Web評論誌「コーラ」57号/新・玩物草紙:

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Web評論誌「コーラ」
57号(2025/12/15)

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言の葉、言の実、伎須美野

時里二郎詩集『伎須美野』(思潮社/2025・3・29)とは、「きすみの」と呼ぶ。「播磨國風土記」から届いた不思議な音が伝わる。最初に置かれた「水掻」の下部には「その子は手に水掻きあり。」と「遠野物語」が置かれている。
 「どこから来たの?/答えるはずもない問いをその子に投げて/そう問われているのは わたし/ここにいることの確かさは もうあちらにはいないのだという断念を含んでいる//白い包帯を器用に口でほどいて その子はわたしにまず左の手を差し出した/その手には水掻きがあった うすいみどりのてのひらから滲みだした皮膜のようなも/のが いっぱいに開いてみせた手の指の間を埋めて」……水掻があるヒト科の手を思い浮かべた。
 「水掻」「すずみ」「**」「祖父傳」「伎須美野」「鞦韆」の6構成の詩篇は、言葉をめぐって流転するモノ騙りだ。言の葉とその実は、生きものとしての動きをもつが一つにはならない。別々の顔と別々の語り口をもって野に放たれた。「発語のシステムが壊れても/麦の言葉が穂先に残っている/不規則に飛び跳ねている子は/すずみを見たのだろうか」(「すずみ」)とあったが、神隠しに遭った童だろうか、鳥だろうか、声はすれども姿がみえない。
 「半島の隠れみち/ほんとうは 隠しみち/誰が隠したのか 問い詰められるのが煩わしいので/通りのいいほうをつかいふるして/ほんとうは かくしみち/客死の みち/死出の みち/すずみの みち/半島はそのための地勢をうつして//」(「かくしみち」)
 建築家・原広司は《世界を旅してくると、集落の一つひとつが美しい衝撃となって現れます》と語られた。「伎須美野」のいくつもの「場面」には「かくしみち」と「美しい衝撃」がある。実美(みみ)のシステム、胡桃に似せた言語カプセル、境界に現れた古地図。現世から「孔」をそっとのぞき込むしかない世界の像が一冊の詩集
 
誰公園で 待ちぼうけ
撮影:寺田 操(C)
 

建築家・原広司の時空

 建築家の原宏司氏が2025年1月3日に亡くなられた。88歳。2023年2月、朝日新聞「語るー人生の贈りもの」の14回連載を切り抜いて読んでいたので驚いた。氏が手掛けた大阪平野に浮かぶ梅田スカイビル(1993)についての語りは11回目(2月14日)だ。ガラス張りの超高層ビルの2棟(両側のタワー)の頂部を繋ぐ円環状の「空中庭園展望台」、頭部が雲間に漂う新聞社のヘリから撮影された写真の幻想的に驚かされた。オフィス空間である建物を繋ぐ空中庭園の部分が切り離されて、空飛ぶ円盤のように雲が生駒山へ飛んでいく姿を想像してみた。
 阪急電車宝塚線で大阪へ通勤の往復、淀川を渡る電車の窓から眺めた見慣れた建築は、下から見上げていると巨大な水槽のなかに輝くアーチを思わせ、車中の乗客たちは小さな魚に変身すると。いきなり車中から異世界へと居ながらにして誘いこむポエティカルな仕掛、なんという美的な企みであろう。建築翌年の秋、友人たちと遊歩にでかけた。ここにはスウィスト『ガリヴァー旅行記』の空中都市の住人・ラピュータが住んでいるらしい。
 360度の視界から眺めた海と空と橋。それまでは仕事場近くである淀屋橋界隈の近代建築ウォッチングが好きで昼休みには散策したものだったが、壮大な夢が虹の彼方へと紡がれていくような原広司の建築は近代建築を凌駕していると思えた。『特集 現代建築の冒険 近未来を予見する24のモニュメントと 時代を疾走する建築家たち』(「太陽」1990・8)には、1951〜1990年現代建築50選が収録され、ハイテク時代、都市の大改造計画を実現する最新鋭の建築家が競い合う。50選の中には東京都大田区平和島に出現した原広司「ヤマトインターナショナル」(1986)もあったが、雑誌特集から3年後に生まれた「梅田スカイビル」の方にときめきを覚えた。現在も、入院・手術した病院へと定期検診へ行く際のタクシーやバスの車窓から見上げたスカイビルには胸が躍る。建築はポエジーだと思う。阪神・淡路大震災でも損傷はなかったビルは、ときに私の詩のなかにも侵入してくる我がワンダーランド。メソポタミア「空中庭園」幻想などの中近東などで伝わる建築様式から導かれた発想と言われている。JR京都駅ビル(1997)も印象的なビルだ。隣接するビルの窓から眺めた外観も素敵だが、友人たちとの待ち合わせの場所だった構内は、改札をでると平らな空間、上に上がっていく両サイドのコントラスト(河岸段立)、印象的な劇的な空間だ。原氏の建築は、アフリカや中南米での集落調査から導かれた人の住む家屋がベースだったようだ。
 没後に出版された原広司×吉見俊哉『このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った』岩波書店/2025・3・26)の表紙カバーは空中庭園のスケッチ。原氏の来歴と詩想のオーラルヒストリーの軌跡を読むこと、いきなり氏の世界感に拉致される。タイトルの「このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った」はカミュの『異邦人』より。戦時下の少年時代の「川崎の大空襲」、サイレンが鳴り続けるなかを逃げる体験に根差しているのだと。「いつも私の頭の中で、サイレンは鳴り続けています。私はこれを形而上学的な課題として受けとめ続けて」と語られた。何度も何度もため息をつきながら、氏の集落への旅と建築現場を往還し、就寝前のわずかな時間を愉しんでいる。といってもだんだん活字を追うだけになってしまった。夏目漱石とカミュ、ベケット、エリオット、サルトル、バルト……建築家と社会学者の哲学的で文学的な二人の対話が展開される。ハードルが高く戸惑いながらもスケッチやトピックスカードを愉しんだ。はっとさせられた言葉は、「離れて立て」「場面を待つ」だった。
 
待っています 宝塚花の道
撮影:寺田 操(C)
 
(個人誌「Poetry Edging」No.61ー2025年07月01日発行―より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』(風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房/ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より)、『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』(思潮社)、『尾崎翠を読む 講演編 2』(今井出版)、共著『宮崎駿が描いた少女たち』(新典社)を刊行。

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「新・玩物草紙」言の葉、言の実、伎須美野/建築家・原広司の時空(寺田 操)
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