■存在はコトバであり、ココロでもある
◎安田登著『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』に、「こころ/おもひ/心(しん)」という日本的な「心(こころ)」の三層構造の説が提唱されている。
いわく、「こころ」の特徴は「変化する」ことにあり、こころ変わりする、移ろいやすい感情が「こころ」である。その「こころ」の下に「おもひ」がある。表層の「こころ」を生み出すもとになる、動的な心的作用が「おもひ」である。「能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるということは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。」
その「おもひ」の奥、もっとも深い層に「心(しん)」が存在する。「心(しん)」は「芯」に通じ、「神」に通じる。「おもひ」や「こころ」とは異質の神秘的な心的作用である。言葉や文字を媒介とせず、一瞬にして相手に伝わる何か。以心伝心というときの、そして世阿弥が「心[しん]より心[しん]に伝ふる花」というときの「心(しん)」。
《能の舞において大事なことは、言葉にはならない「おもひ」を伝えること(「どう伝えるか」ではないのでお間違えのないよう)、あるいはその深層にある「心(しん)」を伝えるエネルギーをいかに引き起こすかであって、「振り」には意味は必要ない。いや、必要ないどころか意味があってはいけないのです。意味が付与されたとたん、それは理解可能な「こころ」の領域に属するものになってしまうからです。
これは芸能としては、とても珍しいことです。》(『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』)
◎和歌における「心」の四つの存在次元・階梯の論を、永井均の哲学に接続するとどうなるか。
永井氏の『〈私〉のメタフィジックス』は「〈私〉の形而上学」「『私』の倫理学」「“私”の人間学」の三部構成からなるが、そのあとがきに、当初の構想では形而上学と倫理学のあいだに「「私」の論理学」が設けられる四部構成となるはずであったと書かれている。この「私」はおそらく《私》に相当するもののことだろう。そうするとここに「独在性の〈私〉」「単独性の《私》」「利己的な『私』」「人間(生物)としての“私”」の四つの「私」が登場することになる。
(さらにそこに、柄谷行人氏の「交換様式の四つの形態」、すなわち「交換様式A(互酬)」「交換様式B(略奪と再分配)」「交換様式C(商品交換)」「交換様式D(交換様式Aの高次元での回復)」を関係づけることはできないか。)
◎若松英輔氏は『井筒俊彦──叡知の哲学』の第九章(『意識と本質』をとりあげた章)で、「意識(的階梯)」と「存在」の関係をめぐって次のように論じている。
《「意識」の実相を把握するには、「意識が意識性を超えるところまで、つまり意識が意識でなくなってしまうところまで推し進めていかなくてはならない」と井筒は考える。「本質」究明にも同じ論理が適応される。「本質」が本質性を離れ、本質が本質でなくなるところまで論じなくてはならない。
「本質」を我々の「意識」が捉えた瞬間に、「‘これこれのもの’がそこに存在する。例えば山が、あるいは川が」と井筒は書いている。その言葉に従うと、深層意識が事物を捉えることがなければ、人間は、その実在を実感することがないばかりか、事物は存在すらしないことになる。「意識」には、階層がある。「本質」は意識的階梯に準じて姿を変じる。あるいは「存在」は意識に応じて現れるといってもよい。
ここで井筒が論じる「意識」の究極態は、私たちが実感する意識、精神分析が範疇とする無意識を含むそれではない。井筒は言葉を超越し、ときに究極者をも含意する術語として、「コトバ」の一語を生んだが、その異名として、「意識と本質」で一度だけ「ココロ」と書いたことがある。
「このコンテクストで使う『無心』『有心』は同義語ではない。『無心』『有心』とはそれぞれ違う次元で成立するココロである」とあるように、「ココロ」こそ、「意識が意識性を超えた」実在なのだが、それが本格的に論じられるのは、絶筆となった『意識の形而上学──『大乗起信論』の哲学』における意識的超越者「心[しん]」の論究まで待たなくてはならないのである。「存在はコトバである」と井筒が自らの思想を収斂的に表現したように、「存在はココロ」でもあり得るということを彼は論じ始めていた。》(『井筒俊彦』)
◎この一文につづけて、若松氏は『意識と本質』の「ほとんど最後の文章」を引き、「それは結語でもあるが、原点を明示してもいる。ここでの「存在」は存在者ではない。イブン・アラビーのいう「存在」、それは絶対的超越者の異名である。」と書いている。(この意味での「存在」はまた、大乗仏教の形而上学にいう「真如」すなわち「絶対無分節者」のことでもある。)
『意識と本質』の結語にしてその原点をも明示する文章とは、「東洋哲学においては、認識とは意識と存在との複雑で多層的なからみ合いである。そして、意識と存在のこのからみ合いの構造を追求していく過程で、人はどうしても「本質」の実在性の問題に逢着せざるをえない。」というもので、この「意識と存在との複雑で多層的なからみ合い」としての「認識」をめぐる問題をとりあつかうのが、井筒豊子の「認識フィールド」論文である。
◎『意識と本質』での「ココロ」のただ一回の使用例、「このコンテクストで使う「無心」「有心」は同義語ではない。「無心」と「有心」とはそれぞれ違う次元で成立するココロである」にいう「このコンテクスト」とは、「東洋哲学の様々な伝統の中で、「本質」否定論に対立して特に「本質」の実在性を主張する立場を三つの基本型に分類し、宋儒の「格物窮理」に代表される第一の型を説明するついでに、その正反対の立場として禅の「本質」否定論を取り上げ」、しかもそれを、「文化的枠組機構の中に形成された「本質」体系、すなわち存在分節体系と、言語との深い関わり」のもとで論じるという文脈をさしている。
したがって、ここでいわれる「有心」は、定家歌論の「有心」とはその存在様相をまったく異にして、経験世界における人間の意識の通常のあり方、すなわち事物を個々別々なものとして認識する「分節意識」のことである。「いわゆる妄想分別、存在分節の境位。この境位に働く分節意識を我々は普通、特に「意識」という名で呼び習わしている。」そして「無心」とは、そのような「人間の正常な心の働き方」(有心)に対する一種の「メタ意識」としての「絶対無分節的意識」をいう。
《無分節の意識的側面である「無心」は、いかなる‘もの’をも意識しない点において、たしかに常識的には無意識ではあるが、またある意味では──つまり禅者の実体験としては──普通のいわゆる意識よりはるかに強烈で純粋な意識なのである。私はそれを‘無’意識と書き表わす。つまり、「……の意識」ではないが、「意識」ではあるのだ。「……の意識」からノエマ的部分、すなわち「……の」、を払拭し尽した「意識」、純粋無雑なノエシスそれ自体。》(『意識と本質』、‘’は原文傍点)
◎井筒俊彦は、いま抜き書きした文章のすぐあとで、「こういう積極的な意味に解された「無心」が、屡々「心」と呼ばれるのはむしろ当然でなければならない。(略)ただ、強いて弁別するとすれば、「心」という肯定的表現には、まさにその肯定性のゆえに、絶対無分節者が本源的に内蔵する存在エネルギーへの示唆がある、と言えるかも知れない。」と書いている。
ここでいわれる「心」こそ、『意識の形而上学──『大乗起信論』の哲学』において論究された「心(しん)」であり、井筒哲学を収斂するもう一つのテーゼ「存在はココロで(も)ある」にいう「ココロ」にほかならない。
■二つの分節、二つの花鳥
◎井筒俊彦によると、禅は「「無心」の‘形而下’学」であり、「絶対無分節者それ自体の無「本質」的分節を中心として展開し、またそれに究極する」。
それでは、禅におけるこの「「本質」を媒介としない事物の分節」はいかなる内部構造をもつのか。井筒俊彦はそれを、すなわち「禅の実在体験」(悟り、見性体験)の全過程を、「無分節」を頂点とし「分節T」と「分節U」を底辺の両端とする三角形の形で示す。
《三角形の頂点をなす無分節は、既に何遍も言ったように、意識・存在──意識‘と’存在、ではない。この境位では意識と存在とは完全に融消し合って、両者の間に区別はない──のゼロ・ポイント。(略)無分節(または未分節)というかわりに、理論の立て方によっては、無展開(未展開)、未発、無限定、などと言ってもいいのだが、本書全体を通じて私は「本質」論を一種の分節論として展開する立場を取っているので、無分節という語を使う。特に分節(U)との連関においては、無分節は、勿論、‘未’分節である。とにかく、意識のあり方としても存在のあり方としても、これは我々が普通、事物相互の間や事物と自我との間に認めている一切の区別、つまり分節、がきれいさっぱり一掃された様態なのである。
それに対して三角形底辺の両端を占める分節T・Uは、その名称自体の示すごとく、事物が相互に区別され、またそれらの事物を認知する意識が事物から区別された世界、要するに我々の日頃見慣れた、普通の経験的世界である。我々は、普通、このような実存地平において世界を了解し、また世界と関わる自己を了解する。我々自身をはじめ、我々を取り巻く全ての事物が、それぞれ己れの存在性を主張する形而下的存在世界であるという点では、分節(T)と分節(U)とはまったく同じ一つの世界であって、表面的には両者の間に何の違いもないように見える。が、無分節という形而上的「無」の一点を経ているかいないかによって、分節(T)と分節(U)とは根本的にその内的様相を異にする。》(『意識と本質』)
◎井筒俊彦による禅的展開の構造モデルは、「分節T⇒無分節⇒分節U」(例:「山は山である」→「山は山ではない」→「山は山である」)として示される。
定家の歌論では、「分節T⇒無分節」の上昇過程は、「色相界(現象界、経験界)」から「境」(「意識・存在のゼロポイント」との接点)への遡及的志向性のはたらきに相当する。禅者ならぬ歌人が「心地」=「無分節」への直接的な参入を果たすことはもとよりかなわない。媒介が必要である。
また「無分節⇒分節U」の下降過程は、真の和歌的創造主体である「詠みつつある心」=「純粋無雑なノエシスそれ自体」の到来(それは複式夢幻能における後ジテの登場に通じている)に相当する。
◎禅的実在体験の出発点をなす「分節T」の事態、すなわち「有「本質」的存在者の世界」について書かれた井筒俊彦の文章を記しておく。ここに、先の若松氏の文章で引用されていた個所が含まれている。
《存在は、そこでは、はじめから無数に分節され、森羅たる万象として我々の眼前に拡がっている。一々の分節は、既に詳しく述べたように、言語アラヤ識にひそむ意味的「種子」の作りだす「本質」を基にして行われる。この「本質」を我々の意識が捉えた瞬間に、‘これこれのもの’がそこに存在する。例えば山が、あるいは川が。
あたかも鏡に映る映像のごとくに意識の表面に現出するこれらの事物は、その一つ一つが不変の「本質」によって固定された存在分節体であるゆえに、互いに混同されることも互いに混入し合うこともありえない。だから、我々の常識的世界、すなわち分節(T)の存在次元、において我々の見出す事物は、後でもっと詳しく説明するが、すべて存在的不透明性を特徴とする。山は川にたいして存在的に不透明であり、川は山にたいして存在的に不透明である。花にたわむれる蝶はどこまでも花‘と’蝶であって、花と蝶とが互いに透明になり融入し合うというようなことは、この世界では、起らない。》(『意識と本質』)
◎それでは「禅哲学の中心をなす」ところの「無「本質」的分節」すなわち「分節U」の内的様相とはどのようなものか。
《これに反して分節(U)の次元では、あらゆる存在者が互いに透明である。ここでは、花が花でありながら──あるいは、花として‘現象’しながら──しかも、花‘である’のではなくて、前にも言ったように、花‘のごとし’(道元)である。「……のごとし」とは「本質」によって固定されていないということだ。この花は存在的に透明な花であり、他の一切にたいして自らを開いた花である。分節(T)の次元では、花は一つの、それ自体で独立した、閉じられた単体だった。花はすべての他のものにたいして固く自らを閉じていた。だが「本質」のない分節(U)の世界に移される時、花は、頑なな自己閉鎖を解き、身を開く。》(『意識と本質』)
◎それにしても、無「本質」の世界を語る井筒俊彦の文章は美しい。
《いま仮りに、全体として覚知された「無」、すなわち無分節、を一つの空円をもって表わすとすると、その空円に充満する全エネルギーが分節の平面上においてa(花)となり、またb(鳥)となって現成する、という形で分節(U)の構造を表象することができよう。現実にaであり、bである限りにおいては、aとbとはたしかに分節だが、この分節は、分節(T)の場合のように存在の局所的限定ではない。すなわち、現実の小さく区切られた一部分が断片的に切りとられて、それが花であったり鳥であったりするのではない。現実の全体が花であり島であるのだ。局所的限定というものが入りこむ余地は、ここにはまったくない。つまり無「本質」的なのである。
こうして、無分節の直接無媒介的自己分節として成立した花と鳥とは、根源的無分節性の次元において一である。つまり、aとbとは、a‘と’b‘と’であるかぎりにおいては明らかに区別されているが、空円においては一である。(略)このような境位において、このような形で分節された諸物相互の間に、存在相通が成立するのは当然のことだ。花が咲き鳥が啼く。鳥と花とは互いに透明であり、互いに浸透し合い、融け合い、ついに帰して一となり、無に消える。だが、消えた瞬間、間髪を容れず、また花は咲き鳥は啼く。
電光のごとく迅速な、無分節と分節との間のこの次元転換。それが不断に繰り返されていく。繰り返しではあるが、そのたびごとに新しい。これが存在というものだ。少くとも分節(U)の観点に立って見た存在の真相(=深層)はこのようにダイナミックなものである。(略)
分節された‘もの’(例えば花)が、その場で無分節に帰入し、また次の瞬間に無分節のエネルギーが全体を挙げて花を分節し出す。この存在の次元転換は瞬間的出来事であるゆえに、現実には無分節と分節とが二重写しに重なって見える。それがすなわち「花のごとし」といわれるものなのである。》(『意識と本質』)
■新しい花、あるいはフィールド全体の自己顕現
◎「花のごとし」といわれるものは、尼ヶ崎彬氏が『花鳥の使』で「和歌の内容が、実生活という個人的文脈から切離されて自立する〈つくりもの〉となり、その言葉が、現実にありうる世界を記述することをやめて、語の衝突と交錯から独自の言語空間を構築するようになる時、現実という土壌から二重に根を断ち切られた和歌は、まさに「人の心」だけを種として、新しい花を咲かせることになる。この時、時代は中世を迎える。」と書いていた、その俊成・定家の「新しい花」に通じている。
この(どこかしらノヴァーリスの青い花や、プリオシン海岸の透明な礫や水素よりももっとすきとおっていた銀河の水を連想させる)「新しい花」の透明性は、「肖(あやかり)」もしくは「喩」(=フィギュール)に通じているのか、それとも「象(かたどり)」もしくは「像」(=イマージュ)につながっていく素性のものなのか。あるいは「虚喩」「虚象」「虚体」といった語をあてはめるのがふさわしいのか。
◎井筒豊子の「意識フィールド」論文から、「情(こころ)」の概念が導入される個所をまるごと抜き書きしておく。ここで、非分節的・無時間的な空間的飽和充実の事態といわれているのが、無「本質」的分節の意識的側面を言い表している。つまり「思ひ⇒詞」系統が「分節T」に、「情⇒余情」系統が「分節U」にそれぞれ対応している。
《「心地」的非現象からの直接無媒介的現象顕現として意味分節機能が生起するが、同じく、「心地」の自己顕現として現象的に成立するものでありながら、しかも、直接には意味的内部分節を持たないもの、意味的分節を許容しないもの、非言語的、非分節的に現成するもの、に情[こころ]≠ェある。
これは、未発のこころ(心地[こころ])に対する已発のこころ(情[こころ])とも云い得るもので、意味分節機能と同様に、対象志向的・対自的意識磁場に生起するところの現象的現成ではあるが、現象的現成でありながら、しかも、分析的な内部意味分節を持たないような、いわば、無分節の飽和的充実事態、であるという点に於て、情[こころ]≠ヘ、それの非現象的本元である「心地(こころ)」との、構造的相似性、構造的親和性を示しているのである。
「心地」から、自照≠フ次元領域を透過して、対自的意識界で把捉される心的現象には、従って、相平行し相平衡しつつ現成するところの二つの機能的展開系列がある、と考えることが出来る。即ち、時間的・継起的(全体としては統辞的な)展開を持つ言語的意味分節機能、いわば内的言語≠ニ、無時間的・無分節的飽和充実の事態として現成する情[こころ]≠ナある。分節的・非分節的、時間的流れ・空間的飽和充実、という内的構造の相違こそあれ、等しく、「心地」の直接無媒介的な、創造的自己顕現として、意味的分節機能(ことば=jと、情的事態(こころ=jとは、同一なるものの二つの側面なのであり、もし、或る特定の和歌的言語が、「心地」に根ざすものである限り、その詩的言語は、既に内的言語の次元に於て、それの言語的事態と平行する非言語的事態、つまり情%I事態をも、必然不可避な、操作不能な形で、随伴させていることになる。》(「意識フィールドとしての和歌」)
◎西平直氏は『無心のダイナミズム──「しなやかさ」の系譜』の第五章「井筒俊彦の禅哲学──禅の無心の哲学的検討」で、エラノス学会での井筒俊彦の講演論文“The Structure of Selfhood of Zen Buddhism”をとりあげている。
先行する講演で鈴木大拙が「無心」を“no-mind”という言葉に託したことを受けて、井筒俊彦は、それは「無意識(心が無い、働かない)」の状態を意味するのではなく、「心が最高の強度と明晰さをもって機能している」状態であると述べ、ハープ(琴)演奏の名人が「完璧に音楽それ自身と一つになって」いる状態を例に挙げる。この名人の境地はパフォーマンスの極みにおいてあたかも恵みのようにやってくる特別の体験であって、これに対して禅は日々の暮らしの中でそれが通常の意識となることを目指している。
ところで「無心」は「音楽と一体となった自分」にとどまるのではない。「無心」の境地は、@「楽器のみ」、A「我のみ」、B「我もなく楽器もない」、C「我もあり、楽器もある」という四つの局面を持つ。この最後のものが「音楽と一体となった自分」の境地であり、「わたしが・楽器を・弾いている」とも語られる。そしてそれが、主体「我」が対象「楽器」に操作を加えるという日常的な状況とは違う局面であることを、井筒俊彦は「フィールド全体の自己顕現」という言い方で表現する。
西平氏はこの「フィールド」の概念を、主客を共に包み込んだ場であり、意識のフィールドであると同時に存在のフィールドでもあり、生命エネルギーの流体的な動きであると整理し、次のように括る。
《「我」が居り「楽器」が在る。しかし、主客が対立した〈我〉と〈楽器〉の関係とはまったく異なる。我も楽器も全宇宙もすべてを包み込んだ全体フィールドのエネルギーが、そのまま音になっている。「弾く」という出来事になっている。そして「我」になっている。同時に「楽器」になっている。
それが、「我も‘あり’、楽器も‘ある’」と語られた局面である。「わたしが・楽器を・弾いている」と語られる出来事である。「物となって考え、物となって行う(わたしが、楽器となって、弾く)」と言っただけでは物足りず、「楽器がおのずから曲を奏でる」と言うだけでもまだ足りない。我も‘あり’楽器も‘ある’。「わたしが・楽器を・弾いている」。
しかしそれは、「我も‘なく’楽器も‘ない’」と語られることも可能な出来事である。全体フィールドのエネルギーが、微動だにせず静謐を保っているか、それとも、全体のバランスを崩すことなく(「主体」極にも「客体」極にも傾くことなく)、出来事として顕れ出るか、その違いに過ぎない。(略)
その上で、あらためて、以上見てきた四つの局面に、優劣はない。どの形を取って現れても、同じ一つの「無心」が現れている。そう強調することによって、井筒は「無心“no-mind”」を、「心の働きを失った状態」とする誤解から解き放ち、我も世界も全宇宙も包み込んだ全体フィールドのダイナミックなはたらきとして解き明かそうとしたことになる。》(『無心のダイナミズム』)
◎英文テクストをもとにした「禅的意識のフィールド構造」(『コスモスとアンチコスモス』所収)で、井筒俊彦自身の議論を確認しておく。
いわく、「私は此れを見る」という単純な命題は、普通の意味で、つまり主・客対立的認識機構のもとでの認識経験の命題だとすれば、i see thisと小文字で表記されるが、「無心」的主体の次元では、大文字のI SEE THISに変わる。
《この場合、I SEE THISは無分節的SEEが、無「自性」的に自己分節[=無「本質」的分節]することによって開展する機能フィールドを表わす。従って主体Iも、客体THISも、ともに同じI SEE THIS全体を内に含み、それぞれがそれぞれの形での全フィールドの顕現である。すなわち、Iは実はI(=I SEE THIS)であり、THISは(I SEE THIS=)THISである。
だから、この境位で私が「私」と言う時、勿論、「私」という語は経験的主体としての「私」(小文字のi)を意味しない。私がここで意味するのは、I SEE THIS全領域をそっくりそのままの、自己収約的現実化としての私(大文字のI)である。確かに、それは現に「私」として顕現し機能してはいる。だがこの「私」は、共通のフィールドであるI SEE THISを通じていつでも自由に、たちどころに「此れ」(THIS)に転成し得るだけの内的能力をそなえた「私」なのである。》(『コスモスとアンチコスモス』)
《以上の考察によって我々は、禅思想においては意識・存在の根源的リアリティが、動的で伸縮自由な一種のフィールドとして考想されていることを知る。「主体」「客体」を二つの磁極とし、両者の間に流れる意識・存在的緊張のエネルギーの振幅のうちにおのずから形成される不可視のフィールド。
このフィールドの両極をなす「主体」「客体」が、普通の意味での主・客ではなく、一方は全フィールド(I SEE THIS)を挙げての「我」であり、他方もまた全フィールド(I SEE THIS)を挙げての「此れ」であることは、すでに明らかであろう。両極のいずれの側にエネルギーが流れようとも、フィールドそれ自身にはなんの加増も欠少も起らない。ただ、両極間の力のバランスの、その都度生起し現成する具体的な場所が、純粋主体性の極点から純粋客体性の極点まで、フィールド全体を通して絶えず動いているだけのことである。この内的可動性が、フィールドに、四つの主要な現成形態を与える。》(『コスモスとアンチコスモス』)
意識・存在フィールドにとっての四つの主要な現成形態とは、「人境倶奪」(人=主も境=客もともに意識・存在フィールドの表面に姿を見せないこと:我もなく楽器もない)、「奪境不奪人」(我のみ)、「奪人不奪境」(楽器のみ)、「人境倶不奪」(我もあり、楽器もある)の「四料簡」である。
《以上、臨済の「四料簡」を略述した。「無心」的主体の拓く意識・存在の全領域は、これら四つの基本的顕現形態の間を自由に移行しつつ、その都度その都度の「いま、ここ」に現成する。四つのうちのども形を取って現われようとも、同じ一つのSEEがそこにある。「法身は無相(SEEそのものにはきまった一つの形があるわけではない)物に応じて形[あら]わる。般若は無知(無心的主体性の知──I SEE──は、それ自体の固着的対象をもっているわけではない)縁に対して照らす。青青たる翠竹、鬱鬱たる黄花、手に信[まか]せて拈じ来れば、随処に顕現す」(宏智正覚)。表面に現われているものが「我れ、此れを見る」であっても、「我」だけであっても、「此れ」だけであっても、いや、そこに「我」も「此れ」も無くとも、全ては「随処に顕現」する「無心」的主体性の姿なのである。「無心」的主体性の、このようなあり方を、私はそれの「フィールド構造」と呼ぶ。》(『コスモスとアンチコスモス』)
■存在論と意識論が重なるところ
◎無「本質」の世界を語る『意識と本質』の文章を、いまいちど引く。
《無「本質」の世界。それは存在的透明性と開放性の世界。「水清くして底に徹す。魚の行くこと遅遅たり。空闊[ひろ]くして涯[かぎ]りなし。鳥の飛ぶこと杳杳[ようよう]たり」(宏智『坐禅箴』)。この魚は、道元のいわゆる「魚行きて魚に似たり」の魚、この鳥は「鳥飛んで鳥のごとし」の鳥。魚は魚、鳥は鳥として立派に分節され区別されていながら、しかも、この鳥とこの魚との間には不思議な存在相通があり、存在融和がある。つまり、分節されているのに、その分節線が全然働いていないのだ、まるで分節されていないかのように。
分節されている「に似たり」、分節されている「かのごとし」の事態──これこそ存在の究極的真相、存在の「如如」、すなわち「真如」と呼ばれるものでなくて何だろう。禅の覚知に現成する「真如」とは、決して絶対無分節、すなわち「無」だけではない。》(『意識と本質』)
◎それでは「真如」とはなにか。井筒俊彦は『意識の形而上学──『大乗起信論』の哲学』で次のように語る。
いわく、『起信論』の考想する「真如」は、絶対無分節でありコトバ以前である非現象態(A領域:「離言真如」)と、無数の分節単位の複雑に錯綜する意味連関として顕在する現象態(B領域:「依言真如」)の二階層構造をもつ。それはあたかも「全宇宙の絶対無的極点」と「万有の父」の双面性をはらんだプロティノスの「一者」の形姿を憶わせる。
《すなわち全現象界のゼロ・ポイントとしての「真如」は、文字どおり、表面的は、ただ一物の影すらない存在の「無」の極処であるが、それはまた、反面、一切万物の非現実的、不可視の本体であって、一切万物をうちに包蔵し、それ自体に内在する根源的・全一的意味によって、あらゆる存在者を現出させる可能性を秘めている。この意味で、それは存在と意識のゼロ・ポイントであるとともに、同時に、存在分節と意識の現象的自己顕現の原点、つまり世界現出の窮極の原点でもあるのだ。》(『意識の形而上学』)
◎またいわく、「真如」は『起信論』の思想全体を通じて中心的位置を占める。しかしこの極度に抽象的な「仮名(符丁語)」は、このままでは具体的なことを一切語らない。哲学的もしくは信仰的に思想を進めていくためには、もっと生々とした意味をもつ具象語が必要である。そこで『起信論』は一つの新しいキーターム、「心(しん)」を導入する。
《「真如」という極度に抽象的な仮名[けみょう]が漠然と指向しているものに対応し、それに近接する意味内容をもち、しかもそれより形象度の高い実語があるだろうか。この問いに答えて、『起信論』は「心[しん]」という語を提出する。意味把握の手掛かりの全然ない「真如」を、具体的形象のコトバに、いわば、翻訳するのだ。語るべからず念ずべからざる「真如」は、この具象性の次元まで引き下ろしてはじめて、語るべく念じ得べきものとなる。》(『意識の形而上学』)
◎キータームが「真如」から「心(しん)」に移り、存在論が意識論になっても、『起信論』の形而上学的基本構造(A領域+B領域)は変わらない。ただ、その名称が変わる。すなわち、A領域=「心真如」(絶対無分節的・未現象的意識、意識のゼロ・ポイント)、B領域=「心生滅」(瞬時も止まず起滅する有分節的・現象的意識)。
A領域とB領域の相互関係は流動的、不動的であり、柔軟である。両者は不断に相互転化している。もともとBはAの「自己分節」にほかならないからである。「A領域とB領域とのこの特異な結合、両者のこの本然的相互転換、の‘場所’を『起信論』は思想構造的に措定して、それを「アラヤ識」と呼ぶ。」
このA領域とB領域とのあいだに介在して両者を連結する中間領域を、井筒俊彦はM領域と呼ぶ。そして、M領域がなぜそのような重大な機能を果たすことができるのかという、『起信論』が直接に答えることをしていない問いをたて、自ら解をあたえる。
《それは要するに、M領域、すなわち「アラヤ識」が、‘形相的’意味分節のトポスだからである。形相的意味分節、イデア的・「言語アプリオリ的」意味分節。存在界の一切が、そこではすでに、予め全部分節されている、先験的に、十全に(ちなみにここで‘先験的’というのは、勿論、‘実存的’・‘個的主体にとって’先験的、ということであって、その意味において、「アラヤ識」的意味分節は超個的であり形相的なのである)。かくて、全ての形相的意味分節単位は、それぞれ存在カテゴリーであり、存在元型であって、「アラヤ識」はそれら存在カテゴリー群の網羅的・全一的網目構造なのである。現象的存在分節の根源的形態が、この‘先験的’意味分節のシステムによって決定されているのだ。現象的「有」の世界(=B)の一切は、この元型的意味分節の網目を透過することによって次々に型どられていく。》(『意識の形而上学』)
◎このM領域が井筒豊子(俊成、定家)のいう「境(さかひ)」すなわち自照の次元領域に相当するのだろうか。それとも「M領域=境(さかひ)+情(こころ)」と定式化すべきなのだろうか。
同趣旨の「(意識の)構造モデル」を呈示した『意識と本質』では、意識のM領域は「想像的」イマージュの場所と定義されている。言語アラヤ識で成立した「元型」が様々なイマージュとして生起する住処。「天使、天女、餓鬼、悪霊、怪物、怪獣どもがこのイマージュ空間を充たす。(略)このイマージュ空間を、たんに人間意識の一様態とすることに満足しないで、これに実在性、存在論的性格を与える人々にとっては、それは前に述べた mundus imaginalis と呼ばれる一種独特の存在世界である。」
この「想像的」イマージュの世界を視覚化したものがマンダラである。「M領域に現成する存在構造を形象化した深層意識的絵画、例えばマンダラ」。
◎『起信論』が説く「意識の形而上学」の存在論的・意識論的構造分析を終えた井筒俊彦は、つづけて「真如」(=「心」)形而上学にもとづく個的実存の内的メカニズムの解明にとりくむ。
まず、「M⇒A」の離念の道を窮め、絶対無分節的「自性清浄心=仏心」にいたる「覚」と、「M⇒B」の生滅・流転の道を行き、ただ現象的現実の中に跼蹐して生きる「不覚」とが、「互いに転成しつつ、相互循環しながら往きつ戻りつする実存的生の内的フィールドの発展道程」を分析した、そして最後に「結語」として次のように述べる。(ここに「心地」が登場する。)
《「不覚」から「覚」へ。人は「始覚」[=「覚」に向かう最初の一歩だけでなく、「自性清浄心」に還り着く修行の全道程を「始覚」という。]の道を辿りつつ、「本覚」[=「始覚」との特殊な関連において、「覚」は「本覚[ほんがく]」と呼ばれる。]へと戻って行く、いや戻って行かなければならない、実存意識が実存性の制約を脱却して、ついに絶対清浄なる心の本源(=「心地」または「心源」)に辿りつくまで。『起信論』のテクストは、この境位を「究竟覚[くきょうかく]」と呼ぶ。(略)
かくて、‘一切の’カルマを棄却し、それ以前の本源的境位に帰りつくためには、人は生あるかぎり、繰り返し繰り返し、「不覚」から「覚」に戻っていかなくてはならない。「悟り」はただ一回だけの事件ではないのだ。「不覚」から「覚」へ、「覚」から「不覚」へ、そしてまた新しく「不覚」から「覚」へ……。
「究竟覚」という宗教的・倫理的理念に目覚めた個的実存は、こうして「不覚」と「覚」との不断の交替が作り出す実存意識フィールドの円環運動に巻き込まれていく。
この実存的円環行程こそ、いわゆる「輪廻転生」ということの、‘哲学的’意味の深層なのではなかろうか、と思う。》(『意識の形而上学』)
(いつでも「此れ」(THIS)に転成=転生し得る「私」(I)。あるいは、 死者から生者への輪廻転生。死者、すなわち「境」を往来する者。)
■言葉が見る夢、物が見る夢
◎井筒豊子の議論は(広義の)貫之現象学の構図をふまえている。定家の「有心」や「有心体」のとらえ方も、あるいはその根底にある「言語フィールド」に対する「意識フィールド」の機能的優位性や現象界に対する非現象界(言語以前の世界)の根源性も、「こころ⇒ことのは」の仮名序歌論の世界に包摂された(狭義の)定家論理学のあり様を示している。
(広義の)貫之現象学は「クオリア」と「ペルソナ」を両極とするフィールド、すなわち存在と意識と言語が複雑に絡みあった「和歌フィールド」を設える。
クオリアとは言語以前もしくは父母未生以前の世界と「人のこころ」との界面現象である。(クオリアを「自然記号」と呼んでいいか。そしてマンダラとはクオリアの宇宙であるなどということができるか。)ペルソナとは「ことのは」すなわち言語によって造形されかつ言語を超越する(言語そのものを生産する)主体である。
「和歌フィールド」における「こころ⇒ことのは」のプロセスを通じて「夢としての歌」が紡ぎだされる。世にある人が様々な「思ひ」(実感)を知覚物に託して表現する(狭義の)貫之現象学の世界がひらかれる。
言語表現に先だって、言語では表現できない「思ひ」が立ち現れている。この「思ひ」を「いひいだ」しカタチを与えたいというやむにやまれぬ「ひたぶる心」(富士谷御杖)に突き動かされ、「思ひ」にまとわりつくクオリア類似の「ありあり」感を詞に結晶・定着させることに成功したとき、歌を詠むことが一つの心(思ひ)を造形する(公共化すると言い換えてもいい)ことと等しくなる。
こうした「夢としての歌」の集積を通じて、やがて「思ひ」を言語化することと「思ひ」が言語的に生産されること、さらには言語そのものがそこにおいて立ちあがる場所(ペルソナ)が出現することとが区別できない(広義の)貫之現象学の世界が、「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」る仮名序歌論の世界がひらかれる。
(夢の記述としての和歌。その夢は死者が見る、生者の物語である。死者が住むところ、それは言語の世界。死者はコトバであり純粋精神である。つまり和歌はコトバが見る夢。
死者のコトバによって生者は生かされている。生者は夢見られている。死者によって思われている。そして、死者のコトバによって物語られる「私」が和歌を詠む。コトバを発する。)
(狭義の)貫之歌論について、言語に先立つ「本のこころ」といえども言語(和歌的言語表現の伝統)があってこそのものだと逆転させたのが俊成であり、(広義の)貫之歌論をフィクションであるとし、「あめつちもあはれ知るとはいにしへの誰がいつはりぞ敷島の道」と詠んだのが定家であった。
しかし私の見るかぎり、俊成の歌論も定家の歌論も(広義の)貫之現象学の構造のなかでのエピソードでしかない。それらはいずれも、幾層にも折り重なって複雑精緻きわまりない存在様態を示す「こころ」の羈束のうちにある。
貫之の「こころ⇒ことのは」と定家の「ことのは⇒こころ」が相互に包摂しあう。貫之の「ことのは」のうちに定家の「こころ」が宿り、定家の「ことのは」のうちに貫之の「こころ」が宿る。この相互包摂関係、入れ子関係は、しかし(広義の)貫之歌論の構図のなかでの相互反転でしかない。
この関係を断ち切るためには、「俊成的転回」の意義を考え直さなければならない。俊成が(狭義の)貫之歌論を逆転させることによって何を志向したか。詞から心、心から物への遡行的志向性によって目指されたものはなんだったか。それが「心地(こころ)」=「心(しん)」という超越的非現象であったとすれば、それは回り回って(広義の)貫之歌論の世界に回収される。
それが言語であるということは判っている。俊成、定家の「新しい花」とは言語的構築物であり、定家の「有心」=「詠みつつある心」もまた言語世界を住処とする。
永井均著『西田幾多郎』の表現を借りて、貫之現象学の基本テーゼを「体験は言葉と独立にそれだけで意味を持ちうる。言葉の意味もまたそういう体験にすぎないのだ」と言い表すならば、定家論理学は「言葉は体験と独立にそれだけで意味を持ちうる。「体験」もまたそういう言葉にすぎないのだ」と規定することができる。
(私が言葉を使って考え、言葉によって表現する事柄、それらはすべて、言葉が私を使って考え、私を通じて表現しているのである。──そのような反転が生じたとき、つまり私が主体ではなく媒体の地位に移行したとき、それでも私は考え、表現しているという実感は成り立つだろうか。
もちろん成り立つのだが、それでは、その実感の実質をなすものは何だろうか。「もちろん私が考え、私が表現しているという実感は成り立つ。その実感もまた言葉なのだ。」そう応じるのは一体誰なのか。)
井筒豊子の議論を((狭義の)貫之現象学をその内部に包摂するところの)(広義の)定家論理学の構図のもとで読み換えるためには、つまり(広義の)貫之現象学の構図を完璧に反転するためには、(もちろんそのような読み換えや反転に意味があるとしての話だが)、新しい記号論の確立が必要なのではないか。
それはパースの三記号、すなわち「指標記号(INDEX)」「類似記号(ICON)」「象徴記号(SYMBOL)」に加わる第四の「仮面記号(MASK)」をめぐる、いわば仮面の記号論とでもいうべきものになるだろう。(「死者のコトバの記号論」という呼称も捨てがたい。)
何かを指示し、象徴し、模倣するのではなく、指示し象徴し模倣する対象そのものを生産する記号のはたらき。「空」と「仮」(「夢幻」能と「現在」能の語を組み合わせるならば、「空=夢(無)」と「現」、「虚=幻」と「実=在」)の関係性を利用して、「無」から「有」(虚喩、虚象、虚体)をつくりだす「¬A⇒A」とでも表記できる仮面記号の作用。
◎若松英輔氏は『池田晶子 不滅の哲学』で、池田晶子の『リマーク1997-2007』から次の一節を引用している。
「死者
肢体の謂ではない
生存ではない存在形式において存在する者
つまり異界の者
の思い為すこと、それが物語である
死者の思い為しを生者は生きている
死者に‘思われて’生者は生きている
したがって、生存とはそのような物語なのである」(‘’原文傍線)
《生存が物語であるとは、それを生きる人間が主体ではないことを指している。コトバが物語をあらしめているように、人間を、あるいは存在界自体をあらしめている働きがある。その働きは、人間が定める生死の境を越えて働く。
さらに生存が、肉体を伴って存在することの定義であるなら、死者は生存していない。しかし、実在する。さらに彼女は、生者とは「死者の思い為しを」生きる者であり、「死者に思われ」ることによって生きる者である、とも言う。これは池田の思索の結果であるよりも、彼女の日常の経験だった。池田にとって生きるとは、死者の「思い為し」の発見であり、それとの対話だったといってよい。》(『池田晶子 不滅の哲学』)
◎『カント「視霊者の夢」』(金森誠也訳)の文庫解説「批評家の夢」で、三浦雅士氏は、『純粋理性批判』は言語論として読み換えられるべきだと書いている。
《…第二篇第一章「純粋理性の誤謬推論について」における「‘私は考える’」という概念をめぐる考察(要するにデカルトの合理的心理学批判)はそのまま言語論にほかならない。カントがそこで述べているのは「私という現象」はひとつの言語現象(表象一般の形式)であって実体ではないということなのである。「私」というたんなる言語現象──誰もが私なのだ──を実体と見なすことによって、たとえば超越論的霊魂論の四つの誤謬推理(私の実体性、私の単純性、私の人格性、私の観念性)も成立しているのだというのが、つまるところカントの言いたいことなのだ。》(『カント「視霊者の夢」』)
批評家の夢はここで終わらない。
《言語はすでに物質によって夢見られていたのであり、その夢は、生命によって育まれ、人間によって成人し、いまやまさにひとり歩きはじめているのだ…。その本質はしかも、愛なのだ。なぜなら言語の特性は、人称が端的に示すように、互換性にほかならないからである。相手の身にならなければ言語は成立しない。そして相手の身になるためには、相手と自分の両者をつねに俯瞰する眼を、すなわち両者に対して上位の次元を持たなければならないのである。逃げる獲物を追う肉食動物は俯瞰している。いや、捕食される草食動物もまた逃げようとして俯瞰しているのだ──動物はすべて言語獲得の寸前にあると言っていい。だが、とすれば、草食動物に食べられる植物もまた俯瞰しているのではないか。植物の根に吸い上げられる鉱物もまた俯瞰しているのではないか。
言語はすでに物質によって夢見られていたのだ──この「批評家の夢」を粉砕する哲学者は登場するだろうか。たとえばそれは「精神」を「言語」に置き換えたにすぎない、というように。だがしかし、その置き換えは決定的ではないだろうか。》(『カント「視霊者の夢」』)
(23号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」22号(2014.04.15)
<哥とクオリア>第29章:言語・意識・認識(意識フィールド篇、余録と補遺)(中原紀生)
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