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Web評論誌「コーラ」
16号(2012/04/15)

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水の地図

 
 小説や詩で登場する知らない地名があれば地図で探すのはとても楽しい作業だ。近頃は主人公たちの生活範囲や足跡を辿れるような仕掛けも増えてきた。しかし、それらが現実の災厄に関わってくるとなれば、地図を見る楽しみはいきなり現実的な痛い扱いに変わる。
 2011年3・11の東日本大地震に続き、豪雨を道づれに秋台風がなんども列島を襲った。各地の河川を氾濫させた豪雨は、濁流や土砂が人々や家屋を呑みこみ、地形を大きく崩した。自宅周辺の地形が気になり、ハザード・マップを広げてみると、2方を山に抱かれた山麓のマンションは、土石流災害の危険地区なので愕然とした。
 4月9日に亡くなられた小山和郎詩集『白地図』(2000・9/紙鳶社)の次の詩篇に目を止めた。
 《あわてて思い返したあの地形は、すこし降っても路上を水が流れ、たくさん降れば家や人まで押し流した。稜線に塗る色のわけがない。しかし持ちかえた鉛筆のみどり色を塗る気もおきないから焼酎の入った透明のコップの向う側で地図にはまだ色がない。》(「白地図」)
 この詩を読みながら、地図に鉛筆で印を入れたり河川に色をつけたりする癖のある私は、思わずたじろいだ。
 永島卓詩集『水に囲まれたまちへの反歌』(2011・4・25/思潮社)は、ことばで描かれた水の地図だ。海と川と湖の4方を水に囲まれた愛知県碧南市への哀惜からまる反歌。町には16の川と235の橋が架かり、橋を渡らねば何処へも行けない「宿命的な風土」。
 《捨てられた/地図があった/若い時代に染めた/折られた柱によりかかり/閉じられた窓/隠された肖像画や/影で支配されている/廃屋はもはや/不毛の静けさのなかで/揺れうごくことはなかった/驟雨でさえぎられ/風景はにぶくかすんでいた》(「夫人」)
 歴史の散歩道に捨てられた地図を、双子の老姉妹が拾ったことから殺人事件が始まる推理小説・恩田陸『きのうの世界』(上下巻・2011・8/講談社文庫)を読んだのは、豪雨災害の渦中だった。舞台は、3つの塔と水路がめぐらされた古い街並みの残る地方都市。マジックで印が付いた地図の水無月橋で男の死体がみつかった。
 《水というものは、景色をすっかり変えてしまう。水位が上がれば、山は島になる。水無し川は、雨のあとで川になり、風景を一変させる。地球温暖化で消滅の危機にある南洋の国があるように、水位というのは地図自体を変えてしまうのだ。そもそも、現在の見慣れた世界地図は水が作っていると言ってもいい。大陸の輪郭は、イコール水との境目なのだから》
 《雨を数えると鬼が来るよ》、《この町に天の川が隠されている》という謎めいた言い伝え。江戸時代より治水や土木工事を請け負い、地理や地勢を把握する天才的技能集団の家系。すべてのものを記憶する特殊能力を持つ男の死と、町が抱えてきた浮島の秘密。現実に起きたリアルな災禍と重なって怖い作品だった。
 《世界を一つのジャンルに当てはめようとすれば、その主な様式上の工夫が水であることは、疑う余地はない。》と語るヨシフ・ブロツキー『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』(金関寿夫・訳/1996・1/集英社)の原題「Watermark」とは水位標。水上都市の大小の運河や水路を歩きながら、近松浄瑠璃『天の網島』の橋づくしの人形になったような錯覚にとらわれた須賀敦子『地図のない道』(1998・8/新潮文庫)は、《ヴェネツィアが島とわかってからも、それがほんとうは、確固としたひとつの島ではなくて、自分がそれまでヴェネツィアと信じて来た土地の半分以上が、人の手でつくられた浮き島に過ぎないと知ったときは、もういちど驚かされた。》と綴る。水の地図は、人の手によっても変容するのだとおもえば、《百年先、千年先の/われわれの伝説のあらすじを/必死で水のなかの人が書き換えている》(田中勲「下流にて」・詩誌『天蚕糸』3号・2011・10・10)とナレーションのような声が聴こえてきた。
 

紅 茶

 
 11月1日は紅茶の日。1791年11月1日、ロシアのエカテリーナ女帝の茶会に大黒屋光太夫が招待され、日本人として初めて紅茶を飲んだとか。ふるまわれた紅茶にはジャムが入っていたのだろうか?
 16世紀後半に中国から紅茶が伝播したといわれているロシアの紅茶文化。普及は18世紀らしいが、一説にはアンナ→エリザベータ→エカテリーナの女帝時代に花開いたと伝えられている。紅茶にジャムをいれる通称ロシアンティーの飲み方が我が国に伝播したのは、日露戦争前後のことだろうか…、などといくつもの謎。ミステリーに登場するのは、有栖川有栖『ロシア紅茶の謎』(講談社文庫・1997)だ。自宅パーティーのさなか、作詞家が紅茶を飲むなり咽喉をかきむしり中毒死。はたして誰が、どういう方法で、紅茶に毒を入れたのか?
 紅茶は、秋から冬場には咽喉が弱い私にとり、欠かせない飲み物のひとつだ。「カテキン効果で、紅茶うがいをすると風邪予防になる」と教えてくれたのは妹だった。カフェの開店祝いでもらった茶漉し付きポットに茶葉を入れて湯をそそぎ、少し濃いめの色に蒸らす。砂糖もミルクも入れない。春・夏は、ベランダや窓際で育てているミントを入れ、秋冬は、乾燥させた生姜の欠片や柚子を入れる。鍋もので使った柚子の皮は刻んで冷凍して、香りづけに一年中つかう。実家は全員が紅茶党で、子供のころはコンデンスミルクかスキムミルクを入れていたように思う。ときにスティック状のシナモンで角砂糖を溶かすのが、お気に入り。ティーバッグが流行になったのは、1970年代前後だと思うが、あっというまに一般家庭にティーバック使用が拡がり、我が家でもティーバックを使う様になったが、頑固に缶入り茶葉にこだわり続けたのは、2歳年下の弟だ。今でも紅茶の美味しい入れ方にこだわり続けている。
 紅茶をめぐるマニュアル本や効用・原産地リーフの特徴などの詳しい新聞記事などはよく目にする。近頃のティーバッグには、パッケージに「美味しい入れ方」が温度設定から時間までイラストで描かれている。何回ティーバッグを振るか(蒸すのではなく行水)まで説明されている親切には、「幼稚園児じゃあるまいし」と茶化したくなるのは私だけかな。知人に誘われてでかけたインド人の家庭で、大きなポットに茶葉と牛乳をいれて沸かした紅茶(インド式?)をご馳走になった。コーヒー牛乳に似た濃厚な紅茶の味で懐かしい記憶だ。
 堀江敏樹『紅茶の本』(2006・7・15/南船北馬舎)は、さまざまなメディアで流される紅茶作法の常識の間違やら勘違いやらが検証されていて、へえ〜と驚かされた。ティーバックを行水させただけだと、紅茶らしき色は出るが成分は出ない。行水させて色がついただけの薄い紅茶にはレモンが合う。渋みのタンニンという成分こそが紅茶の滋味で、ミルクで飲むのが紅茶の飲み方。一番の驚きは、ピストンがついた円筒形のティーサーバーが、コーヒー用だったことだ。シュガー入れ、レモン皿とサーバーのセットをプレゼントされたときは、お洒落だなと感激したのだが…。
 初夏の都心で女友達と画廊へ。知り合いの個展を見た帰り、お茶しようと立ち寄ったカフェ。店頭の美味しそうな焼きマドレーヌにつられて店内へ。白い漆喰塗の壁、割れ目が見える古材を使った大きな梁、椅子もテーブルも古材にニスを塗ったシンプルな造り。古いビルの1Fを若い客向けに改装したオープン・カフェ。アールグレイの紅茶とマドレーヌを頼むとセルフだ。カウンターに取りにいくと、マグカップにティーバッグがでてきたので仰天、おまけにカップが熱過ぎて持てないし飲めない。ここは雑誌で紹介された美味しいケーキが売り物だと、隣席の若い男性が同伴の女性に話している。「ティーバッグにマグカップの紅茶、風情ないわね」と言えば、「オープン・カフェだもの」「これで420円は高いわね」などと、中年女ふたりの深いため息。
 
(個人誌「Poetry Edging」20−2011年11月01日発行−より転載)

★プロフィール★
寺田 操(てらだ・そう)詩人。編集として『幻想・怪奇・ミステリーの館』(「エピュイ23」白地社)。詩集として『みずごよみ』(白地社)、『モアイ』 (風琳堂)、評論として『恋愛の解剖学』(風琳堂)、『金子みすゞと尾崎翠──一九二○・三○年代の詩人だち』(白地社)、『都市文学と少女たち―尾崎翠・ 金子みすゞ・林芙美子を歩く』(白地社)、童話として『介助犬シンシアの物語』(大和書房 /ハングル版はソウル・パラダイス福祉財団より )、共著として『酒食つれづれ』(白地社)、『小野十三郎を読む』 (思潮社)。2011年5月に『尾崎翠と野溝七生子』(白地社)を出版。

Web評論誌「コーラ」16号(2012.04.15)
「新・玩物草紙」水の地図/紅 茶(寺田 操)
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