Web評論誌「コーラ」28号/哥とクオリア 第38章 和歌三態の説、貫之・俊成編

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Web評論誌「コーラ」
28号(2016/04/15)

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 貫之の歌論や貫之が詠んだ歌の世界を、俊成や定家のそれらと比較対照し、その実質を一言で言い表わす言葉がもしあるとすれば、それは「像」(イマージュ)ではないか。そして、俊成の場合であれば「喩」(フィギュール)が、定家ならば「虚象」(パンタスマ、フランス語表記に平仄をあわせるなら、ファントームもしくはミラージュ)という語が、それぞれの歌論と歌の世界の特質を言い当て、他との感触の違いを際立たせる言葉としてふさわしいのではないか。吉本隆明の言語表現論の眼目である像と喩の理論をめぐって思案をめぐらせているうち、そんなことを考えるようになりました。
 これより、(第12章の議論と重複するところが多々あるし、それに、吉本関連本と同時並行的に読み進めていたレトリック論やフランス映画思想史をめぐる書物との慮外の相即、というか私の脳髄のなかでの思いがけないコラボレーションもあって、かなり先走った話題、論点をふくむことにもなるでしょうが)、この思いつき、いわば物質三態ならぬ和歌三態の説に、しばらくこだわってみたいと思います。貫之以前あるいは定家以後を組み込むならば、物質四態ならぬ和歌四態の説というべきところでしょうが。

■貫之と像、あるいは「花は雪として降る」

 まず、貫之にとっての像。それは、古今集仮名序にいうところの「見るもの聞くもの」(花鳥風月)に「つけて」(託けて、あるいは憑けて)言いいだされた当のもの、いいかえると「〈物〉という鏡」(尼ヶ崎彬『花鳥の使』)に映った鏡像、または「水に映るもの」(大岡信『紀貫之』)、つまり水面、水底に映じたイメージであり、さらに屏風絵というスクリーンのうえに文字によって重ね描かれた「パンタスマ」、すなわち「なにものにも類似することがなく、したがってそれ以外のものに根拠をもたない…イメージそのもの」(淺沼圭司『〈よそ〉の美学』)にほかなりません[*]。
 ここで、これまで見てきた貫之歌のうち、散る桜(屏風に描かれた画をふくめて)に「つけて」歌われたもの、そして、水面もしくは水底に映るイメージ(濁って具体的な像を結ばないケースをふくめて)を詠んだものを、それぞれ二首ずつ組み合わせてとりだしてみます。
  さくら花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける
  桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける
 
  結ぶ手の雫に濁る山の井の飽かでも人に別れぬるかな
  手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
 
  二つ来ぬ春と思へど影見れば水底にさへ花ぞ散りける
  影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき
 最初の「さくら花散りぬる」の歌については、(第4章でとりあげた)大岡信氏の評言に、「一首全体は、この微動する一語[なごり]の周囲にゆらめいていて、何度読みかえしても、かっちりした「像」が眼底に結ばれるという感じはない」とあり、また、「貫之の歌は…流動しつづけ、ひたすら「像」を結ぶことを拒もうとしているかにみえる。風も水も空も波も、すべてが具体的であるよりは抽象的であり、いわば意識の流れの一瞬ごとの仮象にすぎないという印象である。そのために、交換可能な一種の等価性が、それぞれのあいだに生じているという感じが生れる。この歌を想い起そうとしても語の正確な位置が定めがたいという私の経験も、おそらくそういうことに起因しているのだ」、とあることを書き添えておかなければならないでしょう。
 大岡氏が、「この歌を想い起そうとしても語の正確な位置が定めがたい」と書いているのは、「さくら花散りぬる」とまで出て、あとの「風」「水」「空」「波」が順不同に浮かびあがってき、「風のなごり」だったのか、「空のなごり」だったのか、「波なき空」だったか、「水なき空」だったかが定まらない、という経験を指しているのですが、少なくとも、そのような「順不同」の曖昧な関係性のうちに、「桜」「風」「水」「空」「波」の語が喚起する輪郭の定まらない、(つまり視覚的イメージのようなくっきりとした輪郭をもたない)、しかしそれ自体としては鮮烈な物質的感触をともなうイメージが、大岡氏の意識の流れのうちに浮かびあがっていたことは確かだろうと思います。
 ちなみに、(これもまた、第4章でとりあげた話題ですが)、最後の「影見れば」の歌について、大岡氏は、「水底に空を見るという…逆倒的な視野の感覚…に貫之という歌人の、原型的イメジのひとつがある」と指摘していました。
[*]冒頭でふれたように、「パンタスマ」(虚象)は、定家の歌論と歌の世界の特質を言い表わす概念であると私は考えている。精確には、像=イマージュと喩=フィギュールと虚象=パンタスマの三つ組の概念を、それぞれ貫之現象学、俊成系譜学、定家論理学の三つの世界を表現するキーワードの組み合わせとしてとりあつかいたいと考えている。そうであるにもかかわらず、貫之に関する記述のなかで「パンタスマ」を用いたのは、かねてからの「持論」である「(広義の)貫之現象学は(狭義の)定家論理学を包摂する」という命題を念頭においてのことだ。つまり、貫之現象学の世界には、定家論理学の成分が(その濃度は異なるにしても)すでにして含まれている。
 ついでに書いておくと、本文で引いた「桜散る」の歌について、次々節で引用する文章のなかで尼ヶ崎彬氏は、「詩的世界において、花は雪のように降る(比喩)のではなく、花は雪として(複合)降るのである。」と書いている。そして、そのような「イメージの複合」は、現実の世界では存在することも表象することも不可能なのであって、あくまで詩的言語の「姿」のなかで、花と雪は結合するのであると指摘している。(言語のなかでなくとも、スクリーンやディスプレイの上でオーバーラップする映像としてであれば、イメージは自在に結合するだろう。「さくら花散りぬる」の歌をめぐる大岡氏の経験を思うにつけ、和歌のメカニズムやレトリックと映画のメカニズムや技法とは相互に密接に通じ合っている。)そうだとすると、「桜散る」の歌に詠まれた「像」は、俊成的な「喩」に分類されるべきなのではないかという疑念が生じるが、ここでもまた「俊成系譜学は(広義の)貫之現象学に「基づけ」られている」という、いまだ論証されていない「仮説」を念頭においている。
 なお付言すると、私はかつて、(たとえば第11章で)、フィギュールのはたらきこそが(狭義の)貫之現象学の実質をなしているのではないか、といった趣旨のことを書いた。このことと、本文で論じようとしている「像(イマージュ)=貫之」「喩(フィギュール)=俊成」云々の議論は矛盾しているように見える。事実、言葉遣いとして矛盾している。しかし、詳細はいずれ立ち入って確かめなければならないと思うが、ここでは、貫之現象学が俊成系譜学を包摂しているかどうかといったことよりもさきに、そもそも貫之現象学におけるフィギュールのはたらきと俊成歌論におけるフィギュール(姿)のあり様とは、その意味合いがまったく違う。

■像と形、「純粋な表現性」としての

 貫之における「像」は、物のあるがままの「かたち」に通じています。
 小林秀雄は、本居宣長が「石上私淑言」で、「聲を長くし、詞に文[アヤ]をなす」のが「歌のかたち」だ、と述べたことにふれて、次のように書いています。「宣長に言はせれば、歌とは、先づ何を措いても、「かたち」なのだ。或は「文[アヤ]」とも「姿」とも呼ばれてゐる瞭然たる表現性なのだ。歌は、さういふ「物」として誕生したといふ宣長の考へは、まことにはつきりしてゐるのである。」(『本居宣長』)
 また、江藤淳との対談では、ベルクソンの「イマージュ」をめぐって、『物質と記憶』の序文に言及しながら次のように語っているのです。(以下は、以前、第13章で言及したものの「完全版」です。)
《常識人は、哲学者の論争など知りはしない。観念論や実在論が、存在と現象とを分離する以前の事物を見ているのだ。常識にとっては、対象は対象自体で存在し、而も私達に見えるがままの生き生きとした姿を自身備えている。これは「image[イマージュ]」だが、それ自体で存在するイマージュだとベルグソンは言うのです。(略)
 ところで、この「イマージュ」という言葉を「映像」と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っている「かたち」という古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。
「古事記伝」になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、「アルカタチ」とかなを振ってある。「‘物’」に「性質情状[アルカタチ]」です。これが「イマージュ」の正訳です。大分前に、ははァ、これだと思った事がある。ベルグソンは、「イマージュ」という言葉で、主観的でもなければ、客観的でもない純粋直接な知覚経験を考えていたのです。更にこの知覚の拡大とか深化とか言ってもいいものが、現実に行われている事を、芸術家の表現の上に見ていた。宣長が見た神話の世界も、まさしくそういう「かたち」の知覚の、今日の人々には思いも及ばぬほど深化された体験だったのだ。
 この純粋な知覚経験の上に払われた、無私な、芸術家によって行われる努力を、宣長は神話の世界に見ていた。私はそう思った。「古事記伝」には、ベルグソンが行った哲学の革新を思わせるものがあるのですよ。私達を取りかこんでいる物のあるがままの「かたち」を、どこまでも追うという学問の道、ベルグソンの所謂「イマージュ」と一体となる「ヴィジョン」を掴む道は開けているのだ。たとえ、それがどんなに説き難いものであってもだ。これは私の単なる思い付きではない。哲学が芸術家の仕事に深く関係せざるを得ないというところで、「古事記伝」と、ベルグソンの哲学の革新との間に本質的なアナロジーがあるのを、私は悟った。宣長の神代の物語の注解は哲学であって、神話学ではない。》(「「本居宣長」をめぐつて」)
 ここで言われる「主観的でもなければ、客観的でもない純粋直接な知覚経験」としての「声」、あるいは、主観的でもあり、客観的でもある「言葉の働き」、すなわち「生きた言霊の働き」とは、カミ(自然)が貫之を通して自己を詠んだ〈哥〉=〈聲〉としての「のる」コトバであり、かつ、自然(カミ)を詠む貫之の歌=詞としての「まうす」コトバでもあります。そして、そのような「のる」主体から「まうす」主体への構造転換のうちに造型され、かつ、その転換の媒体となるものが、やまとうたの「たね」であるところの「こころ」にほかなりません。この「こころ」は、冨士谷御杖がいう「私思欲情」、すなわち個人の内なる「迦美」に通じているでしょう。「言語は無形也。詠歌は有形なり。すべて形なきものには霊とゞまる事なし。形あるものには霊そのうちにとゞまりて死せず。」(『真言弁』)
 小林秀雄は『本居宣長』で、「文(あや)ある声のカタチ」という表現を用います[*]。それは、「あしわけ小舟」に「カナシミツヨケレバ、ヲノヅカラ、聲ニ文[アヤ]アルモノ也。」云々とあるのを引用した文章のなかにでてくるものです。
《誰も、各自の心身を吹き荒れる実情の嵐の静まるのを待つ。叫びが歌声になり、震えが舞踏になるのを待つのである。例えば悲しみを湛え難いと思うのも、裏を返せば、これに堪えたい、その「カタチ」を見定めたいと願っている事だとも言えよう。捕えどころのない悲しみの嵐が、おのずから文[アヤ]ある声の「カタチ」となって捕えられる。宣長に言わせれば、この「カタチ」は、悲しみが己を導くその「シカタ」を語る。更に言えば、「シカタ」しか語らぬ純粋な表現性なのである。この模倣も利き、繰返しも出来る、悲しみのモデルとでも言っていいものに出会うという事が、各自の内部に起る。私達は、誰もその意味合を問う前に、先ずこの悲しみの型を信じ、これを演ずる俳優だったと言ってもよかろう。》(『本居宣長』)
 尼ヶ崎彬氏は、『花鳥の使』の貫之の章の結びの文に、「いにしえの歌人たちは、我を物思わせる場の中に一片の象徴的な〈物〉を投げこむ時、無形の水蒸気が一片の塵を核として雪に結晶するように、思いが凝固して一つの形を得ることを発見したのである。〈物〉という鏡に映すことによって、〈思い〉は生きたままその姿を定着させる。」と書いていましたが、ここでいわれる「形」や、その擬人化された表現である「姿」が、「思ひ」を映した「〈物〉のイメージ」であり、「文(あや)ある声のカタチ」のうちに語られる「悲しみの型」すなわち「純粋な表現性」そのものなのです。
[*]中村昇氏は『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』で、「文ある声のカタチ」をめぐる小林秀雄の文章に関して、次のように書いている。
《「かたち」がなければ、「もののあはれ」はどこにもない。それは、漠然とした原初的な感情に過ぎない。だから、「かたち」こそ、この感情の本質である。舞台がなければ、役者は演技できない。これは、明らかに、ウィトゲンシュタインの「私的言語批判」と同じ構造だ。公共の言語がなければ、私的な感情は登場しない。(略)
 ただ小林は、ウィトゲンシュタインとは、方向がまったく逆だといってもいいかもしれない。ウィトゲンシュタインは、心のなかで起きていることを「何か(Etwas)でもなく、無(Nichts)でもない」といういい方で表す。つまり、感情や心というものは、言葉の原因として、本当にあるということはできないが、しかし同時に、何もないということもできないと述べるのだ。ウィトゲンシュタインは、あくまで言語やふるまいという公共的なもの(「言語ゲーム」)から、私的領域へと向かう。
 それに対して小林は、心を素直に認め、感情についてなんのためらいもなく語る。つまり、心や感情という私的なものから出発するのだ。しかし、心や感情を認めながらも、それは言葉にならなければ固定されないという。「かたち」にならなければ、「捕えどころのない悲しみの嵐」であり、「得体の知れない不安」に過ぎない。このような小林のいい方からすれば、ウィトゲンシュタインと方向は逆であるにせよ、言葉が先行し、われわれの私的領域を強く(というより、原理的に)拘束しているとする点では、両者の間に、それほどの径庭はない。
 小林は、『本居宣長』をはじめ、他の随筆でも、宣長の「姿は似せ難く、意は似せ易し」という言葉を取りあげている。いま触れた観点からすれば、この言葉もわかりやすくなるだろう。》(『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』)
 ここで、言葉やふるまいになったこと(公共的なもの、かたち、姿)を「前景」もしくは「近接項」、心のなかで起きていること(私的なもの、もののあはれ、意)を「後景」もしくは「遠隔項」ととらえてみる。この「前景/後景」関係は、とても応用範囲が広い。
 たとえば、尼ヶ崎彬氏は『日本のレトリック』の「姿」をとりあげた章のなかで、「前景後景の二重構造がもっぱら認識のための仕掛けであるという考え」についてふれ、西洋の演劇は「後景」に構成される世界(筋・性格等)に重点があり、戯曲中心であったのに対して、日本の演劇は前景(視覚的聴覚的効果)に重点があり、役者中心であって、「勧進帳」の観客は、団十郎の「飛び六方を弁慶の疾走として見る」のではなく、「弁慶の疾走としての飛び六方を見る」のだと書いている。

■俊成と姿、あるいは「和歌はイメージではない」

 次に、俊成にとっての喩。これに関連して、いま私が想起しているのは、「和歌はイメージではない」という俊成の考えです。精確には、尼ヶ崎彬氏によってそのように規定された、俊成の和歌観です。『花鳥の使』で論じられたところを、やや長くなりますが、定家に説き及んだ箇所も含めて、まるごと抜き書きします。(以下の文章は、以前、第12章で引用したものの「完全版」です。)
《例えば、我々は日常の言葉遣いにおいて、決して花と雪とを混同することはない。むろん、比喩として語ることはある。花が雪の如く降り、雪が花の如く散る、と。しかし我々は、それがその場限りの比喩に過ぎないことを知っている。決して翌日から花の姿が雪に変ることはない。そして二つの概念を混同することはない。ところが、詩的世界においてはいささか事情が異なる。貫之が桜の散るさまを「空に知られぬ雪ぞ降りける」と詠んだ時、桜が雪として降るという一つの型が成立する。そして以後の和歌がこの型を引用する時、もはや花と雪との区別はない。詩的世界において、花は雪のように降る(比喩)のではなく、花は雪として(複合)降るのである。また例えば、日常我々は露のような涙(比喩)ということはある。しかし和歌に「袖の露」という時、それは草葉に濡れた袖であると同時に、恋の紅涙なのである(複合)。
 だが、そのようなイメージの複合を、人は一体表象できるだろうか。むろんできはしない。ここで、和歌とは「姿」であるという俊成の考えを思い起こそう。つまり、和歌はイメージではない。〈丸い四角〉は、日常言語としては、表象不能である故に背理だが、詩的言語の中にこの種の結合はいくらでもある。和歌における価値体験とは、言葉によってイメージを思い描いて後、そのイメージに感動するというようなものではない。まず、言葉のもつ「姿」に感動するのである。でなければ、見たこともない歌枕が、どうして題材となりえようか。
 今一つ例をあげよう。定家が「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」と詠んだ時、上句のイメージは、ただ茫漠たる空虚にすぎない。なにしろ「無い」と言っているのだから、我々はこの歌に花や紅葉のイメージを重ねて、思い泛べるわけにはゆかない。しかし、「何もない」と言うことと「花も紅葉もなかりけり」と言うこととは、明らかに効果の違いがある。その効果は、夕べの浜の点景にあったかも知れぬ花や紅葉を想起することによるのではない。「花」「紅葉」という「言葉」が担っている一種の〈含み〉によるのである。この〈含み〉は、詩的世界の中で、「花」「紅葉」という〈言葉〉がこれまで結びついてきた無数の〈価値体験の型〉の集積によって生じたものである。この集積のために我々は、「花紅葉」と聞いただけで、一群の価値を受容する準備を心の中に整える。むろん価値体験は実現しないわけだが、過去の「花紅葉」に関わる〈価値体験の型〉を想起する準備だけは果たされるのであって、おそらくこれが、「花紅葉」という〈言葉〉のもつ〈含み〉なのである。そしてこの非顕在的な〈価値体験の型〉としての〈含み〉こそ、「姿」の重要な構成要素なのであろう。つまり、作者は、イメージではなく、この〈含み〉を複合させることによって「姿」をつくるのである。
 詩的言語が、その意味をイメージに頼る限り、現実の法理を無視することはできない。「花」は常に「花」にとどまり、「雪」となることは許されない。しかし、詩的言語が、その意味を、生活世界の映像ではなく、詩的世界内部での〈価値体験の型〉に依存する時(顕在的には〈引用〉、非顕在的には〈含み〉)、〈言葉〉は日常の規約を超えて自由に結合し、自律的な世界を産出、展開することができたのである。
 このように、生活世界とは異なる意味組織をもつ世界という意味で、我々は詩的世界を〈つくりごと〉即ち[天台教学にいう空仮中の三諦のうちの]「空」と呼ぶことができるだろう。しかし、〈つくりごと〉にも拘らず、和歌は我々を感動させる。我々は現実を体験するのと劣らぬ深さで。詩の世界を体験することができる。とすれば、それは我々にとって、もう一つの現実であると言ってもよいであろう。こうして、我々の前に確かに立現れる意味の世界である詩的世界を〈あらわれ〉即ち[同じく三諦のうちの]「仮」と呼ぶことができるだろう。》(『花鳥の使』)
 いくつか、註をつけます。引用文中に頻出する「価値体験」や「価値体験の型」、「言語の型」、そして「姿」をめぐって。
 和歌における価値体験の型、つまり、「あはれ」や「艶」、「幽玄様」や「餘情妖艷の躰」といった美的体験(感動)の「モデル」となるのは、美的対象とこれに対する心の構えとを結合させた「言葉の型」、すなわち「姿」にほかなりません。「〈価値体験の型〉(幽玄・妖艶など)を帯びたものとして立現れる〈言葉の型〉が「姿」なのである」。
 尼ヶ崎氏によると、「価値体験の型」とは「主観の構えとそれが出会う意味の型」であって、ここでいう「意味」は、色香や味のように、言語的概念によって(「幽玄」「艶」「あはれ」等々の類に)分類することはできても、それを記述することはできません。ただ美的価値として体験するしかないものです。価値体験の型は現実状況に先立って存在し、実在する状況は「意味の型」すなわち「予めつくられた〈意味〉の範例」のもとにとらえられます。「つまり、詩的世界に属する意味は、これを構成する時にも体験する時も、現実状況という契機を必要としない。それは、現実からは自立して在るのである。」
 また、「言葉の型」については、俊成の「歌はたゞよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆることのあるなるべし。もとより詠歌といひて、声につきてよくもあしくも聞ゆるものなり」(古来風躰抄)という言葉をふまえて、次のように論じられます。
 いわく、ここで問題になっているのは、深く考えてはじめて納得されるような内容の奥行ではなく、表面的な言葉の組み立てである「言い回し」と、和歌を物理的に存在させる「声」である。一般に音声とその言い回しとは抵抗感のない透明な媒体であって、我々は、じかに言葉の意味に触れているように感じている。しかし和歌は、詠みあげられること(詠歌)によって、一個の音声的実体として人々の前におかれる。透明な媒体であった言語に、不透明な、一種の物質感を与え、和歌を一個の「モノ」にする。同様に、五七五の定型性をもつ和歌の言い回しも、和歌に一種の物質感をもたらす。そして「この〈言い回し〉が、一定の外形(始めと終りのはっきりした全体性)と内部構造(各要素の緊密な統合関係)をもつものとして捉えられる時、これを我々は、〈言葉の型〉と言う」。
《こうして、我々は、「詠歌」に際して、どのように和歌に出会うかといえば、まず不透明な質料感をもつ音声的形象・及び〈言葉の型〉に、そしてやはり確かな存在感をもつ〈価値体験の型〉に出会うのである。この時和歌は自立的存在となり、一種の〈モノ〉として我々に向かい合う。しかしこの〈モノ〉の知覚において、二つの〈型〉が実は表裏一体を成していて、「詞」と「心」というふうに、別々に分けて知覚されるものではないとすれば、これをひっくるめて「姿」と呼ぶ他はないだろう。つまり、人は、自立的存在である和歌の、全体としての「姿」にまず出会うのである。(略)
 先の俊成の言葉は、こうして、次のようにパラフレーズできよう──和歌は、〈言葉の型〉をただ耳にするだけで、「艶」や「あはれ」などの〈価値体験の型〉が感じられるようでなければならない。つまり、言葉が一つの〈モノ〉となって或る「姿」をもつように〈言い回し〉ができていなければならない。但し、〈音声〉の質はこの「姿」のよしあしに影響する。》(『花鳥の使』)
 尼ヶ崎氏の説くところにしたがって、歌の姿とはなにかを整理すると、それはまず、「価値体験の型=心」と「言葉の型=詞」とが表裏一体となった結合物であり、このうち「心」にかかわる部分は「主観の構え」と「意味(体験される美的価値)の型」からなり、「詞」にかかわる部分は「言い回し」すなわち表面的な言葉の組み立てと「声」すなわち音声的形象からなります。これが、いわば「姿」の広義の定義です。
 これに対して、「定型性をもつ和歌の〈言い回し〉が、一定の外形と内部構造をもつものとして捉えられる時、これを我々は、〈言葉の型〉と言う」とか、「言葉が一つの〈モノ〉となって或る「姿」をもつように〈言い回し〉ができていなければならない」などといわれるとき、そこで論じられているのは、いわば狭義の姿であるといっていいでしょう。
 眼目は後者に、つまり「言い回し」としての「姿」にあります[*]。だとすると、「声」はどうなるのか。その質が姿のよしあしに影響する(「声につきてよくもあしくも聞ゆるものなり」)といわれる音声的形象の方は、言葉の型としての言い回しとどのような関係をむすぶのか。
 
[*]尼ヶ崎彬著『日本のレトリック』によると、貫之は仮名序の後半で六歌仙を批評しているが、その方法の特徴は、歌の表層・外形(=前景)に属する「ことば、さま」のよしあしと、内容(=後景)に属する「こころ、まこと、身」のよしあしという二つのものさしを使い分け、しかもこれら二つを独立した価値尺度として同じ比重で扱い、価値判断を行っていることにある。
 この貫之の「さま」が、後に俊成によって擬人化され「姿」と呼ばれた。人に内面の心と外面の姿があるように、歌にも心(深き心=後景)と姿(音の調べやイメージの重層=前景)がある。「歌人たちが歌の外形について、「さま」よりも「姿」という擬人的な言葉を用いるようになったということは、歌の外形が、内容を運ぶための単なる媒体ではなく、人の身体のように一つの統一的全体として自立していることの自覚の表れであった。」
《言葉が、「姿」にとどまって「心」を表す媒体ではない時、まだ統一的な意味を形づくらない言葉はいかにして私たちを惹きつけるのだろうか。数百年の和歌の伝統は既に無数の作品によって「花」や「雪」のイメージを豊かに色づけている。それらの過去の想いに満たされた言葉は、音の調べという物理的な〈型〉に乗って私たちの前に現れる。それらは「姿」にとどまるうちは、まだ解釈によって一つの《内容》へと統合されてはいない。といって、〈型〉を持つ以上、もはや無意味に並んでいるものとは見えない。隠喩をもって言えば、それらの言葉は、どこかへ向かって歩くのではなく、そこにとどまって自らの舞を舞うのである。私たちが「姿」に見出すものは、その舞の出来栄えである。そして言うのである。あれは「幽玄」だとか、これは「艶」だとか。》(『日本のレトリック』3章「姿──見得を切る言葉」)
 
 ここで舞踏の比喩をもちだしたことについて、尼ヶ崎氏は、「この便利な比喩はヴァレリー以来多くの批評家に重宝され、今ではすっかり陳腐になってしまったものである。しかし誰もが重宝したということは、非言語的な身体の動きにも実は同様の事情があることを示唆しているのではなかろうか」と書き、演劇における前景・後景の関係をめぐる考察へと歩行を進めている。
 いわずもがなのことだが、先に引用した文章のなかで、小林秀雄が、「叫びが歌声になり、震えが舞踏になる」云々と書き、「私達は、誰もその意味合を問う前に、先ずこの悲しみの型を信じ、これを演ずる俳優だった」と書いていたのは、けっして「花は雪のように降る」の類の陳腐な比喩ではない。ポール・ヴァレリーが「「歩行」と「舞踏」とに平行して…「散文」と「詩」との背反する二型が席を占め、区別される」(佐藤正彰訳「詩と抽象的思考」)と語ったのが、けっして便利で重宝な比喩表現にすぎないものではなかったように。

■姿と喩、「伝承を生み出す文体」としての

 「姿」と「声」の関係はどうなっているのか[*]。渡部泰明氏の「歌合の〈声〉──読み上げ、詠じもしたる」(阿部泰郎・錦仁編『聖なる声 和歌にひそむ力』所収)に、手がかりがありました。以下、やや乱暴な附会も交えて、渡部氏の議論をトレースします。
 渡部氏は、この論考で、俊成のいう「風躰」すなわち「姿」とは「歌の文体」であること、つまり文字で書かれた和歌の詞のつづき柄(言い回し)であったことを念頭においています。そして、俊成が歌の姿の歴史的変遷にこだわったことを手がかりにしながら、姿には、その時代特有の「現在性」と、時代を超えて生きる「歴史性」の二つの側面があることを指摘します。歌の道の深き心の伝承を歌論の柱にすえた俊成にとって、肝心なのは、後者の歴史性もしくは伝統(継承)性であったことは見やすいでしょう。
 そうだとすると、「古来風躰抄」に「歌はたゞよみあげもし、詠じもしたるに」云々とあり、また「民部卿家歌合」の跋文に、「大形[おほかた]は歌は必しも、絵の処のものの色色のに[丹]の数をつくし、つくもづかさのたくみのさまざまき[木]のみち[道]をえ[彫]りすゑたる様にのみ、よむにはあらざる事なり。ただよみもあげ、うちもながめたるに、艶にもをかしくも聞ゆるすがたのあるなるべし。たとへば、在中将業平朝臣の、「月やあらぬ」といひ、紀氏の貫之、「雫に濁る山の井の」などいへるやうによむべきなるべし。」とあるのは、すこし都合の悪いことになりそうです。
 というのも、俊成が強調する「声」は、一回性・身体性が強く「後に残らない」、つまり「現在性」を特徴とするものであり、また「声」は、今この場の人々の心が一つになっている状態を象徴的に示しもするのですが、このような「共感」もまた「現在性」に深く根ざしており、これを志向すればするほど「歴史性」とのつながりを失いかねないからです。
 ここで渡部氏が着目するのは古歌詠誦、すなわち「古歌を折に合わせて詠誦する行為」(物語における引歌をその一種としてふくむ)です。俊成のいう歌を「読み上げる」行為に、この古歌詠誦のイメージを重ね合わせることで、後に残らない「声」と歴史的な継続性との接点をみいだすことができるのではないか、「歌ことばを声に出す行為」でもって「今現在を超え、歴史的に蓄積されてきた和歌の伝統の中に身を置くこと」が可能になるのではないか、というわけです。
《つまり俊成のいう「声」は、現在性と歴史性とをつなぐ役割を果たしているのである。今どれほど評判を得ていても、それが今だけのものであれば、空しい。逆にどれほど長く継続していても、今の人々の中に存在していなくては価値は乏しい。今集団の中で共有されているものが、由来古く続けられてきたものであることによって、得難いものとして尊重される。俊成が「姿」という歌の文体で追求したものは、そのようなものであり、それをわかりやすく示すのが「声」であった。
 現在性と歴史性をつなぐ「声」とは、「声」を伝誦する行為と見なすこととほぼ等しい。一回限りの詠吟ではなく、古来詠誦され続け、末永く読み上げ続けられてゆく、そのような気分を感得すべく、「声」を聞くことが求められているのだと思われる。感得できるならば、すなわち伝誦されるにふさわしいならば、その歌は良い歌となる。つまり「声」を正しく聞き取ることは、歌の良し悪しを判断する基準となる。当然良い歌を作る拠りどころともなる。
 さて、伝誦とは、口頭による「伝承」の具体的行為である。そこで、もう一段抽象化していうならば、「声」とは和歌の伝承を立ち現すものだ、といってもよかろう。ここで注意したいのは、伝承が先に形成されていて、それが表面に現れる、という次第ではないことである。伝承は、事前には確たるものとしては存在しない。それは感じ取られるような工夫が与えられることによって、初めてそういうものがあったと確信されるものである。確信するよう、導かれるのである。新しい歌ことばの工夫があって、あたかも伝承があったかのような気分が生み出される。逆にいえば、伝承の気分を生み出すような表現こそが賞されるのである。伝承を生み出す文体。俊成が最晩年にたどり着いたと自負し、「声」の言説を用いて語ろうとした秀歌の基準は、一言でいえばそこにあったのではないか。》(「歌合の〈声〉──読み上げ、詠じもしたる」、『聖なる声 和歌にひそむ力』)
 事前には確たるものとして存在しないが、後から、新しい歌ことばの工夫があって初めて、あたかも始めからそういう伝承があったかのごとく確信されるもの。この、渡部氏による俊成的「伝承」の定義を読んで、(そしてまた、そのような和歌的「伝承」がはらんでいるパラドキシカルで倒錯的な性格が、「かの古今集の序にいへるがごとく、人のこころを種として、よろづの言の葉となりにければ、春の花をたづね、秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、何をかはもとの心ともすべき。」(古来風躰抄)という文章中の「もとの心」にも及んでいることに、思いをはせつつ)、私が想起していたのは、西欧中世の哲学思考について書かれた書物(山内志朗著『天使の記号学』)の、可能性と現実性の関係をめぐる議論の中に出てくる「最後に現れるものが、最初にあたかも原因であるかのごとく、いやたぶん実際に原因として存在する」という文章であり、また、聖書の奇跡譚をフィクションや虚偽ではなく言語として、つまり「喩」(虚喩)として理解する吉本隆明の議論(「喩としてのマルコ伝」、講演録「喩としての聖書」など)でした。
 合田正人氏は『吉本隆明と柄谷行人』で、「慈愛に到らぬものはすべてフィギュール[喩、表徴]でしかない」というパスカルの言葉を引き、これに関連づけながら、「そもそも吉本は、[旧約による新約の]「予約」(pre'figuration)──「喩」にすぎない旧約が新約において「真意」として実現される──の「仮構性」をめぐって『マチウ書試論』を書いたのだった。」と指摘していました。この記述を手がかりに、以下、神学的イメージ論ともいうべきパスカルのフィギュール論を一瞥しておきたいと思います。
 塩川徹也氏の「虹と秘蹟──記号から表徴へ」(『虹と秘蹟―─パスカル〈見えないもの〉の認識』第U章、『コピー 現代哲学の冒険6』初出)に、「時の流れにあって来るべきものを予告すると見なされた事実」、たとえば、ノアの箱船はキリスト教会の象徴であり、過越祭の犠牲の子羊はイエス・キリストの表徴であるといったように、「旧約聖書によって伝えられる人物、事件、制度などが、やがてキリストの来臨において開示されるより高い「実在」を、あらかじめ象徴としておぼろげに表現していると考えられる場合」、それらは伝統的なキリスト教神学において「表徴」(figura,figure)と呼ばれた、とあります。以下、塩川氏の議論を抜粋します。
 カトリックの聖餐式 (ミサ) において、聖別されたパンとブドウ酒は、キリストの体と血を表現するものであるとされる。しかし、そのような聖体を「象り(figure,type)、像(image)、複製(antitype)等」として、記号やしるしの観念との明確な区別なしに用いると、「像である聖体は原型としての神キリストではありえないのではないか」という疑問にさらされることになる。そこでパスカルは、「表徴」(フィギュール)という観念を自らのキリスト教擁護論の中心に据え、ミサにおいて繰り返され「反復される出来事」と、聖体の秘蹟の成立根拠であるキリストの受肉と受難という「一回限りの出来事」との一致、あるいは「記号=像=コピー」と「もの=原型=オリジナル」との一致を、永遠ではない時間のただ中で実現する「出来事」として聖体をとらえた。
《オリジナルは論理的観点からすればコピーに先行するが、表徴においては、コピーがオリジナルに時間的に先行する。しかもここでオリジナルとなるのは、時空を越えたイデアではなく、イエス=キリストの受肉によって時のただ中に出来する出来事、その限りにおいて個別的な事柄なのである。表徴の究極の根拠は、『ヨハネによる福音書』の冒頭に述べられる言[ことば]の受肉、初めに神と共にあった言、神であった言の受肉なのである。同じ個所で、洗礼者ヨハネのキリストに関する証言、「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである」(第一章一五節)という言葉が引かれているが、これこそまさに表徴と実在との関係に他ならない。》(『虹と秘蹟―─パスカル〈見えないもの〉の認識』)
 しかし、初めに神と共にあった言(コトバ)、万物を創りなしたロゴスが、「受肉によって自然のただ中に出現したとき、その神性は露になるどころか、かえってイエスの人間性によって一層深く隠されてしまった」。「ロゴス」(自然ないし歴史の中にある「象り」(=コピー)によって指示されたオリジナル)の現前が「表象」(=コピー)と一致することによって、かえって表象不可能になるという「驚くべき」事態が生じているのである。パスカルにとって信仰とは、こうした状況下にあって、ロゴスの現前を「見ることなしに、受け入れること」であった。「ロゴスの現前という前提を取り去ってしまえば、表徴は到達目標としてのオリジナルを失い、虚空に浮遊する幻像になる」からである。
《像からその直接の原型、そしてまたその原型といくら遡っていってもオリジナルである「もの」(res)に出会うことができないとしたら、すべてはものへの根ざしを失ったシミュレーションとなり現実性(realitas)を喪失してしまう。不可視のオリジナルを措定して、像にその現実性を回復させること、そのことによって自ら像であり、周囲の像との絶えざる交流のうちにある人間にも現実性を取り戻すこと、これこそパスカルの捨て身の信仰の目指すところではなかったか。》(『虹と秘蹟―─パスカル〈見えないもの〉の認識』)
 パスカルのフィギュール論については、定家の「虚象=パンタスマ」を概観したあとで、あらためてとりあげる機会があると思います。ここでは、俊成の「姿」=「伝承を生み出す文体」が、「もとの心」すなわち一回限りの「オリジナル」と、繰り返し反復して詠まれる個々の和歌作品との一致を、歌合せの場において、というより口頭による伝承すなわち「伝誦」における「声」の力を介して実現する「出来事」としての「喩(フィギュール)」であったことを確認しておきたいと思います。
 
[*]そもそも「形」と「姿」の関係はどうなっているのか。あるいは「形」と「型」と「姿」はどういう関係にあるのか。このことを考えるうえで、杉本秀太郎著『見る悦び──形の生態誌』に収められた文章(著書の副題と同名のタイトルが付された小文で、フォション『改訳 形の生命』の訳者あとがきを「書き改めた」もの)が参考になる。
 著者はそこで、形はいのちをもつ限り「自在なメタモルフォーズをくり返し、絶え間なくみずからの必然からみずからの自由へ向かっている」というフォションの言葉を引き、スティルとフォルムという語をめぐって、「わたしたちが普通スティルを文体、フォルムを形あるいは形態と訳しているときには、何か生き生きとしたもの、その動きが愉快をおぼえさせるようなものを想定している」と書いている。
 そして、水に映じる影から「絵すがた」、人形(ひとがた、この場合の「かた」は輪郭だけを描き、なお着色していない絵のこと)までの許容がある「イマージュ」の語義にふれたあとで、「フィギュールという語になると、さらに事態は紛糾し、フォルム、スティル、イマージュがこの語のなかに流入し、意味の渦を惹き起こしている」と書き、スタンダード仏和辞典収載の3類型16種の訳語(「形、姿、外形、形態」や「肖像」「図」「トランプの絵札」にはじまって「ことばの綾、詞姿、文彩」から「剣術の構え」まで)を一覧する。「これを見ていると、フィギュールという語には、一目瞭然という含蓄のあることが理解される。縁辺の定かでないもの、不安定な、ゆれ動いてやまぬものの形態は、イマージュの領分である。」「…トランプのキング、クィーン、ジャックの絵札には、様式となり型となった紛れもない形状があり、剣術のじょうずな構えには風格があるのだから、フィギュールはスティルを飾り、スティルはフィギュールの集合核になる。」
 以上のつまみ食い的な抜き書きから、「形」とは(ゆれ動いてやまぬ「イマージュ」のように)自由に変身・変態をくりかえす生命的なもので、「姿=フィギュール」はそのくっきりとしたあらわれであることが、おぼろげながら浮かびあがってくる。小林秀雄の語彙を使えば、「純粋な表現性」としての形(型)、「瞭然たる表現性」としての姿、といったところか。
 また、大石昌史氏が「余情の美学──和歌における心・詞・姿の連関」で論じているように、「姿」とは「動きつつある形」なのかもしれない。この「動きつつある形」(もしくは、三浦哲哉氏がいうところの「動くイメージ」(『映画とは何か──フランス映画思想史』))の概念については、定家歌論の世界を瞥見し、尼ヶ崎彬氏の「詠みつつある心」の概念につき立ち入って考察したあとで、あらためてとりあげることになると思う。

■身にしむコトバ、意味の受肉

 大岡信著『詩の日本語』に、鴨長明の「無名抄」に録された、俊成自讃歌をめぐるエピソードが紹介されています。
 長明の師・俊恵があるとき俊成を訪れ、自讃の歌は何かとたずねた。世間では「面影に花の姿をさきだてていくへこえきぬ峰のしらくも」が喧伝されていたが、俊成自身があげたのは次の歌だった。
 
  夕されば野べの秋風身にしみて鶉なくなりふかくさの里
 
 俊恵は長明に、この歌は「身にしみて」が説明的でありすぎ、かえって余韻にとぼしいと語った。大岡氏は、俊恵の評に賛意を示し、第三句はあらずもがなの詞句に思われるとしつつ、ただ、「俊成はおそらくそういう批判のあることは十分承知の上で、この語をあえて用いたにちがいない」と書いています。その根拠は、「しみる」という語と感覚の日本詩歌における重要性にあります。
 大岡氏によると、「この感覚が、単に肌にしみる程度の触覚の次元から、精神的にぐんと深められてゆくのが中世詩歌の大きな特徴」であって、その「自覚的なあらわれ」が「夕されば」の歌だったのではないか。あるいは、「身にしみて」というありふれた語に、そのような「時代性を強くおびた新しい意味合いを、予感的に感じとっていたから」こそ、俊成はこの歌を「おもて歌」としたのではないか。大岡氏はそのように指摘しています。
 表層の肌ではなく身体の内奥に「しみる」感覚や、「身にしみて」の語の新しい意味合いに託されたものは、「広がり」においてではなく、「深み」において歌の本質を見るという、俊成がみずから体現し、代表していた「大きな中世的価値転倒の意識」であった。それは、つまり「深み」においてとらえられるものは、「俊成のみならず、中世以降の和歌、詩文、能楽、音曲など、文芸・芸能において重視された「幽玄」という理念」にほかならなかった。
 この、俊成歌論をめぐる大岡氏の議論は、以前、(第8章で)、俊成の時代にはまだ「純触覚的」だった「身にしむ」が、定家の時代に至ると「内触覚的」な認識にまで達する、といった議論とあわせてとりあげました。ここであらためて言及したのは、俊成から定家へと話題を転じる前に、貫之と俊成の歌論が共によってたつ基盤を確認しておきたかったからです。それは、純粋言語の世界に根ざす定家歌論において決定的に失われるもの、すなわち、像(イマージュ)と喩(フィギュール)とがいまだそこにとどまる身体、精確には、(前景としての)身体と(後景としての)心との結合体である「身」のことにほかなりません。
 ここでもう一つ、かつての話題に言及します。以前、(第13章で)、岡田暁生著『音楽の聴き方──聴く型と趣味を語る言葉』からの孫引きで、「音楽をあくまで音楽そのものとして捉え」た批評家ハンスリックの言葉をとりあげました。
 ハンスリックは、「音楽はいかなる感情も、いかなる情景も、絶対に表現することは出来ない」という絶対音楽の考え方に立ってその音楽美論を展開したけれど、たとえば「雪片の降り来るさまや鳥の羽ばたきや日の出のさま」を、「これらの諸現象に力学的な意味で似たところのある聴覚印象」をもたらすことによって「音楽的に画く」ことができることを認めた。「音の高さや強さや早さやリズムを通じて耳に一つの「形[フィグール]」が与えられる。種々異なった種類の感覚の間を互に接触することのできる類推によってこの「形」の印象が一定の視覚的な知覚をうるのである。」(『音楽美論』)
 これを受けた岡田氏の言葉。「ハンスリックはこれらの記述において、まさに彼が躍起になって否定しようとしていたこと(=音楽は何かを表現する)を、極めて雄弁に肯定しているように思える。つまり運動感覚を通して音楽は、ありとあらゆるものを極めて生々しく喚起するとも言えるのだ。」ここでいわれる「運動感覚」こそ、「身」という舞台で発せられる「声」とそこで演じられる「舞」の形と姿と型の、それもとりわけ(視覚的なバイアスのかかった「イマージュ」の語にではなく)「フィギュール」という語におきかえられる「姿」の実質なのではないかと私は考えています[*]。
 尼ヶ崎彬氏は『ことばと身体』で、私たちの身体は二つの認識=思考の回路をもっていると指摘します。ロゴスの回路とレトリックの回路がそれです。これらのうち、レトリックの回路は、「腑に落ちる」とか「腹に入る」という表現があるように、論理(ロゴス)の回路を超えた一種の「身体感覚」ともいえる「納得」をめざしている。「つまりレトリックとは、言葉による身体への働きかけという一面をもっている」。そして、この回路は「相貌」と「心身態勢」の二つの項で構成される。
《意識されているねじの動き[暗黙知理論における「遠隔項」─引用者註]が実は意識されざる掌の動き[同じく「近接項」]に依存しているように、認識される対象の相貌は実は認識されざる心身態勢のあり方に依存している。むしろ相貌とは心身態勢の投影なのである(おそらく「投射」あるいは「感情移入」として心理学的に説明することもできよう)。もう少し正確に言うなら、心身態勢とは表象する意識と無意識的身体の状態であり、前者は対象の認識という形で、後者は世界との呼応という形で外界を把握してゆくのだが、後者の把握を前者に投影したものが相貌、即ち「らしさ」の感知なのである。従ってそれは、表象としての認識ではないが、対象の特徴として捉えられる。けれどもそれを把握しているのは体勢を含む心身態勢の全体であるから、ロゴス的言語によって捉えることはできない。せいぜい同じ「らしさ」の典型事例によってたとえることができるだけである。しかもそれを理解するのは、語り手と同じ表象を意識に浮かべることではなく、同じ心身態勢に成ることである。
 ここで、体勢もまた身体運動感覚(キネステーゼ)とか気分といった形で意識に捉えられるではないかと問うこともできよう。しかし意識は常に「対象についての認識」という形をとる(だから意識で捉えることだけを認識とするなら、認識論は常に主客二元論的語法をとらざるをえない)。その認識内容は私たちから自立した情報であり、私たちはそれを「知識」として‘持つ’のである。ところが身体運動感覚や気分は、私たちがそれ‘である’のであって、持つわけではない。言い換えれば、私たちは知識を捉えることはできるけれども、気分を捉えることはできず、逆に気分が私たちを捉えるのである。気分は私の心身を鋳込む「型」であり、その「型」それ自体を私たちは対象化することはできない。だからこそ私たちがこの「型」を捉えるためには、具体例が必要である。》(『ことばと身体』)
 ここで連想されるのは、かの俊成の言葉、「歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、何をかはもとの心ともすべき」です。和歌はイメージではない。和歌は相貌(姿)である。そんな俊成歌論のテーゼが浮かんできます。
《幼児は成長すると世界はロゴス的なものであると考えるようになる。そして世界を記述する言語もまたロゴス的なものであると思うようになる。とりわけ正確であるべき言述(たとえば論文)はひたすらロゴス的であることを要請される。即ち、客観的であること。論理的であること。概念は明確に定義されていること。ブラック[「隠喩」,『創造のレトリック』所収]が言ったように、哲学論文に隠喩を用いることは禁忌となる(実は哲学だけではないが)。
 しかし文学は、とりわけ詩歌は隠喩を用いる。いや隠喩だけではない。さまざまなレトリックを縦横に駆使する。その効果は何か。レトリックは読み手をロゴス的構造の世界から「らしさ」の世界へ、対象的認識から身体的認識へと引き戻すであろう。言葉はもはや外在的情報を伝えるものではなく、読み手の身体を場として改めて意味を受肉させ、理解させ、頭ではなくからだで納得させるであろう。だからこそ優れた詩は(そしてすべての芸術は)、私たちを原初の意味生成の現場へと連れ戻し、世界を新たな眼で見ることを、いや生きることを教えるのである。》(『ことばと身体』)
 尼ヶ崎氏がいう「原初の意味生成の現場」のことを、私は、定家歌論の世界と関連づけて考えたいと構想しています。原初の意味生成の「現場」とは、そこにおいて「虚象=パンタスマ」が立ち現われ、騒ぎ、戯れる「虚体」とでも名づけるべきイマジナリーな場にほかならない、といったかたちで。しかし、この話題はこれ以上、深追いせず、ここでは、尼ヶ崎氏の文章に意味の「受肉」という語が登場したこと、そして、それは実は「身にしみる」と同義であることに注意を促すにとどめておきたいと思います。
 
[*]杉本秀太郎は『見る悦び』に収められた「宗達経験」で、「ベルリン色紙」(俵屋宗達の手になる下絵に本阿弥光悦が新古今和歌集中の四季歌を散らし書きした三十六枚一組の色紙、ベルリン国立アジア美術館所蔵)の草花文様図案に用いられた画法(没骨描法、重ね塗り他)の効果と、古今和歌集の修辞技法(頭韻、中韻等)のそれとの美的同質性を論じ、「ほとヽきす なくやさつきの あやめくさ あやめもしらぬ こひもするかな」ほかの歌を「濁点を付けない仮名文字書きの姿」でながめ、口ずさみ、「筆の穂が重なりにじむ思いがけなさと同じ趣き」を味わったうえで、次のように括っている。(私はそこに、声の姿や舞の姿ならぬ、「文字の姿」とでも言うべきものが立ち上がってくるのを感じる。)
《『古今集』の特色は対象と言語とのあいだに隔てが設けられ、歌にあそび(透き間)が入っていることである。宮廷歌人たちは、歌うべき物、事柄を部立てをもとにこれと決めたあとは、節[ふし]をそなえ調音された語の配置によって物、事柄に形をほどこす。節と調音のこの先行、形の先行は、思わぬ比喩を招きもするが、その一方では、喩えるものと喩えられるものの関係に置かれた一対の対象(名詞)は、まず口調が好くなくてはならないので、口調の合う間柄で喩えの関係が固定し、慣用化する。しかし、節のそなえている心理作用を蒙って名詞の概念性はうすめられ、喩えはこうして多義的な感情シンボルを形成する。それは継承され、お手本となって、集団の感情構造の深いところに決定的な痕跡を残すような言語体系を仕上げていく。
『古今集』はこうして言語のままで文様と化した文芸である。》(『見る悦び』)
(29号に続く)

★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」28号(2016.04.15)
<哥とクオリア>第38章 和歌三態の説、貫之・俊成編(中原紀生)
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