■心の四分岐をめぐって
雑録の一。第40章で、心と世界の四層構造に思いをめぐらせていた際、脈絡なく同時並行的に読み進めていた三冊の書物の、それぞれから切り取った断片が一つにつながっていった。そのことをここでとりあげる。
(その1)
津田一郎著『心はすべて数学である』は、刺激的な話題に充ちた書物だった。
(たとえばエピローグにでてくるチューリングと夏目漱石をめぐる議論は秀逸。チューリング・テストは本来「機械か人か」を当てるゲームではなく「男か女か」をテストするものだった。マンチェスター工科大学近くの銅像には「偉大なるロジシャンにしてホモセクシャルで論理学者のチューリングに捧げる」と刻まれている。自分は男なのか女なのか、いったい男と女は何が本質的に違うのかという実存的な悩みに直面したチューリングが自分のような人間の表現形として、生物としてのセックスのない中性的な機械を考えた。これと同じように、ただしチューリングとは逆に、漱石は西洋と東洋の差異という実存に迫る深い苦悩をモチベーションにして男女の性(恋愛)をめぐる小説を書いた。漱石が描く女性は西洋近代を象徴していて、東洋的で優柔不断な男性たちを独特のロジックでやり込め、たじたじにさせたのである。)
その第六章「記憶と時間と推論」に、「時間のない論理は本来の心の働きからは遠く、むしろ論理に時間を入れた推論こそが心の働きに則している」と書いてある。どういうことかというと、たとえば「次の文は嘘です」と「前の文は嘘です」が組み合わされると真偽が決定不能になるが、ここに離散的な時間(幅のある時間)を導入して推論の形にすると、真と偽が異なる時間の結論になる(真と偽が同時に出ているわけではない)ので論理的矛盾を回避できる。ロジックで構成された機械は矛盾したらフリーズするが、生命は矛盾を乗り越えていく。「幅のある時間」こそ生命の基本ではないのか、というのだ。
離散的な「幅のある時間」が「心あるもの」すなわち「生命体」の基本であって、これがあるために、つまり論理に時間を入れた推論の働きのおかげで、生命は論理矛盾を乗り越えて生きていく。判りやすい議論だと思うが、しかし、論理に時間を入れたものが推論だ(論理+時間⇒推論)というのはおそらく逆で、生命が生き残りを賭けて繰り広げる推論活動から時間の要素を差し引いてできあがったのが論理なのではないか(推論−時間⇒論理)。生命の誕生に先立つ時間や論理というものが仮にあるとしても、それらは生命体による推論活動の結果から抽出される時間や論理(推論⇒時間+論理)とは異なるのではないか。
ところで私は、詠歌もまた生命体(心あるもの)による推論の働きのひとつであると考えていて、これを生き延びるための推論活動と対比させて表現すると、「幅のある時間」を基本とする言語活動の累々たる集積を通じて、やがてそこから無時間的な、個別の感覚質や感情体験を捨象した論理(感覚や感情の論理、「思ひ」の論理)が抽出されていく、といったことになる。そうすると、ここで推論活動と(詠歌を含む)言語活動との関係如何という論点が浮上してくるが、私の考えはいたって単純で、それは「推論活動」という身体を舞台とする不可視の基本構図の上に「言語活動⇒時間+論理」の可視的な心的過程が重ね描かれる、というものである。
(不可視の構図の上に可視的過程が重ね描かれる、という言い方が曖昧であれば、より限定的に「推論活動は言語活動を部分として包含する」あるいは「言語は推論を通じて生起する」と言ってもいい。ただ注意しないといけないのは、重ね描かれたり包含される前の時間や論理とそれ以後の時間や論理とは異なるものであるということと、そもそもそのような規定もまた言語によってなされるということだ。身体を舞台とする基本構図は言語以前の心の働きもしくは言語そのものの成立条件なのだから、それを言語で表現することは本来できない(言語的に不可視である)。このことさえ踏まえておけば、不可視のものの上に可視物が重ね描かれると言おうが、不可視のものが可視物を部分として含むと言おうが構わない。)
以上の議論から、次の二つの仮説を提示することができる。その一、心もしくは心の働き(推論や言語、そしておそらくは記憶も)は時間と論理でできている。その二、心・時間・論理には、それぞれ@推論以前、A推論以後(または推論活動中)かつ言語以前、B言語以後(または言語活動中)の三つの段階がある。
(その2)
中島義道著『不在の哲学』は、客観的世界は実在しない(仮象である)という実感に言語的表現をあたえた、中島哲学の(現時点での)主著である。
(この書物と永井均著『存在と時間──哲学探究1』とを比較考量しつつ繰り返し反芻することで、定家の「不在の美学」と貫之の「現実性の美学」がはらむ哲学的含意を抽出することができるだろう。私はそんなことを予感しているのだが、ただ中島哲学にせよ永井哲学(永井神学?)にせよ、哲学することと生きること、生きる態度や姿勢のようなものを更新することとが別のことではないので、本腰を入れてこの二冊の哲学書を反芻していくうちに、私自身の嗜好や志向や思考そのものが入れ替わってしまうかもしれない。)
中島氏によると、客観的世界とは「観念としての〈いま〉」という「静的現場」に開かれる「すでに意味づけられた世界」のこと(391頁)。これに対して「根源的現在としての〈いま〉」(392頁)や「そのつど湧き出しつつある〈いま〉」(393頁)と言われるものがあって、これは「私が世界に意味を付与しつつある時としての〈いま〉」(391頁)あるいは「言語を学んだ有機体が世界を意味づけつつあり、同時にいわばその反対側に、「私」を生じさせつつある動的現場」(390-391頁)と定義される。
心身問題をはじめあらゆる哲学的二元論は、このふたつの「いま」の根源的差異に帰着する。そして客観的世界が実在しないとは、「湧き出しつつある〈いま〉」のみを実在とみなすことによって、客観的世界を「不在」のもの、もしくは「せいぜい統一的な意味構成体」(394頁)にすぎないものとみなすこと、いや実感することである。これが『不在の哲学』の最終局面での議論の抜粋。(繰り返しになるが、中島哲学にあっては哲学することと生きることとを切り離すことはできない。だからその著書を読書し理解し要約することには本来なんの意味もない。ここで取り上げたいのは、そのような「結論」にいたる議論の出発点で導入されたある「道具」である。)
中島氏は本書で、実在と不在との関係を明らかにするために、ある「大がかり」で「単純」な「図式」を導入している。その図式とは、「われわれ人間は有機体として@もともと自己中心化しているが、Aその有機体が言語を習得することによって脱自己中心化し、さらにB二次的自己中心化する」(12頁)というもので、これを知覚の場面に即して言い表わすと次のようになる(58頁)。
1.言語を習得する以前の有機体が、自己中心化に基いて「刺激=赤」を受け取る段階。
2.言語を習得し脱自己中心化を遂行した有機体が、「刺激=赤」をすでに意味づけられた普遍的な「観念=赤」として承認する段階。
3.その言語によって媒介された普遍的な「観念=赤」を、ふたたび自己中心化し(二次的自己中心化)、〈いま・ここ〉で体験している段階、すなわちそれをあらためて「赤」として意味付けしつつある段階。
第一段階の「刺激=赤」、第二段階の「観念=赤」に対して、第三段階は「体験=赤」と括られる。言語を習得した有機体が「赤」を知覚するとは、単に感覚刺激を受け取るということだけではなく、またすでに意味づけられた普遍的な観念(意味)をただ受容することだけでもなくて、「感覚刺激を受け取りつつ能動的に意味付与する」(57頁)ということ、つまり「意味付与しつつある」という「能動的体験」(59頁)なのである。
中島氏によると、この図式の眼目は、言語習得の有様を正確にとらえることにあるのではなく、哲学の古典的難問のいくつかを解く統一的観点を与えることにある。
《哲学の伝統的アポリア(難問)が横たわる場所は決まっていて、普遍的・客観的・統一的世界(いうなれば脱自己中心的世界)と、そのつどの〈いま・ここ〉からの風景、言いかえれば「この身体」にとって、特権的に現れる世界(いうなれば自己中心的世界)とのあいだのギャップである。脱自己中心的世界と自己中心的世界とは互いに「世界像(ピクチャー)」を異にしていて、重なり合うことはないのだが、それ以上に興味深いことは、哲学の問いはいつも前者の世界像を前提にしたうえで、後者の世界像を問題にする、という形式をとっていることである(けっして逆ではなく)。
われわれは物理学的・生理学的物質の塊である大脳の存在を不思議に思うことはなくて、その大脳に「住まう」特有の「心」の存在を不思議に思う。電磁波が各身体の網膜に入り、電気パルスとなって大脳の中枢まで達することを不思議に思わないで、「赤い」という感覚が生ずることを不思議に思う。ニュートンの運動法則を不思議に思うことはなくて、それに逆らうかに見える腕の自由な上げ下げを不思議に思う。すなわち、われわれが不思議に思うのは、実在ではなく実在から零れ落ちる不在なのであり、諸々の(広義の)パースペクティブであり、それに相関的に現れる世界である。パースペクティブは膨大であり、その主体(見ている者)も多元的である。その場合、言語を学ぶと、こうした多元的不在のうちに特権的な一つの不在を認めることになる。それは、現に知覚している世界であり、現に想起している世界である。それは、「私の世界」である。すなわち、不在には、「現にある不在」と「現にない不在」というまったく異なったあり方をする二種類があることに気づく。》(12-13頁)
ここで言われる「脱自己中心的世界」が客観的世界に該当し、「自己中心的世界」が「根源的現在としての〈いま〉」において開かれる世界に対応している。中島氏の議論は、前者の実在を前提に後者(不在の世界)を消失あるいは導出する遣り方を否定し、「後者[自己中心的世界]に定位して、前者[脱自己中心的世界]の抽象性を明らかにする」(14頁)道へと進み、上述の「結論」に到るものだった。
(ちなみに、引用文中の「現に知覚している」や「現に想起している」の「現に」は永井哲学における「現実性、アクチュアリティ」の概念にかかわる語彙で、これは「実在性、リアリティ」の概念とは素性を異にする。強引な言い方で括ると、貫之現象学は「現実性」が「実在性」に優位する歌論で、定家論理学は逆に「実在性」が「現実性」に先立つ歌論である。そして、西洋においてキリスト教神学の抽象思考の解毒剤として自然科学が産み出された(養老孟司)こととパラレルに言えば、貫之や定家の歌論(歌学)、さらに心敬や世阿弥や利休や芭蕉の芸論は、大陸由来の抽象思考を解毒する本邦における実証思考と見ることができる。)
ここで私は、第三段階の「体験=赤」を第一段階と第二段階のあいだに、すなわち言語習得もしくは言語産出のプロセスのうちに置いて考えてみる。それは普遍的な意味としての「赤」の体験や「赤」という出来合いの「意味を付与しつつある体験」(59頁)ではなくて、言葉に先立つ剥き出しの、生の、直接的な〈赤〉の体験である。そのような、「いま・ここ」と(「実在性」のレベルでは)指し示すことのできない場所における〈赤〉の純粋経験が概念としての《赤》につながり、やがてそこから言語が産み出されていく、そのプロセスの起点となり舞台ともなる体験のことだ。
(「体験=赤」が「自己中心的世界」に位置づけられていることは見やすいが、果たしてそれが第一段階の「自己中心的世界」にあるのかそれとも第三段階の「二次的自己中心的世界」に位置づけられるものなのか、先の引用文だけでは判然としない。中島氏は両義性を意図して文章を書いているのかもしれない。
ちなみに、引用文の最後に出てきた「不在には、「現にある不在」と「現にない不在」というまったく異なったあり方をする二種類がある」という指摘、それは後に、二次的自己中心化された有機体は「自分の「痛み」のみが現実的痛みであり、他人の痛みはそうでないという…二重の世界に生きている」(335頁)といったかたちで繰り返されるのだが、とにかくそのような「絶対的差異性」(335頁)の淵源は、第二段階をはさんでその前後をそれぞれの在処とする「体験=赤」の二つの存在様式のうちにあるのではないか。少なくともそう考えることで、貫之現象学における「現実性」と定家論理学における「不在」が生起するそれぞれの場所が特定できるのではないか。充分な吟味を経ない軽率な物言いだとは思うが、私はここでそんなことを考えている。)
以上の議論を踏まえて、先の二つの仮説のヴァージョン・アップを図る。その一、心もしくは心の働き(推論・言語・記憶)は時間と論理でできている。その二、心・時間・論理には、それぞれ@自己中心的・非(もしくは前)言語段階(例:刺激反応)、A自己中心的・言語習得(もしくは産出)段階(例:純粋経験)、B脱自己中心的・言語使用段階(例:普遍的意味体験)、C二次的自己中心的・言語使用段階(例:意味付与しつつある能動的体験)の四つの段階がある。
(その3)
かつて第5章で、古今集仮名序を素材にして四つの心を論じたことがある。再説すると、@森羅万象にわたって様々に分岐する心の無限集合、カミの心、タマやスピリット、霊の次元の心(「響き」となって顕われる心)、Aすべての「生きとし生けるもの」のうちに宿る普遍的な心(「こゑ」を生む心)、Bある特殊な生物種のうちに宿り、やがて「ことのは」へと生長する「たね」としての心(「やまとうた」を詠み出だす心)、C世の中を「ことわざしげく」生きる生身の人の「思ひ」(「和歌」を言い出す心)。これらはいずれも個別の和歌の詠出に先立つ心で、詠み出された、もしくは詠み出されつつある和歌における心はさらに、歌の心、詠みつつある心(虚構の作者の心)、そして(実在もしくは虚構の)読者の心へと分岐していく。
また第20章では、吉本隆明著『初期歌謡論』の和歌史の議論に即して、以下に再掲する零次性から三次性までの四つの心を論じた。この四つの心については第28章で、井筒豊子(「意識フィールドとしての和歌」)が論じた心の四つの階梯、すなわち@無分節・非現象の「心地(こころ)」、A意識の自照的次元としての「境(さかひ)」、B意識フィールド(思ひ+情)、C言語フィールド(詞+余情)に関連づけて取り上げた。
【0】まず、自然、すなわち「物」の世界という大きな「容器」(プラトンの「コーラ」、西田幾多郎の「場所」に、あるいは「洞窟」に通じるもの)があって、そのなかで、(和語特有の畳み重ね、もしくは言語活動に普遍的な虚喩的表現を介して)、「心」がインキュベートされる。この「心」のことを「心0」(零次性の心、もしくは霊)と表記するなら、かくして、「物」の世界との交霊・交歓・交感を通じて、アニミズムやシャーマニズムにつながる(私の語彙でいえば、「哥というギフト」につながっていく)「心0」が定まる。(短歌謡、万葉集)
【1】ついで、そうやって(虚喩的言語表現を媒介として)産出された「心0」群の集蔵体がひとつの領野をかたちづくり、それが、新たな「容器(コーラ、場所、洞窟)としての心」(広義の貫之現象学の世界、あるいは「哥のパランプセスト」)となる。それまでの関係が逆転して、こんどはそこに「物」がとりこまれるようになる。この「物」の世界に秩序(かたち)をあたえるのが、「はたらき(メタフィジカルな統覚作用)としての心」(狭義の貫之現象学の世界をかたちづくる「いひいだす」力、あるいは「フィギュールとしての哥」)で、そのとき起動されるのが「心1」(一次性の心)である。(それは、実は、容器としての心のうちに内在化された「心0」が現働化したものである、といってもよい。あるいは、「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。」というときの、その、やがて詞へと生長していく「人(ひと)のこころ」、もしくは「よろづ」のものが詞へと変成・編制されていくときの媒介、媒質となる「一(ひと)のこころ」のことである、といってもよい。)
【2】この「心1」の立ちあらわれによって、つまり「詞」による修辞的な表現活動を通じて、「見るものきくもの」(容器としての心にとりこまれた「物」)に付託して表現されるのが、「世の中にある人」が「心におもふこと」、すなわち「物」と同じ次元に属する事実としての「心2」(二次性の心)である。(和歌、古今集)
【3】やがて、その、容器としての心のなかでインキュベートされた「詞」による表現の秩序を媒介にして、修辞的な表現物としての「姿」(歌に詠まれたイメージ、もしくは音韻・文字のかたち)が、象徴的な「心3」(三次性の心)として形象化される。すなわち、事実としての物=心の世界を表現の世界へと超出させる第一のメタフィジィクの徹底によって、(あるいは、「かの古今集の序にいへるがごとく、人のこころを種として、よろづの言の葉となりにければ、春の花をたづね、秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、何をかはもとの心ともすべき」という、俊成的転回を介して)、いわば「容器としての詞」の世界がかたちづくられ、さらに、そのなかでインキュベートされた「姿」が、第二のメタフィジィクのはたらきによって、あたかもこの世を他界から眺めるがごとき「境地」として実在化される。(和歌、新古今集)
さて、これらの心の分岐説を『心はすべて数学である』や『不在の哲学』の議論と突き合わせて、それに上述の仮説を組み合わせ、やや強引に整合性をもたせて(というか辻褄を合わせて)整理すると次のようになる。
(若干の註記。各項冒頭の「物質」「生命」「精神」「意識」は、第7章で「哥の伝導体」の概念を導入した際に用いたのと同じ意味合いのもの。また「自自映現」「即自」「対自」「対他」は、井筒豊子(「自然曼荼羅──認識フィールドとしての和歌」)が大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅の四種曼荼羅のそれぞれにあてた語(第31章参照)。なお下記の分類は、総じて第36条で提示した(クオリアの空とペルソナの海にはさまれた)芸術言語論の構図にオーバーラップしていく。)
【心0】
物質の次元。自自映現。生命現象(推論)以前の時間と論理。
非現象の「心地」を根とし、「境」を介して、「五大にみな響きあり」の「響き」として顕われる心(クオリアとしての「心0」?)。
【心1−1】
生命の次元。即自。自己中心的・非(前)言語的段階の時間と論理。
生きとし生けるものの「こゑ」を生む普遍的な心。
【心1−2】
生命の次元。即自。自己中心的・言語習得(産出)段階の時間と論理。
人のうちに「たね」として宿り、やがて詞(ことのは)へと成長し、「やまとうた」を詠み出だす心(=情)。
【心2】
精神の次元。対自。脱自己中心的・言語使用段階の時間と論理。
世の中を「ことわざしげく」生きる生身の人の内面に帰属し、和歌として言い出される心(=思ひ)。
【心3−1】
意識の次元。対他。二次的自己中心的・言語使用段階の時間と論理。
俊成的転回、あるいは景物に表現を与える第一のメタフィジィクを介して、詞のうちに造形される「詠みつつある心」。
【心3−2】
意識の次元。対他。
表現を媒介にして、ある心の境地を獲得する第二のメタフィジィクを通じて造形されるペルソナの心(「心0」へと通底する第四人称の「心4」?)。
三冊目の書物のことを書きもらすところだった。東浩紀編『ゲンロン1』に収録された共同討議「昭和批評の諸問題1975-1989」で、福嶋亮大氏が次のように発言している。
《ぼくは『マス・イメージ論』の言語論は、けっこういいと思っています。吉本さんは『初期歌謡論』で過去の歌謡について書いている。簡単に言うと、日本語の歌というのはエコーのように重なっていく性質がある。言葉と物が一対一でシンプルに対応しているのではなく、縁語その他の技法を通じて、言葉の上に言葉がひだみたいに折り重なっていくのだ、と。それと同じ枠組みで高橋源一郎や少女漫画を読んでいるのが『マス・イメージ論』です。たしかに少女漫画の言葉の使い方もエコー的なんですよね。ひとつの言葉が単独で存在しているんじゃなくて、そこに内面の言葉が自由に折り重なって、レイヤーがどんどん増えていく。》
「エコーのように重なっていく」や「(言葉の上に言葉が)ひだみたいに折り重なっていく」や「レイヤーがどんどん増えていく」という表現は、吉本隆明が指摘した和語(上代語)に特有の律文化・韻文化の方法である「畳み重ね」(「枕詞的なもの」の初原)や歌謡の祖形における「虚喩」的関係のあり様をめぐる卓抜な比喩となっている。さらには五大皆在響の「響き」としての「心0」を起点として重層的に分岐する和歌の「心」そのものが、ひいては「心=詞=物」の等式を通じて森羅万象が「エコー」や「ひだ」や「パランプセスト」のように織り重なって自らを産出していく和歌的世界(それはおそらく鈴木亨の「響存的世界」(the Echosistenz world)につながっている)の稼働原理を端的に言い現わしている。
■イマージュの四分類をめぐって
雑録の二。井筒俊彦は「イマージュ」をめぐって、『意識と本質』で次のように書いている。
《スフラワルディーが「似姿」とか「比喩」とか名付けたものを、我々常識人は、常識的立場から「イマージュ」と呼ぶ。現に私自身も、本論で今までに「イマージュ」という言葉をさんざん使ってきた。「イマージュ」とは人の心に浮ぶ形象。ごく卑近な意味では、外界の事物に対応し、それを映す心象である。「似姿」とか「比喩」とかいう言葉自体が既にイマージュ性を含意しているし、それだけではなく、事実、それらにイマージュ的側面のあることは否定できない。だが、スフラワルディーや彼と同質の思想家たちにとっては、イマージュはイマージュでも、たんに心に浮ぶ事物の映像ではなくて、本当は、ある特殊な、すなわち脱質料的な、存在次元に現成するれっきとした実在なのである。例えばスフラワルディーが「光の天使たち」について語る時、彼はたんなる天使の‘心象’について語っているのではない。彼にとって、天使たちは実在する。天使は、我々の世界にではないが、存在の異次元、彼のいわゆる「東洋」、「黎明の光の国」に実在するのだ。》(『意識と本質』204頁)
たとえば次のような分類が考えられるだろうか。(ここでは深掘りしないが、同様に「フィギュール1〜3」や「パライメージ1〜3」をめぐる分類を示すことができるのではないか。)
【イマージュ1】
A領域(表層意識)に現象する狭義の「像」
「実物」(オリジナル)に対する「写し」(コピー)の関係にある像
「インデックス」としての像
【イマージュ2】
M領域(A領域とB領域の中間地帯)に稼働する広義の「像」
「喩」的関係にある広義の「象」(形象化された元型)
「イコン」(「オリジナル」が受肉した「コピー」)としての喩
【イマージュ3】
B領域(言語アラヤ識)に生起する最広義の「像」
「体」(生きたるもの)の「はたらき」として立ち上がる狭義の「象」
「シンボル」としての元型(「コピー」なき「オリジナル」)
この三つの次元の「イマージュ」は、井筒俊彦が論じた『コーラン』の三つの表現レベル(第23章参照)や、中沢新一著『狩猟と編み籠──対称性人類学U』(273-274頁ほか)で語られた旧石器時代の洞窟イメージ群の三層構造(第4章、第11章参照)、そしてこれも中沢氏による南方熊楠の三つの「シントム」(第37章参照)と密接に関連する。これらの要素を先の分類に組み込んでみると、次のようなものになるだろうか。
【第T層】「イマージュ1」=「像」
「事実的〔realistic〕」な層
洞窟壁画イメージの第三群(物語)
トーテミズム(想像界のシントム)
【第U層】「イマージュ2」=「喩」
「物語/伝説的〔narrative/legendary〕」な層
洞窟壁画イメージの第二群(具象的)
華厳仏教(象徴界のシントム)
【第V層】「イマージュ3」=「象」
「イマジナル/異界的〔imaginal〕」な層
洞窟壁画イメージの第一群(抽象的)
粘菌(現実界のシントム)
これはかなり強引なもので、とくに問題なのは、表現レベルにおける「物語/伝説的〔narrative/legendary〕」な層と洞窟壁画の第三群イメージ(物語)とがうまく噛み合っていないことだ。井筒俊彦が言うように、「即物的イマージュ」(イマージュ1)がM領域に入って「想像的」イマージュに変質したり、「非即物的イマージュ」(イマージュ2)がその本来の住処を離れて表層のA領域まで出てきたりと、自在に移動する場合があると指摘することで理論的綻びを繕うしか方策がうかばない。
ちなみに、井筒俊彦は「元型」イマージュの性格として、文化的制約性、非即物性、物語性(説話的自己展開性、神話形成的発展性)、構造性の四点を挙げていて、とくにこのうちの第三点について、「元型」イマージュだけではなくM領域に生起するすべての「想像的」イマージュの「本来的傾向」であると書いている。(『意識と本質』248頁)
上述の構図もしくは「図柄」と、第36章で論じた「X=像1(感覚面)」「Y=像2(情動面)」「Z=像3(言語面)」の三つ組みとの関係をどう構築すればいいか。
それよりも、そもそも雑録の一でとりあげた心の四分岐との関係性もしくは整合性はどうなっているのか。たとえば「イマージュ0」=「肖」(C領域(無意識)に棲息する最狭義の「象」)といった類型を導入し、そこに第四の記号として「仮面、マスク」(「オリジナル」なき「コピー」)もしくは「人の手によらない聖像、アケイロポイエートス」(「オリジナル」が自動転写された「コピー」)などをあてはめて、最古の【第0層】もしくは【第W層】なる地層をしつらえてみるか。
答えのない自問自答が続く。
■和歌の四つの姿態変化をめぐって
雑録の三。三浦哲哉著『映画とは何か──フランス映画思想史』に描かれたフランス映画における「自動性の美学」の系譜は、本邦王朝和歌の三態とこれに先立つ古代和歌を含めた古典和歌の四態と見事に符合している。
私がこのことに気づいたのは和歌三態の説・俊成編について思考をめぐらせていた時のこと。吉本隆明の芸術言語論における喩の理論がパスカルのフィギュール論につながっていると知り、塩川徹也著『虹と秘蹟―─パスカル〈見えないもの〉の認識』を参考書として繙いたところ、その少し前から読み進めていた三浦本の話題がちょうど第三章のロベール・ブレッソンにさしかかり、そこではブレッソンの宗教的イメージ論とパスカルのフィギュール論との並行性が指摘されていて、参考文献のリストに名を挙げた塩川本から「多くの有益な示唆を得た」(144頁)と註記されていた。この私秘的なシンクロニシティに痺れ、かつ「見えないもの」が「見えるもの」に宿る「受肉」の秘儀(124頁)と、預言の成就と、時間的に後から来るオリジナルが予型としての過去の出来事(コピー)の意味を完成させる「表徴=フィギュール」(126頁)の概念とを並行させる塩川=三浦氏の議論が、俊成的転回やその系譜学の実質と驚くほど響き合っていることに知的興奮と愉悦を覚えた。
そこでふと思い立ち、三浦本第二章のアンドレ・バザンのリアリズム論に関する論述、三浦氏によるとそれは「想像的なもの」の現実性、自律性をめぐる思考(14頁、98頁)にほかならないのだが、そのバザンのイメージ論に遡って再読してみると、これがまた貫之現象学とものの見事に符合していた。少なくとも私はそう確信した。だから和歌三態の説・定家編の構想に際しては、逆にジル・ドゥルーズの『シネマ』をめぐる第四章の叙述に即発されて「いのち」(映画はそれ自体生きている)や「歓び」(映画への没入と感動)といった定家論理学のキーワードを導き出すことが出来たし、第一章のジャン・パンルヴェにおけるイメージの自動運動に関する議論、すなわち映画という新しい技術による不可視のものの可視化や空間・時間の尺度の変更等々の話題は、言語(文字)という新しいテクノロジーの導入がもたらした貫之以前の古代詩歌の世界を彷彿させるものとなった[*1]。
ほんとうはここで、「レミニッサンス」の無意志性(=自動性)と「アケイロポイエートス」の無作為性(=自動性)、ベンヤミンの「アウラ」、「オートマトン」(自動的に動くもの)とフロイトの「反復」、等々、あたかも夢の中の事象のように浮び上がっては消えていく関心事に集中し、また俊成歌論とパスカルのフィギュール論、定家の歌論と「動きつつある形」(大石昌史)もしくは「動くイメージ」(三浦哲哉)といった第38章で予告していたテーマや、「時間の兆す平面」(芳川泰久)という第41章に出てきた言葉について、とうに忘却の淵に沈みこんだその他の論点群ともどもあらためて取り上げ、三浦氏の議論を導きの糸としながら立ち入って思案すべきところだが、これらの話題については、今後、貫之現象学に関する考察の最終局面における懸案事項として取り組むことが出来ればと思う。
余禄として。吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』の第X章で、文学作品を「言語表出の価値」としてではなく「言語芸術としての価値」(11頁)として扱うために「構成」の問題をとりあげ、詩・物語・劇という三段階の言語構成の展開を示している。
《すでに、無意識に、【転換】をあつかったとき、このもんだいは暗示されてきた。わたしのかんがえでは、表出の価値をそのまま、作品の価値とすることは、発生史的には、いいかえれば、【自己表出としての言語の連続性の内部】では、ある正当さをもっている。だが、文学作品の価値は、まず前提として指示表出の展開、いいかえれば時代的空間の拡がりとしての【構成】にふれなければ、かんがえることができない。たとえば、西鶴の散文作品のあるものと、芭蕉のたった十七字からなる詩作品のあるものを比較して、芭蕉の詩作品のほうがすぐれていると断定したとすれば、どうしてもあるわだかまりがのこされるだろう。しかし、逆に、西鶴の長編小説は、芭蕉の十七文字よりも、ただそれだけで、すぐれているということはできない。これは、もちろん好みや、長短のもんだいではない。西鶴の長編小説では、【構成】が作品の価値にかかわる重さが、芭蕉の短詩よりもはるかに大きいというもんだいだ、》(角川文庫『定本 言語にとって美とはなにかU』12頁)
中沢新一氏は『吉本隆明の経済学』の第二部「経済の詩的構造」で、「吉本隆明は言語の奥に潜む詩的構造を探るだけでは満足せず、経済というものの奥に潜む詩的構造まで明らかにしようとした」(341頁)と書いている。『吉本隆明の経済学』の第一部には吉本の講演「近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」」が収録されていて、そこではアダム・スミスの「歌」、リカードの「物語」、マルクスの「ドラマ」といったかたちで先の構成論の成果が用いられている。注目したいのは、中沢氏がそこに第四の類型を導入していることだ。
《私はこの[アダム・スミスからマルクスまでの古典派経済学の転形の]過程を、詩的構造の原始性からの乖離の度合いとして理解しようと思う。そのことを理解するには、アダム・スミスの前に重農主義の思想家ケネーを付け加える必要がある。アダム・スミスが経済の「うた」を歌ったとすれば、ケネーは何をしたか。ケネーの『経済表』はマルクスによって人類にとっての「スフィンクスの謎」と呼ばれた。ところで人類学は「なぞなぞ」が「うた」に先行するより原始的な文芸形態であることをあきらかにしてきた。それは裸にされた詩的構造そのものである。吉本隆明のおこなった理論教判の図式に、私はケネーの「なぞなぞ」を加えて、図式を完成させたいと思う。》(『吉本隆明の経済学』258-259頁)
貫之以前=パンルヴェ=なぞなぞ[*2]。貫之=バザン=歌。俊成=ブレッソン=物語。定家(世阿弥)=ドゥルーズ=劇。(私はそこに第五の形態である映画(機械仕掛けの伝導体)を付け加えてみたいと夢想している。)
[*1]亀井勝一郎著『日本人の精神史 第一部 古代知識階級の形成』の次の一節は、同時代人ポール・ヴァレリーとともに「芸術作品の受容経験を「舞踏」という観点から思考した」(三浦前掲書63頁)パンルヴェにおける「純粋な自動運動のかたち」(同61頁)に通じている。
《しかし精神史に即して考えるとき、一番大切なのは、‘神々のいのちとしての言葉’ではなかろうか。言葉とはそもそも何か。言語表現の秘密を、始原にさかのぼって考える必要があるようだ。文字のない非常に長い時期にも、人間は「考え」且つ「言葉」を所有していた筈だ。まず産霊[むすび]が物を発生・生産する「魂[たま]」であるならば、人間に著いて、「言葉」──造語能力を発生させたとみて差支えあるまい。最初それは咒術であり、巫女はそのときの「霊」媒者であった。言わば神々のいのちを伝える存在であった。
人間の訴えに応じて、神がかりして、或るインスピレーションにおいて、「神語」を告げたであろうが、当初それは、わけのわからぬものであったかもしれない。暗示的であったり、象徴的であったものの中から、生死や生産のふしぎにむすびついた感動深い音声の思い出が幾たびもくりかえされ、口伝され、そうしているうちに「言葉」を誕生せしめ、一の「表現」(詞章)に達したのではなかろうか。この場合、巫女の姿態が動き、言葉の誕生は同時に舞踊の誕生であったと想像してもよかろう。つまり‘唱えること’と、‘身体を動かすこと’で、古代人の精神はおそらく最初の「形[かたち]」を与えられた。》
《文芸のおおもとの形は「まれびと」として考えることができる。つまり均質なシステムのなかに、外から異質な力を招き入れてくる宗教の様式として「まれびと」は発展してきたけれども、それを言語で表現すると文学、文芸になると折口さんは考えたわけですね。これが有名な折口さんの国文学の「まれびと」による起源説と呼ばれるものです。いろいろな側面から折口さんはこの問題を考えましたが、いちばん重要な問題は、文学が喩の構造としてつくられているとき、その喩の根本的な構造のなかに「まれびと」の構造が入っているということを折口さんは知っていたということです。
人類がおこなった最古の文芸はなにか。十九世紀以来多くの人類学者によれば最古の文芸形態は、「なぞなぞ」であったと言われています。なぞなぞというのは、日常生活のなかでは遠く離れたところにあるふたつの意味場が、音の類似性などによって一瞬にして結合することによって生まれますが、その結合の瞬間の驚きや喜びが文芸のおおもとになったと考えられています。このなぞなぞの形がやがて喩の体系をつくり、詩へ発展していったというのが、十九世紀の人類学が明らかにしてきたことです。
たとえば「メはあっても見えないもの、なに?」というなぞなぞの答えは「じゃがいも」ですが、これはじゃがいもの芽と人体の目を重ね合わせています。この場合は、植物と人間の身体の器官が一瞬にして音の共通性でくっついています。この驚きは私たちに楽しみをもたらしますが、これが喩の構造になっていきます。
あらゆる民族の文学において、喩を用いた表現、詩というものが最初の文芸形態になります。詩の命は喩であると思いますが、この喩の構造は「まれびと」と同じ構造をしています。》
(43章に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」32号(2017.08.15)
<哥とクオリア>第42章 和歌三態の説、雑録──心・イマージュ・映画(中原紀生)
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