■自然曼荼羅へ、生起と喩のメカニズム・再考
第33章でとりあげた中沢新一氏の「生起」と「喩のメカニズム」をめぐる図式、「潜在空間(X)⇒現実界(AとB)」について、あらためて考えておきたいことがあります。
じつは、この式のなかに登場する「現実界」という語が、私にはどうもしっくりこないところがあって、第34章で再度とりあげた際には、「現実界」を「現実世界」と読み替え、基本式のほうも「潜在空間X⇒A・B」と勝手に変更しておいたのでした。そのときに書いた文章(中沢氏の議論を私なりに祖述したもの)に少し手を入れて、箇条書きのかたちで再現してみます。
1.潜在空間における意味の胚(X)が、現実世界で発芽して双葉(A・B)となる。そのような言語の現象性の本質にかかわる生起の過程は「潜在空間X⇒A・B」と図式化できる。
2.この生起の過程が人間の心の動きのなかに「想像界」と呼ばれる領域をかたちづくる。そこでは、潜在空間(X)でつながりあった事物Aと事物Bとが喩のメカニズムによって「同じもの」と見なされ、AとBとXが「三位一体」の構造をつくりなす。
3.さらに、共通の言語の場である「象徴界」の記号連鎖がAとBを結びつける「因果性」を表現し、現実世界における関係性(A≠B)と想像界における関係性(A=B)とのあいだに生じた歪みを他者の認識との共同性によって焼き戻す(A→B)。
それでは「現実界」はどこへいってしまったのかというと、私は、語りえずイメージしえない「潜在空間」こそが、「現実界」と呼ぶにふさわしいフィールドなのではないかと考えました。これに対して、「現実世界」と読み替えた領域は、それはほとんど「象徴界」と重なりうるのですが、生起のプロセスによって生み出されたばかりの、いまだ記号連鎖の軛(因果律)につながれていない、(あたかも、「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」に詠まれた、葛の花の踏みにじられた紫の色のような)みずみずしさと、くっきりとした輪郭をもった諸事物がつくりだす世界であろうと思ったのです。
しかし、いまあらためて考えなおしてみて、やはりここは「現実界」でなければならない、少なくとも、「現実界」として位置づけないとうまく理解できない場合がある、と思いあたりました。そのひとつの事例は、第33章で示唆しておいた、「A=花」と「B=鳥」とが、井筒俊彦のいう「分節U」(無「本質」的分節)の関係をきりむすぶ場合であり、いまひとつは、(じつは、これと同じことの言い換えになるのかもしれませんが)、井筒豊子がいう「自然曼荼羅」の景観が生起する場合です。そして、(おそらくは、これらの事例と実質的には同じことの言い換えとして)、吉本隆明の「パライメージ」が、私の語彙では、像と喩の彼岸に設営される「虚なるもの」の世界における「象」が塑型される場合。
この第三の事例にそくして、(第32章での議論をふまえた若干のデフォルメをほどこしたうえで、また、いずれ取り組むことになるだろう「哥の伝導体」の理論の精緻化の作業にむけた助走の意味もこめて)、ついさきほど箇条書きで整理したばかりのプロセスを再編集してみます。この議論があくまで、ありうる組み合わせのうちのひとつでしかないことは、ことわるまでもないと思います。
T 像─現実界から想像界へ
生起のプロセスを経て、潜在空間が諸事物に分岐し、喩のメカニズムが稼働する場(現実界)が設営される。
喩のメカニズムは、言語発生以前のこの段階では、森羅万象の存在者の運動全般をつかさどるロゴスのごときもの(推論)である。
また、そこに生起する事物とは、太古のクオリアの宇宙(潜在空間)の残骸であり、物質・精神にあいわたる像すなわちイマージュである。
像と像は、空間的(同時的)あるいは時間的に連合し、喩的関係をきりむすび(想像界)、やがて感覚や感情(思ひ)の論理、神話の論理などと称される喩的体系が生成する。
(像と像が時間的に喩的関係をきりむすぶことの実例は、たとえばプルーストの「プチット・マドレーヌ体験」やパスカルのフィギュール論における聖餐、吉本隆明の「喩としての聖書」を想えばよい。あるいは、神の三つのペルソナの一体性に関するひとつの解釈としての「X(父)⇒A(子)・B(聖霊)」を。)
U 喩─想像界から象徴界へ
言語がいかにして像をうみだすかではなく、像がいかにして言語の発生(象徴界)をもたらすか。
精確には、諸像の空間的・時間的な関係を塑型するはたらきであり、かつ、その稼働を介して自らのあり様を示す喩のメカニズム
がいかにして言語内事象(論理、文法、喩法)となりゆくのか。
個体発生が系統発生を反復的に表現するように、(広義の)喩のメカニズムを通じて言語が発生し進化するプロセスが、たとえば「韻律(場面)⇒撰択⇒転換⇒(狭義の)喩」といった言語表現の階梯のうちに、入れ子式に繰り返されているのかもしれない。
(それは、「個体化とは、一番最初にあったものが、生成の過程であたかも一番最後に現象するごとく語るしかない事態に見られるものだ」(山内志朗著『天使の記号学』)と言われる「事態」、つまり因果律によって秩序づけられた象徴界の成立と同義だろう。)
V 象─象徴界から現実界へ
象徴界から現実界への移りゆきのさなか、「バルドゥ(中有)的」とでも形容すべき中間領域がひらかれる。言語(虚体)によって設営される「虚なるもの」の世界。
そこでは、井筒豊子がいう「ながめ」(水平方向の視野)と「みわたし」(垂直方向の視野)の二つの視野が相互照応的に重層する。
虚と実、ウラとオモテ、彼岸と此岸、等々が複素的に熔接され、見るものと見られるものが入れ子型の関係を切りむすぶ。
そこから生起するのが、「いま・ここ」に立ち現われる「象(しょう)」である。「鳥と花とは互いに透明であり、互いに浸透し合い、融け合い」(『意識と本質』)云々と言われる、その「鳥」と「花」が象である。
虚なるものの世界に無数の象が立ち騒ぎ、「自然曼荼羅」の景観が生起する。夢のイメージとパライメージ(主体の存在感と結びついた)が熔接されるところに。
■那智滝図、ウラとオモテが熔接されるところ
第32章で引いた、井筒豊子の和歌論三部作をしめくくる文章を、いまいちど引きます。
《ながめ≠ニみわたし≠ニの相互照応の重層的視野に生起する自然界、自然の事物事象の景観は(純然たる感覚・知覚の対象でありながらしかも)もはや、単なる認識客体としての自然の事物事象界ではあり得ない。ながめ≠ニみわたし≠フ交点に成立する力動的機能空間においては、‘見るもの’と‘見られるもの’とは、認識主体と認識対象の関係ではなく、むしろ、同一位相に現象する同位要素相互間の、交換・呼応の関係であり、さらにまた、意識磁場と認識磁場との内外照応・呼応的な相互同定によるいま・ここ≠フ、実存的・覚的な時空磁場が、そのながめ≠ニみわたし≠フ力動的機能空間であるところの、可感的自然界、のただなかに成立する。
秋の夜の月は心に入りにけり 山の端とのみなに思ひけん(右衛門督家歌合せより)
山の端は名のみなりけり見る人の 心にぞ入る冬の夜の月(後拾遺集)
山の端にかくるる月をながむれば 我も心の西に入るかな(山家集)
内的言語と外的言語とを、意味・表象的有と音声・文字的有とを、心地と詞林とを、こころとことばとを、無分節的全一の飽和充溢的有と分節拡散的多とを、形相的万有と現象現成的万有とを、そして、主と客とを、全包摂しつつ位相的生成展開を持続する‘有’の宇宙を、いわば横竪[おうしゅ]・経緯[たてぬき]に凝視・遠望するみわたし≠ニながめ≠フ視野。この景観は──生成展開の隠在的真正主体の現象機能的自己発露である一印会一者の覚≠ニ‘たま’の肉声あはれ=Aとの純粋志向的充溢の気を胚胎しつつ、一と多、収斂と拡散との、力動的均衡上に、凝然たる共時的実存空間・自然曼荼羅、として──和歌的創造主体の視野に現成する。この種の自然曼荼羅の表象的一典型は、例えば、『那智滝図』(根津美術館)に見られるようなそれである。》(「自然曼荼羅──認識フィールドとしての和歌」、『岩波講座 東洋思想 第一六巻 日本思想2』)
ここで、自然曼荼羅の「表象的一典型」とされた「那智滝図」は、十三世紀頃に描かれた「垂迹画」の名品で、それがたんなる風景画ではないこと、「仏・菩薩の世界がこの世に迹[あと]を垂れて神々の世界をあらわしている」ことを意味する本地垂迹説の考え方、いいかえれば「仏を原型とし神をその変型とする考え方」を一幅の画面に表現したもの(山折哲雄「那智滝図」、『生と死のコスモグラフィー』)であることは、上段右側に山の端から下界を覗く月を、中断には雄大な滝の奔流を描き、下段に飛滝権現を祀る拝殿と塔婆を配しているその構図にあらわれています。
アンドレ・マルローが来日した際、、根津美術館で「那智滝図」を見て衝撃を受け、「矢が射放たれるように本物の滝へと導かれるに至った」経緯は、竹本忠雄著『マルローとの対話──日本美の発見』(「アマテラスの道」)に詳しいのですが、ここでは、山折哲雄氏の「ナイアガラの滝と那智の滝」(『日本人の情感はどこからくるのか』所収)に描かれた情景と、これをめぐる議論を抜き書きします。
滝壺近くに降りたったマルローは、あたりをしきりに歩き回り、あわただしく移動をくり返し、そのつど眼前の滝の落下を見上げ、近づいたり離れたり、前後左右に体を動かしていたが、そのうち、ある一点に立ち止ったかと思うと、鋭い声を発した。「ここだ。ここに立って、あの滝を描いたにちがいない。この場所をおいて、あれをとらえる絶対の地点はない」。
マルローは、「絶対点から透視された岸壁の上に白刃の滝が躍動している」といった、「広々としたパースペクティブのなかに、扇の要のような画家の目を設定(幻視?)しようとしたのだ」。山折氏はそのように述べ、「マルローは絶対点に固執するあまり、この図の背後に隠されている、目に見えない遠近法の存在にはほとんど神経をはたらかせてはいなかったのではないだろうか」と分析しています。その手がかりとして山折氏が挙げているのが、図の下段にかすかにみえている飛滝権現の拝殿の屋根であり、いまひとつが、図上右側の半身を山の端に隠している月輪なのです[*]。山の端の月が、万葉集以来、「祇園小唄」や唱歌「朧月夜」にいたるまで歌いつがれてきたのは、おそらくそこに死んだ先祖の影をさぐる人びとがいたからだ。山折氏はそのように指摘します。
《山の端にかかる月は、もうそれだけでカミやホトケの世界を指し示す信号になっていたということだ。空に昇る月輪の光の下には、カミの領域とホトケの領域がくっきり照らしだされていたのである。それが、この日本列島人の心をつかんで放すことのなかった山岳信仰というものだったと思う。森林信仰といってもいいい。それがやがて里びとや村びとたちの共同体に浸透し、どこにでもみられる鎮守の森を形づくっていったのである。
そのような日本列島人の心の軌跡を、さきのアンドレ・マルローの思想はみてはいなかったのではないだろうか。かれの那智滝図もしくは那智の滝そのものをみるまなざしは、むしろあのナイアガラの滝の景観をつくりあげたアメリカ人やカナダ人たちの眼球から発せられているものに、かぎりなく近いのである。》(『日本人の情感はどこからくるのか』)
《一般的に伝統的な日本画は観念的だとか平面的だとかと言われていますが、当時の人々には、空間が日本画のように見えていたのではないかと思っているのです。そして、現代人が遠近法の絵や写真を見て空間を認識するように、当時の人々は、日本画を見て空間を認識していたのではなかろうかと思っています。つまり、そこには、西洋の遠近法とは違う論理構造が発達した空間認識があったのではないかと考えているのです。》(「近代以前の知、古来の日本の空間認識(前編)」)
ここでいわれる「西洋の遠近法とは違う論理構造」をもった空間を、猪子氏は「超主観空間」と名づけます。そして、このような空間認識によって描かれた日本画の大きな特徴は、鑑賞者が「絵を見ながら、絵の中に入り込める」ということだと指摘しているのです。
西洋の遠近法による絵画の場合、鑑賞者がその見ている絵の中の登場人物になりきると、視野の変更が起こって、登場人物の側から鑑賞者自身がいる世界が見えることになるのに対して、日本画の場合は、鑑賞者の視野と登場人物の視野が合成され、画をみながら画の中の登場人物になりきったとしても、そのまま同じ画の光景を見続けることができる。つまり、鑑賞者は鑑賞者のまま画の中を自由に動き回ることができる。
《西洋の遠近法による空間認識では、…目のフォーカスを変えることによってパースペクティブを得るのにたいして、古来の日本の空間認識(=超主観空間認識)では、認識している主体、それは画家でも鑑賞者でもあるわけですが、その超主観的主体は、首を振ったりその空間をある程度歩き回ったりして空間を再構成しています。それゆえ、目を通して得られる情報を脳で合成するさい、過去にまでさかのぼる時間(目というカメラでのイメージ量)が、圧倒的に多いと考えられます。》(「近代以前の知、古来の日本の空間認識(中編)」)
また、日本画は、鑑賞者の「視点が限定されず、視点の移動が自由」であるという特徴をもっていて、絵巻のように自由にスクロールして、好きなように部分で切り取って見たり、襖絵のように動くことが前提となるキャンパスの上に描かれます。
《日本の古来の空間認識=超主観空間による平面(絵画)は、「鑑賞者中心に鑑賞する」ことができます。鑑賞者は絵画を全体で眺めるだけでなく、一部分を見ても、その一部分の空間にみずからが入り込んでいるかのような意識を持つことができます。つまり、超主観空間の平面は鑑賞者次第で、自由に「分割」できます。分割した絵画を見ているときは、その部分が表している空間の中に鑑賞者が想像上ですが身を置くことができるからです。分割できるということは、「折る」ことも可能にします。西洋の遠近法の絵画や写真では、「折ったり、分割したり」することはありえませんが、日本美術ではよくあることです。屏風は、折ることを前提としたキャンバスですし、ふすま絵は、分割することが前提となっています。
そして、…空間の一部を細かく認識した平面をつなぎあわせた平面と、その空間全体を認識した平面が同等になるということは、分割した平面を新たに自由につなぎ合わせることで、画家が描いた空間とは別に、架空の空間を自由に創ることもできるということになります。》(「近代以前の知、古来の日本の空間認識(後編)」)
最後に、超主観空間という「世界の見え方」が「世界に対するふるまい」に関係していることについて。
《むかしの日本の人々は、自然とは、観察の対象ではなく「我々自身も、その一部である」かのようにふるまいをしていました。彼らは、自分が見ている世界の中にいるモノになりきったり、自分自身がいま見ている空間世界の中にいたりするように感じたからではないでしょうか。超主観空間的に世界を見ると、自分と世界との境界がないような感覚になりやすいのです。だから、まるで「我々自身も、自然の一部である」かのようなふるまいをしていたのではないかと思うのです。》(「近代以前の知、古来の日本の空間認識(後編)」)
猪子氏の「超主観空間」は、中沢新一氏がいう「日本文学の大地」(日本の「古典文学を生み出した心的な空間」で、「その心的空間では、自然と文化は分割されるのではなく、連続してつながりあっている。」(『日本文学の大地』「まえがき」))に通じ、井筒豊子が「能の演技にかかわる意識空間や、舞踊や武道の心・身空間、茶道の美的空間意識など、となって展開し、やがて、いわゆる芸道的世界一般を成立させる転換点となった」(「意識フィールドとしての和歌」)と規定する「意識の無時間的・空間的位相という基底的構造」に通じ、そしておそらくは、虚なるものの界域における「象」群の無「本質」的分節につながっている。
以上で、この章で予定していた本論の話題は尽きました。以下は、余禄として。
[*]長谷川宏著『日本精神史(下)』第二十七章「山水画に宿る霊気──「那智滝図」と雪舟と「松林図屏風」」は、これを「日輪」と見ている。日輪か月輪か、そのいずれの説が正しいにせよ、長谷川氏の次の叙述は「超主観空間」の議論と響きあっている。(過日「根津青山の至宝」展で実物の「那智瀧図」に見入り、またその場で買い求めた『根津美術館──プライベートミュージアムの最高峰』の鮮明な図版で確認した結果、やはりこれは月輪と見るべきだろうとの感触を得た。)
《…見るうちに、日論はご神体たる滝の後光のように見えてくる。画家に後光として描く意図があったかどうかは見さだめがたいが、日輪がひとたび後光のように見えてくると、そう見えないことのほうがむずかしい。滝の水流は上端でやや右に曲がって奥へと向かい、その行くさきがちょうど右端の日論にぶつかる位置関係にあって、そんなつながりのあることが、日輪の後光性を強める。そして、日輪が後光だとなると、滝を照らす光もそちらから来るように思えてくる。ふしぎな感覚だ。
絵の前に立てば、まっすぐ流れ落ちる白い滝とその両側の茶色っぽい崖は、前方からの──つまり、見るわたしたちの方向からの──光を反射して白く輝き、くすんだ茶色をしているように見える。が、山のむこうの日輪が光源だとすると、そこから出た光が目の前の風景の全体へと広がり、その広がりのなかで上方から、あるいは左右から、あるいは前方から滝と崖に光が当たり、その光が白色の滝とくすんだ茶色の崖を浮かび上がらせる。ご神体と後光の関係にぴったりで、滝は、まさしく遍満する光に包まれて、その全体が輝きわたっているかに見える。
輝き出るものを「霊」といっても「魂」といってもよかろうが、やはり、自然に引き寄せて「命」と呼ぶのがもっともふさわしいように思う。科学の教えに従えば、無機の水の落下する滝に「命」はなじまないとすべきだろうが、この滝は大自然の雄大さと奥深さをその色とすがたのうちに象徴し、まわり中の光を集めて輝く滝だ。そこに「命」がこもると見ることになんの不自然さもなく、だからこそ崇拝の対象にも信仰の対象にもなりうるのだ。》(『日本精神史(下)』)
少し先走った議論をすると、私は、定家の「虚なるもの」の世界において立ち騒ぐ無数のパンタスマたちの存在様式を、「いのち」の語でもって考察することができるのではないかと予想している。
■症例ジョイス、通夜の夜の謎なぞ遊び
生起と喩のメカニズム。この、「経済の詩的構造」(『吉本隆明の経済学』第二部)のなかで述べられたメカニズムは、日本病跡学会総会での講演にもとづく「南方熊楠のシントム」(『群像』2014年1月号)で、中沢新一氏がジョイスと南方熊楠の「症例」にそくして展開した、「現実化した客観世界」から「潜在性の空間」への「潜り込み(ダイビング)」とそこからの「わき上がり」というループ状の往復プロセスをめぐる議論と、ちょうど逆転したベクトルをもってつながっていく。(井筒豊子の「塑型メカニスム」に対する井筒俊彦の「遡行メカニスム」のように。)
中沢氏はそこでラカンの理論を援用しながら、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と熊楠の「南方曼荼羅」(世界の「縁」のつながりを示すダイアグラム)との間にはある本質的な共通性が存在していると語っている。いずれも精神的な症候すなわち「シンプトム[symptom]」を転じてこれを芸術や科学の創造の条件へと転換する「シントム[sinthome]」の働きをもっていて、そのようなシントムとしての文学作品を創造し、また「未知の学問」につながるダイアグラムを発見することで、東西にわたる「アブノーマル」な天才たちはそれぞれの「精神的危機」(ジョイスの場合)や「精神変態」の体験(熊楠の場合)を乗り越えることができたというのだ。
(「sinthome」は「sympto^me」の中世フランス語における綴りで、いずれも「サントーム」と発音される。中沢氏は、この「洒落」は日本語では通用しないので、英国風に「シントム」と発音表記して「シンプトム」との差異を表現することにした、と書いている。ちなみに、岩ア洋介氏の「構造としての結び目──晩年のラカン」によると、ラカンはさらに「saint homme」「saint Thomas(d'Aquin)」や英語の「sin」にひっかけていたという。)
中沢氏は、ジョイスと熊楠がしばしば身体から頭部が離れる体験をしたことに注目し、このことを現実界・想像界・象徴界というラカンの「心の三つのレジスター」の理論と関連づけ、次のように述べている。(「レジスターとは声域のようなもの」と中沢氏は書いていて、これはとてもわかりやすい。私の音感でいえば、想像界はセイレーンの蠱惑的なメッゾ・ソプラノ、象徴界は古老の深く渋いバス、現実界は可聴域を超えたカストラートのコロラトゥーラ・ソプラノか。)
まず、「現実界」は人間的な心の働きの外部にあって、すべての心的現象のおおもとになっているにもかかわらず、人間的な心はそれに触れることができいない。人間的な心は、言葉をしゃべらない子と母の互いを見つめ合う視覚体験の中からつくられる「想像界」の形成によって始まる。想像界は、イメージによる思考のレジスターである。この想像界を壊して記号的な言葉の力で主体を再構成したのが「象徴界」で、ここでは父親的なものが中心となる。
ラカンによると、この三つのレジスターは「ボロメオの輪」のトポロジーで互いに結びつけられていて、そのうちの一つでも輪が外れると、三つともバラバラに分離してしまう。頭部すなわち言語の働きと密接に結びつく象徴界と、身体全体のイメージをつくりだす想像界との結び付きが弱まると、身体(自然)という現実界との分離を引き起こしてしまう。ジョイスの場合でいえば、彼の頭部(象徴界)は支配者の言語である英語を通じて活動し、母語であるアイルランド語は身体的な想像界と一体となって英語の下層で活動し続けている。この、象徴界と想像界との間に発生した欠損事故を補修する「サプリメント」にあたるものが、シントムにほかならない。
それではジョイスが創造したシントム、すなわち『フィネガンズ・ウェイク』とはどのようなものだったか。それを一言で表現すれば、「読むことのできない」作品になる。つまり、「ジョイス語」(たとえば冒頭の「riverrun」は「river」と「run」の合成語)がとどまることなく渦巻いて、日常的な意味の世界に回帰・着地して安定するどころか、この世を超えて破天荒な宇宙をつくりあげている。しかし、そうであるにもかかわらず、「声に出して読んでみると、不思議な悦楽の感覚に襲われるようになる」。「際限もなく意味のずれが起こり、意味の増殖が発生している」と同時に「音にされていない不思議な「音楽」が聞こえてくる」作品。「何も言われていない」とも言えるし「すべてのことが書かれている」と言うこともできる作品。
以下、中沢氏の文章を引く。(文中の「図」とは、「意識の表面」から「無意識の原初過程」への「ダイビング」と、これとは逆の「わき上がり」を経て、「river//run」がジョイス語の「riverrun」に転じていく「フロイト的過程」を示したもので、これを、かの生起と喩のメカニズムの図式を使って簡略化すると、「X⇔A[river//run]・B[riverrun]」もしくは「A[river//run]⇒X⇒B[riverrun]」となる。)
《まさに、川のような無意識の流れが、言葉の層の下で働いているのが感じられ、それが悦楽をもたらすのです。単語のつなぎ目で図のようなフロイト的過程がくりひろげられているのがわかります。
作品をつくりあげているジョイスの発明になる言葉(ジョイス語)の一つ一つで、快感原則の支配する無意識の原初過程への潜り込み(ダイビング)が起こっています。そういうジョイス語が自由な構文でつなぎあわされるとき、無意識の流動が川の流れのように渦を巻いて意識の表面にまで浮かび上がってくるのがわかります。すべての言葉が無意識の原初過程へ触れるダイビングを経験していますので、作品全体に同じ無意識のトーンが染みわたり、そこから音楽的効果も発生します。このような複雑な方法を組織的に駆使して『フィネガンズ・ウェイク』という作品はつくられています。
この作品は目だけ使っていては読むことができません。リーディングに声や身体運動を巻き込んでいかなければ、意味が発生できないようにつくられているからです。声は記号伝達のための道具ではありません。声は無意識の原初過程の深みにつながっていて、声を発するたびに人間は生々しい自然につながるその無意識を、世界の表面に吐き出しているとも言えます。その意味で、言葉は情報でも機能でもありません。言葉は自然から発せられているのです。ジョイスはこの作品で、言葉の持つそのような自然的な次元を解放しようとしたのです。》(「南方熊楠のシントム」)
目だけ使っていては読めない、声や身体運動を巻き込んでいかなければ意味が発生しないようにつくられている作品。意味が解読、味読できないのではなくて、そもそも意味が「発生」しない作品。それはまるで、クオリアやペルソナといった、言語化不能なものが詞の姿をもって立ち現われる和歌、あるいは、それと同じことが声と振る舞いによって、つまり身体でもって現実化される能のことを言っているのではないか。そんな感想をもつが、(そしてまた、ここにでてきた「生々しい自然/無意識/世界の表面」の三層構造は、たとえば、かの「地/海/空」の貫之三体につながっていくように思うが)、それはともかく、ここで肝心なことは、自分だけに通用する象徴機能を備えた言葉を発明し、それを組織的に駆使して「アブノーマル」な作品(「たえまなく無意識へのダイビングをくり返し、無へ沈潜し、無からの意味の産出をなしとげ」る仕組みをもった「言語体」)をつくることで、ジョイスは、「象徴界の欠損部分を補填できる文学上のシントムを生み出し、それによって精神の危機を乗り越えた」ということである。
いま一つ、中沢氏の文章を引く。
《この作品でジョイスは、儀礼や習俗も共同体のシントムにほかならないことを示そうとしています。『フィネガンズ・ウェイク』は「フィネガン氏のお通夜」という意味も含んでいます。ジョイスはアイルランドの民間伝承にも通暁していましたから、お通夜の古いケルト的意味についての知識も持っていたようです。古代のお通夜は、昔話と謎なぞをする一種のお祭りでした。亡くなった人の遺骸のまわりを生者が囲み、近い親族が泣いている横で、酒盛りの宴会が開かれるのです。
人が亡くなると、共同体を結びつけていた輪の構造には異変が生じます。死者が出ることによって、象徴界の輪が一つ外れてしまいます。このとき共同体は危険なシンプトムを示します。その空隙を埋めるために、共同体は生と死、笑いと悲しみなどのあらゆる相反した価値の同居する、矛盾に充ちたお通夜の空間をつくりあげ、それを共同体のシントムとします。葬式では生と死はふたたびくっきりと分離されるのですが、それに先立つ輪の外れた危険な時間には、このようなシントムがどうしても必要です。
『フィネガンズ・ウェイク』はまさにそのようなお通夜の構造で出来上がっています。全篇を充たしているのは、言葉の表面に浮かび上がってきた心の原初過程であり、それを矛盾論理や量子論理がつないでいきます。》(「南方熊楠のシントム」)
ここでいわれる「お通夜の構造」は、ふたたび夢の言語もしくは言語の夢としての和歌や映画や能の構造に関連していくのではないか(象徴界と現実界をむすぶ「象」の領域)。そしてまた、矛盾論理や量子論理といった語彙が示唆する深層言語の世界、それはおそらくイメージによる思考のレジスターである想像界に属するものであり、かつまた井筒俊彦がいう「M領域」に、すなわち「天使、天女、餓鬼、悪霊、怪物、怪獣ども」が充たす「想像的イマージュ」の空間であり、これを形象化したものが「深層意識的絵画」としての「マンダラ」であるところの「ムンドゥス・イマジナリス」に帰属するのではないか(象徴界と想像界をむすぶ「喩」の領域)。
■幕間、ラカンが最後に考えたこと
岩ア洋介氏の論考「構造としての結び目──晩年のラカン」(『慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学』第42号、2006年)[http://htn.to/mjfBfP]から。
1.現実界・想像界・象徴界
岩ア氏によると、現実界・象徴界・想像界の概念は、1954年頃からラカンの学説に欠かせないものだが、1970年代の「結び目の時代」のラカンは、これらの概念を再度根本から捉えなおす作業をおこなっている。たとえば、次のように。
《あるところに穴があく時、その穴とそれ以外とに分かたれる(穴は面積のない点であってもかまわない)。そうした穴とそれ以外の部分を内─外と関係づけること、またそうした穴が複数あった場合、穴同士の関係を確立すること、座標づけると言ってもかまわない、そうした場が「想像界(l'imaginaire)」と呼ばれる。穴を穿つ機能は「象徴界(le symbolique)」と呼ばれ(「穴は象徴化の領域である」)、穴を穿つとはある箇所に印をつける、印をつけることでその点を特定化することは「名づける」と言い換えることもできる。そして穴のうたれた、穴の顕われる(以下「現」という文字よりも「顕」を多用するが、これはなにがしか「それ以前には無かったものが出現する」というニュアンスを含意している)ことを許す場は遡行的に「現実界(le re'el)」と言われ、穴に外─在(ex-sister)する。遡行的というのは、穴すなわち象徴界なくして「名づけ」というものは不可能だからだ。すなわち象徴界なくして「現実界」という名で呼ぶことはできない。しかし現実界という場なくしては象徴界も想像界もありえない。また想像界という関係を成立させる領域で初めてその関係に基づいた表象が可能となり(表象するものと表象されるものの「関係」が成り立つことが前提とされるのだから)、その表象に基づいて概念の形成や思考が可能となり、こうしたボロメオの輪で示される三つの領域の「関係」を考えることができる。またラカンは「意味」の領域をこの「関係」と「名」、すなわち想像界と象徴界の交わりに位置づけている。よって現実界とは意味に外─在し、意味を欠く、または意味で捉えることが構造上できぬ領域である。
しかしながら「結び目」もラカンの思索の産物であり限り、また科学にしろその基盤となる数学にしろ概念や意味を駆使するものである限り、想像界の領域にあり、それを出るものではない、出ることができないということは常に念頭におかねばなるまい。ラカンもまたそのことは折りをみて強調している。原理的に、現実界という場になんらかの印がつけられそれを象徴界と呼び、その印をもとに想像界が形成される筈であるが、そうした原理は想像界が形成されてから想像界で想像界から振り返られた、より正確には振り返っていると考えられているものである(想像界を超える「メタ」ランガージュはない)。よってこれら三つの領域の発生は(その振り返った時点から見て)、想像界→現実界→象徴界→想像界、という三すくみに循環するが、三つのどれか一つでも欠ければその循環は断たれ、他の二つも成り立たないということからこの三つは同時に顕われる、と考えなければならない。そうした三すくみの状態とその同時性をボロメオの輪もしくは結び目は示している。》
岩ア氏は、「そうしたことはラカンが時として名をあげるフレーゲの数論にも見て取れるかもしれない。」として、順序数の基礎となる空集合(φ)が現実界に、その空集合を括弧で括り印づけること(φを{ }に入れること)により「異化」する作用が象徴界に、以下その印を順序という関係で結び、そうした数をもとに数学を展開してゆく(φ=0、{φ}=1、{φ,{φ}}=2、……)場を想像界と言うことができるだろうと書いている。「無論、こうした発想は既に数が知られている、使われている世界(想像界)においての数への反省から初めて生まれるもの」であって、ここにも「やはり上記の想像界→現実界→象徴界→想像界という循環した順序関係」が認められる。
《その数への反省において仮定上、数の関係、または数字そのものも知らぬφを「0」という数と見なすこと、それはまた同時に「0」という(数)字が(一つ)あると見なすことであり、「1」が発生し、それは同時に0と1の不可分の関係も生じることであり、ここにおいても現実界({ }にくくられる対象)、象徴界({ }でくくること)、想像界(前二者の関係)は同時に顕われる、あるいは数字がある時、三者の結び目は(段階を経るのではなく)同時に成立していると考えざるをえない。こうしたことからラカンの結び目とはトポロジー的な対象として数学に根拠を求めているのではなく、むしろ数学の基礎となる数(字)の構成における基盤を問題としているのだ、ということに注意せねばなるまい。》
2.なぜ結び目はたもたれねばならぬのか
《現実界、象徴界、想像界の結び目が解けるのを食い止める役割を果たすのは sinthome である。なぜ擬似的にも結び目はたもたれねばならぬのかといえば、結び目が消えるとそれと同時に象徴界も想像界も解消され(その時、現実界も消滅するのか、という疑問は付き纏うが、少なくとも「現実界」という語、概念は消え去る)、言語や意味はその基盤を失い、「語る存在(parle^tre)」すなわち「人間」は消滅する。結び目にしろボロメオの三つの輪にしろ、それはただの二次元的な輪と異なり、交叉の「上下」というもう一つの次元を要求していた。ラカンも時としてその三次元性を強調するようなボロメオの輪の図を示している。結び目の解けたただの一つの輪の状態を「自然」と呼ぶならば、結び目、或いは「語る存在」としての人間が成立するには自然の二次元に更に別の次元が加わらねばならないのだ。「自然は結び目を恐れる」というラカンの言葉は、結び目は自然には無い異次元の加わった自然にとっての異物であることを示している。そして結び目や擬似的な結び目を形成する sinthome は「自然」と「人間」の境界に位置する、二次元から三次元に引き上げる構造であり、それ無くして人は「自然」へと陥ってしまう。
その結び目の構成を振り返ると、現実界に穴を穿つのが象徴界の役割であったが、その穴を穿つものとはまさに象徴的なファルス(=父)であろう。その時、現実界は穴を穿たれる「母」なる大地となる(穿たれた時に初めて「母」=現実界となる、と述べた方が正確か、また Encore では女性は現実界に位置づけられていた)。この二者から産出されるのは概念(conception)の領域である想像界だ(「ファルスとは想像界を受肉する(donner corps)ものである」)(…)。この母─父─子の関係を保証するのが結び目であり、その関係を繋ぎとめ崩壊を防ぐのが sinthome である。父たるファルスを欠く時、子たる関係性やそれにそれに基づく概念、思考はすべて母の領域へと崩壊してしまう。それはいわば親子「関係」を欠いた近親相姦の状態であり、そうした見地からするとラカンの結び目及び sinthome とは「語る存在」としての人間、「自然」とは次元を異とする「人間」の起源をめぐる近親相姦の禁忌の構造だ。》
3.三つのシントム
次節でみるように、中沢氏は、症例ジョイスをめぐるラカンの議論をもとに、「シントムの怪物」南方熊楠が創造した三つのシントムについて論じている。その試みは、少なくともラカン自身によってはなされなかった「拡張」ではあるが、中沢氏が目論んだような、「ラカンによって見出されたこの概念に、たぶんラカン自身も考えもしなかったであろうような拡張をもたらす」ものではなかったかもしれない。
岩ア氏は、論考の註に次のように書いている。(文中の〈R.S.I.〉は1974−75年度のセミネール。また、Le sinthome は1975−76年度のセミネールで、「ジェイムス・ジョイス、取分け Finnegans Wake のジョイスを sinthome の事例として扱っている」もの。)
《結び目を考えた時、交叉は三箇所ある。すなわち、想像界─象徴界、象徴界─現実界、現実界─想像界、のそれぞれ交わる個所である。すると交叉のエラーが起こり、新たな輪がそれを補うものとして顕われるパターンも三つであり、ラカンも〈R.S.I.〉の最終回において次年度のセミネールの表題として〈4,5,6〉を用意していた。つまりボロメオの三つの輪に加わる輪のパターンが三つあることを示唆していた。が、〈R.S.I.〉の次のセミネールは Le sinthome となり、そこではここでのように想像界と象徴界の間に顕われる第四の輪しか扱われず、ここでは我々もこれに限定し議論を進める。》
■症例クマクス、那智山中のマトリックス
ジョイスが『フィネガンズ・ウェイク』を創造することでその精神的危機を乗り越えたように、那智の山中にあった南方熊楠は、自らが見ていた世界の「縁」のつながりを示す一つのダイアグラム、後に「南方曼荼羅」と呼ばれることになる独自の「象徴界の構造図」を発見することで自身の心を精神病の危機から救い出した。
中沢氏はそのように述べ、かの生起と喩のメカニズムを逆倒させた熊楠バージョンを示す図を掲げる。そこでは、現実化された客観世界で「S1→S2」の因果関係によって結ばれているように見える事物や記号が、あらゆるものが結合・分岐・切断・再結合の可能性をもって自由に流動している潜在空間へのダイビング(と、そこからのわき上がり)の見えない回路を介して互いに関連しあっている。
そしてそれは、「ヨーロッパの近代人であるジョイスにとっての重大問題」であった象徴界にかかわるもの、すなわち、象徴界の欠損部分を補填し、現実界・想像界へとつなぎあわせるシントムの熊楠バージョンであったわけだが、しかし、「明治の日本人である南方熊楠にとっての危機は、彼の前につきつけられた西洋的近代を構成する象徴界−想像界−現実界の三つのレジスターすべてのつなぎ目に関わっていた」。
こうして中沢氏は、「ジョイスともラカンとも別れて」、南方熊楠が、三つのつなぎ目において体験した深刻な症候(シンプトム)を乗り越えるために独自に創造・発見した三つのシントムをめぐって、アジア人の心の構造においてきわめて重要なポジションを占めている「自然」の主題と関連づけながら、それこそ「独自」の議論を展開していく。
T トーテミズム=想像界のシントム
トーテミズムのおこなわれる社会では、人間の世界と動植物の世界はひとつながりになっている。夢を通路にして、人間はいつでも動植物の世界と行き来することができる。人間と「自然」はここでは切り離されていない。
熊楠は、動物(熊)や植物(楠)の世界と結びつけるための名前が与えられたことに幸福を感じ、自分の名前を強く意識することによって、想像界に強固なシントムをセットした。
想像界は人間という生物を動植物の領域でもある現実界から分離して、イメージと言語で思考する存在につくる心のレジスターである。想像界があることによって、人間ははじめて動植物から分離される。
ところが熊楠はこのような分離を拒否する「自然人」だった。そのような心のつくりをした人が普通の人たちのような生き方をしたら、現実界が想像界から離れていってしまう。精神病を病むことになる。
それを食い止めるために、熊楠は自分を強固な「トーテミズムの主体」につくりかえていった。彼は深く「自然」の中に根を生やした動物=植物人間となった。この多重アイデンティティとしてつくられた「私」をとおして、現実界は想像界と強く結ばれることになった。
そのような人にとって民俗学・人類学の研究そのものが、想像界のシントムだったように思われる。
熊楠は人間の想像力から生み出される神話が人間と「自然」をつなぐ働きを持っていることに興味を抱いていた。神話が表現しようとしている世界に働いているトーテミズム的な思考を、熊楠は掘り出そうとした。その代表作が、人間と動物の対等で対称的な関係をあらわす神話・伝説のエンサイクロペディアをつくろうとした『十二支考』である。
南方民俗学とは、熊楠が想像界に補填した巨大なシントムの集積体にほかならなかった。
U 粘菌=現実界のシントム
熊楠は粘菌や「ふたなり」といった、生物学的な分類や性の分類をはみ出す存在に深い興味を抱いていた。
それは、現実界の生命現象が象徴界の秩序をはみ出し、現実界と象徴界が分離していく事態を、熊楠がむしろ積極的に求めていたことを示している。
生命はもともと現実界に属する現象で、人間的な心がその上に形成されるところの想像界も、その想像界を言語で組織したところの象徴界にもおさまることのできない本質を持っている。
その生命現象に対して、人間は「分類」をほどこし、象徴界の秩序におさめようとする。
しかし熊楠は生命という現実界は象徴界より大きく、象徴界の体系をはみ出している現象が必ず存在しているはずだと考え、探し求め、ついに粘菌と出会った。
熊楠にとって粘菌は、破綻した象徴界を拡張し,現実界との絡み合いを回復する生物学上のシントムだった。
粘菌はまた熊楠にとって、生と死を分離する象徴界の機能を攪乱する時間をあらわしていた。生と死、活物(無形のつまらぬ痰様の半流動体=原形体)と死物(蕃殖の胞子を護るだけの粘菌)がループ状に合体した粘菌の生態の中に、熊楠は「ウェイク(お通夜)」性を見ていたのである。
生命という現象は「ウェイク的」な知性によらなければ理解できないとまで熊楠は考えていた。
熊楠の思考では、現実界としての生命現象と、それを理解していると称する近代の常識や科学の拠り所とする象徴界とは、現実界が怪物化していくことによって象徴界から外れてしまい、ボロメオの輪の構造を保てなくなっていると見えていた。
そこで熊楠は「粘菌」という熊楠的概念をもって「自然」の営為や生死の現象をとらえ直し、壊れかかったボロメオの輪の高次元での結び付きを回復した。
こうして熊楠には、現象界におけるトーテミズムの主体や現実界における粘菌に噛み合うことのできる象徴界での対応物を探し出す、という課題が残された。
V 華厳仏教=象徴界のシントム
トーテミズムの主体がかたちづくる想像界、粘菌があらわにする現実界、これら二つのレジスターの輪に絡み付いて、固く結び合ったボロメオの輪の構造をつくる象徴界のシントムはどのような仕組みを持つことになるか。
その答えはすでに「南方曼荼羅」と呼ばれるダイアグラムの中に示されている。
熊楠の構想した新しい象徴界は、線形論理による因果論を「縁」の多次元論理につくりかえ、潜在空間とループによってつながれているために矛盾律を乗り越える弁証法の能力が備わっている。「自然」の論理とも矛盾なく接続することができる。
このようなダイアグラムを熊楠が思いついた背景には、『華厳経』から真言密教にいたる、潜在空間(縁)と現実化された状態(因果関係)とをループでつなぐ「マトリックス」の思想の流れがある。
「大日」と呼ばれる潜在空間には、過去−現在−未来という時間秩序がない。そこにあるのは、楽譜に引き出される以前のモーツァルトの頭に鳴り響いている和音のかたまりのような存在マトリックスである。
『華厳経』では、そうした潜在状態と現実化状態を一つに巻き込んだマトリックスの運動として、世界の実相が思考されている。物質界と心界をつなぐ複雑な「縁」の様相を捉えようとしている。
熊楠はその中に、将来の科学の形でもある「来るべき象徴界の体系」を見て取ろうとした。
熊楠によって象徴界として形成されたこのシントムは、容易に想像界のシントムや現実界のシントムに絡み付いてき、いっそう高次の次元で「超ボロメオの輪」の構造をつくりだしている。ここには科学の未来のみならず芸術(アート)の未来までが予見されている。
芸術は「自然」という現実界に深く接触しながら、その「自然」と想像界の交差空間において、象徴界の形式を生み出そうとする実践である。
多くの芸術家が三つのレジスターのすべてにわたって「輪が外れている」ことを感じ、なんらかの精神的な症候を感じながら、自分独自のシントムをつくりだそうと格闘している。そのような芸術家たちにとって、熊楠の試みは先駆的な意味をもっている。
(28号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」27号(2015.12.15)
<哥とクオリア>第37章 続・像と喩の彼岸──和歌のメカニスムX(中原紀生)
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