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Web評論誌「コーラ」
10号(2010/04/15)

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■二つの純粋経験が重ね描かれる場所
 
 第一歌集『海やまのあひだ』に収められた「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」について、折口信夫(釈迢空)は『自歌自註』で次のように書いています。
 
《山道を歩いてゐると、勿論人には行き遭はない。併し、さういふ道に、短い藤の花房ともいふべき葛の花が土の上に落ちて、其が偶然踏みにじられてゐる。其色の紫の、新しい感覚、ついさつき、此山道を通つて行つた人があるのだ、とさういふ考へが心に来た。もとより此歌は、葛の花が踏みしだかれてゐたことを原因として、山道を行つた人を推理してゐる訣ではない。人間の思考は、自ら因果関係を推測するやうな表現をとる場合も多いが、それは多くの場合のやうに、推理的に取り扱ふべきものではない。これは、紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処を歌つたので、今も自信を失つてゐないし、同情者も相当にあるやうだが、この色あたらしの判然たる切れ目が、今言つた論理的な感覚を起し易いのである。》
 
 ここで折口信夫がいっているのは、この短歌において、踏みしだかれた葛の花は、ついさっき山道を通って行った人があることを示す痕跡(記号)になっているのではない、ということです。
 いや、現実の世界では、そのような因果関係や時間的先後関係(もしくは、意味関係や記号関係)がなりたっているのかもしれないけれども、しかし、少なくともこの作品の世界で、そうした「論理的な感覚」が歌われているわけではない。山道を歩いていると、踏みにじられた葛の花の「其色の紫の、新しい感覚」(知覚体験)と、「ついさつき、此山道を通つて行つた人があるのだ、といふ考へ」(想起体験)とが、二つながら、一方が他方の原因になっている(土の上に落ちた葛の花が、たったいまこの山道を通って行った人によって偶然踏みにじられ、その結果、目に鮮やかな紫の色を土や岩などににじませている)といった因果関係の推理にもとづくのではなくて、なぜだか、これといったわけもなく、同時に「心に来た」。そうして、その二つの純粋経験それ自体を、「紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処」において重ね描いただけなのだ、と。
 この歌のキモは、「色あたらし」の語にあります。葛の花が道に踏まれて土や岩ににじませた、その生まれたての瑞々しい紫の色の「新しい感覚」、色彩語の体系のうちに捕捉される以前の、「其色の紫」(クオリア)をめぐる純粋な知覚体験が、まるごとこの一語に託されていて、その上に、過去の出来事、それも自分が直接体験したわけではない、他者(異なるペルソナ)に生じた出来事の純粋な想起体験が重ね描かれているわけです。それはまた、言葉以前の、いいかえれば、意味するものと意味されるものの二項からなる客観的・日常的な記号関係のうちに整序される以前の、根源的な記号の立ち現われを「しるし」づける詞として、読点と句点の二つの切れ目によって判然と区画された場所のうちにしるされているのです。
 その「しるし」が立ち現われるとき、同時に、そこにひとつの「あわい」が出現しています。折口信夫がいう「色あたらしの判然たる切れ目」、私はそれを、短歌作品における上句と下句の切れ目であると同時に、事物と事物のあいだ(たとえば、「海」と「やま」の「あひだ」)であり、さらには、それを通じてはじめて事物と事物が分節される原初の切れ目のことでもある、と拡大解釈しているのですが、いずれにせよ、その「あわい=切れ目」を通じて、因果関係や時間的先後関係その他の「論理の感覚」にからめとられる以前の、いってみれば「よそ」の世界における出来事が、直接的に立ちあがっているわけです。
 しるし、あわい、よそ。私は、この三つ組の和語でもって、かのパースの三つの現象学的カテゴリー(パース三体)をいいあらわすことができるのではいかと考えています。しるし=第一次性(質的可能性または潜在性)、よそ=第二次性(個体的事実)、あわい=第三次性(媒介あるいは中間性)といったぐあいに。あるいはまた、丸山圭三郎氏が『言葉と無意識』で図式化した「欲動/深層のパトス/表層のロゴス」もしくは「カオス/ノモス化されないコスモス/ノモス化されたコスモス」の三層構造(ラカン三体)、さらには、古今集仮名序に記された「よろづ/人のこころ/ことのは」もしくは「物/心/詞」の三層構造(貫之三体)をいいあらわす和語。しかし、これらの語彙は、いずれも私のオリジナルではなくて、それぞれしかるべき出自をもっています。
 
■著きあらわれとしてのしるし
 
 しるし(徴・標)は、しるし(著し)に通う。今日のことばでいえば「いちじるし」く、「ありありと見え、聞え、また感じ取られて、他とまがう余地が無い」(『岩波古語辞典』)もの。また、しるしは、しる(知る、領[し]る)に通う。「物の状態や性質を、すみずみまで自分の思うままにする意。占有・統治・支配・世話の意から転じて、意識の中ですみずみまで認識し自由にする意」(同)。領られ、占められ、標められるものとそれならざるものとの境をしるし、またしめすもの。
 坂部恵著『仮面の解釈学』に収録された論考「しるし」は、これら二つの古語の用法を手がかりに、しるしが立ち現われてくる「境位(さかい)」の実相をときあかしています。
 まず、第一の用法における「しるし」(著し)は、「あらわれ(現象)としてのしるし」といいかえられ、「しるしとは、一つの現象[あらわれ]が、他のことなった現象[あらわれ]をしるしづけるところに成立する二重化された現象[あらわれ]にほかならない」と定義されます。ここで重要なのは、「しるしをしるしとして成り立たしめるものは、しるしづける現象[あらわれ]をしるしづけられる現象[あらわれ]から分けへだてるその差異[ことなり]である」こと、したがって、しるしが立ち現われてくるのは、「差異[ことなり]の相をもった世界」、すなわち、「くり返し二項対立の差異[ことなり]の重ね合わせからなる差異化[ことなり]のシステムの総体によって分節された世界においてにほかならない」ということです。
 
《しるしの立ちあらわれてくる世界あるいは境位[さかい]は、こうして、ことなりの相をもった世界、境界[さかい]が同時にそれによって限られた境域[さかい]であるような境位にほかならない。そこでは、生は同時に死をはらみ、あらわれはあらわれざるものを、存在は不在を、つねにはらむ。あらわれとあらわれならざるもの、しるしとしるしならざるものの差異[ことなり]そのものが、ふたたびしるしとしてあらわれることはなく、世界の分節化としての差異[ことなり]は、同時に事成[ことな]りであり、「はじめにことばあり」か「はじめに行いあり」かということをめぐっての、福音記者からゲーテを経てたとえばラカンにいたるまでの考えの対立は、この次元にまでつきつめてみれば、無効に帰する。
 原初[はじめ]には、あらわれとあらわれならざるもの、存在と不在、生と死、見えるものと見えないもののことなりを設定し、幽明の境をかぎり、わたしたちの生死往来の場を一つの境域[さかい]として設定する差異[ことなり]・事成[ことな]りがある。
 原初[はじめ]には、くり返しいえば、〈ことなり〉があり(正確には、差異[ことなり]が事成[ことな]り、というべきだろう……(略)……)、この〈ことなり〉自体が、たとえば〈生ける現前〔現在〕〉の相のもとにあらわれるということはない。原初には、あくまで、現前の相のもとにあらわれることのない絶対他者[ことなり]が、もろもろのことなりを設定する。それは、境[さかい]を境としてかぎり、たとえば内と外との差異を設定する痕跡[すじめ](trace)とでもいう以上に、名ざしようのないものである。
 〈ことなり〉自体が〈生ける現前〉の相においてけっしてあらわれることがないということ……(略)……は、また、話をふたたび〈しるし〉にもどすとすれば、しるしにおいて、〈しるすもの〉と〈しるされるもの〉の間に、絶対的な序列は存在しないということをも含意する。
 この点、〈しるし〉という日本語は、シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の両側面をもつものとしてとらえられ、イデア界的な〈生ける現前〉としての〈先験的な意味されるもの〉le signifie' transcendantal の先在という〈現前の形而上学〉を背景にもつものとして、デリダがやっきになってその解体をくわだてる〈記号〉signe の概念とは別物である。〈しるし〉の背景には、そのような、究極の〈しるされるもの〉の(いわゆる超感覚的・可想的な世界の)存在を想定する形而上学は、もとからして、ない。
 しるしとは、すでにみたように、二重化された現象[あらわれ]にほかならない。〈しるすもの〉がひとつの現象[あらわれ]であるのとおなじく、〈しるされるもの〉もまた、もうひとつの現象[あらわれ]以上のものではない。したがって、〈しるすもの〉と〈しるされるもの〉の関係は、場合に応じて、逆転可能である。》
 
 差異(ことなり)が事成るとき、つまり、世界が分節化され、同時に世界が創造されるとき、そこに、もうひとつの「言成り」(坂部氏がそんな言葉を使っているわけではありません)の可能性が成就しているはずです。二重化された現象(あらわれ)としての「しるし」にあって、著(しる)き現象(あらわれ)であるしるしによってしるされるもう一つの現象(あらわれ)が、「もはやない」か「いまだない」か「ここにない」かはともかく、それが不在のもの(否定性をおびたもの、たとえば死)としてあるとき、そこに、「分節化された音声」と「ある特定の概念」の差異(ことなり)のシステムとしての言語の世界が立ちあがる契機がはらまれています。しかし、「言成り」が成就するいきさつを究めるためには、「しるし」のもうひとつの相を見極めておかねばなりません。それは、言語を使用する主体(ペルソナ)の「自覚」、もしくは(言語の世界への)「目覚め」にかかわってきます。
 
■主体の死において立ち現われるしる
 
 第二の用法における「しるし」については、たとえば、「葛城の高間の草野早しりて標[シメ]刺さましを今そくやしき」の万葉歌にいう「標」の字(不在のひとまたは神による占有のしるしとして、領有をしるしづけ聖別するものという意を帯びている)に着目して、次のように説明されます。
 
《すなわち、ひと区切りのむらさき野を標野として、わがもの、あるいは、祖神[おや]の御稜威を背景に、その祖神をも含めたわれらがもの、ないしは、わたしが仮にその代理人をつとめる祖神のものとして、占め、標め、しるしづけることは、それがほかならぬわがものあるいはわが祖神[おや]のものであり、他人[ひと]のものではないことの標定を、当然、含意する。いいかえれば、二重化された現象[あらわれ]にほかならぬしるしは、また、他面で我−他者[ひと]の差異[ことなり]を立ちあらわしめ、ときにはさらにそれをたしかめるものとして、わたしたちの生死往来の場のなかに、もう一つの(いわゆる相互主体的な)差異[ことなり]」を導入するものでもあるのである。(略)
 ひと区切りのむらさき野を占り、標める境のしるしは、また、領[し]るものと領らざるものの差異[ことなり]を、我と他者[ひと]の差異[ことなり]をしるしづける。領[し]らざるものとしての他者[ひと]が、いわゆるあかの他人ではなく、たとえば、むらさき野の管理にあたる領民であるような場合、領るものと領らざるものとの関係は、領るものと領られるものとの関係、すなわち、君[きみ]−臣[ひと]の関係になる。
 日本語の「ひと」ということばが、もともと、他人[ひと]の意味を含むのは、このように、しるしによってしるされるもの(むらさき野)を媒介として、領るものと領らざるもの、ないしは領るものと領られるものの関係が措定され、〈ひと〉が、たとえば典型的には、〈おおきみ〉にたいする臣[ひと]として、(絶対)他者にたいする一個の(絶対的ならざる)他者[ひと]、(小)他者[ひと]として、元来が他者性のことなりの場面に、語の本来の意味での alie'nation(他有化、他者化[ひととなり])の構造をその必然的な構成契機として立ちあらわれてくるものにほかならないからである。
 しるしは、世界を分節化せしめ、現象[あらわれ]を二重化するとともに、わたしを一個の他者[ひと]として、くり返し、原初の渾一の相をもった世界から切り離す。》
 
 ここでいわれる「原初の渾一の相をもった世界」とは、たとえば、(坂部氏が「しるし」のなかで使っている言葉でいえば)「母なる大地」のことでしょう。母胎との一体化のうちにある、というより、いまだなにものでもないものから、くり返し、「一個の他者」として「わたし」が切り出されてくる。それをするのは「しるし」だが、同時に、そうした「主体の死」を通じてこそ「しるし」は出現する。そして、それはやがて、(同様に、坂部氏の言葉でいえば)「絶対他者としての父」もしくは「不在の(死んだ)父」、すなわち「のり」や「おきて」や「象徴体系」との葛藤と分裂を通じて、「わが身とおなじ織り糸でおりなされた一つの織り物にほかならぬ世界」のなかに、あるいは「わたしをうつす一つの鏡としての世界」のなかに、(すなわち、言語の世界のなかに)、いわば、母なるものとの想像的な一体化から分離されたわたしの「墓標」として、「わたしの鏡像」(対象化されたイメージ、うつし身)をうつしだす。
 先走りすぎました。坂部氏は、先に引用した文章につづけて、「わたしがわたしとして、立ちあらわれ自覚されるのは、とりわけ、他者[ひと]、他所者[よそもの]としての欠如の相においてにほかならない」ことを、フロイトが「快感原則の彼岸」でとりあげた「fort−da(いない−いた)の遊び」のうちに確認していきます。
 
《いわゆる出産外傷あるいは出生外傷から離乳外傷にかけて、子供は、自己の分身であり、むしろ自己がその分身であるところの母親との分離という形で、生れ落ちるとほとんど間をおくことなく、死を体験する。
 alter ego(もう一つの我[わたし])は、まずそもそものはじめからして、不在(fort)すなわち死の相のもとに体験され、〈わたし〉は、また、このもう一つのわたしであり、またわたしそのものでもあるものの死の影のなかで、他者化(alie'ner)され、他者[ひと]となって犠牲に供されたものとしての自己を引き受け、あえて、いわば身をひき裂き殺す痛みに耐えるという、不在と存在のたわむれのなかにおいて、構成され、あらわれ出てくる。(略)
 o-o-o という叫び声とともに部屋の隅へと投げられるおもちゃの糸巻きは、文字通り子供の alter ego(もう一つのわたし)であり、かつては、彼と一体をなしていた母親の類比物である。(略)
 わたしを一個の他者として、あるいはまた、他者を一個のわたしとして、差異化し、わたし−他者[ひと]、(わたし−糸巻き)、わたし−もう一つのわたし、という相互に変換可能な二項的な対立を措定することは、母親あるいは母親の身体と一体となった原初の無差別相の世界から、分離と分裂と死をはらんだ差別相の世界へとおちこむ、あるいは超越することを意味する。(略)
 わたし−他者、わたし−母親、わたし−糸巻き、等々の比喩的な置き換えと類同の系列において、差別相の世界の差異化のシステムがあらわれ、いわば、主語としての〈わたし〉は、述語としての〈わたし〉の映像[かげ]のうちへと、合せ鏡に映じたイメージの無限の系列のつらなりのうちへと引き裂かれ、分節化されて行く。
 「わたしはわたしの母親である」。「わたしは糸巻きである」。「わたしはわたしの鏡像である」……等々。しるされるものとしるすもの、しられるものとしるものの分離的統一としてのしるしの世界、差別相と差異化の世界。
 子供が、わたし−他者、わたし−他のわたしという二項対立的な差別相の世界に目覚めること、みずからを一個の〈他者〉としてとらえる時点と、o-o-o(fort)−da という二個の音素を弁別し、それをおなじく分離的統一として、一個の差異化のシステムのうちに統合して把握し、それを起点に、さまざまな差異化ないしは弁別的特徴のシステムとしての言語をみずからのうちに受容していくようになる、すなわち言語を修得しはじめる時点とは、おなじ時点にほかならない。(略)
 こうして、しるしの出現は、主体の不在あるいは死においておこなわれる。「われなきところでわれ思う、ゆえに、われ思わぬところにわれあり。」(ラカン)》
 
 坂部恵の、それ自体ひとつの論理詩ともいうべき、精妙なロジックと華麗なレトリックをもって綴られた、酒精度の高い芳醇な散文に酔いしれて、つい、長々と引用を重ねてしまいました。いそぎ、「あわい」と「よそ」の出自を明かさなければなりません。
(蛇足を加えます。坂部氏によって読み解かれた「しるし」の二つの相のうち、「著きあらわれ」としてのしるしは哥の心(クオリア)に、「主体の不在あるいは死」において出現するしるしは哥を詠出する主体(ペルソナ)に、それぞれかかわっていて、また、西田=貫之現象学の二つの問題、すなわち、クオリア(心)が詞へ生長していくプロセスとはどのようなものか、また、そもそもなぜ詞が他のペルソナに伝わるのか、にたいする回答にもなりえているのではないか。私は、そのように考えています。)
 
■さかい、あわい、あいだ、界面
 
 まず、「あわい」は、いま引いた文章のなかで、ことなりの相をもった世界、あるいは、生死往来の境位・境界・境域(さかい)として言及されていたもの、すなわち、しるしが立ち現われてくる場所のことにほかなりません。(しるしによってしるされるものである「むらさき野」とは、目に見えるかたちになった「あわい」なのかもしれません。)以下、『モデルニテ・バロック』に収められた講演録「生と死のあわい」から、坂部氏の議論を、適宜、ぬきだしてみます。
 
 あわいという言葉は、語り・語らい、はかり・はからい、というような造語法と同じで「あう」という動詞そのものを名詞化するところでできた言葉。西田哲学の根本概念である「場所」と同様、ダイナミックな動(詞)的な意味、述語的な意味を強く含んだ言葉で、英訳すると“Betweenness-Encounter”になる。この場所「あわい」を基盤にして、死せるものと生けるもの、死者と生者は、極端な場合、その位置を入れ替える。生と死が相互浸透の関係にあること、あるいは生死の可逆性という極限の場合を考えるべきで、すくなくとも過去にはひとびとはそれを考えていた。(ポール・クローデルは、「西洋の劇では何かが起こり、能では何かがやってくる」といったが、この場合やってくるのは何かといえば、死者であり、死霊であり、折口信夫のいう「まれびと」である。)
 あわいにはまた、人と人のあわいという用法があり、時間的な意味もある。日本の古い使い方では、あわいは男女のペアの場合に主として使われ、また、「潮時」というような別の日本語で表現できる質的な時間をあらわす。この、人と人のあわいは、(人と物、物と物とのあわい、Umwelt とか milleu といわれるものについても同じだが)、生と死のあわいに包み込まれる関係にある。すなわち、生と死のあわいは、他のすべてのこの世のあわいを包む超越論的場所であり、西田幾多郎のいう「超越的述語面」である。人と人との相互変身、可逆性、あるいは一体化の願望がきわまるとき、死の影もまたひときわその濃さを増す。(世にあるすべてのものが、無の場所の影となり、象徴的表現となるというのは西田の発想の基軸にある考え方であった。)
 
 脈絡のない抜粋ですが、それでも、「しるし」と「あわい」が、(著きあらわれとしてのしるし、もしくは我−汝のことなりを立ち現わしめるしるしと、そうした二重化されたあらわれやことなりが、そこにおいて立ち現われ、相互に交換可能なものとして出会う場所としてのあわいとが)、微妙なニュアンスの違いをもちながら、相互に浸透しあう関係にあることが見てとれるように思います。
 ところで、木村敏著『偶然性の精神病理』に「タイミングと自己」という論考があって、そこで木村氏は、「日本人は、時間という現象を「タイム」という客観化可能な(リアルな)「もの」として理解する以外に、タイムがアクチュアルに「タイムする」、その一瞬の微妙な動きを「タイミング」として捉える特別な感覚に古来長けていたのではないか」と書き、その「タイミング」を、「意識と無意識、個人の人称性と個人を超えた匿名性、時間と自己、時間と生命などがたがいに触れ合う界面的な次元」に位置づけています。木村氏の「自他の界面現象としてのタイミング」は、坂部氏がいう「潮時」としての「あわい」とほぼぴったり重なり合う概念ではないかと思います。いや、そもそも木村氏のいう「界面」、あるいは「あいだ」の概念が、「あわい」に通じているというべきでしょう。以下に引くのは、木村氏の論考「〈あいだ〉と言葉」(『関係としての自己』)から、「あいだ」をパースの「解釈項」に関係づけて論じた箇所です。
 
《語の意味が記号としての語そのものにアプリオリに含まれているのでなく、話し手と聞き手の相互関係という〈場〉において多様に解釈されうるという経験は、パースの三項関係の記号論を連想させる。パースは周知のように、記号とその指示対象を一対のものとする従来の二項関係とは違い、この両者にそれを媒介する「解釈」という第三項を考えた。パースによると《記号、もしくはレプリゼンタメンとは、何らかの点で、あるいは何らかの能力において、誰かに対しある何ものかを表意するものをいう。それは誰かに話しかける、つまりその人の精神のなかにそれと同等の記号、または多分もっと発展した記号を生む、それが生むそのような記号のことをわたくしは最初の記号の解釈内容と呼ぶ。その記号は何ものか、その対象を表意する》。パースに依れば、《たがいに理解できる共通の意味または解釈思想──すなわち第三項の媒介──がなければコミュニケイションは成立しない》のであって、彼はこの媒介 mediation のことを「中間性」betweenness つまりわれわれの言い方では「あいだ」とも呼んでいる。
 ただパースとわれわれとの大きな違いは、彼がこの第三項を第一項、第二項といわば同一平面上で考えていることである。したがって彼のいう解釈項は、《それ自体がまた新しい記号となってそれと対処をつなぐもう一つの解釈項を生み、それはまた新しい記号となって更に次の解釈項を生んで、……記号と対象と解釈項という三項関係が無限に生ずる》(有馬道子)ことになる。これに対してわれわれのいう〈あいだ〉は、語やその標準的な意味内容(ないし指示対象)とは位相の異なった次元にあって、それ自体がさらなる記号となることは絶対にない。むしろ、公共的・三人称的に固定された「位相差」(これをハイデガーにならって「存在論的差異」と呼んでもいい)を見失わないことこそ、現象学的精神病理学にとってはその死命を制する要務なのである。》
 
 私は、「あわい=あいだ」は、むしろ、パースの三項関係の記号論そのものを基礎づける現象学的カテゴリーのうちの第三次性に関連づけて考えるべきではないかと思います。そのように考えてこそ、木村氏がいう「位相差」、いいかえれば「しるし」と「あわい」の「存在論的差異」は保持されるからです。
 ちなみに、鷲田清一氏は、『偶然性の精神病理』の文庫解説「〈偶然性〉の思考」で、木村敏の思考を「差異の思考、〈あわい〉の思考」と名づけています。「ところで、〈偶然性〉は contingence/contingency という。con-tangere、つまり「ともに‐ふれる」ということである。そうするとこれは、偶然性と触れ(接触であり触覚である)の関係という問題、そして「ふれる」とは触れるであり振れる(気がふれるというときの、そう「こころの病」としての「ふれ」)でもあることになる。木村氏は、〈いのち〉というものを、生命一般が個々の生存へと個体化されてゆく過程で、それとそれでないものとの「界面」として現象すると考えようとしている。ちょっとこみ入った言い方をすれば、そういう界面の生成そのものを、自己表象として自己を隔てる意識の出来事と、自己触発として自己にふれてゆくより根源的な身体の出来事との緊張関係のなかで問いただそうとしている。本書の議論の向こうには、〈偶然性〉をめぐるそんな問題が広がってもいる。」
 ここで、鷲田氏がいう「いのち」が(著きあらわれとしての)「しるし」に相当し、そして、「界面」と呼ばれるものこそ、「しるし」が立ち現われる生死往来の「さかい」(境位・境界・境域)、つまり、「それ」と「それでない」ものとが出会いふれあう「あわい」にほかなりません。
 
■よそ─ふたつの世界の接点
 
 次に、「よそ」。定家の歌、たとえば、「年もへぬいのるちきりはゝつせ山おのへのかねのよそのゆふくれ」に見られる「よそ」(他所、余所、外)という歌語をめぐって、淺沼圭司氏は、「「よそ」についてあるいは定家再読」(『〈よそ〉の美学』第一テクスト)で、次のように読み解きます。
 
《上の句──年月が過ぎ去り、ながいあいだ初瀬(泊瀬)の観音に祈りつづけてきた「ちぎり」がはててしまった……、あるいは──「ちぎり(契り)」は「約束」「男女の縁」「交わり」そして「よすが」などを意味するから──、ながいあいだ祈りつづけてきた恋の成就が、いつかはと約束してくれた結びつきが、ついに実現することなくおわり、さらに祈りをつづけるよすがさえも尽きはててしまった……。》
 
《下の句では、執拗に反復される「の」が目につく──「おのへのかねのよそのゆふくれ」。「おのへ(をのへ)」は、いうまでもなく「尾(峰)の上」であり、ここでは初瀬の尾上あるいは初瀬から「よそ」に通じる峠と解することができ、「おのへのかね」はそこにある鐘、あるいはそこから鳴りひびく鐘の音ととるのが自然だろう。鐘の音はおそらく「いま、ここ」で鳴りひびいているのだろうから、「おのへのかねのよそのゆふくれ」は、鐘の音がひびきわたっている「いま、ここ」ではない時空での夕暮、そう読むことができる。そして鐘の音は、契りも、面影も、祈りも、そしてまつことさえも、すべて無に帰したことを告げるだろうから、「よそのゆふくれ」とは、契りが、面影が、祈りが、そしてまつことが、まだそれとしてありつづけていた、かつての夕暮であり、あるいは、わたくしではないひと(よそのひと)が、あのひとと出会っている夕暮にほかならないのではないか。「いま、ここ」においてすべてが消滅したとき──不在に移行したとき──、「よそ」の──不在の時空における──夕暮が、思いがけず現前に転化する。そしてこの転化は、鐘のひびきのように、一瞬の(刹那の)ものであるにちがいない──いうまでもなく、この瞬間の背後あるいは下層には、[「おもかけもわかれにかはるかねのをとにならひかなしきしのゝめのそら」の歌に詠われている]「ならい」と化したまつことの、結実のありえぬことを知りながらまちつづける「かなしきならい」の、持続しあるいは循環する時間がある。鐘のひびきはやがて消えゆき、すべてが不在化した「いま、ここ」の夕暮だけが、あるいはむしろその残照だけがある……。》
 
 以上をまとめて、「「よそ」は、たしかに「いま、ここ」にはないにしても、「いま、ここ」とまったく無縁の時空にあるのではなく、あるいは「いま、ここ」から絶対的な距離によってへだてられているのではなく、むしろそれとなんらかの──というより、きわめてちかしい──関係をたもちながらあると考えるべき」なのであって、「よそのゆふくれ」の歌では、「「よそ」は「いま、ここ」の瞬間においてあらわれる、過去において持続した時間にほかならなかった」。つまり、定家の「よそ」は、「「現前」と「不在」が戯れ、「有」と「無」が重なり合う場」のことであった。
 淺沼氏は、つづけて、「よそ」とイメージの関係、とりわけ、「パンタスマ」としての映画のイメージとの密接な関係に言及します。プラトンは『ソピステス』で、「模倣」によって制作されるもの(イメージ)を「エイコーン eikon 」(実物の大きさ、プロポーションあるいは色彩などを忠実に再現したイメージ)と「パンタスマphantasma」(実物の性質を恣意的に変化させたイメージ)に二分し、そのなかで、「エイコーン」は、実物(具体的存在)との類似関係をとおして、実物の存在的な根拠であるイデア的なものとかかわりをもちうるのにたいして、「ファンタスマ」は、実物との類似関係さえも欠き、当然イデア的なものといかなる関係ももちえないとして、全面的にその意義を否定した。淺沼氏は、そう紹介したうえで、エイコーンを絵画のイメージに、ファンタスマを映画のイメージにおきかえます。
 
《絵画の場合、かたちや色彩などの感覚的(視覚的)なもの[カンヴァス上の絵具の斑点あるいはそのかたちや色彩──引用者註]と描かれた対象[たとえばある男性の顔]とは類似的な関係にあるが、そのあいだには明確な差異──現前と不在という存在的な差異──が成立しており、二者が相互に戯れあうことはない──対象は、不在であるがままに、それとして認識されているのであり、その現前が信憑されることは、通常はない。それにたいして、映画の場合には、具体的存在における対象は不在であるにしても、その視覚的性質における対象はなお現前するのだから、対象はまさに現前するものとして見られる──感性的に認識される──ことになる。すくなくとも映画を見る意識にとっては、現前[具体的対象から機械技術的に変換(抽出、記録、再現)されたクリーン上の視覚的性質]と不在[対象そのものの視覚的性質]の差異は消滅し、二者は相互に戯れあうのだろう。
 このような絵画と映画のイメージの対比をとおして、「パンタスマ」がそれ以外のいかなるものにも根拠をもたないイメージであること、それとともに、「よそ」とかかわるイメージが「エイコーン」ではなく「パンタスマ」ととらえられるべきことが、いくぶんかあきらかになったのではないだろうか。》
 
 日常的な意識(知覚)にとってはただの白い平面にすぎないスクリーンに、映写がはじまったとたん「不在の対象をそのものとして見る(感じる)」意識、この、知覚や想像や概念作用のいずれともことなる意識のことを「パンタスマ的意識」と名づけ、さらに、ジャン・コクトーの映画『オルフェ』で、オルフェ(オルペウス)が鏡を通りぬけ、その背後のべつの世界(冥界、死の世界)にはいっていったことにふれた後で、淺沼氏は次のように総括します。
 
《「生」(現前=有)と「意識」という「この世界」にたいする、「死」(不在=無)と「無−意識」という「べつの世界」、これらふたつの世界は、あらゆる点においてことなっているにもかかわらず、オルフェやナルキッソス──無−意識的な回心をはたした意識──にとっては、そのあいだには鏡や水面の実体のない表面しかなく、ふたつの世界は、絶対的な差異と距離を失って、ほぼ直接的に接しているというべきだろう。くりかえせば、このふたつの世界の接点こそが「よそ」にほかならないのだし、だからこそそこでは、この世界からべつの世界への、あるいはべつの世界からこの世界への移行が容易にはたされるのではないだろうか。
 通常は意識のはるか下方に秘匿されている無−意識が、意識の直下まで迫り、あるいはそれと戯れるにいたった状態が、パンタスマ的な意識なのかもしれない。意識にとってパンタスムは、それとして自律し、自足する感覚的性質であり、純粋な表面にほかならないのだが、パンタスマ的意識にとっては、オルフェにとっての鏡のイメージのように、「よそ」であり、さらにその背後の世界、無−世界に通じるもの、あるいはむしろそのあらわれなのかもしれない。いまかりに、意識の世界、「現前=有」の世界を、プロティノスにならって、根源的なもの(唯一者)からの光に満たされたコスモスととらえるなら、「不在=無」の世界は、光の完全に欠如した「闇」の世界、「非−意識」の世界としてとらえられるだろう。しかし「よそ」の世界は、絶対的な「無=不在=死」の世界なのではなく、「有=現前=生」の世界にかぎりなくちかく引き寄せられ、あるいはそれと重なりさえするものであった。それはまったくの「空無」なのではなく、すべてのものが差異を失って共存するカオス的な世界であり、「昼」と「夜」のはざまの世界であり、「たそかれどき」ないしは「かはたれどき」の世界である。》
 
 生と死、現前と不在、意識と非意識、昼と夜、等々の「ふたつの世界の接点」もしくは「はざま」としての「よそ」は、二重化されたあらわれとしての「しるし」を立ち現わしめる生死往来の境としての「あわい」に通じていきます。また、「よそ」とは、そのようにして立ち現われたパンタスマ、すなわち「しるし」そのものであるといってもいいでしょう。(ただし、淺沼氏が、「よそ」の世界を、「すべてのものが差異を失って共存するカオス的な世界」と規定している点に、「ことなりの相をもった世界」において立ち現われる「しるし」との決定的な違いがあります。これは、「意識のはるか下方に秘匿されている無−意識」のさらに背後にある世界(無世界、非意識の闇)に通じている「よそ」、というより、そのような世界が(パンタスマ的)意識のうちに引き寄せられてあらわれた「よそ」と、著きあらわれとしての「しるし」との違いにほかなりません。)
 また、「よそ」には、第二の相におけるしるし、すなわち、わたしを一個の他者(ひと)としてしるしづけるもの、あるいは、人と人の「あわい」に通じていく側面があります。
 
《そして「よそ」とは、「いま、ここ」にあらわれた「他者」であり、パンタスマとは「他者」を「いま、ここ」にもたらすものなのかもしれない。そして「よそ」の体験とは、「わたくし=主体」にとって絶対的な「他者」──「わたくし=主体」の絶対的な否定であるもの──を、みずからの起源として直感すること──無−意識的に認識すること──にほかならないのだろう。「よそ」とはまた、絶対的否定態である「他者」の「世界(コスモス)」へのあらわれであり、したがってけっして「空無」なのではなく、むしろ「混沌」(カオス)というべきである──「よそ」とは、こうして実質的な、それとして直感される──無−意識的に意識される──「闇」そのものでもある。》
 
 淺沼氏の議論には、いずれ、定家を主題的に論じる際、立ちかえります。(とりわけ、その「パンタスマ=映画イメージ」論は、「しるし」から「うつし身」へと移行していく坂部氏の議論ともあいまって、定家から世阿弥へ、哥の様(体)から老体・女体・軍体(男体)の世阿弥三体へといたる回路をときあかす鍵になっていくことでしょう。)また、「しるし」「あわい」「よそ」の三者の関係、たとえば、それらを「よそ/あわい(=ふたつの世界の接点としての‘よそ’)/しるし(=パンタスマとしてあらわれた‘よそ’)」と表示し、「よろづ/人のこころ/ことのは」の貫之三体と関連づけて考えることができるかどうか、といった議論もしばらくおいて、ここでは、「よそ」が、鏡や水面やスクリーンと響き合っていることに注目しておきたい思います。というのも、鏡、水面、そして屏風(平安朝のスクリーン)は、貫之にとって、哥が詠出される特権的な場所であったからです。
(11号に続く)

★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。

Web評論誌「コーラ」10号(2010.04.15)
<哥とクオリア>第14章 しるし・あわい・よそ──ラカン三体とパース十体(破ノ壱)(中原紀生)
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