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Web評論誌「コーラ」
23号(2014/08/15)

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科学に対する迷信
 化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。宇宙は怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。(寺田寅彦「化け物の進化」『寺田寅彦随筆集第二巻』岩波文庫)
 ちょうど去年の今ごろ(7月中旬)、テレビ番組の制作会社の人から電話がかかってきて取材を申し込まれた。逗子の通称「お化けトンネル」について話を聞きたいとのことだった。
 逗子のお化けトンネルに行ったのは、もう十数年も前のことになるが、今は亡き旧友とその元夫氏とともに現地を訪れて、地元の方からいろいろなお話をうかがった。その時のことは拙著『東京怪談ディテクション』(1998、現在絶版)に「徹底検証・逗子のお化けトンネル」と題して書いておいた。私淑していた故・宮田登先生が遺著となった『都市空間の怪異』(角川書店)でその記事をほめてくださったのも秘かに誇りとするところだ。そんなわけで、私にとっては思い出深い場所である。
 記事に書かなかった裏話でも話せばよいのだろうと気楽な気持ちで都内某所の喫茶店でディレクターのF氏と面談することになった。会ってみると、ディレクター氏はずいぶん前に出した前掲拙著もていねいに読んでくれていて、「広坂さんはお化けトンネル検証の第一人者です」とおだてる。
 私はたまたま「逗子のお化けトンネル」に興味をいだいて現地に足を運んだだけで、日本各地に50だか60だかあるというお化けトンネルをすべて調べたわけではないし、そもそもお化けが出なければトンネル自体には何の関心もないのである。だから「いやいや、もっと詳しく調べている方がいると思いますよ」と言ってもディレクター氏はひかない。
「実はこちらでも独自に調査・取材してみたのですが」と現地の詳細な地図や古い週刊誌の記事などの資料を取り出した。見て驚いた。私よりよほど丁寧に調べている。「いやすごい、Fさんこそ第一人者ですよ」と逆襲したつもりだったのだが、ディレクター氏もさるもの、「調べた結果、すべて広坂さんの仮説どおりでした」とさらにおだてあげる。ついては広坂の記事をもとに番組を組み立てるので現場取材に同行してくれないかという話になった。すっかりおだてあげられた後だったし、現場に連れて行ってくれるというのにも魅力を感じて、お調子者の私はホイホイと承知してしまったのだった。
 しかし、ディレクター氏がつくろうとしている番組は超常現象を科学的に解明するという企画だと聞いて私は少しとまどった。
「でも、幽霊はカメラに映りませんよ。映ったらそれは物理現象であって霊ではなかったことになりますし…」
ディレクター氏はそれでいいのだと言う。
「もちろん幽霊を撮影できたらそれはそれでスクープですが、この番組は超常現象を科学的に解明するという趣旨の企画なので、体験談の再現映像は役者さんを使って別撮りします。広坂さんには現場検証の結果を証言してもらえれば結構です」
 番組をどう作るかはディレクター氏らの仕事であって、役者を使おうが特撮をしようが、それはかまわないのだが、「科学的に解明」という言葉が幽霊の不在を科学で立証しようという意味だと遅ればせながらも気がついて私のとまどいは深まった。幽霊の実在を科学で立証しようとする「心霊科学」はまさに「愚者の楽園」だが、その逆も危うい。寺田寅彦の「科学に対する迷信」という言葉を思い出した。
皮相的科学教育が普及した結果として、あらゆる化け物どもは箱根はもちろん日本の国境から追放された。あらゆる化け物に関する貴重な「事実」をすべて迷信という言葉で抹殺する事がすなわち科学の目的であり、手がらででもあるかのような誤解を生ずるようになった。これこそ「科学に対する迷信」でなくて何であろう。(寺田寅彦「化け物の進化」『寺田寅彦随筆集第二巻』岩波文庫)
 たとえばブロッケン現象のような、幽霊や妖怪の仕業だと思われていた現象が何かほかの珍しい自然現象であるなら、それを解明するのは確かに科学の仕事である。しかし、その珍しい自然現象を幽霊や妖怪の仕業と誤認していたのは人間の側であって、幽霊や妖怪にはなんの責任もない。幽霊の正体見たり枯れ尾花とよく言うが、ススキの穂は幽霊の正体なのではなく、ススキの穂を幽霊だと思い込んでいた人の錯覚の正体なのである。したがってススキの穂をいくら研究しても植物学の勉強にはなるかもしれないが、心霊学的には何の意味もないのである。
 
千里眼はレントゲン写真ではない
 前回(心霊現象の解釈学5「生きている女の幻と心霊研究」)で、アンリ・ベルクソンの英国心霊研究協会(SPR)会長就任講演「生きている人の幻と心霊研究」(原章二訳『精神のエネルギー』平凡社ライブラリー所収)を引いて、ベルクソンが心霊現象について自然科学の研究対象と原則的に同じ性格を持つと考えていたこと。にもかかわらず、自然科学者がこれを無視、または否定するのは、現実の心霊研究の方法がいわゆる科学的方法ではなく「歴史家の方法と予審判事の方法との中間にあるもの」「歴史的批評的な方法」によってなされているからだという主張を紹介した。
 心霊現象が自然現象と同じ性格を持つとはどういうことか。これには二つの側面があって、大げさに言えば一方には科学論的、他方には形而上学的含意がある。後者はベルクソン哲学の特徴に深く関わるテーマなのだが、それを論じるためには『物資と記憶』や『創造的進化』を検討しなくてはならず、とてもではないが筆者の手に負えない。興味のある方は守永直幹『未知なるものへの生成──ベルクソン生命哲学』(春秋社)をご覧いただくことにして、本稿では前者の方だけを取り上げる。
 しばらく前に、ナントカ細胞を発見したという論文の信ぴょう性が疑問視される騒動があったが、自然科学というものは、同じ条件・同じ手順で実験すれば、誰がやっても同じ結果が観察されることが求められる。実験者のやる気やファッションなんかが影響してはならないのである。
 おそらくベルクソンが言いたいのは、心霊現象も、それが事実であるならば、自然科学の場合と同様、同じ条件のもとでなら同じ現象が観察されなければならないということなのだろう。しかし、これは心霊学にとってかなり高いハードルだ。ベルクソンが例に挙げていたのはテレパシーとか千里眼とも呼ばれる現象である。ある人の幻視が事実に一致した場合ということなのだが、それをいかにして確認するのかが問題となる。
 幻視というのは、見えている対象が目の前にないから幻視なのである。視ている人が「ホラ、あれ」と指さしても第三者にはそこには何も見えない。もし見えたら、それは幻視ではなく、そこに何かがあっただけの話だ。つまり第三者には幻視者が何を視ているかは確かめるすべがない。
 そこで工夫されたのが、実験者は知っているが被験者は知らない何かを用意して被験者からは見えないところに置き、それが被験者に見えるかどうかを確認するという実験である。日本でも福来友吉がこれを行なったことは周知のとおり。けれども、こうした実験にいったいどんな意味があるのか、私には疑問である。
 福来友吉の千里眼事件について調べた研究に一柳廣孝『<こっくりさん>と<千里眼>』(講談社)がある。一柳氏によれば、福来らは千里眼をエックス線写真との類比でとらえていたふしがあるという。だから実験も、あたかもカメラの機能を検査するような仕方で行なわれた。
 けれども、千里眼で「視える」とはエックス線写真や赤外線カメラなどの特殊なカメラで肉眼では見えない対象を撮影するようなものなのだろうか。カメラをレーダーほかの探知機に置き換えてもよい。例えば、音波を使った魚群探知機が海中の魚の群れをとらえる仕組みとベテランの漁師の勘とを比較してみればよくわかる。魚群探知機は海中に超音波を発射して、その反射をとらえることで海中の様子を探る。漁師の勘とは、長年の経験と、その日の海の様子、天候の推移などから総合的に判断したものだろうから、「見える」というより「わかる」に近い。だから、漁師の勘を魚群探知機の性能を検査するようなしかたで調べても意味がない。
 千里眼とは字面からして視力の比喩で語られてきたため、近代になってカメラやエックス線写真が発明されるや、それらとの対比で考えようとした気持ちはわからなくもないが、千里眼を肯定する側も否定する側も同様に、心霊現象の特質をとらえそこなっていると言わざるをえない。はっきり言えば見当違いだったのである。
 ベルクソンが取り上げた事例で、体験者がどのような状態で幻を見たのかはよくわからないが、ある人の個人的な体験を第三者が検証するとしたら、それこそテレパシーによって伝えられでもしない限り、第三者がそれをありのままに追体験することはできない。結局、心霊現象と呼ばれるものがいかなる体験であったかを探究するには、「歴史家の方法と予審判事の方法との中間にあるもの」、「歴史的批評的な方法」によるほかないのではないかというのが、前回表明した私の意見である。
 
心霊学的態度
 逗子のお化けトンネルについて私がした検証というのは自然科学的な方法によるものではなく、まさに「歴史的批評的な方法」であった。当時手近にあった心霊実話ものを読み漁って、いわゆる心霊スポットごとにそこで何が起きたのかの一覧表を作ってみたのである。そうしたら逗子のお化けトンネルで奇妙なことが起きているのに気づいた。
 このトンネルについてよく語られる恐怖体験は、自動車でトンネルを通りぬけるとき上から何か落ちてくるというものだった。このタイプの話の原型となったタレント・キャシー中島の体験談では、フロントガラスに落ちて手のひらのような形に広がった液状のものと、自動車の天井に落ちてきたものと、二回のショックがあったことになっている。落ちてくる何かは、語り手によっては血の塊だったり、バラバラ死体だったりとバリエーションがあるのだが、それは別に何でもよろしい。問題は、トンネルの内部なのに上から何かが落ちてくるのが不思議だということなのである。
 ところがこのトンネルには以前からもう一つ別のタイプの、より古い怪談が伝わっていて、これも川端康成が小説のネタに使ったほどよく知られていた。どんな話かというと、夜、タクシーがこのトンネルにさしかかったところで若い女の客を乗せたがトンネルを抜けると乗っていたはずの女が消えていた、とか、途中で車を停めたわけではないのに知らぬ間に後部座席に若い女が乗っていたなどというもの。いわゆる「消える乗客」とか「タクシー幽霊」とか呼ばれているタイプの妖怪である。
 この二つを見比べて、どうも変だなと感じたのであった。片や走行中の自動車の上に飛び降りるアクティブなやつ、片やタクシーに黙って乗ったり降りたりする物静かな女。どちらもやっていることから見て幽霊ではなく狐狸妖怪のたぐいに違いないが、同一人物のやることとは思えない。内気な少女があるとき本当の自分に目覚めてヒャッホーとか言いながら車に飛び乗るようになるのは思春期にありがちかもしれないが、それは人間の場合であって、妖怪というものは行動パターンをかたくなに守るものである。
 そこで、トンネルの怪異がタクシー幽霊から自動車の天井に落ちてくるものに変わったのには何か事情があるのではないかと考えた。現場の状況を確かめてみたくなり、旧友夫妻に頼んで車を出してもらったのだった。
 このように私の思考法は自然科学とは縁もゆかりもない。方法的に幽霊や妖怪の実在を前提にして考える。通俗科学的態度をカッコに入れて怪異体験の意味を考えてみる。これを何と呼べばよいのか名案もないままに「心霊学」という言葉をあえて使っている。逗子のお化けトンネル場合も、怪異の主体がもし妖怪だとしたら行動パターンがあまりに違うのでこれは奇妙なことだと感じ、同じ妖怪のやることではあるまいと見当をつけたのである。
 
「超自然の坂道はこの上なく滑りやすい」
 1882年、功利主義倫理学者シジウィックらによって創設された英国心霊研究協会(SPR)は科学的方法論にもとづいて調査することをモットーとした。彼らは精力的に活動した。その結果、当時流行した降霊会のトリックを次々に暴きだす結果となり、同協会は早い時期から調査の重点を幽霊屋敷や降霊会でのご託宣からテレパシー現象に移すようになっていた。その成果はSPR創立メンバーであるガーニー、マイヤース、ポドモアによって『生者の幻像』(1886)として刊行された(オッペンハイム『英国心霊主義の抬頭』工作舎)。ベルクソンの講演タイトルもこれに引っかけたものである。
 ベルクソンは遺言で、生前自らが公刊した著作以外の文章を出版することを禁じたが、最近では講義録や書簡集などが公刊されて日本語訳も出ている。もっともそれらを読んでも驚愕の真相やとっておきの裏話はでてこない。しかし、『ベルクソン書簡集T』(法政大学出版局)に収録されている1913年10月9日付のミュラ伯爵夫人宛の手紙は、ベルクソンと心霊学との関係を知るうえでよい補強材料になる。
 親愛なる奥様(―中略―)
 私が「心霊現象研究協会」で発表した見解に同意してくださったと聞き、うれしく思っております。私は近代科学が辿った道のりは、それが必然的に辿るべきものであったと考えています。近代科学は、計量や計算によって接近することのできる側面のみを考慮することによって、重要な成果を引き出しただけではありません。それは、我々に正確さと緻密さを重要視する習慣を与えたのであり、他の方法によってそれを得ることは不可能でした。(―中略―)しかしまさに機械論的科学は、計量され計算されるもののみを拾ってきたがために途中で多くのものをとりこぼし、それゆえ今日の我々の使命は、それらを取り上げることにあるのです。このようなわけで私は、超自然の坂道はこの上なく滑りやすいものですから、細心の注意、あるいはいくばくかの懐疑さえもが必要であると認識しつつも、「心霊的科学」の未来を信じています。間断ない――まったく驚嘆すべき――三〇年間もの研究をもってしても、私の考えでは、「心霊現象研究協会」は「テレパシー」についての高度な真実らしさを堅固に打ち立てることがまったくできずにいます。それは彼らが期待したものよりはずっと少ない結果なのですが、しかし私が可能であると思ったよりはずっと大きな成果です。彼らはこの新しい土台に建造できるという可能性を示したのですから、結果は重大なものです。(文中「心霊現象研究協会」とあるのはSPRのこと・引用者)
 この手紙からは、ベルクソンが近代科学(近代自然科学)の特徴を数値化(計量や計算)とそれによる正確さ、機械論的モデルに見出していたこと、そしてその限りでは近代科学の発展を必然と考え、その成果を積極的に承認していたことがわかる。
 一方で、近代科学は数値化されないものや機械論的モデルにあてはまらない現象については取りこぼしてきたとベルクソンは指摘する。それはたまたま科学者たちの興味を引かなかったからではなく、近代科学の本性からしてその探究には向かないからである。そこで、数値化されないもの、機械論的モデルにあてはまらない現象こそ「心霊的科学」の領域ということになる。そうした近代科学が取りこぼしてきたテーマを取り上げるものとしてベルクソンは「心霊的科学」に期待を寄せた。
 もっともベルクソンの期待は実にささやかなもので、英国心霊研究協会のテレパシー研究についても「高度な真実らしさを堅固に打ち立てることがまったくできずにいます」と手厳しい。それでもベルクソンが「可能であると思ったよりはずっと大きな成果」だというのは、それが検討に値する経験的事実であることを示すことができただけでも十分だったということだろう。
 この点でベルクソンの立場は、「宇宙は怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである」と言い、「科学教育はやはり昔の化け物教育のごとくすべきものではないか。(中略)自然の不思議への憧憬を吹き込む事が第一義ではあるまいか」という寺田寅彦の怪異論(寺田、前掲書)に近いようにも見える。
 しかし、ベルクソンは通常の科学啓蒙家ではない。テレパシーが現実に経験される現象であるなら、「人間の心的活動が脳の活動を越えていること」になり、「身体と精神とが切り離しがたく結びついていると考える理由はどこにもないということ」になる。ここからベルクソンは肉体の死後も魂が生き残る可能性を引き出す。だから、『生者の幻像』が多くの超常体験談を洗いなおして、そのなかから事実らしく思われるテレパシー現象を拾い出しただけでも「可能であると思ったよりはずっと大きな成果」だと評価するのだ。ベルクソンにとってはそれで十分だったのである。
 ベルクソンは超自然の坂道で滑ったのだろうか? もしベルクソンがテレパシーや死後の霊魂の有無について自然科学によって解明されると考えていたなら、足を滑らせて愚者の楽園に転落したと言えるだろうが、実際に彼がしたことは「心霊的科学」のハードルを無茶なくらいに上げ、われわれの経験のなかには自然科学による検証が不可能な領域があることを指摘しただけなのである。
 
「検証!魔のトンネル伝説」
 超常現象を科学的に解明するという企画趣旨に一抹の不安をおぼえながらも、おそらく一生に一度のテレビ出演の機会に浮かれた私は、昨年の7月22日、番組制作会社の人たちに連れられて十数年ぶりに逗子のお化けトンネルを訪ねた。
 お化けトンネルというと一本の長いトンネルだと思われがちだが、実際には近接する三本のトンネルの総称である。一本目のトンネルが川端の書いたタクシー幽霊の怪談の舞台で、その後、二本目のトンネルが開通して、山の向こうにあった三本目のトンネルに入る道とつながって現在のかたちになった。そして一本目のトンネルと二本目のトンネルのあいだ、二本目と三本目のあいだの距離は短く、トンネルが三本あるというより、長いトンネルの途中に二か所、裂け目があるような印象だ。しかもオープンカーでない限り走行中の乗用車内からは上の方はあまり見えない。夜になればなおさら気づきにくい。
 かつてこの場所で、久しぶりの遠出にはしゃいでいた旧友の幻影がちらつくのに悩まされながらも、私はカメラに向かって懸命に自説をしゃべった。暑かったし、見かけによらず人見知りなうえ、テレビカメラに向かって話すのには慣れていないしで、しどろもどろになりながらだったけれども、話すだけのことは話したつもりである。その時の映像を中心にして編集された内容は『幻解!超常ファイル「検証!魔のトンネル伝説」』というタイトルの番組として、国営放送で放映された(再放送はたぶんないと思う―ー★編集部註:2014年8月15日午前3時5分よりNHKにおいて再放送された)。
 うちにはテレビがないので、後日、知人に録画してもらったDVDを視たのだが、やっぱりねとため息をついた。撮らないでと頼んだのにたるんだ腹や薄くなった頭頂部が映っていたからではない。
 収録にはほぼ丸一日かかったのに私の登場する時間はほんの数分だから当たり前と言えばそれまでだが、話したことの九割方はカットされていて、ただ、キャシー中島らを驚かせた、トンネルのなかで自動車の上に落ちてくるものとは、自動車がトンネルとトンネルの継ぎ目を通過した時に落ちてきた水滴や石である可能性もあると指摘したところだけがクローズアップされていたからだ。
 これではまるで私が心霊現象とは自然現象の誤認・錯覚であると主張しているようではないか。
 もっとも、それは確かに私の意見の一部ではある。一般論としても心霊現象として語られる体験談には、よく調べてみると自然現象の誤認も多く含まれていることは広く知られている。また、このお化けトンネルについては前掲拙著でも強くそれを示唆した。けれども、怪異体験談のすべてが自然現象の誤認ではないし、仮にある怪異体験の原因に自然現象がかかわっていたとしてもそれを不思議だと感じる条件があれば、そこに怪異はあったということになる。
 たとえば、天狗の礫という怪異がある。どこかから石が飛んでくることを言う。突風にあおられて、あるいは高いところから転がり落ちた石に弾みがついて、思いもよらぬ方角から飛んでくるというような自然現象かもしれないし、誰かが投げつけたのかもしれないが、いずれにせよ石という物理的な実体のある現象である。それでもこれを不思議だと感じる人がいて、古人はそれに天狗の礫という名を付けた。
 もう一つ例を挙げよう。木霊という妖怪がいた。現在ではそれは山の斜面に反響した音声だということになっている。ほとんどの場合はそうであるだろう。だが、多くの木霊現象のなかには物理的な反響ではなく、誰かが言葉を返したケースだって含まれているに違いない。古人はそれも含めて木霊と名付けた。
 その上、石を投げつけ、人の声に返事をする何者かが、人間ではない可能性も排除しきれない。怪異についての世間で科学的とされる説明とは、単に幽霊や妖怪を前提としない説明であるにすぎない。
 同様に、キャシー中島一行の乗った乗用車に落ちてきた何かは、仮にそれが物理的実体のあるものだとして、自然に落ちた水滴や石だったかもしれないし、誰かいたずら者が投げ落としたものだったかもしれない。実際、この場所でマネキン人形が投げ落とされるといういたずらもあったそうである。自然的か人為的かにかかわらず、そうした物理的な現象だったとしても、なぜキャシー中島らを驚かせるようなタイミングで落ちてきたのか。それはやはり怪異というほかはないし、とても驚いたし怖かったのだということも本当だろうと思う。私はそうした体験上の事実を否定しようとは毛ほども考えていない。
 そもそも、地理的環境の変化によって、テレビタレントが語りだした新しいタイプの恐怖が、ノーベル賞作家の怪談を駆逐したというのは、それ自体なかなか面白いことではないか。
 
精神の科学へ
 ところで、「生きている人の幻と心霊研究」で取り上げられた千里眼現象はあくまでも伝聞であって、ベルクソン自身「あなたの聞かれた話が信用できるものかどうか、私は知りません。そのご婦人が遠いところで展開された場面を正確に見られたかどうかも、私は存じません。しかし、もしその点が証明されるならば」(原章二訳、平凡社)と、条件を付けている。つまり、そのケースが事実であったかどうかについては、ベルクソンは保留したまま、ただ頭から否定する医学者のロジックの穴をついて見せたのであった。
 それでは、事実あった思われる怪異体験についてはどうだろうか。ベルクソン自身がその体験が事実であることを認めて自著に引いている怪異談は、最後の主著『道徳と宗教の二源泉』にでてくる。白水社旧全集版の中村雄二郎訳から引く。
 かつてわれわれは、「心霊学」によって蒐集された観察のなかから、次の事実に注目したことがあった。ある婦人があるホテルの上の方の階にいた。彼女は下に降りたいと思って、階段の踊り場に赴いた。エレベーターの箱を閉めるための柵がちょうど開いていた。この柵は、エレベーターがその階にとまった場合にしか開かないはずであったから、彼女は当然エレベーターがそこに来ているものと信じ、それに乗ろうと突進した。突然彼女はうしろにつきとばされるのを感じた。つまりエレベーターを運転する係の男が現われきて、彼女を踊り場に押しもどしていたのである。その瞬間、彼女は放心から立ちかえった。そこには男もエレベーターも来ていなかったことを確認して、彼女は茫然とした。装置が故障していたので、エレベーターは下の方にとまっていたのに、柵は彼女のいた階で開くようなことがありえたのであった。彼女はなにもないところへ突進しようとしていたのであった。つまり、奇跡的な幻覚が彼女の生命を救ったのであった。
 これが英国心霊研究協会会長も務めたベルクソンお墨付きの心霊体験談である。おそらく心霊研究協会によってこの事例に虚偽や思い違いが含まれていないかどうかは、それこそ歴史的批評的な方法によって精査されているに違いない。
 それではこのご婦人を救った奇跡的な幻は何だったのだろうか。守護霊か?それともテレパシーによる生者の幻像だろうか? ベルクソンは次のように解釈している。
この奇跡が容易に説明されることは言うまでもなかろう。この婦人は事実に基づいて正しく推理していた。なぜなら、柵は事実開かれていたのだし、したがってエレベーターはその階に来ていなければならなかった。ただ、なかが空っぽなことが知覚されていたら、まちがいを免れていたであろうが、正しい推理にひきつづく行為がすでに始まっていたので、この知覚も遅すぎたのであろう。そこで、推理する人格の下にある夢遊病的な、本能的人格が出現したのであった。この人格が危険をみとめた。ただちに行動せねばならぬ。瞬間的に、この人格は彼女の身体をうしろに投げとばし、と同時に、幻覚的な虚構の人格を現出させたのである。そして、こうした知覚こそが、外見的には正当でないこの運動をなによりも生じさせ、説明するものであった。
 これは人間が虚構を作り出す能力(仮構機能)をもっているのはなぜかを説明する文脈で引き合いに出された事例なので、ベルクソンも怪異体験談のすべてを心理現象として解釈していたわけではないと思うが、それにしても死後の霊魂の存在を説いていた人にしては何と常識的なことかと驚く人もいるのではなかろうか。
 実は『道徳と宗教の二源泉』における怪異体験についてのベルクソンの心理的解釈は「生きている人の幻と心霊研究」に伏線があった。この講演の最後でベルクソンは心霊研究の将来について心理学をベースにした構想を語っている。そして、数学的思考によって近代自然科学にもたらされた「単に可能か蓋然的なものと確実なものとを区別する習慣」をもって「心理的現実というほとんど未開拓の領域」に挑めば「精神の科学は、私たちのあらゆる期待を越えた成果を与えてくれることでしょう」と結んでいる。これがベルクソンの期待した「心霊的科学」なのである。
 さらに付け加えておけば、「生きている人の幻と心霊研究」が収録されている論集『精神のエネルギー』には「夢」と題された講演録が掲載されていて、その終わりでベルクソンは、次のように夢の研究についての期待を述べた。
それは無意識的な記憶の構造と機能を研究するためばかりでなく、さらに「心霊研究」に属するもっと神秘的な現象を探るためでもあります。私はあえてこの領域に入っていこうとは思いませんが、しかし心霊研究協会のたゆまぬ熱意によって収集されたさまざまな観察事例に何らかの重要性を付与しないわけではありません。(ベルクソン『精神のエネルギー』平凡社)
 この発言にはベルクソン自身による注がついていて、「フロイト学派が多くの研究を捧げている抑圧について、ここで語るべきだろう。この講演がなされたときフロイトの夢に関する著作は出ていたが、「精神分析」は現在のように発展してはいなかった」とある。これを考え合わせると、ベルクソンの期待した「心霊的科学」、数値化されない「心理的現実というほとんど未開拓の領域」に挑む「精神の科学」のイメージはかなり具体的になるのではなかろうか。
 

★プロフィール★ 広坂朋信(ひろさか・とものぶ)1963年、東京生れ。編集者・ライター。著書に『実録四谷怪談 現代語訳『四ッ谷雑談集』』、『東京怪談ディテクション』、『怪談の解釈学』など。ブログ「恐妻家の献立表」
 

Web評論誌「コーラ」23号(2014.08.15)
<心霊現象の解釈学>第6回:心霊科学のトンネル(広坂朋信)
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