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Web評論誌「コーラ」
13号(2011/04/15)

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■きのふの空の有りどころ
 萩原朔太郎は『郷愁の詩人 与謝蕪村』で、蕪村の句「凧[いかのぼり]きのうふの空の有りどころ」に次の評釈をつけています。
《北風の吹く冬の空に、凧[たこ]が一つ揚っている。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚っていた。蕭条とした冬の季節。凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまく風。硝子のように冷たい青空。その青空の上に浮んで、昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚っている。飄々として唸りながら、無限に高く、穹窿の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂っている!
 この句の持つ詩情の中には、蕪村の最も蕪村らしい郷愁とロマネスクが現れている。「きのふの空の有りどころ」という言葉の深い情感に、すべての詩的内容が含まれていることに注意せよ。「きのふの空」は既に「けふの空」ではない。しかもそのちがった空に、いつも一つの同じ凧が揚っている。即ち言えば、常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上に実在しているのである。こうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーヴを表出した哲学的標句として、芭蕉の有名な「古池や」と対立すべきものであろう。なお「きのふの空の有りどころ」という如き語法が、全く近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧であって、過去の日本文学に例のない異色のものであることに注意せよ。蕪村の不思議は、外国と交通のない江戸時代の日本に生れて、今日の詩人と同じような欧風抒情詩の手法を持っていたということにある。》
 「常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上に実在している」。これを読んで私が連想したのは、かの貫之歌「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」でした。硝子のように冷たい青空をただ一つさびしく漂う「凧」と、波の底なる空(蒼穹の影を宿した水面)をわびしく漕ぎわたる「われ」との関係(たとえば、物質や生命の世界から隔絶された純粋な言語空間(そこには、過去も現在も未来もない)を風に吹かれながら、もしくは頼りなく漂うものとしてこれらをとらえるなら、「凧」と「われ」は同じ事柄を指し示す異なる形象となるし、「凧」を物質・生命の世界の先端に結晶する精神の比喩とてしてとらえ、「われ」を純粋な言語空間に属する言語的な「われ」であるととらえるなら、両者はそのあり様をまったく異にする)、そしてまた、貫之の「千代経たる松にはあれど古の声の寒さはかはらざりけり」の歌に詠まれた「いにしへの声」と、芭蕉の句にいう「水の音」をくわえた四つの詩句(詩想)の関係は、視覚と聴覚、かたちとリズム、実在と不在、空間と時間、等々がいりまじった複雑な様相を呈します。
 ここのところをさらに追究していけば、なにかしら意味のある理論的考察をほどこすことができるのかもしれません。しかし、それは本稿の主眼とするところではないので、これ以上の深堀りはやめて、ここでは、朔太郎が、「俳句は抒情詩の一種であり、しかもその純粋の形式である。」とし、また、「易水に根深流るる寒さ哉」の評釈に次のように書きつけていることを記して、先に進みます。
《この句の詩情しているものは……寒い冬の日に、葱などの流れている裏町の小川を表象して、そこに人生の沁々[しみじみ]とした侘びを感じているのである。一般に詩や俳句の目的は、或る自然の風物情景(対象)を叙することによって、作者の主観する人生観(侘び、詩情)を詠嘆することにある。単に対象を観照して、客観的に描写するというだけでは詩にならない。つまり言えば、その心に「詩」を所有している真の詩人が、対象を客観的に叙景する時にのみ、初めて俳句や歌が出来るのである。それ故にまた、すべての純粋の詩は、本質的に皆「抒情詩」に属するのである。》
■朔太郎とベンヤミン/蕪村とプルースト
 坂部恵氏は、講演録「日本のモデルニテ──萩原朔太郎と九鬼周造」で、朔太郎の、「鋭くほとんど病的なまでに研ぎ澄まされた神経のはたらきを示し、日本の近代詩史にひとつの画期を記した口語自由律の抒情詩の作者として一般にはよく知られて」いる側面ではなく、「彼自身それと拮抗しそれと同等のウエイトをもつと見なしていたアフォリズム作者・思索家としてのもうひとつの側面」、ないし批評家、哲学者としての側面に着目して、「彼は、近代日本の哲学史・思想史に当然しかるべき頁が割かれてよいひとである、とわたくしは考えます。」と語っています。
 また、これら二つの側面(朔太郎自身の言葉では、「抒情詩は、私の生活に於ける「夜」であり、思想詩は、私の生活に於ける「昼」であった。」)の対立と交錯に関して、(同世代人である)「ベンヤミンと萩原朔太郎は資質と素養の面で非常に近いところがあり、この二人の対比・比較は大変魅力あるテーマとわたくしはおもっています。」とし、さらに、「ボードレールを通過した眼で、蕪村のうちにロマン主義、唯美主義、妄想、幻覚、少年時代の郷愁等、モデルニに通う契機を見定めた」著書『郷愁の詩人 与謝蕪村』をめぐって、「朔太郎が、この書で蕪村における不随意記憶・追憶(Eingedenken)の重要性を指摘しているあたりは、ベンヤミンのプルースト好みとひきくらべて興味深いことです。」と語っています。
 坂部氏がいう「ベンヤミンのプルースト好み」とひきくらべることができる朔太郎の蕪村好みの実質は、先に引用した「きのふの空」の句をめぐる文章のうちに鮮明に刻印されていました。あと二つ、例を引きます。その一は、「遅き日のつもりて遠き昔かな」の評釈。
《蕪村の情緒。蕪村の詩境を端的に詠嘆していることで、特に彼の代表作と見るべきだろう。この句の詠嘆しているものは、時間の遠い彼岸における、心の故郷に対する追懐であり、春の長閑な日和の中で、夢見心地に聴く子守唄の想い出である。そしてこの「春日夢」こそ、蕪村その人の抒情詩であり、イデアが吹き鳴らす「詩人の笛」に外ならないのだ。》
 その二は、「白梅や誰[た]が昔より垣の外」に対する評釈。
《昔、恋多き少年の日に、白梅の咲く垣根の外で、誰れかが自分を待っているような感じがした。そして今でもなお、その同じ垣根の外で、昔ながらに自分を待っているような気がするという意味である。この句の中心は「誰が」という言葉にあり、恋の相手を判然としないところにある。少年の日に感じたものは、春の若き悩みであったところの「恋を恋する」思いであった。そして今、既に歳月の過ぎた後の、同じ春の日に感ずるものは、その同じ昔ながらに、宇宙のどこかに実在しているかも知れないところの、自分の心の故郷であり、見たこともないところの、久遠の恋人への思慕である。そしてこの恋人は、過去にも実在した如く、現在にも実在し、時間と空間の彼岸において、永遠に悩ましく、恋しく、追懐深く慕われるのである。》
 これらの文章につづられた蕪村俳句のモチーヴ、詩情、詩境、すなわち、イデア的なものへの追憶、思慕、追懐、等々が、「蕪村の俳句について」と題された同書冒頭の次の一文のうちに集約されています。朔太郎はそこで、子規一派の俳人たちが唱えた、「詩からすべての主観とヴィジョンを排斥し、自然をその「あるがままの印象」で、単に平面的にスケッチすることを能事とする」「浅薄皮相であり、特に詩に関して邪説である」写実主義が蕪村を誤ったと批判し、次のようにつづけているのです。
《今や蕪村の俳句は、改めてまた鑑賞され、新しくまた再批判されねばならない。僕の断じて立言し得ることは、蕪村が単なる写実主義者や、単なる技巧的スケッチ画家でないということである。反対に蕪村こそは、一つの強い主観を有し、イデアの痛切な思慕を歌ったところの、真の抒情詩の抒情詩人、真の俳句の俳人であったのである。ではそもそも、蕪村におけるこの「主観」の実体は何だろうか。換言すれば、詩人蕪村の魂が詠嘆し、憧憬し、永久に思慕したイデアの内容、即ち彼のポエジイの実体は何だろうか。一言にして言えば、それは時間の遠い彼岸に実在している、彼の魂の故郷に対する「郷愁」であり、昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕であった。実にこの一つのポエジイこそ、彼の俳句のあらゆる表現を一貫して、読者の心に響いて来る音楽であり、詩的情感の本質を成す実体なのだ。》
 すべての純粋の詩は、本質的に皆「抒情詩」に属する。なぜならば、その心に「ポエジイ」もしくは「主観」を所有している詩人が、自然の風物情景を客観的に叙する時にのみ、初めて俳句や歌が出来るからである。そうして、蕪村にとっての「主観」とは、時間の遠い彼岸に実在しているイデアへの痛切な思慕、彼の魂の故郷(きのふの空の有りどころ)に対する純粋な「郷愁」である。だからこそ蕪村は「真の抒情詩の抒情詩人」であり、その表現は「詩人の笛」として、「音楽」のように読者の心に響いてくるのだ。
 ここに示された朔太郎の詩観は、第一詩集『月に吠える』の序文では次のように述べられていました。朔太郎はそこで、まず、詩的表現の目的は何か、と問いをたてます。そして、自ら答えていわく、それは情調のための情調を表現することでも、幻覚のための幻覚を描くことでもなく、「人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させること」であると。さらに、「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。」と記したあとで、こうつづっています。
《すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することのできない一種の美感が伴う。これを詩のにおいという。(人によっては気韻とか気稟とかいう)においは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順ってこのにおいの希薄な詩は韻文としての価値のすくないものであって、言わば香味を欠いた酒のようなものである。こういう酒を私は好まない。》
 それでは、その理屈や言葉で説明することのできない詩の「におい」は、いかにして言葉のうちに定着させられるのか。それは「リズム」によってである、というのが朔太郎の回答です。
《私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表われた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらいたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言い現わしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによって表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することのできる人とのみ、私は手をとって語り合うことができる。》
《詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもっている所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとっては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。》
 リズムは「かたち」に通じます(ゲーテ、三木成夫の形態学)。「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」等々の言葉や文章では言い現わしがたい複雑した特種の感情(思ひ)が電流体の如きもの(歌の伝導体)にふれることによって、以心伝心のリズムが発見され、そのリズムが歌の「かたち」(歌体)の実質をなすものになっていく。そして、リズムはまた、理屈や言葉で説明することのできない一種の美感としての「におい」に通じている。
 この「リズム」と「かたち」と「におい」をめぐる共感覚的な照応関係の根源にして初発にあるものが、いわば「イデアとしての感情」です。それは、たとえば、伊藤邦武著『パースの宇宙論』のプロローグに引用されたパースの次の文章のうちに見事に表現されています。
《無限にはるかな太初の時点には、混沌とした非人格的な感情があり、そこでは連絡もなければ規則性もなかったがゆえに、現実存在というものもなかったと考えられる。この感情は、純粋な気紛れのなかで戯れているうちに、一般化の傾向というものの胚種を宿し、それには成長する力がそなわっていたのであろう。こうして習慣化する傾向というものが始まり、そこから、他の進化の原理とともに宇宙のあらゆる規則性が残存し、それは世界が絶対に完全で、合理的で、対称的な体系になるまで存続することであろう。精神もその無限に遠い未来において、最終的に結晶するのである。》
 太初の非人格的な(言葉や文章では言い現わしがたい)感情に発し、そこに胚胎した「成長する力」にうながされて以心伝心のリズムを内蔵した歌のかたちが結晶し、同時に(理屈や言葉で説明することのできない)においを発する。これは、ほとんど貫之の歌論の世界です。
 
■現在のなかに現前している過去
 貫之の話題に転じる前に、萩原朔太郎がいう「におい」(すぐれた抒情詩に伴うもの、においたつ美感・気韻・気稟)と、蕪村=プルーストの「不随意記憶・追憶」との関係をめぐって、迂回します。
 
 佐々木健一著『日本的感性──触覚とずらしの構造』に、「むかしの香り、遠い残響」と題された短い章があります。この書物は、和歌を素材として日本文化に固有な感性の構造を探究した刺激的な論考で、著者は、具体の作例の分析を通じてとりだした日本的感性のモチーフ群を、構造主義者たちのひそみにならい、「語彙」(要素的なもの)と「文法」(複合的な関係性)の二部に分類して考察しているのですが、件の章は、その語彙の部から文法の部への移行部にあたる中間形態の感性のあり様を、具体的には、嗅覚と結びついた時間感覚をめぐって、プルーストの「無意志的記憶」を参照項として、「日本的感性の想起体験とその時間意識」を考察したものです。
 もう少し詳しく述べます。まず、感性は、「対象の(あるいは世界の)性質を知覚しつつ、わたしのなかでその反響を倍音として聴くはたらき」もしくは「身体化された記憶のはたらき」(別のいいかたでは、「世界とのつなぎ目[インターフェイス]」もしくは「精神の一形態であり、その特殊なはたらき方」)と定義されます。それは、ひとや文化によって異なる、固有かつ個性的な仕方で「帯電」しています。その「帯電の分布」が、すなわち感性の構造にほかなりません。(朔太郎の「電流体の如きもの」、あるいはまた、私が私的に考察をすすめている「伝導体」は、ここでいわれる「感性の構造」の異名だったのではないかと思います。)
 和歌の作品にあらわれた特徴的な「感じ方」の具体相を、「語彙」と「文法」の二つの範疇に区分する際の眼目は、(そして、幽玄、あはれ、わび、さび、いき、等々のローカルな美的概念の根底にあるモチーフを、「和歌を素材とする経験的な探究」を通じて「感じ方」のレベルで抽出し、そうしてとりだした「日本的な目次」によって、「日本的美学」ではなく「日本的感性」の構造論をうちたて、さらには「美学そのものを更新」していくための、その理論的な起点は)、それが、「世界のなかの事実」に焦点をあて、身をもって触覚的に接触することにかかわる感性(「粘着型の感性」)なのか、それとも、想像力のはたらきや反省的批判のまなざしをもって、複数の事象のあいだを関係づけ、またその関係を余所へずらし、あるいは時間的に重ね合わせていく感性(「関係づける感性」)なのか、その違いを見極めることにあります。
 たとえば、「語彙」の部に属するモチーフ群(おもかげ、なごり、なつかしさ、けしき、かげ、等々)は、さらに、「われ/世界/世界とわれの結び合い」の三つのカテゴリーに分類されます。このうち、「われ」と「世界」が重なり合う第三の「中間的なカテゴリー」は、「「われ」は「世界」あってのわれであり、「世界」もまた「われ」に捉えられてはじめて「世界」となる」、したがって「「われ」を映しだすうたも世界を含み、「世界」の成り立ちを証言するうたもわれを支えとしている」といった、いわば相互包摂の関係をはらでいます。(ちなみに、そのような「世界−われ」の構図のうちにある感性的な「われ」、たとえば、散りゆく桜に包みこまれ、桜の色に染めあげられた「われ」のことを、著者は、「世界が現象してくる結節点、もしくは「場所」(西田幾多郎)」と規定しています。)しかし、それが「語彙」の範疇に属するゆえんは、そうした「われと世界との結びつきそのもの」に焦点があてられているからであって、この点で、異なる事実、事象間の関係づけそれ自体を主題とする「文法」の範疇に属し、知的性格を濃厚にふくんだ感性とは質を異にしています。
 ここでとりあげる、嗅覚的記憶と結びつい独特の「時間感覚」は、「世界とわれの結び合い」が「われ」と「世界」の一体型、中間形態であったのに対して、「語彙」と「文法」の中間的な形態であり、「語彙」から「文法」への移行段階にあるものです。著者の説明によると、この「時間的な変化に関わる感性」は、それが「変化である限り、複合的[「文法」の範疇に属するもの]だが、それを何かに即して一挙に感じ取る、という意味では要素的なもの[「語彙」の範疇に属するもの]」、したがって「語彙の極限的な事例」と見ることができるものです。そして、「何かに即して一挙に感じ取る」というときのその「何か」とは、世界のなかの事実として「何らかの仕方で現在のなかに現前している」過去のことであり、それはたとえば、さびれた村であり、廃墟であり、梅の残り香であり、プチット・マドレーヌを浸した紅茶の匂いと味なのです。
 
(「語彙」の部と「文法」の部のインターフェイスに住まいする「変化」をめぐるこの感性は、やがて、自然現象や意識における「動性」や「動き」となって、「触覚性」を基軸とする日本的感性の具体相を規定していく。あたかも志向性あるいは知性のはたらきのように。そうしてひらかれる「文法」の部には、「転身する「われ」」に伴う「未来完了」の時間意識や、融通無碍に移動する人称世界や、世界の現実性とわれの実在性の喪失、はては言語構文の攪乱といった諸相が出現する。これらのことについては、いずれ、ラカン三体とパース十体をめぐる目下の議論を終えたのちに、立ち返って吟味することになるでしょう。)
 
■実在の回復と過去のエーテル化
 佐々木氏は、プルーストのテクスト(井上究一郎訳『スワン家のほうへ』第一部「コンブレー」T)のあらましを記し、さらに、「過去の情報は、過去の何物をも保存していない」、「過去は理知の領域のそと……何か思いがけない物質のなかに……かくされている」、「古い過去から、人々が死に、さまざまな物が崩壊したあとに、存続するものが何もなくても、ただ匂と味だけは、かよわくはあるが、もっと根強く、もっと形なく、もっと消えずに、もっと忠実に、魂のように、ずっと長いあいだ残っていて、他のすべてのものの廃墟の上に、思いうかべ、待ちうけ、希望し、匂と味のほとんど感知されないほどのわずかなしずくの上に、たわむことなくささえるのだ。回想の巨大な建築を」と、その文章を引用したうえで、そこから「実在」と「匂い」という二つのことをとりだします。
《ここで語られているのは、確かに回想であり、視覚的な回想である。しかし、その回想を構成している「映像」を実質をもたない単なるイメージと思うのは間違いだ。過去が「解体」し「崩壊」している、と言うとき、問題になっているのはその実在である。回想され、呼び戻されるのが「巨大な建築」であるのは、それがこの実在の体系的な全体であるからである。事実、この回想は、注意の視線をそこに向けるだけで、そこにあるものが細部に至るまでありありと知覚できるような一種の視覚体験である。ケルト人の信仰を引き合いに出し、右の引用文でも「魂」を語っているのは、これが物体ではなく魂のような実在性に関わっていることを示唆しているように思われる。よく言われるように(ただし、それは「意識の流れ」についてであるようだが)、ベルクソンの思想との親近性をみとめることができる。実在をイメージと呼び、心像としてのそれを言わば劣化したイメージと看做した『物質と記憶』は、このプルーストのテクストの注釈であるかのようにさえ思われる。》
(引用中断。同書の別の箇所から、ベルクソンに関連する話題をひとつ抜きだし、挿入します。貫之の「思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり」を評して、俊恵が、「この歌ばかりおもかげある類はなし」、「限なく推し量らるゝ面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし」(ありありと思い浮かべることのできる面影は、殆ど実景の描写にも勝っている)と述べたことばに照らして、著者は、「「おもかげ」はそのまま「イマージュ」と言い換えることができよう。歌論においては、この語によって歌意としての「心」とは区別された像の喚起力が考えられている」と論じていました。引用再開。)
《しかし、このイメージ=実在は物質のなかに受肉して存在している(それが「ケルト人の信仰」である)。この物質を捉えて、そこに閉じ込められた実在を解放するための接点を構成するのが、(紅茶に浸したマドレーヌの)「匂と味」である。それはこの物質のなかに隠れた実在が、いわば地表に発芽させた小さな目印の如くだ。ここに、実在に関するダブル・スタンダードをみとめることができる。一方で、実在はあくまで鮮烈な視覚的イメージとしてある。しかし、他方において、われわれの経験のうえでは、「匂と味」が実在そのものではないにもせよ、少なくともその触手のような性格のものとして考えられている。確かに、実在とは叔母の部屋、町の鐘楼、水中花等々、目に見えるかたちをもった物体だ。しかし、それがわたしの経験に触れるのは、「匂と味」を介してであり、言い換えれば物体というよりも物質としてなのである。物質は下級感覚に固有の官能性を刺激して、生きた現実感を与える(マドレーヌの「豊満な肉感」)。他所ではただ「味」を語っているプルーストが、ここでは「匂と味」と言っているのは示唆的だ。官能的実在として味と匂いは不可分のものであろうし、また、匂いには、霊的なものへと通じる香気があるからに相違ない。
 このプルースト的時間体験を参照項として、日本的感性の想起体験とその時間感覚とを考えよう。うたの世界に味覚は無縁である。うたに食べ物の味を詠み込むことを想像してみると、それはほとんど俳諧である。花の香がエーテル的であるのに引き換え、食べ物の味には生存に連なる動物性が感じられる。マドレーヌに「私」のみとめた「肉感」は、この菓子がたっぷり含むバターを介して、獣の匂いを漂わせる。梅や花橘のエーテル的な香は、衣服に染みつき、心に粘着して残るが、残るがゆえに、ときの移ろいを思わせずにはいない。》
 以下、「ときの変化を映しだすものとしての梅の香」をめぐる歌の作例、とどまるものとしての香とすぎゆく時の連想を詠んだ「むめがか[梅が香]を袖にうつしてとどめてば春はすぐともかたみならまし」(古今集)から、俊成女の「橘のにほふあたりのうたたねは夢も昔の袖の香ぞする」(新古今集)までを概観し、最後に、俊成女の歌と同趣でありながら発想を転倒させた、式子[しょくし]内親王の「帰りこぬ昔をいまと思ひねの夢の枕ににほふたち花」(同)をとりあげます。
《普通は、花の香に誘われて往時を連想するのだが、昔を思いつつ寝たところ、枕辺に花橘の香[男の香]が立った、というのである。香りが連想を誘うという関係は、プルーストにおける過去を蘇生させる糸口としての味=匂という考えにも見られたことで、自然なものである。しかし、ここに至って花の香と昔は第二次の連合を形成し、等価なものとなる。香そのものが過去の実体であるかのごとくだ。その「春の夢」には、過去の情景の視覚的な想起が含まれているかもしれない。しかし、うたから読みとることのできるのは、官能性の雰囲気だけである。それが過去の経験の実体だ、と考えてみることもできよう。香りそのものと同様に、ひとの生きた時間もエーテル化している。実在に至るプルーストの想起とは著しく異なるものがそこにある。》
 文中の「ここに至って花の香と昔は第二次の連合を形成し、等価なものとなる」は、第一次の連合である「香⇒昔」(橘のにほふあたりのうたたねは夢も昔の袖の香ぞする)に、この関係式の「香」と「昔」の位置を転倒させた第二次の連合「昔⇒香」(帰りこぬ昔をいまと思ひねの夢の枕ににほふたち花)が加わり、この二つの関係式が合成されて「香=昔」(香そのものが過去の実体である)が成り立つ、と定式化することができるでしょう。
 この「日本的感性の想起体験とその時間感覚」と対をなすプルースト的感性のもとでのそれは、とりあえず、「匂・味⇒過去の視覚的蘇生」の関係式で示すことができます。しかし、ここで、においや香を介して視覚的に蘇生されるのは、(夢のなかにあらわれるイメージのような)「実質をもたない単なるイメージ」ではなく、ベルクソンがいう意味での「イマージュ」(=実在)だというのですから、この関係式は、正しくは「匂・香⇒(過去の)実在の回復」となるでしょう。
 ちなみに、先の、「香⇒昔」かつ「昔⇒香」すなわち「香=昔」の図式は、正しくは、「(今の)香⇒昔(の香)」かつ「(実在としての)昔⇒(昔の)香の蘇生」から「(今の)香=(実在としての)昔」を導く夢の推論(「A⇒B」かつ「C⇒B」ゆえに「A=C」という誤謬推論、あるいは、「誰かが私のことを想うとき、その誰かは私の夢にあらわれる。ところで、今、私の夢のなかに誰かがあらわれた。そうすると、その誰かは私のことを想っているに違いない。」といったアブダクションの推論)にもとづくものなのであって、ここから、過去と現在、はては未来までもがエーテル状の「香」のうちに溶けあい、そうして、「実在」もろとも移ろっていくことになるわけですから、これは、プルースト的な「実在の回復」とは決定的に異なる体験をもたらします。
(実在は、物質のなかに受肉し、閉じ込められている鮮烈な視覚的イメージと、そのような、物質のなかに隠された物体(としての実在)の目印・触手として、私たちの経験に触れ、官能性を刺激して、生きた現実感を与える「匂と味」とに二重化されている。この佐々木氏の叙述を、ベルクソン的語彙を使って強引に単純化すると、実在には「記憶」と「物質」の二つのものがある、となるかもしれません。さらに、プルースト的な「実在の回復」体験は「記憶の物質化」もしくは「想起体験の知覚体験化」と、また、日本的感性における「過去のエーテル化」もしくはエーテル化した時間体験は「物質の記憶化」もしくは「知覚体験の想起体験化」と、それぞれ単純化できるのかもしれません。ただし、このあたりのことは、まさに夢の推論のなせる議論でしかありません。)
 
 日本的感性の世界にあっては、「香」という、官能性の雰囲気だけをもったエーテル的なものと「昔」が等価物となる。つまり、「過去の経験の実体」が、また「ひとの生きた時間」が、あるいは「生きた現実感」が、(そして、もしそういってよければ、現在や未来を含めた「時間」や「クオリア」や「実在」をめぐる体験もまた)、質量零のエーテル状のものと化し、自在に移動し、ずらされ、重ね合わされていく。
 ここで私の脳裏をよぎるのが、貫之の辞世の歌「手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ」に詠まれた「あるかなきか」の詩句であり、また、かの「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」の歌が醸し出す透明な寂寥感であり、さらには、「千代経たる松」のうちに聴き取られる「いにしへの声」の「寒さ」です。話が貫之にもどってきました。
 
■貫之現象学と二つの空
 やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとぞなれりける。この古今集仮名序冒頭の文章を、(「人の心」もしくは「一つの心」が「萬の言葉」へと生長する、といった二項関係をいうものとしてではなく)、「よろづ」すなわち森羅万象にわたる「物」が、「ひとのこころ」すなわち「人の心」もしくは「一つの心」を媒介として、さまざまな「ことのは」すなわち歌の「詞」へと屈折していったものが「やまとうた」である、と解釈することで、「物/心/詞」という貫之三体(広義の貫之現象学を規定する三層構造)の構図を得ることができます。
 
 ここでいう「物」とは、たとえば、古事記に「國稚如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時。如葦牙因萌騰之物而成~名。」(クニわかくウキアブラのゴトクにして、クラゲなすタダヨエルときに、アシカビのゴトもえあがるものにヨリテなりませるカミのミナは)云々というときの、その、海に漂う海月(クラゲ)のごとく虚空に流動する、まだ若く形の定かでない「浮き脂」のようなもの、いいかえると、いまだ天とも地ともつかない未生の「あめつち」のことです。あるいは、「こころ」の語源が「凝る(こる・こごる)」に通じていて、たとえば「氷」や「煮凝り」といった語ともかよいあっているのだとすれば、「物」は、そのような意味での「こころ」を含んだ語です。
(それは、ギリシャ語で基盤(下に立つもの)や沈澱物(固体と液体の中間のようなどろどろしたもの)を意味し、坂口ふみ著『〈個〉の誕生』で、「存在のアクチュアリティー、実存、といったニュアンスをもち、動的はたらき、流動のうちのいっときの留まり、という性格をもつ」と規定された「ヒュポスタシス」に通じています。同著によると、この語は、東方キリスト教神学において、父・子・精霊の神の三つの位格を示すラテン語の「ペルソナ」に代わる語として使われていたのでした。)
 また、本居宣長が『古事記傳』に書きつけているように、葦牙の「牙」が「芽」に通じ、「め」は「もえ」の縮約形(「芽ぐむ」は「萌えぐむ」が転じたもの)なのだとすれば、そして、「萌騰之物」の「物」は後に天になる物(素材)をいうのだとすれば、「虚空中(オオソラ)」を漂う浮き脂のなかから葦牙(あしかび)のごとく萌え騰がるのは「心」であり、最後に、その葦牙から成りませる(生まれる)カミの名が「詞」であると、そのようにいってみてもいいのではないかと思います。
(「何にまれ、尋常[ヨノツネ]ならずすぐれたる徳[コト]のありて、可畏[カシコ]き物を迦微とは云なり」と宣長が定義する「カミ」とはクオリアのことで、クオリアはまた「物」そのものでもある。私は、そのように考えています。ロレンスの『黙示録論』に、古代ギリシャ人の意識にとっては、ある瞬間、心を打ってくるもの、たとえば《つめたいもの》《しめったもの》《あたたかいもの》《かわいたもの》などはすべて「神」(テオイ)であり、それは「決して単なる質ではない、厳存する実体であり、殆ど生きものと言ってもいい」とあったように。また、伊藤邦武著『パースの宇宙論』のプロローグに引用された別の文章のなかで、パースが、「われわれが現在経験する色、匂い、音、あるいはさまざまに記述される感情、愛、悲しみ、驚きは、すべて太古の昔に滅びたもろもろの質の連続体から遺された残骸であると考えざるをえない。(略)わたしはあなた方に、存在の初期の段階には、現在のこの瞬間における現実の生と同じくらい実在的なものとして、感覚質の宇宙が存在したのだと考えてもらいたいと思う。」と書いていたように。
 ここで肝心なのは、「天地初發」(アメツチのハジメ)つまり天地開闢を経た後の天と地はつながっているということであり、したがって、世界(私の心)の中にクオリアがあるのではなく、むしろクオリアの中に世界(私の心)があるということです。そして、そのクオリア(迦微)の名こそが、歌詞(うたことば)にほかならないということです。
 付言すれば、クオリアとは、生命体と「世界とのつなぎ目[インターフェイス]」における接触感覚をいうもので、この「つなぎ目」とは生命体における「表皮」のことです。そして、表皮の形成は、生命が個体として出現するその開闢を告げる事象だということができます。そうだとすれば、表皮形成後の生命体にとって、外と内はつながっており、それらの界面(インターフェイス)に立ちあがるクオリアは、そのいずれにも属し、かつ属さない両義的な性格をもつことになります。そのような界面(表皮)こそ、記号そして言語が生成する場であり、そこから立ちあがるクオリア=迦微は、物質・生命と記号・言語の二つの世界に両属する。そんなことがいえるかもしれません。)
 
 さて、「物/心/詞」もしくは「浮脂/葦牙/~名」の貫之三体には、物から心、心から詞へと垂直方向に立ちあがる力の軸が貫いています。そして、この構図のうちに、垂直軸に直交するかたちで、二本の水平軸(空間的な拡がりを含意させるため、水平面というべきかもしれません)を引くことができます。
 その一つは、かの「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」の歌にある「波の底なる空」で、これは、「物/心/詞」の「心」の(海域ならぬ)界域の中央を水平方向に横断します。いま一つは、「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」に詠われた「水なき空」で、これは「詞」の界域の果てを区画します。(この「詞」の界域は、宣長がいう「虚空中(オオソラ)」とも、また、『明恵上人伝記』に残る西行の和歌論、「華を読むとも実に華と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず、只此の如くして、縁に随ひ興に随ひ読み置く処なり。紅虹たなびけば虚空いろどれるに似たり。白日かゞやけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本明かなるものにあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虚空の如くなる心の上にをいて、種々の風情を色どると雖も、さらに蹤跡なし。」にいう「虚空」とも通じています。)
 新宮一成著『夢分析』に、「空は言語の場である」とありました。そうだとすると、この二つの「空」は、波の底なる地に通じる言語とカミのいます天にいたる言語とが、それぞれそこにおいて稼動する二つの場として、あたかも合せ鏡のような関係を切り結びながら、貫之の歌の世界(広義の貫之現象学)に独特の広がりをもたらしているということができるでしょう。
 第一の水平面は、「ひとのこころ」という「種」を芽生えさせ、これを「ことのは」の「葉」へと結びつけるもの、いいかえれば、地中から空中へと向かう力動的な生命のかたちをかたどる「幹」にあたるもの、すなわち「物」としての身体と「心」とをあわせもつ「身(み)」のはたらきの諸相を映しだします。それは、同時に、「世のなか」(言語の世界)にある人が「心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり」というときの、その「いひいだす」力のはたらきの諸相(狭義の貫之現象学の世界)であり、やがては歌の「風体」や「姿」に、ひいては物・心・詞・姿からなる歌の伝導体へとつながっていくもののことです。(「いひいだす」力とは、ソシュールが「ランガージュ」と名づけた言語能力、あるいは、前田英樹氏が『言葉と在るものの声』でランガージュになぞらえた空海の「声」に通じています。そしてまた、かの「千代経たる松にはあれど古の声の寒さはかはらざりけり」の歌に詠まれた「いにしへの声」がもつ力(「寒さ」)にも。)
 第二の水平面は、物から心へ、そして(物=心としての身のはたらきを介して)詞へといたる、第一の水平面上に展開される生命的な力のはたらきの方向を逆転させ、もしくは鏡面の背後に第四の界域(カミの世界)を仮構して、詞から心へ、心から物へといたるもう一つの垂直方向の力のはたらきを映しだします。この水なき空にに立ち騒ぐ「波」の諸相(定家論理学の世界へとつながっていくもの)こそが、パースの記号分類にいう「十個のクラス」(パース十体)にほかなりません。
 
(前田氏は前掲書に、世界は、物質(弛緩)と生命(収縮)の二つの傾向から成る質料世界と、これと並行する言語世界の二つからなり、質料世界にあって、潜在的なものである「記憶」が現在へと収縮し身体の行為へと現働化するのと同様に、言語世界における潜在的なものである「ラング」が「パロール」へと現働化するためには、質料世界に属すると同時に言語世界にも通じ、この二つの世界を絶えず並行させつつ二つの現働化をある種の混合に導く「ランガージュ」の力がなければならない、そしてまた、ランガージュの力がラングを通過して質料世界におけるパロールへと現働化することによってこそ、本来、現に在る心の作用や物の存在と直接繋がっていないラングが質料世界に効果を持つことができる、つまり、心の内や事物の状態のなかに「意味」という一種の振動を作り出し、私たちの在りようを絶えず根こそぎ変え続ける、と書いています。
 水なき空、すなわち非質料的な言語世界が、波の底なる空、すなわち物と心の二つの傾向からなる質料世界に属する「いひいだす」力を介して歌の詞へと現働化する。前田氏の議論を援用して、そのようにいうことができるとして、それではそのとき、水なき空における潜在的なもの(ラング)とは何か。私は、それこそ、俊成が「歌の道」もしくは「歌の道の深き心」と呼んだ歌の「姿」の系譜だったのではないかと考えます。そうして、この俊成が見いだした潜在的な歌の集蔵体を通過して現働化した「いひいだす」力が、定家の本歌取りの実質をなすものだったのではないかとも。
 ちなみに、ここでいう「いひいだす」力もしくはランガージュの言語能力を「欲動」ととらえるならば、そこから、「ル・レエル/リマジネール/ル・サンボリック」もしくは「欲動(無意識)/深層のパトス(潜意識・下意識)/表層のロゴス(表層意識)」という、ラカン=丸山圭三郎の構図を導きだすことができるでしょう。)
 
(14号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」13号(2011.04.15)
<哥とクオリア>第17章 夢の推論──ラカン三体とパース十体(急ノ壱)(中原紀生)
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