■「引用」と「含み」
和歌的フィールド(間テキスト空間)においてはたらくアナロジーの二つの型。それを、私は前章で、市川浩著『〈身〉の構造』の議論に依りながら、「広い意味での引用」の日本的手法、すなわち見立てと本歌取りにそくして考えたわけですが、実は、同書にはいま一度、和歌のレトリックに言及した個所があります。前後の文脈を措いて、該当部分を抜き出します。
《現実的統合は、じつは潜在的統合を含んでいる。文学の言語ではその面が強調されて、ある意味では現実的統合が最も重要なものではなく、むしろ潜在的統合を引き出すための“しるし”、あるいは仕掛となる。そういう性格が一番著しいのが詩的言語ですね。だから詩的言語においては、しばしば文法はずれが試みられる、というのは文法通り線的[リニア]に統合された文章は、どうしても一義的に意味を限定する作用が強いので、それを壊すことによってさまざまの潜在的な統合可能性の海の中へ読者を放り出すわけです。枕詞なども最初は、言葉の持っている意味の拡がりを多重化して、間〔あいだ〕の意味を発生させ、それを共有させる試みだったのでしょう。
それから本歌取りとか故事を引用するというのは、そのことによって『古今集』のテキスト空間や中国文学のテキスト空間と入り交〔か〕い、潜在的な統合可能性を拡大することにほかならない。引用は、文化の歴史がもっている、また異質の文化がもっている潜在的可能性を自ら懐胎し、AでもBでもないものを生産する手法です。》(『〈身〉の構造』200-201頁)
この短い文章から、今後の議論のための多くの手掛かりを手に入れることができます。
たとえば、「潜在的統合を引き出す仕掛け=しるし」「間(あいだ)の意味、潜在的な統合可能性の海=あわい」「不可能な統合(夢)=よそ」といった三つ組の概念(第14章参照)の抽出や、排中律を破る「AでもBでもないもの」の出現、「表現」や「表出」や「創造」ではない「生産」の意味、等々。ほかにもまだ拾いあげるべき事柄は潜んでいますが、ここでは、現実的統合が潜在的統合を含んでいる、というときのその「含み」が、ほかならぬ「引用」とのあいだにきりむすぶ関係性を論点としてとりあげたいと思います。
かつて引用した文章(『花鳥の使』)のなかで、尼ヶ崎彬氏は、貫之が「桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける」と詠んだ時、桜が雪として降るという一つの型が成立し、以後の和歌がこの型を引用する時、もはや花と雪との区別はない、と書いていました。「詩的世界において、花は雪のように降る(比喩)のではなく、花は雪として(複合)降るのである」(94頁)と。
《詩的言語が、その意味をイメージに頼る限り、現実の法理を無視することはできない。「花」は常に「花」にとどまり、「雪」となることは許されない。しかし、詩的言語が、その意味を、生活世界の映像ではなく、詩的世界内部での〈価値体験の型〉に依存する時(顕在的には〈引用〉、非顕在的には〈含み〉)、〈言葉〉は日常の規約を超えて自由に結合し、自律的な世界を産出、展開することができたのである。》(『花鳥の使』96頁)
尼ヶ崎氏がいう「非顕在的」(「非顕現的」もしくは「隠在的」(井筒豊子))な「含み」は、これと対比される「顕在的」(「顕現的」)な「引用」の裏側、反対側に位置しています。いわば、有機化学における「オルト・メタ・パラ」の「パラ」位置に。
そうだとすると、「広い意味での引用」(統合可能性や深層の意味の拡大とその生産=顕在化)の日本的手法である見立てと本歌取りは、「顕在=顕現的」な次元におけるアナロジーのはたらきの二つの型に相当し、これらとパラレルな関係をきりむすぶ和歌のレトリック、すなわち「広い意味での含み」(潜在的統合可能性の多重化や間の意味の発生とその共有)の日本的手法が同様に二つ存在していて、それらは「非顕在=非顕現的」な次元におけるアナロジー、いわばパラ・アナロジーとでも名づけられるはたらきの二つの型に相当する。そんな仮説が浮上してきます。
ここでもまた、最初に結論を述べておきます。私が思い描いている事柄を図式的に表現すると、次のようになります。
1.アナロジーの二つの型(広い意味での引用)
@「見立て」(水平的連合)
A「本歌取り」(垂直的統合)
2.パラ・アナロジーの二つの型(広い意味での含み)
@「掛詞」(水平的照応)
A「縁語」(垂直的複合)
パラ・アナロジーのはたらきを担うレトリックの第一の候補は、市川氏も言及している「枕詞」だろうと思います。そして、枕詞について市川氏が述べていること、つまり「言葉の持っている意味の拡がりを多重化して、間の意味を発生させ、それを共有させる」レトリックとしてのはたらきが、和歌的フィールドにおいて極まっていくのは、渡部泰明氏が『和歌とは何か』で「序詞[=集団で共有される記憶]は枕詞[=集団で共有される呪文]とよく似た機能を持つ」(54頁)と指摘し、また「掛詞は、序詞を一つの発展基盤とする」(66頁)と書いている、その「掛詞」においてなのだろうと思います。(枕詞≒序詞⇒掛詞)
それは、渡部氏が言うところの「狭義」の掛詞、すなわち「広義」の枕詞のように一つの語を二重の意味で用いるだけではなく、文脈(一文に準じるような意味のまとまり)までも二重化するレトリック(59頁)のことではないか。それも、顕在=顕現的次元における「見立て」のパラ位置に、つまり非顕在=非顕現的次元(表面的な意味ではない深層の意味、もしくは音声の次元)に位置しているものなのではないか。私はそのように考えています。
そうだすると、パラ・アナロジーのはたらきを担う第二のレトリックは、顕在=顕現的次元における「本歌取り」のパラ位置をしめるものであると考えたくなります。市川氏の表現を借りれば、和歌の間テキスト空間と「入り交い」、その潜在的な統合可能性を懐胎し、「AでもBでもないもの」を生産する手法とパラレルな位置関係にある和歌的レトリック。私の直観にしたがうならば、そのような非顕在=非顕現的次元に位置する第二のパラ・アナロジーのはたらきを担うものの候補は、渡部氏が前掲書で「掛詞と表裏一体のレトリックであり、かつその発展形式と見なされる」(92-93頁)と書き、また「本歌取りは、縁語の発展した形式である」(108頁)と規定している、その「縁語」にほかなりません。(掛詞⇔縁語⇒本歌取り)
■「見立て」と「寄物陳思」
前章で、「見立て」と「本歌取り」について考える際、参考書(というか、引用のための種本)として使った尼ヶ崎彬著『日本のレトリック』と、この書物を先行者と認めて書かれた渡部泰明著『和歌とは何か』(第T部「和歌のレトリック」)の二冊を、以下、「掛詞」と「縁語」を考察するための手引きとします。
まず手始めに、(前章の末尾で、演出家としての定家について述べたことへの接続をはたす意味もこめて)、渡部本の「序章──和歌は演技している」から、尼ヶ崎本と共通するテーマをめぐって書かれた文章を引きます。いわく、「和歌は人の心[=現実の作者の感情]を表現するものではない」(8頁)。和歌とは「言葉でする演技」(9頁)である。そして、和歌のレトリックにはそのような演技や役割意識に満たされた「儀礼的空間」を呼び起こす働きがある(5頁)。
《本書でいう演技は、言い換えれば、本当の気持ちを探し求める営みのことである。そして本当の気持ちを、間違いなく自分のものだと引き受けようとする努力のことでもある。その上で、和歌は言葉による演技である、と考えたい。(略)演じることは、今ここで行われる出来事だからである。(略)演技などという視点を持ち出したのは、ほかでもない、和歌の言葉を、生き生きと躍動するものとして理解したいからなのである。歌の言葉が出来あがってくる現場に即して、少しでも魅力的に味わいたいからにほかならない。
実は、和歌を演技という視点から分析するのは、本書が初めてというわけではない。尼ヶ崎彬氏の『日本のレトリック』は、その名も「演技する言葉」という副題を持ち、とくに和歌的レトリックについて、演技という視点で美学的な見地から鋭い分析を行っている。本書は、国文学の立場から、具体的な作品分析に基づきながら、文学史的展望を見通すとどうなるか、自分なりの見解を披瀝したつもりである。》(『和歌とは何か』16-17頁)
渡部氏によると、「歌の言葉」は、「わが思いを、それと等価な意味・イメージの言葉に置換して表現する、という表現観」で説明しきれるようなものではなく、「直接に人々のいる現実の世界に働きかける面がある」(23頁)。
《働きかける力の源泉は言葉の「音」にある。言葉の音であるから、正しくは「声」である。その声が合わせられる。するとそこに儀礼的な空間が生み出される。試しに、誰かと、どんな言葉でもいいから、声を合わせて口に出してみるとよい。たちどころに日常とは異なる空間が出現することに驚くだろう。そして声を合わせている行為が、何かを演じているように思えてならなくなるだろう。和歌のレトリックとは、実際に声を出さなくても、言葉でそれを可能にする装置なのである。》(『和歌とは何か』23頁)
尼ヶ崎氏による「演技という視点」からの和歌分析の実例は、前章で引用した、定家詠「駒とめて」をめぐる文章のうちに見ることができますし、また、尼ヶ崎氏にとっての「歌の言葉が出来あがってくる現場」は、団十郎の「飛び六方を弁慶の疾走として見る」のではなく、「弁慶の疾走としての飛び六方を見る」(『日本のレトリック』95-96頁)といった、「演示的な言葉」(99頁)をめぐる議論のうちに見てとることができるでしょう。
ところで、私の手元にある『日本のレトリック』はちくま学芸文庫版で、この版では「演技する言葉」という副題が省略されています。その理由をあれこれ詮索し、深読みの愉悦に浸るのも一興かもしれません。(たとえば、尼ヶ崎本の原著あとがきに、「レトリックの仕掛けを探るとは、言葉の操作法の問題を超えて、私たち自身にさえまだよくわかっていない心の働き方の仕組みを探ることにある」(236頁)と記されているのを手掛かりにして、演技しているのは(今ここで行われている出来事と言えるのは)言葉か心か、その心(本当の気持ち)に言葉は追いついているか、いやそもそも心(自分のものだと引き受けた本当の気持ち)は言葉に追いついているか、等々の問題群は、「演技する言葉」という副題だけでは支えきれなかったから、と想定してみる。)
しかし、私がここで注目したいのは、「美学的な見地」と「国文学の立場」の違いは何か、ということです。美学者でも国文学者でもない身には、つまり当事者でない者にとっては、まるで雲をつかむ話ではあるのですが、ただ、おそらくこういうところにその違いがあらわれているのだろうと感じたことがひとつあったので、そのことを書き残しておきます。その話題は、渡部本の「序詞」をあつかった章にでてきます。
渡部氏はそこで、序詞は「ある種の[必ずしも体験が不可欠というわけではない]懐かしさをかもし出す」(41頁)表現なのではないかと書き、また「どうやら序詞は、一首の和歌の表現が本来どういう構造をとるかという、始原的かつ根本的な問題につながるものであるらしい。」(47頁)と述べ、つづけて、序詞を「即境的景物」に寄せて陳思する発想形式と規定した土橋寛(『古代歌謡論』)や、古代の詩的表現の基軸をなす「心物対応構造」の文学史的展開の見取り図を示した鈴木日出男(『古代和歌史論』)の議論を引いたうえで、「どちらの論に従っても、物と心とを対応させる表現は、かなり根源的な形式であるらしい。/なるほど、根源的な形式であるとするならば、序詞の風景からある種の「懐かしさ」の感覚がかもし出されてきてもおかしくない。」(48頁)と結び、さらに、「序詞の風景は、死者についての記憶と似ているかもしれない」(53頁)と議論を展開しているのです。
ここにとりあげられた「物と心とを対応させる表現」のことを、尼ヶ崎氏は『日本のレトリック』で「寄物陳思──思いに染まる言葉」という独立の章を立てて論じています。しかもそれを、古今集以後の和歌的レトリックの中心をなす掛詞・縁語・本歌取りに通底する技法として、すなわち「五七五を序詞とする素朴な形」ではなく「縁語・掛詞等の駆使によって「物」を歌に組み込む…和歌の標準的制作法」(139-40頁)として論述し、「寄物陳思」が「古代の拙朴な技法ではなく、実は日本のレトリックのかなり重要な部門である」(130頁)ことを明らかにし、さらには、「イェイツの説く象徴表現(symbolism)は、まさに私たちの「寄物陳思」の詩法ではあるまいか」(136頁)と話を拡げているのです。
このあたりの論述のうちに、私は、国文学者と美学者との想像力の働き方や問題感覚の違いのようなものを嗅ぎとったのでした。しかしそれは、同じ議論の土俵の上での強弱濃淡のつけかたの違いにすぎないのかもしれません。だから、これ以上の素人談義はやめて、パラ・アナロジーの二つの型のうち、まず、(前章の最後に引いた文章のなかで、尼ヶ崎氏が、本歌取りの名歌「駒とめて」をめぐって、「これを一種の「寄物陳思」と言ってよいかもしれない」云々と書いていたことへの接続をはたす意味もこめて)、尼ヶ崎氏が説く「寄物陳思」の圏域(掛詞⇔縁語⇒本歌取り)の中間に位置する「縁語」(もしくは「縁語的なもの」)を先にとりあげたいと思います。
■類似と照応、比喩と複合
ところで、尼ヶ崎氏は『日本のレトリック』で、「見立て」について、事物を「類似」によって結びつけることで新たな物の見方を適用し、新しい意味や忘れられていた意味を読者に認識させるもの、と規定したうえで、しかしこれは「隠喩」の規定そのものではないか、それをなぜ「見立て」と呼ぶのか、その方が都合がよい理由は何かと自問し、その答えを次のように述べていました。(36-38頁)
(1)「隠喩」は言葉と意味との関係におけるある特性(転義という現象)に注目し、「見立て」はその(隠喩=転義という修辞法の)根底にある主体の態度変更に注目している。
(2)「隠喩」はメタファーの訳語だから西欧修辞学の枠組にはまりこみ、直喩や擬人法や寓意などから区別され細分化された小さな領域しか割り当てられないのに対して、「見立て」は西洋修辞学の枠組に関わりなく「AをBとして見立てる」という現象を一括して広くとらえることができる。
この議論を通じて確実に言えるのは、「見立て」が隠喩に、いや広く直喩や換喩や提喩や諷喩(寓喩)等々を含めた「譬喩」全般にかかわるレトリックであること、しかしそれは言葉の表面的な現象にだけかかわるのではなく、その根底にある「心の働き方の仕組み」にダイレクトにかかわっていくものであること、この二点です。少なくとも、尼ヶ崎氏はそのようなものとして「見立て」をとらえています。
そして、万葉集巻十一、十二で相聞歌が「正述心緒」「寄物陳思」「譬喩」に分類されていることに関して、譬喩とは「寄物喩思」であって、心情の直叙である正述心緒を除く後二者は、「陳べる」(思いを言葉の上に出す)か「喩える」(別事をもって間接的に思いを語る)かの違いはあるが、ともに「物に寄せる」歌の範疇に属する詩法の二類型にほかならない、と論じているのです(127頁)。
物に寄せる歌、すなわち「見るもの聞くものに託けて言ひいだせる」歌の範疇に属する二つの詩法。その一つは、隠喩に代表される譬喩表現であり、いま一つは「有形の物を鏡として持ち出すことによって、無形の思いを化肉する詩法」(135頁)、すなわち象徴表現にほかなりません。
《こうして、思いを託された「物」は、その思いの象徴となる。隠喩は予め両者の間に類似があり、詩人はその類似を発見するのであるが(あるいは、類似を見るという新たな見方を作り出すのであるが)、象徴は類似によるのではない。ただその思いを映すのである。象徴は予め在るものではない。詩人は象徴を発見するのではなく、言葉の強引なしかし必然と見える組み合わせによって、創造するのである。つまり、寄物陳思とは、象徴創出の技法である。隠喩において、たとえば「露」によって「はかなさ」を喩える時、物と思いとは同義である。しかし、象徴において、物は思いと照応しつつもまた独立してあるという緊張関係を保つ。独立の度が過ぎれば、物は思いを映さない。寄物陳思は常に象徴の創出に成功するとは限らないのである。しかし、成功する時、それは譬喩よりも深く思いを伝えるであろう。》(『日本のレトリック』137-138頁)
尼ヶ崎氏は、『花鳥の使』の俊成論のなかで、俊成にとって和歌とはイメージではない、「姿」なのだ(「和歌における価値体験とは、言葉によってイメージを思い描いて後、そのイメージに感動するというようなものではない。まず、言葉のもつ「姿」に感動するのである。でなければ、見たこともない歌枕が、どうして題材となりえようか。」)と規定し、前々節で引いた一文につづけて、「日常我々は露のような涙(比喩)ということはある。しかし和歌に「袖の露」という時、それは草葉に濡れた袖であると同時に、恋の紅涙なのである(複合)。」と述べていました。
ここで対比させて用いられている「比喩」と「複合」が、それぞれ譬喩表現と象徴表現にかかわりの深い語彙であることは見やすいでしょう。これに、先の引用文中の「類似」と「照応」、あるいは「物と思いは同義である」と「物は思いを映す」の対表現を組み合わせれば、より精緻な議論を展開することができるかもしれません。
「物」と「物」の関係をめぐる比喩と複合。「物」と「心」の関係をめぐる類似(同義)と照応(映現)。そこに「物」「心」とともに歌の「姿」をかたちづくる「詞」を導入する。つまり、「詞を鏡として持ち出す」。「一つの語を一つの鏡に喩え」る。こうして生みだされるものこそ、「縁語のネットワーク」にほかなりません。
■パラ・アナロジーの二つの型─縁語
★「縁語」=ヴァーティカルな連辞(統合、複合)関係
・言葉が透明な記号である限り持ちえないような力と生命
・縁語のネットワーク(歴史)は無限に広がり重なり合っている
・一首の歌はいわば複数の詩境から成り立っている
・二つの内容を結びつけ、今ここの場という現在性を強く浮かび上がらせる機能
・和歌を一点に収斂させ、共感を喚起するコミュニケーションの具
◎尼ヶ崎彬氏は『日本のレトリック』第七章「縁語──言葉の連鎖反応」で、掛詞と対比させながら縁語を論じている。
いわく、掛詞と縁語は、語の縁の二つの形である(174頁)。掛詞は音声の縁。縁語は意味の縁で、次のように分類できる(188-191頁)。
1.隣接関係による縁語
@語法の慣用・統辞上の隣接関係(「来ぬ人」と「待つ」)
A同じ意味の圏域に属する縁(「五月」と「雨、たちばな、ほととぎす」)
B本歌・本説を典拠とする縁
2.類似関係による縁語
@イメージの類似(露と涙)
A観念上の類似(涙と紅葉)
またいわく、掛詞の機能の一つは「言葉の不透明化=物化」であるが、縁語はさらに「生物化=生命化」の機能をもつ。
《言葉の「縁」が視野に入ってくるのは、「表現」を組み立てる際に「内容」との対応だけでなく、「言い回し」そのものに注意を払い始めた時、つまり修辞の意識をもちはじめた時である。すると、語が単なる「事項」を指示する記号ではなく、それ自体の重さや抵抗をもつ物体であるように見えてくる。さらに、これが生物のように見えてくるなら、歴史の中で引き受けてきた運命を、一つ一つの語が担っていると気がつくだろう。つまり、言葉のゆかりである。たとえば「露」の語はただ葉末に光るだけでなく、恋する者の頬をつたって袖に落ちるものでもある。「紅葉」は単に変色した葉ではなく、恋する者の涙の色でもある。こうして言葉の歴史的「縁」を文の組み立ての原理として採用する時、公的な文法からは非合理としか言いようのない語の結合が生まれることがある。
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫 藤原定家
しかしこの時言葉は、透明な記号である限り持ちえないような力と生命とを獲得するように思われる。》(『日本のレトリック』172-173頁)
定家詠「さむしろや」中の「月をかたしく」の一句をめぐって、尼ヶ崎氏は、「文字通りに解そうとすれば、この語法は意味をなさない」のだが、「しかし語の縁を辿れば、これは〈月─を宿した露─のような涙─に濡れた袖─をもつ衣─を片敷く〉なのである」と読み解く。
《定家の歌は、もちろん直接には『古今集』の「さむしろに……」[狭筵に衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫]の歌の本歌取であるが、間接には無数の歌を本歌として下に敷いている。それゆえに「月をかたしく」の一句で秋の夜に橋姫の袖の涙が月を宿して露のように輝くイメージを表すことができたのである。本歌取については次章で取り上げることにして、ここでは、縁語のネットワークを辿ることはその筋道の辻々で様々の意味の圏域を呼び起し、重ね合わせてゆくことである、ということを確認しておけばよい。
一つの語は複数の引力場に所属する。その中から一つの場を選べば、一連の語の系列が引かれて出てくる。これが縁語である。しかし、その縁語の一つを選べば、その語はまた別のいくつかの引力場に属しているため、さらに一連の語の系列を第二次の縁語として呼び出すことになる。こうして縁語のネットワークは無限に広がり、重なり合っている。一つの語を一つの鏡に喩えてもよい。無数の鏡が一見無秩序に置かれているように見えながら、一筋の光が射しこむ時、たちまち鏡は互いに光を反射して、数えきれぬ光の糸が空間の中に光芒の伽藍を敷設する。銀河のようなこの光の領域が一首の和歌の世界なのである。
語を組み合わせるとは、実は語の属する場を組み合わせているのである。そして複数の意味の圏域を縫い合わせるものこそ、語の「縁」という光の糸なのである。縁語や掛詞は直接には語の統辞のためのもう一つの文法であるけれども、呼び寄せられ、繋ぎ留められるものは多様な本歌やモチーフの圏域であり、そのオーバーラップの中に私たちはある種の映像や諧調を読みとるのである。別の言い方をするなら、縁語の使用が呼び出すものは、その縁を生じた歴史である。「露」と「袖」の語が連れ立って現れる時、「露」と「袖」とを詠んだ全ての和歌が呼び出されて解釈の背景となる(コンテクストとなる、と言ってもよい)。つまり、〈袖に落ちる涙〉のイメージばかりでなく、その嘆きのさまざまなありようが見え隠れしているのである。歌人はこの歴史の遺産から自由に引用し、組み合わせて、新しい効果を調合する。この時一首の歌はいわば複数の詩境から成り立っている。》(『日本のレトリック』193-194頁)
◎渡部泰明氏は『和歌とは何か』の「縁語──宿命的な関係を表す言葉」の章で、縁語の機能について、「二つの内容を結びつけ、それによって今ここの場、という現在性を強く浮かび上がらせる」(86頁)と書いている。
《和歌というのは、そもそも作者の現在を表すものだ。作者の現在には、心境や感覚、あるいは現在の境遇など、さまざまなものがある。心境一つをとっても、現実には、過去を回想したり、将来への期待や不安を吐露したりと、ずいぶん揺れ動く。だからそれに即応することでリアリティが生まれるはずだが、反面和歌であるかぎり、これを一点へと収斂させなければならない。でなければ、短詩型の抒情詩である和歌は、解体の危機にさらされてしまうだろう。和歌らしさがなくなってしまう。当然、共感も得られない。
そこで一点に収斂させ、共感を喚起するために、縁語が用いられる。縁語の一方は、二重性を持つ[たとえば古今集歌「秋霧のともに立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋ひやわたらむ」における縁語、「秋霧」と「晴れぬ」のうち後者の意味が「霧が晴れない」と「心晴れぬ」に分裂しているように──引用者註]。すなわち掛詞(広義)なのだから、ここにも「声を合わせる」機能が存在する。これがその場にいる人々の心を一つにする端緒となるはずだ。しかし縁語の場合、二重になった片方の意味は表面的に露わになっていないので、「声を合わせる」印象はどうしても薄くなる。それを補うのが、言葉の関係性だ。
そもそも、どんな言葉でも縁語になるわけではない。縁語の一方を構成する二重性を持った語…のうち、B[=心晴れぬ]は作者の現在を表す。(略)物(B'[=霧が晴れない])のつながりに引かれて縁語どうしをつなぎ合わせてみると、作者の現在がきちんと浮かび上がるようになっている。作者の現在のさまざまな要素が、一つにまとめられていく。必然的に、その歌を味わっている人間も、その現在に身を寄せるよう、吸いこまれていく。縁語は、相手に、あるいは複数の人々に、声を合わせ、身を寄せることを要求しつつ、作者の現在へと導く機能を持つ。そして共感を生み出す。すなわちコミュニケーションの具なのである。》(『和歌とは何か』87-88頁)
いま一つ、渡部氏の議論を引く。
《前章の掛詞の説明で、偶然性の重要さを強調した。風景とわが身の言葉の偶然の出会いに、我々の生きる現実の存在の重みを転移していると考えたのである。掛詞と表裏一体のレトリックであり、かつその発展形式と見なされる縁語においても、偶然性はその生命である。いや、言葉から言葉が自己増殖してゆくような縁語のあり方からすれば、より運命とか、宿命とかいうべき感覚は強いかもしれない。》(92-93頁)
■パラ・アナロジーの二つの型─掛詞
★「掛詞」=ホリゾンタルな連合(照応)関係
・詩的言語における言葉の不透明化(言葉の「物化 reification」)という機能
・物と心とを結合し、照応させ、隠喩や象徴を産み出す統辞法
・言葉が存在していることそのものの重みに拠るリアリティ
・初めて触れた存在感を示しながら、懐かしさを生じさせる感覚
・声を合わせることを演じつつ、偶然を必然に変えてしまうレトリック
◎尼ヶ崎彬著『日本のレトリック』第六章「掛詞──話題の交錯」で、掛詞の二つの機能が論じられる。
第一、言葉の不透明化(165頁)。
「こうして掛詞において、リズムという形式感は失われるかわりに、言葉の抵抗感が増し、その形が客体として現れることにより、「歌詞」と「ただの詞」の差異を強化するのである。(ヤコブソンの言い回しを借りるならば、これは「メッセージそのものへの焦点合わせ」であり、言葉の「物化 reification」である。)即ち掛詞は、同音反復や詩句構造の並列化などと同様、詩的言語における言葉の不透明化という機能をもつのである。」(157頁)
第二、疎遠な句の統合(165頁)。定家詠「春を経てみゆきになるゝ花の陰ふりゆく身をもあはれとや思ふ」をめぐって。
「「みゆき」[=深雪・行幸]「ふり」[=降り・古り]という二つの掛詞は、雪のように降りしきる桜の花のイメージと、官途不遇を嘆く定家の怨み言という全く異質なものを一つに結び付けてしまう」(163頁)
「定家の歌の散りゆく花を、不遇の嘆きの「象徴」というのは適当ではないかもしれない。しかしこの二つのものが一種の照応関係にあるとは言えるだろう。そしておそらく象徴という関係は、この照応関係の一派生形なのである。」(164頁)
「序詞を掛詞で下句につなぐ時、多くが物のイメージを序詞とし、下句で思いを語るものであったことを思い返せば、掛詞とは、日常的文法では無関係でしかない物と心とを強引に結合し、照応させ、場合によっては隠喩や象徴を産み出す統辞法であると言えるだろう。つまり「寄物陳思」のための仕掛けの一つなのである。」(165頁)
◎渡部泰明氏は『和歌とは何か』の「掛詞──偶然の出会いが必然に変わる」の章で、掛詞の意義について、古今集におけるその展開を概観したうえで、「偶然性」と「声」の二つの面から論じている[*]。
第一、偶然性。
「掛詞は、偶然性の上に成り立っている。「眺め」と「長雨」、「松」と「待つ」などが同音なのは、たんなる偶然にすぎない。」(74頁)
「掛詞のリアリティは、言葉の持つ意味に依拠しているというより、言葉が存在していることそのものの重みによっている、と私は思う。風景とわが身が偶然に出会う。それは一つの事件である。その事件が存在した重みを、言葉の出会いの中に置き換えようとするのが掛詞なのであろう。」(75頁)
「その定型[=五・七・五・七・七の五句三十一音が定まっていること]の中に掛詞がうまく当てはめられることで、偶然にすぎなかった言葉の二重性が、まるであらかじめ決められていたものであるかのような錯覚を起こさせる。(略)運命を錯覚させるような気分が生まれれば、和歌に描かれた風景は、かつてそれを見たことがあるような、既視感の中で捉えられることになる。初めて触れた存在感をはっきり示しながら、なおかつ懐かしさを生じさせる感覚。(略)だから、「声」(言葉の音)が一致することは偶然のことながら、それが当然のことだったように思われてくる。偶然が必然化するのである。」(76頁)
第二、声。
「「声を合わせる」ことを求めるかのような掛詞の「声」は、実は文字の発達によって逆に意識化されたもので、その意味で文字によって演じられる、という側面を持つ「声」なのであった。(略)掛詞は、声を合わせることを演じつつ、偶然を必然に変えてしまうようなレトリックなのであった。(略)これこそ定型文学・和歌の真髄ともいうべき「力」である。その意味で掛詞は、和歌の中心的レトリックと呼ぶにまことにふさわしい。」(78頁)
[*]掛詞は「得体のしれない何か」につながっている。(その「何か」はおそらく「言葉の持っている意味の拡がりを多重化して、間の意味を発生させ、それを共有させる」はたらきに根ざしている。)
高田祐彦氏は共著『日本文学の表現機構』の第一章「多義性」で、次のように述べている。
《掛詞は、和歌の修辞としては、多くは自然と人事を表すことばから成る。その二語の間に何らかの連想関係をともなう場合(「秋」と「飽き」、「思ひ」と「火」など)、和歌のことばとしては、ある安定性を持つが、本来は、同音異義という「同」にして「異」であることへの素朴な驚きと、それゆえにそこに得体の知れない何かを感じ取った心の働きに支えられているのだろう。そうした思いは、もちろん同音異義を単純に興ずることにも広がり、後には広範なしゃれの世界を展開するようになる。こうした多義性への志向は、広く見た場合、さまざまな連想や類似や縁によってことばを結合させようとする日本の文学表現の特徴の一つといってもよいだろう。》(『日本文学の表現機構』27-28頁)
次に引くのは、高田氏の議論を受けた渡部泰明氏の文章(同書第五章「縁語的思考」)。なお渡部氏によると、「縁語的思考」とは「未完成でありながら過剰であり、つながりの可能性に富む言葉の流動性を、身をもって捉える行為」、すなわち「歌ことばの生成する動態を演じてみせる演技」である(同書第四章「規範」、101頁)。
《縁語的思考とは、言葉の連想力のことである。ただし、その連想は固定したものではない。ゆるやかな、むしろ意図的にくつろげられ、ゆるめられた言葉どうしの関係である。だからこそ、さまざまな言葉が、網の目のような関係性を形成している。いや、形成しているといってはなるまい。形成する手前で、さまざまな結び合いの可能性を秘めてたゆたっている。第一章の「多義性」での議論を想起したい。そこでは、和歌の掛詞の例をあげて、そこに多義的な言葉の積極的な運用が見られ、得体のしれない何かが立ち上がっているさまが示されていた。同じものを、この縁語的思考においても見たいと思う。「得体のしれない何か」は、鋭い着想のもとに新たな言葉がそこに放り込まれることによって、明確な結合の形をもって初めて出現するのである。縁語的思考とは、歌の言葉の可能性に満ちた流動体ということができる。》(『日本文学の表現機構』129頁)
■余録1・歌枕(虚辞)の系譜
パラ・アナロジーの第二の型・掛詞は、もっとずっと古代的なもの(得体のしれない何か、コトバの流動体)に根ざしている。和語に特有な「畳み重ね」や「枕詞的なもの」や「虚喩」といった吉本隆明著『初期歌謡論』の議論につながっている。歌の発生とその実質をめぐる折口信夫の仕事につながっている。
余禄として、山本健吉著『いのちとかたち──日本美の源を探る』から、折口信夫にとって霊魂の寓りであった「まくら」(357頁)という「生命的なもの」の系譜、歌枕に代表される「虚辞」の系譜をめぐって書かれた三章、第十六章「歌枕の誕生」、第十七章「囁くような告げごと」、第十八章「遙かなみちのく 遠い歌枕」の話題をとりあげる。
短歌という「日本の即興詩」に特有な「歌の思想」を「無内容」と規定し、枕詞・歌枕・序詞・本歌取り・季語などの「虚辞」を短歌の「生命の指標(ライフ・インデキス)」であると言った折口信夫(315頁)。短歌は作られるものではなく、生れるものだと考えた折口信夫(328頁)。
たとえば折口は「俳句と近代詩」(没年に放送された「らぢお咄」、原題は「日本の即興詩」)で、「無内容ということは、何もないということじゃない。清らかな印象が心に残った、ということだけはあります」(『折口信夫文芸論集』162頁)と語り、「作者の側で、歌をうたっていると、…歌にまとめようと思わないでも、自然に歌に出来あがってくる。まとまってくる。これが即興詩の骨髄なのです。空虚に似た心でいても、纏めようとする僅かな努力のある為に、自ら歌として纏ってくる」(同163頁)と語っている。
《たとえば雪──雪が降っている。其を手に握って、‘きゅっ’と握りしめると、水になって手の股から消えてしまう。其が短歌の詩らしい点だったのです。処が外の詩ですと、握ったら、あとに残るものがない筈はない。つまり、そうでなければ思想もない、内容もないということになる。古風の短歌は握りしめてしまえばみな消えてしまった。何も残らない。そう言うのが恐らく理想的なものとなっている筈の短歌に、右に言ったような内容があり、思想がある訣はないのです。つまり神が日本人の耳へ口をあてて告げた語──それが受け継ぐことが出来れば、其で神の人間に与えた悲しみも、愉しみも、十分に伝え得たと安んじて来たのでしょう。意味が訣っても、訣らなくとも、神の語は音楽として人の胸に泌むとせられたものなのです。》(「俳句と近代詩」、安藤礼二編『折口信夫文芸論集』165頁)
山本健吉は、人麻呂以後の枕詞と序歌の例を二首挙げて、次のように述べる。
《どちらも五句のうち、第一句、第三句の二句は枕詞だから、意味を担った部分は他の三句だけである。だからその述べるところはきわめて単純であるが、意味以上に、言葉の空間はふくらんで、何かそこには妙なる楽の音がきこえてくるような感じを伴う。枕詞とそれを承ける言葉とのつながりに、きわめて有機的な、生命的流露感が生れて来たような気がする。それは耳を澄まして聴き入る人にだけ聞えてくるような、笹の葉のさやぎのような、衣摺れのような、松風のような、虫の音のような、微かな、そして清んだ囁きのような声である。
意味のない枕詞がそのような働きを担っているかのようだ。もともと神授の詞章であり、「生命の指標」であったものが、そのような役割を喪失した後も、なお新しい歌の中で生きている。意味でなく、内容でなく、思想でなく、だがそれ以上に生命的なものとして生きている。そのような「いのち」を完全に失った時が来るとすれば、それは短歌の終焉の時だろう。》(角川文庫『いのちとかたち』346-347頁)
山本健吉は「神授の詞章=生命の指標」であったもの、すなわち「歌枕=虚辞」の系列に本歌取り、さらに季語を加える。
《序詞、枕詞、歌枕と、これらの虚辞によって、短歌の生命標は保持されて来た。それは意味でなく、思想でなく、美辞麗句でなく、あるいはまたイメージでもなく、象徴でもなく、そのような実事的、内容的なものを出来うるかぎり避けて、三十一文字という詩の器をからっぽに近いものにして、その上でたとえば山の清水がとくとくと音して充たしてくるように、おのずから充ちてくるもの、それがすなわち「うた」であり、そこには「うたごころ」とでも言うより外ないものが、確かにあると信じて、千数百年にわたって、ひとは短歌を飽きもせずに作りつづけて来たのである。
だが、その「うたごころ」とは何なのか。古くはそこに充たされていたのは咒力であった。そして、古代藝術における咒術的な信仰が失われて後も、作品に力をもたらす要素は残っていて、それを私は「いのちの灯」とでも呼ぶより外、呼び方を知らないのである。
そのような、短歌に生命をもたらす虚辞として、歌人たちによって、最後に試みられたのが、「本歌取り」だった。》(角川文庫『いのちとかたち』360-361頁)
《この場合、それを単に換骨奪胎の技法とのみ心得ては、間違うだろう。読む者は誰しも、本歌が完全な形で頭の中にあるのだから、新作の歌が、本歌の一部を取りこんでいることは、実は全体を取りこんでいることになるのである。部分がすなわち全体なのであって、二つの歌がうち重なって、複雑な音色を奏で出す。本歌は言わば、その生命が奪取されたことになるのだ。「本歌取り」は、本歌が威力ある歌だという古い信仰を前提として、その「いのち」の全部を新作の歌に取りこむというこの上なく欲張った操作が、歌の技法にまで磨き上げられたものだ。新作歌にとっては、本歌を虚なるものに還して、自作に取り入れることで、そこに二首の歌の衝撃によって、「いのち」の火花が散るのである。
これは新古今時代の歌人たちが見出だした、極限の工夫と見てもよいだろう。
俳諧の季語も、実は歌枕の延長上にある虚構なのだ、と考えられることも、ここに言い添えておこう。》(角川文庫『いのちとかたち』362-363頁)
ここで語られる空虚な「詩の器」を、私は、永井均氏の〈私〉とほとんど同義同質のものとして受けとっている。(たとえば『〈仏教3.0〉を哲学する』で、永井氏は〈私〉について「内容がその本質ではなく、単なる存在がその本質であるやつ」(208頁)と語っている。)そして、このことの内実を「意味論的」(井筒俊彦)に解明していきたいと考えている。しかしそれはまだ先のこと。まずは「部分がすなわち全体である」ような本歌取りの論理、あるいは逆憑依の生命論理とでも言うべきものについて思いを馳せてみることだ[*]。
[*]市川浩著『現代芸術の地平』に収められた「他者による顕身──鈴木忠志の演劇的思考」の最終節「本歌取りとコラージュ」末尾の一文が、使い道のないまま浮遊している。
《こうしてみれば、鈴木忠志の演劇は、俳優論、演技論から劇構成論にいたるまで、〈他者をとおしての開示〉という主題によって、終始つらぬかれていることがわかる。本歌取りといい、コラージュといい、これは劇構成のレヴェルでの他者性による開示でなくてなんであろう。テキストは俳優の身体を介して、他者であるテキストと出会い、互いに照らし合い、テキストとテキストとの中間に新しい現実が開示される。
(略)われわれは他者をとおして開示される個的であるとともに共同体的な可能的自己の錯綜体を発見し、一義的な自己自身への固着と共同体への癒着から解放される道を垣間見る。どうしても他者化されえない自己は自己化しきれない可能性の闇でもある。それが「私は他者だ」という事態の源であり、また自己から自由であることの可能性である。
そのとき同時に、私は、犯す主体としての一義的な他者ではなく、他者自身にとっての可能的自己の錯綜体である他者の闇を発見する。どうしても自己化しきれない他者は、他者自身、主体化しきれない可能性の闇であり、私の闇も他者の闇も、互いに〈他者〉に出会うことによって、〈他者〉をとおして開示される。他者を自由としてとらえることは、一義的に私を犯す他者の自己性を受容することではなく、錯綜体としての他者を、つまり他者の闇を受容することである。演劇の体験は、犯し、見返される交互作用をつうじて、虚実皮膜の間に展開される可能的世界に入り込み、そこで触発される可能的自己によって、自己を開放することにほかならない。それはまた自己の闇とともに他者の闇を発見し、私の内と外にある可能的他者に気づくことでもある。》(『現代芸術の地平』262-263頁)
■余録2・二重写しの修辞技法
三上春海氏は共著『誰にもわからない短歌入門』で、掛詞や暗喩は「二重写し」の修辞技法であると述べている[*]。以下は、「花は樹をぼくはあなたをしならせるだけしならせて散ってゆくだけ」「それでゐてわたしはあなたをしなせるよ桜は落ちるときが炎だ」(薮内亮輔)をめぐって書かれた文章からの抜粋。
《「AはBのようだ」という形の直喩をまずおもう。ふたつの異なる「A」と「B」の関係は作者による恣意的なものである。だが掛詞の場合はそうではない。ある「A」と「B」が掛詞の関係にあるということは、言葉それ自体が持つ自然的な「性質」であるからだ。作者に行えるのは科学者のようにその法則を「発見」することだけであり、ここには作者の恣意はほとんど反映されない。(略)
恣意性という観点からは暗喩・直喩と掛詞はまったく異なる修辞となる。一方でこれらには、「A」と「B」という異なるイメージを重ね合わせ「多層化」させる、という共通点もまた存在する。たとえば…掲出歌では「しなせる」と「しならせる」が二重写しにされている。桜の花びらは風を受け、裸樹であればしならなかったはずの樹を「しならせて」、自らは地に「落ちて」ゆく。「落ちる」のなかには「散る」が含まれて、また「落ちる」の古語である「落つる」には同じ部分に「吊る」が見出される。樹をしならせて花が散ることが例えば首を吊ることを匂わせる。単なる駄洒落と掛詞はだから微妙に違う。駄洒落は意味と無意味の重ね合わせからなるが(例えば「布団が吹っ飛んだ/布団が布団だ」のように)、掛詞においては複数のイメージが意味をまとったまま共存する。…わたしはまた[「どこか遠くでわたしを濡らしていた雨がこの世へ移りこの世を濡らす」(大森静佳)をめぐって]、「言葉」の使用が[「言葉の世界とそれ以外というかたちで」の]「世界の多層性」の端緒であり、「水」は異界への入り口であると述べていた。「水」が異界への入り口であるならば、わたしたち「動物」にとって、「水」や「命」を通じてつながっている「樹木」や「植物」は異界そのものであるだろう。(略)ここには相手の女性に「異界」を嗅ぎとる感覚が見出される。わたしたち動物の時間感覚と比較したとき、樹木の長い一生はときに永遠のようにも感じられる。ぼくは死ぬ。花は散る。だけれども、あなたは永遠に生きるのかもしれない。もちろんそのようなことはありえない。けれどそれでも、わたしのような一瞬の炎とは異なって、あなたは永遠なのかもしれない。》(『誰にもわからない短歌入門』60-61頁)
ここで述べられた「暗喩・直喩」=「恣意性」と「掛詞」=「言葉の法則の発見」との対比は、尼ヶ崎彬氏による「見立て(隠喩)」=「類似の発見」と「寄物沈思」=「象徴の創造・創出」の対比とアナロジカルな関係性を切り結ぶ。(したがって第二項と第三項に共通する「発見」の語の意味合いは異なっている。)
[*]三上氏は続けて、「星野しずるに用いられた「二重衝撃」や、上の句と下の句の呼応から生じる「短歌的喩」(吉本隆明)など、短歌の喩の多くはこの「二重写し」の技法によって成り立っている。」(62頁)と述べている。
「星野しずる」はブログ歌人・佐々木あららによってつくられた「いわゆる「二物衝撃」によって詩的飛躍を感じさせる短歌を自動生成するスクリプト」のこと。「二物衝撃」について、「Q&A:星野しずるの犬猿短歌」から引く。
《短歌の世界でもよくこの言葉をつかいますが、もともとは俳句の世界で基本とされている考え方です。「二物衝突」「二句一章」「取り合わせ」などとも言うのですが、乱暴に言うと、異なった二つの言葉を組み合わせることで斬新なイメージを生み出そうとする手法です。》
「短歌的喩」について、吉本隆明は『言語にとって美とはなにかT』の第V章「韻律・選択・転換・喩」で次のように書いている。
《音数律が日本語のうみだしたいちばん強力な構成の枠ぐみだといえるため、上句と下句がまったくべつべつのことをのべているようにみえるときでも、一首としての統一はたもたれている。この統一にはしかし限界があるはずで、これ以上の異質さはたええないぎりぎりの上句と下句のむすびつきのすがたが、一首の緊張した美をつくっている。たとえば、塚本邦雄の作品[ジョセフィヌ・バケル唄へりてのひらの火傷に泡をふくオキシフル]はその典型をしめしている。(略)
上句と下句の〈意味〉をたどるかぎり、そこには、ジョセフィヌ・バケルが唄っている、ということと、てのひらでオキシフルが泡をふいている、ということが順序よくならんでいるだけともいえる。ただ日本語の指示性の根源である音数律の構成する力の強さだけが、このふたつの像をむすびつけている。
もちろん、上句五・七・五と下句七・七との切れ目だけが、必然的な意味をもつものとはかんがえにくい。たとえば、連歌のつけあいがこんな切れ目をもつことからもいえるが、この切れ目は、音数律の息の切れ目と一致する。そのためふかい屈折と断絶の感じをあたえ、【喩】としての連合の意義をつよめるかもしれないが、短歌的な性格は、こういうきれ目をかならずしも必然とはしていない。歌人たちが発生的には純粋叙景歌にあらわれた短歌の原型がもっている場面転換のすばやい複雑な変り身からくる美的な根拠をたたれて、時代の言語の水準と思想の水準を短歌の表現にとりいれざるをえなくなったときから、短歌的な【喩】のかたちはどこまでもさまよいはじめたといいうる。》(『言語にとって美とはなにかT』167-169頁)
(36号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」35号(2018.08.15)
<哥とクオリア>第47章 錯綜体/アナロジー/論理(その3)(中原紀生)
Copyright(c) SOUGETUSYOBOU 2018 All Rights Reserved.
|