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Web評論誌「コーラ」
17号(2012/08/15)

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記憶遺産

 
 2011年5月、ユネスコの「世界記録遺産」に登録された山本作兵衛の筑豊炭鉱画は、地下労働者の生活がリアルに描かれた貴重な生活記録であった。記録遺産とは、人々の営みを記録した歴史的な文章の保存を目的として1992年にはじまり、アンネの日記など76ケ国190件以上が登録されている。
 炭坑産業の記録は、政府の公文書や企業の記録として残っている。何しろ「石炭なくしては国家の発展はなく、文化の興隆はありません」などと言った国家エネルギー・プロジェクトだったのだから。けれども、実際に炭坑の現場で働いていた労働者のリアルな行為は、ここでは記述されてはいないだろう。わたくしは『まっくら―女坑夫からの聞き書き―』(森崎和江著・山本作兵衛画/1970・8/現代思潮社)で、炭坑産業とそこで働き暮らす人々の記録と文化を知った。それにもまして山本作兵衛が92歳で亡くなるまで描いた2千枚近い絵は、実際に現場にいた者にしか分からない死と隣り合わせの地下世界を、精緻なタッチで伝達してくれた。
 《ヤマは消えゆく、筑豊五百二十四のボタ山は残る。やがて私も余白は少ない。孫たちにヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思いたった。文章で書くのが手っとり早いが、年数がたつと読みもせず掃除のときに捨てられるかも知れず、絵であれば一寸見ただけで判るので絵に描いておくことにした。》(山本作兵衛畫文『筑豊炭鉱徐ノ』1973・1/葦書房)
 山本作兵衛は、採炭夫、仕繰夫、機械鍛冶工、修補工常一番、火夫、ポンプ運転夫。最後の15年間は、田川郡猪位金村(田川市)位登長尾炭坑で採鉱係。ヤマ生活60年。少年時代から好きだった我流の絵で、昭和33年から炭坑記録絵を描きはじめている。記録文は昭和27、8年頃から書かれた。位登長尾炭坑は昭和30年1月閉山。山本作兵衛はこのとき63歳で、一番最初にクビになったとある。その後、資材の警戒員となり夜勤のつれづれに記録は続行された。本著は、絵と文が一体になった原画コピー(写真)、炭坑物語(記憶のエッセイ)、筑豊方言と坑内言葉、年譜、あとがきで構成されている。自分が生きて来た証を、息遣いを子や孫に伝えたいという素朴な思いではじめられた生活記録。描いた絵や文が後に本になるなど、想像もしてはいなかっただろう。
 山本作兵衛のように炭坑の記録を絵と文字で残そうと思い立つ人あれば、極めて個人的な膨大な記憶は、活字の海をかかえたまゝ、死して宇宙の粒子となるのだろう。亡くなった人の形見を収集し、隠されたメッセージを 読み取る技師の物語を描いた小川洋子『沈黙博物館』(2004・ちくま文庫)を再読しながら、「言葉」の「形見」について想いをめぐらせてみた。また、亡父の戦争体験をこの現世に召喚し、死者の記憶としてよみがえらせた季村敏夫詩集『ノミトビヒヨシマルの独言』(2011・1/書肆山田)を想う。父のモノカタリは、息子が、そしてその子が、この世で遭遇する幾多の災禍に繋がっていく、優しくて残酷な記憶なのではあるまいか。
 《ふしぎ、である/わたしが、父であり/おまえが、息子であること/父であるわたしが/息子でもあることが》(「生かされる場所」)
 《たどりつかねばと/おもうほどに砕け/はかないほど砕け/走って 走って/通り過ぎるのだと/父なる父の声があがる》(「伝説」)
 わたくしごとで恐縮だが、父の詩日記、母の歌日記が手元にある。母に至っては、生い立ちの記(自分史)まで書き遺していた。といっても文学雑誌などとは無縁の市井の人だ。父母の一生は、関東大震災にはじまり、戦争をはさんで阪神淡路大震災まで、戦争と災禍の連続のなかにあった。わたしたち夫婦には子どもがいないし、無名の書き手に過ぎない当方には荷が重い両親の記憶遺産だ。父母の遺した記録は、わたくし自身の記憶が定かなうちに、彼らが待つ彼岸へと送り届けねばならない。
 
 

破れた世界と、ヴェルテップ

 
 世界の諸相が一冊の詩集に詰まっている渡辺玄英詩集『破れた世界と啼くカナリア』(2011・10・25/思潮社)は、読者が何処かへ連れて行かれるような危うさに満ちている。前詩集『けるけるとケータイが鳴く』の機会詩の延長線上に置かれるが、具体的な事件は表出されない。人もモノも言葉も破片になり、何が起こっていても、ケータイは鳴らない。表題の詩はネルソン・グッドマン「世界制作の方法」を見失ったヒト科のようだ。
 《4Hのエンピツでセカイを描いて/消しては描くことを繰り返している/(セカイはキズのようだ/こんなにもうすく鋭く/空気はひりひりと流れ/(洪水の(跡のように/リンカクが微かに(残っている/キズの上にキズが重なり/風景は震えがとまらない/(ここはどこなのか誰にもわからない/(だから/夜》
 批評詩「LEIDEN――雷電」(日下部正哉・高橋秀明・築山登美夫/2011・7創刊号)。築山登美夫の詩〔ヴェルテップ=二重芝居〕が前から気になっていた。江川卓『ドストエフスキー』によれば、19世紀末頃までのウクライナに、上段と下段、2層の舞台で演じられる人形芝居があり、それぞれが独立して二つの芝居が同時に進行するのが「ヴェルテップ」だと。
 《なぜ二重でなければならないのか/なぜ芝居なのか その秘密を知るためには/あなたがたが《地と大地》から隔てられた/その時 その場処に遡らねば でもどうやつて?」》と、スクリーンに映しだされる世界の惨劇と、その前で食の安全を確かめながら食事をするこちら側を思う。考えてみればこれは二重芝居ではないかと思えた。
 詩集も詩誌も手作りの個人発信インデペンダント出版物も小さなメディアだが、世界の破れに出現した小さなコミュニケーション・ツール。破れた世界や、ヴェルテップは、想像力を喪失するなと警告しているようだ。
 
(個人誌「Poetry Edging」21−2012年03月01日発行−より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。

Web評論誌「コーラ」17号(2012.08.15)
「新・玩物草紙」記憶遺産/破れた世界と、ヴェルテップ(寺田 操)
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