Web評論誌「コーラ」33号/哥とクオリア 第44章 貫之現象学の諸相・総序

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Web評論誌「コーラ」
33号(2017/12/15)

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■貫之現象学の由来
 
 これより、貫之歌論(貫之現象学)をめぐる後段の議論に入ります。
 そもそも「貫之現象学」という呼称、そしてこれを通じて私が構想し、その実質を究めたいと目論んできた貫之の歌と歌論の世界は、永井均著『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』における「西田現象学」という語に由来し、そしてそこでの永井氏の議論にほぼ全面的に準拠していました。ここでその原点を確認し、かつ、初心に立つため、永井氏の議論の骨組みをあらためて概観しておきたいと思います。
 
 第一、貫之現象学(クオリア篇)。
 西田幾多郎が初期には「純粋経験」と呼び、その後は「場所」と呼んだもの(57頁)。そのような、すべてがそこから始まる「無の場所」に向かう西田の哲学的探究を、永井均は「西田現象学」と呼ぶ(84頁)。
 西田現象学において「あるものを知ることは、そのあるものになること」(21頁)であり、善や美もまた「主客の合一としてのこの統一作用と別のものではない」(23頁)。
「雪舟が自然を描いたものでもよし、自然が雪舟を通して自己を描いたものでもよい。元来物と我と区別のあるのではない。客観世界は自己の反影といい得るように自己は客観世界の反影である。我が見る世界を離れて我はない。」(『善の研究』)
 純粋経験=直接経験は、たとえば「言葉に云い現わすことのでない赤の経験」のように、「じかに体験され、意識される生々しい感じ(これを、「クオリア」という)をともなう」(40頁)。
 永井氏は、そのような「生[なま]の事実」(41頁)を西欧中世哲学にいう「実存(事実存在)、エクシステンティア」に、これと対になる「論理的推論」を同じく「本質(本質存在)、エッセンティア」にあてはめている。
 デカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」においては、「論理的推論と生の事実、つまり本質と実存は連続している」(41頁)。そして、デカルト以後の西洋哲学史が「生の事実ではない側を自立させる方向へと展開した」[*1]のに対して、西田は「初発からこの展開を拒否した」(41-42頁)。
 
 第二、西田論理学。
 「それゆえ西田は、デカルトが直面しなかった難問に直面していた」(41頁)。それは、「言葉に云い現わすことのでない」純粋経験について一般的に語る言語(「私的言語」と言っておいていいだろう)を、西田現象学はどこからどうやって手に入れるのか、という問いである(47頁)。
 その答えはただ一つ。「純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していたから」(47頁)である。かくして、「その後の西田哲学の展開は、一種の言語哲学として読むことができる」(47頁)。
 
(非人称的な日本語表現のように「暗に独我論的」な前期西田哲学から出発して、「経験の主体は常に世界の内部に存在する個人であるという事実を、言語表現の基礎にあらかじめ織り込んでいる」英語的表現の成立の謎を解明すること(17頁)。これが「その後の西田哲学」の課題であった。
 しかし、この謎を解明するためには、客観的世界や主体の成立の謎を解明しなければならず、実はそれは西田論理学の守備範囲を超えていた。)
 
 西田論理学は「である」(本質)と「がある」(実存)を区別しない(58頁)。「超越的主語面」=「いかなる一般概念による規定をも超えた、真の個物」(61頁)と「超越的述語面」=「具体的一般者」(63頁)は一致する。
 それはただ「これ(ら)は、このとおり、こうなっている」と言えるだけで、いったい「どれ(ら)」が「どのとおり」に「どうなっている」のかは言えない(63頁)。それでも一応そうは言えるのは、超越的主語面が超越的述語面によって包摂され、そこに原初的な判断が成立しているからである。
 いや、そもそも判断はそこから始まる。それは「場所の自己運動」である(64頁)。
《かくして、「これ(ら)は、このとおり、こうなっている」は「この色は、このように、赤である」、「この感覚は、このように、痛みである」等々へと、自己を展開していくことになる(ただし、そこに「色」とか「赤」という記号があてがわれるのはまた別の過程である)。こうした判断においても、そこに働いているのは場所の自己限定の働きであるから、真の主語は「この色」や「この感覚」ではなく、色という場所、感覚という場所、とつづく場所の系列である。
 この議論の肝[きも]は、色なら色の、実存と本質が、つまり生[なま]の質(クオリア)とそれをつかむ概念が、地続きである点にある。概念は外から質を規定するのではなく、無限個の概念を内に含んだ非概念的な質が、その内側からおのれを限定していくわけである。すなわち、「分節化されていない音声」[*2]が一つの言語表現になりうるのは、外部から「一定の言語ゲーム」があてがわれることによってではなく、分節化されていない音声を自ずと分節化させていく力と構造が、経験それ自体の‘内に’宿っていることによってなのである。》(65頁)
 西田論理学(場所の論理学)においては、個物は「無の場所」の自己限定によって成立する(85頁)。そして、「場所それ自体が語った言葉が西田哲学なのだ」(67頁)。
 
 第三、再び西田現象学(ペルソナ篇)。
 ところで、無である場所がどうして自ら自己限定などをすることができるのか。
 永井氏の見立てでは、この田辺元の批判に対して、西田は「私と汝」という論文で、「少なくとも個人(あるいは「人物」とか「人格」とか訳される英語でいう person)の成立に関する限り」、正面から答えた(85-86頁)。
「私の底に汝があり、汝の底に私がある。私は私の底を通じて汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである。絶対に他なるが故に内的に結合するのである。」(「私と汝」)
 また、西田が「私と汝とは直[ただち]に結合することはできない」、ただ「言語とか文字とかいう如きいわゆる表現を通じて」、あるいは「音とか形とかいう物体現象を手段として」相理解することができると言ったことに関して、永井氏は次のように書いている。
 どうして「音とか形」を通じて直接に結合していない私と他人が相理解することができるのか。西田はこの問いに答えることに成功してはいない(ただし、「汝が存在していることこそが、そもそも言語というものを可能ならしめている」こと、その意味で「汝が可能なら言語が可能だし、言語が可能なら汝が可能である」ことを明らかにした(93-94頁)とはいえる)が、それがなぜ哲学的な問いであるのか、そのことの意味を誰よりも深めることに成功している(87頁、94頁)と。
 
 このあたりの永井氏の議論は、汲めども尽きぬ深い味わいを湛えている。(「昨日の私の意識─今日の私の意識」関係と「自分の意識─他者の意識」関係との類比や、「概念化に先立つ実存そのもの」=「端的に非概念的なもの」としての神(私の底に存在する絶対無としての神)と「概念化(本質化)された実存概念(「実存」という本質)」=「非概念的なものという概念」としての他者(私を可能ならしめるもう一つの無)との違い、等々。)
 ここでは、西田哲学における現象学の優位性について述べられた箇所を抜き書きするにとどめる。
 いわく、他者の成立と言語の成立は同時にしか指定できない(95頁)。そして言語は客観的世界や論理の基盤である。そうだとすると、言語成立以前の「西田現象学」と言語成立後の「西田論理学」とは相即的ではない(84頁)。
《それでも西田現象学と西田論理学とにリアルな接続性があるように見えるとすれば、それは「私」の在り方と「個物」の在り方に(その‘現実’性に関して)アナロジカルな関係(形式上の同型性)があるからであろう。超越的主語面と超越的述語面をめぐる西田論理学の議論は、概念によって汲み尽されない「現実」の本性に関する議論である。現実であることはたしかに無限の述語をもってしても捉ええないが、無限の述語をもってしても捉ええないからといって現実であるとはいえない。現実であることは述語超越性をも超越しているのである。しかし、このこともまたある種の一般的な性格づけであって、こういう種類の超越性を持つものにも‘種類の違い’がある。論理学ではこのような‘種類の違い’を捉えることはできない。それゆえ、西田論理学もまた「私」と「個物」の違いを捉えることはできないのである。(西田論理学がその違いを捉えることができるためには、論理学が「私と汝」の議論を取り込まなければならないが、それは不可能である。なぜなら、その議論は論理の基盤である言語的客観性の成立そのものにかかわっているからだ。このような現象学の優位性こそが西田的確信犯[*3]の特質である。)》(96頁)
 この「哥とクオリア/ペルソナと哥」という論考群の起点となった書物をほぼ十年ぶりに通読して、琴線に触れる哲学書を読むたびに到来するあの感触、いわば「何度でも初めて味わう」「哲覚」的興奮にしばし襲われました。
 それと同時に、私はいまだこの書物に蔵された多くのものを汲み尽くせてはいない、という幸福感に浸ってもいました。たとえば「生の事実(クオリア)=実存」と「論理的推論(概念)=本質」というスコラ哲学に淵源する対概念の導入や、このこととも大きく関連する「現実性、アクチュアリティ」と「実在性、リアリティ」の概念の違いをめぐる議論(や神の存在証明をめぐる後の議論)が、「概念によって汲み尽されない「現実」の本性」云々といった表現のうちに示唆されていたこと。これらは、これから取り組む「西田=貫之現象学」の(最終的な?)究明にとって、それこそ汲めども尽きぬ鉱脈となるものだと思います。
 
[*1〜3]デカルト以後の西洋哲学史が「生の事実」ではない側を自立させる方向へ展開したというとき、「この方向の頂点に位置するのがウィトゲンシュタインである」(44頁)。
 また、「分節化されていない音声」云々は、「自分だけに起こる感覚を指す、自分にとってだけ意味を持つ語(E)」が言語として機能しうるかどうかを考察した『哲学探究』の議論を踏まえたもの。「そこで、人は哲学をする際に、ついには分節化されていない音声だけを発したくなる地点に達することになる。──しかし、そのような音声が一つの表現であるのは、一定の言語ゲームの中においてなのである。その言語ゲームこそがいま記述されねばならない。」(『哲学探究』T−二六一)
 そして、「西田的確信犯」は「ウィトゲンシュタイン的確信犯」と対になる語である。
《彼[ウィトゲンシュタイン]は、驚くべきことに、言葉が体験と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている。「体験」もまたそういう言葉にすぎないのだ。(略)西田は逆の確信犯だから、これもまた驚くべきことに、体験が言葉と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている。言葉の意味もまたそういう体験にすぎないのだ。(略)デカルト自身は過失犯であるから、体験と言語がなんの問題もなく相即することを疑おうともしなかった。》(『西田幾多郎』46頁)
 なお、私のいう「定家論理学」は「ウィトゲンシュタイン論理学」に由来し、「俊成系譜学」は、永井氏がウィトゲンシュタインや西田幾多郎以外に「解説書のようなもの」(8頁)を書いたもう一人の哲学者、ニーチェを念頭においている。
 
■広狭二義の貫之現象学と貫之三体
 
 さて、呼称の出自、由来について復習を兼ねて再確認したところで、次に、貫之現象学を語る際、避けて通ることのできない話題を二つとりあげます。といっても、それらはいずれも私の勝手な理屈にすぎないものなのですが。
 
 第一、貫之現象学の広狭二義性について。
 貫之現象学において「あるものを詠むことは、そのあるものになること」であり、そこには「貫之が自然を詠んだものでもよし、自然が貫之を通して自己を詠んだものでもよい。」という事態が出来している。すなわち「貫之が自然を詠む」ことと「自然が貫之を通して自己を詠む」こととが区別できない、あるいは思いとその思いが実現すること、思いを言葉にすることとその言葉がそこにおいて立ちあがる世界そのものが出現(開闢)すること、私が悲しいことと世界が悲しいこと、等々が(あたかも夢の中の出来事のように)区別できない「暗に独我論的」な貫之現象学の世界。
 そのような、「純粋経験」の言語化を可能ならしめる「場所」の創造にかかわる、もしくは「いにしへ」の世界を「今、ここ」に立ちあげる「新しい詞」の探究にかかわる貫之現象学には、広狭二義の異なる存在様態がある。(狭義の定家論理学を包摂する広義の貫之現象学と、これとは逆に、「定家が和歌を詠む」ことと「言語が定家を通して自己を詠む」こととが区別できない広義の定家論理学に包摂される狭義の貫之現象学。)
 古今集仮名序に即して規定すると、「人のこころ(たね)⇒よろづのことのは」の、あるいは「一つこころ」を「たね」(媒介・媒質もしくは培養器)とする「よろづ⇒ことのは」の「やまとうた」の発生(発声)プロセスが広義の貫之現象学に、「世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり」の和歌詠出のプロセスが狭義の貫之現象学にそれぞれ相当する。
 このことを井筒豊子の和歌論に関連づけて言い換えると、(第29章で述べたように)、広義の貫之現象学は「クオリア」(=言語以前もしくは父母未生以前の世界と「こころ」との界面現象)と「ペルソナ」(=「ことのは」すなわち言語によって造形されかつ言語を超越する(言語そのものを生産する)主体)を両極とする「こころ(非現象・無分節の心地)⇒ことのは(意識フィールド+言語フィールド)」のプロセスに、そして狭義の貫之現象学はこれに含まれる「思ひ⇒詞」の系列と「情⇒余情」の系列のうち前者の「思ひ⇒詞」のプロセスにそれぞれ該当する。
 ここで注意しておきたいのは、私がいう狭義の貫之現象学は、「人の世を生きる生身の人間が内面の思い(実感)をレトリックを駆使して言語化したものが和歌である」といった和歌観とはまったく関係がないということだ。それは、そもそも「貫之には内面がない」(第5章他参照)という理由によるだけではない。私が考えている狭義の貫之現象学の眼目は、広義の貫之現象学が対象とする「やまとうた」の世界(深層の伝導現象)を「人の世を生きる生身の人間」による和歌の世界(表層の伝導現象)へとつなぐはたらき、具体的には仮名序の「いひいだせるなり」のうちに表現された「ランガージュの力」にあるからである。
 
(いま「関係がない」と書いたのは言い過ぎで、まったく関係がないわけではない。その意味では、第29章で「世にある人が様々な「思ひ」(実感)を知覚物に託して表現する(狭義の)貫之現象学の世界」と書いたことは間違いであった、というよりは舌足らずな表現であった。正しくは「世にある人が様々な「思ひ」(実感)を知覚物に託して表現【したものが和歌であるという和歌観がそこから生まれるもとになった】(狭義の)貫之現象学の世界」と書くべきだった[*1]。
 なお、いま述べた「いひいだす」はたらきを担うもののことを私は「フィギュール」の名で呼び、具体的には「声」(「千代経たる松にはあれど古の声の寒さはかはらざりけり」の歌に詠まれた「いにしへの声」)や「仮名文字」とりわけ「辞=てにをは」(同じく「千代経たる松」)を、すなわち「音とか形とかいう物体現象」のことを想定している。)
 
 第二、貫之三体について。
 広義の貫之現象学の世界は、三層構造でできている。(これに対して、狭義の貫之現象学は基本的に二項で表現できる。精確には二項「関係」で表現できる。その眼目は、たとえば「こころ⇒ことのは」という簡略化された範式中の「⇒」のはたらきに尽きている。)
 以下、これまで論じてきた貫之的三層構造の代表的なものをグループ分けして並べてみる。
 
◎「哥というギフト/フィギュールとしての哥/哥のパランプセスト」
 
◎「よろづ/人のこころ/ことのは」
 「物/心(身)/詞」
 「地=欲動/海=パトス/空=ロゴス」
 「浮脂/葦牙/~名」
 
◎「物の伝導体/身の伝導体/詞の伝導体」
 「無から無へ/無から有へ/有から有へ」
 「共感覚・クオリアの宇宙/ひたぶる心の屈折/ことばの屈折」
 
◎「現実界/想像界/象徴界」(ラカン三体)[*2]
 「欲動/深層のパトス/表層のロゴス」
  =「無意識/潜意識+下意識/表層意識」(丸山(圭三郎)三体)
 
 貫之三体について、ここで新たにつけ加えるべきことは特段思いあたらない[*3]。ただ一言書き加えるとすれば、これらは結局、(前々章で試みた心やイマージュの三分類もしくは四分類も含めて)、井筒俊彦の「意識の構造モデル」に、つまり「井筒三体」に収斂していく。
 
◎「C領域/B領域+M領域/A領域」
  =「無意識/言語アラヤ識(元型成立の場所)+中間地帯(想像的イマージュの場所)/表層意識」
 
[*1]「人の世を生きる生身の人間」による内面表現(告白、表白)という和歌観は、狭義の貫之現象学にのみ由来するのではなく、精確には俊成と定家の歌論、より限定すれば狭義の定家論理学(狭義の有心を中核にすえた歌論)とあいまって合成されるものである。大雑把に言えば、「こころ⇒ことのは」の貫之現象学と(俊成的転回を介してこれと相対峙する)「ことのは⇒こころ」の定家論理学という、共に「非人格的なもの⇒人格的なもの」という一般式で括れる歌論の二つの極点から等距離の位置にあって、それらが放出する緊張が打ち消し合ってできた無重力の場に発生する(頽落した)和歌観である。
 
[*2]ここで「パース三体」に言及すべきところなのだが、「ラカン三体」との関係を考えるといつもきまって頭が混乱する。
 単純に考えれば、「第一次性=ル・レエル/第二次性=リマジネール/第三次性=ル・サンボリック」と対応させることができる。これは、第18章で引用した前田英樹氏の文章に「「第一次性」は、「第二次性」の働きに対して潜在的なものだが、その「第二次性」の全体が、「第三次性」に固有の働きに対しては、徹底して潜在的なもの、あるいは沈黙したものであらざるを得ない」(『言葉と在るものの声』97-98頁)云々とあったことなどからも妥当だと思えるが、いまひとつ落ち着かない。
 第28章では、「心地(空)/境(中)/色相界(仮)」の俊成三体を「第一次性(質、潜在性)」「第二次性(個体的事実)」「第三次性(媒介、中間性)」のパース三体に関連づけて定式化すると、「空=第一次性/中=第三次性/仮=第二次性」になるのではないかと書いた。この考え方でいくと「現実界=第一次性/想像界=第三次性/象徴界=第二次性」になる。
 そもそもパースの「現象学的カテゴリー」なるものが、つまり「パース記号学」や「パース形而上学」の基礎となる「パース現象学」の実質があまりに広大すぎて、私の理解が追いついていない。(あるいは、ボロメオの輪の関係を切り結ぶラカン三体の特質が理解できていない。)
 
[*3]貫之三体の様々なヴァージョンを並べたて眺めていると、「抽象的・原理的・形相的・超越的なもの(クオリア的なもの)/質料的なもの(生命的なもの)/機械的なもの(精神的なもの)」といった新しい三体論のアイデアが浮上してくる。第三項の「機械的なもの(精神的なもの)」が判りにくいかもしれないが、これは表層意識が住まう言語的客観世界の特質を表現したもの。
 また、(かの「物質/生命/精神/意識」の四世界論をここに導入し)、第四項として「神秘的なもの(ペルソナ的なもの)」を加えてもいい。地勢学的表記でいえば「地/海/空/天(月)」になると思うが、それはもはや貫之現象学を超えて定家論理学の領域に達している。
 
■貫之現象学の諸相
 
 以上のことを前提に、とりわけ貫之三体を念頭におきながら、貫之現象学をめぐる最終的な(ものとなるはずの)考察に向けた準備作業として、あらかじめ、その諸相が帰属する三つの次元もしくは地層を切り分けておきたいと思います。
 その三つの層とは、ひらたく言えば、まず、歌の内容、歌に詠まれた世界に現われる景物、景象にかかわる層(これを、以下、「A層」と呼ぶ)、そして、歌を「いひいだす」手段であり、歌の構造をかたちづくる素材でもある言葉にかかわる層(同じく「B層」)、最後に、誰が、あるいは何が歌を詠み、享受しているのか、歌の言葉を「いひいだ」し、伝達しているのかということ、つまり、(生身の歌人や神のような人格的なものであれ、装置や機構や身体や場所のごとき非人格的もしくは前人格的なものであれ、あるいはメカニスムや機能といった作用、はたらきそれ自体であれ)、詠歌発生・享受の主体にかかわる層(「C層」)の三つです。
 これらは本来、画然と紛れなく区別できるようなものではなくて、おそらくは相互に滲透しあい、混然一体となって、歌の興趣や情趣のようなものをかたちづくっているのでしょうが、ここでは、あえて分割線を入れ、そして、(次章以下の論考において、さらに)、そのそれぞれの層の内部を入れ子式に再分割し、そうすることで得られた断片を組み合わせて、貫之現象学を立体的に再構成していく、といった迂回路をたどってみたいと考えています。
 以下、その導きの糸として、これもまたほぼ十年ぶりに通読した故・大岡信著『紀貫之』の議論を援用します。
 
 第一、貫之現象学のA層。
 『紀貫之』第二章に、貫之歌の重層性を論じた個所がある。「一首の歌が、表側と裏側とに二重の意味をもち、しかも表は裏に、裏は表に不可分に融合し、いわば対位法的な効果をもって読む者に訴えてくるというのが、この種の歌の理想である。貫之が尊崇されたのも、この面での彼の手腕がおおむね的確堅実で、歌の重層的な内容が、いかにも無理なくこちらの胸に表裏一体になっておさまってくる歌をたくさん作ったからでもあっただろう。」(ちくま文庫、52頁)
(大岡氏がとりあげる貫之歌「誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花など色にいでてまだき移ろふ」では、女郎花の早い衰えを嘆く表向きの意味の裏側に「だれに飽きられたというでもない若い身空なのに、はやくも(恋に見放されて?)衰えてゆく女の移ろいを嘆く心」がこめられている。)
 また第三章では、貫之をはじめとする「古今歌人たちにおける自己の二元的分裂の自覚という問題」(84-85頁)をめぐって、窪田空穂の議論が援用される。「古今和歌集の歌風である享楽耽美の詩情の中に、それとは一見なんの交渉もなく思われるところの理知的な、批評、分解の精神の濃厚にまじっているのは、詩的技巧でもなく、新奇を求めるためのものでもなく、この[「身、藤原氏にあらざるがために、社会的にその才能を用いる路を杜絶され」、万葉集の時代よりも「「我」を意識する事ははるかに強く深かったにもかかわらず、それを言葉とする事を許され」ないという「二重生活を強いられ」た古今歌人たちの──引用者註]生活上の実感のおのずから反映しているものと見るべきである。」(窪田空穂「古今和歌集概説」)
(貫之の「秋の月光さやけみもみぢ葉のおつる影さへ見えわたるかな」という「新古今的な、感覚の尖鋭な表現をなし得」(84頁)た歌(「うたげ」的な享楽耽美の詩情のうちにまじりあった理知的な分解の精神、すなわち「孤心」が表現された歌、と言っていいかもしれない)が、古今集にも他撰本貫之集にも録されなかった事実のうちに、大岡氏は「現在の私たちにとっては清新にも際やかにも思えるこのような歌が、当時の一般的評価からすれば、その技巧の無さ、ナイーヴさゆえに、かえってあきたらなく思われた」という「古今集という集のもっている独特な性格」を、すなわち古今歌人における「自己の二元的分裂」の問題を見てとる。)
 以上のことをふまえて貫之現象学のA層を構成する三つの項を導きだすとすれば、「(言葉とする事を許されない)我」=「無意識」もしくは「錯綜体」(ヴァレリー)、「裏」=「夢」もしくは「夢幻能」、「表」=「映画」もしくは「動きつつある形」としての「姿」(大石昌史)、などと置きかえ、そこから「A層」=「錯綜体(無意識)/夢/映画」を得る。この強引な命名の趣旨や妥当性については、次章以下で個別に検討する。
(ここで「映画」は歌の内容そのもの(A=現象)、「夢」はその媒体・表現手段(B=構造)、そして「錯綜体」が詠歌・享受主体(C=発生)である、といった入れ子式の関係を想定することができる。さらに、たとえば「錯綜体(無意識)」=「錯綜体/アナロジー/論理」と、これもまた入れ子式の再分割をほどこすことができる。)
 
 第二、貫之現象学のB層。
 『紀貫之』第四章。吉川幸次郎がエッセー「国語の長所」で、貫之の「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん」を例にあげ、この歌が歌っていること(たとえば「袖ひぢてむすびし水」)をこの通りの構造で西洋の語にいいかえることができるか、と問うたことを紹介したうえで大岡氏は次のように書いている。
《吉川氏がここで説いていることは、事の順序をいちいち論理的に整序して語る西洋のことばでは伝えることのできない、時間の集中的な重ね合せ、融合の感覚が、日本語では、語そのものの構造からして可能であるということであり、つまり言語そのものの「結びつきの意欲」において、日本語はいちじるしく立ちまさっているということである。
 日本の詩歌が、いわゆるテニヲハを手足の関節のように敏感柔軟に駆使することで成立ってきたことは、膠着語である日本語の本質から来る特長だったが、影像と影像を一つに融け合せて、暗示性に富んだ小世界を作りあげるという特性も、ここから必然的に生じたといえるだろう。さらに、同じ音をもちながら意味の異る語がたくさんあるという、日本語のもう一つの特性も、暗示的な詩歌の発生、発達を大いに促すことに貢献した。》(107頁)
(大岡氏は、かの「さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」をめぐって、「「ぬる」「には」「に」「ぞ」「ける」のようなテニヲハが、この一首では主役をつとめていて、それらの屈折に富んだ出没と響き合いが、歌全体の流動状態をたかめている」(108-109頁)と指摘している。
 また、第六章では「逢坂の関の清水に影見えていまや牽くらむ望月の駒」ほかの屏風歌を例歌として掲げ、それらの歌に用いられた「「らむ」という婉曲の言いまわしが、屏風歌の場合、画中の景に‘時間の幅’を与える役割をはたしていることに気づかされる。絵として定着された空間を少しでも流動的なものにするための工夫が働いていたように思われる」(195頁)と書いている。屏風というスクリーン上に「時間の幅」と「映画=動く影像」をもたらすテニヲハ(辞)のはたらき。)
 以上のことから、ここでもまた強引に、貫之現象学の第二の層を構成する三項を導出するとすれば、「B層」=「私的言語/声と文字/詞と辞」となる。ここで最初の項目に「私的言語」の名を与えたのは、かねて取り憑かれてきた「純粋経験を語る四つの私的言語」(第5章、第19章参照)なる考想に一応の決着をつけるべき場面はここしかないと直観したから、(関連する話題、「強い私的言語」としての西田=貫之現象学と「強い言語ゲーム」としてのウィトゲンシュタイン=定家論理学との相互包摂の関係は、私の体系ではC層に属する。)
 
 第三、貫之現象学のC層。
 『紀貫之』第五章。和歌が公的なものの位置に「のしあがる」ためには、漢詩文の富を奪いとる必要があった。さしあたり、季節感をカテゴリー的に分類し対象化していくこと。「それは、詩人たちの感情生活にも影響を及ぼさずにはいなかった。季節、その具体的な現象としての花鳥を眺めるまなざしは、対象化され類型化され理念化された季節・花鳥のむこうがわに、そういう季節・花鳥によって逆に意味づけられた人生というものを、二重写しの形で透視するのである。かれらの歌が、一人称の世界を歌う時でも同時に三人称的な抽象性、理智的性格を帯びてしまうのは、和歌が置かれるにいたったこういう位置・状況とも深く関わっていたのである。」(170-171頁)
 『紀貫之』第六章で、大岡氏は池田亀鑑の「季節美感とその類型」をとりあげ、「池田氏がここで言っていることは、「日本的季節美感の体系」というものが、決して現実の季節の実感そのものに密着したものではなく、いわば‘象徴の体系を通じて感じとられる共通の文化体験’という性質のものだということであろう。(中略)「事象に即した感情の詠嘆ではなく、感情の追体験に基づく詠嘆」(池田氏)が、古今集から新古今集へ引きつがれる象徴的抒情詩の特質をなすにいたるというのである。」(180頁)と括っている。
 次に引用する文章は古今歌人たちの「詩的な感性」について書かれたものだが、そこで言われる「フィルター」とは、貫之を中心とする古今集撰者グループが確立した(追体験によって感得される象徴的な)「日本的季節美感の体系」にほかならない。
《物の全貌にじかに接するのでなく、距離を置き、ある場合には眼を閉じて、その物のある本質的な影をわが心に映すとき、物は確実に、心の波動にとらえられ、波動と一体化するのである。
 あるフィルターを通して物を見るということは、すでに心のある傾きに基づいた行為なのであって、そのようにして見られた対象は、見る主体である心の動きと、同じ波によって結ばれているのである。そこに得られる対象と自己との特殊な関係の感得が、美の感覚を導くのである。詩的な感性というものがある特殊な能力として成立しうるとすれば、それはおそらく、こういう意味での精妙なフィルターの機構と切離すことができない。》(183頁)
 『紀貫之』第七章。折口信夫ほかが唱えた貫之伊勢物語作者説をめぐって、大岡氏は、「たとえ貫之であろうとなかろうと、この歌物語の作者が、一流短篇作家の眼力と感性をもち、和歌や故事の豊かな教養をそなえ、すぐれた文章の書き手であったという事実は、ゆるがすことができない。ましてこの人物が貫之自身であったとするなら、紀貫之論の筆者として、何で快哉をさけばずにいられようか」(233頁)と書き、「貫之自身の歌が、物語的世界への濃い親近性を保ち、詞書に若干の変化を加えれば、著しく歌物語的になるような作が多い」(233頁)ことを指摘し、そして貫之は「純然たる抒情詩人」というよりは「批評家と小説家との複合した、文人的詩人」(234頁)を思わせると述べている。
 さて、これらの断片的な素材だけでは心許ないし、強引というより飛躍が過ぎるとの誹りを受けること必定だと思うが、私は以上のことから貫之現象学の第三の層をめぐる定式、すなわち「C層」=「伝導体/仮面/歴史」を得る。例によって、それぞれの項目の命名根拠、由来、妥当性 等々については後の章であらためて検討する。
(34号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」33号(2017.12.15)
<哥とクオリア>第44章 貫之現象学の諸相・総序(中原紀生)
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