを踏まえて)、「アナロギアの論理」と呼びます。そして、「アナロギアの論理としての山内哲学」の意義を問い直しているのです。
 以下は、木岡氏が『〈あいだ〉を開く』で、『意味の形而上学』や『隨眠の哲学』などの読解にもとづき論述した、山内哲学の骨子です。
 
5.即非の論理、無のアナロギア
 
〇即の論理(レンマ的論理)では場所的近接=換喩的関係によるAと非Aの両立がもたらされ、弁証法(ロゴス的論理)では時の移行による正と反の両立がもたらされる。
 この二種の論理は山内得立が『隨眠の哲学』で到達した「即非の論理」において融合する。(165頁)
〇ロゴス的論理に立つ形而上学は存在者の存在の根拠を絶対の有=神に求める。
 これに対してレンマ的論理における存在の根拠は存在でも非存在でもなく、それらの対立・区別それ自体を生み出す絶対無=非であり、そして存在者同士の関係もまた無である。(164頁)
〇ここには二重の「あいだ」がある。存在者と存在の根拠との「あいだ」と他の存在者との「あいだ」。即非の論理はこの二つの「あいだ」を統一する狙いを含んでいた。
 山内が到達した「アナロギアの論理」は、神と人の無限の隔たりを前提する「存在のアナロギア」ではなく、無への信憑にもとづく「無のアナロギア」であった。(165頁)
 
6.表現の論理、形の論理
 
〇即非の論理は表現の論理と結びつく。『意味の形而上学』によれば、表現とは「一即多」の関係である。
《表現作用において、自らを〈多〉のうちに表現する〈一〉は、それが即非の「非」に相当する以上は、根拠としての無でなければならない。それをイデアや神といった形而上学的存在に見立てることはできない。表現において一なるものは、それ自体が多との関係において自己を表現する〈こと〉、〈もの〉として存在することのない〈自己原因〉的な何か、として考えられねばならない。このことは「アナロギアの論理」が「存在のアナロギア」の論理的枠組みをいったん採用した上で、その枠内に位置する「存在」を「無」へと換骨奪胎することによって、はじめて可能となる。そこに姿を現してくる「無のアナロギア」を、われわれとしてはむしろ別の言葉で言い表したい。その言葉とは、〈形の論理〉である。》(『〈あいだ〉を開く』172頁)
〇即非の論理を、西田幾多郎と三木清が着手した「形の論理」の完成版と見ることができる。
 即非の論理においては存在の根拠と存在とが「一即多」の関係においてとらえられている。これは西田のもとで「絶対無の自己規定」と称された「表現」の概念を発展させたものである。(174頁)
〇アナロギアの論理に「型」と「形」の概念を適用してみれば、その本質が「形の論理」であることは明らかである。(174頁)
 存在の根拠となる「型」はそこから「形」が生まれるところの「表現する働き」であると同時に、さまざまな「形」をつうじてのみ窺い知られる根源的な「型」=「痕跡(かた)」である。
 「型」から「形」が生まれることの反面において「型」は「形」からつくりだされる。「山内が示した「非」の理念は、〈型〉の〈形〉に対する先行性・根拠性を明確にうちだしている。しかし、〈型〉に対する〈形〉の先行性・優越性ということは、指摘されずに了[おわ]っている。」(175頁)
 
■形の論理、風景の論理
 
 それでは、形に対する型の先行性・根拠性だけではなく、型に対する形の先行性・優越性をも明確にうちだした新しい「形の論理」とはどのようなものなのか。これに対するひとつの答えを、木岡伸夫氏が『風景の論理──沈黙から語りへ』で展開した「風景の論理」に見ることができます。[*]
 木岡氏はまず、「形の論理」をベルクソンの「生の哲学」に関連づけて、「動くものの動き自体に即して、内側から運動を分節化しつつ、こうして生み出されたものと生み出すものの関係を見とどけるなら、それを論理化することはできるのではないだろうか」(ii頁)と問います。そして、風景経験をめぐって、不可視の次元と可視的次元をまたぐ三層の契機「基本風景/原風景/表現的風景」を区別し、これらに先立ちその基底となる風景以前の「原型(X)」を加えた四つの概念を呈示し、この構図の内側から、「種々の差異としての〈形〉から統一的な〈型〉が誕生し、またその逆に〈型〉から無数の〈形〉が導出される、という相互反転の過程」(53頁)を論理化しているのです。
 まず、風景経験の四つの相について、『風景の論理』からいくつかのキーワードを抜き書きします。
 
【基本風景】
・不可視、沈黙、「個」の水準における経験(84頁)
・「誰の」という意識を伴うことなく、私によって生きられている風景(56頁)
・匿名的で前人称的な言語化以前の経験。沈黙のうちに生きられる前言語的経験(56-57頁)
・個々の身体によって演じられる暗黙的実践。言語による反省以前の暗黙的な世界経験(56頁、83頁)
 
【原風景】
・可視、語り、「種」(集団的主体)の水準における経験(84頁)
・言語経験(共同的な言語行為)に媒介され組織化された意味のシステム=「(物)語られる風景」(56頁,84頁)
・個々の「基本風景」を統合する形で集団的経験として生まれる風景(178頁)
・始原へと遡るところの「現在の経験」(84頁)
 
【表現的風景】
・「原風景」を基盤として、集団に対する個の自覚から生まれる風景経験(57頁,178頁)
・特定の個人が創造する「作品」(例:ゴッホの描いた麦畑)、または匿名的な複数の主体による語りや所作の反復模倣の中から生まれる「眺望・視線」(例:若草山から見下ろされる東大寺大仏殿)が公共化された社会的な記憶=「場所の記憶」(57頁)
 
【原型(X)】
・風景経験の「類」的次元。不可知のX(71頁)
・個人的無意識に根ざす「基本風景」を支える集合的無意識の層(隠れたもの)(83頁)
・「原風景」がもはや遡及し捕捉することのできない「喪失」=「不在の過去」=「痕跡」(84-85頁)
 
 木岡氏は次に、形の論理をめぐって、「基本風景と原型の間には、個人的記憶(無意識)と集合的記憶(無意識)の関係がある。ここには、ある種の〈形〉と〈型〉の関係、〈形の論理〉が認められる。」(83頁)と書いています。そして、この「原型(X)」を第一の型、「原風景」を第二の型と規定し、「表現的風景」と「原風景」の間にも同様の「形の論理」を認めているのです。
 次の文章は、論文「〈形の論理〉と風土学的構想力―一九三〇年代日本哲学との対話から」(関西大学『文學論集』第58巻第1号[http://hdl.handle.net/10112/1333])からの引用。
《まず、構造の外部(基底)に位置する原型(X)が、根源的な第一の型である。これは、いかなる意味でも形象化されない〈無〉の性格を帯びる。そして、この原型に根ざしつつ、もろもろの〈形〉を生む母型となるのが、第二の型、原風景である。原風景は〈形〉を生み出すことで、自らも可視性を帯びるが、その本質は不可視的な原型とのつながりにある。したがって、〈形〉が関係する〈型〉は、それ自体二重の構造であり、この二重構造的な〈型〉との関係において、表現の二通りの意味が分かれると考えられる。》(「〈形の論理〉と風土学的構想力」)
 ここで言われる「表現の二通りの意味」とは、次のようなものです。
《表現的風景とは、〈形〉の表現にほかならない。その表現は、歴史的社会的な基盤から生まれる。それは集団的な経験の蓄積であり、社会的には〈制度〉、個人的には〈体験〉であると考えられる。この社会的水準に成立するのが、「原風景」である。原風景は個人による表現にとっての母型を意味する。したがって、原風景から表現的風景が生まれるのは、〈型〉から〈形〉が生まれる過程である。
 しかし表現には、それと反対の非連続の性格があるということを認めねばならない。母型をなぞること(かたどり)から生まれたのでない新しい表現は、むしろ〈型〉を否定し、それをつくりかえる。創造行為において、模倣されるべき〈型〉は存在せず、表現による否定を経た後に、〈型〉が生み出される。それは、まさに〈無からの創造〉である。とすると、「原風景」(型)と「表現的風景」(形)のあいだには、連続と非連続のいずれもが成立しうるということになる。》(「〈形の論理〉と風土学的構想力」)
 非連続の表現行為について、『風景の論理』では次のように書かれています。
《原風景の水準で機能する〈型〉、つまり元型(X)は、過去的方向に望見される。その存在は、ただ〈痕跡〉をつうじて窺われるにすぎない。これに対して表現的風景は、過去の追想や懐古の代わりに、未来に向けた〈無からの創造〉への参与である。それは単なる〈形〉の制作ではなく、むしろ〈型〉そのものをつくり出そうとする創造的行為である。
 いま〈無からの創造〉と言ったが、それはしかく単純な事態ではない。というのも、主体は原風景の水準において〈種〉による限定を受けており、したがって個的創造を企投するにしても、まったくの無前提から出発するのでないことは、明らかだからである。それは共同的な物語といったん手を切ることで、種的なものの媒介を否定するが、そのことによって原型(X)との直接的で未規定的な関係に立ち入ることになる。》(『風景の論理』86-87頁)
 以上の議論を「整理」すると、風景体験における「形の論理」(型と形の相互反転の過程)には、次の二つの類型があります。
1,不可視(不可知)・無意識・言語以前(沈黙)の次元における「形の論理」
(1)基本風景と原型(X)の間にある個人的記憶(無意識)と集合的記憶(無意識)の関係
(2)個々の基本風景(匿名的非人称的経験)の統合による原風景(集団的経験)の生成
2.可視的・意識的・言語世界の次元における「形の論理」
(1)原風景(母型)から表現的風景が生み出される「型どおり」の連続的表現行為
(2)原型(X)(=「無」、「無時間の虚空」(井筒豊子)、「虚在」(市川浩)、あるいはAでも非Aでもないもの、Aと非Aとの「あいだ」)との直接的で未規定的な関係に立ち入ることによって、新たな「型」(としての表現的風景)を生み出す「型やぶり」な非連続的表現行為=無からの創造
[*]以下は、少し先走った註釈。
 第一節で抜き書きした井筒豊子の文章の中に、「図柄・模様」=「言葉、心理の流れ」と「素地・画布」=「現象現出以前の心」を対比させる議論が出てきた。この二つのもの、端的に「図」と「地」と言い換えていいと思うが、(あるいは現象的「多」と根源的「一」者、もしくは「部分」と「全体」、「有」と「無」、等々)、いずれにせよ、この「図柄・模様」と「素地・画布」は、木岡氏が言うところの「形」と「型」に関連づけて考えることができる。
 また、自然言語固有の論理性を反映する思惟の論理性として、井筒豊子が揚げていた二つの思考形式のモデル、すなわち、意味統合(統辞)の優位性のもとでの「線的・時間的思考」と、意味分節(連鎖連合)に触発されて展開する「面的・場(フィールド)的思考」(=無時間的思考)とは、前者を「ロゴス的思考」に、後者を「レンマ的思考」にそれぞれ関連づけて(見立てて)論じてみることができるだろう。より端的に、「ロゴス:レンマ」=「時間的思考:無時間的思考」=「形:型」といった比例関係を仮説的にしつらえることもできる。
 
■歌の風景、夢の風景
 
 形の論理(風景の論理)をめぐる議論を概観しながら、私は、木岡氏がいう「風景」を市川浩氏の「錯綜体」の概念にあてはめて考えるようになっていました。その対応関係は、次のようなかたちになります。[*]
 
◎「原型(X)」=見えない型・第一の型=「不可能な統合(夢)」
◎「基本風景」 =見えない形     =「潜在的統合」
◎「原風景」  =見える型・第二の型 =「可能的統合」
◎「表現的風景」=見える形      =「顕在的(現実的)統合」
 
 風景という「錯綜体」と「形の論理」をめぐる木岡氏の議論は、ここではとても掬い切れない多くの可能性をはらんでいると思います。とりわけ、歌に詠まれた世界(風景)と夢に見られた世界(風景)をめぐる並行的な考察にとって。
 次章の話題を、少し先取りします。「「夢の現象学入門」とは「現象学入門」そのものである」(184頁)という気づき、もしくは自負をもって書きあげられた『夢の現象学・入門』の中で、著者・渡辺恒夫氏は、「現象」を「体験世界」ということばに置き換え、現象学とは「体験世界を、その内側に身を置いて観察し研究する学問」である、と定義しています(13頁)。
 この渡辺氏による「現象学」(=夢の現象学)の定義と、木岡氏による「形の論理」(=アナロギアの論理)の定義、すなわち、「動くものの動き自体に即して、内側から運動を分節化しつつ」、「生み出されたもの」(=形)と「生み出すもの」(=型)の関係を論理化したもの、という規定とを比較し、かつ、私自身の関心事に引き寄せ、拡張し、融合させるならば、次のように言うことができるでしょう。
 「歌の形」(風景ならぬ歌の風体)をなりたたせているレトリック(アナロジー)のはたらきを、その歌の世界の内側に身を置いて観察し、論理化した「歌の論理」は、実は、「夢」の体験世界のなりたちを究明する現象学の営みそのものであり、それと同時に、「形の論理」を身をもって生きることでもある、と。
 多くの手つかずの論点を放置したまま、貫之現象学のA層、その第一の相をめぐる議論を閉じます。
 
[*]このような対応関係を言挙げすることの意義は、風景の論理(形の論理)を、前章で導入した「アナロジーの伝導体」に関連づけて考える道筋をつけることにある。本文では先を急ぎ、このことについて主題的に論じることはできなかったが、私の構想としては、次章以降の「夢」や「パースペクティヴ」をめぐる議論のなかで、おそらくは別のかたちで、(前節の末尾に掲げた「形の論理」の二類型も含め)、あらためてこの論点に立ち帰ることになると思う。
 
 以上のことと直接の関係はないが、この場を借りて言及しておきたいことがある。
 原型(X)との直接的な関係性から産出される(新たな「型」としての)表現的風景。この「無からの創造」をめぐって、木岡氏は、ブルデューの「ハビトゥス」=「構造化する構造」の概念と対比させながら「無からの構造」と言い換えている。
《無から生じる構造とは、表現以前には存在しない秩序、ただ瞬間においてのみ生成する秩序である。それにしても、そういう瞬間的な秩序を、なお〈構造〉と呼ぶに足るだけの理由がなければならない。かかる逆説性を帯びた何ものかを、なお〈構造〉とみなす必要があるのはなぜか。それは、そのものが瞬間的に仮構されたものでありながら、意識主体にとっては‘あたかも’永遠にそこに存在し、自己のふるまいを方向づけ規制する‘かのような’、規範的性格において現れるからである。
 表現が〈無からの創造〉であるとすれば、行為者は原理的に自由であり、自由でなければならない。にもかかわらず、人は歴史的主体であるかぎり、おのれが非歴史的な存在であるかのごとく、無制約的にふるまうことはできない。むしろ彼は、表現に当たっては進んで実践の原則を作為し、それを負荷として引き受けようとする。つまり人は、‘自由に規則にしたがおうとする’。それが、〈表現するもの〉と〈表現されたもの〉のあいだに、一種の構造的連続性、つまるところ〈伝統〉が構成される理由である。
 表現に先行する原型(X)とは、無規定性そのものである。…原型が表現に先行すると言えるのは、表現が成立した時点、つまり表現以後のことである。それゆえ、表現なくして原型は存在しない。その「X」に実体的な意味づけを施すことによって、風景が一つの文化的伝統、〈型〉にしたがって産出される経緯をあとづけることができる。すなわち〈型の文化〉が成立し、そこに参与することが可能になる。このように考えるなら、構造主義的思考を実効的にするのは、〈形〉が〈型〉にしたがい、型どおりに生み出されることに対する主体の側の期待、ならびにそれを求めての実践である。それとは逆に、〈型やぶり〉の自由へと自己を拘束せんとする主体にとって、構造は存在しないもの、もしくは存在してはならぬもの、である。》(『風景の論理』183-184頁)
 木岡氏のこの考察は、本章第一節の註で引用したアーレントの議論につながっている。
 
(37号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」36号(2018.12.15)
<哥とクオリア>第49章 錯綜体/アナロジー/論理(その5)(中原紀生)
Copyright(c) SOUGETUSYOBOU 2018 All Rights Reserved.

表紙(目次)へ