■伝導現象の二つのエレメント
前章で引いた丸山圭三郎氏の議論を参照しながら、ここで、(私がいうところの)貫之現象学の三層構造について、また、身の伝導体から詞の伝導体へというときの、その意味合いをめぐって、言葉と概念の再整理または再定義をほどこしつつ、あらためて再考しておきたいと思います。まずは、「伝導体」の意義の確認もしくは確定から。
第7章で、私は、おおよそ次のような趣旨のことを書きました。いわく、伝導[conduction]とは、帰納[induction]、演繹[deduction]、洞察[abduction]、生産[production]に次ぐ、そしてそれらを総括する推論の第五の形式である。ここでいう推論とは、単なる認識の作用にとどまるものではなく、物質世界や生物の進化、精神世界における観念の連結を含めた、森羅万象の存在者の運動全般をつかさどる理法(ロゴス)のごときものをさしている。伝導という推論(同時に、伝導という現象)は、したがって、万象の内部で稼動する存在者の運動そのものであり、そのような運動が成り立つ場のことを伝導体という。
(ここで一つ、パース由来の「アブダクション」を「洞察」と訳したことについての註。「洞観」や「洞見」でもいいのだが、本来は「洞窟的推察」とか「洞窟的【感察】」とすべきところを縮訳したもの。「洞窟的」は、夢としての貫之歌を考察した第4章でとりあげた話題、たとえば、西郷信綱著『古代人と夢』の「洞窟信仰」をめぐる議論、等々に触発されて採用したもので、伊藤邦武著『パースの宇宙論』も、その議論の急所ともいうべきところで、洞窟内の嗅覚や触覚の世界を通じて「無限に連続する質の世界である第一性の世界、偶然性の世界、潜在性の世界」をかいま見る、パースの思考実験をとりあげていた。
また、「【感察】」とは、「パース著作集(全3冊)」をとりあげた「千夜千冊 遊蕩篇」第千百八十二夜で、松岡正剛氏が、パースは感情ですらアブダクションの作用のなかに入っていると考えた、「アブダクションとは総合的な【推感編集】なのだ」と書いていることに触発されて頭に浮かんだ、「【推感】的推察」や「【推感】的省察」や「【推感】的観察」を略して造語したもの。この松岡氏の【編集工学】的考察は、古典和歌、とりわけ勅撰集の世界を考えるうえで、まことに示唆に富んでいる。いまその(思いつきの)一端を、説明も論証も抜きにして、備忘録として書きとどめておく。
古今集は【アブダクション編集工学】をつかって、もしくはパースの「連続主義(シネキズム)」にもとづく三項関係的「類似」を原理に、万象と交感しつつアブダクティブに【推感編集】された。しかし、新古今集はそうではなくて、ソシュール流の二項関係的「差異」の原理にもとづき、諸々の歌をたばねる純粋に言語的な構築物として編集された。また、パースによって「アブダクション」が「レトロダクション」(遡及的推論)といいかえられ、そして松岡氏が「パースにとっては【意識とは推論そのものなのである】」と書いていることを「合成」するならば、貫之が仮名序において歌の淵源たる「やまとうた」へと遡及し、歌の本質を「人の心」へと遡及したことは、それ自体がひとつのアブダクションだったのであり、だからこそ、歌を詠出することがひとつの「心」を創出することにつながっていったのではないか。)
またいわく、伝導体は、零次性から三次性までの四つの世界を、たとえば、零次性と一次性をつなぐ垂直の虚軸と、二次性と三次性をつなぐ水平の実軸を直交させたかたちで(もう少し精確にいえば、そのような複素数としてではなく、「a+ib+jc+kd」の四元数の構造をもつものとして)重ね合わせた構図をいう。これを「哥の伝導体」について見てみると、それは、「零次性=ヴァーチュアルな哥の〈姿〉」「一次性=アクチュアルな〈詞〉の世界」「二次性=リアルな〈物〉の世界」「三次性=イマジナリーな哥の〈心〉」という四つの異なる位相のもとにある世界が、フラクタルな相互包摂関係を孕みながら重ね描かれていくパランプセストである。
このうち「二次性=リアルな〈物〉の世界」において、(ヴァーチュアルな)クオリアから(アクチュアルな)歌詞へ、さらには個々の歌そのものへと垂直の方向に向かう「客観化=言語化」のプロセスを、それこそ目に見えるかたちで客観化していくことが、少なくとも貫之や忠岑の歌体論が担ってきた機能であった。そして、これとは逆のベクトルをもったもう一つの垂直運動、すなわち「三次性=イマジナリーな哥の〈心〉」の世界において、「詠みつつある心」を介して、(アクチュアルな)「古き詞」から(ヴァーチュアルな)「歌の姿」へ、さらには仮面=ペルソナから身体=振る舞いへと向かうプロセスが、俊成や定家にとっての歌の姿もしくは有心体その他の歌体をめぐる歌論であり、さらには世阿弥の能楽論であった。
以上、やや敷衍ないし脚色しすぎたきらいがありますが、私は、いま述べた伝導という推論(伝導という現象)について、これを表象と連鎖という二つの基本要素(エレメント)に分解することができるのではないかと考えています。ひらたくいえば、表象は、推論の対象もしくは素材を特定することであり、他方の連鎖は、それらの対象や素材が相互に関係を取り結んでいくプロセスのことです。
(強いて、貫之現象学における二つの根本問題にあてはめるならば、表象は、「言語に云い現すことのできない赤の体験」のような、語りえぬクオリアがいかにして詞に付託されるのかという問いにかかわり、連鎖は、直接に結合していない私と他人が、たとえば「心なき身」や「物狂い」の者も含めて、声や文字といった物理現象を手段としてなぜ相理解できるのかという問いにかかわる。ただし、表象と連鎖は急場しのぎの言葉遣いで、まだよくこなれていない。ソシュールかヤコブソンに倣って、「範列と連辞」や「選択と結合」と命名してもよかったかもしれない。)
表象と連鎖には、それぞれ深浅にわたる二つの相があって、まず、表象は、これを表現と表出の二つの作用に区分することができます。丸山氏の言葉を借りると、表現とは、深層の下意識における抑圧されたパトスの解放とその表層におけるロゴス化、つまり「すでに在るもの」の記号化のことで、この意味での表現にはカタルシス(浄化)が伴います。これに対して、表出とは、(表層意識はもとより、下意識や潜意識といった深層意識をも欠いた、字義どおりの)無意識の解放もしくは連続体としてのカオスの非連続化(言分け)をもたらす根源的な働き、すなわち「これまで存在しなかったもの」の創造(昇華)のことで、この意味での表出は享楽もたらします。
連鎖についても、これとパラレルな二つの区分を考えることができるでしょう。まず、表現と対になるのが、丸山氏がいうところの「等質的・同位相下の変換」や「隣接する位相間の移動」に相当するもので、いってみれば感染、あるいは水平的な伝達のプロセスのことです。また、表出と対になるのが、同様に「異レヴェル間の生成変化へと拓かれる変態」にあたるもので、狭義の伝導、あるいは垂直的な反復のプロセスのことです。
(ここでいう「反復」は、第4章で引いた『夢分析』のなかで、新宮一成氏が、「初めての夢という名に値する夢があるとしたら、それは、自己が自己の現実を言葉によって初めてとらえたときの驚きを含む夢のことである。この驚きを再現しようとすることが、我々が夢を語り合うことの最も深い動機である以上、その夢がたとえ今朝見られたのであっても、それはやはり初めての夢と呼ばれるのにふさわしいのである。」と書いている、その「初めての夢」の再現に、すなわち、一回性をもった出来事を何度でも初めて「今、ここ」で経験することに相当する。)
さて、伝導現象を構成する二つのエレメントに関して、表現と伝達の組み合わせが表層と深層(下意識)にまたがる円環運動に、表出と反復の組み合わせが深層(潜意識)と無意識にまたがる円環運動にかかわるのだとしたら、この二つの異類の運動をつなぐものはいったいなにか、また、その媒介機能はどのような機序によるのか、ということが気になってきます。
丸山氏が(主体(シュジェ)のおかれる三つの力域(アンスタンス)を示す、ラカンの「現実界(ル・レエル)/想像界(リマジネール)/象徴界(ル・サンボリック)」に対応するものとして)提示した構図、「欲動(無意識)/深層のパトス(潜意識・下意識)/表層のロゴス(表層意識)」に即していえば、「下意識」、すなわち「抑圧されて沈澱した個人の欲望の集積場であり、いわば個体発生のプロセス(くだいて言えば幼時からのさまざまな体験)においてコードからはみ出し、共同幻想化されることのなかった私的幻想」と、「潜意識」、すなわち「個体誕生以前の原体験が継承され、個体が属していた大なり小なりの集団の記憶となって堆積している場」とを連結するはたらきとはなにかということです。
(貫之の「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」の歌=夢の世界を、そこから「空」と「海」、そして海の底なる「地」という三つの界域を抽出し、それぞれ空=ロゴス、海=パトス、地=欲動とおきかえ、空(表層意識)と浅海(下意識)を区画する「水面」、深海(潜意識)と地(無意識)を区画する「水底」という、スラッシュ記号で表記される二つの界面を導入し、これらを組み合わせて表示してみると、それ(「地/海/空」)は丸山氏の構図にぴったりと重ね合わせることができる。
ところが、この歌には「波の底なる空」という、第四の界域をさししめす言葉が織りこまれている。しかし、それは実は「水面に映る空」にほかならないのであって、水底という鏡を媒介として空を見る、大岡信氏がいうところの貫之の「逆倒的な視野構成」を介して(言語的に)映現したイリュージョンにすぎない。この「波の底なる空」こそが、「影見れば」の歌=夢の世界において、下意識と潜意識を区画する第三の界面をさししめしている。
それは、伝導現象の二つのエレメントの組み合わせによる深浅二相、すなわち「表現・伝達」と「表出・反復」の中間領域にあって、この両者を分離し媒介するはたらきをもっているもので、たとえば「着床・増殖」もしくは「憑依・変性」とでも名づけることができる。では、この第三のもののはたらきとはどのようなものか。)
これらのことを考えるにあたって、中沢新一氏が(これもまた第4章でとりあげた)『狩猟と編み籠──対称性人類学U』で展開した「イメージの考古学」が、すなわち旧石器時代の洞窟壁画を構成する三つのイメージ群をめぐる議論が参考になります。
■フィギュールとしての哥、再び
中沢氏によると、洞窟壁画に描かれた三層のイメージ群のうち、第一の「抽象的なイメージ群」は「無から無へ」向かう(「美しき無の非物体」としての精霊や、素粒子のようにはかない)イメージの立ち現われに、第二の「動物や人を具象的に描いたイメージ群」は「無から有へ」向かう(生命増殖と記号生成につながっていく)垂直の運動に、第三の「具象的イメージを結合して物語性をあたえられたイメージ群」は「有から有へ」向かう(つぎつぎとメタモルフォーシスしていくダイナミックな運動性を持ち前とする神々をつくりだす)水平の運動に、それぞれ対応しています。
この洞窟壁画の三分類は、パースの「三つの新ピタゴラス学派的カテゴリー」を思わせるところがあります。イメージの第一群がパースの「第一のもの firstness」(質、偶然、潜在性、等々)に対応し、以下、第二群が「第三のもの thirdness」(普遍、媒介、総合化、等々)に、第三群が「第二のもの secondness」(個物、法則、相互作用、等々)にそれぞれ対応するといったかたちで。しかし、パースの形而上学的カテゴリー論は、一筋縄ではいかない深遠さないし錯綜を湛えていて、通りすがりの軽々な言及を許さないところがあるので、これについては、後に、ラカンの三領域論とも関連づけながらあらためて概観することとして、ここでは、中沢氏の議論から、イメージの運動をあらわす「無から無へ/無から有へ/有から有へ」という構図を借用して、先に提示しておいた問いを考えていくための手がかりを得たいと思います。
まず、「無から無へ」向う抽象的イメージ群の運動について、私はこれを、(丸山氏がいう意味での)無意識における真性の〈無〉と潜意識における現象的な“無”との円環運動をあらわすもの、つまり「〈無〉から“無”へ、そして再び〈無〉へ」と書き換えて考えたいと思います。
(ここでいう〈無〉は、永井均著『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』でいわれるところの〈絶対無〉、もしくは、永井氏が「本来は世界そのもの(西田的にいえば絶対無の場所)なのだが言語においては実体化されて個物的な指示対象を持ってしまう」というときの「私」、すなわち「変形抹消記号」(〈 〉)を使って表記される〈私〉のこと。また、“無”は、貫之現象学に関連づけるならば、カミからの純粋な贈与すなわち「哥というギフト」を、あるいはパースの用いた語彙を借用すれば、無からの「閃光 flash 」の明滅のごときもの、さらには、「われわれが現在経験する色、匂い、音、あるいはさまざまに記述される感情、愛、悲しみ、驚きは、すべて太古の昔に滅びたもろもろの質の連続体から遺された残骸であると考えざるをえない。」(『連続性の哲学』)というときの、その「残骸」にあたるものをさしている。)
そして、同様に、「無から有へ」の具象的イメージ群の運動は、潜意識における“無”と下意識における“有”を媒介する「“無”から“有”へ」に、次いで、「有から有へ」の物語性をあたえられた具象的イメージ群の運動は、表層意識における《有》と下意識における“有”との円環運動をあらわす「《有》から“有”へ、そして再び《有》へ」にそれぞれ書き換えておきます。
(ここでいう“有”は、再び貫之現象学に関連づけると、すぐ後でふれる「フィギュールとしての哥」の二つのエレメント、すなわち「こゑ」と仮名文字もしくは「てにをは」のごときものをさしている。また、《有》は、再び永井氏の議論を援用すると、「言語化された場所」における「概念化(本質化)された実存概念(「実存」という本質)」もしくは「非概念的なものという概念」をさしている。ちなみに、絶対無の場所における「端的な生[なま]の事実」もしくは「非概念的な実存」のことを〈有〉と表記することができるが、しかし、永井氏がいうように、「言語化された場所」にあっては、そのような「端的に非概念的なもの」=〈有〉と「非概念的なものという概念」=《有》の「対比そのものが概念化されてしまっている」。)
さて、そうすると、先にふれた二つの伝導現象をつなぐものはなにかという問いに対する答え(精確には、その語り方)が得られたことになります。それは、〈無〉から一瞬立ち現われる“無”を掬いとり、これを不断に“有”へともたらしつつ、けっして《有》へと概念化することのないイメージ群のはたらき、つまり「“無”から(〈無〉へ、そして再び)“無”へ/“無”から“有”へ/“有”から(《有》へ、そして再び)“有”へ」の三層の構図(ほんとうは、無限にとどくほど幾層にも積み重ねられたパランプセストのかたち)でしめすことができるイメージ群の運動のことです。
(それは、あくまで三つの層の、もしくは無限の層の重ね描きとしてはたらくものなのであって、たとえばここから「“有”から“有”へ」だけを切り出すと、すべては人為的な記号の「変換」や「移動」にすぎない「意識なき自己意識」(永井均)のロボットの世界が出現することになるだろう。さらにそこから端的な《有》だけを切り出してくると、そのような《有》の上には、おそらく私たちの社会における「現実世界」が成り立つことになるのだろう。
あるいは逆に「“無”から“無”へ」の運動だけを切り出すと、絶えざる「生成変化」と「変態」によって彩られた「自己意識なき意識」(同)の狂人の世界がひらかれるのかもしれない。さらに同様にそこから端的な〈無〉だけを切り出してくると、(精確には、それは《無》と表記するしかないものであるはずなのだが、その《無》の下には)、死物たちの「しじま」の世界がひらかれることになるのかもしれない。
それでは、「“無”から“有”へ」の運動だけを切り出してくるとどうなるのか。私はそこに、後で述べる、「有から無へ」という別のベクトルをもった運動との緊張関係を孕んだ「狭義の」貫之現象学の世界がひらかれるのではないかと考えている。)
中沢氏は、このような層状に積み重ねられた洞窟壁画のイメージ群のはたらきを、(経済的な伝達をめざすコミュニケーション行為である「ディスクール」と対立する)非コミュニケーション的な表現行為である「フィギュール」の特徴をそなえたものとしてとらえています。以下に、第4章で引用した文章を、もう一度引いておきます。(引用文に出てくる「流動的知性」とは、旧石器時代、ニューロンの接合回路の組み替えによって認知領域間の横断的な行き来が可能になった結果、根本的な「心の革命」とともに生まれた新しい知性のあり方(「認知的流動性」とも呼ばれる)をいうもの。この知性の発生によって、たとえば、アナロジー(喩、類化性能)が大きな働きをする「ホモサピエンスの言語」が可能となった、と中沢氏は語っている。)
《フィギュールは、社会的慣習によって狭い意味内容に閉じ込められていた意味表現を、自由に解き放とうとします。意味内容からの脱テリトリー化が図られるのです。そのために、フィギュールは自分の身体にたくさんの穴を穿ち(フラクタル化をおこない、と言うこともできるでしょう)、そこから固定層を突き破って横断的な力が、流動的知性が表面へ向かって浮上してくる状態をつくりだします。流動的知性は、異なる意味領域を自由に横断する能力をもっています。それはどの領域やジャンルにも所属しない、抽象的な力なのです。そしてその抽象的な力の中から、いままで存在しなかった新しい意味が立ちあらわれてくるのを、フィギュールは手助けしようとしています。お気づきのように、フィギュールと詩的であることとは、ほとんど同義なのです。》
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私は、(お気づきのように、と中沢氏の語り口を真似てみたいところですが)、このフィギュールのはたらきこそが、「狭義の」貫之現象学において、「人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」の「やまとうた」の世界(深層の伝導現象)を、「心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり」の「世の中にある人」の歌の世界(表層の伝導現象)へとつないでいくはたらき、すなわち歌を「いひいだす」ことの実質をなしているのではないかと考えているのです。
■一神教・唯物論・仏教、そして歌論
ところで、中沢氏は、旧石器の洞窟の壁面に描かれた、第一群に属する非物体的イメージがかたちづくる精霊の宗教の否定のうえに、第二群と第三群に属する「記号性や幻想性と深いつながりのある」イメージの力を源泉とする新石器型の宗教と権力の形態が生まれ、そうした物質的イメージ(ヒエログリフに刻まれた偶像の神々)の呪縛からの出エジプトを敢行したのが、「非イメージ的なことばの象徴力だけによって、自分の威力を示そう」とする神、「姿も形ももたない、ただ名前しか持たない徹底的に超越的な別の神」を志向する一神教であったと語っています。しかし、イメージの王国から逃走するためには、この「モーセのプログラム」とは逆の方向へ向かうオルタナティブな道がありました。唯物論と仏教がそれです。以下、中沢氏自身の言葉を引きます。
《古代以来の唯物論は、…イメージの第二群・第三群の働きを否定して、その奥に、運動と生成をくり返し、同一性をたえまなく解体して、多様な方向に自由に伸びていく差異の運動としてくりひろげられている、裸の現実世界を押し開いていこうとしたのです。その結果、彼らは流動的知性の存在と運動を直接的にしめしている、イメージ作用の第一群のほうに向かうことになったのです。「クリナメン」などという古代唯物論の概念が、それをよくあらわしています。「クリナメン」は原子の運動をあらわそうとした概念です。原子は同じ方向に進むことをせずに、思いもかけないところで方向転換をしたり、斜めに軌道をそれていったりしますが、それが「クリナメン」です。私たちはすでに、イメージ第一群に属するものが、心の内部空間においてまったくそれと同じ動きをすることを知っています。唯物論は「観念的イメージ群」の働きをないがしろにして、その奥からイメージ第一群に直結している「唯物論的イメージ群」を引き出すことによって、新石器型宗教の陥ったイメージの罠から、人類を抜け出させようとしました。彼らは彼らなりのやり方で、イメージの魔力からのエクソダスを敢行しようとしていました。》
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《人間の本質をつくっているのは「心」であり、しかもその「心」の本体は流動的知性のしめす無限の働きであると考えたブッダは、第二・第三のイメージ群の作用を突き破って、「心」の本体にたどりついていくやり方を生みだしました。「心」のない石や水になっていくことで、欲望の世界からのエクソダスが果たされるのではなく、流動的知性としてつくられている私たちホモサピエンスの「心」の本体を知ることによって、脱出していこうとするまったく新しい道を、ブッダは見つけ出したのです。
私たちの心を縛っているイメージ第三群の働きから自由になっていくために、それが幻影としてつくられたものであることを知るのが第一歩です。そこから進んで、世界のものごとに同一性や個体性を生みだしていくイメージ第二群の作用を解体するための、「中道を歩む」実践を積み重ねなければなりません。そして、そこから身体を使ってイメージ第一群の深い層に踏み込んでいく実践を通して、流動的知性に直接触れていくのです。》
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中沢氏の議論を使って、私なりの「理論」を構築すると、次のようになります。
まず、(洞窟壁画に描かれたイメージ群の本質をなすものとして理解された)フィギュールのはたらきを「有」の方向に超越していこうとするのが、「有からもっと有へ」(在るよりもっと在ることの方へ)向かう、私の表記でいえば、「《有》から〈有〉へ」(かけがえのない《個》から唯一の〈神〉へ)向かう一神教です。それは第二群・第三群の具象的・物質的なイメージはもとより、第一群の抽象的・光学的イメージをも否定しさり、「非イメージ的なことばの象徴力だけによって、自分の威力を示そう」とする神へいたる道ですから、そこでいわれる「ことば」は、音(声)や形(文字)といった物理現象とはいっさいのかかわりをもたず、また、その「象徴力」も、心的イメージや意味体験といったこととは無縁なものとなるでしょう。
(それは、ベンヤミンが「言語一般および人間の言語について」で述べた「創造する神の語」を、また「翻訳者の使命」でいう「純粋言語」、すなわち「みずからはもはや何も志向せず、何も表現することもなく、表現をもたない創造的な語」(『ベンヤミン・コレクション2』)を思わせる。もしくは、(屈折した経路を経て)、折口信夫が「言語情調論」で述べた「象徴言語」を、また「国文学の発生」でいう「神語(カミゴト)」を。)
この一神教とは逆向きのベクトルをもって、第一群に属する「唯物論的イメージ群」以外のすべてのイメージの働きを否定し、「無から無へ」の「裸の現実世界」を、つまり思惟を含めた万物の始原(アルケー)や元素(ストイケイア)の世界をかいま見ようとするのが唯物論です。これを私なりに表記すれば、「《有》から《無》へ」(《個物》からそれを産出する《普遍》へ)の直接的な(“有”や“無”を媒介としない)思弁が、古代の唯物論を特徴づけているということです。ここに出てくる《無》は、(単なる、日常の客観的言語における概念としてのそれではなくて)、たとえば、自分たちの哲学体系を「卵 oion」にたとえたストア派の人々が、世界の境界の外側にあるとした非物体的な「空虚」をさしています。以下、エミール・ブレイエ著『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』から、訳者・江川隆男氏の文章を引きます。
《ブランショは、アルトーについて次のように述べている(そして、これはストア派における空虚にもっとも相応しい言明でもある)。「アルトーが生について語るとき、彼が語っているのは火である。彼が空虚の名を呼ぶとき、それは、空虚の焼けつくような暑さ、生身の空間の灼熱であり、砂漠の白熱状態である」、と。これは、まさに強度という火だけを受容すると言ってもいいような、ストア派の〈空虚〉に等しいもののことである。ブレイユは、グノーシス主義のなかでこの〈空虚〉に関する教義が変質した点を語っている。「世界が形成されるこの無限な深淵を〈生ける点〉として考えるならば、想像力は世界それ自体に与えるよりも多くの実在性をこの深淵に与えることになるだろう」。この〈生ける点〉は、実は空虚という不毛な観念が最初からもっていた一つの潜在的なイマージュなのである。それは、あたかも鏡の向こう側に反映されたかのようなまったく別の実在性であり、鏡のこちら側のすべての実在性があたかもそこから生じてくるような〈卵〉、宇宙の原初的な間隔である。》
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これは、「出来事と自然哲学──非歴史性のストア主義について」と題された長編解題の第二部「非物体的マテリアリスム──自己保存のノイズ」に収められた「空虚(ケノン)──属性の実体、あるいは〈器官なき身体〉」の章から引いたものですが、この章の末尾に、江川氏は、「ストア派の人々が言う宇宙の大火、大燃焼とは、世界が強度として〈存在〉をやり直すことであり、したがって、そのとき、まさにそのときだけ空虚は〈存在〉を受け入れるのである。」と書いています。この、いかにも「ビッグバン宇宙」を思わせる記述から、また、解題の第一部「生物学的マテリアリズム──宇宙の音調性」のタイトルにもある「生物学的」な語彙(たとえば「卵」、たとえば「種子的動詞体(ロゴス・スペルマティコス)」)からの連想で、私は、(古代の自然哲学と近代、現代の自然科学がまったく素性の異なるものであることは百も承知の上で、あくまでも一神教との対比の観点から)、自然科学もまた古代唯物論と同じ道を進んでいこうとする営みなのではないかと考えています。
(自然科学が“無”と“有”の成り立ちを物語ることがあるとしても、それはあくまで《無》(理論)による《有》(現象)の説明の一環としてであって、“無”や“有”が自然科学の媒介となるわけではない。そもそも、自然科学が観察・実験・検証の対象とするのは《有》であって、“無”や“有”が科学的探究の対象となるわけではない。)
仏教もまた、一神教とは逆方向の、もう一つの異なる道を進みます。それは、フィギュールの世界に内在しつつ、その底(無)を破る方向への超越をめざす道、いいかえれば、イメージの第三群(個物)や第二群(普遍)が生み出す世界(言語的構築物)の成り立ちを知り(悟り)、そしてそれらを解体していくための「有から無へ」向かう身体技法を駆使して、イメージ第一群の世界への直接的なダイビングを敢行し、さらには「無からもっと無へ」(無いよりもっと無いことの方へ)向かって進んでいこうとするものです。私の表記法にしたがえば、「“有”から“無”へ」の(身体をつかった)実践を通じて「《有》から《無》へ」の(言語の)解体を、そして究極的には「《無》から〈無〉へ」の覚醒にいたること、それが仏教のめざす道です。
以上のことから、一神教、唯物論(自然科学)、仏教が稼動する世界の新しい構図が浮かびあがってきました。かなり複雑なものになりますが、それは「〈無〉/《無》/“無”/“有”/《有》/〈有〉」と表記することができるでしょう。(〈無〉と〈有〉、《無》と《有》、“無”と“有”の三つの対となる項が属する次元はまるで異なっている。また、いま同じ次元に属するかのように述べた両項、たとえば“無”と“有”は、けっして同一次元に属するものではない。これらのことを図示すると複雑になりすぎる。いや、そもそも図示することができない。)
この構図をつかって、中沢氏がいう新石器型の宗教・権力(“無”と“有”を自らのうちに吸収し管理する《有》によって統治された世界)からの三つの脱出経路を再整理すると、次のようになります。第一、右方の極(〈有〉)へ。精確には、この構図そのものを超越する方向へ、つまり左方の各項(《無》から《有》まで)を否定して。(この否定が不徹底だと、たとえば《有》が〈有〉を受肉することをめぐる論争、あるいは《無》と《有》の関係をめぐる普遍論争などが発生する。)第二、右方(《有》)から左方(《無》)へ。ただし、中間(“無”と“有”)を媒介とせずに。第三、左方の極(〈無〉)へ。精確には、この構図そのものを内在的に超越する方向へ、つまり中間(“有”から“無”へ)を媒介としつつ、究極的にはこれらを否定して。
このように簡略化してみると、そこに第四の道の可能性が浮上してきます。すなわち、第一の道と同じ「無から有へ」の方向性をもちつつ、第二の道と同様、この世界からの超越をめざすことはなく、そして、第三の道とともにフィギュールのはたらきを媒介とする道。それは、(一見、新石器型のイメージの王国へいたる道と同じものに見えますが、しかし、そうではなく)あくまでもフィギュールの世界のうちに内在しつつ、しかも、第三の道のように究極的にこれを否定しさることはなく、あえていうならば、第二の道とは逆の「《無》から《有》へ」のベクトルをもって、(新石器型の宗教・権力の基礎となるそれとは似て非なる)新しい《有》を造形しようとする道のことです。私は、それこそが古典和歌の世界において歌論が探究してきたものなのではないか、そしてそれは、すなわち歌論がめざす新しい《有》とは、(定家の「ことばはふるきをしたひ、心はあたらしきを求め」(近代秀歌)をもじっていえば)、「古き心」(いにしへの世界)を立ちあげる「新しき詞」のことだったのではないか、少なくとも貫之現象学においてはそうだったのではないかと考えているのです。
(先の構図の左右両端に位置する〈無〉と〈有〉は、世の始まりの時においては相等しい(仏基一元、もしくは、仏耶一元)。そして、そのような〈 〉で囲まれるもの、つまり「ある名づけえぬもの」が存在することを、永井均氏は「開闢の奇跡」と呼んだ。私は、「広義の」貫之現象学における「強い私的言語」もしくは定家論理学における「強い言語ゲーム」にあっては、そのような〈無〉や〈有〉を語ること(詠むこと)が可能になるのではないか、あるいはそのような詠出を可能にするものとして、「広義の」貫之現象学や定家論理学を論じることができるのではないかとの見通しをたてている。
そしてそれは、すなわち歌論における〈無〉や〈有〉は、第一の道が導こうとする超越的な〈有〉に対して、第二の道が《無》を対峙させたのとパラレルに、第三の道が到達しようとする超越的な〈無〉に対して、第四の道が対峙させる新しい《有》の世界のうちに、すなわち新しい「詞」の世界のうちに造形されるものなのであって、仏教の〈無〉や一神教の〈神〉とは似て非なる新しい〈無〉であり〈有〉なのではないかと考えている。しかし、そのような〈無〉や〈有〉とはいったいどのようなものか、そしてそれらを「語る(詠む)」とはいかなることになるのか、その実質と意味が私にはまだつかめてはいない。)
■物の伝導体/身の伝導体/詞の伝導体
いにしへの世界を「今、ここ」に立ちあげる新しい詞の探究。この、貫之現象学の(新しい)規定の実質について考えることを通じて、以下、この章の冒頭に掲げておいた二つの問い、すなわち、貫之現象学の三層構造とはなにか、また、身の伝導体から詞の伝導体へ向かうとはいかなる意味合いのことなのかという問いに、(さらに、できれば、「狭義の」貫之現象学が「有から無へ」の運動との緊張関係を孕んでいるとはどういうことか、そして、新しい詞の世界が生みだす新しい〈無〉や〈有〉を語る(詠む)ことを可能とする「広義の」貫之現象学とはなにかという問いに)、一応の答えを与えておきたい(もしくは、そのための手がかりを得ておきたい)と思います。
先の構図、「〈無〉/《無》/“無”/“有”/《有》/〈有〉」には、異なる原理に属する二つのものの運動(伝導)が重ね描かれていました。第一のそれは、究極的には〈無〉へと極まっていく「物」の運動、第二のそれは、究極的には〈有〉へと超出する「言語」の運動と名づけることができます。ここでいう「物」は、精神世界に対する物質的世界というときの「物質」を含み、したがって、広狭二義の共感覚の基体となるものなのですが、実はそれだけではなく、(あるいは、ややこしい話ですが、哥の伝導体で「リアルな〈物〉の世界」というときの、クオリアであり、歌詞(うたことば)でもあり、はては詠まれた歌そのものでもあるところの〈物〉とも異なる存在様式をもった)、英語でいえば‘the thing’、ドイツ語では‘das Ding’、カント哲学にいう「物自体」のあの「物」のことでもあります。もう一方の「言語」は、(後の議論につなぐための伏線として述べておくと)、ベンヤミンがいう「言語一般」、すなわち「事物の言語/人間の言語/神の言語」をさしています。
そうすると、この構図のなかから、(具体的には「物」と「言語」の二つの異類の運動(伝導)が重ね描かれる領域のなかから)、それらを媒介するはたらきとして、第三の運動が立ちあがってくることになります。その領域こそ、《無》と《有》を端点とする閉区間、つまり「“無”から“無”へ/“無”から“有”へ/“有”から“有”へ」とフィギュールが立ち騒ぐ場所のことで、そのフィギュールのはたらきを、私は、「身」の運動と名づけたいと思います。ここでいう「身(み)」とは、いわゆる「身体」と、その身体を場所として立ち現われる(共感覚=物質イメージと、井筒俊彦氏がいう「意味のカルマ」=言語イメージとがともに浸透した)「心」の二つを成分として共に含む「身=心」(もしくは、中沢氏がいう「フィギュールとしての主体」)のことです。
この「身」の運動(伝導)を通じて、「世の中にある人」が日常生活で使用する客観的な言語(永井氏が『西田幾多郎』で、「経験の主体は常に世界の内部に存在する個人であるという事実を、言語表現の基礎にあらかじめ織り込んでいる」と書いた英語的表現)をもたらすのではなく、あるいは、なにも表象せず、なにも伝達しない「非イメージ的なことばの象徴力」(純粋言語=神の言語)を志向するのでもない、言語の第三の運動のあり方(同じく永井氏が、「それ[経験の主体は常に世界の内部に存在する個人であるという事実]を織り込んでいない非人称的な日本語的表現のほうが、(他者を、排除しているという意味であれ、含み込んでいるという意味であれ)実は暗に独我論的であり、前期西田哲学もそうであるといえる。」と書いた、「純粋経験」そのものの言語表現)を、それこそ身をもって「人の世」に現出すること。それが、古代・中世の歌論、少なくとも貫之の歌論がめざしたことだったのであり、そのような第三の言語を、私は「詞」(クオリア憑きの言葉)と呼んできたのでした。
ここに、「広義の」貫之現象学を構成する三つの領域がきりひらかれることになりました。第一は、「無から無へ」の運動(伝導)が極まる「絶対無」ともいうべき界域を含む場所のことで、それを「物の伝導体」と呼ぶことができます。第二は、「無から有へ」の運動(伝導)を不断に継続するフィギュールの世界で、これは「身の伝導体」と呼ばれる場所のことです。第三は、「有から有へ」の運動(伝導)を通じて新しい「有」の世界を創造し、一方で、(「有から有へ」の運動を弛緩・停滞させる)客観的な日常言語とのあいだに、他方で、(「無から無へ/無から有へ/有から有へ」というイメージの運動そのものを超越する)純粋言語とのあいだに、それぞれ緊張を孕んだ関係をとりむすぶ詩的言語としての「詞」が稼動する領域、すなわち「詞の伝導体」のことです。
この「物の伝導体/身の伝導体/詞の伝導体」の三層構造は、かの貫之現象学のトリアス、「哥というギフト/フィギュールとしての哥/哥のパランプセスト」の下部構造に相当するものです。そして、その第三項「哥のパランプセスト」は、「ギフト/フィギュール/パランプセスト」という三層構造そのものを(より微細なレベルでは、無限にとどくほど幾層にも積み重ねられたフラクタルなフィギュールの運動=伝導を)いいあらわすと同時に、詞の伝導体をフィールドとして詠み出だされていく無数の歌の世界の存在様式をも、具体的には、(「狭義の」貫之現象学の世界とともに)俊成系譜学や定家論理学の世界のあり様をも表現しようとするものです。
■貫之現象学の二つの意義
第9章で、私は、貫之の「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」は、(俊成の「かの古今集の序にいへるがごとく、人の心を種として、よろづの言の葉となりにければ、春の花をたづね、秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、なにをかは本の心ともすべき。」について、窪田空穂氏がそう解釈したように)、「一切の自然(=よろづ)は心の生み出すところのもの(=ことのは)だ」とまで解釈することはできないけれども、そのような俊成の歌論が立ちあがってくる基本的な構図は、貫之の歌論のうちにしつらえられているのではないかと書きました。そして、貫之にとっての「やまとうた」の成立条件とは、「よろづ(物)/人のこころ(身)/ことのは(詞)」の三層構造だったのであり、これを、詞に先立つ「よろづ」の側からこれを見るか、あるいは、俊成や定家のように「ことのは」(詞の姿、もしくは詠み出だされた歌)の側からこれを見るかは、貫之がしつらえた構図のなかでの運動方向の違いに帰着するのではないかとも。
しかし、そのような議論は「広義の」貫之現象学においてこそ通用するものなのであって、「狭義」の貫之現象学では、すなわち、「やまとうた」の世界を「心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり」の「世の中にある人」の歌の世界へとつないでいくこと(歌を「いひいだす」こと)を課題とする局面においては、成り立ちません。
尼ヶ崎彬氏が『花鳥の使』で、貫之以後の歌の道の変遷について、「言葉だけを存在の拠り所とする和歌の世界」が歌人たちの前に立ち現われるにいたったというとき、精確には、「和歌の内容が、実生活という個人的文脈から切離されて自立する〈つくりもの〉となり、その言葉が、現実にありうる世界を記述することをやめて、語の衝突と交錯から独自の言語空間を構築するようになる時、現実という土壌から二重に根を断ち切られた和歌は、まさに「人の心」だけを種として、新しい花を咲かせることになる。」と書くとき、そこでいわれる「新しい花」こそ、(その実質についてはしばらく措くとして、少なくともその形式ないし語り方において)、「詞の伝導体」から生まれでる新しい《有》=「詞」が咲かせる新しい〈有〉(もしくは〈無〉)だったのであり、「広義の」貫之現象学における「詞」は、そのような〈有〉(や〈無〉)を詠むこと(純粋経験の言語化)それ自体を可能とする場所を創造していく、「強い私的言語」としての力をもっています。(精確には、そういう力をもったものとして、貫之歌論を論じることが可能なのではないかと私は考えている。)
これに対して、「“無”から“有”へ」のフィギュールのはたらきのうちに内在する「狭義の」貫之現象学の世界にあっては、そこからの超出をはかること、いいかえれば、「物の伝導体」(「あめつちのひらけはじまりける時」へと連続する共感覚=クオリアの宇宙)に根ざしつつ、「身の伝導体」から「詞の伝導体」への、(富士谷御杖の「なぐさめむとする心」のはたらき(「表現」によるカタルシス)に即していえば、「ひたぶる心の屈折」の理論から「ことばの屈折」の理論への)、垂直方向の移動を成し遂げることが課題なのであって、そこでは、すでに達成された「詞」の上にたち、仏教思想との格闘のすえ「《有》から《無》へ」(「歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、なにをかは本の心ともすべき」)の歌論をうちたて、「いにしへよりこのかたのうたのすがた」の潜在的な系譜を探究した俊成と、そしてまた、そのような俊成歌論の上にたって、「〈有〉から〈無〉へ」(「あめつちもあはれ知るとはいにしへの誰がいつはりぞ敷島の道」)の歌論をうちたて、「古き詞」に「新しき心」(ペルソナ)をふきこんだ定家とも、およそ相並びたつことのできない緊張を孕んだ関係をきりむすぶことになるのはみやすい道理でしょう。
私は、後に、(後に、とは、いま取り組んでいる歌体論をめぐる考察を終えることができたあかつきには、ということですが)、貫之現象学における「フィギュールとしての哥」の問題をめぐって、「こゑ」と仮名文字もしくは「てにをは」によるランガージュのはたらきがもたらすもの、たとえば、アナグラムとしてのアンソロジー、〈哥〉の論理としてのパレオロジックや文法(様相、時制、人称)の生成、「感情(世界の相貌)」と「今」と「ここ」と「私」にかかわる私的言語論、等々へと議論を展開していくことを目論んでいるのですが、しかし、その前に、当面の作業に決着をつけておかねばなりません。
(「千代経たる松にはあれど古の声の寒さはかはらざりけり」の歌に立ち現われた、朽ちかけた松の姿としての仮名文字と、その松を騒がせる風の音=声。これら二つのフィギュールのはたらきを介して、「いにしへ」の世界が立ちあがる。それは、フィクショナルな歌物語の世界であり、同時にインメモリアルなカミの世界でもあった。──仮名文字と音=声。この、「狭義の」貫之現象学、すなわち「フィギュールとしての哥」を構成する二つのエレメントをめぐって、後の作業の準備のため、ここで二つの素材を蒐集しておく。二つの素材とは、中島敦の「文字の精霊」と九鬼周造の「偶然性の音」である。
中島敦は「文字禍」で、「文字に霊ありや無しや」を研究するため、アシュル・バニ・アパル大王に召された巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバの体験を語っている。彼は、ただ一つの文字(粘土の板に硬筆をもって彫りつけられた、複雑な楔形の符号)を凝視し静観することで、この「未知の精霊」をめぐる真実を見出そうとした。すると、「その中に、おかしな事が起った。一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。老儒ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、驚いた。今まで七十年の間当然と思って看過していたことが、決して当然でも必然でもない。彼は眼から鱗の落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここまで思い到った時、老博士は躊躇なく、文字の霊の存在を認めた。魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が、人間ではないように、一つの霊がこれを統べるのでなくて、どうして単なる線の集合が、音と意味とを有つことが出来ようか。」
九鬼周造は「音と匂──偶然性の音と可能性の匂」で、鎌倉八幡宮の庭の蓮の花の開く音をきき、玉川の河原で月見草の花の開く音に耳を傾けた「夢のような昔の夢のような思出」を語り、「ほのかな音への憧憬は今の私からも去らない。私は今は偶然性の誕生の音を聞こうとしている。」「偶然性は驚異をそそる。」と書き、さらに、白粉の匂の不可抗的な魅惑や女の香水へのあくがれの「すべてが過去に沈んでしまった」今、庭の木犀の匂を書斎の窓でただひとり嗅ぎながら、「そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生まれたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。」と書いている。
また、九鬼は「日本詩の押韻」で、ヴァレリーが詩を「言語のシャンス(偶然)の純粋な体系」であるとし、また押韻の有する「哲学的の美」を説いたことを引き、「いはゆる偶然に対して一種の哲学的驚異を感じ得ない者は、押韻の美を味得することは出来ないであらう。」と書き、『偶然性の問題』では、ヴァレリーが「語と語との間の音韻上の一致」を「双子の微笑」にたとえたことにもふれ、「偶然性を音と音の目くばせ、言葉と言葉との行きずりとして詩の形式の中へ取入れることは、生の鼓動を詩に象徴化することを意味してゐる。」と書いている。
そして、この二つの論稿で、ともに言霊信仰に言及している。『偶然性の問題』では、「さうして「言霊」の信仰の中に滞在してゐる偶然性の意義を果無い壊れ易い芸術形式として現勢化することは詩の力のゆたかさを語つてゐなければならない。」と。「日本詩の押韻」では、富士谷御杖を引用して、「押韻は音響上の遊戯だから無価値だと断定するのは余りに浅い見方である。我々はむしろ祝詞や宣命の時代における「言霊」の信仰を評価し得なくてはならない。富士谷御杖も「言霊の弁」に『言霊の妙用人の心の力の及びにあらぬ』ことを説き『すべて物二つうちあふはずみに自らなり出づるものは、かならず活きて不則の妙用をなすものなり』と云つてゐる。」と。)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。兵庫県在住。千年も昔に書かれた和歌の意味が理解できるのはすごいことだ。でも、本当に「理解」できているのか。そこに「意味」などあるのか。そもそも言葉を使って何かを伝達することそのものが不思議な現象だと思う。
Web評論誌「コーラ」08号(2009.08.15)
<哥とクオリア>第11章 貫之現象学の課題(中原紀生)
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